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日本史詳しい人、元寇で日本が勝ったの台風のお陰じゃないってマジ?

2016年06月13日:14:14

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コメント( 96 )

1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:14:06.170 ID:U107vzZd0
学校の授業で先生が言ってたんだがおしえて偉い人

元寇

元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本本土侵攻の呼称である。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。

特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では世界史上最大規模の艦隊であった。
主に九州北部が戦場となった。
wiki-元寇-より引用

geko

引用元: 日本史詳しい人、元寇で日本が勝ったの台風のお陰じゃないってマジ?







2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:14:59.356 ID:ZgUIEB+X0
台風のおかげだけどそれ以前に徴兵した朝鮮人がやる気なかった

5: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:17:30.151 ID:U107vzZd0
>>2
そうそれ!
船も作らされた人達が手抜き工事したってのきいたんだけど、にわかに信じがたいんだよな
中学生くらいから触れてないからなー

7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:18:35.471 ID:ZgUIEB+X0
>>5
じゃあ言うけど親が殺されたとか領地ゲットできるだとかそんなんもなくなんの理由もないのにただ強制されて作った船や兵がまともに働くとでも

14: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:21:56.056 ID:U107vzZd0
>>7
「せめてもの抵抗をするわけですよね」って言ってたな、地理の授業で
でもバレたら殺されるまであるわけだし俺だったら踏ん切りつかねえな、そこまで苦しめられてたんだな

17: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:23:28.126 ID:ZgUIEB+X0
>>14
抵抗だレジスタンスだっていう以前にやる気の問題だろ常考
侵略者のために命を捨てる被支配民がいるとでも

3: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:16:24.641 ID:gwQW7ZUn0
苦戦しまくってそこに台風が直撃しただけで有っても無くても結果は変わらなかった

6: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:18:31.362 ID:U107vzZd0
>>3
なんか台風があったということ自体記録も残ってないし疑わしいらしいぞ

4: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:17:03.531 ID:CwbvJMcB0
そもそも元軍自体そんなに強くない
何故教育現場で元軍が強者という事になっているのかわからん

10: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:19:23.213 ID:U107vzZd0
>>4
てつはうと集団戦法に苦しめられたと聞いた小学生の頃はなんだったんだ...

てつはう

正式には震天雷や鉄火砲(てっかほう)と呼ばれる手榴弾にあたる炸裂弾である。容器には鉄製と陶器製があり、容器の中に爆発力の強い火薬を詰めて使う。使用法は導火線に火を付けて使用する。形状は球型で直径16-20cm、総重量は4-10kg(約60%が容器の重量、残りが火薬)ある。
wiki-元寇・てつはうの項-より引用

てつはう(震天雷)

12: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:20:45.273 ID:ZgUIEB+X0
>>10
文永の役の方はな
弘安はしっかり対策したから大軍を持ってきても元軍は勝てなかった
ただ元寇のせいで鎌倉幕府は解体へ向かったから長期的には勝ち
元もモンゴルに追い出されるけど

13: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:21:36.858 ID:w3mMmRmH0
>>10
勝者の余裕ってやつだな
3人残して皆殺しにしましたバンザイじゃつまらんだろ?

15: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:22:02.836 ID:U0yKQw220
てつはうが強すぎた

21: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:26:20.229 ID:U107vzZd0
>>15
てつはう→てっぱう→てっぽう
に気づいたときは感嘆した

8: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:18:46.693 ID:nvSrpfP+0
やる気がないっていうけど命がかかってるような船に手抜き工事するかね?って思う

11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:20:35.903 ID:C3O8pwwT0
そもそも騎馬主体の軍隊が海越えて100%戦えるわけないだろ

16: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:23:04.138 ID:U107vzZd0
>>11
確かにwwその通りすぎるわ

22: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:27:05.957 ID:APwRxl610
>>16
そもそも元軍は内陸の連中、泳ぐことすら出来ない、海を見たことすら初めて
その状況で洋上の戦に馴れた蛮族と戦えとか、無理ゲーもいいところ

18: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:24:02.942 ID:4db2bP6jd
そもそも当時の船舶技術じゃルート限定された大軍の上陸作戦は難易度高い

25: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:28:11.596 ID:U107vzZd0
>>18
やはり内陸国だったか...

23: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:27:42.773 ID:C3O8pwwT0
元軍「てつはう!てつはう!」ボンッ

鎌倉武士「うわっなんじゃあれ!まあいいとにかくぶっ殺すぞ突撃いい!!!」

元軍「」

28: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:29:52.823 ID:U107vzZd0
>>23
あんなでっかいおにぎりみたいの投げられても殺傷能力あるとは思えなんだ
実際致命傷に至らしめてたの?あれ

33: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:33:32.398 ID:APwRxl610
>>28
脅しにはなったと思われる

41: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:38:17.531 ID:U107vzZd0
>>33
やっぱそんなもんか

47: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:43:58.832 ID:APwRxl610
>>41
元の連中はモンゴルの内陸出身、海を見ることすら初めて、彼らに海戦に馴れた日本軍を撃退して、さらに上陸戦で勝利せよって無理筋もいいところ

38: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:36:07.884 ID:C3O8pwwT0
>>28
爆発すれば威力はあるが重すぎて遠くに投げられない
近くに寄れば弓矢の的
だいたい日本と大陸なんて常に人的交流があったわけだし
存在自体は知っててもおかしくはないと思うんだよな
使ってるとこ初めて見たってだけで

44: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:40:04.700 ID:U107vzZd0
>>38
はーじゃ威嚇用が主なんかな
サンクス

26: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:28:44.536 ID:GAHsnGPL0
外洋越えて征服なんて大航海時代まで例が無いからな

27: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:28:48.301 ID:ZgUIEB+X0
元がベトナム戦でなんで船使ったのかがわからん
普通に広東から攻めれば陸路で勝てたろ
まぁ中越戦争考えれば陸路でも負けてるかもしれんが

31:   2016/06/13(月) 00:32:39.485
文永の役の教訓で上陸させなかった
水軍でもない限り船の上のほうが不利だろ?

