2: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 20:41:11.404 ID:xDxYxmBD00202.net
ゲルマン人とはゲルマン系の言語を話す民族のこと
ローマ帝国の北側、主に今のドイツらへんを中心に住んでた人たち
昔からローマ帝国とは良く戦ってた
1世紀に初代皇帝アウグストゥスが送り込んだ軍団が
ゲルマン人の奇襲で全滅するという事件があってからローマはゲルマニアの征服を諦めて以降国境線で小競り合いが続いていた
緑がゲルマン人の地ゲルマニア
この地図には乗ってないけど北欧もゲルマン系の民族が住んでる
3: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 20:48:31.493 ID:xDxYxmBD00202.net
これが現在ゲルマン系の言語が話されているヨーロッパの国
英語もドイツ語も北欧もゲルマン系の言語
4: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 20:50:46.743 ID:xDxYxmBD00202.net
そしてローマ帝国が三世紀の危機と呼ばれる内乱の時代をなんとか乗り越えた時
すでに全盛期とは違ってローマはその長大な国境線を守り切ることが困難になっていた
少しでも領土を守りやすくするために国境線の少し奥に軍団をおいて複数の皇帝で領土を分割して統治する慣習ができた
しかも内乱の最中ローマの傭兵として使われることが多かったのは野蛮人と馬鹿にされていたゲルマン人で
以降ローマ軍の指揮官の中にもゲルマンの血を引く人物が多くなる
5: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:02:55.100 ID:xDxYxmBD00202.net
さて「東ゲルマン」と呼ばれるゲルマングループのそのまた一派にゴート族という民族がいた
伝承によればもともとスウェーデン南部(黄緑)に住んでいたというが真偽はよくわからない
とりあえずバルト海南岸(赤)にいたことがあるのは確実で豊かな土地を求めてローマ帝国の衰退期には
黒海北岸(オレンジ)の草原地帯に来てそこで独自の王国を築いていた
このゴート族が当方からのフン族やそのフン族に攻撃されたアラン族という騎馬民族に攻撃されたことが
「ゲルマン民族大移動」という名で知られる事件の始まりになった
8: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:11:24.594 ID:kBPCNm16K0202.net
ふむふむ
続けてどうぞ
9: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:12:52.642 ID:xDxYxmBD00202.net
フン族に攻撃されたゴート王国では国王のエルマナリック(伝説によれば100歳以上!)が自殺
フン族の従属民として支配される「東ゴート族」が出現した一方で
「西ゴート族」はローマ帝国内への亡命を求めた
当時の東ローマ皇帝ヴァレンスはゴート人を農地開拓に当たらせたり兵士として利用するつもりでそれを認めた
ところが実際にローマ帝国領に入ってきたゴート族は予定の量よりもずっと多かったのである
10: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:13:49.475 ID:Jo0OqAqr00202.net
中世末期あたりまでシリーズ化してほしい
11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:13:51.073 ID:7S9gS6Ve00202.net
現代進行形でおなじ失敗をしてるド何とかって国があるらしい
12: ぺろぺろ紳士 ◆p51RVEp752 2016/02/02(火) 21:17:36.309 ID:BjukGTcY00202.net
ローマ帝国のころはヨーロッパというよりは地中海世界と呼んだほうがよろしいとちゃいますのん?
ヨーロッパ(西ヨーロッパ)の成立はカールの戴冠からだろ?
16: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:21:40.471 ID:xDxYxmBD00202.net
>>12
せやね
地中海世界の力が今の地理的西ヨーロッパに及ばなくなりそこから新しいヨーロッパないし西欧という世界が出現するという趣旨
22: ぺろぺろ紳士 ◆p51RVEp752 2016/02/02(火) 21:35:17.824 ID:BjukGTcY00202.net
>>16
なるほどね。
支援。
15: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:20:20.052 ID:xDxYxmBD00202.net
ゴート族の大群を持て余した東ローマではゴート族の武装解除も進まず土地も割り当てず放置する有様
しかも食料の配給も追いつかなくなりローマの役人に搾取されていたゴート族はブチ切れて各地を略奪し始めた
ヴァレンスはそれを見て「蛮族とか楽勝だろw」といって自ら討伐に出かけていった
そして「アドリアーノプルの戦い」でゴート族の大群と衝突するが惨敗し負傷して近くの民家に担ぎ込まれた皇帝はその家ごと焼き殺された
ゴート族はウクライナの平原で暮らすうちに騎馬の運用法を学びそれが歩兵主体のローマ軍を破ったのである
19: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:29:19.310 ID:xDxYxmBD00202.net
アドリアーノプルの戦いは378年ね
東の皇帝の戦死を見て西のローマ皇帝グラティアヌスは慌てた
そして事態を収集するためにテオドシウスという将軍を東の皇帝に任命して送り込んだ
テオドシウスはゴート族に正面から立ち向かうことをさけ「ローマ帝国の同盟部族」として懐柔した
ゴート族はテオドシウスの元ではおとなしくしていて
なんやかんやあって西の皇帝位が簒奪され
テオドシウスが簒奪者を倒すときに協力までしていた
最後の統一ローマ皇帝テオドシウス
ちなみに彼の時代にローマ帝国ではキリスト教以外の宗教が禁止された
28: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:46:43.332 ID:nkwqhyob00202.net
>>19
何で時代が下るごとにコインの肖像画がしょぼくなってくの?
