山にまつわる怖い・不思議な話『近づく人影』『血痕』
突然の投下ですまないのだが
昨日、飛行機で海外から日本に帰ってきたんだ
フライトマップを見たらちょうど新潟の上辺りを飛んでた頃かな
雪山のところに黒い影(?)みたいなのが輪になって、ちょうど盆踊りみたいにぐるぐる動いてたんだ
飛行機の中だから写真が撮れなかったのは残念
大きさ的に間違いなく人ではないと思うんだが、こういうのってよく居るのかな?
ブロッケン現象や熊ではないと思う
影という言い方が悪かったかな
黒い点というか、スライムとかアメーバみたいなぐにゃぐにゃな形をしてたから
7~8個くらい?がのそのそ動きまわってる感じ
言葉が下手ですまない…
飛行機云々の人です
目に関する何かしらの現象、何かの見間違いがやはり一番有力なんですかね…
あと、熊を始めとする動物や岩だったりするなら相当な大きさです
人はチリみたいな大きさの高度で、アレは多分、車1.5台分くらいありましたからね
東北の山中が実家の友人に聞いた話なんだけど
真冬、外は雪が降り積もってる時期の晩、
気がついたら
廊下とか板の間に、カンジキで歩いたような足跡が付いてる事が何度かあったんだって。
足跡の所は、雪が溶けかかってるミゾレみたいなのが残ってたって。
もちろん誰も訪ねて来たりしてないし、
そもそも前も見えない位の雪が降る中
危険をおかしてまで、徒歩で人が訪ねてくるなんてありえないそう。
現象としては、ただ、それだけなんだけど
座敷わらしが引っ越しきたのかもしれんw
て、おじいさんは喜んでたらしいけど、
その後いっこうにお金持ちにはならなかったって言ってたw
以前このスレで、地元九州の山にいる動物たちの話を書き込ませてもらった者です。
狸モドキといたずら猿、あと野良犬さんの話を見て下さった人はいるだろうか?
今回は、前に話すのを割愛した『黒イノシシ』と『大ミミズ』の話を書き込ませてもらいたい。
上2つの動物たちは、昔は地元の山にいたと伝えられているが、
今はその姿を見た人はおらず、知人からの遭遇報告も聞いたことがなかった。
自分がこれから書く話も、大人たちから山の怪談として教えてもらったものだ。
その①、黒イノシシ
こいつの話は結構古いもので、時代的には明治か大正頃とほとんど昔話になる。
当時、件の山を含む周辺の山々を縄張りにする、熊と見間違うほど真っ黒な毛色をした雄猪がいたらしい。
この黒イノシシは両の牙が折れていて、『牙折れ』や『牙無しの黒』とも呼ばれていたそうな。
これだけならただの黒いイノシシなんだが、昔の人たちはこいつと遭遇するのを酷く恐れた。
というのも、黒イノシシは随分と不吉な存在だったからだとか。
黒イノシシは人間と遭遇しても、突進してくることはまずない。
代わりに歯ぎしり(牙ぎしり?)をして威嚇し、ギシ、ギシ、と大きな音を鳴らす。
面と向かってこの音を聞いた人は、後で災難に見舞われたんだそうだ。
どのような災難かというと、山を下りてから病気になり高熱にうなされる、道端で休んでる時にマムシに噛まれる等々。
なぜそのような不運に見舞われるのか、当時の拝み屋が言うには、
見えない牙で、人の見えない急所(運気とか厄とか)に噛みつかれるから良くないことが起きるのだそうだ。
そんなんだから黒イノシシは荒神の類いとして扱われて、山の一角に小さい祠を建てられ祀られた。
その祠の中に納められた御神体は、牙に似た形の石だったそうな。
なぜそんな石が御神体になったかというと、
黒イノシシは目に見えない牙で、本来なら触れられない人の運気や厄に触れて悪さをする。
だから形のある牙をお供えすることで、これ以上運気や厄に触れないようにし、祟りを起こさないで貰おうって理由らしい。
現在、黒イノシシが姿を消してからは祀り事は風化し、祠もほとんど放置状態とか。個人的には少し残念に思っている。
その②、大ミミズ
大ミミズといっても、青っぽいヤマミミズのことではない。
こいつに遭遇したという話の中で最も新しいものは、
村で商店を営んでいる近所のおじさんの体験で、彼が子供の頃の話になる。
ある日、おじさんが彼の叔父と所要で山に入り、小雨の降る山道を歩いていた時のこと。
道端の藪がワサワサと揺れており、「何だろう?」と思ってそちらに目をやると、
青大将ほどもある巨大なミミズが這っていた。
おじさんもそんなに大きなミミズは見たことがなく、衝動的に捕まえに行こうとしたそうだ。
しかし、「止めい」と叔父に服を掴まれ、止められる。
その間に大ミミズは藪の中に隠れてしまった。。