36: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:34:25.714 ID:8Gqkt6tq0
進行弾き返して侵略軍が海上で数ヶ月待機→台風なんやろ?
侵略軍アホなん?

42: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:38:50.119 ID:U107vzZd0
>>36
なんか台風が本当にあったかどうかも怪しいらしい

50: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:53:56.265 ID:xPjL2hOv0
元側の史料『高麗史』の記載によると、
元軍は日本軍との戦闘で苦戦を強いられたため軍議により撤退を決定し、
日本からの撤退途上で暴風雨に遭遇したとなっている。

37: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:35:51.095 ID:eVGyXUxQd
あいつら平地限定だから

39: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:36:29.670 ID:4aQBoONP0
来る前からヤル気無い奴が殆んど
司令官が無能

46: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/13(月) 00:41:29.705 ID:U107vzZd0
もう寝るわー
教えてくれてサンクス1週間頑張ってな






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日本史詳しい人、元寇で日本が勝ったの台風のお陰じゃないってマジ?

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コメント

1  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:25 ID:lGQJrLkr0*
モンゴル帝国では帰順した順に身分が上ってことになってたらしく
俺らより下ができるってんで高麗や南宋の連中は本気モードだったって話もあるけどな
2  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:28 ID:8Y3t6OULO*
大陸制覇した猛虎覇極道の使い手がいなかったからウィグル獄長が大陸制覇出来たのは、この奥義があったからって言ってたろ
3  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:29 ID:zl7lqXDg0*
鎌倉武士の強さもイマイチ分からんからなぁ。まぁ士気薄弱の軍隊なんか相手にならんだろうけど。つか、元寇じゃなく高麗襲来だろうが。腰巾着の口先三寸に騙されただけ。
4  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:30 ID:mGHIeaHk0*
てつはうは音と光で馬を驚かせるもんだったとかなんとか
5  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:31 ID:mVfNpxvj0*
法則が発動しただけ
6  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:41 ID:Os0iXXtrO*
北風で帰れなくなる前に撤退したという季節風説
7  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:52 ID:8Y3t6OULO*
韓流の歴史ドラマで少しやってたな、韓国が大陸から攻められて敗北して韓国王室のトップが呼び出され大陸使者から日本に攻めろって言われてたけど、兵士がやられ過ぎて数足りないし収穫時期重なって人手足りないしから農民全然集まらないしやる気ゼロ、アホみたいに現場指揮官と回りの人間だけが異常にやる気になってたな、兵糧そのものがほとんど無いのによく攻める気になるなってドラマみてた
8  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:52 ID:k.Hgg8tZ0*
歴史というものはその説を唱えた学者が偉い学者だと
それが間違ってたと判明してもそのが死ぬまで
なかなか説を覆すことが出来ないんだと
9  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:54 ID:gcnEEJPv0*
モンゴル軍は本来上陸して、現地の馬や食料を奪い、現地の農地を奪い、自給自足して戦う算段してたんだよ。だから長期間の戦いを計画してたから、中々上陸出来なかったのは誤算であり、兵士の疲弊と狭い船内での疫病で兵力がどんどん減少して行った。
対馬や隠岐島に上陸したモンゴル軍の非道は伝承になっている。男子は殆ど皆ころし、女は若い者は性奴隷、年寄は皆ころし、逃亡しないように手のひらに穴を開けては縄を通して、ひとくくりにした。
そんなモンゴル軍の最後は何の事ない、地元の漁師が避ける錨地に投錨して強い南風で船体同士がぶつかり大破して沈没した。
流れ着いたモンゴル軍の兵士は見せしめに皆ころしにされている。僅かに残った残存兵力はモンゴルの皇帝に追加増派を進言している。陸戦隊が海上を越えてやって来たけど、慣れない海上が兵士の疲弊に繋がっている。
10  不思議な名無しさん :2016年06月13日 14:56 ID:2vbuVgAP0*
ちゃんと暴風雨で沈んだ船は海底から見つかってなかったっけ?
11  不思議な名無しさん :2016年06月13日 15:05 ID:psnOoHtC0*
簡単に書くと
日本に上陸、虐殺・略奪・暴行
到着した日本側武士、それ知って激おこ無双
完全に撃退されて洋上に逃げる
台風さん止めさす
って感じ
12  不思議な名無しさん :2016年06月13日 15:09 ID:vIHRSU8C0*
宋時代のジャンク船は外洋航海仕様になってない水軍船だからね
戦いも白兵主体だから陸上では統一した集団の力で押せるけど
船に陣があるから戻った後の夜襲でボロボロやられる
13  不思議な名無しさん :2016年06月13日 15:17 ID:W1d4k8HO0*
え?
朝鮮王たっての依頼で倭を攻めたいから兵器と兵力を与えたんちゃうの?
むしろ元が日本に攻める理由のほうが少ない
まあ国家と国民との意識の差はあったかも知れないが
14  不思議な名無しさん :2016年06月13日 15:32 ID:ItlFLurYO*
モンゴルは草原で馬使って無双してた奴らだから
海やジャングルだとてんでダメ
実際は馬で行けない南宋より南の国も全然征服出来てない
15  不思議な名無しさん :2016年06月13日 15:34 ID:LW.OUQly0*
元朝からしたら、侵略した土地の兵と物資を使って派遣しているだけだからね。
例えると、盗んだ金でギャンブルするようなもの。
勝てば儲けモノ、負けても所詮は人の金。
どっちにしても自分の腹は痛まないという理屈だったのかな。
16  不思議な名無しさん :2016年06月13日 16:14 ID:Kwb555A70*
台風のために助かっただけっていう旧説でなく自力で守りきれたという最近の説を教えてるのかと思ったら、
朝鮮様のおかげで助かりましたっていう左巻き教師のたわごとかよ。

