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    8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ

    戦争体験談



    5: ジャンピングDDT(WiMAX)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 22:48:54.63 ID:70eSiAmb0.net
    普通に生活範囲内の町が昔は海軍基地だったんだが
    戦争当時は爆撃がひどくて山をいくつか越えた実家から
    真っ赤に燃えてるのが見えたそうだ
    のどかな農村地帯なのにそんなことがあったんやなあ・・・って何か不思議な感じがするわ






    10: チキンウィングフェースロック(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 22:54:48.89 ID:3KPi/G4O0.net
    東京済みの祖父談。
    空襲の時は部屋を真っ暗にしていても、焼夷弾のあかりで新聞が読めたと言っていた。
    技術者だったので戦争には行っていないらしい。

    11: エルボードロップ(京都府)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 22:56:12.20 ID:6G3jcds40.net
    鉄砲の弾が当たると、痛いより熱いって
    じっちゃんが言ってた

    13: キングコングニードロップ(禿)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 22:56:41.22 ID:5ulhs8km0.net
    とりま満州から本土にかえるとき幸運にも台風で船一本おくれて乗ったらしいが、前の船が魚雷でやられたって話はきいたな。

    17: シューティングスタープレス(家)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 22:57:58.14 ID:8IcIPV1F0.net
    立川の飛行場で飛行機作ってたらしい
    アメリカ人は3つのSで日本人を洗脳しに来たって悔しそうに話してたな

    404: フロントネックロック(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 14:08:47.73 ID:b1snKSJI0.net
    >>17
    うちのじいさんも戦後はここで働いてたな。日系だから通訳も兼ねてたみたい。
    ばぁちゃんに一目惚れしてこちらに骨を埋めたものの、晩年はずっと本国に帰りたがってた。戦中戦後の日系アメリカ人て、軍の中ではどんな立ち位置だったんだろうね。

    29: リバースネックブリーカー(庭)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:08:46.59 ID:i/Nev+gW0.net
    仕事柄リアル戦争世代から話を聞ける機会は有るが
    どうしても亡くなった戦友の話になるから下手に聞けない

    30: フェイスクラッシャー(群馬県)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:08:59.05 ID:AOeKay1j0.net
    行く時はめっちゃ盛大に送り出してくれたのに帰ってきた時は誰も迎えに来なくて
    上官から毛布1枚渡されて3日ぐらいかけて汽車と徒歩で帰ったという話だった

    32: かかと落とし(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:09:07.18 ID:Ger/OpnT0.net
    ばーちゃん竹やり訓練したって言ってた
    じーちゃん(トラック島)は1~2m間隔でババババって銃撃されるからおっかねえって言ってた

    35: ジャンピングDDT(WiMAX)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:11:38.76 ID:70eSiAmb0.net
    市内に軍の物資をため込んでるとこがあって
    戦争末期になると軍の奴らが着服したり横流ししたりしてたそうで
    それを見て「戦争は終わるんやな~」って思ってたって話も聞いたな

    40: エルボードロップ(大阪府)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:14:12.50 ID:aRSHPJjP0.net
    昔バイトで一緒に働いてたインドネシア人は東ティモールの独立戦争かなんかに民兵として参加して人も殺したと言ってた
    ハタチくらいの俺の同僚は「あんた人殺しだったのか!?」と言ったらそのインドネシア人は「こちらが殺さないと自分が殺されてた」と真面目な顔で語ってて凄く印象的だった

    43: ビッグブーツ(大阪府)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:17:09.94 ID:aqV9iHkI0.net
    戦地で戦闘中に上官が味方の銃撃で死ぬ事が何度かあったと死んだ爺ちゃんが言ってた。気にくわない上官をどさくさ紛れに後ろから撃つなんて事は良くある話だみたいな事も言ってたな。

    117: エクスプロイダー(チベット自治区)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:16:16.63 ID:jK2dW28y0.net
    >>43
    俗に言う「後ろ弾」ってやつだな

    45: フロントネックロック(神奈川県)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:20:57.89 ID:xndERBaP0.net
    近所に20mm弾製造工場があってたびたび空襲を受けたけど散発的なものだったみたい
    宅地造成で今は消えたけど防空壕跡もけっこうあったなあ
    戦後も生産続けてたんだが大爆発起こしたことあって空襲よりよっぽど被害出たとか
    おかげで隣接してた中学校がちょっと離れたとこに移転して俺らの頃は通学めんどくなった

    49: ラダームーンサルト(岩手県)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:22:12.41 ID:/Us730qJ0.net
    岩手から徴収されて千葉で訓練してたらしい
    私有地のビワをほかの訓練生と盗んで見つかりそうになって爺さん以外は逃げたらしい
    じいさんはその場に残って地主と友達になったらしい
    じいさんが出生する前に戦争は終わって岩手に引き上げになった

    平成になってから千葉に行く機会があったからその時のびわの木を探したら木とその時の地主の子孫と再開したらしい
    なんかじんときた

    57: ツームストンパイルドライバー(大阪府)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:35:52.97 ID:KoCoMqZK0.net
    お爺ちゃん亡くなる少し前に、海軍にいた頃の夢見てたのか寝言が凄かった
    将校にミサイルが飛んでくるであります!どうしたらいいでしょうか!みたいな話を寝言で延々聴かされた
    お前らの大好きな戦艦の舵握ってたの、うちの爺ちゃんだよ

    59: トペ コンヒーロ(埼玉県)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:38:28.26 ID:bu2DC/qU0.net
    小学校に爆弾落とされて住民総出でバラバラになった死体かき集めてグラウンドに並べて
    この手にホクロがあるから○○さんちの子とか

    60: タイガードライバー(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:39:40.61 ID:de04qiDu0.net
    祖父が満州時代に使っていた中国語会話辞典。捕虜尋問用の例文が並んでる

    お前が本当のことを言うなら私はお前を殺さない
    no title


    この道はお前はよく慣れてるからお前が先頭に立って歩け
    no title


    報告によればお前の挙動は非常にあやしいぞ
    お前はあちらのスパイではないのか?
    no title

    193: エクスプロイダー(チベット自治区)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:03:53.24 ID:jK2dW28y0.net
    >>60
    初めて見たわ、他にもなんか持ってるんですか?

    215: ダイビングエルボードロップ(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:24:57.96 ID:at1jt2So0.net
    >>193
    満州の歌を書いた手帳とか
    no title


    零下40℃に近い極寒に耐える為のハッキンカイロとか
    no title

    231: エクスプロイダー(チベット自治区)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:42:14.56 ID:jK2dW28y0.net
    >>215
    おお、ありがてえ…
    何も残ってない身としては羨ましいですわ、大切に。

    352: オリンピック予選スラム(愛媛県)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 10:07:06.48 ID:dFEaqNVI0.net
    >>60
    これすげぇ。
    捕虜尋問用の中国語辞典とかあったんか

    479: アイアンクロー(大阪府)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 20:30:57.28 ID:8DiaHxqO0.net
    >>60
    こういうの出るとこに出れば凄い資料になりそう本もすごく綺麗だし

    61: マシンガンチョップ(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:40:05.85 ID:CuRl5ZLx0.net
    川崎空襲の後に遺体を御幸小学校に集めた。そして遺族が探すらしいんだけど、焼け焦げてる遺体ばかりだから、探す方法は皆んな足で蹴って転がす。そうすると焼けてても着てた衣服が肉の何処かにこびり付いてるからその断片で判断したらしい

    67: マシンガンチョップ(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:42:19.15 ID:CuRl5ZLx0.net
    >>61続き
    その婆ちゃん曰く、当時16歳で工場で働いてたらしいけど工場は200㌔?爆弾ってので焼夷弾と違い爆発するから、同級生が目の前で足がもげたらしい。

    65: 毒霧(神奈川県)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:41:14.03 ID:Tk1Bj7bq0.net
    母親が東京空襲を経験しているな。
    B-29が上空を飛び過ぎたあとが怖いと
    当然、爆弾は後ろに流れて落ちてくるからね。
    暫くして、3人姉妹、弟1人と母親と一緒で地方に疎開。
    (父親は東京に残った)
    疎開先では“東京もん”ってからかわれたそうだよ。

    69: 急所攻撃(内モンゴル自治区)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:44:51.71 ID:ODpfbC+yO.net
    うちの亡くなった祖父は四国から横浜の連隊所属だったらしい。
    同じ班の誰かがミスをすれば連帯責任当たり前はよくきくが、目の前で自分達の班の食事をひっくり返されて無意味に食卓をよいと言われるまで班の皆で持ち上げ続けさせられたとか。
    上官から理不尽なしごきをいっぱい受けた話をする時は何十年たっても恨み節たっぷりで、普段無口めな人だけにちょっと恐かった。
    終戦でやっと帰れるって時は荷物盗まれて飲まず食わずで四国に帰るしかなくて踏んだり蹴ったり。
    無事に実家に帰れた時は農家だから食べ物もあって嬉しかったって。

    75: 毒霧(神奈川県)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:48:39.00 ID:Tk1Bj7bq0.net
    父方の祖父は、
    鈴木貫太郎と近しい間柄だったと聞いている。
    職業軍人だったけど、この戦争はヤバイらしいと言った途端に
    家の周りに特高警察に見張られた時期があったらしい。

    82: スリーパーホールド(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:53:43.13 ID:2mRtzKPn0.net
    うちのトーチャンは陸軍で東海道~山陽道を西下して九州の門司から東進して
    広島の呉で終戦を迎えた
    運のいい事に移動した三日後位にそこが空襲に遭って、それの繰り返しで生き延びたらしい

    90: フライングニールキック(家)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:56:30.44 ID:DWGIUYEq0.net
    フィリピンから生きて帰ってきたぽいけど、今調べたら激戦区だったぽいな。。
    真面目なヤツと、都会暮らしで草とか小動物とか食えないヤツから死んでいったらしい。
    生きてたらもうすこし話ききたかった。。

    94: リバースパワースラム(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/06(月) 23:59:40.95 ID:gDoytW+10.net
    祖父はラバウルで米軍の捕虜になったそうだが、物怖じしない性格の祖父は仲良くなったんだかなんだかしらんが収容所の米兵に「お前んとこの拳銃はどんなんだ、見せてくれよ」と
    それに応じる米兵もアレだが(もちろん弾抜いた状態で)ガバメントを触らせてくれたという
    ずっしり重い精巧なその銃を持った祖父は「そりゃ勝てんわ」と思ったそうな

    96: 張り手(茸)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:02:03.61 ID:8DNp8oeY0.net
    特攻隊に志願した老人がいたよ
    仲間はみんな逝ってしまったが
    自分が出撃する前に戦争が終わった

    みんなにもうしわけなかったと亡くなる少し前まで言ってたな
    あと特攻隊員は薬をやってた

    98: エクスプロイダー(チベット自治区)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:02:38.01 ID:jK2dW28y0.net
    良スレ

    お前らの爺さん婆さんの話、もっと聞かせてくれよ

    103: ボマイェ(庭)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:06:20.27 ID:JiwyrWF/0.net
    通信兵だった爺さん
    爆撃されるから避難しろと言われ、同僚が逃げ出す中で一人残り仕事をする
    色々あってかろうじて生き残ったが、先に逃げ出した同僚たちは全滅していた という話をなんべんも聞いた

