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    80

    仏教を「信じる」という言葉は適切か



    2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:42:21.381 ID:94WEMdE2a
    教えを信じる

    6: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:43:26.197 ID:NvwBUAf30
    >>2
    教えを信じる
    教えを理解する

    神とかがなければ後者じゃない?

    7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:43:53.774 ID:94WEMdE2a
    >>6
    なんでだ?

    25: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:49:49.675 ID:NvwBUAf30
    >>7
    論理的に説明されているものを理解することはできるが、
    論理的に説明されていることを信じるとは言わないと思う
    数学の教科書を信じるとは言わないのと同じで

    でも俺のこの言い分も無理があるな
    そこまで完璧に論理的とは言えないかもしれない

    46: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:59:55.792 ID:D4FOL0KFp
    >>6
    教えを理解するのと教えを信じるのは全くの別物だろ

    49: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:01:56.647 ID:NvwBUAf30
    >>46
    別物だよ
    別物であり、後者ではないのかと言っている

    56: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:04:52.519 ID:1Gwc7rG1K
    >>46
    理解するための大前提は信じるしかないだろ
    例えば諸法無我とか諸行無常とか縁起とか

    57: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:06:23.380 ID:1Gwc7rG1K
    >>49
    >>56についてどう思う?

    62: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:09:35.231 ID:NvwBUAf30
    >>57
    どういう意味かわからない
    生活レベルで例えてほしい

    70: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:18:00.147 ID:1Gwc7rG1K
    >>62
    例えば2+3=5であるというのは1+1=2から論理的に導けるじゃん
    でもその1+1=2という最初の決めごとは「そういうものなんだ」と受け入れるしかないだろ?
    泥団子と泥団子をくっつけたら大きな一つの泥団子、とか熟れたリンゴと未熟なリンゴは同じリンゴ二つじゃないだろ、とかいう考え方を棄てて1+1=2を受け入れるから2+3=5を論理的に導ける
    この受け入れるってことは信じるってことだよ

    81: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:31:57.237 ID:NvwBUAf30
    >>70
    なるほどそれも一理ある
    ただしそれは「論理そのものが信じることを前提になりたってる」ってことかな
    そうなると言葉も何もこの世のものほぼ全てが信じる上になりたってて、実体のあるものは何もないような

    という仏教的な結論に!

    5: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:43:19.771 ID:0Yii3H6i0
    信じるとはつまり思い込むことだ

    8: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:44:07.647 ID:64wegJeL0
    まあ正しく言うなら帰依か

    大乗仏教の本丸も即身成仏だしな

    9: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:44:17.209 ID:0Yii3H6i0
    信じ込むわけだから適切

    11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:45:01.774 ID:ZvOaOf+E0
    仏教は哲学
    信じるとかそういう事じゃない

    14: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:46:11.765 ID:yuOn2Ux10
    身に沁みすぎて信じるなどという概念がない

    18: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:47:15.271 ID:/lUED8U50
    「信じる」ということは何かを「求める」ということであり、
    仏とは離れたところへ行ってしまう

    19: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:47:54.800 ID:0Yii3H6i0
    悟りとはつまり覚りだ
    自覚を持つことを意味する

    自身が思い込みに囚われている自覚をな

    27: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:50:57.995 ID:eAxI/yEoa
    理解するが一番近いスタンスじゃないかな

    36: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:53:33.134 ID:oibgihrUa
    >>27
    これ
    でも最終的には「理解」を超えて「体得」が必要

    28: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:51:06.349 ID:nbmT0WbE0
    信じる信じないじゃないんだよ
    1+1が2である事の様に今も昔も当然な事なんだよ

    31: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:51:52.089 ID:oibgihrUa
    釈迦は「死んだらどうなりますか?」と聞かれて「そんな考えても分からないこと考えてないでどうしたら今幸せになれるか考えなよ」と言った

    39: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:54:38.153 ID:ge0m8ZJB0
    >>31
    死後の世界触れてないのか
    神も無し、死後の世界も無しだと確かに他の宗教とは一線画してるのかもな
    ブッダ読んで輪廻転生が仏教の教えなんだと勘違いしてたわ

    41: キュア坊主 ◆Ocure013Nwik 2016/07/12(火) 20:56:07.329 ID:pXteyoDi0
    >>39
    釈尊が生まれた時代は輪廻説が常識だった
    あのパンチは割と常識人なので、その常識に従って解釈した
    輪廻しない、というならそれを前提にものを考えればいいのが仏教のいいところ

    35: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:52:55.827 ID:ZvOaOf+E0
    心の在り方がどんなものかかなり論理的に説明されてるんだけどな
    でも宗派ごとに見解は違うんだけど

