アインシュタインが亡くなった翌日の朝、こともあろうに彼の脳みそが盗まれてしまいました。
「盗まれる」という表現が正しいかどうかは疑問に残るところですが、脳を拝借したのは医者であるThomas Stolz Harvey氏で、アインシュタインの脳を検死解剖しました。
遺言には「脳には触れず、そのまま火葬を希望する」と記されていました。
しかし脳は家族の許可なく彼の体から取り出され、40年間研究に使われたそうです。脳は分割されて研究者たちに分けられたため、すでに全体は残っていないとのこと。
アインシュタインはMileve Mricというt女性と結婚し、2人の始めての子供Lierselという女の子をも授かりました。しかしLierselの出生の公式記録は残されてなく、アインシュタインと妻Mileveが残した手紙の中にそのような内容が書かれてあるだけでした。また、Lierselは精神障害を患って生まれてきたと言われており、養子に出す計画はLierselの障害がネックとなり諦める結果となったそうです。
アインシュタインは妻であるMilevaに3つのルールを守るように強制しました。
1.1日3食きっちり食事を作ること。
2.アインシュタインがMilevaに何かを頼む時、例え誰かと話し中でもMilevaは話をやめること。
3.アインシュタインからの愛情を期待しないこと。
Milevaと結婚している間、Elsaという従妹と交際を始めます。そして、デートを重ねた7年後Milevaと離婚、1919年にElsaと再婚をしました。
そしてElsaへの手紙の中でこう綴っています。
「不倫がやめられない。定期的に違うガールフレンドとデートしているが、必要のない彼女達の愛情にうんざりしている」
アインシュタインが稼いだ莫大な財産は、最初の結婚でもうけた息子のHansとEduardの手元に渡るようにしました。
かなりのプレイボーイぶりが想像できるアインシュタイン。
1952年のイスラエル総裁選。アインシュタインは多くの支持を受けましたが、首を縦に振りませんでした。 「多くの支持を裏切って申し訳ない。国の政策より、私には物質的な研究に明け暮れる義務がある」
ガリレオ・ガリレイはアインシュタインの好きな科学者でした。彼はガリレオを「現代物理学の父」と呼んでいました。
1955年4月17日、腹部大動脈瘤を患います。そして手術を行う前にこう語ったそうです。
「逝きたい時に逝くよ。人工的に生かされるよりエレガントにあの世に行きたい。やるべき事は全てやったから思い残すことはない」
アインシュタインの亡くなった翌朝、脳と一緒に眼球も盗んだ医者のThomas Stolz Harvey氏。
眼球に関してはアインシュタインの眼科主治医であるHenry Abrams氏に素直に引き渡し現在はニューヨーク市にある金庫に保管されています。
アメリカでは人種差別について熱く論議を交わし、なにかとと黒人を下劣する姿勢を批判しました。
写真は1946年、リンカーン大学講堂にて。
科学者として成功をおさめたアインシュタイン。旅行に出るときに欠かさず持っていったもの、それはバイオリンでした。音楽は人生の一番の楽しみであるとも語っていました。
スターウォーズのヨーダ。実は、しわのあり方や表情など、知性と知能をイメージさせるキャラクターを作る為にアインシュタインの顔をモデルにしていたそうです。
頭脳明晰であるアインシュタイン。15歳までに微積分を完璧にマスターし、数学での授業で回答を一度も間違えたことがないそうです。
アインシュタインが他の科学者と違うところ、それはすぐ物質的な実験を行わないということです。
彼は「思考実験」をまず遂行し、頭に絵図を描いてから答えの核を見出していました。そして、彼はそこに「光の線が見える」と語っていました。
生涯で一度も車を運転したことがなかったアインシュタイン。理由は免許を持っていなかったから。
若かりし頃はかなりのプレイボーイぶりだったのに驚かされます。最初の奥さんはかなりアインシュタインに手を焼いたでしょうね。
相対性理論を説いたアインシュタインは、最後まで自分の脳を信じた偉大な科学者であったことは間違いなさそうです。