29: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:47:46.101 ID:xDxYxmBD00202.net
>>28
そりゃおめえ鋳造能力が下がってるからよ
30: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:48:23.081 ID:7S9gS6Ve00202.net
>>28
3世紀の危機や寒冷期の人口減少でローマの国力が衰退してたから
国が衰退すると技術や芸術を金で買ってくれる人もいなくなるから技術や芸術は衰退する
23: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:35:37.819 ID:xDxYxmBD00202.net
テオドシウスが395年に死亡すると遺言によってローマ帝国は再び東西に分割され以降二度と元に戻ることはなかった
しかも彼の二人の息子はいずれも無能かつ政治的に無気力でここから皇帝が戦場に立つことは少なくなっていく
この時代の帝国の実権は摂政が握るようになっていった
東の皇帝アルカディウス
西の皇帝ホノリウス
二人共無能、っていうかほとんど何もしない
24: ぺろぺろ紳士 ◆p51RVEp752 2016/02/02(火) 21:39:39.656 ID:BjukGTcY00202.net
ローマ帝国って東ローマ帝国を含めたら滅茶苦茶長いね。
昔から気になってた。
25: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:43:59.536 ID:xDxYxmBD00202.net
テオドシウスという偉大な皇帝が死んだことで西ゴート族はまたよりよい土地を求めて略奪に動き出す
東ローマ皇帝は領土を荒らされたくないので西ローマとの国境であるイリュリクムをアラリックに差し出した
要はこれ「うちじゃなくて西ローマを略奪してよ」と言っているようなものである
この時代の西ゴート族に王として選ばれたのがアラリックでテオドシウス存命中は帝国のために戦っていた
しかもゴート族が移動するきっかけになったフン族もこの頃から東ローマ領を攻撃するようになって
東ローマ帝国は勝てそうにもないのでひたすらお金を払って平和を買っていた
27: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:45:17.003 ID:7S9gS6Ve00202.net
アラリックとライバルのスティリコ好き
31: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:49:40.627 ID:k7OyU4HM00202.net
アレキサンドリアのヘロン好き
32: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 21:53:16.356 ID:xDxYxmBD00202.net
西ローマの摂政だったのはスティリコという人物だった
彼はテオドシウスの右腕で有能な軍人で皇帝ホノリウスの義父というエリートだったが、
父親はヴァンダル族というゲルマン人の出自であるがゆえにローマ内に敵も多かった
一説によれば東ローマ政府はスティリコがこれ以上権力を拡大して
東政府が乗っ取られることを警戒してアラリックを送り込んだとも言われている
スティリコと家族
36: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:57:53.931 ID:s2/QH5CM00202.net
ローマ帝国の人口は1世紀から2世紀のかなり早くから少なくなってね?
38: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 22:00:40.993 ID:cHaN1P3u0.net
>>36
人口ピークは二世紀の150年~160年あたりと言われてる
37: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 21:58:33.953 ID:nkwqhyob00202.net
ビザンツ帝国はローマ帝国をずっと存続させてたけど、古代の水道とかインフラとかの文明レベルは保ってたの?
39: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 22:01:41.966 ID:kBPCNm16K.net
なんでまた遺言で2つに分けちゃったの?
せっかく統一したのに…
息子2人いたから?デカすぎたから?
45: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 22:05:31.254 ID:xDxYxmBD0.net
>>37
しばらくは維持してたけどだんだん変化・衰えていったという感じだったと思う
7・8世紀くらいまではかなりローマ的なシステムが残ってたんじゃないかな?
