まとめサイト速報+ 2chまとめのまとめ ワロタあんてな news人 カオスちゃんねる

【完成版】アメリカが歴史ないみたいな風潮

2016年08月28日:12:04

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント( 70 )

ame


1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:08:57.583 ID:cqx3wDTw0
確かに旧大陸の国々に比べたら短い歴史だけど、その分内容が濃くて面白いぞ
管理人です!
途中でスレ主がいなくなり、なかなか帰ってこなかったのでこのまま終わるのかと思っていましたが、最後まで完成していました!

引用元: アメリカが歴史ないみたいな風潮







3: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:09:46.772 ID:QmtlWgcC0
開拓時代すき

5: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:10:52.873 ID:cqx3wDTw0
>>3
分かる
インディアン戦争と言う負の面も合わせて、アメリカの開拓時代は興味深い話が尽きない

4: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:10:40.087 ID:52pHbI+ud
アメリカ人ってどこから来ましたか?って聞いたら国名じゃなく都市名をいう。

11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:16:35.618 ID:cqx3wDTw0
>>4
有名な大都市出身ならそうだけど、そうじゃないやつは州名を言う方が多いかもな
こういうのはやはりアメリカが連邦制ゆえの特徴だ

6: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:11:09.615 ID:rHimxmS1d
忘れられた先住民たち

11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:16:35.618 ID:cqx3wDTw0
>>6
中南米だと白人が来る前の先住民の歴史もある程度記述できるんだ北米だとそれは難しいな
どうしても史料が少ないし、歴史学というよりは考古学や文化人類学的な要素が強くなってしまう
最近はミシシッピ文明とかも注目されてはいるが

9: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:13:22.094 ID:cqx3wDTw0
英仏で領土を争ってた植民地時代、独立戦争から国家建設の時代、19世紀前半の領土拡大、
奴隷制問題と南北戦争、19世紀後半の西部開拓と金ぴか時代、20世紀以降の超大国時代、
どの時代をとっても色んなドラマがあるからスゲー好き

14: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:30:23.433 ID:cqx3wDTw0
以下、ちょっと自己満足でアメリカ史について語っていきたい
興味ある人がどの程度いるか分からんが暇なので許してくれ

まずアメリカの歴史を半分俺の独断で大雑把に分割すると(申し訳ないが先住民の時代は良く知らなのいので省く)

①植民地時代(17世紀~18世紀半ば)
②独立戦争から国家建設期(18世紀後半~19世紀初頭)
③領土拡大と奴隷制対立の時代(19世紀前半)
④南北戦争(19世紀中頃)
⑤金ぴか時代と西部開拓時代(19世紀後半)
⑥帝国主義時代(19世紀末~20世紀初頭)
⑦第一次世界大戦と狂騒の20年代(1914~1929)
⑧世界恐慌と第二次世界大戦(1929~1945)
⑨冷戦と国内激動の時代(1945~1970年代)
⑩冷戦後期と現代の始まり(1980年代~)

だいたいこんなイメージ

19: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:46:17.195 ID:cqx3wDTw0
①植民地時代
当たり前だが今のアメリカ合衆国の領土が全てイギリスの植民地だった訳じゃない
アメリカの歴史において初期からイギリスの植民地になっていたのはいわゆる「13植民地」で
それ以外の地域は他のヨーロッパ諸国がそれぞれ植民地化していた
例えばフロリダやカリフォルニアとかはスペイン領だったし、ルイジアナとかフランス領だった

今に残るアメリカでの最初のイギリス植民地はヴァージニア植民地だ
ポカホンタスのエピソードなんかで知ってる人も多いんじゃないかな
他にも、ピルグリム・ファーザーズとか呼ばれるピューリタンの集団が入植したことも高校とかで習った人多いかもな

この時代で個人的に面白いのは、英仏間の植民地獲得戦争
俗に第二次英仏百年戦争とか言われるこの争いは、ヨーロッパでの全然関係ない争いにかこつけて
英仏でひたすら北米植民地の奪い合いをしてた
特に、その最後であるフレンチ・インディアン戦争でイギリスは大勝し
ミシシッピ川以西のルイジアナとかを獲得したという
でも、この戦争での戦費がかさんで、それを植民地からの重税で賄おうとしたことが、
10年後のアメリカ独立を引き起こしてしまうんや

21: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:49:34.172 ID:9BGTfhfbM
フランシス・マリオンとか言うメル・ギブソンwwwww

22: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:50:45.209 ID:gTYzbOni0
あんな移民で出来た国に語り継がれる歴史なんかない

25: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:59:12.508 ID:cqx3wDTw0
>>22
移民でできた国だからこそ、複雑で濃い歴史が生まれるんだぜ
アメリカというのはまとまりがあるようでなくて、ないようであるのがその魅力だと自分は思う

23: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:53:25.388 ID:cqx3wDTw0
ここら辺は高校の世界史でも聞いたことがある人が多いから知ってる人も多いかもな
向こうの学校だと、この時代について学ぶこととしては他に先住民との関係や黒人奴隷の導入なんかも学ぶ
あと、エピソードとしてしばしば語られるのはセイラムの魔女裁判とかだな

24: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 16:57:28.202 ID:cqx3wDTw0
魔女狩りっていうと中世ヨーロッパの出来事だと思う人もいるかもしれないが時代的にはむしろ中世が終わって近代に入るまでのいわゆる近世と言えるような時期のもので
ヨーロッパだけでなくその植民地だったアメリカでも行われた過去がある
その有名な例がセイラムの魔女裁判でいまでもアメリカでは色んな創作物のネタにされたりする

26: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:04:48.853 ID:cqx3wDTw0
ちなみに、初期からイギリスの植民地だったのがいわゆる「13植民地」だと言ったが、
だからと言って13植民地が全て最初からイギリス領だった訳じゃない
その例だとニューヨークなんかは有名であれはもともとオランダの植民地だった
それを英蘭戦争でイギリスが奪った訳だが、今でもオランダ領の名残はニューヨークで見ることができる
例えば、今では黒人街として有名なハーレムだが、この地名はもともとオランダの地名に由来し、
ハーレムの古い建物なんかは、玄関の戸が地面より高いオランダ風な感じに今でもなっている

