3: 世界@名無史さん 2012/02/08(水) 23:19:36.96 0.net
王族と学者以外だとサッチャー、クリントン、メルケルがまず思い浮かぶ。
アメリカ初の女性大統領も歴史に名が残るんだろうね。
9: 世界@名無史さん 2012/02/08(水) 23:55:59.77 0.net
ヴィクトリア女王
イギリス史の上で最も重要な名前なんじゃない。
本人の業績が素晴らしかったというワケでもないだろうがw
ヴィクトリア_(イギリス女王)
ィクトリア(1819年5月24日 - 1901年1月22日)は、イギリス・ハノーヴァー朝の第6代女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日)、初代インド女帝(在位:1877年1月1日 - 1901年1月22日)。世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世はヴィクトリア朝と呼ばれる。在位は63年7か月にも及び、歴代イギリス国王の中でも最長である。
wiki-ヴィクトリア_(イギリス女王)-より引用
13: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 01:27:50.57 0.net
じゃ、聖母マリア。
14: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 02:18:47.16 0.net
セルマ・ラーゲルレーヴ
・本職は教師
・女性初のノーベル受賞者
・代表作「ニルスのふしぎな旅」は実は地理の教科書だった
セルマ・ラーゲルレーヴ
セルマ・ラーゲルレーヴ(1858年11月20日 - 1940年3月16日)は、スウェーデンの女性作家。
『ニルスのふしぎな旅[1]』(1906年・1907年)の著者で、1909年に女性初、スウェーデン人初となるノーベル文学賞を受賞したとして名高い。現行の20スウェーデン・クローナ紙幣には、表にラーゲルレーヴの肖像、裏にニルスが描かれている。
wiki-セルマ・ラーゲルレーヴ-より引用
23: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 18:24:34.96 0.net
ただ名前羅列しても仕方ないよ
その人物についてちゃんと語らなきゃ
25: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/02/09(木) 23:45:19.83 0.net
仰せの通り。>>23のようなレスが理想ですね。
ただ、私の場合は思い出したのが何故かヒュパティアでしたが、特別語れる
こともなく。申し訳ない。
24: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 21:04:17.40 0.net
ソル・フアナ・イネス(1651-1695年)
メキシコ200ペソ札の肖像に掲載されている女性。
プロでは無いが、現在詩集の邦訳が日本でも出版されているので、
メキシコで出生したスペイン語での最初の文芸作家と言えるかも知れない。
男装して大学に通い、それが禁止されると独学で様々な学問を学んだ。
相当な神童だったようで、十代前半でギリシア語、ラテン語、古代アステカ語をマスター
していた。
縁談が何度も破談し修道院に入った。誇張があるとしても、当時の肖像画が
残っていて、美人なので、頭が良すぎて美人なので敬遠された可能性がある。
肖像画の誇張が酷すぎ、現物とのギャップが大きくて破談となった可能性も
ゼロではないが、修道院でも独学で様々な学問に取り組み、4000冊以上の書籍を
もち、その書籍と研究道具を教会に取り上げられた一年後に死去しているので、
学問に生きがいを見出す女性だったようだ。
26: 世界@名無史さん 2012/02/10(金) 07:53:53.43 0.net
クレオパトラ7世フィロパトル(BC70-AD30)
マケドニアの血を引くギリシア人。
植民地内のさまざまな言語にも通じ、何か国語をも自在に話した。
プトレマイオス家の内部でも、エジプト語を話せたのは彼女一人だった。
一般に絶世の美女とされる。
有名な「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」
という言葉は、パスカルによるもの。
父のプトレマイオス12世の死後、自分(18歳)の弟プトレマイオス13世(10歳)と結婚し、
共同で王位に着くが、弟の摂政にアレキサンドリアを追われる。
その後、ポンペイウスを撃つためエジプトにやってきたカエサル(53歳)の愛人(21歳)になり、
その力を後ろ盾にしてエジプトの王座を手に入れる。
しかしカエサルは暗殺され、後継者争いを行うオクタビィアヌスとアントニウスのうち、
後者の誘惑に成功にするが、結局前者が争いに勝つため、最終的に自害。
https://ja.wikipedia.org/wiki/クレオパトラ7世
クレオパトラ7世 フィロパトル
27: 世界@名無史さん 2012/02/11(土) 01:33:15.02 0.net
>>26
(BC70-AD30) は誤記だと思うが、「実は生きていて100歳まで生きました」
という話かと思ってしまった。、
28: 世界@名無史さん 2012/02/11(土) 07:38:12.82 0.net
すいません。AD30じゃなくて、BC30ですね。
40: 世界@名無史さん 2012/02/17(金) 19:09:56.23 0.net