    105: フランケンシュタイナー(西日本)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:07:25.91 ID:QxK1Es7QO.net
    先祖=土蜘蛛を退治した渡部綱
    祖父=フィリピンあたりに出兵。無事生還
    祖母の兄=戦艦大和の製造に携わる。呉で爆撃を受けて死亡
    祖父の叔父=日本軍の諜報員。ソ連や満州で活動
    俺の叔父=元自衛官
    俺=なんか戦記ものとか書く作家

    108: シャイニングウィザード(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:08:33.47 ID:a01Tej4Q0.net
    親父から聞いた話
    磯で貝を獲ってたらグラマンが頭上でロケット弾発射&機銃掃射

    広島原爆のキノコ雲が見えた

    終戦直後に友達が放置された砲弾いじくってて爆死

    118: ジャンピングエルボーアタック(WiMAX)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:17:03.10 ID:bmA6Oiaq0.net
    むかし金剛に乗ってたって人がいたなあ・・・
    もっと話を聞いときゃよかった
    若い頃は全然興味なかったから・・・

    121: ボマイェ(庭)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:18:35.03 ID:JiwyrWF/0.net
    造兵廠で女工として働いていた婆さん
    仙台空襲で命からがら逃げ延びる
    地元の岩沼まで歩いて帰ったらしい
    途中、田んぼにサンダルを持っていかれて片足裸足だったとか
    岩沼についたら家族が驚愕 空襲で死んだと思ってたらしい
    岩沼からもはっきりと赤く燃える仙台が見えたとのこと

    123: パイルドライバー(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:19:16.23 ID:7+u9iHkp0.net
    家族や友だちと一緒に空襲から逃げる時に爆撃されて、間一髪で避けられたらしくみんな無事かと思ったら
    友だちの一人がその場でぐるぐる回り始めてよく見たら後頭部が吹き飛んでたらしい

    127: シャイニングウィザード(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:21:40.30 ID:a01Tej4Q0.net
    >>123
    車に撥ねられた猫と同じだな・・・
    生々しい

    親父から聞いた砲弾いじってて爆死した友人は
    熱い熱いといって爆撃穴の水たまりで泳ぎながら死んだそうな

    133: パイルドライバー(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:28:06.76 ID:7+u9iHkp0.net
    >>127
    聞いてて辛かったな
    あとは(当時幼かった体験談語った人の)祖母が爆風で飛んできた破片が刺さって助かる見込みがなく痛みに耐えかねて自殺したとも言ってたな
    そんなところ流石に見せられないから離れたところでしたらしいけど断末魔は聞こえたと

    138: シャイニングウィザード(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:30:56.18 ID:a01Tej4Q0.net
    >>133
    今思い出すときついね
    度々聞かされてた頃は
    また始まったとウザかったw

    お袋も空襲の後で爆撃穴の水たまりから死体の手が伸びてて怖かったとか言ってたなぁ

    143: パイルドライバー(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:33:14.29 ID:7+u9iHkp0.net
    >>138
    怖いな
    一般市民が巻き込まれる話はやっぱり聞いててほんとキツいわ

    151: シャイニングウィザード(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:38:11.52 ID:a01Tej4Q0.net
    >>143
    岩国なんだけどさ
    終戦直前の8月14日に大空襲があって
    こんな有様だったそうな
    no title


    やつら本当に無茶苦茶しやがる

    220: パイルドライバー(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:31:32.81 ID:7+u9iHkp0.net
    >>151
    穴だらけじゃんうわぁ

    128: 目潰し(家)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:21:51.53 ID:9LHN6Ydh0.net
    婆ちゃんが、湾岸戦争の夜の爆撃のTV映像を見て震えて泣いていた。豊橋の大空襲にそっくりだと言って泣いていた。

    130: エクスプロイダー(チベット自治区)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:25:07.89 ID:jK2dW28y0.net
    ほんの70年前の話だからなあ

    139: マシンガンチョップ(西日本)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:30:56.70 ID:DShLAaprO.net
    ワシの母ちゃんは徳島で空襲受けて近くの小山にある防空壕に逃げたらもうすでに満杯
    しょうがなく防空壕を後にして走り出した数秒後に爆弾が防空壕を直撃
    吹っ飛ばされた母ちゃんが恐る恐る振り返ったら防空壕も何もかも無くなってたらしい
    防空壕には仲の良かった同級生家族やご近所さん家族もたくさん居たのに‥

    140: キドクラッチ(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:31:53.72 ID:Qp/1T6DY0.net
    親父は南方で捕虜になってたらしい
    戦争の話はまったくしたがらなかったなあ
    でも酔っ払うと軍歌はよく歌ってた
    次の戦争は必ず勝つぞが口癖だった

    148: フロントネックロック(神奈川県)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:36:49.82 ID:WPyYWtBf0.net
    >>140
    チハ乗りの大叔父は酔っても戦争の話はしなかったな
    ビルマ?方面に行ってたらしいけど戦争を肯定も否定もしなかったよ

    よっぽどチハがポンコツだったんだな…
    ひょっとしたらチハ以下の豆タン乗りだったのかも

    142: 超竜ボム(奈良県)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:32:58.11 ID:ExXxyW/w0.net
    親戚のじいさんからは予科練から高知へ行って特攻決まってから数日で終戦なったって話も聞いてたわ
    とある功績で褒章貰った時に親戚と関係者集まって祝いした時にスピーチしてたけど感極まり過ぎてほとんど何言ってるか分かんなかった

    152: キドクラッチ(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:38:27.53 ID:Qp/1T6DY0.net
    >>142
    国のために死ぬことを覚悟した人間が国から表彰される気持ちは特別なんだろな

    155: 超竜ボム(奈良県)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:39:37.68 ID:ExXxyW/w0.net
    ばあちゃんの実家は旅館してて終戦時に泊まってた将校が腹切ってかなわんかったと
    戦後になって、米軍の将校は靴で部屋上がる、ペンキで壁塗るからかなわんかったと
    どっちにしろ当時は軍人が泊まるたび、勝手するからひと悶着あって大変やったよーで

    159: パイルドライバー(茸)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:41:29.11 ID:Raq00QpU0.net
    当時の話を直接聞いた最後の世代がここに沢山居るけど、正しく伝承されて行けばいいけど


    また繰り返すんだろうな

    172: テキサスクローバーホールド(家)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:47:35.58 ID:mBtoKhwI0.net
    ワイの爺ちゃん特攻隊
    飛行機足りなくて特攻できず無事終戦

    173: 超竜ボム(奈良県)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:48:34.04 ID:ExXxyW/w0.net
    大阪大空襲の時は奈良から見ると生駒山の稜線が真っ赤に光ってて不謹慎にも綺麗やなぁと思ったらしい

    178: パイルドライバー(茸)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:50:50.44 ID:Raq00QpU0.net
    支那事変の頃に俺のじいちゃんは行ったらしいが、現地の人とは仲良く写真とか撮っていたな

    185: キン肉バスター(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:54:59.55 ID:pINHrDhu0.net
    うちのじいさん、戦中は上海にいたらしい 上海万博の映像を見て「俺のいた頃は砂浜だったのになぁ」と感慨深そうだったな あと割りと中国人には悪感情はない

    190: バーニングハンマー(東京都)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 00:59:57.35 ID:ret5lZUY0.net
    父は終戦時に14歳だった。
    福島の田舎ほうにいたので割とのんびりしてたようだが
    ある日飛行機に手を振ってたら爆弾落とされてびっくりしたと笑ってたな
    田舎とはいえ一応工場があってそれを狙った爆撃だったらしい

    201: キャプチュード(家)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:13:27.30 ID:ImXuR4tt0.net
    うちのじいさんは戦争のことを聞くと「結構楽しかった」とだけ呟いてそれ以上ははぐらかしたり黙ったりして何も語ろうとしないまま、墓に入っちまった

    ほんと何があったんだろう

    204: 張り手(茸)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:16:01.22 ID:8DNp8oeY0.net
    >>201
    あまり話しない人が多いよね
    いい話なんてないからじゃないのかな

    213: リバースネックブリーカー(チベット自治区)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:24:10.11 ID:Ye00Ah8j0.net
    >>204
    まあ戦ってたなら何らかしら周りの人間は死んでるだろうし
    殺した自慢なんてバカらしいし自然と無口になるのかもな

    210: ツームストンパイルドライバー(大阪府)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:21:04.46 ID:/KZ/N5g20.net
    爺さんは赤紙がこないまま終戦を迎えた。
    終戦後徴兵名簿見たら見開きの真ん中に名前が埋もれてた。
    と言ってた。

    子どもの頃信じてたが、終戦時40代半ばだったからこなかったんじゃないの?
    っていう気がする。

    211: フランケンシュタイナー(三重県)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:21:23.60 ID:as6oKhht0.net
    広島の工場で働いてたウチのバーチャン 1945年8月初め頃に身内関係の都合で実家の福山に帰ったその後、例のアレが…
    友達や同僚沢山亡くなったらしい

    逆にあの時たまたま広島に来てた人が被曝してるてのも考えると運ってホントにあるんだなと思う

    228: パイルドライバー(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 01:38:44.53 ID:7+u9iHkp0.net
    >>223
    すげえな

    てか脳みそのこととか学んで戦争の役に立つのかこれ?ww

    284: アンクルホールド(茸)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 03:34:09.36 ID:5FksRUCo0.net
    長崎県出身のうちのじいちゃんが9人兄弟だったらしいんだけど
    じいちゃんが19の頃に赤紙が来て
    腹を括って兵役についたらしいのよね
    でもなかなか戦地に送られないなぁと思ってたら
    1つ下のめちゃめちゃ優秀だったらしい弟が特攻隊員に志願して
    自分が特攻隊員として命を賭けるから長男であり、見合い婚が決まりかけてたじいちゃんの戦地への派兵を遅らせてくれと頼んでたらしい
    それでもやっぱり兵隊が足りなくなって8月9日があった後、戦地へと向かう寸前で終戦のニュースが流れて命拾いしたって毎晩晩酌しながら語ってたわ
    弟の話は終戦してから聞いたらしくて
    最初は弟に守られたのが恥ずかしくて死のうと思った所を
    お見合いで知り合った当時17の婆ちゃんに諭されて弟の分まで死に物狂いで生きなきゃならんと決めたらしい

    332: ダイビングヘッドバット(SB-iPhone)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 09:20:17.47 ID:OC1OTVzg0.net
    >>284
    兄弟愛に泣いた
    同じ状況におかれたら自分はそんな行動とれる自信がないよ

    288: 河津掛け(やわらか銀行)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 03:50:24.24 ID:qFGLWFyz0.net
    そういやウチの一番上の兄貴は、通信兵やってたじいちゃんに
    本物みたいな無線機のオモチャ作ってもらって
    簡単なトンツー教わって一緒に遊んでたっつってたな
    時代を感じるエピソードだ

    341: エメラルドフロウジョン(福岡県)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 09:38:40.93 ID:jS3vWLCX0.net
    もと糟屋郡で現在福岡市東区の奥の方からでも福岡大空襲で博多の街が燃えさかるのがまる見えだったと母親より。

