6: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:44:17 ID:xeSJ
刀が袋に入ってたから対応できなかったみたいやん
7: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:45:07 ID:j4zZ
>>6
雪降ってたから濡れないように袋に入れてたらしい
その時点で士道不覚悟や
9: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:45:43 ID:TUuf
>>7
いや、冬場やししゃーないやろ
13: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:47:12 ID:TUuf
>>6
あと、袋だけやなしに、刀の鍔も刀の柄と紐で結んどったから
そりゃ即時に対応はできへんよ
15: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:48:22 ID:canW
>>13
井伊直弼「できない理由を考えるのではなく」
17: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:48:44 ID:TUuf
>>15
しゃーないやんけw
8: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:45:43 ID:jdCm
逃げた奴→処刑
軽傷者→切腹
重傷者→島流し
まあ、「雪降ってるし槍にも銃にもカバーかけとこw」で対処が遅れて現役大老を死なせるとか言い訳できんけどな
11: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:46:31 ID:LWim
重傷者も事件の2年後に牢屋行きっていうね…
12: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:46:49 ID:jnPC
逃げたやつは仕方ないかもしれんが交戦した奴は不問にしたれよ
14: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:47:27 ID:q4A1
戊辰戦争の戦没者と同じくらいの人間が全国各藩の内ゲバで死んどる
16: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:48:29 ID:SLyP
はえ~
時代柄しゃーないけど非効率やな
温情やればええのに
20: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:50:35 ID:LWim
>>16
事件の2年後に処分で同じ年に彦根藩自体が石高減らされているのを見るといろいろ勘ぐるわ…
19: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:49:46 ID:UiPr
主君を守るのが仕事だから失敗したらペナルティは当然やろ
23: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:50:53 ID:TUuf
>>19
そらそや
ただ、桜田門外の変の時は平時やと思っとったんやろ
もちろんそれじゃダメなのは分かっとるよ
29: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:51:55 ID:SLyP
当時と感覚違うけど守れんかったもんは守れんでしゃーないと思うけどな
30: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:52:53 ID:jdCm
>>29
「守れなかったらしゃーないんで責任取りません」って言ってる奴に守ってもらいたいか?
39: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:55:08 ID:jdCm
「守れんかったもんは守れんでしゃーない」という世の中になるってことはそういうことやん
62: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:01:28 ID:jdCm
「守れなかったけどしゃーない」じゃ許されんのが護衛なんやから
死ぬまでが仕事や
86: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:07:58 ID:TUuf
>>62
>死ぬまでが仕事や
これは大いに同意やね
武士や軍人はそらそうや
死を厭うなら他の仕事しろってなるわ
32: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:53:49 ID:2CL9
この変の後、旗本の二男三男の部屋住みが腕を買われて護衛やったんよなあ
38: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:55:03 ID:YTrH
○○門外の変ってもうひとつなかったっけ?
42: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:55:38 ID:DjBc
>>38
坂下門外やな
こっちは九死に一生を得た
44: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:56:13 ID:2CL9
51: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:58:11 ID:TUuf
>>44
安藤信正か
ここも水戸浪士いたっけ
これも靖国神社に祀られとるんかな?
40: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:55:30 ID:wj78
蛤御門の変
46: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:56:50 ID:TUuf
>>40
禁門の変は、薩摩・会津vs長州やで
53: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:58:41 ID:YsM7
傷を負った生き残り→切腹
逃げたやつ→斬首
凄い時代やな
49: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:57:43 ID:YsM7
可哀想
54: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:58:53 ID:sZ1n
井伊直弼の家来は
有能だから処罰は見逃してほしい,有能だが処罰は仕方ない,無能だが処罰は見逃してほしい,無能だから処罰は仕方ない
57: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:00:35 ID:TUuf
>>54
有能・無能の問題やなく、
警護という職務を果たせなかった
その責を問われたって話やんけ
ズレとるで
59: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:00:46 ID:jnPC
>>54
無能かもしれんが戦った奴まで切腹はいかんでしょ派
逃げても死罪、戦っても死罪ならどうしようもないやん
61: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:01:12 ID:nNAR
>>59
頑張ったから褒められるのは学生まで
結果を出さなきゃ意味がない
65: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:02:04 ID:jnPC
>>61
いや、単純に逃げても戦っても同じなら皆逃げちゃうんじゃね?って話
70: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:02:53 ID:nNAR
>>65
切腹はまだマシな死に方やろ
93: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:10:59 ID:TUuf
>>65
切腹なら武士の死やんけ
打ち首になったとか島原の乱の松倉重政くらいやろ
58: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:00:40 ID:j4zZ
安藤信正とかいう井伊直弼のとばっちりで襲撃されて生き残るも背中の傷は武士の恥って理由で老中罷免された可哀相な人
なお戊辰戦争では藩を挙げて奥羽越列藩同盟に加わってハッスルする
74: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:03:45 ID:TUuf
>>58
安藤正信は磐城かどこかでしょ?