>>39
デカすぎて敵が攻めてきた時や反乱が起きた時に一人の皇帝ではすぐに対応しきれなかったからだろうね
この慣行は三世紀の危機を収束させたディオクレティアヌスの時から始まっていて
テオドシウスも成り行きで一人で権力を握った時期があったような感じ
49: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 22:10:42.042 ID:kBPCNm16K.net
>>45
流れで1つになったけどやっぱ元に戻すわみたいな感じすね
さんくす
40: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 22:01:58.988 ID:xDxYxmBD0.net
イタリアを狙っているアラリックに対応するためにスティリコはガリア(現フランス)の軍勢を連れて行かざるを得なかった
スティリコはアラリックを二度にわたって散々に打ち破りその家族まで捕虜にしたが荒リックはくじけず再起の機会を伺っていた
さらにアラリック侵入に便乗して他のゲルマン部族をごたまぜにしたラダガイススという人物が攻撃してくるがこれも全滅させる
しかしフランスではローマと同盟していたフランク族がガリア防衛を期待されていたものの
アラン人やヴァンダル人、スエビ人らの大群に押されてローマ領への侵入・略奪を許してしまっていた
50: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 22:10:43.024 ID:xDxYxmBD0.net
そして408年、西ローマ皇帝ホノリウスは周りの
「蛮族って怖くね?スティリコはほんとにやる気あるの?アラリックと内通してね?反乱起こそうとしてね?」という声に流されて
それまで大活躍してきたスティリコを処刑してしまう
ゲルマン人ハーフであるスティリコには政治的な敵が多かったのだ
これに激おこした一部のゲルマン系の軍団兵は脱走して本当にアラリックの軍団に加わってしまう
58: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 22:17:35.705 ID:vFC5KOG20.net
ゴートシミュレータのせいでゴート族って聞くとヤギ人かと思っちゃう
59: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 22:20:52.832 ID:xDxYxmBD0.net
スティリコがいなくなったことでアラリックは自由にイタリア半島を荒らし回り410年ついにローマ市が陥落する
ローマ市はアラリックの支持によって三日間略奪された
この時ホノリウスの妹のガッラ・プラキディアも西ゴート軍の捕虜となる
ちなみにホノリウスはラヴェンナという鉄壁の都市に引きこもっていて何の対応も講じなかった
もうとっくに首都じゃなくなっていたとはいえローマが数百年ぶりに「蛮族」の手に落ちたことは衝撃で
ローマが略奪されたのは先祖伝来の神々を捨ててキリストを拝んだからだとか
逆にローマ市民がキリストを信じなかったからだとかいう論争も起きた
それに対して北アフリカの司教だったアウグスティヌスが「地上の国ではなく天上の神の国を信じなさい」と書いたのが『神の国』という本
61: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 22:30:25.177 ID:xDxYxmBD0.net
その後アラリックはイタリア半島のつま先までいってもっと豊かだというカルタゴに渡る計画を立てていたが
前からかかっていた流行病でまもなく病没した
天罰だーと騒がれたのは言うまでもない
アラリックの後に王に推戴されたのは義弟のアタウルフである
彼はアフリカ行きを取りやめフランス南部にルートを変えた
捕虜にしたローマ皇帝の娘ガッラ・プラキディアと結婚したあげくしかもこんな面白いことをいっている
「最初私はローマ帝国を征服してゴート帝国に作り変えてやろうと思っていた。
だがローマ人の法で統治された世界とゴート人の野蛮さを見て考えを変えた。私は今やローマの破壊者ではなく再建者として後世に知られることを望む(要約)」
アタウルフの像
62: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 22:39:04.348 ID:xDxYxmBD0.net
しかしアタウルフの野望は実現されなかった
皇帝ホノリウスと和解しかつてのようにローマの同盟部族として西ゴート族を認めさせようとしたもののガッラ・プラキディアの引き渡しを拒んだため和睦は成立しなかった
しかもガッラ・プラキディアとの間に生まれてテオドシウスと名付けられた息子は生後数日で死んだ
アタウルフ自身も415年に暗殺されて次の王となったワリアがガッラ・プラキディアを送り返すことで西ゴート族はようやくローマと和解する
64: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 22:47:06.447 ID:UjsfOZwM0.net
うーん物凄く面白い
わかりやすいし
67: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:02:19.494 ID:xDxYxmBD0.net
>>64
およそヨーロッパの人や民族と思えない変な名前ばっかりで面白いよね
65: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 22:54:08.515 ID:xDxYxmBD0.net
ガッラ・プラキディアはその後ローマの将軍と結婚して二人の子供を儲ける
ガッラ・プラキディアと息子ウァレンティニアヌス三世と娘ホノリア
さてスティリコがガリアから軍を引き抜いたことでローマ領に入り込んでいたスエビ、ヴァンダル、アランの諸民族はそのままローマ領奥地へ突き進み
この頃にはヒスパニア(元スペイン・ポルトガル)の西端まで到達してローマ領を不法占拠していた
そして今やローマから正式に土地の領有を認められたワリアの西ゴート族はこれまた「ローマ皇帝からの依頼で」正式にヒスパニアを蛮族を討伐する権利を得る
濃い赤が西ゴートが領有を認められた地域
黄色がヴァンダル(アンダルシアという地名の語源
茶がアラン
緑がスエビ
ちなみに民族学的なことをいうとヴァンダル人は確かにゲルマン民族の一派だがアラン人はペルシア系の遊牧民で
スエビ人はゲルマン系といわれているがケルト系という説もあるいろんな民族の混成集団という説もある
「ゲルマン民族」大移動というが実際にはゲルマン人以外も大移動していたんだね
66: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:01:13.340 ID:xDxYxmBD0.net
西ゴート族はアラン人とヴァンダル人を攻撃してヒスパニアの大部分を占領する
ローマ帝国の中に皇帝の宗主権を認めながらも独自の王をいただく巨大な蛮族の王国が誕生したのである
アラン人はヴァンダル人と合流し、ヴァンダル人は海を渡って逃げてローマ領アフリカを占拠して王国を立てた
これがヴァンダル王国
スエビ族も後に西ゴート王国に併合される
68: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:02:22.375 ID:PAGCiB+q0.net
なんかもう美術史しか興味ない
69: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:04:21.901 ID:ELODFbW9M.net
ゲルマンゲルマン言うけどさ、東ヨーロッパってスラブ系だよな。
スラブ人て何者?