「あんな大きいミミズ、捕って帰ればみんな驚くのに」と愚痴ると、
「あれは、まだ子供じゃけん」「大人がおれば、お前ぐらいなら飲まれるかも知れん。藪に入ったらいかん」
と彼の叔父は言う。
おじさんも流石にその話を聞いて怖くなり、ミミズを追うのを諦めたらしい。
おじさんが彼の叔父から聞いた話によると、
大ミミズは雨の日ほど山道の近く、つまり人の近くに現れやすく、
雨の日は山道を外れて藪の中に入ってはいけないのだそうだ。
俺が聞いたことのある黒イノシシと大ミミズの話は以上で終わり。
で、前回書き込まなかったこれらの話をなんで今頃になって書いたかというと、
俺の甥っ子が大ミミズの方に遭遇していたことが分かったかので、それを機に書き込ませてもらった。
正月に久しく帰郷した際、同じく顔を出していた甥っ子と話をして発覚したんだが、去年の夏に遭遇したんだとか。
話を聞くに、甥っ子は自由研究の昆虫採集で山に入っている時にヘビぐらい大きなミミズを見つけ、
おじさんのように捕まえようとしたらしい。
しかし、途中から夕立が降ってくるわ、山の野良犬さんと遭遇し後をつけられるわで危ないと感じ、断念したそうな。
俺は大ミミズのような妖怪じみた奴は、流石にもう山にもいないだろうと思っていたんだが、
そういったものもまだまだ山にはいるのかもしれない。
小学生の夏休み、一人で山の中を探検してたんだけど、だいぶ奥の方でちょっとした崖を飛び降りたら、沼みたいなとこに両足ハマって動けなくなったんだ。
動くと沈む気がして、たぶん10分位じっとしてたら、同い年位の知らない女の子が崖の上から覗いるのに気付いた。
「たっ助けて!」て必死で叫んだら「あはあははっ」て笑いながらその辺の木で引っ張りあげてくれた。
帰省中の子だったのかもしれないけど、俺は今でも山の神のようなものだと信じてる。
ある山中にダム湖があって、そこまで舗装道路が続いている。
その先にも県境になっている山を越える道路はあったが、路面状態がよくなく、交通は少ない。
僕は友人と二人、バイクで峠を越えるつもりであったが、その日は通行止めになっていたため、ダム湖のほとりで野宿をすることに決めた。
それは何時くらいのことかよく覚えていないが、8時か9時でもかなり夜更けのように感じるものだから、まだ結構早い時間だったかもしれない。
5,60mほど向こうに、貸しボート屋の看板を掛けた三階立ての民宿があった。その前に軽トラックが停めてあるのだが、
その横に手をつないだ小さな子供と母親らしき人影が見えた。
騒いだつもりはないが、山中なので話し声が少しうるさかったかな?
と思い、友人に「近くに家があるから、少し声を抑えよう。」と言った。
友人は、無人に見える電灯の灯らない民宿を見ながら
「人いますかね?」と答えた。
僕は、ほら、と言うように顎先を親子の人影に向けて目線を送った。
親子の人影はさっきよりも少しこちらに近づいているように見えた。
「何かいますか?」
友人には見えていない様子だった。
人影は、まさに、「影」という感じで、全体に輪郭もぼんやりしたものだし、濃淡のないものだった。
あ、これは違うな・・・
そう思って「いや、何でもない」といった。
人影は、また少し、こちらに近づいていた。
「ひょっとして、怖い話しをしようとしてませんか?」
「そういう訳じゃないが、もしかして苦手な方か?」
「嫌いじゃないですが、あまり得意じゃないです。ここ、ちょっと怖い感じがしますよね。もしなにか出そうなときは言って下さいね。」
友人は恐がりな質らしく、些細なきっかけで怯え始めた。
僕は、いつもなら驚かせて楽しむ事が多いのだが、「引き返しましょう」と言われるのが面倒だったので人影についてはふれないでおいた。
そして、人影はまた少しこちらに近づいていた。
少しずつ近づいてくる親子連れの人影を、さすがに僕も気にしていた。
面倒くさがらずに移動した方がいいかもしれない。
沸かしたばかりのお湯で作った紅茶をすすりながらちらちらと影を気にしていた。
不思議と恐怖はあまり感じなかった。何かの見間違いかもしれないとも思った。
だから、その時点では撤収は本当に面倒くさかった。
しかし、友人は一点を凝視し始めた。
「どうした?」
「いえ、○○さん(僕)がさっきから気にしてるのは、もしかしてあれかなと思いまして・・・」
「何か見えるの?」
「いや、気のせいかもしれないですが、何となく・・・」
「幽霊とか、見える方?」
怖いなぁ。
で、その長身の女性が連れていた子どもはどうなったの?