日本侵略自体が朝鮮王朝側が元に進言したものだし、船に乗ってる兵士も多数の朝鮮兵が乗るのにわざと壊れやすい船を作るわけがないだろ。
川用の平底船までかき集めるくらい一度に大量の船を用意しなくちゃならなくなったから突貫工事で数だけそろえた結果だっての。

元寇に限らず、日本の歴史に少しでも半島が絡むと政治的理由で捻じ曲げられまくって、
事実がまともに伝わりにくくなってホントにうんざりする。
17  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:21 ID:lWk5kJrL0*
※16
能力が低い、どうせ上前をはねられるからやる気が低いならまだしも日本を助けるためにサボタージュしたんだから感謝しろと言いやがる。
権力争いで仲間割れして、仲間内でモンゴル様の手下の座を争ってる奴らがそんなことするわけない。
竹崎の絵巻物といい、左巻きはかなりやばい。
18  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:21 ID:QRpHSgmE0*
>>16
朝鮮のおかげですってのは朝鮮半島で教えられてる俗説ですよね。
以前、韓国の芸能人が日本が元寇から日本を守ることが出来たのは、半島人のサボタージュのおかげだって言ってるのを雑誌で読んだことがあります。
このスレ主も韓国ドラマを見て、韓国人のプロパガンダを信じ込んでしまったか、あるいはザイニチなのか、とにかく出鱈目をまき散らすなって言いたいです。
19  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:24 ID:KLyIIUaf0*
※16
別に事実捻じ曲げてはないだろ
トップはやる気満々でも実際にやらされる兵士や民衆は
やる気皆無なんて良くある話だし
20  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:32 ID:tqk9PFDr0*
朝鮮とかは乗り気やと思うで。
手柄立てて元によいしょせなアカンし。

単純に弱かったというのを遠回しにフォローしとるんやろ。
21  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:34 ID:JOA49K9s0*
奴隷の高麗兵が弱かったんだろ
22  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:45 ID:TwLsTdtY0*
※7 それは捏造
元に降伏した朝鮮の王が元のご機嫌とりの為に日本を献上しようと日本攻撃を強引にすすめた
元は先にチャイナの方へ行く予定だった
現存している元の議事録に残ってる
23  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:46 ID:KA6e7WmX0*
船に火をつけたって習ったなあ
敵の戦死者を祭ってあげてるよね
24  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:47 ID:UxQXtOoO0*
朝鮮は超やる気。対馬でやらかして
その恨みで倭寇が生まれた
そして上陸して戦っているのに船に戻ってる時点で負け決定
上陸して拠点を築けなかったってこと
25  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:49 ID:TwLsTdtY0*
※19
沈んだ船がちゃんとしたものだったというのは見つかった沈没船から証明されてて、船が~は否定されてる
鎌倉幕府は元と朝鮮の兵は残虐だからという理由で処刑、チャイナ兵は使われてるだけだとして命は助けている
とてもやる気がなかったとは思えませんが
26  不思議な名無しさん :2016年06月13日 17:50 ID:h4cy6g5e0*
最初の方レスで疑問に嫌味ったらしく疑問でレスしてるゴミ
こういうきもやろう最高に気持ち悪い、どんなきもい顔してるか容易に想像がつく
27  不思議な名無しさん :2016年06月13日 18:07 ID:OAZ7.2T00*
もう言ってる人いるけど高麗船手抜き工場説はとっくに否定されとるぞ
生還率も高かったしそもそも高麗船に乗ってくる部隊のうち
半分以上は高麗軍じゃなくてモンゴル帝国直属の軍隊なんだから
手抜きなんかしたら自分たちどころか宗主国直属軍まで死ぬようなアホな真似はさすがにやらん
むしろ旧南宋軍の船のほうが臨時徴用が多かったみたいで台風で大きな被害が出てる
28  不思議な名無しさん :2016年06月13日 18:15 ID:eYHSKaKy0*
※22
なんだよ現存してる元の議事録って
29  不思議な名無しさん :2016年06月13日 18:26 ID:OAZ7.2T00*
「1回目は苦戦した」「陸戦では苦戦したが海上の夜襲で優位に立った」ってのもよくある誤解
離島のみを見れば確かに制圧されてるけど1回目でも九州本土に上陸してからの元軍は
日本軍本隊との会戦で押されっぱなしでそのまま海に撤退している
また、元寇の戦闘は1回目も2回目も昼間の正面衝突のほうがメインで夜襲やゲリラ戦的な戦いはあまり目立たない
蒙古襲来絵詞や高麗史とかの基礎史料ではこんな流れなんだけど
神風説以外も根拠が無いor曖昧なトンデモ説や誤解が滅茶苦茶多いんだよね元寇って
30  不思議な名無しさん :2016年06月13日 18:41 ID:OdOueEQ40*
現代でもそうだけど海上輸送で運べる物資も人員も限界があるからよっぽど兵力と資金に差がない限りどっちみち元に勝ち目無いでしょ