譜代の割にはすぐに脱落しとるのよね
奥羽越列藩同盟
82: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:06:18 ID:j4zZ
>>74
磐城平藩やね
磐城平城に籠城して城が落城するまで徹底抗戦してるから小藩にしてはようやっとるで
99: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:14:10 ID:TUuf
>>82
ああ、戦って落城なんか
それならしゃーないわ
結局、会津と庄内だけが頑張っとったと思っとるよ
104: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:18:33 ID:j4zZ
>>99
会津戦争のうちのひとつやで磐城平の戦いは
白河口を会津藩が占領して守ってたから新政府軍は磐城方面から攻めようとして仙台藩が後援する磐城平藩中村藩との戦いになった
111: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:25:49 ID:TUuf
>>104
そうなんか
詳しいな
白虎隊の会津藩や酒井玄蕃(鬼玄蕃)の庄内藩の奮闘ならしっとったけど
磐城平藩安藤家は覚えとくわ
88: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:08:55 ID:oxhU
>>58
幕府の悪手よな、堂々とノーダメアピールすれば良いものの
足の引っ張りあいがために「行動すれば老中もすげ替えられるんや」と希望を与えてしもた
100: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:16:23 ID:TUuf
>>88
あの頃は紀州派と一橋派で争っとったわけやし、その影響もあったんかな?
知らんけど
83: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:06:38 ID:wj78
単なる斬首は可哀想やなよし切腹させたるみたいな価値観ほんま怖い
85: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:07:57 ID:NbJA
護衛失敗した連中が大体死ぬことになったってのは
そのころでも幕藩体制って甘ちゃんではなかったんやな
89: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:08:57 ID:q4A1
明治以降は責任取らずに逃げるの増えたわね
90: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:09:48 ID:H6nO
>>89
何の弁明もせずに責任取って死ぬ奴らだらけなんだよな
92: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:10:38 ID:jdCm
>>90
石原莞爾「弁明して生き残ったワイは許されたな」
源田実「やったぜ」
91: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:10:22 ID:oxhU
>>89
昭和辺りからかな
103: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:18:22 ID:TUuf
>>89
そうでもないやろ
何の件や?
昭和終戦まで、むしろ精神論高まっていくんやで
94: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:11:25 ID:H6nO
有名な東條英機が戦争の責任取って死のうとしたの知らんってマジ?
97: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:13:48 ID:jnPC
>>94
裁判怖くて先に死のうとしたんちゃうの?
105: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:18:51 ID:H6nO
>>97自分が裁判にかけられないとたかを括って自殺したのは近衛文麿やろ
近衛文麿近衛 文麿(このえ ふみまろ、旧字体: 近󠄁衞文󠄁麿󠄁、1891年〈明治24年〉10月12日 - 1945年〈昭和20年〉12月16日)は、日本の政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。爵位は公爵。
自殺
12月6日、連合国軍最高司令官総司令部は日本政府に対し近衛を逮捕するよう命令を発出(第四次逮捕者9名中の1人)。近衛は、逮捕命令の発表を軽井沢の山荘で聞いた。 A級戦犯として起訴され裁判(後の極東国際軍事裁判)にかけられる可能性が高くなった。
近衞は巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の12月16日未明に、荻外荘で青酸カリを服毒して自殺した。54歳2ヶ月での死去は、日本の総理大臣経験者では、もっとも若い没年齢である。また総理大臣経験者として、死因が自殺である人物も近衞が唯一である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/近衛文麿
98: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:14:02 ID:j4zZ
>>94
GHQが当時の最先端の技術で救命したから生き残ったんよな
それで自殺に失敗するのは武士の恥って叩かれた
101: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:16:50 ID:jdCm
>>98
見世物にされるのを恐れて口じゃなくて心臓を撃ったから少しズレたのがね・・・
まあ、法廷で天皇を守り抜いて刑場に散ったのなら、軍人として立派な最期やと思うわ
102: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:17:52 ID:Nn0f
でも東條は死刑決まってから
世界平和には天皇も要らんかったんや!仏法が世界を救う!