>>56
なかなか怖かったです。
子供の方はどうしたのかわからない。
最後にみたのは女性の肩から上だった。
そこで何があったのか、何がしたくて僕たちに近づいたのかはわからないが
たまたまそこにいた、というよりは
こちらの存在を意識しているかのようなあらわれかたで
しばらくは祟りでもありかねないと思いびくびくした。
「じゃあ、今なにが見えてるんだ?」
「そうですね・・・何となく、親子連れのような・・・」
「そうか、じゃあ、きっと見えてる。俺もあまり見える方じゃないが、今同じものが見えているよ。」
「じゃあ、あれ、お化けですか?」
「本物の親子連れなら二人で見えてもおかしくないだろ?」
「いえ、たぶん違うと思います。」
「やっぱりそう思う?あれね、じつは最初に見えたときより、こっちに近づいてるんだ。」
「え~!こっちに来てるんですか?帰りましょう!どこか明るいところに移動しましょう!」
友人はやはり騒ぎはじめた。
「そうするか。」
コッヘルのお湯を捨ててストーブを片づけ、広げていた寝袋を丸めた。
ふと目を向けると、親子連れの人影はもういなくなっている。
「おい、まだ見えるか?」
「いえ、もういませんね・・・消えてくれたのかな?」
そう答えた友人の方を振り返ると、
友人の真後ろに人影がいた。
僕は思わずギョッとして彼の背後を見てしまった。
友人は僕を見て、思わず背後を振り向いた。
人影にははじめて表情があった。
女性であったが、身長が180近い友人を見下ろすような顔の高さだった。
目を大きく見開き、口を堅く閉じていた。
「ぐわ~~!!」
と叫びながら手に持っていたものをすべておとして
尻餅をついたというか、跳ね飛んだというか、
怪我をしかねないような転び方をした。
僕は、グッと息が詰まり、動けなかったが、
友人が僕の足下に転び込んできたので、とっさに手を出して支えようとした。
そのわずかな隙に、女性の顔は消えていた。
静かな夜に戻ったけども、僕と友人は寝ずに家路についた。
落ちはないけども、本当に怖い体験だった。
40です。
書きっぱなしの推敲無しであるため、様々に疑問を生じさせ、申し訳ない。
親子連れの人影は、その様に見えていたときはただ黒い影のように見えており
全体的な印象は、小学校修学前、おそらく4、5才の子供とその母親のような佇まいであった。
友人の背後にあらわれた時に、女性であることがわかった。
長身というよりは、浮いているような感じであると思う。
また、友人が僕にたいして敬語を使う理由だが
正確に言えば、彼は当時職場の部下であった。
バイクという共通の趣味があったことで公私を通じて交流があったため、不要な説明を省く意味合いから、友人と表記した。
尻餅をついたのは友人の方であり
僕は女性の顔を見た瞬間に硬直し、動けなかった。
僕の目線を追って振り向いた彼は
顔が近かったこともあってか、おそらく本能的に距離をとろうとして僕の方に飛び転げてきた。
尚、常態による端切調の文体が、諸兄に対していかにも生意気であるが、快適とは言い難い入力環境のためエネルギーの節約を意図したもので他意はなく、ご容赦頂きたい。
蛇足であるが、僕は若いころからアウトドア志向であり、野山に出向くことが多く、それなりの体験をしたり聞いたりすることも多かった。
連続投稿は否定的人物や懐疑的な人物を刺激し荒れるもとになると思い、
投稿を控えている。
もし需要があれば、暇をみて投稿したいとは思うが、当事者以外にはあまり怖くはないものが多い。
文末になったが、レスを有り難う。
ちょっと昔話してみる
実話な
家の曾祖父の話だ
じいちゃんは冬はマタギだった。ウサギ、雉、猪、タヌキを撃ってた。
ある冬、タヌキの親子を追い詰め銃をかまえた。
親タヌキは子供の前に立ち塞がり子供だけは助けてほしいと哀願する目をしてたらしい。
しかしじいちゃんは親子とも撃って家に持って帰った。