27: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:05:22.215 ID:cZpTsSnU0
茶を捨てろー

ボストン茶会事件

ボストン茶会事件は、1773年12月16日に、マサチューセッツ植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が港に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件。

アメリカ独立革命の象徴的事件の一つである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ボストン茶会事件

Boston_Tea_Party_Currier_colored

28: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:20:46.960 ID:cqx3wDTw0
>>27
そろそろ植民地時代の話をやめて独立戦争の話に移ろうと思ってたからちょうど良いレスありがとう

②独立戦争と国家建設期
いわゆるアメリカ独立戦争と日本で呼ばれているやつだが、アメリカ人は今でも独立戦争のことを「革命(revolution)」と呼ぶ
アメリカ人にとって、建国というのはそれだけ大きな歴史的意義のあるやつなんだ
そのきっかけは先に言ったように、フレンチ・インディアン戦争でのイギリスの財政難に起因する
イギリスは財政難を解決するために様々な重税政策をアメリカ植民地に課す訳だ
印紙法やタウンゼンド諸法なんかが有名だけどこれらは植民地側の激しい反発ですぐに廃止された

だが、このとき茶に対する重税だけは廃止されずに残っていて、この税を逃れるためにアメリカ人は茶の密貿易に手を染めた
そこでイギリス側が出したのが有名な「茶法」だ
良く勘違いされがちだが、この法律自体は税の値上げを定めた法律ではなく
あくまでアメリカ人の密貿易を取り締まって、イギリス東インド会社だけに茶の貿易を独占させることを定めた法律
でも、茶の密貿易で利益を得ていた多くのアメリカ人にとって、東インド会社だけに茶の貿易利益を与えるこの法は許しがたく、
その結果がボストン茶会事件につながる

29: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:22:21.394 ID:jQnCUp2ga
伝統があんまりない分大胆な事できて羨ましい

31: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:38:07.888 ID:cqx3wDTw0
ボストン茶会事件で、インディアンのコスプレしたアメリカ人がイギリスの船を襲って茶を海に投げ捨てると、
当然イギリス議会はキレて、マサチューセッツ植民地(ボストンのあった場所)の自治を取り上げるなど懲罰的な法を定めた
意外かもしれないけど、それ以前の13植民地はそれぞれ現地の白人による独自の政府が認められ、
あくまでイギリス議会の統制下ではあったが大幅な自治が認められていた
その自治を取り上げられるという事例が発生したことで、怒りが頂点に達した13植民地は「大陸会議」を開催する
これは各植民地政府の代表者からなる会議で、この会議でアメリカ人は「イギリスへの待遇改善を訴え反抗する」ことを決めた
この時はあくまでイギリスへの反抗に過ぎず、まだ独立までは決まってないことに注意

レキシントン・コンコードの戦いで両者の軍が初めて衝突し、本格的な独立戦争が始まった
この時、大陸会議がアメリカ側の総司令官に選んだのが有名な「ジョージ・ワシントン」だ

32: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:40:32.212 ID:b+2xl79L0
ほう

33: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:49:16.056 ID:cqx3wDTw0
レキシントン・コンコードの戦い以降、アメリカ軍とイギリス軍は何度も衝突するが、
この最中にトマス・ペインとかいうのが『コモン・センス』(日本語で「常識」の意味)とかいうパンフレットを書いたことでアメリカの世論が変わった
このパンフレットで訴えたアメリカ独立論の高まりを背景に、とうとう大陸会議は有名な「アメリカ独立宣言」を出した
後の3代目大統領となるトマス・ジェファソンが起草し、ベンジャミン・フランクリンとかが修正した独立宣言はアメリカ史の一大ムーブメントで、現代につながるアメリカ民主主義の理念の原点が詰まってるのは言うまでもない

なお、内容に関しては"All men are created equal"(全ての人間は平等に作られている)の部分が有名だけど
当時のイギリス政府に対する悪口で埋まっている部分も結構あったりする

34: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 17:51:23.788 ID:m+Qcy46Fd
アメリカの伝統料理なんてないだろ

36: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 18:06:33.271 ID:cqx3wDTw0
>>34
んなことはない
ハンバーガーやポップコーンみたいにもはや世界的に広まったアメリカ料理はたくさんある
それ以外にも、例えばニューオーリンズのケイジャン料理(ガンボスープなど)みたいに地域特有の料理だってある

35: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 18:02:57.830 ID:cqx3wDTw0
当時のイギリスは、それまでの植民地獲得戦争での勝利から他のヨーロッパ諸国に嫌われてて
植民地争いに負けたフランスやスペインなどがアメリカ側の味方をしたため、戦争は次第にアメリカに有利になっていった
ちなみに、フランスがアメリカを支援した背景には、外交官ベンジャミン・フランクリンによるヨーロッパでの巧みな交渉があるベンジャミン・フランクリンは今の100ドル紙幣にも描かれている人物で、
ライデン瓶を使って雷の帯電を証明し、避雷針を発明したことでも有名だ

結局ヨークタウンの戦い以降、アメリカの勝利はほぼ確定し1783年のパリ条約でアメリカの独立が認められた
さらに、この条約でアメリカは、イギリスからミシシッピ川以東のルイジアナも獲得してる
こうして、イギリスから独立した「アメリカ合衆国」としての歴史が

38: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 18:29:21.671 ID:cqx3wDTw0
良く勘違いされがちだが、パリ条約で国際的にアメリカ独立が認められてすぐに今のアメリカ合衆国になった訳ではない
独立直後のアメリカは、今よりももっと地方分権的な感じだった

大陸会議が独立戦争中に決めた「連合規約」という憲法もどきの法律に基づいて、
かつての13植民地が13州(states)となって、それぞれ独自の政府を持つという国家連合に近いものだった
実際、アメリカで州を意味する"state"は本来「国家」を意味する英単語であり、
アメリカでは「州」とはまぎれもない「国家」だった
大陸会議を引き継いで、各州からの代表者が集まった「連合会議」が唯一の中央政府みたいなものだった
なお、この連合会議の議長は英語で"president"なので、ある意味ワシントンより前にも、
アメリカ大統領(president)がいたという解釈をすることもできる