    防空壕の中に手榴弾が常備されていたとも言ってた。

    455: ダブルニードロップ(SB-iPhone)@\(^o^)/ 2015/07/07(火) 19:11:46.04 ID:Kfnq/MqI0.net
    祖母と子供2人(俺の叔父、叔母)で満州にいて
    戦後の満州引き上げの時の話
    叔父は歩ける年だったが、叔母は2歳
    周りや憲兵?から「歩けない子供は置いていけ」と言われ
    祖母は叔母を置いて行くふりをして、腹に隠して日本まで抱えていったらしい
    こういうふうに残留孤児は置いて行かれたのだなと
    叔母は祖母が諦めていたら残留孤児になってしまっていたのだなと祖母が輝いて見えた話
    もう祖母は亡くなっているが、語り継ごうと思った

    引用元: そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ



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    コメント一覧

    1  不思議な名無しさん :2015年08月03日 20:20 ID:jWavlkWv0*
    多人数兄弟の末っ子だからおっさんでも父親が戦争に行っている。
    父親が戦争について語った事は1回だけ。
    三島由紀夫の時の首の落とし方。
    一緒に聞いていた母親が「子供の前でそんな話は・・」で終わった。
    でも語るべきだったよな。
    日本人は知らなさ過ぎ。
    2  不思議な名無しさん :2015年08月03日 20:22 ID:O0rNlnFk0*
    俺の婆ちゃんの叔父は陸軍の戦闘機乗りで特選少佐だった。その人曰く敵機が蚊ぐらいの大きさだったら離脱できるが、蠅ぐらいの大きさになるともう交戦は避けられないんだとか。
    3  不思議な名無しさん :2015年08月03日 20:52 ID:jWavlkWv0*
    グラマン艦載機に狙い打たれた一般市民は結構いる。
    4  不思議な名無しさん :2015年08月03日 20:54 ID:SNo.tIcB0*
    広島修学旅行のときもっと勉強したら良かった。
    今の10代20代に是非これを見てほしい。
    5  不思議な名無しさん :2015年08月03日 20:59 ID:B7tqC8mu0*
    親族にミッドウェー海戦から生還した人がいる。
    ちなみに、乗っていた艦は「最上」だと言っていた。
    6  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:00 ID:CyeqXZRZO*
    聞いた話でなく自分の体験ではだめなのか
    7  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:12 ID:jJ.94xRo0*
    昭和ヒトケタ世代から聞いた話
    緒戦は勇ましい「勝ってくるぞと勇ましく~♪」だったが、敗色濃くなるにつれて「う~みぃゆ~かば~♪」で兵士は出征したそうだ。
    ど田舎の子供でも、敵機の機銃掃射に備えて遮蔽物のある物陰を歩くのが常識だったらしい。
    制空権取られた市街地は敵機にやられ放題、地上から撃つ対空砲も届かないのを見て悔しかったそうだ。
    8  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:24 ID:zpaFgtvW0*
    うちの婆さんは北海道で商家として成功していたので、空襲の話も無ければ特に戦争で自分が苦労した思い出はないと言っていたな。
    戦後の混乱期も物資に困らず、水飴が瓶であったそうなので、むしろ盗まれることに苦労したと。

    戦争といっても色々な感想があるのだよね。
    9  エリア467 :2015年08月03日 21:28 ID:2icgpQTq0*
    とある地元の職場で知り合って、とても馬が合ったTさん(30代男性)。

    大伯父様が、何とあの最後まで生き残った航空母艦:瑞鶴に、海軍省からのエリート官僚として搭乗してたと。
    つまり瑞鶴の艦長よりも上のお立場。
    甲板にどっかり専用の椅子に座って、両脇に常に衛兵を従えて、南洋を航行してたと。

    良いなぁ。凄いなぁ。
    10  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:31 ID:jpkm6DjM0*
    グラマンが機銃掃射してくると空薬莢もバラバラ落ちてくるそうで、それも怖かったとか。
    11  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:33 ID:3pSf1oU40*

    色々と考えさせられるまとめでした。

    学生ですが、同級生たちにもう少し関心を持ってほしいなと思いました。
    12  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:42 ID:jgxbLbso0*
    めちゃくちゃ怖いなこれ
    俺のじいちゃんが当時3歳から5歳くらいなんだろうけど、じいちゃん死んでたら今の俺いないんだよなぁ
    13  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:42 ID:9WnMKJ.K0*
    海軍兵士だった祖父が友達から聞いたという話。

    どっかの海戦で米軍の潜水艦が浮上してきたんだけど
    何かの加減が悪かったらしくて船首を上に向けたまま
    直立状態でプカプカと止まってしまったので
    これしめたものと周りにいた船で一斉に射撃して撃沈したんだとか。

    アメ公のほうはさぞ怖かったろうな。
    14  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:43 ID:pEeNi3E10*
    ■去年、長崎か広島で、修学旅行の生徒が、語り部の爺さんに
     「死に損ないの糞ジジイ」呼ばわりしてマスコミが叩いてたが、
     このジジイは、被爆者でもないのに成り済ましてた、「語り部詐欺師」だったな。

     沖縄にはこの5倍はいると言う
    15  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:46 ID:BJ3QXSpX0*
    悲惨な想い出おおすぎだろ。
    俺の祖父は銃撃ちまくったって帰省して会う度に楽しそうに言ってたぞw
    ぼけちゃってたから詳しい話は聞けずじまいだったんだけどな。
    16  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:47 ID:RL48u9Fm0*
    勤め先に80代後半ぐらいのおじいちゃんがいたんだが、17歳ぐらいの時に予科練時代に、仲間と一緒に建物の隅に隠れてタバコの葉を辞書の紙で包んで吸ってたらしい。薄くて柔らかいからタバコにはうってつけなんだと。
    ただの呑気な悪ガキの話に思えるが、予科練を出たらそのまま戦地に赴く予定だったんだよな
    17  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:57 ID:hJwDdgQl0*
    ※15俺もそのじいちゃんの話聞きたかったな
    悲惨なしみったれた話より
    敵をこうやって出し抜いたとか うまい戦術を使った話とかの方が聞きたい
    まあ負け戦だし そういうのは、少なそうだけど
    18  不思議な名無しさん :2015年08月03日 21:59 ID:MLl.4SUi0*
    叔父2人が出征し、兄の方は戦死
    弟の方は特攻隊にいたが、出撃前に終戦
    しかし、特攻隊入隊前に生きて帰ることはないからと死に損なった場合の自決用に
    祖父に最後の贈り物として短刀を買ってもらいそれを手に入隊したそうな

    19  不思議な名無しさん :2015年08月03日 22:08 ID:kbolXR.l0*
    曾祖父さんが天皇陛下の防空壕掘ったって言ってた。
    亡くなっちゃったんで詳しい事は分からんけど
    20  不思議な名無しさん :2015年08月03日 22:14 ID:mBdFLazu0*
    父方の爺さんは「飛行機が墜ちてきたぞヒャッハー」ってみんなで歓声あげて喜んでたらよくみたら味方機だったとか
    瀕死の味方を誰が介錯するか擦り付けあったあげくその人がキレてそのまま死んだとか…まったく笑えない話を笑いながらしてくれたぞ。

    母方の爺さんは予科練出の飛行機乗りで終戦はフィリピンという情報しか知らない。
    21  不思議な名無しさん :2015年08月03日 22:36 ID:D.LgnnLJ0*
    寺の住職さんから聞いた話。

    シベリアの強制労働でほとんどの仲間が寒さと飢えで死んだらしい。死体を集めて焼いて念仏を唱えたが、雰囲気でなくて、空き缶を木魚替わりにして唱えたと。

    住職さんはもう亡くなられたが、聞いておいて良かったような気がする。
    22  不思議な名無しさん :2015年08月03日 22:38 ID:tvEMTqPh0*
    米19それ先週に何十年ぶりに公開されたやつか
    23  不思議な名無しさん :2015年08月03日 22:41 ID:eU0Pid3T0*
    祖父は軍で文書係?だったらしい。
    報告書?や伝令書?といった文書の仕事を主にしていたそうだ。
    その理由として、祖父はべらぼうに字が上手かったからだと聞いた。特に筆がやばいくらい上手かったんだって。
    その遺伝子を持った父含めた兄妹達はみんな字が上手い。父には熨斗等祝い事のための書の依頼が来るくらい。
    祖父が生き残ったのはもしかしたらそんな特技のおかげだったのかなと思う。
    やはり、芸は身を助けるのかもしれない。
    もっと詳しく話を聞きたかったが、既に祖父は故人。祖母もいないから当時の話は当人達からついに聞けなかった。
    ちなみにその遺伝子は何故か自分には来ず、自分以外の兄妹に受け継がれている。
    24  不思議な名無しさん :2015年08月03日 22:57 ID:F68dYGrD0*
    うちの爺様は近衛騎兵隊だったとかで許嫁がいたけど近衛兵の地位を捨てて婆様と満州に駆け落ちしたとかなんとか。
    25  不思議な名無しさん :2015年08月03日 23:03 ID:ChcVrd1MO*
    うちのお祖父さんは当時14歳で、戦時中はもちろん学校に行けず、工場で飛行機を作ったと言っていた。



    家からやかんを持ってって
    それを溶かして飛行機作ったと言ってた。


    やかんで飛行機って…
    どんなんができあがるの。
    26  不思議な名無しさん :2015年08月03日 23:11 ID:tQnTXjEb0*
    終戦後は「火垂るの墓」のように戦争で親族を亡くした子供達が亡くなることが多かったことを思い出して辛くなるから観たくないと母は言う
    27  不思議な名無しさん :2015年08月03日 23:17 ID:gJMeRNYu0*
    訓示工場も無い田舎だが灯火規制?とかで電気消したり布かぶせて暗くしてたけど、爆弾落とされたって言ってた
    遊びで落としたんじゃないかって話だがどうなんだろうね

    じいちゃんはシベリア抑留にあったんだが手際が器用だったんで向こうの軍人にうまくとりいって重宝されてうまいこと生き抜いて帰ってきたよ

    もうひとりのじいちゃんは中国に派遣されたんだが戦闘する前に帰ってきたが、船の上で上官に相当厳しくしばかれたらしい
    28  不思議な名無しさん :2015年08月03日 23:31 ID:QYT0ja5wO*
    通学路に昔からの結構広大な墓地があるんだが
    墓石の多くに「少尉」とか「二等兵」とか階級が刻んである
    当時は名誉だったんだろうな
    29  不思議な名無しさん :2015年08月03日 23:31 ID:wYvW9l4q0*
    ミサイルて…
    30  不思議な名無しさん :2015年08月04日 00:11 ID:EytoQiwH0*
    母の実家が農家で終戦から2年ぐらいまで物々交換で食料を求める人が毎日来ていたという。
    皆、お米を求めるが終戦までは供出で、戦後は農地解放で収穫減でお米はほとんど無かったため、芋、大根というと「お米でお願いします」と粘られて困ったらしい。
    朝から夕方まで何人も来たという。
    31  不思議な名無しさん :2015年08月04日 01:33 ID:.748JzmXO*
    去年、かつて近衛兵だった爺ちゃんが95歳で大往生したよ。
    軍服を着て、腰に剣差して、白馬に乗ってる写真が残ってるんだけど、めっちゃカッコイイ。
    32  不思議な名無しさん :2015年08月04日 01:42 ID:SJxegLOt0*
    やっぱサヨという名のアナーキストと一緒にされたくないが、こういう悲惨な側面も忘れてはいけないね。
    ただ日本メディアの終戦特集とか当時の世界情勢とか全然触れてくれないから片手落ちだわ。戦争に至った原因や流れを知らないまま反対反対言うバカばっかり
    33  不思議な名無しさん :2015年08月04日 01:46 ID:PGJdtARv0*
    奈良から見た大阪空襲の話は聞いたことある
    山の向こうが夕焼けみたいに明るかったとか

