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大航海時代と世界地図の変遷 ~ 南極大陸発見まで

2014年05月13日:21:07

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コメント( 3 )


元ネタ:http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1399735582/

タイトル:【極地】南極で2000年前の氷床コアを採取することに成功/国際チーム


管理人です!
元々は南極の氷床コアを採取のニュースだったのですが、そのスレの中で大航海時代と世界地図の変遷から南極大陸発見までを詳しく説明するレスが始まってました!

地図の成り立ちなど歴史を知る上でも、とても興味深いものだったのでまとめてみました。
まずはニュースから始まり、いきなり「大航海時代と世界地図の変遷」の話しが始まってるのでご注意ください。

★Twitter:https://twitter.com/fusigi_net
1: 白夜φ ★@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 00:26:22.83 ID:???.net
南極で2000年前の氷床コアを採取
2014年05月09日 12:17 発信地:シドニー/オーストラリア

【5月9日 AFP】国際南極研究チームは8日、南極で2000年前の氷床コアを採取することに成功したと発表した。
気候の変化の解明に役立てられる。

オーストラリア、中国、フランス、デンマーク、ドイツ、米国の科学者からなる「オーロラ盆地ノース(Aurora Basin North)」プロジェクトチームは、南極大陸の中でも最も厚い部類に入る深さ3キロメートルの氷床が存在するオーロラ盆地(Aurora Basin)で、5週間かけ約2トン分のコアを採取。
そのうちの1つは、長さ303メートルで、過去2000年分の気候情報が閉じ込められている。

氷床コアはオーストラリアや各国の研究機関に分配され、中に含まれる大気ガスや粒子などの化学物質の分析が進められる。
プロジェクトチームは今後、科学界の「聖杯」とも言える数百万年前の氷床コアの採取も実現させたいと話している。(c)AFP
__________

▽記事引用元 AFPBBNews 2014年05月09日 12:17配信記事
http://www.afpbb.com/articles/-/3014472





4: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 00:34:33.16 ID:uVl9e0Y+.net
西暦でいうと、14年か。
軽いな

17: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 09:06:33.80 ID:3lrPjf/D.net
コア抜いた穴から現在の大気成分で浸食されないのか

21: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 16:54:25.71 ID:h0Fq1SfC.net
そしてコアから未知のウイルスが・・・

7: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 01:24:12.13 ID:DtwEJJ0H.net
◆大航海時代と世界地図の変遷



◆古くはシャーマンや預言者たちが神の啓示による幻視や幽体離脱などで地球を大気圏外から俯瞰(ふかん)していたと考えられ太古から地球のだいたいのモデルと世界地図が口伝で伝わっていた。
紀元前25世紀には既に地球の大きさが正確に測定されていたと思われる。

現存する記録にある中で最も古く地球の大きさを測定したのは「第二のプラトン」と呼ばれる賢人エラトステネス(元前275年 - 紀元前194年)である。
彼はヘレニズム時代のエジプトで活躍したギリシャ人の学者であり、アレクサンドリア図書館を併設する研究機関ムセイオンの館長を務めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エラトステネス
Eratosthenes

エラトステネスは紀元前255年頃に初の天球儀を作成。
クレオメデスの『天体の回転運動について』によれば、紀元前240年頃、シエネ(現在のアスワン)のそばのエレファンティン島とアレクサンドリアとでの夏至の正午の太陽高度の知識を元に地球の全周を計算し、252000スタディアという解を出している。
(当時のスタディアが何mであるのか諸説あるが、この数値は実際の地球全周より17%大きいという説が有力である)
http://ja.wikipedia.org/wiki/天球儀
天球儀

ただしこれらはエラストネスの独創ではなく、彼はアレクサンドリア図書館に伝わる太古の叡智の書をもとにこれらの発想を得たと見られており、地球の直径を求める方法とその解については、遥かに古い先駆者がいたと思われる。

◆さて、現在広く世界で使われている単位「メートル」は1790年に地球の大きさを基準にして作られた度量衡である。
パリを通過する北極から赤道までの子午線弧長の1000万分の1=1メートルなのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/メートル