71: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:06:54.134 ID:xDxYxmBD0.net
>>69
スラヴ人の登場までいけたらいいんだけどなー
とりあえず簡単に言うとこの時代は多分ハンガリーの北あたりにひっそり原スラヴ人がいてゲルマン人やフン人が通り過ぎていったあとに四方に広がりだした民族
この頃ローマ人にはほぼ認識されていない=文献がないので詳細不明
73: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:11:47.459 ID:xDxYxmBD0.net
さて西ゴート族がひとまず落ち着いたところで話をローマに戻すとあの無能なホノリウスは423年に死去しゴタゴタがあったあと、
あのガッラ・プラキディアの息子のウァレンティニアヌス三世が西ローマ皇帝に即位する
しかし実権を握っていたのは将軍のアエティウスだった
この頃フン族が西ローマとも国境を接するほど勢力を拡大しててローマはこの新たな敵と戦わなければならなかった
アエティウス
78: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:20:59.332 ID:PAGCiB+q0.net
>>73
ああ…美術の暗黒時代に突入してしまった
酷いレリーフだ
76: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:20:10.598 ID:xDxYxmBD0.net
そもそもフン族とはなにか?
その身体的特徴からアジア系の騎馬民族ということはわかるがいろんな説があってよくわかんないです
とりあえずフン族は他のゲルマン民族に対しては圧倒的優位に立っていて多くのゲルマン民族はその支配下にあった
多分スラヴ人の一部も服属していた
一方でローマ内のゲルマン人と同じようにフン族の中にもローマ領で兵士として雇われている者もいたみたい
いずれにせよフン族もゲルマン人並みに権力闘争や離散集合を繰り返していたのだがこの頃アッティラという一人の王が全フン人とゲルマン人の上に君臨していたことで巨大なフン帝国ができる
アッティラのフン帝国
79: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:24:44.767 ID:zFwdNBXlK.net
フン族の言語はゴート族のそれに近いんだよな
勿論クレオール化の結果としてだが
80: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:26:14.895 ID:xDxYxmBD0.net
>>79
フン帝国は人口比で言えば圧倒的多数のゲルマン人を軍事的に優位なフン人が統治するって体制だったみたいね
82: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:28:39.305 ID:xDxYxmBD0.net
アッティラはその強大な勢力にものを言わせて東ローマ帝国から金をむしり取っていた
それに飽きたらず西ローマに目をつけたわけだがそれを呼び込んだのが皇帝の妹のホノリアだった
この女は政略結婚が嫌でなんとアッティラと結婚して自分が権力を握ろうと考えフン王の宮殿に使者を出したのである
当然皇帝は許さずホノリアは軟禁されたがアッティラは持参金として西ローマ帝国の半分を要求してガリアへ攻め入った
アッティラ
88: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:37:54.537 ID:xDxYxmBD0.net
東ゴート族を始め配下のゲルマン人らを引き連れてガリアに進軍したアッティラだったが、城壁に囲まれたオルレアンを落とすのに手間取っているうちにアエティウスに時間を与えてしまった
ローマ軍だけの力では勝てないと見たアエティウスは西ゴート族を始めブルグント族やフランク族、おそらくサクソン族などフン人に反抗的な周辺のゲルマン部族と同盟を結び軍を集める
アエティウスの軍が迫るのを見て退却しようとしたアッティラは今の北仏のどこかで捕捉されこうしてこの時代の最大の戦闘カタラウヌムの戦いが起きる
89: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:41:04.342 ID:r69TDpOJK.net
中世って誰からだろう?
ウィリアム征服王は中世な気がする。
91: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:44:58.434 ID:4ZYI4B550.net
>>89
ちょうど今話題になってるアッティラが契機で良いと思う
狭義だと暗黒時代=ゲルマン民族大移動からだから
93: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:51:17.742 ID:JWAVMYUO0.net
>>89
封建制とか農奴制への移行ってところで考えると恩貸地制とかコロナトゥスの普及からかもしれない
90: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:44:24.567 ID:xDxYxmBD0.net
アッティラは占いによって「戦いには負けるが敵の指揮官は死ぬ」というお告げを受けて開戦に踏み切ったらしい
だが激戦の末に死んだのは落馬して踏み潰された西ゴート王テオドリック一世でアエティウスは死ななかった
テオドリック一世はあのアラリックの息子で、ローマを略奪した男の息子がローマ帝国のための戦いで死んだことになる
敗北して立てこもったフン族を西ゴートの王子が追撃しようとしたがアエティウスはゴート族が強大になりすぎるのを警戒して、「他のものに王位を奪われないうちに国に帰るべきだ」と説いて帰還させた
94: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:52:33.071 ID:xDxYxmBD0.net
この後追撃を受けなかったおかげで帰還できたアッティラはカタラウヌムの翌年452年には態勢を整えて今度はイタリアへ攻め込んだ
そして北イタリアを荒らしたあとローマ市にも攻め込もうかという時になって突然軍を返してそれ以上手出しをしなかった
ローマの司教(教皇)レオ一世がアッティラと会見した時聖人の幻がばばーんと奇跡が起きてそれにビビったアッティラが侵攻を取りやめたという伝説があるが、