でも、ゆるやかな「国家連合」では州ごとにばらばらで統一的な内政が行えず不都合だったので、
もう少し中央集権的な国家体制を作ろうということで、独立から6年後の1787年に「アメリカ合衆国憲法」が作成され、
各州議会でのそれぞれ審議にかけられたのち、1789年に施行したんや

あまりこういうの意識されないけど、この「アメリカ合衆国憲法」は、現存する最古の「近代的成文憲法」なんやで
アメリカの憲法は修正しても、「修正第○条」って形で修正内容を付け加えるだけで、前の条文は消さないから、
今のアメリカ合衆国憲法にも当時から続く条文は残ってるんだぞ

この憲法の下で最初の大統領選挙が行われ、見事選ばれたのが、
先の独立戦争の総司令官として活躍したジョージ・ワシントンという訳だ

39: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 19:30:19.202 ID:cqx3wDTw0
③領土拡大と奴隷制対立の時代
ここからは大統領ごとに業績をまとめることが多くなると思う
というのも、アメリカ史において大統領制はワシントン以降現在まで途切れることなく続いてるわけで
大統領を基準にしてアメリカ史を見ていくのがすっきりするからなんだ(これは他のアメリカ大陸諸国と比べると珍しいこと)

ワシントンの次の第2代大統領はマイナーだからすっ飛ばして第3代大統領トマス・ジェファソンの話をする
こいつは先の独立宣言を起草したことでも有名だが大統領時代の、こいつの一番の業績は、
何と言ってもフランスからミシシッピ川以西のルイジアナ地域を買収したことだろう
これは高校の世界史の授業でも習うから知ってる人も多いと思う
当時のフランスは有名なナポレオン政権下で、ヨーロッパでの戦争に集中したかったナポレオンは、
アメリカにルイジアナを売ることをあっさり了承した

国家の領土を金で売り買いするという感覚は今の日本人にはあまり馴染みないかも知れないが、
アメリカ史では頻繁に見られる現象で、以後のアメリカの領土拡大はだいたいこのような金銭売買によって行われている

このルイジアナ買収によってアメリカの領土は倍近くに増え、
増えた領土にアメリカ人の開拓者が大量に移住してくることになった

ルイジアナ買収で手に入れた領土の中でもニューオーリンズなんかは今でもフランス領時代の名残が見られ、
フレンチ・クォーターやケイジャン料理なんかにそういうフランス文化がうかがえる

あと、ジェファソンは奴隷所有者でありながら、長期的には奴隷制は廃止したほうが良いと考えていたらしく、
アメリカ合衆国が外国から奴隷を輸入することを禁じたのも彼の時代だったりする(ただし奴隷制度自体はその後も存続中)

40: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 19:56:51.801 ID:cqx3wDTw0
続いて、4代目大統領のジェームズ・マディソン
こいつは日本だとややマイナーかも知れないが、一応建国初期からアメリカの政治にかかわったやつだ

彼の時代の大きな出来事は何と言っても「米英戦争」だ
日本だとぶっちゃけマイナーな戦争だがアメリカ史での意義は結構大きい

ことの発端は、ナポレオン戦争に勝つためにイギリスが海上封鎖をしたことにある
当時のアメリカはナポレオン戦争では中立の立場を取り、ナポレオン下のフランスとも貿易していたが、
フランスと戦争していたイギリスはそれが許せず、海上封鎖で米仏間の商船の行き来を邪魔したり、
挙句の果てにはそれで捕らえた商船に乗ってたアメリカ人船員を、イギリス軍に強制徴収して戦争のために働かせた

これに怒ったアメリカ議会はイギリスに宣戦布告し、1812年に米英戦争が始まった
この戦争は先住民や英領カナダを巻き込んで米英の間で激しい領土の奪い合いになったけど、
だんだんアメリカにとってもかなり苦しい戦いになり、戦争末期にはニューオーリンズを占領されたりしてる
(なお、米英戦争末期にニューオーリンズを英軍から解放した英雄が後に大統領になるアンドリュー・ジャクソン)

結局、ナポレオン戦争の終了が近付くと米英で和平することになって、
ガン条約の締結で、米英両国とも全く領土を増やすことも減らすこともなく戦争を終えた

なので、この戦争は無意味なものだったと一般に言われているが、
後世の歴史家によると、この米英戦争によってアメリカ人としてのナショナリズムが芽生え、
それと同時に、イギリス経済に頼らないアメリカの自主的な経済が育まれることになったという面もあるらしい

41: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 20:32:21.309 ID:cqx3wDTw0
第5代大統領ジェームズ・モンロー
こいつは日本でも「モンロー宣言」とか「モンロー主義」の名前で聞いたことある人も多いと思う

こいつの時代は"Era of goo feelings"(良い気持ちの時代)なんて呼ばれていた
彼の時代に政党対立が事実上終焉し、あらゆる党派の人物が政府に登用されたためそう呼ばれた
ちなみに、当時はまだ現在のような民主党と共和党はできておらず、
リパブリカン党(後の民主党の前身)と連邦党(フェデラリスト党とも言う)が主な2大政党だったから注意
ちなみに、モンロー自身は一応リパブリカン党に属していた

モンローの内政面で特筆すべきは「ミズーリ協定」だ
これについて詳しく知るには、当時の奴隷制問題について説明しないといけない
独立後のアメリカは、イギリスやフランスからルイジアナを獲得したことで当初の13州以上に領土が増え、
その増えた領土には順次アメリカ人が入植しては、連邦政府の下で自治政府を作り、
それがある程度発達すると連邦政府から「州」として認められた。
こうして、アメリカを構成する州の数は徐々に増えていったわけだが、
1818年、このような新しい州の1つとしてミズーリ州が誕生した時にちょっとした問題が起きた

独立戦争の最中から、アメリカの北部では奴隷制廃止運動が広がり、
この頃までには北部のほとんどの州では奴隷制が廃止されていた(いわゆる自由州)
一方、南部では綿花農業に使うため黒人奴隷の存在が不可欠であり、依然として奴隷制が残っていた
ミズーリ州ができるまで、奴隷州と自由州の数はちょうど同じだったけど、
奴隷州であるミズーリ州が新たに加わると、奴隷州のほうが数が多くなってしまい、
上院での奴隷制反対派の勢力が弱まることを北部の議員は恐れたわけだ(上院は各州2名の代表から成るため)