当時の造船技術ならなおさら勝負にならない
31  不思議な名無しさん :2016年06月13日 18:42 ID:2j4M4vFo0*
密教の護摩祈祷で台風を起こさせたのに知らないやつ多すぎ!!
32  不思議な名無しさん :2016年06月13日 18:59 ID:uw3iVObk0*
日蓮さんが祈っていたからやで。
33  不思議な名無しさん :2016年06月13日 19:20 ID:NOZVVjLm0*
開戦してから台風来るまで数ヶ月あるからな。
台風のおかげではない。
34  不思議な名無しさん :2016年06月13日 19:32 ID:2.MlEgKT0*
コリアンが士気が低くワザと竜骨を抜かした船を作って手抜きしたってのは嘘
元々元寇の正当化と日本に恩を売るために言い出された根拠のない話だった
何年か前に元寇当時の船が海中で見つかったけど調査したらちゃんとした船だった事がバレました
と言うか元々日本に興味があまりなかったクビライに何度も出兵促したのは当時のコリア王だし、
自分らが乗ってく船手抜きしたらタヒぬからありえない話だと少し考えたらわかる話なんだよなぁ
35  不思議な名無しさん :2016年06月13日 19:34 ID:fc7JXMkm0*
1回目の元寇は何で帰ったか分からんらしい。蒙古高麗軍総兵力4万人の内、帰還兵3万5千人。高麗人の副大将が矢傷を受けた事と矢を射尽くした事が原因で帰国した説が有力。
36  不思議な名無しさん :2016年06月13日 19:44 ID:SLu2oeao0*
スレ50、※29が触れてるように、鎌倉武士団が強くて上陸後の戦闘で苦戦して撤退する途中で暴風雨に遭遇した、というのが最近の説。鎌倉時代の合戦は丈夫な鎧に身を包んだ騎馬武者が集団で弓の撃ち合いをするのが主流で、だから那須与一の逸話も残ってる。
軽量で射程が長いが貫通力に劣る弓を使い動きやすいが防護効果の劣る鎧を装備した元軍と、射程が短いが低進弾道で飛んで来て貫通力の高い弓を撃ち、重いが防御力の高い鎧を着た鎌倉武士団が博多湾岸で弓を撃ち合い、元軍が予想以上の損害を受けた上に弓を撃ち尽くし、高級指揮官も負傷したために軍議の上組織だって撤退を決めたってのが真相らしい。撤退の掩護のため威嚇用に「てつはう」を使ったが、戦局を決定するような威力のある兵器ではなかった。
37  不思議な名無しさん :2016年06月13日 19:45 ID:HwcC.8iI0*
日本でよく見かける光景じゃん
本部のお偉方だけが盛り上がってて現場の連中は冷め切ってるっていう
38  不思議な名無しさん :2016年06月13日 19:45 ID:fc7JXMkm0*
2回目の元寇は神風吹いた説有力。第一陣蒙古高麗軍4万人、第二陣蒙古南宋軍10万人。第一陣博多湾に浸入するが防塁に阻まれ上陸出来ず、第二陣と合流するため長崎県鷹島へ移動。鷹島にて総兵力集結、投錨中に強風のため沈没多数。
39  不思議な名無しさん :2016年06月13日 19:54 ID:SLu2oeao0*
じゃあなんで苦戦説が一時主流になったかって言うと、一つは寺社勢力が自分たちの加持祈祷の効果で外敵を退けたってPRするため、おっとり刀で応戦して苦戦した在地の武士の逸話と祈祷によって起こったとされる暴風雨の効果を強調したのに幕府が乗っかって「お前ら大した働きしとらんのに領地寄越せとかうるさいんじゃボケ!」と与える恩賞が無いのを誤魔化そうとした事、もうひとつはマルクス史観の影響の強い史学者が「封建制=非合理的」という先入観や皇国史観への反動で地道な史料検討を怠ってきたのが原因だと思ってる。
40  不思議な名無しさん :2016年06月13日 20:07 ID:rv1kyw9j0*
鎌倉武士って要するに重装弓騎兵だから弱いわけがないんだよな
41  不思議な名無しさん :2016年06月13日 20:17 ID:Ns5uP4TgO*
学校の授業で教えられたことはなかったが鎌倉幕府は何もせずにしていたわけでない
危機管理に力を注いでいた
その為の経費がかかりすぎて幕府の寿命が縮んだ
しかし日本国は鎌倉幕府によって守られた
何よりも再度日本は狙われるとキチンと予見していたことは凄い
それに引き替え室町幕府の体たらく中国に媚びを売って日本を貶めた
42  不思議な名無しさん2 :2016年06月13日 20:23 ID:Ns5uP4TgO*
宗教団体が神風説を流用して定着させてしまった、戦争を他力本願に変えたのは宗教が悪い。
鎌倉幕府は危機管理をしっかりしていた 事をもっと知るべきだ
それで日本が守られたのだから
43  不思議な名無しさん :2016年06月13日 20:29 ID:ZEJcDCah0*
騎馬民族の馬上で使う短弓と歩兵が使う長弓の飛距離の差がでたんだろ
44  不思議な名無しさん :2016年06月13日 20:31 ID:Jtm..O..0*
良く整理しろよ。
文永の役:九州本島の上陸戦は1日のみ。元軍は撤退の途中で嵐に遭って難破。当時は八幡宮の資料でもそう書いてる。嵐のおかげで勝てたというのは後世になって弘安の役と混同されたもの。
弘安の役:開戦から数ヶ月間、海岸線で攻防した後に嵐。嵐だけで元軍は退却してないが、日本軍に有利になったのは確か。
台風があったかどうか:現在の気象学上の台風かどうかなんて分かるわけがない。文永の役は12月なので、普通の低気圧の可能性が高い。弘安の役は春から夏にかけてなので、台風の可能性がある。梅雨前線に台風が近づいて梅雨前線が活発になっただけかもしれない。梅雨明け間際の九州はよく集中豪雨がある。
45  不思議な名無しさん :2016年06月13日 20:40 ID:Q0w679IS0*
政治的問題から高麗人がフビライに遠征を提案したことばかり取りあげられるけど
フビライ自身も結構ノリノリで弘安の役失敗後も日本遠征の準備や計画が何度もされていることはあんまり知られてないんだよなあ
※41
日明貿易は利を見るなら間違いなくやったほうが良かったし
幕府内でも足利義持や斯波義将を筆頭にかなり批判は多くて
「あくまで天皇の臣下である将軍や大名がやってるだけだから」って妥協案見つけたんだから許してやれ
46  不思議な名無しさん :2016年06月13日 21:12 ID:M.v0d7KB0*
射程はむしろ複合弓使ってた元軍のが長くなかったか?