家族で美味しく食べたらしい。で、無くなる前に入院してたんだが夜中になると四つん這いで病室を徘徊しだした。
他の患者に迷惑かかるから個室に代えてもらい天寿を全うした。
葬式も終わり親戚が帰る途中何気にじいちゃんの墓を見ると紅い二ツの目のようなものがあるのを確認した。
怖くなり同乗の婆ちゃんに報告したら暫く考えて兄弟に後日連絡した。
兄弟会議で霊能者にみてもらうとタヌキの霊がついてて家族を七代呪うと言ったらしい。
霊能者の言ってる事は殆ど当たりらしく婆ちゃん達は大慌てだったみたい。
因みにおいらは曾祖父から数えて四代目…
40過ぎてひとりもん…
山で殺生はやるまいと固く誓ったのだった。
終わり
俺が聞いた中でもロマン溢れるのをひとつ
ある人が子供の頃の話
ある山の麓に、大人たちが「入ってはいけない場所」呼ぶ場所があったそうで、そこは山の麓の、一畳ほどの空き地だったそうだ
なんとこの空き地、草一本生えず、その場所の上に貼り出す樹の枝さえも完全に枯れていたという
まさにそこだけ切り取られたように、本当になにもない更地であったそうだ
しかし、大人たちはその空き地に入らないように気をつけながらその空き地に畑でとれた野菜や山菜なんかを置いて帰ってゆく
体験者が「ここは入っちゃいけない場所なのになんで?」と問うと、大人たちは笑いながら「人なら、顔さえ入れなかったら大丈夫」と言ったという
また、「ここはどんなものを置いていても動物が近寄らないから、大荷物になった時はここに放置しておくんだ」とも語ったという
そんなある日、その体験者はこの場所がどうしても気になり、誰もいない隙を見計らって、この場所に一歩足を踏み入れたそうだ
途端に、パクッと上半身ごと何かの口に喰われるような感覚がして、当たりが真っ暗になった
周りは普通の里山の光景だったのに、身を乗り出してこの場所に頭を入れた瞬間、景色だけでなく音さえもいっぺんに消え、
テレビの主電源を消すかのように、すべてが真っ暗になって何も見えなく、何も聞こえなくなったのだという
えっ? と思って咄嗟に身を引くと、まるで今までの光景が嘘だったかのように、元通りの里山に戻っていた
この場所は単に入ってはいけない場所なのではない、この場所には何者かが居座っているのだと、体験者はそう思ったそうだ
民話収集してるが、岩手は遠野市に通いつめる渓流釣り師、その内の、少なくとも二人から聞いた話は印象に残っている
遠野市の山峡には時折ヤマセがやって来るが、このヤマセの中で、ときたまざわざわとした何者かの声を聞くという
ヤマセとは、春~夏に太平洋側からやって来る冷湿な風で、このヤマセが来ると遠野盆地は
まるでドライアイスの煙の中に沈んだように、とっぷりと白く覆い包まれる。特に標高の低い谷川などには滞留するそうだ
日によっては手を伸ばすと掌が見えなくなるほど霧が濃い場合もあり、遠野に通う釣り人には、これに出会って山中に立ち往生を余儀なくされた人も多い
そして、このヤマセの中では人の声が聞こえる場合がある、という。自分が話を聞いた二人の話に共通しているのは、それが決して薄気味悪いものではなく、
どちらかというと賑やかで、大人数の人間が寄り集まって祝宴を開いているような音なのだという
自分が話を聞いた一人は、釣りをしている最中にヤマセに会い、クルミの木に背を預けてじっと霧をやり過ごしている最中、
がやがやとした人の声、カチャカチャと食器がこすれ合う音、神楽囃子の音が聞こえてきて、正気を保つのに必死だったという
また別のひとりは、ヤマセの中で一心不乱に釣り続けている最中、やはりこそこそと話し合う複数の人の声を聞いたそうだ
声の主が冗談を言い合ってくすくすと笑いあう声まで聞こえたそうで、彼はこの声の主を山の精霊であろうと言っていた
声の主の素性、発生条件等はわからないが、なんだかちょっとロマンあふれるなぁと思った話
ヤマセは一体何を運んでくるのだろう
6年位前、妙義山にひとりで登ったことがある。
ふもとの神社のさくらがきれいと聞いて、見に行ったんだ。
