22: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:31:49.62 ID:qGNehfml
腐らせるのになぜ番が必要なのか
25: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:33:18.45 ID:XKlAUUcz
>>22
河童に死体がいじくられたら困るからやろ
26: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:33:24.82 ID:GdU6L577
>>22
そら河童が持っていっちゃうからやで
27: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:33:45.67 ID:z+GbpakZ
なぜ死体を腐らせたら河童が腐るのか
29: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:34:58.64 ID:Mtz46Wnk
>>27
分かる
36: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:36:55.94 ID:ooXrQjQe
カッパが食った死体が腐るとそれを食ったカッパも腐ると
筋は通ってるといえばそう言えなくもないような感じ
4: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:28:34.35 ID:CWTWdOuB
天狗の仕業だろ
5: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:28:48.75 ID:ooXrQjQe
ロマンあるわ
6: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:29:00.55 ID:/jVZFZIP
大正?昭和初期?にこんな慣習がまだ残ってたんだな
8: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:29:30.58 ID:yeYS81Lp
水木が考えそうな話やな
10: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:30:04.37 ID:XKlAUUcz
水木サン本人も子供の頃弟を殺しかけた畜生やけどなー
28: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:34:51.91 ID:Fqzd9nVg
>>10
KRSW
41: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:38:20.48 ID:XKlAUUcz
>>28
港だったか川だったかは忘れたけど、水の流れが速いところがあってそこに人が落ちたらどうなるかが気になったらしい
で、弟を突き落として実験してみた
49: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:42:47.95 ID:8ko38l/G
>>41 仕方なかった 知的好奇心を満たすため 仕方なかった
生い立ち
1922年3月8日、大阪府西成郡粉浜村に生まれた。父・武良亮一、母・琴江の次男。水木生誕当時、父親の亮一は、親戚が大阪の梅田駅近くで経営していた印刷会社で働いていた。身重の母親・琴江は夫に会うために鳥取県から来て、大阪で水木を産んだ。
父は共同経営者とともに農機具を輸入販売する会社を興す為に、妻子をいったん故郷の鳥取県西伯郡境町入船町に帰した。境港に戻った理由は「大阪は空気が汚れていて乳の飲みが悪い」からという。水木が境港に戻った年齢については不明確だが、生後まもなくから2歳までの間とのこと。その後父は事業に失敗して帰郷、一家全員境港に定住する結果となる。
5歳の頃「死」に興味を抱き、3歳の弟を海に突き落とそうとするが、近所の大人に見つかり、両親にしかられた上に、当時同居していた「ねーこ」と呼ばれる祖父の妹に「やいと」をすえられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる#生い立ち
13: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:30:27.82 ID:c5Bubf8s
昔って河童とか狐とかに化かされるの好きやな
18: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:30:58.95 ID:6tfn8SuG
人の死体の側にいたら気も狂うわな
19: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:31:25.33 ID:F12qp6Nb
先生は南方戦線でぬりかべに出会っとるからな
23: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:32:48.89 ID:Fqzd9nVg
水木しげるが妖怪のラスボス
24: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:33:02.87 ID:T70WTVnE
戦争で水木先生と一緒に川を渡った兵士が気づいたらいなくなってた話は正直ワロタ
33: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:35:39.61 ID:+mzwSWr8
>>24
それってワニに食われた話しか?川で顔を一緒に洗っていたらいなくなったじゃなかったか?
37: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:37:16.61 ID:T70WTVnE
>>33
ロープと船で川を横切ってたときのはず
水木先生は前にいて、後ろにいた同僚が消えてた
多分ワニだろうと書いてあったな
30: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:35:09.48 ID:MnNeatuk
河童をwikiで調べたらさぁ
肛門3つあるらしいわ
河童
体格は子供のようで、全身は緑色または赤色。頭頂部に皿があることが多い。皿は円形の平滑な無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされる。口は短い嘴で、背中には亀のような甲羅が、手足には水掻きがあるとする場合が多く、肛門が3つあるとも言われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/河童#外見
31: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:35:10.32 ID:ddKBb10X
幽霊より戦争の話が怖かった・・・
34: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:35:42.62 ID:Df+21Oc2
実は水木先生が河童だったってオチなんやろ
38: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:37:38.20 ID:QsfwsfV0
昔のヨーロッパでは、刀で出来た傷を治すとき
傷口だけでなく刀の方にも薬を塗ったらしいが
これも似たような発想なのかな?
