8: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:30:20 ID:uNQR
昔から中国やモンゴルには西欧系おったで
10: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:30:40 ID:EJsl
>>8
せやからって日本までたどり着くのはすごい
12: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:31:15 ID:uNQR
>>10
奴隷として売られてきた事例はあるしそんなに珍しくもないで
昔の天狗伝説とかは逃げ出した西欧系の奴隷の話やし
19: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:32:48 ID:EJsl
>>12
天狗の風貌って言うほど白人か?
20: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:33:05 ID:OEcb
>>19
鼻を誇張して描くからね
84: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:58:28 ID:kTYU
>>12
中世の奴隷か?
95: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 11:03:40 ID:uNQR
>>84
いや、もっと昔や
紀元前の時点で西欧系というか黄髪蒼眼の奴隷が北方遊牧民で確認されてるから、
その子孫が五胡十六国時代に中国を経由して日本に流れ込んできたと考えると辻褄はあう
98: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 11:10:06 ID:kTYU
>>95
それが蝦夷になったパターンになった可能性もあるか
13: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:31:24 ID:lCMQ
でもなんか遣唐使が中国行った時にキリスト教徒と会ってるみたいな話もあるよな
22: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:33:29 ID:EJsl
>>13
一応ザビエルは日本にほぼ初めて来た宣教師で、中国への布教は入国すらできてない
26: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:34:16 ID:6cyn
14: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:31:29 ID:OEcb
おぶすまさぶろうの絵巻物やろ
ロマンは感じる
ただ、普通に中国からトルコ系やペルシャ系の人が入ってきたんやと思う
25: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:34:12 ID:EJsl
>>14
子孫とかおるんかな
28: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:35:12 ID:OEcb
>>25
おると思う
黒船来航の時のハーフの子とか割とおって、今でも子孫おるし
30: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:36:13 ID:EJsl
>>28
ま?どこで知った?
36: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:37:36 ID:OEcb
>>30
楠本イネの遺品の展示を見に行った
オトンがシーボルトのハーフや
37: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:37:57 ID:EJsl
>>36
こういうの聞きたかった
33: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:36:43 ID:EJsl
黒船はいうて後やけど
オランダ商館員は現地妻作れたんかな
34: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:37:18 ID:Pqex
>>33
出島に入れる女が娼婦だけで、娼婦との子供は日本人扱いやったで
46: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:40:41 ID:Kv6A
>>33楠本 イネ(くすもと いね、文政10年5月6日(1827年5月31日)- 明治36年(1903年)8月26日[1])は、日本の医師。現在の長崎県長崎市出身。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの娘。日本人女性で初めて産科医として西洋医学を学んだことで知られる。“オランダおいね”の異名で呼ばれた
1827年(文政10年)、ドイツ人医師であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと、丸山町遊女であった瀧(1807年 - 1869年)の間に生まれる。※遊女ではなく、当時出島に出入りが許されていた遊女のふりをしていただけという説あり
48: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:41:36 ID:OEcb
>>46
この人の生き様ネタ抜きでかっこいいで
14で家を出てオトンの一番弟子頼って医者になってる
21: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:33:21 ID:8VWq
昔話の鬼は西洋人定期
24: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:34:11 ID:OEcb
>>21
西洋人だったり、盗人だったり、朝敵だったりで時代によって変わるけど基本的に人なんよね
17: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:32:29 ID:OEcb
正倉院展でもペルシャ系の人たちが奈良に来て役人として働いてた書類があるって見たし、普通に来てたんやと思うわ
23: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:33:39 ID:uNQR
そもそも匈奴は紀元前600年くらいにはもう西欧系の奴隷使ってた記録があるし、
中国だって滅ぼされたペルシャ王朝の生き残りが流れ込んでた事実がある
そもそもローマ帝国だって中国と人のやり取りしてるし
別に珍しい事実でもない
29: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:35:30 ID:OEcb
>>23
これなんよ
39: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:38:50 ID:uNQR
家光以前の日本は普通に海外に門戸開いてた国やから外人もいっぱいおるしな
ペルシャ人の記録とか聖武天皇の頃にはあったやろ
32: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:36:24 ID:uNQR
日本がずっと鎖国してたと思ってるのやろか
100: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 11:40:10 ID:cK1U
織田信長にも外国人の家来がおったんやろ
44: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:40:24 ID:3gGl
ノッブ「お前wwwwww身体洗えwwwwwww」
62: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:45:54 ID:YXw2
>>44
明智光秀「はい炎上」
56: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:44:10 ID:EJsl
ヨーロッパからの訪日外国人って誰が最初なんやろ
マルコポーロは日本まで来てた?