以前家族でも登ったことがあったし、軽い気持ちで途中まで行ったのね。
いくつかの鎖場を越えて、いちおう区切りのいい場所まで出たから満足して、
さあ下りようと思って歩き出した。
もともと登山道としても舗装や整備がされてるわけじゃなく、いくつか目印があるとはいえ
先人の歩いた跡を辿って登るような道だったため、20分くらい歩いて道に迷った。
ほかに登りに来ていた人もなく、熊がと言われていたのですごく不安になり、しばらく
しばらく立ちすくんでしまった。
実際には5分くらいだったと思う。
頭上から突然、ちりんちりん、と熊よけの鈴みたいな音が聞こえてきた。
ああ誰かいるんだ!これで帰れると思って、急いでその音の方向に向かって歩き出した。
すると3分も行かないうちに、登山道の目印が見えたんだ。
精一杯急いで下りたんだけど、山から下りてきたひとの姿はなかった。
もしかしたら登ってく人だったのかもしれないけど、迷ったとき夕方4時を過ぎてたんだよね。
これからどんどん暗くなるし寒くなるし、行った先には山小屋とかもないのに…
怖かったので、自分の中で山の神様に道案内されたってことにしてる。
小さいころに実際に見たんだが、
俺の家の近くに神社があって、その裏手に小さな山がある。
よくそこで遊んだんだが、ある日山道に血みたいなのが点々と落ちていた。
気になってその跡を追っていたら、山の中腹あたりの草むらに入っていった。
そのまま歩いたら、廃墟になった家があった。
その家の中からトントンという音が聞こえてきて、怖くなって逃げた。
あれって何だったんだろう
>>79を書いた者だが、
ちょいと地元のことを調べてみた。
そしたら俺の地元、やまんば伝説が残ってた。
しかも、ちょうど俺達が遊んでいた山にやまんばが住んでいたらしい。
ありがちな伝説なんだが、
昔村に度々やまんばが現れて人を攫っては食っていたらしい。
ある朝、村に一人の若者が現れて、やまんばの住む山に向かっていった。
そして夕暮れ、若者は村に戻ってきて
「もうやまんばは二度と現れない」
と言って去って行った。
若者の言うとおり、二度とやまんばは現れなかった。
若者は誰だったのか、やまんばはどうなったのか。
祖父ちゃんとかに聞いてみたんだけど、誰も知らなかった。
俺が見たのってもしかしてやまんばの家だったのかな。
だとすると、あの血の跡と廃墟から聞こえてきた物音って……
>>80を書いた者だけど、調査報告。
似たような体験をしていた人がいた。
少し違うんだが、血の跡が残っていたのは一緒。
血の跡を追っていたら、やっぱり草むらに入っていった。
だけど、そいつは草むらに入らなかった。
なんか、カラスっぽい鳥の死骸を持った女の人(ワンピース姿だったらしい)
が草むらの向こうでこっちに背中向けて立っていたらしい。
そいつ、なんかよく分からないがやばい感じがして、
逃げようとした時にその女の人がハッと振り向いたらしい。
なんというか、どこにでもいそうな平凡な顔立ちの女性だったみたいで、
こっちを見てかなり驚いてたみたい。
こっちが叫び声あげてあっちも叫び声あげて、
そいつ、気付いたら神社にいたって言ってた。
今日の昼ごろ、昔の友人達と一緒にその山に入ってくる。
じゃあ、山の中での食い物絡みのプチ不思議をひとつ。
先代の犬が元気だった頃、よく犬連れて山歩きしてたんだけど、
ある時リードを離して、トコトコ行くヤツの後をゆっくり附いて歩いてたら、
忽然、といった感じで、目の前に大きなアケビが転がってた。
前を行く愛犬からは眼を離さないようにしてたから、
初めからそこにあったのなら、もっと早く気付いたはず。
ちなみにその場所は、当時開通して2年くらいの高速道路のトンネル上で、
工事の時に拓かれた更地がまばらな草地になりかかったようなとこで、
一番近い木立からも7~8mは離れていた。
キズも傷みもなく、きれいにはじけてたっぷりした紫の果肉がのぞいてたもんで、
