こういうわけですから、自首することさえできずに、しばらくはどこへともなく放浪していました。
しかし、自分の逃亡生活は唐突に終わりを告げることになりました。
持っていた金はほとんど底を尽き、二、三日食事も摂らずに野宿を続けていましたが、体が弱っていて気を失ってしまったのでしょう。
どこかの家の軒先に倒れているところを通報されて、気がつけば自分は警察署のなかに保護されていました。
気がついた自分は、警察官に事情を聴かれました。
自分は全部、洗いざらい白状しました。
店で特に理由もなく店長を殺してしまったこと、死体を川に捨てたこと、金を奪って逃げようとしたこと、そして、どこまで逃げても店長がまだ近くにいること。
交番にも自首しようしたが、店長が見張っていて駄目だったこと。
交番の件は、自分を担当した年配の警察官も既に知っているようでした。
そして静かに、「悪いことはできないんだ。これがいい例だ」と諭すように自分に言いました。
その後、自分の話のとおりに水門から遺体が揚がって(やはり魚に喰われるなどしてひどく損傷し、腐乱も進んでいたそうです)、店の壁、床、包丁も何とかいう試薬で血痕が見つかり、自分は殺人犯として逮捕されました。
捕まったときの自分のようすから、弁護士は自分が精神の病気だったということにして弁護しようとしましたが、遺体を捨てたり、金を奪ったりしたことから、17年の実刑判決が出ました。
弁護士に「控訴しよう」と言われましたが、自分は断りました。
自分が殺したのはまちがいのないことであり、交番で「ごめんなさい」と絶叫した気持ち、もう勘弁してほしい気持ちは本当だったからです。
控訴などしたら、また店長が自分のところに来るような気がしていました。
刑務所に入って、自分は「もうおれの人生は終わった」と思いつつも、「これでよかったんだ」というか、ほっとした心境になっていました。
よく作り話にあるような、毎日毎日悔い改めるなどということは正直なところありませんでしたが、それでも店長にはすまないことをしたという思いはありました。
規則正しく刑務作業をする毎日は、あの苦しかった逃亡生活とは比べ物にならない、落ち着いた時間でした。
逮捕時の様子から、収監された当初は定期的に矯正医官の診察を受けて薬を飲んでいましたが、もう店長の姿を見ることも、ごぼごぼという音がすることも、魚の臭いがすることもなくなっていました。
刑期を終えたいま、自分は介護施設で当直専従スタッフとして働き、静かに暮らしています。
「償い」というほどではありませんが、年に1度、自分が店長の遺体を捨てた水門には手を合わせに行っています。
相当の時間が経ち、こころの整理がついたいま、供養のような気持ちであなたにこの手記を託します。
人間、悪いことはできないものなのです。
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他殺の線も捜査 〇〇市の〇川水門から身元不明遺体
今月二四日に〇〇市内の〇川水門で身元不明の遺体が見つかった事件で、県警は行方不明となっている〇〇県〇〇市の飲食店経営者・〇〇〇〇さん(三九)である可能性もあると見て親族らに話を聞き身元の特定を進めている。遺体は激しく損傷しており、○○さんが誤って転落した事故の可能性と他殺である可能性の両面から、県警は慎重に捜査を進めている。……
水門の遺体は飲食店経営者
十一日、県警は今月二四日に○〇市内の〇川水門で見つかった身元不明の遺体の身元を特定したと発表した。遺体は○○市内で飲食店を経営する自営業・○○○○さん(三九)。○○さんは先月下旬から行方不明になっているとして親族により失踪届が出されていた。……
店内で刺殺、現金奪う アルバイト従業員を再逮捕
二三日、警視庁はアルバイトとして勤務していた飲食店の経営者を殺害し、金品を奪った上、死体を遺棄したなどとして、○○県○○市の自称大学生・○○○○容疑者(二〇)を強盗殺人の疑いで再逮捕した。○○容疑者はアルバイトとして勤務していた○○市内の飲食店で、先月二四日未明に経営者である○○○○さん(三九)を店内の包丁で殺害し、店の売上金や財布を奪った上、死体を○○市内の〇川水門に遺棄した疑い。○○容疑者は奪った金を使って逃亡していたものの、逃亡の資金が尽き、○○区の民家の庭先に倒れていたところを警視庁の捜査員に保護された。意識を回復した○○容疑者が捜査員に犯行を自供し、実際に遺体が発見されたため死体遺棄の疑いで逮捕した。その後、警視庁と○○県警の合同捜査本部により○○さん殺害の容疑が固まったため、警察は容疑を強盗殺人に切り替えて○○容疑者を再逮捕した。
終わり…