    37: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:53:56.945 ID:0Yii3H6i0
    解答が正しいとか合っているわけではないのだ
    その解答のほうが好きなだけにすぎん

    48: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:00:32.041 ID:ZitbSzmT0
    >>37
    正解はあるんだよ
    その時々で答えが変わるだけで
    答える人と答えを聞く人、周囲の環境で答えが変わるってだけ

    42: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 20:57:03.676 ID:NvwBUAf30
    仏陀が脇から生まれた、とかを含めると「信じる」って言葉が適切な部分もある
    でも核となる部分を総評すると「信じる」っていう類のものだろうか

    53: キュア坊主 ◆Ocure013Nwik 2016/07/12(火) 21:03:42.974 ID:pXteyoDi0
    >>42
    「聖者を名前で呼ぶのは不敬」「聖者は普通の生まれ方をしていないはず」「聖者は身体的特徴からして只者ではない」
    ここらへんは当時の一般的な感覚なんだよ

    なのでゴータマを「釈迦族の尊者」と呼んでみたり、「腋から生まれた」ことにしたり、「身長5m」とか言われても空気を読んであげるものなのよ

    54: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:04:09.827 ID:NvwBUAf30
    「信じる」ってどういう状況なのかわからなくなってきた

    55: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:04:49.412 ID:UBDb5tovH
    信じる事は難しいわ、本当に

    59: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:06:53.253 ID:oibgihrUa
    仏教は後付けの伝説が多すぎるせいで釈迦本来の哲学が非常に分かりづらくなっている
    脇から生まれたとか地獄の閻魔大王とかね

    でもしっかりと学べば理解できる

    61: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:08:47.682 ID:eAxI/yEoa
    輪廻とかわからんけど、次生まれ変わるとしても人間になれるかどうかわからんから今を大事に生きよう という理解

    71: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:18:25.062 ID:rQWKlbA40
    道徳が正しいか知らんけど最強の神様が保証しているんだから正しいに違いない
    故に我々は神(良心)の存在を信じる、というの一神教のロジック
    だから地動説は衝撃だったわけ
    さて仏教はどうかというと禅僧見ての通り大いに疑っていいよ

    77: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:22:29.266 ID:1Gwc7rG1K
    疑うのも信じるのも苦を滅するそれぞれの方法論に過ぎない
    苦が滅した後ではどうでもよくなるというか疑うことも信じることもなくなる

    78: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:23:49.022 ID:R21VyQpr0
    論理とは必ずどこかしらが不完全なものであり
    だから納得という作業をもって譲歩しないといけないのだが
    納得という作業には信じることが含まれている

    79: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:26:11.038 ID:1Gwc7rG1K
    >>78
    論理過程はともかく前提部分は信じるしかないわな

    84: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:34:23.378 ID:NvwBUAf30
    >>78
    たしかに
    納得=理解+信じる
    と考えると納得がいく

    82: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:32:46.598 ID:0O0e9uW00
    信じるということは裏切られても構わないということだ
    いや自分が能動的に信じてるなら裏切るもクソもないんだけど

    83: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:33:30.760 ID:ge0m8ZJB0
    数学の根底は蓋然性によって支えられてるだろ
    科学とか他の学問もそう
    でも例えば死後の世界とかについてはサンプルが存在せず故に蓋然性も存在しない

    この蓋然性という考え方自体もまた信じることによって成り立っているという指摘があればそれはもっともだが
    仏教を信じるという言葉は適切かというテーマに対して
    どんな考え方も信じるところから始めないといけないという結論は趣旨がずれてはいないだろうか

    一般的に「数学を信じる」とは言わないが「死後の世界を信じる」とは言う
    現状仏教は後者に分類されているがそれは正しいのか、前者に分類されるべきではないのかという話だろ

    この場合信じるという言葉の定義は上記の用法に則るべきなのでは

    90: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:43:26.929 ID:/nzolIaYK
    仏教は学ぶものじゃね
    暮らしを温かく穏やかにするための考え方を知り
    隣人に教えを強要せず折り合いつけて共生する

    91: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:43:28.562 ID:0juH46JFp
    仏教のアーガマはものの見方を教えてくれる本って感じだよね

    94: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:45:37.139 ID:0O0e9uW00
    お釈迦さん死んだ時点で大元の仏教は失われてるし
    自分でよさげな仏教決めていくしかないのでは

    あと人を信じる事と宗教信じることは全く別だと思う
    なんかいい言葉はないものか

    98: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:53:00.325 ID:rm8k+H110
    >>94
    どう違う?

