正月ぶりに顔を合わせた義両親と義弟は、あたたかくKくんを迎え入れてくれた。
「遠くから悪いねえ。来てくれて助かったわぁ」
「お義兄さん、すみません。僕のためにわざわざお休みを使ってもらって」
丁寧に頭を下げられ、Kくんは慌てて首を振った。
「いやいや、こちらこそ久しぶりにこちらに来られて嬉しいです。帰りはちょっと観光もしていこうって話してるんです」
「そうですか。お手伝いしてもらうのに悪いけど、ゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
それにしても……と、Kくんは不思議に思った。
義実家には、Kくんだけではなく、大勢の親戚が集まっていた。どの人も、Kくんが結婚式を挙げたときに見たきりの顔ばかりだ。
「なんか、他にもたくさん人がいらしてるんですね。皆さんもお手伝いですか?」
「そうなのよ。田舎の風習でねえ。大袈裟でおかしいでしょ」
「いえいえ……。大切な儀式と伺っていますから」
Kくんはそう答えたが、内心「こんなに大勢で一体何をするんだろう」と訝しんでいた。
集まっているのは皆、成人した男性ばかりで、女の人はKくんの奥さんと義理のお母さん、あとは付き添いで来たのであろう親戚の奥さんが1人2人だけだった。子どもは1人もいない。
それに、もう一つ気になることがあった。
「お嫁さんが来るための儀式」と言うのだから、てっきり義弟のお嫁さんもこの場にいるのだと思っていた。
しかし、当のお嫁さんは、なんと来ていないらしい。
それとなく聞いてみたが、みんな「あ〜、そうなんですよ」とか「この儀式はそういうものなのよ」などと要領を得ない返事しか寄越さない。
そもそもKくんは、その「儀式」で何をするのか何も説明を受けていなかった。
奥さんからは「着いたら説明されるから」と言われていたが、誰も何も教えてくれない。
なんとなく、こちらからは聞き難い雰囲気だった。Kくんはソワソワしながら待っていたが、あっという間に夜になってしまった。
大人数で食事を囲んでの宴会が始まった。
義弟は親戚たちにお酌をしながら、「今日はすみません」「どうぞよろしくお願いします」と頭を下げて回っていた。
周りの男たちも、「いやいや、頑張れよ」「本家は仕方がない」など言いながら、義弟の肩を叩いて労っている。
やがて、義弟がKくんのところにも来た。
「お義兄さん。ほんとに今日はありがとうございます。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる義弟に、Kくんは「いやいや」などと返していたが、お酒が入っていたこともあり、とうとう自分から聞いてしまった。
「あの〜……。ところで、儀式っていったい何をするの?実は、まだ詳しいことは何も聞いてなくて……」
「あっ、そうですよね」
義弟はハッとしたような顔をすると、すぐに義両親を連れてKくんのところに戻ってきた。
「すみませんねえ。バタバタしてて。Kさんは外の方だからご存知ないのにねえ」
「いえいえ……」
「えー、それじゃ時間もいい頃合いなんで、そろそろ始めようと思います。皆さんよろしくお願いします」
義父の声を聞いて、それまで賑やかに食事をしていた男衆がピタッと黙り、義父の方を向いた。
「えー、じゃあ、すみませんが、遠縁の方から順番に部屋に行っていただくということで。◯◯さんからになるかな。で、次は△△さんね。Kくんは、悪いんだけどS(義弟の名前)と一番歳が近いから、後に回ってね。念のため従兄弟たちの方をもっと後ろに回すから安心して」
「は、はぁ……」
義父が矢継ぎ早に説明するのを、Kくんは圧倒されながら聞いていた。
義母が、「すみませんねえ、ほんとにバタバタして」と相変わらずペコペコ頭を下げながらKくんに話しかける。
「順番が来るまではここで食事をしていてくれて構わないし、あっちで仮眠しててもいいから。あのー、順番にね、儀式のお部屋で、灯りの番をしてもらうんですよね。一晩中灯りを絶やさないようにね」