40: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:38:19.05 ID:ooXrQjQe
戦地で腕失った時
数日して傷口が落ち着いてきた頃に失った腕の付け根から赤ん坊の匂いがしたとかいう話
軍隊時代
九死に一生を得て部隊に戻ると仲間達は喜んでくれたが、兵器を捨てて逃げた事を上官にとがめられ、「なぜ死なずに逃げたのか」と詰問され、「死に場所は見つけてやる」と言い捨てられた。
これまでは戦場でも何とか朗らかに振舞ってきた水木も、この件で流石に塞ぎこみ、これ以降は虚無主義的な考え方をするようになった。そんな陰惨な日々は続き、マラリアを発症、高熱で錯乱状態に陥ってジャングルを彷徨い歩き、危うく死にかけた。
追い討ちをかけるように敵機の爆撃で左腕に出血多量の重傷を負い、間の悪いことに血液型も忘れてしまっていたことで上官や仲間からの輸血処置も不可能となり、止血されるが左腕に死斑が出てしまい、延命処置として軍医によって麻酔のない状態で左腕の切断手術を受けるなど、絶体絶命な半死半生の状態へと追い込まれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる#軍隊時代
42: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:38:48.69 ID:inmnZi8X
戦前の話やろ
43: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:39:02.41 ID:k91WV7h2
「戦争中、夜中に外でタバコ吸ってたら殴られた」って当たり前やろ
47: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:40:38.51 ID:AtqE3TDD
>>43
むしろ殴って止めてくれた上官に感謝やな…
51: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:42:52.70 ID:Fqzd9nVg
>>47 その代わり味方になってくれた上官や軍医も結構いた。
水木御大はビートたけしとも仲が良いが、何か魅力を感じる人物らしい。
軍隊時代
ニューブリテン島での戦争体験は、後の水木の描いた作品に多大な影響を与えている。
軍隊生活と馴染めなかった水木も、所属していた第2中隊中隊長である児玉清三中尉からは、その腕を買われて似顔絵を描く事をよく頼まれ、水木に事あるごとに言いがかりをつけては嬲ることしか考えない上官たちの中で、例外的に水木が個人として優しく接してもらえた人物だった。
同様に下士官の宮一郎軍曹や砂原勝己軍医大尉なども数少ない水木に親切に接してくれた上官で、水木が戦後復員して再会してからも交流が続いた人たちだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる#軍隊時代
52: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:44:42.19 ID:ncynizaV
・死というものがどんなものかわからず、5歳の時に弟を海に落として死なせてみようとする。途中でばれてものすごく怒られた。
・あまりにもぼーっとしているので、小学校の入学を一年遅らされた。
・いつでもどこでもおならをすることが出来た。
・自宅に動物園を作ろうと兄弟で動物を集めまくるが、飼育が下手でみんな死なせてしまった。
・15歳で大阪の印刷所に働きに出るが、遅刻欠勤を繰り返して2ヶ月クビになる。その後も行く先々を短期でクビになる。
・東京芸大に進学希望を持ち、受験資格を得るためにまず大阪府立園芸学校に入ろうと受験する。
面接試験で志望理由を「東京芸大の受験資格を得るため」と正直に告白し、不合格となる。なおこの時の受験者数は51人で、合格者は50人だった。
・軍隊から徴兵を受け、入隊する前に死を意識してゲーテなど哲学書を読み漁る。
・入隊後、そのマイペース振りから将校と間違えられ風呂で年長兵から背中を流される。後でばれて思い切りひっぱたかれる。
・軍隊でラッパ係となるが全く拭けなかったため配置転換を受ける。「北か南か」と聞かれて「北は寒いから南」と答えて、激戦地ラバウルへ送られる。
・ラバウルまでの輸送中、敵船から魚雷攻撃を受ける。水中を泳ぐ魚雷を見て笑ってたらひっぱたかれる。
54: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:45:41.26 ID:ncynizaV
・ラバウルの司令官、今村均に「やけに太った兵隊だな」と言われる。なお終戦直後、今村均が全兵士に対して「一人残らず日本へ帰国させてみせる」という訓示を受け、なんとなく生きて帰れる実感がわいたと述べている。
・ラバウルの現地住民に聖書を読み聞かせるなど交流を深め、現地除隊してそのまま住もうかと考えた。
・帰国後、魚屋やタクシーのリース業など様々な商売に手を出し、その後紙芝居作家から貸本漫画家へとなる。
・貸本漫画家時代は極貧で、原稿料をもらうための電車代を質屋に借りる始末だった。
・40歳前に見合いから5日で結婚。見合いについては「嫁の隣にいる父親の顔が異常に長かったため、嫁の顔の長さが当時はわからなかった」と述べている。
・40歳を超えて初めて「テレビくん」がヒット作となる。その後「鬼太郎」の連載も始まって激務となり、このころのことを元アシスタントの池上遼一は、「前夜に誰かがもんじゃ焼きが食べたいなと言ったから、次の妖怪は『なんじゃもんじゃ』だと決めるくらい忙しかった」と述懐している。
・80年代にスランプとなり、「妖怪なんて非科学的なもん、いるわけないだろ」と漏らすほどピンチになる。ただ娘が修学旅行先で目々連を見たと言ったことから奇跡の復活を遂げる。
・86歳時、昼食にメガマックとポテトを完食。このほかピザなども丸々平らげている。
・宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントがあったことを手塚治虫に八つ当たり気味に文句言われ、手塚の嫉妬深さを皮肉る「一番病」という作品を書く。手塚は手塚で水木に対抗して「どろろ」を書いた。
・手塚、石ノ森が早世したことについて「徹夜自慢は早死にする」と述べ、自分はマイペースでよく寝ていることをアピール。
・補聴器を一時期、聞こえる方の耳につけていた。
55: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:46:05.33 ID:k91WV7h2
>>52
蛭子さんと、あんま変わんないんだよなあ
21: 風吹けば名無し 2012/10/14(日) 20:31:41.58 ID:BC1A8y5L
こういう体験が河童の三平につながったんやね
引用元:https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1350213977/