    うちの祖父は医大に行ってて徴兵を免れたんだけど、九州から奈良へ帰省中に広島の手前で汽車が止まって「特殊型爆弾が落ちた」って放送があったらしい
    投下の翌日に広島を歩いたみたいで死体がそこらじゅうにあったと教えてくれたわ
    34  不思議な名無しさん :2015年08月04日 02:12 ID:RlhOUlzR0*
    父方の祖父が、天皇陛下の近衛兵だったらしい。市の代表2名に選ばれて、とんでもない名誉だったそうで、ずっとドヤ顔してた。

    父方の家業は、創業数百年のとある店なんだけど、今でも宮内庁関連の仕事が来るみたい。祖父の件が縁だったのか、元々仕事は来てたのかは不明。

    祖母は満州鉄道のかなり偉い人の令嬢で、お手伝いさんが沢山居たらしい。中でも、年の近いねえやがお気に入りって発言に時代を感じた。
    まだまだ元気だから、数年おきに満州時代の同窓会に出掛けてるよ。
    お嬢さん育ちで品がある人なんだけど、言葉遣いや文字や着物、満州の服?やら、歌や茶道や華道…とにかく教養が凄くて、話をすると新鮮。

    …と、華やかな話は色々あるものの、兄弟たちの壮絶な戦死、満州引き揚げ時に赤ん坊の妹は捨てさせられた…とか、悲しい事も沢山有ったらしい。何回聞いても、これ以上は教えてくれないから、これ以上聞けないんだよなぁ。
    辛かった事は、語りたがらない人も多いよね。
    35  不思議な名無しさん :2015年08月04日 02:33 ID:zgYGdkOtO*
    じい様、満州→シベリア行ったのだが、実年齢を信じて貰えなくて、向こうではかなり良くしてもらったらしい。
    36  不思議な名無しさん :2015年08月04日 02:42 ID:4Os2FuC70*
    飛行機工場に勤めてた親戚がいた
    零戦の骨組みに竹使い始めた辺りから、この国負けるわ、って感じてたって
    37  不思議な名無しさん :2015年08月04日 03:26 ID:yttaKArE0*
    寝言でミサイルはホントに寝言だと思うw
    あの時代ミサイルは実用化されてないし。

    ついでにうちの爺さんは疎開先で竹やり訓練してたら終戦になって
    婆さんのほうは通信手みたいなことやってたらしい。
    38  不思議な名無しさん :2015年08月04日 04:31 ID:O6QtCynpO*
    職業軍人だったじーちゃんは戦死してしまったから体験は本人からは聞けないが、話はテレビで学んで知ってる。部隊の名前やらじーちゃんの名前が、ね。
    ばーちゃんは恩給で困らなんだ。
    そんくらいかな。
    じーちゃんが生きてて当時を悔やんでいたらどんなに良いだろう、マシだろう、そんな事を毎年思う。本人自身は語れないけど、自分には首狩り族の血が流れてるんじゃないかと思う。戦争被害が美化されてはいけない、埋もれて亡きものにしようとされてる部分は、沈黙と言う手段で風化を待ってる。それで良いのかな、忘れられ失われれば時効なのかな、黙ってれば、私がそのまま旅立てば終わる。
    39  不思議な名無しさん :2015年08月04日 05:16 ID:XL6A5jktO*
    うちのばーちゃんのお兄さんが海軍所属で大和に乗ってた。
    もちろん亡くなった。
    ひーばーちゃんはマッカーサーが来たとき新聞見て一心不乱で錐でその写真を突き刺してたらしい。
    ばーちゃんは美人だったようで、白人軍人に拉致されかけそうになった。

    そんくらいかな?
    40  不思議な名無しさん :2015年08月04日 05:26 ID:FHneFcr60*
    *33
    うちの祖父も奈良で、原爆投下の翌日、広島に行ったらしい。江田島に救援物資を届けに行って、広島のほうで光ったから翌日友達と見に行ったと。
    被爆したかも、てずっと言ってた。90
    過ぎまで生きたけどな。
    ひょっとしたら祖父同士知り合いやったのかも。
    41  不思議な名無しさん :2015年08月04日 07:31 ID:AQZaMxpIO*
    知り合いのじーさんが
    「夢を見た、戦争中にやったことを部下に責められて火箸を突き立てられる夢だった」
    じーさんが何をしたかは聞けなかったが、シラフで人でなしのじーさんが罪を感じるってよほどのことをしたんだろうな

    あと、祖母がパンパンだったとも。
    42  不思議な名無しさん :2015年08月04日 08:19 ID:Lui7u3.g0*
    戦争に負けたとき、皆ヤケクソで規律もなにもなくなり、駐屯地はめちゃくちゃな状態になった。でも祖父は初恋&幼なじみの祖母に操を立て、清らかな身のまま帰国したと祖母が話してた。
     
    祖父は最初、帰国して祖母に挨拶したら、天皇陛下のために自害するつもりだった。でも、生きて国を再建しなければ、と思い直したらしい。
     
    あと祖母は死ぬまで、日本人の一億総白痴化を嘆いてた。
    おそらくふたりとも、軍国少年少女世代ど真ん中。
    43  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:16 ID:1lHRjG7uO*
    叔父さんはサイパンで死に場所の塹壕は掘って待ち構えたがそれてニューギニア、しかしお袋の叔父さんは玉砕
    44  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:17 ID:1lHRjG7uO*
    親父は末っ子で長男はサイパン
    45  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:18 ID:1lHRjG7uO*
    口癖でよく最後駄目ならしねばいい
    46  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:20 ID:1lHRjG7uO*
    お袋の婆さんの叔父さんは戦争讚美
    47  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:22 ID:1lHRjG7uO*
    じいさんは戦争当時四十越えて教育者
    48  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:23 ID:1lHRjG7uO*
    お袋の叔父さんは本だしてるよ
    49  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:25 ID:1lHRjG7uO*
    お袋の叔父さんは天皇の運転してたよ
    50  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:26 ID:1lHRjG7uO*
    そんな事は過去の事のいい時代で、今は全然違う
    51  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:27 ID:1lHRjG7uO*
    戦後何年にはもううんざりだよ
    52  不思議な名無しさん :2015年08月04日 09:30 ID:1lHRjG7uO*
    明治に貢献した事はいいと思うよ
    53  不思議な名無しさん :2015年08月04日 10:13 ID:To38a8.p0*
    憲兵だったじいさん、亡くなったものだと思ってたら戦後数年してふらっと帰って来てそれから一度も戦争の話をしなかったらしい。
    父親は小さくて覚えてなかったらしいけど、叔父さん二人が帰って来た時の事を覚えてて話してくれた。戦争の話はしなかったけど、銃と弾だけは見せてもらった事がある。
    54  不思議な名無しさん :2015年08月04日 11:14 ID:xpP9ppTH0*
    祖父の弟が徴兵されて大陸に行った。
    ある小隊に配属されたが、上官はいたものの隊内のリーダーを誰にするか決めていなかった。
    そんなある日、小隊みんなでふざけて遊んでいたら、そのうち「高い崖から飛び降りよう」という話になった。
    しかし崖が高すぎて、誰も飛び降りようとしなかった。
    ところが大叔父は、後先考えずに飛び降りた。
    そうしたら「お前は度胸がある」ということで、小隊長に任命された。

    終戦後は帰国して婿養子に行ったが、夜中に突然悪い夢を見て飛び起きることが、年老いてもずっと続いていたらしい。
    晩年は病魔に冒されたが、体内に弾丸が埋まっているということで、CTやMRIを受けられなかったらしい。
    55  不思議な名無しさん :2015年08月04日 11:40 ID:A0DsKiin0*
    うちの婆さんは、川原で食べられる草探してたら機銃掃射されたっていってたなあ
    56  不思議な名無しさん :2015年08月04日 12:14 ID:Q46.d7Dk0*
    父方祖父
    中国にて陸軍工兵隊で終戦
    母方祖父
    台湾沖で駆逐艦にて輸送船団護衛中、潜水艦による雷撃にて沈没。本土に戻り海防艦にのり終戦

    嫁父方祖父
    本土防空隊従事中に終戦
    嫁母方祖父
    重巡摩耶乗艦。潜水艦による雷撃にて戦死
    57  不思議な名無しさん :2015年08月04日 15:24 ID:ahMaQj5s0*
    親が戦争行ってたってレスあるけど、結構いい歳したオッサン(じいさん?)が2chには書き込みしてるんだな。
    58  不思議な名無しさん :2015年08月04日 16:24 ID:XchJpkgv0*
    結構いい歳したオッサンでもなんでもいいよ

    後世にのこしたいね
    59  不思議な名無しさん :2015年08月04日 16:46 ID:NijJfEhZ0*
    なんだろ、あまり話したがらないんだよな。オヤジもおふくろも。
    まだ子どもだったからよほど怖い思いをしたからなのか…。
    出征した兵隊さんも、云いたくないこと、恐怖で思い出したくないこと、
    悲哀こもごもなのだろう。
    60  不思議な名無しさん :2015年08月04日 18:00 ID:tjoUVIKJ0*
    祖父は戦艦比叡で真珠湾からガダルカナルまで経験
    比叡から退避して辿り着いた島でマラリアにかかり
    なんとか生き延びて横須賀の海軍病院で終戦を迎えた

    祖父の従弟は硫黄島で亡くなった

    いつも食べ物が食べられる事に感謝してたな

    木の根っこを口の中で柔らかくして食べながら1週間ジャングルで過ごしたって・・・

    わずか70年前の日本人の精神力・忍耐力本当に凄いと思う
    61  不思議な名無しさん :2015年08月04日 18:07 ID:WeeLpOw4O*
    特攻隊の方々の遺書読んでると胸が詰まる
    親への感謝や家族の幸せを願うものばかりで…
    そういうことしか書けなかったのかもしれないけど
    62  不思議な名無しさん :2015年08月04日 18:53 ID:Ta4blPd30*
    うちの母方の爺さんは立川の飛行場で飛行機の整備士していた。
    兵隊より身分が低いから、防空壕の入り口近くに寝てたって。防空壕か爆撃受けて自分は助かったけど、奥に寝ていた兵隊や上官は生き埋めになったとよく話してたよ。
    父方の爺さんはB29が斜め45度の角度で見えたときに爆弾落としたら自分の近くに落ちると言ってた。
    実際、マンホールに入り込んで助かったらしい。