「あ、そうなんですか」
Kくんの脳裏に、お通夜の「寝ずの番」が過ぎった。ああいうやつの田舎版なのかな。でも、あれは人が死んだときにするやつだし、こっちは結婚だからなんか変だよな……。
「それでね、あのー、灯りの番をしているとき、多分誰かが来ると思うんですけどね。何を話しかけられても、絶対に『おめどご嫁にはむげ入れね』って返事してくださいね。それ以外は何も喋らないでね」
「……え、ええ?」
突然の奇妙な説明に、Kくんはさすがに面食らった。からかわれているのかと思ったが、義母も、義父も、義弟も、ほかの親戚たちもみんな真面目な顔をしている。
「返事をしないのもあんまりよくないからね。もう、ただ『おめどご嫁にはむげ入れね』って、それだけ繰り返してればいいから。お願いしますね」
「え、あ……はい……わかりました……」
とても、質問できるような空気ではなかった。
Kくんはビビりながらも、うなずくしかなかったという。
そして、「儀式」が始まった。義両親の案内に従って、1人、また1人と、男たちが家の一番奥の部屋へと向かって行く。1人あたりの担当時間は約1時間弱といったところだろうか。年配の男性から先に呼ばれていき、Kくんの番になった頃には、深夜の2時頃になっていたという。
指示された部屋は、長い廊下の突き当たりにある和室だった。中には簡単な神棚のようなものと、お酒と果物のお供物、それから長い蝋燭が立っている。
居間を出る時に、義母から「部屋には必ず1人で行って。中の人に声は掛けずにそのまま障子戸を開ければいいから」と言われたKくんは、その通りにした。
中にいた親戚の男性は、どこか憔悴した顔でKくんを見ると、軽く会釈をしてそそくさと出て行ってしまった。
これで、Kくんは次の番の人が来るまで1人である。
Kくんは畳の上にあぐらをかき、ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りを見つめた。
初めは緊張していたKくんだが、長旅の疲れに加えてお酒を飲んだこと、さらに深夜2時という時間もあり、次第にウトウトしてしまった。
ハッと目を覚ましたとき、すでに番を始めてから20分は経っていたそうだ。
ヒタヒタという足音と、何か布のようなものを引きずる、ズルズルという音が聞こえてきた。
交代にはだいぶ早い気がするが、次の人が来たのだろうか?
Kくんが廊下の方を見ていると、障子の向こうに、ユラユラと人影のようなものが映った。
妙なことに、その影は頭の形が不自然に大きく角ばっており、何か布のようなものを長く引きずっているように見えた。
人影は、部屋の前まで来ると、ピタッと立ち止まった。
Kくんは、その人が中に入ってくるのを待っていたが、不思議なことに人影はそのまま微塵も動かない。
あれ?交代の時は、声もかけずにすぐに中に入ることになっていたんじゃなかったっけ?
Kくんが不審に思ったその時、障子の向こうのその人物が、小さな声でこう言ったそうだ。
「嫁来る約束だったんべ
おらが嫁さ来でけだぞ」
若い、女の声だった。
しかし、喉が潰れたような、しわがれた声だった。
Kくんが動揺していると、その声はまた繰り返した。
「嫁来る約束だったんべ
おらが嫁さ来でけだぞ」
Kくんは唐突に、障子の向こうにいる人影がなぜ奇妙な形をしているかに気がついた。
あれは、花嫁衣装だ。
打ち掛けを羽織り、角隠しをした、昔ながらの和装の花嫁衣装を着た、若い女なのだ。
そう思い当たると、Kくんは全身の血の気が引いていくのを感じた。同時に、義母から言われた言葉を思い出し、震える声をなんとか振り絞った。
「お、お、おめどご、嫁にはむげ入れね」
障子の向こうの影が、ユラリと揺れた。
「嫁来る約束だったんべ
おらが嫁さ来でけだぞ」
しわがれた女の声が響く。
Kくんは必死に声を大きくした。
「おめどご嫁にはむげ入れね」