結局、奴隷制維持のミズーリの州昇格を認める代わりに、
マサチューセッツ州から分離独立させたメイン州を自由州として昇格させることで妥協した
後の南北戦争にまで続く奴隷制を巡る南北の対立はすでにこの頃から始まった訳だ
(良く、南北戦争の原因は奴隷制でなく自由貿易か保護貿易を巡る対立と主張する人がいるが、
それはあくまで副次的な対立要素にすぎず、やはり当時の主要な南北の対立要因は奴隷制だよ)

42: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 20:43:50.585 ID:is672Ctn0
それイギリスの歴史じゃん
ワシントン周りより前はアメリカの歴史に含むなよ

46: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 21:08:21.435 ID:cqx3wDTw0
>>42
イギリス植民地としての歴史もその後のアメリカ史に残す影響は大きい
さらに言えば、先に述べたようにイギリス統治下の13植民地はかなり大幅な自治を認められていたので、
イギリス領とは言っても、独自の州政府のもとで独自の行政が行われた
あと、普通イギリス史の書物とかでは植民地時代のアメリカ社会について詳しく触れられることはあまりない

44: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 20:47:53.994 ID:Ymw0HTqu0
原住民の掟が憲法にいかされてるのな

46: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 21:08:21.435 ID:cqx3wDTw0
>>44
先住民国家であるイロコイ連邦の制度は現在のアメリカの民主主義につながるところが多く、
実際、ジェファソンなんかもイロコイ連邦の制度に大いに感心し影響を受けたと言われてるね

45: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 21:01:49.190 ID:cqx3wDTw0
続いて、モンロー時代の外交面について
モンロー時代の外交政策を率いた国務長官が次の大統領にもなるジョン・クインシー・アダムズだ
彼はまず1819年にスペインとアダムズ=オニス条約を結び、アメリカの南部に広がるスペイン領との国境問題を解決した
なお、この条約でアメリカはスペインからフロリダを購入している(ルイジアナ購入に次ぐ領土買収だ)

ちなみに、この条約の少し前にアメリカ軍はスペイン領フロリダに侵入している
当時のフロリダに、アメリカから逃げてきた逃亡奴隷たちの砦があったのが直接の原因だったりする
この武力侵略を背景に、アダムズはスペインにフロリダ割譲を認めさせた訳だ
余談だが、このフロリダ侵入の際にアメリカ軍を率いたのが、先の米英戦争でも活躍してたアンドリュー・ジャクソン


外交面でのアダムズのもう一つの業績として、有名な「モンロー宣言」が挙げられる
モンロー大統領が演説で述べた宣言なのでモンロー宣言って言われてるけど、実際に内容を考えたのはアダムズ
宣言の背景には当時ラテンアメリカ地域でスペインからの独立運動が起こっていたことにあり(ボリバルとかが有名)、
この宣言でアメリカは「ヨーロッパと新大陸との相互不干渉」を主張した
つまり「ラテンアメリカでの独立運動はアメリカ大陸での独立運動には干渉するな、アメリカ大陸のことはアメリカ大陸で決める」っていう宣言だ
まあ、アメリカは宣言をしただけで直接的にラテンアメリカでの独立運動を支援した訳ではないんだけど、
当時のアメリカ人の多くが、ラテンアメリカでのボリバルたちの独立運動に、かつての自身の独立戦争を重ね、心情的応援していたのは事実

この宣言の内容はのちに「モンロー主義」と呼ばれるイデオロギーになる
アメリカ合衆国がヨーロッパの問題に関わろうとしない孤立主義や、
ラテンアメリカ諸国に対するアメリカ合衆国のその後の干渉は、
大雑把に言えば、全てこのモンロー主義と呼ばれるイデオロギーによって正当化された訳だ

48: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 21:28:12.884 ID:/FAjIXeo0
歴史が短いから細かいところ掘り下げるしかないっていう
まあ近現代はアメリカが世界史を動かしてる部分あるけど

55: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 22:12:58.150 ID:cqx3wDTw0
>>48
個人的に、アメリカ史の魅力は、こういう細かい政治の動きにあると思うぞ
早い段階で民主主義体制が出来上がってるから、内政でも外交でも色々な対立や変化が生じやすい
あと、今のところここに書いてあることは高校世界史の内容を少し掘り下げた程度の内容なので、決して重要でない訳でもない

50: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 21:36:43.141 ID:V/Xjp5JZ0
これは面白い

けど長い

51: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 21:39:58.891 ID:Dcl+3swz0
伝説のガンマンとかは興味あるけどな
禁酒時代の話とか

53: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 22:01:29.283 ID:cqx3wDTw0
モンローの次の大統領は、先述のジョン・クインシー・アダムズだが、
彼は大統領時代には目立った業績を残していないので飛ばす

第7代アンドリュー・ジャクソン
先述の通り、米英戦争やアメリカのフロリダ侵入(第一次セミノール戦争)などで活躍した軍人だ
こいつは今までの大統領とは違い、あまり裕福ではない庶民の出身で、十分な教育を受けていなかった
そのような庶民出身の大統領が誕生したことから、彼の時代はしばしば「ジャクソニアン・デモクラシー」と呼ばれる
実際、ジャクソンが大統領になるまでの間に、アメリカの全ての州で選挙権が拡大して、
資産の有無に関係なく選挙権が与えられる普通選挙がアメリカ全土で行われるようになった
もちろん、黒人奴隷や女性には依然として選挙権はなかったが、ジャクソンの時代には、
資産や家柄に関係なくアメリカの全ての「白人男性」が選挙権を持つことが当然だと考えられるようになった
地主にしか選挙権が認められていなかった独立当初の時代に比べるとこれはアメリカ民主主義の大きな変化と言えなくはない