    子供の頃、戦争の話は怖がったけど、戦争を生き抜いた爺さん婆さんが少し誇らしかったな。
    63  ???? :2015年08月04日 18:53 ID:SLVmm3.f0*
    これは叔父から聞いた話しなのですが 私からみたら曾祖父にあたる方が昔 戦争に参加していたそうです 曾祖父は運の良い方で 赤城の最後の出港の時に、トラブルがあり予定時刻に遅れて乗れなかったそうです。 その時は上官に厳しくしごかれたのでしょうが 結果として死なずにすんで 無事でした
    64  不思議な名無しさん :2015年08月04日 20:46 ID:tUWPLPXd0*
    九州出身なんだが地元に大きな軍事工場があり、付近一帯が広範囲に機銃掃射を受けた際
    ちょうど小学生が集団下校中の時間帯だったため
    生徒や先生、一般人も被弾し死亡
    小学校の前には一本しか道がないのに、道なりに多数の遺体が横たわっていたらしい
    今もその近くには亡くなった子供たちを弔うための大きなお地蔵さんが立っている
    65  不思議な名無しさん :2015年08月04日 21:04 ID:d4oruWxK0*
    ※59
    美談多いなか水を挿すようだが
    軍人の中には人として許されない非道に手を染めたり
    みてみぬふりで間接的にそれを助長した輩もいたでしょうよ
    みながみな栗林中将のような人ばかりではなかっただろうし
    大陸や南方作戦では実際野方図な愚将が指揮を執ってたりしたわけだから

    まぁ露助や中国軍はもっと酷かったらしいが
    66  不思議な名無しさん :2015年08月04日 22:21 ID:u0UJS3400*
    沖縄戦じゃ民間人のフリをして隙を突こうとする兵士が続出したせいで
    後半は米軍もほとんど見境が無くなったらしいからな・・・
    67  不思議な名無しさん :2015年08月04日 23:19 ID:w9Kk.sKS0*
    地方新聞の亡くなった人一覧の年齢を見るたびに、80代やら90代やら、戦争を知ってる世代が確かに亡くなっていっているんだなって思う
    うちのおばあちゃんも疎開先での話とかよくしてくれるけど、どういう反応すればいいのか分からなくて聞き流しちゃってるなあ
    もうおばあちゃんも80過ぎだし、聞ける話はちゃんと聞いておこうと思ったわ…
    68  不思議な名無しさん :2015年08月04日 23:19 ID:51SPHmmg0*
    そろばん塾にいたおじいさんの話なんだが、
    戦後は誕生日がきてもケーキなんてまずなかったから
    その当時高級食品だったバナナがケーキ代わりだったらしい。


    このスレ見て戦争のことまた深く考えさせられた・・・
    戦死した見たこともないひーじいさんの話おばあさんに聞いておかないとって思った。
    69  不思議な名無しさん :2015年08月04日 23:37 ID:w9Kk.sKS0*
    うちの母方の祖母は、
    子供が特攻隊に志願して亡くなったお家に引き取られたと母から聞いた。
    とても可愛がられたらしい。
    当時はそんなことが珍しくなかったんだろうな。
    祖母にとっては兄となるその人は、話を聞いた当時の自分と同い年で亡くなったそうだった。19歳。
    70  不思議な名無しさん :2015年08月05日 01:21 ID:JU8.bZwv0*
    叔父がカンボジア政府軍将校に取材をしていたら、反政府軍が仕掛けて来て目の前で銃撃戦が始まったらしい。
    母方の祖父はベトナム戦争時、一般船舶の通信士としてベトナムに行って、空いた時間に彷徨いていたら山賊か何かに銃を向けられ強盗された。
    父方の祖父はB29に日本の要撃機が突っ込んで両方落ちるとこを見た。あとは満州の日本陸軍士航空官学校で空襲に遭遇。
    曽祖父は予備役だったが中国戦線に出兵。中隊長として砲兵隊を指揮したけど、敵を避けるように動き、戦闘には遭遇せず。部下を殺さずに帰れたことが誇りであったと。軍刀は現地の公園に埋めてきたとか。予備役になる前の同期たちの多くは将階級まで上がっていて色々な前線の司令官として戦って亡くなったらしい。
    意外と身近でも色々あるなぁ。
    71  不思議な名無しさん :2015年08月05日 01:42 ID:TbbQSbmx0*
    掃海艇に乗ってたじーちゃんの話。

    夜の海を航行中、急に船の速力ががくんと落ちた。
    故障かと思ってあちこち点検して回ったがどこにも異常はない。
    全ての機器が正常に作動してるのにスピードだけが全く上がらない。
    ワケがわからなかったがとにかく明るくなるのを待って
    もう一度徹底的に調べ上げることにした。

    翌朝になって船首から下を見ると何と船がクジラのドテッ腹に衝突し
    一晩中クジラを押しながら走っていたことが判明。
    結局そのままクジラを押して近くの港へ。
    思いがけない大物に地元の人は喜び、その日は皆で宴会を開いたそうな。
    72  不思議な名無しさん :2015年08月05日 03:41 ID:deq0EOeU0*
    少し前に88歳で無くなったんだがその曾祖父のはなしを

    曾祖父は志願兵として中国の戦線で戦ったらしい、陸軍で兵科は対戦車戦闘を想定した戦車工兵、万里の長城とかが印象に残ってるとか言ってた
    ある日敵機が上空から迫ってきたから部隊皆で手持ちの小銃を敵機目掛けて一斉射撃をして一機撃墜したことや、民家に忍び込んで食糧を調達したら上官が怒って靴の裏で殴られた事、手榴弾を拝借して海にか川に投げ込んで浮いてきた魚を食べた事、敵戦車(多分BT快速戦車)の奪取に成功したはいいものの大砲の撃ち方が解らなくて結局移動手段としてだけ使った事、敵の弾丸を自軍の小銃に詰めれなかった事、色々な話を小さい頃から興味があった俺はいっぱい聞いた

    そして棒の先に地雷を付けて特攻隊としての出撃を志願してた事、でも出撃の前に終戦になって生きて帰って来てくれた、そのおかげで貴重な当時の話をいっぱい聴けたし2人(たまに俺の友達も)で仲良く一緒に軍歌を歌ったりできた
    73  不思議な名無しさん :2015年08月05日 09:56 ID:hayD7RxeO*
    まぁ凄いよ
    74  不思議な名無しさん :2015年08月05日 11:58 ID:VpLH7s3U0*
    >>6 聞いた話でなく自分の体験ではだめなのか
    ぜひともおねがいします。
    75  不思議な名無しさん :2015年08月05日 22:18 ID:XsRjKBFx0*
    うちの祖母は戦争を思い出すからって
    鶏肉を嫌うなぁ…
    あんまり詳しい戦争の話は聞いたことないけど

    あと母方の亡くなった祖父の肩には弾丸の跡があったらしい
    詳しくは教えてくれなかったそうだけど

    私的にはこうゆう戦争の話は興味あるから
    まわりに教えてくれるお年寄りがいるのは羨ましい
    76  不思議な名無しさん :2015年08月06日 06:38 ID:PYDlhAyO0*
    おじいちゃんは自分が生まれる前に死んでしまったけど確か病気持ちで戦争行けなかったって聞いたな。
    77  不思議な名無しさん :2015年08月07日 02:17 ID:qDEtjo7p0*
    これは良スレ。
    うちの両祖父も父方は耳が遠くて、母方は体が小さくて共に戦争に行けなかったらしい。
    78  不思議な名無しさん :2015年08月07日 20:48 ID:qTQkr..40*
    ひい祖父さんが水筒に命救われたから祖父母の家の神棚に飾ってあるな
    ボロボロで穴空きの鉄瓶みたいなやつ
    生まれた頃にはじいさんは亡くなってたから直接聞いたわけでもないが興味深い話だった
    79  不思議な名無しさん :2015年08月08日 10:51 ID:nLYr3fhU0*
    うちのおじいちゃんも特攻隊で途中で戦争が終わったって色々話してくれたけど他にもそういう方のお孫さんたくさんいるんやなぁ。
    80  不思議な名無しさん :2015年08月09日 18:57 ID:ecpjCCQ90*
    爺ちゃん 中国で敵の基地奇襲して勝ったって武勇伝は50回ほど聞いた
    81  不思議な名無しさん :2015年08月09日 18:57 ID:ecpjCCQ90*
    爺ちゃんの南で敵の基地奇襲して勝ったって武勇伝は50回ほど聞いた
    82  不思議な名無しさん :2015年08月09日 21:51 ID:NVICdNAQ0*
    祖母の話。高松空襲で、焼夷弾が雨のように降ってきた。攻撃が止んで防空壕から出たら辺りは火の海。身体が半分になった、近所のお姉さんが「水、水・・・」と呟いていた。祖母は水を口に運んだが飲んでから亡くなったのかその前に亡くなったのかはわからなかった。
    高松の町から郊外へ逃げる途中、栗林公園のお堀には水を求め、そこで力尽きた人の遺体でいっぱいだった。

    祖母が戦中の話をしてくれたのは一回だけだった。私が学校の宿題で戦争の事を家族に聞いてくるというのがあって、半ば強引に聞き出した。
    テレビで戦争物が始まると必ずチャンネルを変えていた。辛すぎる記憶ばかりなんだろうな。
    83  不思議な名無しさん :2015年08月12日 18:45 ID:It.BXWXY0*
    子供の頃、空母「加賀」に乗っていた大伯父から、ミッドウェイ海戦の話を聞いたことがある。
    船底で仕事してたら、上の方で凄い爆音が聞こえたため、甲板に上がったら、甲板に
    すり鉢の大穴が空いてたって。そして船の中は地獄絵図だったと涙ながらに話してた。
    84  不思議な名無しさん :2015年08月13日 01:05 ID:jSApLIEo0*
    小学生の頃おじいちゃんおばあちゃんに戦争の話を聞いてくるみたいな宿題?出されたな
    おばあちゃんに聞いてみたけど思い出したくないって言われてそれ以上聞けなかった
    普段はにこにこしていろんな話してくれてただけにその時のおばあちゃんの表情とか
    初めて見る感じで子供ながらショックというか…それほど辛い経験だったんだなって
    忘れちゃいけないってよく言われるけど確かにそうなんだけど、将来何十年先か何百先か
    「戦争?なにそれ?」ってなるくらい世界が平和になってるといいなと思う
    戦争なんて教科書の中の出来事で、昔の人はなんでそんなことしたの?って心底理解できないくらい
    そんなのは現実的じゃないし綺麗ごとなんだろうけど
    85  不思議な名無しさん :2015年08月14日 18:19 ID:u3vU1Qff0*
    母方の祖父…飛行場で整備士をしてたらしく徴兵はされなかった。が、東京大空襲で命からがら故郷に逃げ延びた
    父方の祖父…大陸の方に出兵していた。父の実家に当時の写真や賞状?らしいものがある