    116: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 22:36:34.622 ID:0O0e9uW00
    >>98
    俺にとっちゃ信じるってのは究極の自分ルールなわけよ
    色んな物を疑いまくった結果これだけは疑えない 疑いたくない 信じたいってものが対象になる
    だから人によって神様の姿は違うし主義主張もまちまち
    自分で信じると決めたんだから誰のせいにもできない
    もし裏切られたと感じたなら自分が自分を裏切ってるわけだ

    っていうのが俺の宗教

    103: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 22:03:50.778 ID:IfyX+eAt0
    仏教にすがるのは正しいが
    仏教に執着するのは間違い

    113: キュア坊主 ◆Ocure013Nwik 2016/07/12(火) 22:17:50.567 ID:pXteyoDi0
    ゼロ→1→2……って推論していけば身近な法則を元に未知の領域を推論できるんじゃないか、ってのは仏教というよりインドに昔からあった発想だよね
    この考え方は理屈っぽいし、スピリチュアルではないってことからアンチクライストによって「仏教は哲学」って持ち上げられ方をする


    印哲が哲学なだけなのにな

    73: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/07/12(火) 21:19:36.700 ID:fY0PVrV8p
    何この高尚なスレ




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    コメント一覧

    1  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:01 ID:is35jYSj0*
    大信根を起こして、参じることが大事である。
    己事究明こそ一大事なり!

    あ~坐禅、坐禅、いかんボンヤリ禅だ!

    ムー、ムー、ウー!ウー!いかん、レミリア嬢だ!
    修行の道は険しいぜ!

    南無世界
    2  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:02 ID:Tyr3w1Cs0*
    神とかがないものをどうやって信じる
    って質問がまず馬鹿だろ

    必ず解がある数学と仏教を比較してる時点で小学生レベル
    3  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:11 ID:rMlmC.740*
    わりとまじめに議論しようというのは伝わってくるが
    本格的に議論するには文献と原語にさかのぼって考察することが必要。
    言語ではプラサーダとかシュラッダーというが
    そのニュアンスを巡っては今も学者が議論を続けている。
    4  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:11 ID:B28cVdeb0*
    信心という言葉があってだなw
    5  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:14 ID:is35jYSj0*
    議論が起こるのは考えるからだ。
    学者は修行者ではないので、法眼を開いていない。
    何年も朝から晩まで参じた訳ではないし、実践なんてしていない。

    食べたことも無い食べ物の味は、齧らなければ分からん
    6  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:16 ID:rMlmC.740*
    大乗の哲学では、通説的には、認識根拠となるものして
    ①直接知覚、②知覚に基づく推論(論理)、③聖典の記述
    を挙げる。このうちの③が信仰に近いものといえよう。

    しかし、明らかに①や②に反する教説は否定していいと主張する
    大乗の論師もいた。
    ちなみに、たとえば天上界の存在は知覚されないので、
    明確に否定できるものではなく、通常の経験に矛盾するものとは考えられない。
    7  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:19 ID:is35jYSj0*
    ブッダの語られた真理は、信じることではない。
    無常は事実
    無我は事実

    木の実がインドから中国まで流れてきた。
    後は、果実を食すかどうか?というところだ。
    法門は十分に出尽くした。
    8  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:23 ID:rMlmC.740*
    ちなみに、大乗の中観派では、一切法の無自性(空)は単に信じるべきものではなく
    論証できるものと考えられている。
    その方法論として、三段論法の積み上げで論証できるとする自立論証派と
    帰謬論証の積み上げで理解させるべきだとする帰謬論証派が存在した。
    いうまでもなく、論証が目的なのではなく、
    それを納得して瞑想修行やそのほかの菩薩行を実践しなければならないとされる。
    9  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:25 ID:lpwgsVDV0*
    昔原始仏教の仏典読んだ事があって、仏教って宗教と言うより哲学だよな、と実感した。そもそも仏「教」でいいのかとさえ思う。
    10  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:26 ID:rMlmC.740*
    ※7
    それも現代の学者からは異論があるんだよね。
    全ての事象を経験できないのに、全ては無常だと
    全称命題で断言するのはおかしいではないかという異論。
    だが、自分の経験の範囲では事実だ、というなら問題ないであろう。
    11  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:28 ID:is35jYSj0*
    しっかりと勉強されてて素晴らしいと思う。