一方でエジプト・ダハシュールにはスネフェル王(在位:紀元前2613年~紀元前2589年)のものとされる、エジプト最古のピラミッドのピラミディオン(キャップ・ストーン)が置かれている。
紀元前27世紀頃に作られたこのピラミディオンの高さが精確に1メートルぴったりなのだ。
なお、このピラミディオンは底辺の一片の長さが1.57mで、底辺2辺の和を高さで割ると円周率πになり、4面の面積の和を底辺の面積で割ると黄金数φになるよう設計されている。
※↓ピラミディオン
ピラミディオン
http://ancient-megalith.info/?p=ピラミッド数秘術

更にエジプトではキュビットという単位を使っており、当時の1キュビット=0.5236mなのだがこの0.5236mという数値がどこから来ているかというと、半径1mピッタリの円の円周(6.2832m)を12等分した弧の長さが0.5236mなのである。
要は紀元前27世紀頃からメートル法が知られており、ひいては当時の人間は地球の直径をエラストネスより遥かに精確に計測し、それを元に度量衡を作ったものと思われる。

8: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 01:28:24.77 ID:DtwEJJ0H.net
◆こうした古代の叡智は「エメラルド・タブレット」としてピラミッドに隠されたり、(そもそもピラミッド自体がそれなのだが)、文書化されてアレクサンドリア図書館に秘蔵されていたが、カエサルの侵攻時の大火災や、4世紀末から5世紀にかけてのキリスト教徒大司教の使嗾のもとに行われた破壊によって失われてしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エメラルド・タブレット
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドリア図書館

太古には完全な形で地球全体の地図が作られていたと思われるがその知識は失われ、断片的な形で地球の概要が各地に伝わった。
そうした古代知識と狭い範囲での不正確な計測をもとに様々な世界地図が各地で作られた。
  
◆↓は紀元前3世紀のアナクシマンドロスの世界地図。

世界は円形で、海が大陸を取り巻いているとしている。
当時の人々はヨーロッパが世界の中心で、その他の世界は狭いと考えていた。

◆紀元前150年頃、『アルマゲスト』の著者として知られる古代ローマの天文学者、クラウディオス・プトレマイオスが世界地図を作成。
以下は1482年、当時最も権威のあったプトレマイオスの地理学に基づいて作成されたJohannes Schnitzerk世界地図。 

散逸した太古の文献をソースにしたのか、この時代には既に「南方の巨大大陸」のことが知られており、一方インド洋は内海であると考えられていた。
いまだに、アフリカ大陸南航路が発見されていないため、「南方の巨大大陸」とアフリカがひと繋がりになっている。

◆650年頃、ニュージーランドのラロトンガ島のウィ・テ・ランギオは南太平洋をカヌーで航海中に暴風雨に流され、氷の浮かぶ海に達した、という記述がありこれが南極海に行って生還した最初の航海の記録さとれる。

◆10世紀末、アイスランド系ノルマン人(ヴァイキングの一派)の航海者・レイフ・エリクソンとその船団が、アイスランドおよびグリーンランド経由で北米大陸に到達。
東部海岸沿いに南下してニューファンドランド島などに進出し、ここを新天地「ヴィンランド」と呼んで定住を試みた。
ただしほとんど世代を重ねることも無く入植は短期間のうちに頓挫している。

9: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 01:41:03.09 ID:DtwEJJ0H.net
◆1154年、アラブの地理学者ムハンマド・アル・イドリスィー(Muhammad al-Idrisi)による世界地図。

元の時代には西周りの海路で東アジアからインド洋まで船が来ていたたため、インド洋は既に内海として描かれる事はなくなった。
一方やはりこの地図でも「南方の巨大大陸」が描かれ、アフリカとひと繋がりになっている。
このため大西洋からインド用へと海路を通じて東周りで行く事は不可能と考えられていた。