    惜しむらしくはどちらも鬼籍に入ってしまい詳しい話を聞けなかったこと
    86  不思議な名無しさん :2015年08月15日 18:04 ID:0ko8Q8ZP0*
    じいちゃんが酔っぱらうと、よく世界地図を持ち出しては
    シベリアに抑留された話をしてた。
    強制労働のはなしもしてたと思うのだが、「バイカル湖が
    ものすごくきれいだった」というのがやけに印象にのこってる。
    もっとちゃんと聞いときゃよかったな・・おととし亡くなった。
    87  不思議な名無しさん :2015年09月18日 18:10 ID:Z8.PZqPU0*
     祖父は若くから軍需関連の商売で成功し、徴兵されることなく30歳で終戦を迎えた。当時の儲けはかなりのもので、空襲があったときは祖父と祖父の下で働いていた甥とで背嚢や手提げ一杯にお金をつめて逃げたそうだ。しかし、それらは日本銀行ではなく軍発行のものだったため、終戦後に紙屑になった。
     子供だった頃に親族からその話を聞いた自分は、お金持ちだったのに残念みたいなことを言った事がある。それに対して祖父は、戦争に行かずにすみ生き残れただけで十分みたいなことを、特に感慨も無さげに言っていた。
     でも祖母は結構悔しかったらしく、その他にも、戦時中に供出した刀が、戦後、東京の国立博物館に展示されたのに、うちの刀だと証明できなくて返してもらえなかったのが悔しいとか色々話をしていた。家計を預かる身としては、急な没落に苦労したのだと思う。
     祖父母とも随分前に他界したが、何年か前に東京へ行った兄が、祖母が言うところの「うちの刀」が今でも展示されていたと笑っていた。

     あんな時代ですら、全ての若者が徴兵されたのではなく、全ての鉄が武器弾薬にされたわけでもない。
     戦争になれば社会格差が覆ると考える向きがあるらしいが、ステータスは戦時中に生き残る為にも重要で、社会格差が覆るのは戦争に負けて終わった時だけ、そしてその時は全ての人が元より酷い境遇になることを心に留めておくべきというお話でした。
    88  不思議な名無しさん :2016年03月15日 17:01 ID:KCMiUbFe0*
    ソ連兵は背が高いから塹壕に突っ込んできたときはしゃがんで腹をナイフで突き刺してたっていう話を親戚の爺さんが言ってたな
    89  不思議な名無しさん :2016年06月13日 01:07 ID:9shjkOBT0*
    祖父は原爆落とされた時に軍人として長崎にいた
    たまたま朝の防空壕の中の整理の当番だったらしく、たまたま防空壕の出口が爆心地と逆の方向を向いていたので無傷だった
    何があつたのかと外に出ると一面焼け野原で朝礼をしていた仲間は皆、爆心地側の皮膚(背中を向けていた人は背中、正面を向いていた人は正面)が焼けただれていたそうな
    祖父が居た防空壕と逆の方向に出口がある防空壕に居た人たちも全滅だったそう


    無事に東京に帰ってからも暫くは被爆している可能性があるからと子供を作らないようにしていたらしい結婚は既にしていたらしいか

    祖父は関東大震災も経験していて間一髪で火柱から逃れ、某高台から何本も立ち昇る火柱を泣きながら見つめていたらしい
    93で亡くなるまで本当に運がいい人だった

    当時の話を聞くたび、人が沢山死ぬような事はもう起こらないで欲しいと思ってた
    90  不思議な名無しさん :2016年06月13日 11:35 ID:5rq.xC.U0*
    ニイタカヤマニノボレ…に参加した話しを よくしてくれた

    畑の 見回りを怠ると 盗まれ、遠方までの買出し(物々交換)の話し 帰りの列車の攻撃の 話し 味噌も醤油も作った話し 他にもいろいろ 話してくれた

    91  不思議な名無しさん :2016年06月13日 12:28 ID:XiySwayi0*
    ばあさんがまだ生きてた頃に聞いた話だが、当時爺さんが機密文書を運ぶ部隊に所属していたため待遇が良く、満州に行った時には中華料理屋を経営してお手伝いさんも数人雇って順調な戦中だったが、敗戦とともに本国へ帰還しなきゃならなくなったと情報が回ってきたと同じくらいに、ロシアの兵隊がやって来て金目の物を根こそぎ持っていかれたとずっと言ってた。
    満州から本国への帰路につく兵隊さんにありったけの食料を振る舞って見送ったとも言っていたし、帰りの船がすし詰め状態で何時間も乗ってるのが辛かったとも言っていたし、叔父が汽車の窓から顔を出して真っ黒になったら、車掌さんに孤児と間違われて連れて行かれそうになったと笑いながら話してたな~
    92  不思議な名無しさん :2016年06月13日 20:11 ID:RD3e0Do30*
    母方の祖父は、建築家だったので軍事工場や軍施設の建設を行っていて戦地に出ることはなかったそうだ。
    父方の祖父は、南の方に配属されて途中でマラリアに罹り、死体と一緒に捨てられていたところ、現地の人に助けてもらったそうだ。
    そこからどうやって帰ってこれたのかまで聞けてないのが残念だ。
    もう両方故人であるので、詳細が聞けないのがもったいないな
    93  不思議な名無しさん :2016年06月16日 17:24 ID:4gpz9Wrg0*
    中国残留孤児って、自力で歩けない子は置いていけって言われたからだったなんて知らなかった。

    父方の祖母は満州にいて、
    その当時2歳だった叔父は庭の土を
    「ブチゴンブチゴンブチゴンブチゴン」
    と言いながらほじくり返してたよと笑いながら話してくれたけど、ブチゴンって何かと聞いたら
    「電車の音を真似してた」と言っていた。
    その話を聞いたのは小学校低学年だったので、戦争の事は判らず笑ってしまったけど、大きくなって思い返すと満州鉄道の音だったんだなと気付いてびっくりした。

    あと、満州ではさっき家の中でなくなったものが、すぐに道端で売られてたとも言ってた。だから現地の人は信用ならないと…。

    祖母は叔父を連れてギリギリ帰ってこられたせいか、残留孤児のニュースを見るたび
    「うちもこうなるかもしれなかった」
    と泣いていたそうで、祖母が亡くなった後に残ったお金は残留孤児の人に寄付して欲しいと言っていたから寄付したよ、と叔父が言っていた。
    94  不思議な名無しさん :2016年06月20日 22:09 ID:xC7NUigL0*
    祖母曰く、空襲の後、山を下りて街にでると、大勢の人が川に集まり布団かぶって死んでたらしい。熱から逃げる為に川に入ろうとしたのはわかるが布団がいまだに分からない……防空頭巾?今度聞いてみようかな
    正直昔は小学校から帰って遊びに行く算段つけつつ昼飯食ってる時にグロ話は遠慮してほしかった
    95  不思議な名無しさん :2016年08月04日 19:08 ID:r8jRORnh0*
    もしかしたら、布団は焼け出された後に必要で、持って逃げようとしたんじゃないか?
    冬や寒い地域だったとしたら尚更。
    96  不思議な名無しさん :2016年08月04日 19:14 ID:r8jRORnh0*
    うちのじいちゃんは海軍だったが、17歳で志願して入隊後すぐに真珠湾を経験
    巡洋艦で北方作戦、駆逐艦でミッドウェイに参加した時に機銃でグラマンとやり合って、肩と脚を撃たれ離脱
    それが運命をわけた
    離脱後、残った乗組員は陸戦になり全滅した

    軍艦が殆ど沈むと、陸地でトーチカ掘ったり、輸送船で兵隊や物資を運ばされたり
    輸送船も魚雷を受けて多数の死者をだしたが、そこでもじいちゃんは生き残びた
    短期間だが、被爆後の広島にも救援で行ったらしい
    乗る船もなくなり最期は回天に志願して散るつもりだったが、その前に終戦を迎えた

    その後、同じく回天志願兵だった戦友の妹と結婚したじいちゃん
    純粋な軍国少年から職業軍人になり、前線でたくさんの死を見つめ、体に機銃の破片を残したまま現世に戻ってきたが、戦後日本に待ってたのは軍人への辛い手のひら返しだった
    その頃の話はあまりしてくれなかったが、母ちゃん曰くけっこう荒れてたらしい
    当然だよな、国家主導のもと、青春時代と命をかけて戦いに行ったってのに…

    だけどそっからじいちゃんは、徐々に過去に向き合い、やがて戦争の矛盾を認め、戦争や原爆の姿を美化せずに後世に伝道する人になった
    じいちゃんが死んだ時に、部屋には戦後公開された軍部の資料や本、手記が山のようにあった
    末端兵には戦時中には知らなかったことが山ほどあったみたいだ

    夏になってじいちゃんちに泊まりに行くと、戦争の話をたくさん聞かされた
    すげぇ恐かったけど、おまえ達が戦火に怯えることのない世界にせにゃいかん、ていつも言ってた
    亡くなって四年が経つが、今でも尊敬してる。
    原爆の日、終戦記念日が近づくと、じいちゃんの事が懐かしくなって、ついつい長くなっちまったが、供養のつもりで書かせてもらったよ
    ありがとう

    みんなの話も聞かせてもらえて勉強になる
    いいスレだな
    97  不思議な名無しさん :2016年08月10日 01:18 ID:PNcl5gQC0*
    中国語の捕虜尋問用の辞書の漢字の上や下にある丸の記号は「四声」を表してるの?
    尋問しようたって四声が正しく発音できなければ全く通じないのでは?
    98  不思議な名無しさん :2016年11月05日 23:11 ID:KUvXsYoY0*
    もうみんな亡くなってるが。
    じいちゃんの弟が横須賀にいた。
    草々期の潜水艦開発に技術者として
    携わったが、何回か失敗でぺちゃんこに。
    もちろん誰も乗ってなかったが。
    ある時、ついに成功し、以来
    人をのせてイ号の原型、派生形を。

    事故がね。
    水圧で。上がらなくて。

    鎖で引っ掻けて引き上げ。
    誰が誰やら。
    すごく申し訳ない気持ちになったと
    亡くなったあとに出てきた手帳に。

    姻族のおじさんは、予科練で特攻隊に志願。
    最終訓練中に飛行機なくなり終戦。
    以降、飛行機大好きな人だったのに
    全く飛行機の話をしなくなった。

    数年前亡くなったが、部屋の隅のかますの
    中から大量の航空雑誌や資料が。
    戦前戦後の貴重なものばかりが。
    専門店に引き取ってもらったが。
    皆で泣いたわ。

    99  不思議な名無しさん :2016年12月08日 10:23 ID:L8Aeetc40*
    うちの爺さんは体が弱く手先が器用な人だったみたいで前線などには行かず、
    様々な裏方作業してたそうな
    医療とか細工とか諸々

    俺が生まれた時には既に亡くなってたから、祖母と母親に聞いた程度だけどね
    100  不思議な名無しさん :2017年01月09日 15:25 ID:dBKR9H930*
    広島市在住で亡くなったバアちゃんの話。
    広島市役所で勤めてたじいちゃんは出勤したまま帰って来ない。
    市内からは被爆して悲惨な状況の男女が逃げ込んで来てた。比治山を挟む自宅で待ってると夜になり血だらけのじいちゃんが帰ってきた。
    それから3歳になる親父と小学生のおばさんと一緒に郊外に逃げたらしいよ。
    逃げる途中よく覚えてるのが燃えた馬と半裸で死にかけた巡査の交通誘導だとさ。
    101  不思議な名無しさん :2017年01月18日 11:40 ID:0hMWpjbF0*
    当時広島にいたお坊さんのはなし。
    「呉港から沖縄に行って来い。帰りの燃料はない」