実際は疫病が流行っていたことと東ローマ軍がこの時になってやっとアッティラの背後を突こうと動いていたかららしい
いずれにせよアッティラはイタリア戦役でも成果を出せず帰還して453年ある女との婚礼の翌朝鼻から大量に血を流して死んでいるのが発見された
96: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/02(火) 23:56:20.268 ID:xDxYxmBD0.net
このあとフン帝国はアッティラの後継者争いであっという間に崩壊
フン族の脅威は消えて支配下だった東ゴート族を始めゲルマン人たちが独立を果たす
皮肉な話だがアッティラが生きている間だけフン帝国が強力にまとまっていたために、アッティラは蛮族の権化のようにゲルマン人たちの間で伝説的に語られることになった
97: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/02(火) 23:57:25.924 ID:zFwdNBXlK.net
古今の騎馬民族の王侯は非外傷性出血死するやつがすごく多い
アルコールの取り過ぎだと思われる
100: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:05:03.645 ID:9BeDBzKv0.net
アッティラが死んだことで用済みになったこととイタリア侵攻を防げなかったことでアエティウスは皇帝ウァレンティニアヌス三世自らの手に粛清され
今度はその皇帝がアエティウスの部下によって殺害されるという事件が454年と455年に立て続けに起こり
西ローマの実権を握ったのはリキメルという西ゴート出身の男で以降皇帝リキメルの都合の良い人物に取っ替え引っ替えされて操り人形でしかなくなっていく
その流れで登場し権力を握ったゲルマン人オドアケルが最終的に新しく皇帝を立てることをやめた時が476年の「西ローマ帝国の滅亡」と呼ばれる年になる
102: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 00:07:04.245 ID:5hReqHNp0.net
フン族は結局まだどこから派生して最終的にどうなったのか分かってなくて海の民とかみたいな浪漫がある
103: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 00:14:01.766 ID:0y5Fti2f0.net
ルインベルク2分で主力HT全滅して壊滅とか何が起きたのかわからなすぎる
104: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:17:14.181 ID:9BeDBzKv0.net
オドアケルは新しく皇帝を立てることはしないで東ローマ皇帝に宗主権を返した上で西ゴート王国のようにイタリアを自分が支配する王国とした正式にその地位を認められようとしていた
東ローマ皇帝は一端それを承認したもののやはり疎ましく思うようになる
そしてアッティラの死後独立した東ゴート族をイタリア半島に厄介払いするために、東ゴート王テオドリックを送り込んだ
このテオドリックは数年かけてオドアケルを倒したあとイタリアに東ゴート王国を築く
そして30年以上イタリアに平和な時代をもたらして大王と呼ばれて中世のドイツではディートリッヒ・フォン・ベルンと知られることになる
中世的騎士として理想化されたテオドリック大王
109: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 00:21:41.515 ID:YeflRtfr0.net
ほんと大体の流れしか覚えらんねえんだよ
個人名とかマジムリ
おまえもあれだろ手元かwikiか見ながら書いてるだろ
111: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:23:08.495 ID:9BeDBzKv0.net
>>109
年号が覚えられんから年表は見てる
あとはメモ
114: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:26:52.682 ID:9BeDBzKv0.net
あとこの時代のことはwikipediaには結構乗ってない
英語版は別だが
115: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:32:22.024 ID:9BeDBzKv0.net
さて西ローマが転げ落ちていった時期北フランスはアエティウスらの活躍によって蛮族の征服から免れていた
地図の北の青い飛び地に注目
ここでは現地の軍司令官の息子シャグリウスが「ローマ人の王」と呼ばれ独立統治を続けていた
ここに目を付けたのがかつてはローマの同盟軍として戦ったフランク族の王クロヴィス
486年にソワソンの戦いでシャグリウスを滅ぼすと西ゴート王国に戦いを挑み国王アラリック二世を敗死させてさらにブルグント王国も滅ぼしてフランスの大部分を征服した
これがメロヴィング朝フランク王国である
116: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:42:30.295 ID:9BeDBzKv0.net
そろそろ重要なことを書いとくか
今まで読んでるとローマ帝国のうち蛮族に支配された土地は根こそぎ蛮族の地に変わってしまったと思うかもしれないけど実態は全然そうではなかった
多くても西ゴート族とかヴァンダル族とか書いてる集団は多くても10万人足らずで彼らが支配した土地には数百万単位でローマ系の住人がいたんだ
当然そんな大量の住人を追い出せるわけがない
かといって現地住人とゲルマン人が急速に同化したかというとそうでもなくて
宗教や文化の違いのせいでかなりゆっくりとしか同化は進まなかった
たとえば西ゴート王国では属人法といってローマ系住人にはローマ法が、ゴート人にはゴート族先祖伝来の法律が適用されてた
しかも宗教はローマ人はカトリックだったけどゴート族はアリウス派という異端のキリスト教でなかなか溝は埋まらなかった
でも589年にアリウス派は放棄されてゴート語も姿を消してゴート人は数百年かけて今のスペイン人と見分けがつかなくなっていく
117: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 00:44:46.877 ID:0y5Fti2f0.net
古代ローマ人はほろんだとか言われてるが普通に混血して今の欧州人の祖先だよな?