◆1405~1431年、明の永楽帝の命でイスラム教徒宦官・鄭和が7度にわたる航海を行い、南京からアラビア半島、アフリカ大陸東岸に到達する。

◆1459年、ヴェネツィアの修道士フラ・マウロが書いた世界地図。

この頃には既に、あくまで理論上の話だが、アフリカ南端を越えてインドに行けるだろうと考えられていた。
ここでは極東に「Cimpagu島」という小島が描かれており、これがヨーロッパの地図に日本が描かれた最初のものと考えられている。

◆1478年8月、リスボンを出航したポルトガルのバーソロミュー・ディアスがアフリカ大陸の南端に到達、希望峰と名づける。
アフリカ南端が未知の巨大大陸でふさがっているわけではない事が確認され、これによってそれまで権威のあったプトレマイオス型地図が崩壊した。
更に1497年にはヴァスコ・ダ・ガマが希望峰を越えてインドに到達、インド航路が確立する。

◆1492年、イタリア人クリストファー・コロンブスがカリブ海のサン・サルバトル島に到達。
「西周りでインドに到達した!」という「発見」をした。
この話が誇張され、後世世界史の教科書で「1492年、コロンブスが史上初めて北アメリカ大陸を“発見”した!」という話が喧伝されるようになる。

◆1493年、スペイン軍を率いて2度目の航海に出たコロンブスはドミニカに上陸し、カリブ海諸島で800万人いた「インド人」の大虐殺を行いたった4年間で530万人以上の原住民を殺害した。
更に1498年、3度目の旅に出たコロンブスはベネズエラのオリノコ川河口に上陸、南米大陸を「発見」する。
ただしコロンブスは死ぬまで自分が到達したのは「アジア大陸」の一部だと信じていた。

◆一方アメリカが大陸だと最初に気付いたのはイタリアのアメリゴ・ヴェスプッチ。
彼は1499年スペインの遠征隊に参加して南米北岸を探検航海し、1501年にはポルトガルの要請で南米東岸を南下、そのほとんどを探検航海し、到達した地がまさに「未知の新大陸」「新しい世界」であると初めて明確にした。
アメリカという大陸名は彼の名に由来する。

10: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 02:00:26.98 ID:DtwEJJ0H.net
◆それから7年後の1508年、フランシスコ・ロッセリ (Francesco Rosselli)によって作られた地図。

この時代、まだ東海岸の一部しか知られていない北米大陸、南米大陸に加え、希望峰を南下したところにある「南極大陸」の全図が描かれている。

◆1513年、当時大西洋の海運を支配していたオスマン帝国の海軍軍人ピリ・レイス提督の地図。
1枚目は地中海周辺の詳しい地形が詳細に描かれ、
2枚目はアフリカ西岸と、カリブ海の島々、歪んだ形での南アメリカ大陸東岸が描かれている。


2枚目は地図の右半分が失われてしまっているが、カイロを中心とした正距離方位図法で描かれ、そのため南アメリカ大陸の形が歪んで描かれているという説がある。

◆同じく1513年頃、中国で作られたものとされる世界地図。

北米、南米大陸がかなり正確な形で描かれている。
シャーロッテ・ハリス・リース (Charlotte Harris Rees) という人物の父親が所有していたものでシャーロッテ氏の著書「古代世界への秘密の地図」(Secret Map to the Ancient World)によると、製作は1513年頃だが、コピーである可能性があるためオリジナルの制作年代は更に前である可能性があるかという。

◆11年後の1519年、スペイン・セビリアを出発したマゼラン艦隊は南米大陸南端のマゼラン海峡を発見して太平洋に到達し、1522年に史上初めての世界一周を達成した。

◆1531年のフランス人数学者・地理学者 オロンテウス・フィナエウス (Oronteus Finaeus)の世界地図。

 赤道を中心として北半球と南半球に分けられ、それぞれ北極点と南極点を中心とした円形の地図が上下に描かれている。

この時代には既に南極大陸の地形は詳しくわかっていたようで、南極大陸全図の輪郭だけでなく、南極点の位置、海岸沿いの山脈や河川、ロス海の小島までが詳細に描かれており、多くが近年になって発見された地形と一致している。
ここからこの南極大陸はオロンテウスの想像で描かれたものでなく、南極がまだ氷に覆われていなかった頃の古地図を元に製作したという説まである。