ジャクソンは高校の世界史の授業でも良く出てくる人物で、特に「インディアン強制移住法」を制定したことで有名だ
これは、合衆国政府が用意した「保留地」と呼ばれる土地にインディアンを強制的に移住させ、
インディアンがそれまで住んでたところへの白人入植を促す法律だ
この法によって、白人の文明を早い段階で取り入れていたことで文明化五部族と呼ばれていた南部のインディアン諸部族が、
次々と居住地を追いやられ、強制的に保留地に移住させられた
中でもチェロキー族の移住は「涙の道」とか言われるほど悲惨だったので、高校の世界史資料集とかにも良く載ってる

ちなみに、このチェロキー族はアルファベットをもとに独自の文字(チェロキー文字)を作ったりして、
一部の富裕なチェロキー族は黒人奴隷を所有するぐらい、白人文明を受け入れていたのだが、
そのような「文明化」したと考えられてた部族でもお構いなしに強制移住の対象とされた訳だ

1835年には、文明化五部族の1つで、強制移住に反発していたフロリダのセミノール族を相手に、
第二次セミノール戦争(しばしば単に「セミノール戦争」と呼ばれる)を行い、インディアンを徹底的に弾圧した
この戦争は「インディアンのベトナム戦争」と呼ばれてるらしい

ジャクソンは民衆の支持を背景にかなり強権的な政治をしたので、反発者も多く暗殺未遂も起きている
また、先述のジャクソニアン・デモクラシーの一環として、ジャクソンは猟官制を導入している
これは、大統領が自ら選んで、自身の支持者や友人を公務員に採用するシステムで、
19世紀後半に現代の日本のような試験による公務員採用が行われるまで続いた
当時のアメリカでは、民主的な選挙で選ばれた大統領の派閥の人物が公務員になったほうが、
民意をより反映しているため良いと考えられたんだよね
だから、猟官制では政権交代のたびに連邦政府の公務員が大きく入れ替わるという事態が頻繁に生じた訳だ

54: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 22:10:13.021 ID:cqx3wDTw0
ついでに言うと、先述したリパブリカン党がこのジャクソン支持派として結束し直して「民主党」と名前を変えた
今のアメリカの二大政党制を率いる民主党(オバマのいる政党)はこの時代にできた訳だ
なお、それに対してジャクソン反対派はホイッグ党と呼ばれる政党を作る(これがのちの共和党になる)

あと余談だが、ジャクソンは庶民出身でちゃんとした教育を受けてなかったので、
"all correct"の綴りを間違えて"Oll Korrect"とし、そこから"OK"という英単語が生まれたという俗説がある

57: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 22:51:29.891 ID:cqx3wDTw0
ここから3人ほど無名な大統領が続くので一気に11代まで飛ばす
ただ、この時代にはアメリカ人の西部開拓がさらに進んだ
ルイジアナ買収で増えた西部領土に移住したアメリカの開拓民は太平洋岸を目指してさらに西に進んだ
そうして「オレゴン街道」と呼ばれる道を通って、太平洋岸のオレゴンにまで到達した訳だ

また一方、当時メキシコ領だったテキサスにもアメリカ人開拓者は入植した
彼らは移住先で現地のメキシコ政府と対立したためテキサス独立戦争を起こし、
テキサス共和国として1836年にメキシコから独立した
このテキサス独立戦争でのアラモ砦の戦いなどは今でも映画など創作物で頻繁に取り上げられるので有名だと思う

11代大統領ジェームズ・ポーク
彼は日本でもアメリカでもいまいち知名度は低いが、外交的には結構重要な業績を残している
というのも、彼の時代にアメリカはさらなる領土拡大を経験することになるからだ
まず、先述の通り、アメリカ人開拓者によってメキシコから独立したばかりのテキサス共和国が、
アメリカ合衆国への併合を申し込んだので、ポークはこれを承諾して1845年にテキサスがアメリカの領土となることになった

続いて、オレゴンだがオレゴン街道で入植が進むまで大して人がいなかったので、
この地域は長い間アメリカとイギリスの共有領土ということになっていた
しかし、オレゴン街道を通ってアメリカ人開拓者の入植が進む中、国境線をしっかり決めようと言う動きが出てきて
1846年にオレゴン条約で英米は平和的に国境を決め、オレゴンが正式にアメリカ領となった

こうして順調にアメリカの領土を増やしたポークは続いて米墨戦争を行った
アメリカによるテキサス併合を頑として認めないメキシコとの間で戦争が生じた訳だ
この戦争はアメリカの大勝に終わって、負けたメキシコからアメリカは莫大な領土を奪った
この時にメキシコからアメリカに割譲された領土は、カリフォルニアやネバダ、ユタなど広範囲に及び、
こうしてアメリカは後の西部開拓時代につながる南西部の領土を手に入れたわけだ

ポークの時代にアメリカ合衆国は、現在の領土のうちハワイとアラスカ以外のほぼ全域を版図に広げた訳で、
そういう意味で、この時代はジェファソンのルイジアナ購入に続くアメリカ領土拡大の一大転機でもあったと言える

58: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 23:06:46.247 ID:cqx3wDTw0
ここまでで、アメリカの領土拡大はいったん終わる
(一応、1853年にメキシコからガズデンと呼ばれる地域も購入してるけど細かいの割愛)

ちょっと長くてややこしくなったので領土拡大についてだけ簡単にまとめると

最初に東部の13植民地が独立

独立戦争で勝利後(1783年)パリ条約でイギリスからルイジアナ東部を獲得

ジェファソンがフランスのナポレオンからルイジアナ西部を購入

モンロー(時代の国務長官アダムズ)がスペインからフロリダ購入

メキシコから独立したテキサス共和国をポークが併合

ポークの下、オレゴン条約で英米間の太平洋岸国境を決め、オレゴンがアメリカ領に

ポークが米墨戦争によってメキシコからカリフォルニアなどの南西部領土を獲得

こういうふうにどんどん領土が増えたから、俺は19世紀前半のアメリカを領土拡大の時代と呼んでる
これ以降のアメリカは奴隷制を巡る対立が顕在化し、南北戦争への兆しが見える時代になる