118: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:46:38.420 ID:9BeDBzKv0.net
>>117
yes
侵入してきたゲルマン人はせいぜい数万単位だったので圧倒的多数のラテン系民族を置き換えることなど不可能
121: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 00:53:14.359 ID:0y5Fti2f0.net
>>118
だよなぁ?なんか昔の漢民族はほろんだとかギリシャ人は~ローマ人は~っていう奴多くてな
119: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 00:47:55.987 ID:5hReqHNp0.net
つーか言語的にも圧倒的にローマ要素のが濃いよな今の南ヨーロッパ人も
122: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 00:55:10.391 ID:9BeDBzKv0.net
>>119
一言で言うとやっぱり「都会」なところに住み着くとゲルマン人の文化が入り込む余地はほとんどないのよね
イタリアっていうのは当然首都ローマがある国で圧倒的先進地帯だったから
そこの住人を統治しようと思うと新参のゲルマン人の方が合わせざるを得ない
東ゴート王国を築いたテオドリック大王もゴート人にはゴート王として振舞っていたけど
ローマ系住人には東ローマ皇帝から委託を受けたローマ人の支配者として振舞っていて
元老院などの統治機構もそのまま残してローマ人の役人の手を借りながら統治していた
123: 死姉ちゃん ◆Dluid9NitI 2016/02/03(水) 00:56:41.351 ID:+9yT/3vF0.net
ラテーヌ文化の精神で行こう
124: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:03:07.282 ID:5hReqHNp0.net
ラテーヌといえばガリア人についても日本語で手っ取り早い書籍とかないよね
塩婆が書いてくれると思ってたのにギリシャ方面に行きやがった
129: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:20:11.226 ID:+P7ObT5N0.net
>>124
ケルト史の一部としてガリアも語られてる系のならそこそこ
「ケルト歴史地図」「ケルト事典」「ケルト人の歴史と文化」「ケルト人―古代ヨーロッパ先住民族」がわりとよかった記憶
137: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:30:24.714 ID:5hReqHNp0.net
>>129
さんきゅー買ってみる
125: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:05:32.689 ID:9BeDBzKv0.net
さてそろそろ締めに入ると東ローマ帝国にユスティニアヌス(483~565)という皇帝が登場する
この皇帝は「ローマ帝国の栄光を取り戻そう!」とか言い出して各地に軍を送り出す
西ローマ皇帝の消滅後蛮族の王国はことごとく東ローマの宗主権を認めていたにも関わらず
王位継承問題に干渉するスタイルで介入していくんだね
そして天才的な将軍ベリサリウスという人物がいたおかげで東ゴート王国とヴァンダル王国を滅ぼして
西ゴート王国からも沿岸地域を奪い一時的にだが地中海帝国としてのローマを再興させる
緑がユスティニアヌス時代に獲得した土地
しかしイタリアでは東ゴート王国の征服に何十年もかけたためせっかく繁栄を取り戻しかけていた土地はすっかり荒れ果ててしまった
しかもユスティニアヌスの死後新たな蛮族「ランゴバルド族」がイタリアに侵入してきてすぐに失ってしまう
127: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:14:36.900 ID:9BeDBzKv0.net
旧西ローマ領には主要な国家として西ゴート王国とフランク王国、ランゴバルド王国が残ったわけだけど
ユスティニアヌスが死んだあと遠くアラビア半島でムハンマドが生まれていた
そしてこのムハンマドが創ったイスラムという宗教を報じる辺境の砂漠の「蛮族」がゲルマン人以上の速度で広がり始める
ローマ帝国のライバルだったササン朝ペルシア帝国はあっという間に滅亡
ビザンツ帝国もアジア側とエジプト・アフリカを領土を取られて大幅に領土縮小
のみならずアフリカを制覇したムスリムはそのままジブラルタル海峡を渡ってきて西ゴート王国まで滅ぼす
この時生き残った西ゴートの貴族ペラヨが山岳地帯に逃れて長い長いレコンキスタが始まる
128: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:17:35.619 ID:9BeDBzKv0.net
そして生き残ったフランク王国の宰相カール・マルテルがイスラム軍をトゥール・ポワティエの戦いで破り
その孫のカール大帝がイタリアのランゴバルド王国を征服して中世ヨーロッパが本格的に始まるのでした
130: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:21:08.821 ID:9BeDBzKv0.net
後半の話とか宗教の話とかもっと詳しくやりたかったかったけど体力が尽きてきた
ある程度書き溜めしてまたいつか立てようかな
ここらへんもうちょい詳しくってところがあったらなんか適当に書くけど
131: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:23:04.658 ID:E5TH8YJE0.net
高校の世界史だと完全に中世=暗黒時代ってイメージしか教えないけどそうでもないのな
133: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:24:54.598 ID:9BeDBzKv0.net
>>131
ぶっちゃけここが一番混沌とした時代だからな
でもゲルマン人が一方的に野蛮人でそれに対してローマ人は偉い!とか単純な話じゃないのがわかってもらえたら良かったと思う
135: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:29:45.914 ID:0y5Fti2f0.net
>>131
古い歴史観なんだよねそれ未だに日本はそれを信奉してるっていう
まとめでやたら中世やキリスト教は悪って喚く奴がいるせいで調べもせずそれ鵜呑みにする奴が増えるっていう負の循環が起きてる
134: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:29:45.329 ID:9BeDBzKv0.net
書きそこねたけどアエティウスにもゲルマン人の血が流れてる上に彼は若い頃ゴート王国とフン族のところに人質として預けられていてアッティラとも親交があった
アエティウスがローマで権力を握れたのもフン族をその時のツテで傭兵として使えたからだし敵味方が恐ろしいほど入れ替わる
138: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:30:52.358 ID:GozG3U7M0.net
このスレ面白いな
また次に個別の面白そうな話でやる夫スレで立ててくれ