12: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 02:19:08.20 ID:UYQe8cok.net
◆1538年、メルカトル図法で有名な、ゲラルドゥス・メルカトル(Gerardus Mercator)の地図。

オロンテウス地図と殆ど違いがない。
やはり南極大陸(この頃はマゼランにちなんでメガラニカ大陸と呼ばれた)の詳細図が描かれている。

◆1538年のメルカトルの地図その2。

南極大陸に加え、オーストラリア大陸まで描かれている。
日本はかなりテキトーに描かれている。

◆1549年、日本にキリスト教伝来。
1492年にドイツの地理学者ベハイムが直径51センチの現存する最古の地球儀を製作したがキリスト教とともに地球儀も日本に伝来したようで、天正8年(1580年)には織田信長が地球儀を所有していたことがルイス・フロイスの『日本史』に書かれている。
信長は宣教師にどうやって日本に来たか地球儀の上で説明させ、その遠大なルートにいたく感心したという。

◆兵庫県太子町の斑鳩寺は聖徳太子開基という古い寺だが、その寺宝に「地中石」、通称「聖徳太子の地球儀」という丸い石が伝わっている。

これが日本で製作された最古の地球儀と考えられ、制作年代は不明だが推定江戸時代頃。
日本やユーラシア大陸に加え、北米大陸や南米大陸、オーストラリア大陸まで刻まれており、巨大な未知の南極大陸には「墨瓦蝋泥加」(めがらにか)と書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖徳太子の地球儀

◆1590年の地図、OrbisTerrarum。

こちらにも南極大陸とオーストラリア大陸が描かれている。

13: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 02:34:15.46 ID:UYQe8cok.net
◆1596年の地図、Orbis Terrae Compendiosa Descriptio。

こちらの地図ではオーストラリアと南極大陸が1つの大陸として描かれている。
日本列島がかなり具体的に描かれるようになった。

◆1602年、北京で製作された漢訳版世界地図『坤輿萬國全圖』。

1584年に世界初の漢訳版世界地図を作成したイタリアのイエスズ会宣教師マテオ・リッチによるもの。
鎖国時の日本にも輸入されて絶大な影響を及ぼし、世界についての知識の典拠となった。
やはりオーストラリアがメガニラカ大陸と一体化している。

◆1606年、オランダ人のWillem Janzがオーストラリア大陸に最初に到達。
ここが伝説の大陸テラ・オーストラリスであると考えられるようになる。
さらにオランダ東インド会社によってテラ・オーストラリスの調査を依頼された
アベル・タスマンが、1642年にはオーストラリア南端のタスマニア諸島に到達する。

◆1770年4月、スコットランド人のジェームズ・クックが史上初めてオーストラリア大陸を「発見」する。

◆1820年1月27日~30日にかけて、人類史で初めて南極大陸が「発見」される。
 http://kids.gakken.co.jp/kagaku/nandemo/0501.html

23: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 23:17:25.71 ID:08/xyEz4.net
>>DtwEJJ0H
続き待ってますぞ

11: 名無しのひみつ@\(^o^)/ 2014/05/11(日) 02:09:29.69 ID:JLce5zBR.net
俺は小6まで世界地図描いてたけどな

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大航海時代と世界地図の変遷 ~ 南極大陸発見まで

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コメント

1  不思議な名無しさん :2014年05月14日 11:34 ID:vMdnm.gH0*
昔の人って地球は丸いって知ってたんだね。
2  不思議な名無しさん :2014年05月14日 18:50 ID:MJNXK6gm0*
古代ギリシャからわかってたけど
腐敗しまくったキリスト教がすべてをダメにした。
3  不思議な名無しさん :2014年05月14日 20:27 ID:IhUsC5JU0*
途中さらっとヴィンランド・サガの結末をみた気がする

 
 
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