    自らの言葉で境地を巧みに説明できるのは凄い。
    私では及ばない、そこまで行っていないよ。

    おやすみ、四弘誓願と坐禅和賛唱えて締める。
    生きとしいけるものが幸せでありますように。
    12  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:29 ID:S1kmnQq00*
    哲学ニュースコメント欄の言論統制が酷い
    13  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:29 ID:rMlmC.740*
    宗教という概念自体がキリスト教をモデルにした西洋由来の概念。
    昔は仏教とはいわずに仏法(bauddha-dharma)といった。
    14  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:30 ID:SCc.dMt40*
    仏教の、現実にある事象について分析する領野に関しては「理解する」という方がしっくりくるし、
    逆に形而上的な領野に関しては「信じる」という言葉が適切な気がする。
    15  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:33 ID:is35jYSj0*
    知識のひけらかし屋では、あるまいな!?
    後進の一助になる言説なら結構だが、心の機微に気をつけようぞ。
    慢心はある程度進んだ者でも、中々険しい。
    認知を望む、希望することは欲の中でも強いから苦しい。
    求めて得られないのは苦しい。
    16  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:44 ID:K.zV2Xse0*
    ここに書き込んでる方々は本職の人達?
    一般的にナムナムしてる人とはちょっと理解度が違い過ぎる
    俺のボンクラ頭じゃついていけないぜw
    17  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:47 ID:mV1NOedI0*
    でもだいたいの人は仏教は仏像拝んで幸せになるって思い込んでるんでしょ?気持ち悪い!って認識
    お札とかお守りとか胡散臭いモノ売って坊主丸儲けしてカルトだわーって印象
    仏教=オウム=そうか全部が同じ扱い
    18  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:54 ID:kCUD.Wwh0*
    仏教って信じるものじゃなくて理解するだろ?。
    世界や人間の本質を理解するのが修行やん?→解脱
    19  不思議な名無しさん :2016年07月13日 23:54 ID:lpwgsVDV0*
    ※13
    なるほど、納得だわ。
    20  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:02 ID:Syq7QSGEO*
    _
    21  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:03 ID:hOtIYkA10*
    ※18
    これがま~た仏法の奴は、曲者で頭により理解するものでもないんだな。
    理解(りげ)と行解(ぎょうげ)というものがあって、
    確かに論理的な理解はある程度まで可能であるが、それは苦しみを超えない。
    頭での理解は、行いについて来ずに日常の喧騒で消えてしまう。
    それに対し行解とは、影のように一体となることで、
    真理の法が片時も離れないのだ。

    禅の十牛図、最後のコマがこれだ
    22  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:04 ID:rLDcgX8G0*
    宗教全般が「信じる」というよりは仏教で言うところの「帰依」だと思う
    その宗教の各種の決まりやしきたりに従うことにするか、しないかの別なんじゃないかねえ
    23  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:24 ID:GgpaxkQc0*
    人間が欲から離れることが出来るのかどうか
    離れた先に本当に安穏があるのかどうかを信じるかどうかじゃないの
    24  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:25 ID:DyW7Dwvs0*
    仏教の教えを、信じるを超えて完全に理解したら、そいつはもう菩薩だろ。知らんけど
    一般の人は教えを信じるでいいんじゃないの?
    25  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:37 ID:cp1cvkdM0*
    仏教を理解したら悟ったといっていいんじゃね
    ゴールはあると信じて、その道の途中で仏典の理解や検証、体得を経験し
    これが正しい道であると証明していくだけ
    26  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:40 ID:YAsqYkco0*
    個人的には、「信じる」より「信頼する」だな
    27  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:50 ID:LxQlwl1f0*
    *9
    2500年くらい前で思考停止するのでなく大乗への発展がなぜ必要不可欠だったのか?考えると原始仏教のままでは駄目なことがはっきり分かってくる
    28  不思議な名無しさん :2016年07月14日 00:54 ID:1GQkrIeY0*
    当然信じるしかない
    ブッダは分からないことには分からないとして、無記を貫いた
    無常も無我も絶対不変の真理ではない(絶対不変の真理ならば無常という論理が破綻する)
    では、何故世界は無常で無我なのか?これについては釈迦は答えないのだから信じるしかない
    仏教者ならば、釈迦が「何か」を「悟って」、「涅槃に入った」ということが、それが現実として起きたと信じることが必須要件
    29  不思議な名無しさん :2016年07月14日 01:03 ID:JmtuNITb0*
    信じるという事がどういう必要性というか意味を持つのか自分なりに
    考えてみるに、どうして信じる必要性や価値があるのかという話で
    信じるに値することとは確定したこの世の事実ではなく
    不確定な何かであり信じる事によって身を捧げ
    それを形にすることだろうと思う
    1+1=2を信じるとは言わない
    神がいるかいないか、神がいると信じる
    あるいは何かしらをできると信じる等
    30  不思議な名無しさん :2016年07月14日 01:16 ID:Dv7XZ.Re0*
    仏教を何か勘違いしてるけど
    哲学のプロセスから信仰に至るのが仏教だよ
    徹底した哲学によってこの世が空であること、無常であることを知れば普通の生活おくれるはずがないんだから
    そうなると彼岸(この世のものではない浄土)という形而上学的な領域を設定して信仰するしかなくなるってこと
    もし無常であることを分かっても普通に生きていけるなら信仰とか必要ない
    31  不思議な名無しさん :2016年07月14日 01:26 ID:1GQkrIeY0*
    いやいや、ブッダは形而上学については一切触れないんだよ「無記」なの。
    あるともないとも言わない
    仏教は形而上学ではありえない
    32  不思議な名無しさん :2016年07月14日 01:45 ID:DyW7Dwvs0*
    形而上学は神だけではないよ
    33  不思議な名無しさん :2016年07月14日 01:45 ID:Dv7XZ.Re0*
    ※31
    ブッダだけが仏教だと思って貰っちゃ困るとしかw
    34  不思議な名無しさん :2016年07月14日 01:59 ID:SZPfedBA0*
    仏教も色々だからな
    日本でメジャーどころの浄土真宗なんかだと、阿弥陀様によって皆救われることを信じるんでしょ?

