1.Enheduanna
シュメール王女(現在の南イラクで生誕)である彼女は、父親と兄の政権下のもと、国の統治活動にも参加してましたが、それに加え女性で初めて当時では困難な讃美歌の編集を42も手掛けたんです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エンヘドゥアンナ
http://video.dailymail.co.uk/video/
2.Hatshepsut
”Hatshepsut” はトトメス3世の義理の母親として、20年以上ギリシャの政権を支えてきました。 その他、アフリカのヌビア、東スーダン、イスラエルに対して軍隊を送り込むなど、女性ながらも力強い役割を見事に果たしました。 クレオパトラの存在が偉大過ぎましたね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハトシェプスト

Hatshepsut 義理の息子トトメス3世(Thutmose)のエジプト統治を大きく支えた

Hatshepsut
3.Cartimandua of Brigantes
ローマ帝国時代に生き、英国ヨークシャー州など多くの地域を統治したCartimandua女王。自国の人々を守るためローマ人との癒着を重ねましたが、それは自国へ金を運ぶための戦略でした。
Cartimandua女王はブリガンテスの部族の末柄でしたが、ローマ帝国への吸収を試みたためその血統を存続することができました。 そして、度重なる反逆にも負けず、最後にはローマ帝国の王女へと上り詰めたのです。

Cartimanduaとローマ人との交流の模様
4.Empress Marilda
スコットランドとの外交を安定させるためだけに英国のヘンリー1世(Henry)結婚を強いられただけ英国マチルダ王女。内線が頻繁に勃発するも軍隊を送り込むその管理体制は見事なものでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/マティルダ_(神聖ローマ皇后)
5.Philippa of Hainnault
ウイリアム1世の娘で12歳で英国王子エドワード3世と婚約をしたフィリッパ王女。
後に14人の子供をもうけ、戦地で捕虜となったに夫の代わりに国に多大な貢献を果たしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フィリッパ・オブ・エノー
6.Mirabai
インとの聖人、作家、神秘主義者でヒンズーを教えとする王女ミラバイ。 精神的苦痛のもとは、夫シン(Singh)から政権を奪おうと、ミラバイを殺害しようとする親族達でした。 そして夫シンからの迫害にも耐えながらも数多くの著書を残したそうです。

インドのミラバイ。 命を何度も狙われながらも生き残った。 彼女の著書は多数ある。
7.Catherine Parr
もともとエリザベス1世のいわゆる教育係だったキャサリンは英国女性で初めて自分の名前をつづって、本を出版しました。一見、何でもないことですが、当時英国では女性が自分の名前を語って本を出版することは危険なことでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/キャサリン・パー
8.Elizabeth Cady Stanton
初期のアメリカで活躍したフェミニスト。 女性の権利を主張し、黒人奴隷解放運動を促した一人であります。そして男性と同等の権利を得るためのフェミニズム運動に初めて貢献した第一人者なのです。14、15世紀に男性のアフリカ系アメリカ人に投票権が与えられましたが、女性には長い間その権利は与えられませんでした。
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-pub-women5a.html
9.Rosa Luxemburg
ジューイッシュの家系に生まれ、女性では初めて社会主義を主張したまさに第一人者です。 ドイツで共産主義に入党しながらも、不可解な資本主義に真っ向から対立するかのように社会主義運動を広めました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ローザ・ルクセンブルク
10.Wangari Mathaai
第二次世界大戦中にケニアに生まれたワンガリは、誰よりも人権運動に貢献した女性の一人であります。” ペンは剣よりも強し! ”と女性をターゲットに教育助長を促すスカラシップ運動にも力を入れました。 その後は男女平等を訴える運動や、環境改善の運動にも政府を交えて参加し、母国ケニアに大きくその名を残しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ワンガリ・マータイ
素晴らしいヒロイン達ですね。色々な苦労があって、それがばねになって、原動力になっているのが如実に伝わってきます。
”行動しないと何も変わらない” 気の小さい私に大きな勇気を与えてくれたそんなヒロイン達に <ありがとう!>
[via:
dailymail]