    出て行った直後に原爆が落ちた。
    102  不思議な名無しさん :2017年02月04日 21:41 ID:.52WjyH70*
    少し前に92歳で亡くなったおじいちゃんの話。
    おじいちゃんはパプアニューギニアに行っていた。ジャングルの中で食べ物がなく、極限までお腹が空くと、虫やら蜘蛛やら動くものを反射的に捕まえて口の中に放り込んだそうです。ずっと何も食べていないと、胃液が出ないのか、しばらく自分の中で蜘蛛がカサカサ動いているのがわかるらしいです。。。
    最後の力をふりしぼって川べりまで這いずっていくと、みんな水に顔をつけたまま、溺死するんだそうです。首を持ち上げる力がないからだと、おじいちゃんは言っていました。
    おじいちゃんは顔や肩に散弾の痕がありましたが、戦地でマラリアにかかり日本に送り返され生き延びました。

    もう一つ。
    知り合いの先生の、お父さん(70代)から直接聞いたお話。
    大阪の京橋に親の会社があり、当時小学生だったその人は、たまたま親の会社へ行っていて、空襲にあったそうです。
    防空壕には人が押し寄せて「ここは満員やから他をあたってくれ」と言われ入れなかった為、少し離れた所でお父さんと身を隠していたところ、その防空壕の真上に1トン爆弾が落ちたのだそうです。
    落ち着いた頃にお父さんと手を繋ぎ出ていくと、その辺りにカブトが落ちていて、ちょっとかぶってみたくて、拾い上げようとした瞬間、なかに人の首が入っていたのがトラウマだとおっしゃってました。
    京橋の高架の下に、ズラーっと死体が並べられていたそうです。
    103  不思議な名無しさん :2017年02月05日 01:21 ID:tKqmAGqB0*
    ひいじいちゃんはこめかみに弾丸埋まってた
    頭蓋骨で止まったらしく、問題なかったからそのままやった
    見かけも綺麗でなんか丸く膨らんでるなぁくらいで、特に痛いこともないって言ってて、当時子供ながら人間って凄いなって思った
    撃たれた当時はそこそこ痛かったらしいけど
    104  不思議な名無しさん :2017年02月05日 09:35 ID:mBbM.hVy0*
    57ミサイルなんて言葉自体まだないよ 操舵管握ってたって言ったって沈んで一緒に英霊になられてるよ
    105  不思議な名無しさん :2017年02月28日 17:24 ID:1SSl8r4f0*
    戦中、隣の市の医師をしていた台湾人の女性が弟妹と近所に住んでて婆ちゃんは仲良くしてたそうな
    その人は仕事中にかの高村光太郎も逃げ惑ったという空襲に遭い、幼い弟妹を残して亡くなってしまったとか
    戦後婆ちゃんから聞いていた母ちゃんが、戦争の思い出としてコミュニティ誌に寄稿したら、市役所から連絡があったと
    どうもその人、かの空襲で亡くなった人の中で最後まで名前が不明だったみたいだ
    勤務先が合致して、ああこの人だろうとなったらしい
    106  不思議な名無しさん :2017年03月22日 00:38 ID:.NWRdn8Y0*
    じいちゃんに2名の弟たちが軍人だった
    3男が開戦序盤で戦死
    町長とかきて町でばかでかい墓たてて軍神扱い
    次男は終盤で戦死
    なにもなかったらしい
    107  不思議な名無しさん :2017年05月07日 00:11 ID:MvHHT0vj0*
    俺が高校のときに死んだじいちゃん。
    戦争の話はあんまり教えてくれなかったが、話をしてくれた事は何点かは覚えてる。
    1.脚に銃跡があり、撃たれたの?痛かった?と聞いたら、「熱かった」って言ってた。
    2.第二次世界大戦終了後、中国で捕虜になった。共産党軍にて馬役に使役され、国民党軍と戦った。その後帰国(何で帰国できたのかは不明)。死ぬまでバリバリの共産主義者だった記憶がある。
    108  不思議な名無しさん :2017年05月07日 03:25 ID:58AcTOcA0*
    ずいぶん前に他界した母方の祖父、戦前は東北某県の農村集落のまとめ役みたいな立場にいたので、開戦直後に村を代表して志願兵になった
    志願兵で、有力農家の一人っ子だったからか、なんとか殿下と同じ部隊に配属され、開戦直後の景気良く連戦連勝だった時代の中国で、比較的安全な地域を記者達を引き連れてウロウロしていたそうだ
    おかげで訓練以外では銃を撃たず、酒やタバコ、甘味などの嗜好品も優先的に配給され、帰国時には体重が増えたそうだ
    その後、戦況が悪化してもう一度出征する命令が来たが、直前で終戦
    そんな爺様の座右の銘は「棚から牡丹餅、ただし牡丹餅が食えるのは棚の下までいった者だけ」
    109  不思議な名無しさん :2017年05月13日 01:42 ID:CIj56ybm0*
    一昨年に亡くなった戦時中は南洋に送られていた祖父が話してくれた話。

    上陸するまでに何隻も沈められ祖父が乗る艦も魚雷かなにかが命中。
    大混乱の甲板、必死で掴まれるものに掴まっていると、後ろから仲間が自分にしがみついていて「〇〇(祖父の苗字)、怖いよ、〇〇、俺は怖い、お母さん、〇〇」ってずっと叫んでいたけどやがて艦は沈み、気がついた時には一人になっていて、自分にしがみついていた仲間も見当たらなかった。
    今でもずっと自分の耳元で自分を呼ぶ仲間の声が忘れられない…私が小学生の時に教えてくれた話です。

    後から親戚が集まった際にその話をしたら、母も祖母も叔父叔母たちも初耳とのこと。
    当時から何十年も経ち、何もしらない言っても忘れてしまうかもしれない子供にならと思う気持ちがあったのでしょうか。
    数少ない、実際にきいた戦争の体験談です。
    ちなみに祖父が送られたのはラバウルです。
    まとめ中の方に不思議な親近感がわきました。
    110  不思議な名無しさん :2017年06月13日 19:05 ID:qgm4b4YH0*
    今年で90歳になったおじいちゃんのせつない話を思い出した。おじいちゃんは7人兄弟。何番目かは忘れた。
    戦争なんか行きたくなかったが体裁を気にして自ら志願し台湾に行くことに。
    出撃ギリギリのところで終戦。家へと戻ると母親から「え?あんた生きてたの?」と驚かれたという。
    「あの時代はな、長男以外の子供はどうでもよかったんだよな…」と寂しそうに言ってたなぁ。
    111  不思議な名無しさん :2017年06月27日 14:02 ID:OyOURPij0*
    ※98
    こういう文章嫌い。
    口で話す分には構わないけど、読む文章としては不自然で気持ち悪い。
    なんで文章の終わりが「○○に」「○○を」「○○が」なの?
    せっかくの話が台無し。
    112  不思議な名無しさん :2017年06月28日 20:57 ID:Ysw2lRy.0*
    祖母が信貴山に疎開して大阪が火の海になってるのを見たって言ってたな
    113  不思議な名無しさん :2017年07月30日 14:43 ID:S5k5uzfR0*
    6 >> 自分の体験でもいいよ
    114  不思議な名無しさん :2017年08月16日 14:16 ID:Cq02T8Zd0*
    旧制中学で級長だった父は、奉安殿を守ってて、グラマンの機銃掃射にあったそうな。
    115  不思議な名無しさん :2017年09月17日 00:35 ID:bJID6zJE0*
    母方の祖父の話。
    戦時中はけっこう階級が上の陸軍軍人だったらしい。
    南方のどこかの島?で海軍と共同で攻略をする作戦があったらしいが、連携がうまくいかず、地上部隊の陸軍が全滅に近い状態になってからようやく海軍の飛行機がきたらしい。祖父を含めた残存兵は怒り狂って、下から日の丸の飛行機に向かって銃撃してやったと。さすがに飛行機は落ちなかったらしいが。

    あとは現地での食事のとき。敗戦濃厚で食料の支援が途絶えがちでも、なんとか飯ごうで炊飯してたらしいが、ある時に新参兵が飯ごうにこびりついた残り米をシャモジでガリガリとむさぼりついてたらしい。

    「帝国軍人がそんなさもしいことするなー!!」
    ってな感じで、祖父は新参兵を整列させて、そのシャモジを持ってビンタしてまわったらしい。でも直列不動のままシャモジビンタを受けた新参兵は、ほっぺたについた米粒をビンタを受けるたびに口に運んでたと。

    「あいつらもハラが減ってたんだなぁ・・」
    酔うと必ずこんな話をしてくれた亡き祖父。
    もっといろんな話をきけばよかった。

    116  不思議な名無しさん :2018年06月12日 01:06 ID:YjOGVBdp0*
    これは良スレ

    自分とこは身近な人がばっちゃん二人を除いて戦争経験した世代みんな亡くなってるし、親戚付き合いも残念ながらゴタゴタでないのであんまり聞いたことがない

    ただ母方のお婆ちゃんは、戦時中、まだ5.6歳だったし実家がそこそこ裕福かつ爆撃もあまりなかったようなとこに住んでたらしいので戦争に関する思い出があまりないらしい
    みんなのみてると如何にうちのお婆ちゃんが幸せだったかわかる
    117  不思議な名無しさん :2018年08月02日 02:45 ID:RpCX8Tno0*
    父からの又聞きだから詳細はよくわからないしチラッと聞いただけだから細かく覚えてないんだけど…父はなぜか戦争に行った人への尊敬と行かなかった人への軽蔑心が強かった。で、父方の祖父は疎開して戦争には行かず母方の祖父は戦争に行った。それゆえ母方の祖父に戦争の体験談を何度もせがんだらしい。

    母方の祖父は仲間と小屋みたいなところにたどり着いてやっと眠れたらしい。ところがふと目が覚めたら足音が微かに聞こえて、敵兵が近付いてきてると察したんだって。他の仲間も数人同じように目が覚めて足音に気付いたらしく、気付いたことに気付かれないようにまだ寝ている仲間を起こし小屋を出た。
    でも小屋を出れば足音が微かとはいえ聞こえる距離なわけで、敵兵が気付かないわけもなく…全速力で逃げる背後で銃弾に倒れる仲間の声が聞こえていたが助けに戻れば自分もヤられるから必死で走ったそうな。

    殺されるという恐怖と仲間を見捨てたという罪悪感で辛いばかりで思い出すことも苦痛だと、祖父はそれ以外の話をすることもなくもう何も聞かないでくれと言ったそうな。
    118  不思議な名無しさん :2018年08月03日 22:25 ID:Be.B9tPj0*
    死んだばっちゃの話。
    ばっちゃの実家は能登で、山を挟んだ向こう側が富山県。
    ある日、地震のような大きな山鳴りがして、空と山が真っ赤に染まっていた。
    翌日、沢山の富山の人達が山を超えて逃げてきて、富山大空襲のことを知ったそうだ。