    35  不思議な名無しさん :2016年07月14日 01:59 ID:1GQkrIeY0*
    ブッダだけが仏教じゃないから、たくさんの宗派が異端として排斥されないわけで、そんなの当たり前
    だからと言ってブッダの教えを土台にしてなきゃ仏教ではない
    浄土などの形而上学が許されているのは、あくまでブッダがそれを否定も肯定もしなかったからであって、哲学の結果としてたどり着いたわけじゃないと言いたいの
    ブッダとしては、浄土があると信じて善く生きられるならそれでいいじゃんと言うだろうと思う
    しかし、「浄土がある」を肯定したり否定したりする根拠はないということは「理解」しておかないとならない
    36  不思議な名無しさん :2016年07月14日 02:08 ID:Dv7XZ.Re0*
    大元はブッダだけれども大乗仏教になれば大日如来や阿弥陀仏が出てくる
    けれども大乗仏教は唯識などの哲学的側面もあるよね
    そして日本の仏教にしてもチベット仏教にしても大乗仏教が大元の極めて形而上学的なもの
    それを仏教でないとは言えない
    37  不思議な名無しさん :2016年07月14日 04:47 ID:nRF8Fs5y0*
    仏教に自身ニキ諸兄に聞きたいんやけど
    キリスト教もイスラム教も「棄教」の罪があるんだけど仏教にも棄教の罪ってあんの?ggってもよく分からなかったから
    38  不思議な名無しさん :2016年07月14日 04:55 ID:J8V09yDK0*
    なぜ仏陀以外を含めて話をするのかわからん
    悟りを開いたのが仏陀のみなんだから以降
    完全に仏教を理解した人間はいないってことなのに
    そもそも仏陀は仏教の文字伝達を禁じていたんだから
    スッタニパータでさえ仏陀の教えから離れたものだよ
    39  不思議な名無しさん :2016年07月14日 06:16 ID:I0BeeT.zO*
    ただの言葉遊びになっとるな
    40  不思議な名無しさん :2016年07月14日 06:40 ID:cfk0AXBm0*
    言葉自体が、そういう概念があるという「信じる」という心理現象から作られている
    人の思考や感情は、信じられたものの上に生まれるから、自分が信じているということに気付かないうちは、信じているものの内側に思考や感情が閉じ込められるということになる必然
    信じるか信じないかにとらわれるのではなく、信じるという心理自体を客観視してあらゆる物事を見つめなければな
    41  不思議な名無しさん :2016年07月14日 06:47 ID:b8PPErrzO*
    五蘊皆空、これに尽きる。
    42  開花神道 :2016年07月14日 10:40 ID:1v069utP0*
    「信」と言う漢字の意味から考えて、
    その言葉(漢字)を使うのが適切かどうかを先ずは判断せにゃならんのじゃないか?