ユラリ。また、影が揺れる。Kくんは、その人影が先程よりも大きくなっていることに気がついた。
「嫁来る約束だったんべえ
おらが嫁さ来でけだぞぉお」
ユラリ、ユラリ
影が、ゆっくりと揺れながら、少しずつ、確かに大きくなっていく。
ズル、ズル、ズル
部屋の前を行ったり来たりしているのだろうか。花嫁衣装が引き摺られる音が不気味に響く。
Kくんは泣きそうになりながら同じ言葉を繰り返した。
「おめどご嫁にはむげ入れね!おめどご嫁にはむげ入れねえ!」
ユラリ、ユラリ、ユラリ
ズル、ズル、ズル
影は、もう障子いっぱいに張り付くように大きくなり、しわがれた声はいつのまにか部屋のなかで響き渡っていた。
「なすてだ
約束だべ
嫁さ来でけだぞ
入れろ 入れろ 入れろ!」
「おめどご嫁にはむげ入れね!おめどご嫁にはむげ入れね!おめどご嫁にはむげ入れね!おめどご嫁には……」
恐怖でガタガタと震えながら、Kくんはとにかく教えられた言葉を何度も何度も繰り返し叫んだ。
どれくらいそうしていただろうか。
ふいに、肩をポンと叩かれて、Kくんは飛び上がった。見ると義弟の従兄弟が、心配そうにこちらを見ている。
あ、交代の時間になったんだ。
そう悟ったKくんは、フラフラになりながら従兄弟に頭を下げて、部屋から逃げるように飛び出した。
居間に戻ると、奥さんや義両親が心配そうに待っていてくれた。
「どうだった?」と、奥さんに聞かれて、Kくんは「どうもなにも……」と、何と答えて良いか分からずに呆然とした。
「あの……あれは一体……み、皆さんあれを……?」
すると、義家族たちは気まずそうに顔を見合わせ、ポツポツとことの次第を説明してくれたそうだ。
何代か前、この家の跡取りが、村の娘を無理矢理手篭めにした。かなり乱暴に、身体に傷をつけてまで関係したのだそうだ。
娘は他に嫁に行けない身体になってしまったため、跡取りは責任をとって嫁にもらうと約束した。にも関わらず、数年も放置したあと、結局全く別の女性と結婚してしまったらしい。
絶望した村の娘は、跡取りを恨みながら自ら命を絶ってしまったそうだ。
以来、村の娘の呪いだろうか。この家の跡取りが外から嫁を貰うと決まると、花嫁衣装を着た怪異が現れるようになった。
怪異は「嫁に来る約束だったろう、私が嫁に来てやったぞ」と喋り、中に入って来ようとする。
本物のお嫁さんや跡取りが対応すると、決まって悪いことが起こるので、いつしかこの家では跡取りの結婚が決まると、親戚中の男衆を集めて跡取りの身代わりになり、怪異を拒む儀式をするようになったのだそうだ。
それが、今夜一晩中行われるのだという。
「元はと言えば、うちのご先祖が悪いんだけど……今の子に罪を被せるわけにはいかないから」
「あ、あの……でも、俺とS子(奥さん)が結婚した時にはこんな儀式しませんでしたよね」
「それは、うちから嫁に出て行く結婚だからね。うちに嫁入りするときにはこうやってね……。本物の嫁の代わりに、入り込もうとするんだろうね。だから、Nちゃん(義弟のお嫁さん)は、今日来ていないのよ」
「お父さんとお母さんが結婚する時にも、同じ儀式があったんだって」
「そ、そうですか……」
Kくんはそれ以上聞くと頭がパンクしそうで、終始生返事しかできなかったそうだ。
義両親は「うちの風習に巻き込んで悪かった。お詫びにゆっくり滞在してくれ」と引き留めてくれたが、夜が明けると、Kくんはすぐに荷物をまとめて出発したそうだ。
今でも、Kくんはこの夜を夢に見ることがある。
ズルズルと着物を引き摺る音。しわがれた女の声。
そしてなにより、あの、障子いっぱいに張り付いた巨大な女の影。
まるで首がボキリと折れたかのようにブラブラ揺れていたのが、恐ろしくて忘れられないのだという。
もし、将来生まれる義弟の子どもが男の子だった場合──そしてその子が、外から嫁を取ることになったら──またKくんはあの儀式に参加しなくてはならないのだろうか。
そう思うと、耐え難く陰鬱な気持ちになるのだそうだ。