59: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/25(木) 23:35:32.734 ID:cqx3wDTw0
ポークの次の大統領は就任後1年ちょっと死ぬので飛ばす
ただ、ポークから次の大統領に移る間に特筆すべき出来事が起きてる
それがゴールド・ラッシュ
1848年、カリフォルニアで砂金が見つかった
同年、米墨戦争が終わってカリフォルニアがアメリカ領となっていったので、
砂金を求めてカリフォルニアに移住するアメリカ人が多発した
彼らはフォーティナイナーズ(1849年に移住したから)と呼ばれ、
この集団によるカリフォルニアの人口増加が後の西部開拓時代を誘発する訳だ

第13代大統領ミラード・フィルモア
こいつもアメリカ史においてはそこまで目立った業績はないが、
一応ペリーを日本に派遣して開国した大統領なので軽く取り上げておく
彼の時代には、メキシコから割譲された領土が自由州になるか奴隷州になるかで対立が起き、
最終的に1850年協定と呼ばれる妥協案が議会で決められた
この協定では、カリフォルニアが自由州となる代わりに、ニューメキシコなどでは奴隷制は禁止されず、
また首都ワシントンDCでの奴隷貿易が禁止される代わりに、逃亡奴隷法が制定された
逃亡奴隷法は、逃亡奴隷を必ず所有者に返還させるよう定めた法律で、
当時、「地下鉄道」と呼ばれた奴隷制廃止論者の秘密結社が、
南部の奴隷の北部への逃亡を援助していたことに対する取り締まり強化みたいなものだった

以上のことはフィルモア自身の業績というよりは当時の議会の動向に過ぎず、
奴隷制廃止派と奴隷制維持派で激しく対立していた当時の議会をフィルモアは上手く収められなかったらしい
そのため、奴隷制度に関して、上記のような妥協的な方向が決まった訳だ

63: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 00:11:40.105 ID:OzjFBq390
ここから、ピアース、続いてブキャナンと民主党出身の大統領が2代連続で続くが、
この頃には奴隷制を巡る南北の対立が爆発寸前のところまで進んだ

まず、1854年に南部の奴隷制支持者の強い指導のもとでカンザス・ネブラスカ法とが制定された
この法律は、奴隷制反対派にとっては、先述の1820年に決まったミズーリ協定を覆すものと考えられた
というのも、(さっき説明するの忘れてたんだけど)ミズーリ協定では、ルイジアナ購入地域において、
ミズーリ州を例外として、北緯36度30分以北の州は自由州、以南は奴隷州と定めていたのだが、
カンザス・ネブラスカ法では、ルイジアナ購入地域に当たるはずのカンザスとネブラスカが州に昇格するにあたり、
これらの州で奴隷制を導入するか否かは、各州の人員に任せるべきだとしたんだ

意外かも知れないけど、州内の制度は州で決めるべきという主張は南部の奴隷制維持者のほうが強く唱えてて、
北部の奴隷制廃止論者は、奴隷制に関することは連邦政府が決めてバランスを保つべきと主張していた
連邦制という理念に関しては、南部のほうがより強く信奉してたと言える訳だ

同年、このカンザス・ネブラスカ法に反発した奴隷制廃止論者(主にホイッグ党のメンバー)が集まって「共和党」ができた
最近のブッシュとかトランプとかのいる保守的な共和党からはイメージわかないかも知れないが、
その成立当初においては共和党は奴隷制廃止論者の集まりで、リンカンもこの共和党のメンバーだった

奴隷制廃止運動は、ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』みたいな小説によっても推進され、
1859年にはジョン・ブラウンという過激な奴隷制廃止運動家まで現れた
ジョン・ブラウンは南部の奴隷所有者の家を襲って、武力によって南部の奴隷制を解放させようとした
この武装蜂起は最終的に鎮圧されてジョン・ブラウンは絞首刑になったんだけど、
北部の奴隷制廃止論者の多くが彼に同情したため、南部はこれに恐怖したらしい
(ただし、奴隷制反対派でもリンカンなどの政治家はジョン・ブラウンの行動を過激すぎるとして非難している)

こういう奴隷制度をめぐる諸々の対立が渦巻く中で、南北戦争が始まるんだよね
ここまで見て分かるように、南部と北部の当時の対立のメインはあくまで奴隷制だった
もちろん最近主張されるように、保護貿易と自由貿易の対立もあったけど、こっちはそんなにメインじゃない
当時の大部分の政治家も内政における一番の関心を奴隷制度問題に置いていたことからもそれは明らかだ

65: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 00:54:26.482 ID:OzjFBq390
④南北戦争
言うまでもなくアメリカ史における一大イベントな訳だが詳しく個々の戦いを見たりすると長くなりすぎるので、
政治的な流れだけに焦点を絞って語っていく

第16代エイブラハム・リンカーン
南北戦争の直接的なきっかけは、そもそもこいつが大統領になったことに起因する
リンカーンは、奴隷制反対を掲げて結成された共和党に属しているうえ、若い頃に北部の自由州で生まれ育ったので、
南部の政治家の多くは、彼が大統領になったら奴隷制維持が困難になると恐れた
まあ実際、政治家としてリンカーンは大統領に就任する時に、
「自分は決して南部での奴隷制をすぐに廃止するつもりはない」と主張したんだけど、
それでも分裂は防げず、結局は南部諸州は合衆国から独立して「アメリカ連合国」の建国を宣言してしまった
大統領就任当初のリンカーンは、奴隷制よりも何よりも、アメリカの統一維持こそが最優先だと考えていて、
だからこそ、上記のような南部による勝手な離脱を認めることはできず、
結局、このアメリカ連合国(通称「南部連合」)との戦争が開始してしまった
これがいわゆる南北戦争だ

なお、確かにリンカーンは当時の南部の指導者が考えてたほど過激な奴隷制廃止論者ではなく、
すぐにでも南部の奴隷制を廃止してやろうとは恐らく考えてなかったのは確かだけど
長期的には奴隷制度は倫理的に容認できないことだと主張してたし、
カンザス・ネブラスカ法などを通して奴隷制がこれ以上アメリカで拡大するのには断固反対していたから、
そういう意味では、南部の奴隷制擁護者がリンカーンを警戒して、アメリカからの独立を宣言したのもあながち早計ではなかったんだよね