つい手に取ってしまったw
あんまりキレイなアケビだったから、ちょっと気味が悪くも思ったんだけど
山育ちの母に見せたら喜ぶだろうなーと思い、「いいんですか?頂きますよw」と
草地を囲む山のぐるりに声をかけてから、持って帰った。
さすがに食べる気はしなかったけど、母は大喜びで、しばらく玄関に飾ってた。
昔、滋賀で働いていた時の話、
休みの日に自転車で大津に遊びに行った
帰りに思いついて、高速のパーキングに寄ったんだよ
TVで話題になってたのを食べての帰り道に、道に迷った
高速沿いに帰れば判んだろー、と考えてたけど甘かった
どんどん判らなくなっていく
焦っても周囲に人は居ない。壁一枚向こうには車が通ってるのにな
高速沿いに山道を進んでいたら、ぽつんと人が立ってた
麦藁帽子を被った人。田んぼや畑もあったから、農作業帰りの地元民だと思って道を聞いた
その人は黙って指を指した
この山(丘)、越えるの?道あるのか?と思ったけど
お礼を言って指差された方に自転車を転がして、帰り着く事ができた
そこで気づいた
あの人、夜に何してたんだろうって
立ってたのは外灯と外灯の間の、丁度暗くなっている道端
高速を超える歩道も、トンネルからも離れた場所
周囲に農作業用白の軽トラも、他の自動車もなかった
人家からも離れていた
周囲にペットも居なかったし、明かりも持ってなかったのにって
子供のころ、数日間田舎にあずけられることがあった。
群馬の山間部にある、比較的大きな家で、裏には『おてんぐ山』と呼ばれているじいちゃんの持山があった。
やることがないと、その山で落ちているセミをとったり、ウロウロと歩き回ったりして時間を潰していた。
だが、絶対に山頂に向かってはいけないと言われていて、ある場所から奥へは入ったことがなかった。
迷子になりそうだったので、それより奥に行こうとも思わなかった。
ある時、おてんぐ山で遊んでいると、不意に男の子が現れた。
僕よりいくつか年上で、多分小学四年生くらいだろうか。
せみの取り方を教えてくれて、もっといい場所があると促され、僕ははじめて山の奥に足を踏み入れた。
途中のことはあまり覚えていないが、着いたのはおてんぐ山の山頂だった。
小さく狭い山頂には、古いがわりと立派な祠のようなものが建ててあった。
セミをとるのにい居場所とは思えないが、その祠をみて、何か新発見をしたような満足感を感じていたと思う。
しかし、時刻はすでに夕刻で、山頂も薄暗くなりかけており、戻る道はもう暗くなっているようだったため、早く帰ろうと思っていた。
そう申し出ても、男の子は祠を開けて、中の床板を剥がしてほしいと懇願するので、祠の扉を開いた。中にはこれといって石仏や観音の類いもなく、がらんとして埃ぽかった。
床板は剥がせない、と渋って見せたが、彼が言うには、床板の下には何か宝物があるらしい。
苦労して床板の一部を何とか開けることができた。
中には、薄っぺらくてボロボロに錆びた刀剣のようなものがいくつかと、古銭が散らかっていた。
錆びてガスガスだけど本物の刀だと思い、興奮したが、子供の手でも容易に折れるほど朽ちていた。
もっといいものはないかと奥をのぞきこんだが、暗くてよく見えず、見える範囲では目新しいものはなかった。
もっと開けてほしいと頼まれたが、祠を壊すことの祟りや叱責を恐れるべきと、もう暗くなってきたことを理由に拒んだ。
男の子はがっかりした様子だったが、僕に古銭を何枚かよこして、ありがとうと言って、一本道だったが、帰る道筋をおしえてくれた。
不安だったので、一緒に帰ろうと言ったが、一緒には行けないと言われた。
祠はなおしておくから心配無用とのことだったので、僕は暗い山道を懸命に戻った。
途中で心配して探しに出たじいちゃんと出会い、おんぶしてもらって山を降りた。
庭先にはばあちゃんが心配そうに待っていて、ああよかったと安堵しながら、手に何を持っているのと尋ねきた。
昔のお金、これ本物だよね?