俺はフェミニストじゃないけど、子供向きの伝記で、いまだに「ヘレン・ケラー」「キュリー夫人」「ナイチンゲール」
「アンネ・フランク」」「マザー・テレサ」、つまり、社会福祉、看護婦、教師,、聖少女どまりなのに驚く
もう、21世紀の女子小学生たちには、武則天とかエカテリナ二世とかの女傑を教えてもいいのではないかと思う
ということで、俺のおすすめは
・ローザ・ルクセンブルグ・・・社会主義者だけど、優れた経済学者、革命家であったといいうことで・・むろん、彼女の限界も教える
・宋三姉妹
・ビンゲンのヒルデガルト ヨーロッパ最大の賢女
・女性数学者
・ソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカヤ 数学者
・三井殊法 三井高利の母 比類なき商才の持ち主であり、現在の三井家の基本を作った
・シャジャル・アッ・ドゥル
・アリエノール・ダキテーヌ
・ジンガ女王(現アンゴラ) 歴史こぼれ話みたいな本には、サディストで淫乱、変質者みたいなことが書いてあるが、
アンゴラの方では、「美しく気高い女王でポルトガルの侵略に一歩も引かず、抵抗した」と書かれているそうな
・平陽公主(唐の太宗の姉) 隋との戦いのとき、兵を集め、そのまま自分の軍隊とした
父より早く死んだそうだが、お父さんは、「恐れながら、婦人を将軍の礼で葬式した例はございません」というのを
「生きていたときは、将軍の礼をもってしたのに死んだときはしてはいけないなんてないはずだ」といって、将軍の礼で葬式を出したとか
・ヒュパティア 古代エジプトの数学者
・ハリエット・タブマン 元黒人奴隷で、北部へ逃げた後、「地下鉄道」の車掌として、多くの奴隷を逃亡させた
ま、タブマンについては、英語の勉強がてら、アメリカの児童向き伝記を読んだけど
自分が読みたいだけなんだが・・・誰かこの人たちの本格的な伝記を書いてくれ
57: 世界@名無史さん 2012/02/20(月) 22:37:01.25 0.net
イングランド王スティーブンの妃、マティルド・ド・ブーローニュ
イングランド王位を巡って戦う皇后モード(イングランド王ヘンリー2世の母ちゃん)一党の
捕虜となった夫を救出すべく、フランドルで募った傭兵を引き連れて、
自らイングランドに殴り込みをかける。
自身で指揮を執った攻城戦の末にモードの異母兄を捕虜にして夫と交換、見事救出する。
結局王位はプランタジネット朝に移ってしまうが、子孫がイングランド王妃になることで
復帰?を果たした。その子孫が、賢婦人で名高いフィリッパ・ド・エノー。
https://ja.wikipedia.org/wiki/マティルド・ド・ブローニュ
77: 世界@名無史さん 2013/01/05(土) 17:29:47.37 0.net
81: 世界@名無史さん 2013/09/14(土) 10:34:29.85 0.net
卑弥呼女王もおらんね
85: 世界@名無史さん 2013/10/06(日) 17:26:00.60 0.net
北魏の文成文明皇后(馮太后)は、近年中国でテレビドラマ化されて注目を集めたね。
則天武后に先んじて、中国で初の実質的な女帝だったという話。
唐の則天武后や清の西太后はその失政で知られているが、馮太后の場合は国内改革に
かなり成功してプラスに治績が評価されている。
112: 世界@名無史さん 2015/04/01(水) 10:39:43.85 0.net
世界史の教科書で一番記載量が多い女性は誰だろうか?
113: 世界@名無史さん 2015/04/01(水) 10:54:46.18 0.net
マリア・テレジアじゃねーかな
マリア・テレジア
マリア・テレジア / マリア・テレジア・ヴァルブルガ・アマリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ([717年5月13日 - 1780年11月29日)は、神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ベーメン女王(在位:1743年 - 1780年)で、ハプスブルク君主国の領袖である。
オーストリア系ハプスブルク家の男系の最後の君主であり、彼女の次代から、つまり子供たちの代からが正式に、夫の家名ロートリンゲン(ロレーヌ)との複合姓(二重姓)でハプスブルク=ロートリンゲン家となる。なお、マリア・テレジア本人が好んで使用した称号(サイン)は「Konigin(女王)」と「Kaiserin(皇后)」の頭文字を取った「K.K」であった。
wiki-マリア・テレジア-より引用
120: 世界@名無史さん 2015/05/02(土) 08:37:11.81 0.net
>>113
マリア・テレジアは教科書によっては載っていないぞ
武則天、エカチェリナ二世、エリザベス一世は載っているけど
116: 世界@名無史さん 2015/04/30(木) 05:17:42.89 0.net
32: 世界@名無史さん 2012/02/17(金) 12:59:32.86 0.net
女性の良い所は 感情的に豊かで相手の気持ちを理解できるみたいな感じなんじゃない?
だから、1人でも「女性の果たした歴史の役割が軽視されている」って主張していたら、周りの人間もニュータイプみたいに共感、一緒に連帯できてるんだとおもうよ~
まあ、俺みたいな糞男子の推理と予想だから、当たってるのか、外れているのかわからんがwww
男同士だと、1人の主張が正当だろうが、不当だろうが そこに金はあるのかとか、やりがいはとか自分の都合で動くきらいがあるからねw
引用元: ・歴史に名を残した女性達