139: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:31:53.359 ID:9BeDBzKv0.net
>>138
やる夫ってそんなに読んだことないから使い方がよくわからんのよね
142: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:39:11.230 ID:9BeDBzKv0.net
キリスト教の話もちょっとはしとかないとな
キリスト教は三世紀の危機でローマが内乱で殺し合ってる時代に大きく普及した
特に各都市に司教座が出現して内乱や異民族の侵入とかでローマの行政機関が衰退していく中で
都市民の命を守ろうとしたのはキリスト教の司教座だった
このスレでもアッティラが攻め込んできた時にローマ司教のレオ一世が交渉に当たって撤退させたって伝説があることは述べたが
彼はヴァンダル族が海からローマに攻めてきた際にも折衝に当たってる
他にもランゴバルド族がローマに攻めてきた時にローマ市を守ったのは大教皇と呼ばれるグレゴリウス一世だったり
アラリックがローマを略奪した時に教会だけは手がつけられなかったり
皇帝が無能な中で都市の求心力がキリスト教会に集まっていたのは確かだといえると思う
144: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:43:14.258 ID:9BeDBzKv0.net
でも当時はキリスト教だけじゃなくてローマの多神教とか新プラトン主義とかマニ教とかグノーシス主義とかあったし
キリスト教一つにせよいろんな宗派があってゴート族に伝わったのは異端とされるアリウス派だった
当時はヴァレンス帝もアリウス派だったくらいで特別めちゃくちゃ異端だったって訳じゃないんだけど西ローマ帝国に広まってたのはカトリックだったんだよね
それでゲルマン人とローマ人の間で確執があって同化が進まない一因になった
そんな中でいち早くローマ系現地住民と同じ信仰を受け入れたのがフランク王国のクロヴィスなわけで
次代の主役がフランク王国に移るのもこれに一因があると言える
145: 死姉ちゃん ◆Dluid9NitI 2016/02/03(水) 01:47:24.382 ID:+9yT/3vF0.net
三位一体きらい
147: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:49:08.873 ID:9BeDBzKv0.net
>>145
アリウス派かよ!
149: 死姉ちゃん ◆Dluid9NitI 2016/02/03(水) 01:52:01.567 ID:+9yT/3vF0.net
>>147
だって意味わからないんだもん 主に聖霊
やっぱりグノーシス主義が最高や
146: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:48:55.658 ID:9BeDBzKv0.net
あとローマの属州であるブリテン島の話もしそこねたがこれもまた今度やりたいなー
ざっくり言うとブリテン島は他の属州と違ってローマ化の程度が低かったために
この島だけはローマ人とゲルマン人の融合じゃなくてちょっとだけローマの文化を持ったブリトン人と
ゲルマン系のアングロサクソンの対決になるという面白い過程をたどる
151: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:57:26.490 ID:5hReqHNp0.net
>>146
ローマから入ってきたキリスト教とケルト人の指導者と赤枝騎士団が合わさりアーサー王に見える
148: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:51:59.037 ID:5hReqHNp0.net
ネストリウス派かもしれん
150: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 01:57:00.850 ID:0y5Fti2f0.net
アリウス派の蛮族は処刑な
152: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 01:59:36.001 ID:9BeDBzKv0.net
アタナシウス派「三位一体!神と子と精霊はそれぞれ独立しつつ一つの神!」
アタナシウス派のカトリック「ローマ司教は教皇で一番偉いんだからぞ」
アタナシウス派の東方正教会「いや聖職者より皇帝の方が偉いから」
アリウス派「イエスはすごいけどやっぱり神=父の方の被造物でその下だろ」
ネストリス派「マリアを神の母って呼ぶのやめよ?イエスも生まれた時は人間だから」
ドナトゥス派「洗礼のルールがちがーう!」
コプト教等単性論「イエスって人間だけど結局ただの神でしょ?」
154: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 02:04:20.772 ID:9BeDBzKv0.net
はっきりいってゴート族やらの蛮族たちはもちろん
コンスタンティヌスを初めとする皇帝たちのほとんどもこの違いで争う意味がそんなにわからなかったんじゃないかと思うんだが
キリスト教の高位聖職者たちは自分派閥のたちの主張を皇帝権力に取り入ろうとして争ってたように思える
ゴート族とローマ人もお互いの教義上の細かい違いを理解しないまま「あいつらは偉い人が異端者だっていってる」といって半目しあってたんじゃないだろうか
161: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 02:29:22.319 ID:0y5Fti2f0.net
ドルイド教ってどうなったん
キリスト教によって消滅したか
163: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 02:31:29.729 ID:9BeDBzKv0.net
>>161
なんかガリアのドルイドはその前からとっくに消えててアイルランドのドルイドはキリスト教化によって消えたらしい
そもそもアイルランドはローマ帝国に征服されてないのに五世紀にはキリスト教を受容してたとかどういうことなのって思う
166: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 02:34:24.089 ID:5hReqHNp0.net
>>163
つーかケルトドルイドは自分たちからキリスト教になっていったってどっかで読んだ
あとサクソン蛮族が来なかったから安定して教化していけたって話
なおバイキング
164: 死姉ちゃん ◆Dluid9NitI 2016/02/03(水) 02:31:44.422 ID:+9yT/3vF0.net
ケルト神話の天地創造は最初からあったブリテン諸島に神の一団が流れこんでくるんだけど
それをノアの方舟と同一視したり中から出てきたのをアダムとか呼んだりしてたらしいね
165: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 02:33:36.267 ID:9BeDBzKv0.net
アイルランド人の祖先はヒスパニアから来たってマジ?とかヒベルニアには謎が多すぎ
167: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 02:37:13.777 ID:pJdfxkgt0.net
貨幣ってちゃんとつかわれてたの?