と価値の確認のために古銭を見せると
二人の顔色が変わった。
男の子がいて、二人で遊んだ事や、祠を見つけたことなどを話し、古銭は彼にもらったものだと話した。
じいちゃんは、他に何を話したか、何か約束をしたか、彼は名を名乗ったか、などを執拗に問いただしたが、具体的なことになると、何故か遠い昔の記憶の様に曖昧であった。
もう、おてんぐ山にのぼってはいけないと釘をさされ、以降おてんぐ山には行っていない。
以上。
長い割に内容がなくてすまん。
その男の子は山の神なのか
祠の下を探していたのはどうしてか
尋ねてみてくれ
話はそれからだ
男の子に禍々しい印象はないが
神仏の類いにしては何か弱々しく
祖父母の警戒の仕方が変だと思う。
床下の下には宝物があるといっていたが
それが何か、或いは本当なのかは不明。
祖父母はすでに他界し、
両親に聞いても、おてんぐ山の山頂に祠があることも知らない。
もう何十年もたったので今さら真相究明もするきはないが、ついでがあれば田舎に行って山にのぼって 見よう。
母方のおばあちゃんが去年、亡くなった。97歳の大往生だった。
事情があって、私は中学を卒業するまでおばあちゃんに育てられたから、
おばあちゃんとはたくさんの思い出がある。
中でも印象深いのは、おばあちゃんがよく話してくれた昔話の数々。
地域に伝わる古いお話らしいけど、子供向けの「桃太郎」とか「金太郎」みたいな物語じゃなくて
ちょっと怖いお話が多かったからよく覚えてる。お話ごとに登場人物とか出来事は違うのに、
どの話も共通して、舞台となる集落の特徴が同じだったし、
必ず「おもんさま」という存在が登場していた。
集落の特徴は以下。
・住民の苗字は6種類しかない。(6つの親族)
・その6親族が人体のように集落内に配置されている。(頭、両手、両足、心臓)
(おばあちゃんは「右腕の家にじゃじゃ馬がいて~」という話し方をしてた)
・「頭」の場所には大きな屋敷。そこに住む親族は地主の家系。
・「心臓」の場所は寺。そこに住む親族は住職の家系。
書き込み制限があるから遅くなる。ごめんなさい。
・年に一度お祭りがある。おもんさまの誕生日。
・十年に一度にはもっと大きなお祭りがあって、その日におもんさまは代替わりする。
・「おもんからくさ」という植物が集落いっぱいに生えている。
おもんさまについては以下。
・集落の守り神で、おもんさまは女の人。
・おもんさまの魂は、普段は屋敷にあって、祭の時に集落に下りてくる。
・おもんからくさが大好物。(食べるらしい)
その他、集落の特徴は以下。
・子どもがイタズラすると、大人は「おもんさまのところに連れて行くぞ!」と叱る。
・子どもの頃から日常的に飲酒する。朝ご飯の時に飲む。
・出来が良い子は男女問わず寺で勉強させ、いずれは集落の外に出て立派な仕事ができる。
(具体的に何の仕事なのかは分からない)
・集落の人々が盗み、殺し、姦通などの犯罪を犯すと、制裁としてひどい目にあう。
男の人の場合は、オ○ンチンをチョン切られる。
女の人の場合は子どもを産めない体にされる。
(おばあちゃんは「下腹を壊されて、女じゃなくなる」と言っていて、それが怖かった)
小さい頃はあまり疑問も持たずに聞いてただけだったけど、
中学に入った頃は話の展開に疑問を持つようになって、おばあちゃんに色々聞くようになった。
「おもんさまって誰?」「おもんからくさってどんなの?」
「その集落はどこ?」「子どもはお酒飲んじゃダメじゃないの?」などなど。
するとおばあちゃんは、
集落が人体として形成されるきっかけになった話をしてくれた。
これがすごく強烈な話だった。
おもんさまは海の向こうから来た、それはそれは美しい女の人だった。
でも美しいのは見た目だけで、集落の人々を奴隷のように扱う冷酷な人だった。
夫と共に集落の人々を容赦なく虐待・圧制し、言うことを聞かせていた。
そしてある植物を集落中に植えさせ、そこから酒を作り、自分は飲んで遊んで暮らした。
(この植物がおもんからくさ)
この酒はとても美味しいと評判で、近隣の集落にもよく売れた。
だが富を独り占めしたのはおもんさまの親族だけで、
酒で得た利益をもとに集落を見下ろす高台に大きな屋敷を作り、
貧しい集落の人々を支配し続けた。
ところがある日、おもんさまの夫が集落の娘と浮気をした。
おもんさまは怒り狂い、夫と娘が酒を飲んでいる現場に踏み込んで娘を捕らえ、
娘の腕を切り落とした。
しかし酒のせいで朦朧としていた娘は暴れもせずボーっとしている。
怒りが収まらないおもんさまは、娘のもう一方の腕や両足を次々に切り落とした。
ここでおもんさまは娘を殺すかと思いきや、