元軍の敗因は補給が続かなかったの一言に尽きるんじゃないかなぁ。
もっと腰を据えて、対馬か壱岐が策源地化されてたら危なかったのでは。
47  不思議な名無しさん :2016年06月13日 21:13 ID:MBENZ1kG0*
3度目の襲来計画がもし通ってたらどうなったのかw
48  不思議な名無しさん :2016年06月13日 21:54 ID:SLu2oeao0*
鎌倉武士は重装弓騎兵で、大きな強い弓をライナー性の弾道で放って鎧を撃ち抜く戦い方、モンゴル騎兵は短弓を山なりの弾道で放って弾幕をはる戦い方。射程距離は長いが貫通力が低いから毒矢を使ったりしてた。大陸の戦いではモンゴル兵は機動力を活かした包囲や釣り野伏などの戦術が取れたが、上陸戦闘で地理不案内な戦いでは機動力を封じられ足を止めての殴り合いに応じざるを得なかった。おまけに上陸地点に近い福岡の赤坂近辺は当時は湿地帯だったんだよなぁ。
49  不思議な名無しさん :2016年06月13日 22:03 ID:fc7JXMkm0*
元の弓は騎射に向いた小振りなものだったそうだね。船には馬も載せていたけど騎馬隊を作れるほどの数じゃなかったみたいだよ。
特に2回目の元寇では農民や農具なども多く積んでいて長期の現地調達というか占領して住む気満々だったみたいだよ。
50  不思議な名無しさん :2016年06月13日 22:44 ID:ZSvHARwm0*
確か遠征前に済州島かどっかを日本遠征用の軍馬を飼育する拠点にしたって記録があったはずだし
蒙古襲来絵詞でも日本と元の弓騎兵同士が戦ってる絵があるから少なくとも朝鮮半島から出航した
蒙古軍と高麗軍の部隊にはそれなりの数の騎兵が居たってのは十分考えられると思うけどね
51  不思議な名無しさん :2016年06月13日 23:24 ID:1KQehe9I0*
朝鮮のおかげで勝てたで合ってる
モンゴル、旧日本、アメリカ

何人たりとも法則からは逃れられぬ
52  不思議な名無しさん :2016年06月13日 23:32 ID:D1YTYtIy0*
お礼を言えるとかなかなか礼儀正しい子やん
しっかり勉強して立派な大人になってわしらの進むべき道を教えてけれ
53  不思議な名無しさん :2016年06月13日 23:33 ID:9nAhzpkW0*
自然が味方してくれたっていう発想で、「日本」史ならそれでいいんだよ
八百万の神を崇める日本なんだからそう伝えられるのが至極自然。
そもそも歴史なんてしょせん小説だし

余談だが、Civilizationっていう良くできた戦略ゲームでモンゴルによるユーラシア制圧シナリオがあるんだが、このゲームで日本落とすのはくそムズい
54  不思議な名無しさん :2016年06月13日 23:56 ID:TyuBLjk90*
朝廷としては北条時宗が国民的英雄になってしまうのは困る事と、幕府としても遠征した武士や現地で活躍した兵士に恩賞を与えたくない思惑があり、ここは「お前らの力じゃないぞ!朝廷が祈願しての神風のおかげだぞ!」っという風にしたのです。
55  不思議な名無しさん :2016年06月14日 00:39 ID:wyrcAr1q0*
1回目は多勢に無勢でよく守ったと思うよ、日本軍は数千だったと言うからね。2回目はほんと僥倖だったよね。船の数も凄まじいし上陸地点を変えて諫早湾とか狙われたらわからんかったんちゃう
56  不思議な名無しさん :2016年06月14日 02:31 ID:XpKLbPP.0*
>てつはう→てっぱう→てっぽう
てつはう→てつほう→てっぽう、だろ
何だよてっぱうってw
57  不思議な名無しさん :2016年06月14日 04:47 ID:Ye6q1ZQg0*
当時の資料が残ってないから実際はどうなのかわからない、というだけ
「神風が吹いたから勝った」説はリアルタイムで当時の戦闘状況を書き記したのが九州の神社の信者獲得を目的に作られた文書にしかないから
58  不思議な名無しさん :2016年06月14日 05:49 ID:RR3l5H6u0*
日本と韓国で挟み撃ちにしたから勝てたんだよ
それを秀吉が恩を仇で返した。最低だよジャァップ

59  不思議な名無しさん :2016年06月14日 06:57 ID:gG.HGzxx0*


モンゴル軍は騎馬主体で
馬上から敵より射程の有利な弓で相手を殲滅するやり方が主体

かたや
武士は近接戦闘に特化した部隊

最初は船上から弓矢でかんたんに射殺されていた
なぜなら当時の武士はまず名乗りを上げて戦うのが礼儀だった
そのせいで何人もやられるはめになった。
しかし相手には此方の常識が通用しないと悟った武士たちは
夜襲に作戦を切り替え
小舟で沖に停泊しているモンゴル軍の船に近づいた
その時モンゴル兵は昼間の勝利に沸いている最中だった