に変質したから責任はとってない気がする
114: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:29:05 ID:TUuf
>>102
まあ、関東軍におったときには兵はいくらでも手に入ると思っとった奴やしな
せめて自殺くらい成功しとればもっと評価違ったんやろけど
一応、自分で推し進めてきた日米開戦、自分が首相になって陛下の意思はそれを否定すると分かってから回避しようとしたってのは分かっとるけどな
まあ、元がダメならやっぱりダメなのよ
107: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:22:33 ID:jdCm
東條は「生きて虜囚の辱めを受けず」を戦陣訓に足した責任感もあったんかねえ
あんな軍人向けの心得手帳を一般人まで浸透して同調圧力で死んでいくとか恐ろしい時代やで
115: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:31:35 ID:TUuf
>>107
精神主義全盛の時代やし
乃木希典とか東郷平八郎とか、有名どころが押し進めた犯人ってのがもう・・・
117: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:33:40 ID:jdCm
乃木希典とか、アレが軍人として理想とされるのは分かるけど
あんなん人間が真似できることじゃないって
119: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:37:08 ID:TUuf
>>117
203高地での戦いぶりからして、軍人としてはアレやったけどな
ただ、最期は奥さんとともに明治帝に殉じたやん
108: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:23:06 ID:zlUb
ワイの先祖が参加した水戸藩士や
110: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:24:30 ID:NbJA
関ケ原のあと毛利の領地は全部取り上げるべきやったな
そうすれば幕末に仕返しされんかった
118: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:33:50 ID:TUuf
>>110
有名な話、毛利家当主は毎年正月に秘密の部屋で儀式やっとったんな
家臣:討幕の儀、いかが致しましょう
当主:まだ早い
これを幕末まで続けてたっていう・・・
120: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:37:28 ID:Y5Ly
>>110
関ヶ原の処理で毛利は改易、島津も薩摩まで幕府軍が攻め込んで滅ぼす。史実では改易した土佐の長宗我部氏を許して薩摩に攻め込む幕府軍の戦力にする。これではダメ?
121: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:39:18 ID:canW
>>120
島原の乱の数倍でかい浪士の反乱起きそう
123: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:42:22 ID:TUuf
>>121
当時の幕府は浪人問題は眼中になかったやろ
浪人問題をちゃんと考え出したのは由井正雪の乱以降や
それまでは取り潰しに躍起や
122: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:39:44 ID:TUuf
>>120
毛利は大減俸の上、本拠を広島から萩にうつされとる
島津は、幕府が攻めるぞと言っても、義弘は上京せなんだし
長宗我部はすでに土佐一国
ちょっと許される目はないかな
125: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:45:06 ID:Y5Ly
>>122
長宗我部盛親が兄を謀殺しちゃったから家康の怒りに触れたから
※家老の久武親直の讒言を鵜呑みにしちゃった
素直に家康や秀忠に詫びて大人しくしていれば許されていたかも?
羽柴秀吉が台頭し始めた小牧長久手合戦の頃は徳川と長宗我部は同盟していたし
127: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:47:05 ID:TUuf
>>125
信親は耳川の戦いで島津と戦って戦死やろ
兄って、他家の養子に行った人たちか?
128: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:49:56 ID:j4zZ
>>127
元親の三男の津野親忠やろ
人質になっててずっと上方にいて家康と親しかったから
それを謀殺したのが理由で盛親は改易されたんや
129: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:51:55 ID:TUuf
>>128
盛親は親直から讒言されても断っとったんやなかったっけ?
それを親直が勝手に親忠を切腹させたんやなかったか?
ちょっと忘れとるわ
134: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:59:22 ID:j4zZ
元親が長男信親が戸次川で死んだあと上に成人した兄がいるのに家臣たちの反対を押しきって幼い末弟の盛親を跡継ぎに決めたんや
それで津野親忠は家督争いに敗れて幽閉されてたけど久武親直の諫言で暗殺されて
それがきっかけで関ヶ原の戦い後に長曽我部家が改易されたってのが通説のはず
136: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 02:02:06 ID:TUuf
>>134
そっか
ワイの記憶が違っとるんやろな
ちな、久武親直は、まだ幼少期の時点から、親兄弟含めてこいつはヤバイとされとったし、
それを元親にも告げられとったと聞いとるで
138: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 02:06:10 ID:j4zZ
>>136
土佐国編年紀事略だと久武親直の讒言で津野親忠が暗殺されたってかかれてるけど
土佐物語っていう軍紀物では久武親直が奸臣として描かれてて諫言を盛親に却下されて勝手に暗殺するって流れになってるっぽい
135: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 02:01:39 ID:j4zZ
久武親直が津野親忠を勝手に暗殺してそれが盛親の策略にされたっていう説もあるね
140: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 02:09:18 ID:j4zZ
久武親直の兄が戦死するときに「弟はヤバイやつだから気をつけろ」って言い残すのも土佐物語の逸話や
142: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 02:11:10 ID:TUuf
>>140
ああ、そっか
詳しいニキやな
教えてくれて感謝やで
124: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:44:06 ID:canW
島津は将軍家の縁戚で幕末でもギリギリまで佐幕派で文久の改革なんかでは幕府側なんやから
ヤバいのは毛利だけよな
長州藩がテロリストが藩政握ったりいろいろおかしい
126: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:45:10 ID:TUuf
>>124
そやで
実際、幕末の動乱も毛利から生まれとるやん
22: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 00:50:48 ID:k2sf
護衛=もはや家柄だけの人やったんやろな
73: 名無しさん@おーぷん 23/07/10(月) 01:03:36 ID:jdCm
まあ、切腹は責任とは言っても名誉の死やから多少はね?
引用元:https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1688917239/