    お釈迦様の教えを信じるのが適切なのかどうかを厳密に突き詰めていったら、当時お釈迦様が使ってた文字や話してた言葉に辿り着く様な気もするんだか、どうなんだろうか。
    43  不思議な名無しさん :2016年07月14日 11:28 ID:FpZwx5Kf0*
    信心が定まった時に
    浄土への往生が決定するんじゃなかったかな
    44  不思議な名無しさん :2016年07月14日 11:54 ID:bo.vU1xW0*
    信じるより、働いてカネ稼いだ方がより幸せになれるで。
    45  不思議な名無しさん :2016年07月14日 14:13 ID:4ytGDtP20*
    宗教って教えを学び信じるものだろ
    道徳で導入すべき教えとかあると思うんだけどね
    46  不思議な名無しさん :2016年07月14日 15:19 ID:XJOv.ktx0*
    信じる信じないという言葉を使うことがそもそも文法的に不適切。
    仏教に限らず宗教は全てお伽噺と同類(経験科学ではない或いは
    検証(反証)可能性が無いという意味で)。
    かぐや姫の物語を「私は信じる」「私は信じない」と言うことがおかしい
    のと同じ。
    47  不思議な名無しさん :2016年07月14日 16:14 ID:KOsTLTAu0*
    仏教への帰依は、理解して→信じるというコースと、信じて→理解するコースとがある。どちらから入るかは人それぞれ。
    前者に関して言うと、理解すると言うのはまず頭の中で納得すること。そしてそれが本当に事実なのかを身をもって確かめるためにはある程度の修行が必要になるが、必ずしもただちに理解した通りの結果は得られないかも知れない。それでも自分の理解したことは正しいはずだと修行を続けるには「信じる」というモチベーションが必要になる。
    単に理屈の上だけでなく、実際に体得して最終的な目的(解脱)を達成したいと望むなら、そこに至るまでの困難を乗り越えるために仏陀の教えを「信じる」ということは必要だと思う。
    48  不思議な名無しさん :2016年07月14日 16:17 ID:3avPomzz0*
    ※37
    棄教に関しては何もないよ。そもそも棄教がキリスト教やイスラムで罪とされてる
    のは、絶対神であり創造神である「神」に逆らうことや、その存在を認めない
    ことが罪だから。
    それに対して仏教はそういう絶対神は設定されてないので、棄教しようがどうぞ
    ご勝手に、となるだけ。
    ただし、仏教や坊主を誹謗したり傷つけたりするのは罪となり、死後地獄に行くと
    されている。逆に言えば他の宗教の信者でも、そういうことをしなければ地獄には
    行かずに済むということ。
    49  不思議な名無しさん :2016年07月14日 16:30 ID:W3YNS7QDO*
    我信ずるはお釈迦様の教えのみ
    50  不思議な名無しさん :2016年07月14日 16:44 ID:m9.tjH7B0*
    というより、実践するって感じじゃないかな……
    51  不思議な名無しさん :2016年07月14日 18:08 ID:bNqfGGBdO*
    だよな。頭で色々考えているより毎日の暮らしの中で体感すればいいような・・・
    52  不思議な名無しさん :2016年07月14日 22:05 ID:REdlc305O*
    あなたが男だとしてあなたが男であると信じるか?信じるまでもないあなたほ自分が男であることを知ってるはず
    このレベルで釈迦の教えを理解した人間が覚者だよ
    53  不思議な名無しさん :2016年07月14日 22:21 ID:3avPomzz0*
    ※50
    仏教の究極の目的とは「涅槃」、つまり煩悩からの解放なんだけど、これは
    理屈を覚えたり、論理的に意味を理解するだけでは到達できないんだよね。
    泳ぎ方を本で覚えたからって、それだけで泳げるようにはならないのと同じ。
    また、プールで泳げるようになっても、海はまた勝手が違う。そういう感じ。
    そうやって少しづつ早く、長く泳げるようになるのが仏教の修行なんだな。
    だから「実践する」という貴方の考えはとても正しい。
    54  不思議な名無しさん :2016年07月14日 22:58 ID:LxQlwl1f0*
    *53
    煩悩からの解放なんてのは虚構に過ぎないやろ
    お釈迦さんの悟りも自称であって客観性は無いよ?言ったもん勝ちみたいな物だよな科学的な検証は不可能

    それでも信じるんだろ?しかし大乗へと進化することで悟りとかは大した問題ではなくなる
    55  不思議な名無しさん :2016年07月14日 23:37 ID:ief2Qfh80*
    四諦八正道で本当にニルヴァーナに到達できるのかどうかを信じるか信じないか?
    八正道での悟りとかニルヴァーナとかを信じない人は八正道を実践しようとも思わないだろう
    56  不思議な名無しさん :2016年07月14日 23:43 ID:3avPomzz0*
    ※54
    ※55
    そう、まさにその通り。だからこそ仏教は哲学ではなく「宗教」なんだな。
    57  不思議な名無しさん :2016年07月15日 01:36 ID:T8KBjPHG0*
    仏教というのは『一切皆苦であるこの世への輪廻転生』からの解脱を目的とした宗教。
    まず輪廻転生を信じない者にはこの教えはそぐわない。
    58  不思議な名無しさん :2016年07月15日 01:55 ID:oZuIYy4z0*
    原始仏教はどっちかっていうと今の自己啓発に近いよな。
    内容を理解して実践できるならそれは「信じる」ではないけど、理解もせずに「エライ人にこう言われた、だからこれが正しいんだろう」ってのはただの妄信であり「信じる」であり、宗教だよな。
    その意味では今の仏教を「信じる」人が多いのは、正しいし適切だと思う。