    死んだじっちゃの話
    じっちゃは日本生まれのモンゴル系ハーフだったので、大陸渡って満蒙開拓団で通訳の仕事していた。
    ソ連侵攻で自分の居た満蒙開拓団は集団自決。じっちゃはモンゴルの方の親戚が助けて逃げることに成功。
    行商の親戚に匿ってもらいながら港へ行き、引揚船を待っていたが、眼の前で引揚船が沈没(ロシアに沈められた)
    それからは海岸線に沿って南下し、朝鮮半島の密入国者の漁船に乗せてもらって帰国。
    終戦から十二年経っていた。
    じっちゃは死ぬまでモンゴルの親戚に感謝していた。港で別れたきり、今は彼らが行きているのかもわからないそうだ。
    119  不思議な名無しさん :2018年08月07日 20:49 ID:FfunQwvH0*
    うちの爺さんは、視力が悪く乱視もあったので戦地に行かず疎開地の長野に横浜から疎開した。その爺さんの視力が悪いのと乱視をしっかりと受け継いでます。
    親戚筋も皆視力と乱視が乏しかったので戦地に行った話は聞かないです。
    120  不思議な名無しさん :2018年08月08日 01:36 ID:NJPuDf6v0*
    大好きな祖父が陸軍だった。 満州に行きその後ロシアに抑留されていた。 幸い、 帰国できたようだったがロシアの生活はとても悲惨だったそうだ。祖父の遺品整理の際、ライフルの弾痕が残ったヘルメットと水筒、 血液が沢山付着した軍服が出てきた。 戦後、 農地開墾で土地を得た祖父は文字通り死ぬほど働いて、 家族を養って癌でなくなった。 本当に涙が止まらなかった。 遺品を見るたびに優しかった祖父を思い出す。 戦争なんて二度と起こらないでほしい。 そう願うよ
    121  不思議な名無しさん :2018年08月08日 01:44 ID:NJPuDf6v0*
    上のコメントの続きなんだが、 戦時中は物資不足のため軍服などの軍用品を新兵にあてがう際は戦死者のものを渡していたそうだよ。 だからか、祖父も自分の血痕と他人の血痕の区別がつかないとか、このヘルメットの傷はもらった時からあったものだなんて冗談めかして言っていた。当時は仕方がなかったとはいえとても悲しいことだなって思うよ
    122  不思議な名無しさん :2018年08月10日 20:31 ID:DKue1.Dw0*
    祖母は初めの結婚相手が戦争で亡くなり、戦後祖父と再婚した
    私は戦争が無ければ生まれてない命なんだよな

    123  不思議な名無しさん :2018年08月10日 21:31 ID:OHlhtwIj0*
    日露戦争だけど、曽祖父は(おそらく)陸軍で、行軍中に
    ロシア兵とバッタリ遭遇し、こちらは弾切れだった。
    かと思いきや、ロシア側も弾切れで、双方とも撃てなかった。
    上官から「刺せ」と命令され、銃剣でロシア兵を刺したと。
    124  不思議な名無しさん :2018年08月11日 00:00 ID:tESijEur0*
    母方の祖父は学校の先生だったが、土地持ちで名家だったらしい。ぎりぎりまで出兵を免れていたが、いよいよという段になって検査を受けたら重度の痔持ちではねられたらしい。そんな事あるのかよと思ったが、お袋を含めて母方の四姉妹は揃って痔持ちなので、そういう事もあるのかなと思っている。
    父方の祖父は柔剣道の達人でめっぽう強く、軍隊でも活躍したが、蛸を食って死んだという謎の経歴しか伝え聞いていない。
    125  不思議な名無しさん :2018年08月11日 02:16 ID:ZRHFOSRY0*
    自分が30年前小学校一年の時、はだしのゲンで読んだ「焼夷弾」という
    新しく覚えた言葉を使って、おもちゃの飛行機で遊びながら
    「しょういだんだー!」と面白おかしく騒いでいたら、
    無口な祖母が険しい顔をして「やめなさい」
    「焼夷弾は恐ろしいものなんだよ」と言ったのが忘れられない。
    126  不思議な名無しさん :2018年08月16日 02:45 ID:.eHEsRg.0*
    俺の親父は沖縄生まれ。
    終戦当時8歳。親父の母は米軍の迫撃砲の犠牲になった。忘れ物を取りにガマに戻るところをやられたと
    大人たちに聞かされたらしい。親父は母の遺体に会わせてもらえなかったと言ってた。
    親父の居た村の大人たちは荒らくれ者が多く、ガマをあけ渡せと迫る日本軍に抵抗して追い返したと言ってた。 米軍に投降して移動してたら、米兵がサトウキビ畑を火炎放射器で焼いてた。すると、日本兵が火だるまになって出て来た所を米兵が撃ち殺してたらしい。戦後、盲腸になり米軍キャンプの軍医に
    麻酔無しで手術されたという壮絶な子供だった。
    艦砲で空いた穴の中に溜まった水溜りで遊んだり、
    海で手投げ弾を爆発させて魚を獲ったり、そんな話を聞いた。
    そんな親父、3週間前にガンで逝ってしまった。
    もっと話し聞きたかったけど、覚えてないって言われた。

    127  不思議な名無しさん :2018年08月31日 09:04 ID:DJj.EZR00*
    95歳の祖母は、終戦2ヶ月前の6月に実家のある大分県宇佐市で母を出産。
    出産3日後に空襲があり、母を連れて防空壕に避難したらしい。

    先日お盆に初めて聞きました。
    宇佐市には海軍航空隊があり、度々空襲があったそうです。

    128  不思議な名無しさん :2018年08月31日 09:28 ID:DJj.EZR00*
    父方祖父の話。
    フィリピンで捕虜になり、帰国後もマラリアの後遺症で苦しんでいた。

    戦後1970年後半に祖父が他界するまで、捕虜時代に知り合ったアメリカ人から、毎年ダンボールいっぱい缶詰等が送られてきた。
    どんな状況でも慈悲深い人間がいるものなんだと感銘を受けた。
    129  不思議な名無しさん :2018年09月25日 22:07 ID:bDp0ipMF0*
    祖父は整備兵と少年兵だったから戦場に行くことはなかった。
    祖母が亡くなる前に昔の話をしてもらった。愛知の三菱重工で女工として働いてたそうだ。同期(同級生って意味だと思う)が3人しかいなかったから「私けっこう優秀だったのよ」なんてふざけながら言ってたな。
    入社した年に中途で東條さんの息子さんが入社してきて部署に挨拶にきたよって言ってたな。
    「風立ちぬの世界じゃん」って孫的にはワクワクさせてもらった。俺の身内はこんなもんだな。

    曽祖父は大正時代の軍人で色々と写真出てきたけど、最前列に生首並べた集合写真はどういうシュチュエーションだったのか今となっては誰もわからない。
    130  不思議な名無しさん :2018年11月28日 22:48 ID:4EReO.EZ0*
    伯父は戦争当時、知覧で戦闘機を爆風から守る為に豪を作っていた。旧制中学1年の時だ。汗水垂らして豪を作っていた先にエンジン回す度に黒煙吐く隼戦闘機があり、それを心配そうに見ていた少尉がいた。やがて少尉は伯父に気づくと駆けてきた。自分の弟にそっくりだと。伯父は冷静に隼を見ると「少尉さんはあの飛行機で行くの?」
    と尋ねた。少尉は「ああ、あれで行く今は調子悪いが明日はきっと良くなる」と答えた。
    伯父は殴られると思ったが、あの飛行機で出撃は無理だと言った。連日高オクタンでキーンと突っ込んで来るグラマンと余りに違ったからだ。少尉は何も手出ししなかった。伯父は続けて「あの飛行機では敵に届かん。無駄死にだ」と言った。今度こそ殴られると思って身体を硬くしてると少尉は「俺もあの隼で敵に突入出来るとは思えない。しかし君達に落ちるであろう銃弾を一発でも多くこの身に吸収して死んで行くので無駄死にと言わんでくれ」と言いました。
    伯父は連日の特攻に疑問をもっていたので泣きながら死なないでと懇願すると「沢山の仲間が行った。俺だけ生き残る卑怯は出来ない、間もなく戦争は終わる。日本は負けるだろう。後はお前達、弟に託す」と言ったそうです。続けて明日明け方、飛ぶ飛行機があれば俺達だ。見送りに来てほしいとも---長くなるので省きますが、黎明時、排気管から青白い炎を出しながら飛ぶ隼を見送ったそうです。朝遂に少尉さんは発見出来なかった。伯父は一度しか知覧の特攻記念館にはいきませんでしたが5月の特攻隊編成写真を見て泣きながらこの人だったと思うと言いました。もうその伯父が亡くなって20年が経ちます。
    131  不思議な名無しさん :2019年01月20日 18:14 ID:lJ471XnI0*
    戦争経験者のお年寄りが戦争を否定も肯定もしたがらないのは、私達の為だと思うよ。
    本当は悔しい、けども悲惨だから。
    じいちゃんばあちゃんの話を聞いててそう感じた。
    132  不思議な名無しさん :2019年04月15日 01:48 ID:l5I.TIXx0*
    福岡空襲の話で。

    親戚(当時14歳 現在87歳)からきいたはなしでは、
    焼夷弾が落ちる音は、最初はハッチのあく音のあとに、
    豆を煎った時のパチパチって弾けてる時の音がして、
    次がものすごいどしゃ降りそっくりな音だったらしい。
    その次に、アニメや映画の件の音をたてて落ちてきて
    それらの音に、飛行機の飛ぶ音。
    空襲警報や家が燃える音や人の悲鳴が入り交じり…一言で言えば地獄だったとか。
    あと、対岸から空襲を見た祖父(当時18 現在92歳)の証言では
    博多らへんの空が燃えていて赤く、逆光で照らされたB-29が何機も見え
    上述のそれが、まるで花火があがってるような感じだったらしい。
    そして、明け方に祖父の住む地域にB-29は飛行機を軽くする為に焼夷弾を捨てていって、
    不発弾だったが、町営の畑に刺さって畑はあなだらけ。
    または、近所の豆腐屋の屋根に刺さって、豆腐屋の一家は遠巻きに、
    途方にくれて、焼夷弾の刺さった自宅を眺めていた…
    そして、住民の連絡を受けた軍がそれらを回収して
    住民は後片付けと床や屋根の修理で大変だったとか……
    133  不思議な名無しさん :2019年06月19日 12:32 ID:pA8sldvK0*
    満州帰りのじじい
    上官に気に入られて贅沢三昧 戦争が終わったら出兵した時より太ってたそうな
    横浜で猫捌いてる中国人見かけたって言って、死ぬまで中華は食べんかったな
    134  不思議な名無しさん :2019年07月27日 18:01 ID:UgEOwKzy0*
    父が浜松飛行学校戦技第一期卒業生だったと記憶しているバッチが残っている。父は爆撃機の背中にある銃座の担当だった。金塊やラウレル大統領を運んだと言っていた。役所で戦歴が判るとの事なので近い内に調べたいと思う。

     
     
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