66: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 01:16:49.964 ID:OzjFBq390
南北戦争での細かな戦いや軍人たちについても語りたいが、
マクレランやリーなどの将軍たちは日本だといかんせんマイナーなので割愛する

さて、リンカーンは南北戦争においてイギリスなど諸外国の支持を取り付けるために「奴隷解放宣言」を出した
イギリスは奴隷制をすでに廃止していたから、「奴隷解放」を戦争の主イデオロギーに据えれば、
イギリス国内の世論的に南部の味方はしにくいだろうと考えたからだ
有名な奴隷解放宣言はあくまでこういう外国向けのアピールから実際は多くの例外規定が設けられてて、
例えば、奴隷州だけど南部連合に加わらなかった州の奴隷制などは引き続き維持された訳だ(そうしないと味方を減らしてしまう)
とは言え、この宣言の後、南部連合の領域のうち北軍が占領した地域の奴隷は解放されることになり、
彼ら解放奴隷を基にして、北軍では黒人部隊が作られたりしたので、奴隷解放の意思が全くなかった訳でもない

言うまでもなく有名な話だけど、この南北戦争中に有名なゲティスバーグ演説が行われ、
この時にリンカーンは「人民の人民による人民のための政治」という有名なセリフを生み出した

こうして、1865年に南軍が降伏したことで南北戦争は終結した訳だ

67: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 01:52:02.115 ID:OzjFBq390
南北戦争直後はいわゆる「レコンストラクション」(再建)の時代って言われてる
戦争で荒廃した南部をどう再建してアメリカ合衆国の一員に戻すかが主要テーマだ

先に述べた奴隷解放宣言は不十分なものだったので、リンカーンは戦争が終わりそうになるとすぐに、
憲法を改正して奴隷制をアメリカ国内で完全に廃止する方針を決めた
こうして憲法修正13条が制定され、アメリカでは法的に奴隷制の廃止が決められた
なお、この条項が批准されたのはリンカーン暗殺直後だったりする(起草自体はリンカーンの時代だが)

周知の通り、リンカーンは南北戦争終了直後に暗殺されたので、
実際に南部のレコンストラクションを行うのはその後の大統領たちだが、
その前にリンカーンの南北戦争以外の業績について簡単に述べておく


リンカーンは南北戦争だけでなくアメリカ西部開拓を推進したことでも有名なんやで
例えばホームステッド法というのをを制定して、西部開拓民が農地を低価格で購入できるようにしたり、
アメリカの東部と西部をつなぐための大陸横断鉄道の建設を支援したりした

また、リンカーンはインディアンとの戦争を行ったことでも有名で、
スー族というインディアンの反乱(ダコタ戦争)を鎮圧すると、そのうち38人の処刑を許可してもいる

69: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 02:33:48.532 ID:OzjFBq390
レコンストラクション期はアンドリュー・ジョンソンとユリシーズ・グラントという2代の大統領の時代にまたがってる

レコンストラクション初期は共和党急進派が議会での中心的勢力を占めていたので、
奴隷制廃止を定めた先述の憲法修正第13条に続き、憲法修正第14条で全ての人種に公民権を認めることを定め、
さらに憲法修正第15条で全ての人種に選挙権を与えることを定めた
こうして、憲法の上では黒人も公民権(分かりやすく言うとアメリカ人としての市民権のこと)と選挙権が認められたという訳

レコンストラクション時の南部は北部の連邦軍に占領され、
カーペットバガー(南部に来た北部人の蔑称)やスキャラワグ(北部支配に協力的な南部人の蔑称)によって、
南部諸州の政治は執り行われていた
彼らの支配下で上記のような憲法の修正条項が南部で施行された訳だ

でもこうした北部の共和党による南部支配に南部の白人は反発し抵抗した
そのもっとも有名な例が、秘密結社「クー・クラックス・クラン」(KKK)の結成だ
この団体はしばしば黒人への過激な暴行や殺害を働くことで、北部の支配に不満だった南部の白人の支持を集めた

1877年にラザフォード・ヘイズが大統領になると、レコンストラクションは終了し、
連邦軍は南部から撤退し、南部諸州の政治は再び南部白人の自治に委ねられることになった
その直後、南部では「ジム・クロウ法」と呼ばれる様々な人種差別的な州法を制定して
北部支配時代に禁止されていた黒人に対する差別を再び復活させちゃうんだよね
ジム・クロウ法は南部における人種差別的な法律の総称なんだけど、
例えば公共の鉄道やレストラン、学校などを黒人用と白人用に分けたり、
重い投票税をかけたり、投票用テストを受けさせることで、黒人から選挙権を事実上奪ったりしたわけだ
南部におけるこのような人種差別は、約90年後の1960年代まで続いたことは、日本でも有名かもね

ちなみにKKKの活動は、レコンストラクションの終了で存在意義をなくしたから一時的に衰退するけど
後の1920年代にはさらに活動を過激化させ復活し、黒人のみならず白人でも黒人に協力的な者や、
共産主義者やユダヤ人なども攻撃対象にして様々なリンチ等を行った
(しかしKKK指導者がその犯罪行為で有罪判決を食らったことを契機に1930年代にはまた衰退した)

以上で南北戦争とレコンストラクションの時代は終わる
ここまでのアメリカはまだ地域大国の一つって感じだけど、
この後の19世紀後半を通してアメリカは本格的な列強の一員となる下地を蓄えていく

70: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 02:36:09.296 ID:OzjFBq390
ここら辺でいったん力尽きたので休眠する
続きはまた起きてから投稿するわ

71: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 07:48:07.277 ID:lS+QT6hv0
保守しておこう

72: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 09:57:45.359 ID:OzjFBq390
⑤金ぴか時代と西部開拓時代
南北戦争終了後の19世紀後半のアメリカを指す言葉として「金ぴか時代」ってのと「西部開拓時代」ってのがある
この時代は民間視点での社会的経済的変化が重要で、大統領ごとに業績を連ねてもあまり意味ないから、
大統領ごとにまとめずに重要な流れを順に追っていくことにする