急襲を受けたモンゴル兵は狼狽し大混乱に陥った
しかも当時の武士の近接戦闘術はモンゴル兵の剣の腕を遥かに凌ぐもので
いくらモンゴル兵が大人数でも全く刃が立たなかった

壊滅寸前までおいつめられる

そして撤退をよぎなくされるもちょうど台風がやってきており
沖に出ることもできず、されど陸に上がることもできずに
全軍海の底に沈んでしまう。

海底調査によると、全船が同じ方角を向いて沈んでいるのが確認されており
台風により一気に沈んだと考えられる。
60  不思議な名無しさん :2016年06月14日 07:41 ID:ZW1rcmFF0*
※59
上の※とか読んでったほうがいいよ
武士は弓騎兵メインだし夜襲は1回目は全く、2回目もあまりやってない
敵に名乗って一騎打ち挑んだなんてのもほぼ完全に否定されていて
1回目のとき九州本土の日本軍本隊は最初から
「元軍が騎兵の動かしやすい地形まで来るのを待って一気に騎射攻撃をしかける」
っていうごく普通の作戦を立ててる
61  不思議な名無しさん :2016年06月14日 12:05 ID:2dHL864x0*
多分ラニーニャで
台風の時期で波が荒いから船酔いが激しくて
モンゴルは肉食だから九州来て魚で中って戦意喪失しとっと
62  不思議な名無しさん :2016年06月14日 12:15 ID:Am1TlwvB0*
今日のアンゴルモアスレかと思ったら…
63  不思議な名無しさん :2016年06月14日 12:34 ID:pUZqBBsA0*
神風というか、何らかの風は吹いた可能性は高いんじゃないか。
それだけで勝った訳ではなくて、武士とか幕府が頑張ったんだとは思うが。
なんか「神風なんて無かったんだ」みたいに言うのもちょっと極端だよね。
まあ歴史研究は常に新しい説が出てくるから研究を頑張って欲しい。
宗教的なことを否定すれば良いという訳ではないと思うが。
64  不思議な名無しさん :2016年06月14日 13:07 ID:oHnSooik0*
そもそもなんで源義経より後の時代の話で※59みたいな妄言を広げる事ができたのかが不思議でならんわ
最も誉れある称号が"弓取り"であったくらい、鎌倉以前の日本の武士も弓が命だった上に、騎馬部隊がしっかり重用されてたガッチガチの戦闘集団やったのに…

こんなもん平安末期の戦役をひとつだけでもいいから詳しく調べりゃ
当時の武士がそんなアホ戦術で戦う芸人集団な訳がないってのはすぐ分かるような気がするんだけど…
65  不思議な名無しさん :2016年06月14日 13:41 ID:3MwtMlWt0*
神風云々は報奨に困った幕府側が神風のお陰だから報奨はちょとだけねってする為に利用したって説もある
66  不思議な名無しさん :2016年06月14日 14:09 ID:pUZqBBsA0*
幕府にそういう風に利用されたっていうの確かにあるのかもしれないな。
ただ風が吹かなかったなら神風とも言われなかっただろうし。
それだけで勝ったというものでは少なくとも無いみたいだね。
本スレはちょっとあれだけど、コメ欄を読むといろいろと勉強になる。
67  不思議な名無しさん :2016年06月14日 14:14 ID:pUZqBBsA0*
幕府としても出したくても出す物が無かったってのはあるかもな。
68  不思議な名無しさん :2016年06月14日 14:47 ID:ZSWT4.cU0*
元軍の程度が知れるってだけの話を、そういう結論にしたくない層が台風云々言ってるだけでしょ
逆に、日本が仮に優位に立てたとしたらそれは日本人じゃない誰かのお陰であって日本人は大したことない、みたいな流れに持っていきたいだけじゃん、手を変え品を変え言葉を変えてさ
69  不思議な名無しさん :2016年06月14日 15:14 ID:wyrcAr1q0*
一騎打ちを愚かな戦術だとする風潮があるけどさ、武芸を磨きあげた強者同士が互いの名を讃え命を賭けるんだよ格好良いじゃん。相手が名乗り出なかった混戦になるわな。実際強かったから無勢で蒙古南宋朝鮮連合軍を退けたんだよ格好良いじゃん。
70  不思議な名無しさん :2016年06月14日 19:36 ID:pUZqBBsA0*
俺は「神風なんて無かったんだ」って感じで左巻きの奴らが言ってるのかと最初思ってた。
神風が吹いたってのは日本が神国で凄いって結論にはなっても、風が吹いただけだから日本人が大したことなかったって結論にはならない気もするんだが。
もちろん、幕府が恩賞を渋るための理由にした可能性はあるが。

日本軍に苦戦して押し込められた所に何らかの強風が吹いて止めを刺されたのは確かなんじゃないか?
そもそも強い風が吹いた=台風だったんじゃないか?って後に言われてるだけだし。

71  不思議な名無しさん :2016年06月14日 21:16 ID:XVy6IBXV0*
※68
戦後の左翼教育で愚かな日本人が自然現象に救われた
しかもそれを後の日本軍が利用したっていう日本下げのための情報操作だしな
72  不思議な名無しさん :2016年06月14日 21:21 ID:2HMirtDj0*
実際数十年前の話ですら人々の記憶や口伝により齟齬をきたすのにそんな前の話誰の話をどんな理由で信じられるのか?