    煩悩からの解放にしたって「存在を許容し制御する」のも「煩悩に囚われる自分からの解放」なんで、阿闍梨(指導者)や仏陀(全てに対し悟り開いた者)全員が必ずしも清廉潔白な聖者ってワケじゃないし。
    59  不思議な名無しさん :2016年07月15日 01:57 ID:oZuIYy4z0*
    ※57
    原始仏教に六道輪廻転生って概念あったっけ?
    60  不思議な名無しさん :2016年07月15日 02:08 ID:MJVc4Mvg0*
    米48
    ありがとうございます。仏教の懐深さを感じました。
    61  不思議な名無しさん :2016年07月15日 03:26 ID:k.63EaSw0*
    学ぶってのが一番しっくりくるかな。
    この世の真理を学ぶ。
    今は科学的に解明しようとしてるけど、
    昔はもっと精神的なものだったんだと思う。
    62  不思議な名無しさん :2016年07月15日 05:10 ID:T8KBjPHG0*
    >>59
    六道という世界はまだ構築されてないが、輪廻転生や地獄などは大いに認めていた。
    っていうか、解脱の目的は二度と母胎に宿らないことを目的としていたと言っても良いほど。
    「スッタニパータ 輪廻転生」「スッタニパータ 母胎」でググると良いよ。
    63  不思議な名無しさん :2016年07月15日 11:00 ID:Xb.zrHNd0*
    涅槃とか輪廻転生とかって本当に在るのかな?
    64  不思議な名無しさん :2016年07月15日 14:41 ID:1dp.Rivj0*
    ※62
    そこが実は議論の別れるところで、お釈迦さんは死後の世界については「無記」の
    スタンスなのに、なぜかちょいちょい輪廻とか地獄の話を持ち出すんだよね。
    また、自分などというものは本当は実在しない、という無我論でありつつ、自己を
    灯明とせよ、などと言ったりもする。こういう一見矛盾じみたことが、上座部や
    古層の経典にはよく出てくる。理屈や字面だけ追っかけても、仏教は掴みきれない。
    仏教を「信じる」には、どこかで論理の飛躍が必要になってくる。理屈だけで
    仏教を正しいと確信することは出来ないんだな。
    65  不思議な名無しさん :2016年07月15日 15:22 ID:SibypTZuO*
    坊主が全て台無しにしてる…やっちゃいけないとされてるコトばかりやってる坊主にバチがあたらないのは何故なのか?
    66  不思議な名無しさん :2016年07月15日 18:46 ID:hMAAE2ot0*
    ※64
    そもそもブッダが無記の回答をしたのは形而上のことを執拗に問うてきたマルキーヤ尊者に対してだけじゃない?
    67  不思議な名無しさん :2016年07月15日 21:18 ID:f2smZrqg0*
    法を聞いただけで、いきなり悟れるわけでもないしな

    宗教境地を体得するまでは、「信じて」行動する、こと意外に他ならないだろう
    68  不思議な名無しさん :2016年07月16日 10:59 ID:5qMWV4T30*
    モヤーっと
    69  不思議な名無しさん :2016年07月16日 14:37 ID:Dd2lKNRf0*
    みんな自分に都合のいい解釈して都合の悪い部分は理屈をこね回して否定する
    一人でよがって自分に都合のいい仏教は気持ちええなあ
    70  開花神道 :2016年07月16日 16:07 ID:Z5hZP8Cy0*
    今に伝わる仏教自体、何千年もの間に、お釈迦様の顔も知らぬ者達が、自分達に都合の悪い部分は削り、都合が良い事ばかりを付け足してきた教えなのかもしれんしな。

    でも、お釈迦様が世の人々の為に、説法して回った事だけは確かな真実。

    お釈迦様の志の尊さは、信じるに足るものだと思うぞ。
    71  不思議な名無しさん :2016年07月16日 16:08 ID:vzIsOw3bO*
    信じるということは疑わないってことやで。
    72  不思議な名無しさん :2016年07月16日 17:08 ID:HmyCEUID0*
    最後まで読んでないけどさ、仏教は仏教でも日本の仏教は信じるとかそういう部類の人多いじゃない。なんていうか一般庶民に学がない時代に広めようとして本質とずれちゃったのがそのまま今でも残ってるみたいな。
    原始仏教?仏教哲学は理屈だから信じるとかじゃない気がするな。
    73  不思議な名無しさん :2016年07月16日 21:26 ID:uBV..WyP0*
    ちゃうちゃう
    信と疑は死ぬまで一緒や