168: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 02:38:38.163 ID:0y5Fti2f0.net
なんでキリスト教は欧州全土に広まった、というか改宗しなかった集団は淘汰されたのか
172: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 02:43:08.196 ID:9BeDBzKv0.net
>>167
前より減ったけどそこそこ使われてたと思うよ
特に都市のあるところでは
>>168
こういうスレそこまで話し続けられればめっちゃ気持ちいいと思うわ
つまり古代末期からリトアニアのロムヴァの改宗までw
この時代以降の話なら西ヨーロッパでカールくんが戴冠したあたりから
異教よりキリスト教文明の方が優位なんだぞっていうのが明らかになっていって損得考えるとキリスト教を受け入れざるを得なかったんだと思う
169: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 02:39:06.834 ID:9BeDBzKv0.net
そういえばケルトといえばキングアーサーって映画好き
この時代にいたであろう割りとリアルなアーサーを再現してる映画
ペラギウスがーとか言ってておおって思ったし
ただアーサー王サルマタイ人説はいただけんが
171: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 02:41:18.546 ID:5hReqHNp0.net
>>169
結局二刀流ランスロットが不倫しないでサクソン人に殺される奴だよな
鷹匠のトリスタンがやたらかっこよかった記憶
実家にそれのエクスカリバーのペーパーナイフあるわ
174: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 02:45:18.545 ID:9BeDBzKv0.net
>>171
トリスタンもカッコいいけど敵のサクソン人王セルディックが好き
あれ史実ではウェセックス朝の祖なんだよね
179: 死姉ちゃん ◆Dluid9NitI 2016/02/03(水) 02:59:40.585 ID:+9yT/3vF0.net
ボクもアスニーみたいに古代からたっぷり中東の知識欲しい
181: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 03:01:54.472 ID:9BeDBzKv0.net
>>179
古代中東にも若干興味あるけどほとんど知識ない
オスマンが台頭するまでのイスラム世界の歴史スレとかは立ててみたいけど
180: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 03:00:21.282 ID:9BeDBzKv0.net
最後にキリスト教がこの時代以降のヨーロッパでなぜ広まったかというとローマやコンスタンティノープルは
東欧や北欧とかの辺境の民族からすると信じられないほどの都会で
しかもキリスト教を受け入れればそこから人を派遣して文字を教えたり教会作ってくれたりするし
それを利用して国内の他の部族より優位に立てるから
逆にこの時代以前に広まった理由は内乱による社会不安からと書いたがもう少し詳しくいうと
属州ではローマ皇帝に象徴されるローマ帝国の権威自体が衰えて曖昧になったからではないかと思う
つまりローマ帝国は征服地の神と自国の神々を同一視してその礼拝を押し付けていた
ローマ帝国自体の一体性が揺らいでくると
ローマが押し付けた神々の体系も崩れてローマ推奨し全土で信仰してるローマの神ってなんの力があるの?ってなったんだと思う
そして国家単位の神に変わって個人単位の内面に働きかけるキリスト教等の宗教が伸びた
ローマ系神々の信仰が一番強かったローマでもアラリックに略奪されると「ローマの神々に意味はあるのか?」って言われたしね
182: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 03:04:12.931 ID:5hReqHNp0.net
それなりに大きい王朝の国教だったのに今や絶滅危惧レベルのゾロアスター教
183: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 03:04:55.777 ID:9BeDBzKv0.net
むしろ若干でも残ってるのがすげえ
184: 死姉ちゃん ◆Dluid9NitI 2016/02/03(水) 03:08:01.735 ID:+9yT/3vF0.net
当該国イランにも生き残ってるのが凄いけど、最近はみんなインドに逃げてるらしいね
世界宗教だったのに民族宗教になっちゃったし 日本人じゃゾロアスター教になれないよー悲しいなぁ
173: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 02:45:16.330 ID:7+akrJaMd.net
すげー面白いスレだ
とても興味深い
176: アスペニート ◆ASPneet.DQsn 2016/02/03(水) 02:49:37.964 ID:9BeDBzKv0.net
>>173
この時代は骨太系ファンタジー小説より面白い
名前もファンタジーっぽいやつらいるし
多分大半のヨーロッパ人の考える自民族の古代がやっと文献史料でわかりだす時代だからだろうな