ファンタジーだわ。
73  不思議な名無しさん :2016年06月14日 21:59 ID:wyrcAr1q0*
十万を超える元軍が日本を攻めたが退けられたのは事実やろな
74  不思議な名無しさん :2016年06月14日 22:13 ID:wyrcAr1q0*
長崎県鷹島が元寇最大の激戦地で神風の現場と言われていて海中遺跡や資料館があるから行ってみたら良いよ。最終的には自分がどう感じるかだから現地へ行くのが一番だよ。
75  不思議な名無しさん :2016年06月14日 22:41 ID:J.ZVpFvM0*
とんでもなく組織化されて統率の取れた軍隊でめっちゃ練度も士気も高くて、あんなのがいるなんて聞いてない。って感じの報告を当時の元軍の武将がした資料が残ってるから単純に力負けしたんやろな
76  不思議な名無しさん :2016年06月15日 00:00 ID:yV2Bf23d0*
そもそも鎌倉武士も弓騎兵でさらに和弓は大型なコンポジットロングボウでモンゴルの短弓より威力も長射程もあるうえ近づいたら日本刀で首狩りされる無理ゲーだろw
77  不思議な名無しさん :2016年06月15日 00:06 ID:.az.51Vy0*
神風なんて戦後どころか明治以前、江戸以前から言われてたんだが・・・。
そしてそれは神国日本としてのアイデンティティでもあったんだけど。
何でそれが左翼思想に繋がるのか意味不明だし、全く逆だよ。
神風だけではなくて、これまでの歴史で習った内容よりも日本軍が強かったというのも確かなんだろうけど。
なんか最近の人の考えってずれてるよね。
78  不思議な名無しさん :2016年06月15日 00:18 ID:.az.51Vy0*
「日本軍がこれまで言われていたよりもかなり強かったんだ」で良い話なのに。
自然現象のお陰で勝てたとは言い切れないかもしれないが、どこかのタイミングで強風が吹いたのも確かなんだろう。
言いたいことはよく分かるんだけど、今の時代の人間と昔の時代の人間で考え方が全く違うということがよく分かった。
昔の人は自然や神への畏敬の念や信仰が根底にあった。
だから昔の人は神風や台風に救われたことが愚かで間抜けであるという考えには至らない。優れた民族だから神の加護があると考える。
もちろん、どちらの言ってることも正しいんだけどね。
神風が吹かなくてもかなりの所まで追い込んでいたかもしれないっていうだけの話で。
79  不思議な名無しさん :2016年06月15日 00:22 ID:.az.51Vy0*
優れた民族というか正義・神の意志がこちらにあるということか。
神に守られているということ。
まあ、それが宗教的に行き過ぎた部分もあったからその反動なのかもしれんな。
80  不思議な名無しさん :2016年06月15日 00:38 ID:KWPy43Fo0*
※78
神風云々は祈祷して一応なんかやった実績作っておいた朝廷やら八幡神の力によって夷狄を打ち払ったのだと喧伝した寺社の主張がなんか正史として扱われてしまってただけやで
と言うか神風がどうのってののソースが八幡愚童訓って言う神の力で蒙古を退けた八幡様最高! って感じの寺社縁起だったりするからそもそも胡散臭いんよな
81  不思議な名無しさん :2016年06月15日 00:55 ID:.az.51Vy0*
寺社勢力のアピールも確かにあっただろうね。
それは間違いないと思う。
結局、強風が吹いてそれが日本に有利に働いたという事実があって、それが神風(つまり神の力)だったのか台風だったのか、そんなことは誰にも分からないよ。
ただ、「神風に救われた=神風が無いと勝てなかった愚か者」という解釈には違和感を感じる。
昔の人はそういう解釈はしなかっただろうことだけは間違いが無いと思う。
神風の力だけで勝ったというなら、それは間違いだろうけど。
82  不思議な名無しさん :2016年06月15日 01:00 ID:.az.51Vy0*
昔の人は当たり前に信仰心が強かったということは前提として考えなければならない。
逆に今の人間はそういうものを否定する社会で育って、そういう考え方で物事を見ている。
つまり、今の人間も今の時代というフィルターを通して解釈しているんだよ。
だから、昔の人の解釈とは違ってくる。

幕府が恩賞を出せないから、武士の功績をなかなか認めたがらなかった。
朝廷や寺社勢力が加持祈祷の効果をアピールした。
ここらへんは純粋に歴史的な考察として妥当な所だと思う。
ただ、本当に日本の神が風を吹かせたのかどうかは我々には何とも断言出来ない。
それこそ神のみぞ知るだろう。
83  不思議な名無しさん :2016年06月15日 06:03 ID:32.5tGnW0*
神風って言葉はもっと昔からあったし、日本が素で勝ったのが悔しい左翼学者が台風云々て捏造したらしい
84  不思議な名無しさん :2016年06月15日 07:35 ID:N23Mj.wS0*
神風説がここまで一般化したのはもともと寺社や公家がそういう史観を残してたところに
戦中のバカウヨが神国思想の根拠として台風ばかり強調して、
更に戦後史学界・教育界で幅をきかせたバカサヨも「台風なきゃ負けてたジャアアップwww」
っていう自虐史観のために方向性は違えど神風説を歴史教育に引き継いだから、って感じだったはず
戦前の教科書は「武士の奮戦により撃退」って割と冷静に書いてたみたいだし
要するに日本の状況が悪かった時代に左右両方の政治豚のオモチャにされてしまったんだな
85  不思議な名無しさん :2016年06月15日 09:19 ID:HG6HCjxT0*
そもそも元寇で有名なあの絵がおかしいんだがな
あれは絵の一部を切り取っただけで元の絵は全然負けてないし、てつはうにやられてる武士の絵は相手も強く激戦だったことにしたろっていうお情けで後に描き加えられたものだし
86  不思議な名無しさん :2016年06月15日 10:02 ID:.az.51Vy0*
なるほど、戦後は別の解釈として左翼に利用された側面もあると。
同じ物事でも解釈の仕方によって全く方向性が変わってしまうということだな。
戦前以前は神風(かは分からないが強風)の話もされていたが、武士の力によって撃退したこともきちんと言われていたんだね。
ということは、戦後に歴史教育が歪められただけということか。