    だからそんなもん早めに任せてしもたらええねん。

    何もかも任せてしもたらあかんで
    74  不思議な名無しさん :2016年07月16日 23:42 ID:RHyuOL.e0*
    ※72
    原始仏教といえども、経典を字面通りに受け取ったら、実はそんなに理性的でも
    合理的でもないんだけどな。
    そもそも、お釈迦さんが悟りを開いて、こう説きました。これをすれば悟りを
    開けます、なんて内容を、理屈だけで納得なんかできないよ。理屈というか
    論理というのは、絶対に客観性とか蓋然性が求められるのに、経典はそれを
    保証してくれない。お釈迦さんの主観による記述しか無いんだから。
    それをどうして正しいと思える? そこには必ず直感的な飛躍があるんだよ。
    だから仏教は哲学ではないの。
    75  不思議な名無しさん :2016年07月17日 01:06 ID:ogYw8RO70*
    素人ですが
    釈迦ならば主観は消失してるのでは。相手に合わせた待機説法と思いますが。
    76  不思議な名無しさん :2016年07月17日 01:19 ID:ogYw8RO70*
    「絶対に客観性とか蓋然性が求められるのに」そんなものはありませんよね。

    釈迦は言葉を信じてないから待機説法。
    釈迦は世界は無常であると言ってます。
    無常の世界であるならば絶対等のような言葉は使いません。
    77  不思議な名無しさん :2016年07月17日 01:30 ID:ogYw8RO70*
    経典はほぼ客観的に記載しようとします。
    それは待機説法ゆえです。
    彼と説法者の会話をその定義体でできるだけ客観的に記載したものです。

    読み手はその定義(彼らの定義)で読むことの理解を求められます。
    勝手に自分の定義で読めば誤読となる思われます。
    78  不思議な名無しさん :2016年07月17日 13:44 ID:jecDKYXe0*
    ※75
    いや、だからね、どうしてお釈迦さんが主観が消失してると判るの?
    悟りを開けばエゴがなくなり、主観的な見方でなくなる、という意味で貴方は
    言ってるんだろうけど、お釈迦さんでもない貴方がそれをどうして理解できるの。
    そもそも悟りを開けばエゴがなくなる、なんてのを、どうやって「理屈」で
    納得できるの?
    ましてや八正道や四諦、因縁生起やカルマなんていう仏教理論や概念を理屈
    だけで納得できる?
    俺は仏教徒だから、お釈迦さんが悟りを開いたこと、そして言ったことを
    「信じている」。その上で経典に書かれてあることを「理解」しようとしている。
    79  不思議な名無しさん :2016年07月18日 01:40 ID:0JiJoKhT0*
    ※78
    釈迦が繰り返しかあるがままを観察して視てください。と言っています。
    それは主観を排除しましょうという意味が入ると考えます。
    確かに釈迦の中で主観が有ったか無かったは分かるはずもありません。
    釈迦が正しいと思うのはその説法の内容から論理的で正しいと思うのであって、
    信じるとは違うものと思っています。

    私が言いたいのは信じると言う作業がなくても釈迦の言うことは本当であると
    思えますという点です。
    釈迦の説法の先に何があるのか(悟りがあるのか)私には分かりませんが、
    それは別に正しい方針から正しい結末があるということで
    それ以上特に気にしなくて良いことではないかと最近思うのです。
    80  不思議な名無しさん :2016年07月18日 02:20 ID:0JiJoKhT0*
    八正道はすべての作業に正しいが付きます。
    「正しい」これは困惑してしまいます。が全てを法に照らして
    正しいかどうかを検証して行っていきなさいと言う意味と思います。
    ⇒良いも悪いも無く普通ですよね。(自灯明法灯明のこと。)

    四諦
    生きているという幻想が執着を生み苦を生む。生きる執着を捨てること。
    それには無常(実体はない)を観察しなさい。
    これも論理的です。

    因縁生起
    これも特に疑う余地はありません。
    因果はつらないり果は因に為りがつらなります。

    カルマ
    生物は行う内容で変化していくことを見れば普通に納得可能です。

    素人なので厳密でないかもしれませんご容赦を。
    言いたいことは釈迦の話は普通に納得可能だと考えてます。

     
     
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