66: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:47:16 ID:uNQR
>>56
マルコポーロは来てない
ヨーロッパかどうかは知らんけど奈良時代の平城京でペルシャ系の役人がおったって記録は残っとる
68: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:48:30 ID:OEcb
>>66
その人を模したって伝わるお面をみたけど明らかにペルシャ系の人やと思う
あの造形は実際に直接ペルシャ系の人の顔を見ないと作れない彫りの深さや特徴やと思うわ
72: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:50:37 ID:uNQR
>>68
当時はというかペルシャと中国がずっと世界のトップやったしな
65: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:47:12 ID:oeh4
ロシアや北方から漂流してきた人もいたんじゃないのか
70: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:49:20 ID:OEcb
スラヴ系ロシア人のシベリア遠征は1585年が最初やぞ
ロシアではないと思う
86: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:59:38 ID:OEcb
ロシアはないってば
完全未開拓の湿地帯とウラル山脈を永遠に踏破するのと、ルートが何年も使われてるシルクロードを経由するのじゃわけが違う
そもそもシベリアのあたりにイヌイット系以外の人がおったって記録ないし
大陸から入ったと考えるのが普通
75: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:53:15 ID:Kv6A
渤海という謎の国
日本は大仏作っていたころにあったらしい
91: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 11:02:41 ID:PqON
>>75
渤海は日本と交易があったらしいな
93: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 11:02:53 ID:RUEv
>>75遣渤海使とかいう授業では習わないけどめっちゃ重要な奴
遣渤海使遣渤海使(けんぼっかいし)とは、渤海国使節の訪日を受けて日本が渤海に派遣した使節であり、728年から811年までの間に14回(または720年から15回。このうち759年は渤海経由の遣唐使。このほか787年、操舵手等の派遣が1回)の使節が記録に残っている。
『続日本紀』によると、720年(養老4年)渡嶋津軽津司諸君鞍男(もろのきみくらお)ら6人を風俗視察のため靺鞨(まっかつ)国に派遣したとある。
この靺鞨国については、津田左右吉をはじめ水本浩典、熊田亮介、石井正敏などが、北海道北部の粛慎(あしはせ)を指すとしているが、鳥山喜一、酒寄雅志、森田悌、関口明などが渤海のことであるとしており定説はない。
後説によると、720年の遣使が契機となり渤海の遣日本使が実現したことになるが、反論もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/遣渤海使
77: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:54:05 ID:JQEn
武士の髪の毛にしては随分フサフサで盛り上がってるなあ
武士は月代を剃るはずやろ
あれはなにかの毛皮みたいな帽子状のものを表現しているようにも思える
78: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:55:17 ID:OEcb
月代を綺麗に剃るのが流行ったのは安土桃山末期やで
92: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 11:02:43 ID:JQEn
>>78
烏帽子はあったので髷を結う習慣は普通にあったと思う
あんな現代人みたいな髪型にはならんと思うけどなあ
96: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 11:04:55 ID:OEcb
>>92
髷を結う習慣はその通りあったんよ
ただ、他の絵巻物とかを見るとすぐ分かるんやが、盗人とか蛮族は髷も結わない文化的でない非人間的存在として描かれるから、普通に現代的なざん切り頭の人間として描かれるんよ
59: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:45:20 ID:OEcb
まぁおぶすまさぶろう自体が伝説上の人って言われてて当時の地方豪族の逸話を寄せ集めた人っても言われてるしね
41: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:39:19 ID:maTG
酔っ払いじゃないん?これ
42: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:39:39 ID:EJsl
>>41
明らかに白人の特徴やろ
47: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:41:36 ID:qKXO
魔法使いそう
43: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:39:41 ID:OEcb
事物見たことある
鼻も長くて鼻先が赤くて白髪の老人じゃなくて西欧の白人の可能性があるのでは?って子ども向けの解説に書いてあった
57: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:44:21 ID:GFnh
山賊の様子描いたっていったって
リアルタイムで物盗りの様子見ながらスケッチしたわけじゃないやろ?
人からの伝聞もしくは自分の記憶を頼りに描くなら人物描写とかは割と適当になるのは仕方ないんちゃう?
73: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:51:17 ID:EJsl
>>57
でもしゃくれた顎に高い鼻に金髪に白肌やで?
64: 名無しさん@おーぷん 22/12/12(月) 10:47:05 ID:GFnh
そもそも写実性が求められる絵でもないしな
山賊が襲っているって情報だけあれば
山賊の身なりや容貌なんて適当な描写で正確性無くてええんやないか
引用元:https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1670808524/