両手両足を切り落としても痛がらず生きている娘に、逆に興味を持った。
両手両足を切られてもまだ生きている。いつまで生きるだろう?と。
そこでおもんさまは、両手両足を切り落とした姿のまま娘を生かしておいた。
酒を飲ますと痛がらないということは分かっていたので、
酒が切れると泣き叫ぶ娘を笑いながら、何年も酒を飲ませて生かして、
娘をオモチャにして喜んでいた。
だが十年後に娘が死んだので、おもんさまは新しいオモチャを手に入れるべく、
夫に気に入った娘を選ばせ、自分も気に入った少年を選んでは次々に両手両足を切り落とし、
そのままの姿で生かしておく、という遊びを続けた。
この頃には、もう夫の方がおもんさまを恐れるようになっていたので、
せめてとばかりに集落の中央に寺を作り、捨てられていた手足のない少年や娘の胴体を供養し、
残りの両手両足は、寺にある胴体にとって手足の配置となるように四方に分けて埋めた。
そしてその上に集落の人々を分けて住まわせ、供養を続けるように命じたという。
この話の胸糞悪いところは、
非道を繰り返してきたおもんさまやその親族に、何の報いもないところだった。
おばあちゃんによると、おもんさまは天寿を全うし、満足して死んだそうだ。
しかも残った夫が、おもんさまが死んだことで集落の人々から報復がくるのではと考え、
おもんさまの頭部を屋敷に保存し、祈祷師に頼んで呪いをかけた。
その結果、おもんさまの頭部は腐ることなく、いつまでも美しいままだったので、
集落の人々はさらに怯えたという。
その上、寺の心臓と四方の手足を、おもんさまの頭がいつでも好きに操れるように
それぞれを道で繋いで整備した。そうしてこの集落は、
おもんさまの頭に操られる、可哀相な心臓と手足という「人体」になった。
この話を聞いた時は中学生だったから、さすがに創作でしょ……と思ったものの、
そんな昔話があるってことにショックを受けた。
(昔話といえば、てっきり勧善懲悪だと思っていた)
おまけにちょっとゾッとしたのは、おもんからくさはどんな植物かと聞いたら、
「あれだよ」とおばあちゃんは庭に植えられてる大きな植え込みを指差した。
細長い、百合か朝顔みたいな白い花が、垂れ下がっている咲いている植物だった。
我が家では「おもんからくさ」という名前しかないから正式名称は分からない。
その集落はもうないよと言って、おばあちゃんはそれ以上は教えてくれなかった。
私も怖くなって、それ以上は聞かなかった。
以上です。長々と失礼しました。
チョウセンアサガオか?
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コメント一覧
富士山近くの湖畔のキャンプ場で男ばかりでキャンプしてた時。夜になって俺たちが花火してる所を母親と子供が横切ってきてね。
幽霊なんて発想なかったから、子供に普通に話しかけたんだけどまるで無視。(花火やる?みたいな感じで)
で、親子はそのまま突き進んでいって湖畔沿いを歩きだしたんだけど、様子もおかしいし足元も少し湖畔に入っちゃってたからみんなで見てたんだ。
そしたら、俺らからほんの30m位の所でいきなり消えてしまった。みんなで近づいて確認したけど溺れたとかでもなくいきなり消えた。そのままキャンプ中止になって、その後も俺らの間ではその話は暗黙の了解的にタブーになった。
俺もすっかり忘れてたけど、あまりにも似た話を読んで思い出してしまった。ちなみにあれからもう10年以上たつけど、特に悪いことはおこってません。
山育ちってわけでもないのに懐かしさとか感じちゃうね
昔話のようなのが多いからかな
自分の骨を見つけて欲しかったんじゃない
山に捧げられたから成仏することもできず、元は人だから神様にもなりきれず
せっかく設定を考えたんだから全部書かないと勿体無いと思ってんだろなwww
もしこれが本当の話だとしたら、大ミミズの正体は、何らかのミミズに似た未知の脊椎動物だと思う。
ドイツ一人旅してた時に、たまたま目的地がライン川の氾濫に遭って、乗ってた電車を無人駅で降ろされて、不思議と人影のまったくないさびれた町をさまよってた。野良旅だからその日のホテルの予約も当然してないので困ってたら、歩いてた道が続く丘の上で身振り手振りしてる人が目についた。目視で粒よりも小さくしか見えてない距離のはずなのに、なぜか道案内されてるかのように見えて、あっちに行けば人里に戻れるといわれた気がして向かうと市街地に出た。
あれは人だと思えない。あんな遠目でこっちが旅人だと分かったとしても道に迷ってるかなんてわかる距離じゃないし、そもそも本当にそこに人がいたのかすら怪しい。
今はいい思い出で、教会巡りもしてたし天使に会えたと思ってる。