87  不思議な名無しさん :2016年06月15日 10:14 ID:.az.51Vy0*
戦中(特に末期)の話をするなら、「天皇は神」だとか「現人神」というような教育も明治などにはされていなかったんだよね。
しかも戦中の思想教育で熱心にそういうことを説いたのは日蓮宗などの仏教側の人間だという。もちろん、戦争という特殊な状況も関係あるだろうが。
明治期やある程度の時代までは「天皇は神(天照大御神)の子孫、その他の国民も神の子孫」という正しい神道的な解釈が説かれていた。
国家神道というのも、神社を国家が管理しただけであって、むしろ国が管理した関係上、宗教色はかなり薄められてしまってる。当時の神職達は布教などの宗教活動にはかかわれなかったし、平田派の国学者などは明治政府からも排斥されてる。
それが戦後になると「戦前には天皇を神だとして、戦争に向かわせるような過激な教育が行われた。国家神道という狂信的な神道があった」というような、誤った事実が左翼系の人間によって捏造された。
88  不思議な名無しさん :2016年06月16日 06:05 ID:CjtnM2ur0*
てつはうのあの抜粋されてる絵の外側に「日本の武将が騎乗して集団で弓構えてる」のを初めて知った時は驚くよな。どうみても集団戦してるじゃねえかと。
2011年に発見されたてつはうの実物は内部に鉄片・陶片詰められてたそうなので、至近距離で炸裂した場合は即死はせんでも怪我、加えて馬が動揺してまともに戦闘できないだろうから、それなりに脅威になったんじゃないかな
89  不思議な名無しさん :2016年06月16日 12:21 ID:jpzymfKz0*
※88
そもそも「一騎打ちを挑む武士」としてトリミングされて紹介されることが多いあの場面は
「貧乏侍の主人公(著者)が司令官に許可を貰って直属の部下数騎と先行してたら元軍と遭遇したので
数騎で無茶な戦闘(部下も危ねーよ味方待とうぜって止めてる)をやったら案の定ピンチに、危ないとこで味方に助けられた」っていう状況で
無茶ではあるが名乗って一騎打ちを挑んでる訳では全く無いんだよな
名乗ってたらやられた的な話は信憑性で大きく劣る別の史料の話なのに
その手の話は書いてない蒙古襲来絵詞がその根拠みたいな印象操作されてる時点で悪意しかない
90  不思議な名無しさん :2016年06月17日 01:59 ID:q7lbUhbe0*
悪意あるよなー
91  不思議な名無しさん :2016年06月19日 18:18 ID:A4Mw6qs10*
※59
おめーそれイギリスだかアメリカのインチキ特番だろ
たしかニコ動にのこってたやつ
日本刀が勝利につながったとかマジに言っててミルコ・クロコップ状態でみてたわ

つうか日本のメインウエポンは大弓と長巻、槍で日本刀なんぞ出番すらねえわ
しかも矢尻が2又の切り裂くしろもんもあったおかげで革の鎧と盾で武装したモンゴル軍は飛び道具でメッタ斬りというどうにもな有様という
92  不思議な名無しさん :2016年06月19日 21:40 ID:44lqwjIM0*
※91
※59みたいな印象は間違ってるけどこの時代は長巻も槍もまだロクに出てきとらんぞ
弓が最重要兵器なのは当然だが白兵の主力は太刀であってる
薙刀はあったけど元側の文献には武士の特徴として「戈矛なし」ってあるから
長柄の武器はどうも元軍の印象にはあまり残らなかったらしい
蒙古襲来絵詞でも薙刀や熊手といった長柄の武器を持ってるのは積極的には戦闘に参加しないだろう徒歩身分の従者と見られる奴ばっかりだしな
93  不思議な名無しさん :2016年06月20日 03:15 ID:PNN6oRVl0*
※91
長巻は日本刀に分類される。


脇差
打刀
太刀
野太刀
長巻
はすべて日本刀
94  不思議な名無しさん :2017年06月22日 00:50 ID:MPMiC.MU0*
一騎打ちをするのは、誰を誰が討ち取ったか、誰が褒美を貰うかきちんと判明させるため
95  不思議な名無しさん :2017年07月12日 04:13 ID:u2Ew2.MG0*
最初は戦争のルール守って名乗りあげたりしてたけど向こうルール守らんからこっちも守らなくてええやろみたいなので一方的な虐殺になってたらしいな
96  不思議な名無しさん :2018年07月22日 17:16 ID:2A3EQL.70*
まるで、元寇が鎌倉武士を弓矢などで圧倒したかのようなシーンはあとからの加筆で、実際には横に書いてあるように元軍は、鎌倉武士によって逃げまどうようすがかかれている、蒙古襲来絵詞 加筆でやほってみて、加筆と書かれているページがいっぱいでるよ、それに実際にせめて来たのは高麗軍で、船も高麗がつくったもの。どうやら、九州などに陣を置けなかった高麗軍は、夜は船に帰り寝ていたのが敗因で、折角船に帰っても鎌倉軍により夜も襲われ休んでいるひまもなく、夜台風により壊滅状態になった。台風などこなくても全滅しただろうといわれてるよ、だけど恩賞がなく鎌倉幕府こまったんだよね、対馬、壱岐などその前に攻められてるので男は殺され女はおかされ、手のひらに穴をあけ船べりに裸にして吊るしていたようだ、当時は中国の影響で、、高麗も食人風習があった、作物などなかなか作れなく、貧しい国なので、まともに食料も持たず、出航したらしい。食料は現地調達、対馬、壱岐はひさんなもんだった。

 
 
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