まず「金ぴか時代」の説明からする
この用語の命名自体は、『トム・ソーヤーの冒険』とかで有名な小説家マーク・トウェインによるもので、
南北戦争終了後の1870年代から1890年代にかけて、アメリカでは資本主義経済が一気に発展したが、
それと同時に、資本家やそれと癒着した政治家たちによる腐敗や成金趣味などが目立ってきたことを皮肉って名付けたらしい

実際、この時代のアメリカは巨万の富を築いた有名な実業家がたくさん現れた
石油王ロックフェラー、鉄鋼王カーネギー、銀行家モルガンとか、今でも有名なアメリカの大富豪はみんなこの時代の人間だ
この時代にアメリカの経済は莫大な発展を遂げて、当時世界一の経済力を持つイギリスにGNPで追いつき始める
良く「アメリカはいつから列強の一員になったの?」と疑問に持つ奴は多いが、俺はこの金ぴか時代を挙げるな

当時成功した企業家たちの多くは、トラスト(企業合同)を繰り返すことで市場の独占を図り財閥みたいなのを築いた
南北戦争終了直後のアメリカ政府は経済については自由放任的な方針だったもんだから、
トラストによる独占資本家の誕生が大いに進んだんだ
(ちなみに、当時アメリカで最初にトラスト形成で富を築いたのが石油王ロックフェラーだ)
こういう国内の資本家と結びついたアメリカの政治家たちは、関税をめっちゃ引き上げることで、
保護貿易体制をとって、国内の資本家が成長するのを手助けしたんだ

どこでも同じだが、こういう資本家の成長と表裏一体に生じるのが労働運動の発展ってやつで、
アメリカでも1886年にはアメリカ労働総同盟(略称AFL)っていう労働組合が誕生している

余談だが、発明王エジソンが数々の発明をして名をとどろかせたのもこの金ぴか時代で、
アメリカは経済発展だけでなく、こういうエジソンに代表されるような技術的な発展も成し遂げた訳だ

73: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 10:46:08.676 ID:OzjFBq390
続いて、19世紀後半を特徴づける「西部開拓時代」だ
時代的には、先述の金ぴか時代とほぼ被ってて、南北戦争終了直後から1890年代ぐらいまでだ
「西部劇」で舞台になってるのはだいたいこの時代だぜ

今まで述べたように、1840年代のポーク大統領の時代までには、
アメリカ合衆国は(ハワイとアラスカを除けば)ほぼ現在の領土になってた
さらに1849年には砂金を求めた移住者によってカリフォルニアの人口が増加し、
すでに南北戦争前から「西部開拓」の兆しは見えていたとも言えるね

とは言え、南北戦争までは依然として西部の土地の大部分は、
白人人口が極端に少なくて、アメリカ人にとっては開拓しがいのある土地が広がってた訳だ
良く言う「フロンティア」ってのは、人口密度が一定の水準以下の土地を指すんだけど、
当時のアメリカ西部にはそのようなフロンティアがたくさん広がっていた訳だ
ただ、このフロンティアの認定水準である人口密度の測定においては、
あくまで白人のみの人口密度でインディアンが数に含まれていなかった
だから、フロンティアと言っても実際はインディアンの住む土地だったりすることも多く、
西部開拓時代は、そこに新たに住みつこうとする白人とインディアンとの戦いの時代でもあるんや

南北戦争後に西部開拓が進んだ大きな原因の一つが「大陸横断鉄道」の完成や
リンカーンの頃に政府の支援も受けつつこの鉄道の建設は進められて、とうとう1869年に、
ネブラスカ州オマハとカリフォルニア州サクラメントを結ぶ大陸横断鉄道が完成したんや
この鉄道の完成によって、今までは幌馬車とかで何日もかけないと移動できなかった西部に、
鉄道を使って一気に移動することができるようになり、西部への人やモノの移動が盛んになった訳だ

もう1つの原因は、これまたリンカーンの時代にホームステッド法が制定されたことだ
この法律でアメリカ人はかなりの安価で西部の土地を買えるようになって、開拓意欲が湧いたんや

以上の原因が合わさって西部開拓時代が進むんやけど、以下この時代についてもう少し詳しく見ていくで

75: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 11:44:20.195 ID:OzjFBq390
西部開拓時代のアメリカ西部のイメージは、「西部劇」なんかを見てなんとなく想像つく人も多いと思う

日本人が西部劇で真っ先にイメージするのはカウボーイやガンマンや保安官などだろう
これらについて順に説明していく

まず西部開拓時代を一番象徴してそうなカウボーイについて
そもそもカウボーイとはもともと、テキサスで野生化していた大量の牛を鉄道の駅まで運び
他の地域へ輸送する仕事に従事していた人間を指してた(だからカウ(牛)ボーイな訳だ)
牛の放牧地から駅までは結構な距離があったので、その道程はロングドライブと呼ばれ、
結構な時間をかけて、馬に乗ったカウボーイが牛たちを追い立てながら駅まで運んだんだ
なお、「カウボーイ」という呼称は、やがてこの牛の輸送業者以外に対しても使われ、
この牛追い人を襲撃して牛を奪う「牛泥棒」のこともカウボーイと呼んでいたらしい
次第にカウボーイの意味は多義化して、単に牛を飼ってる牧童全般をそう呼ぶようになり、
さらに現在は、西部劇に出てくる、カウボーイみたいな恰好をしているやつ全般を指すようになってしまってる
今ではカウボーイはこの西部開拓時代のアメリカを象徴するような存在になってる野は言うまでもない

続いてガンマンの説明だ
ガンマンとはその名の通り、銃の扱いに長けている奴、つまり射撃の名手を指す言葉だ
この時代の西部は、「西部劇」のイメージから分かるようにすこぶる治安が悪くて、
銃を携帯していないととてもじゃないけど暮らしていけなかった(今のアメリカの銃社会の原点みたいなもの)
だから、先述のカウボーイ含め多くの西部開拓民が銃を携帯していて、中には射撃の腕で名を馳せるやつもいた
当然だけど有名なガンマンの中には、犯罪を働く無法者もたくさんいて、
西部劇に出てくる有名なやつだと、ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェイムズなんかが挙げられるな

ガンマンにはアウトローばかりでなく彼らを取り締まる保安官もいた
アメリカの警察制度は州ごとに異なってて複雑なので説明しにくいが、
ようは、保安官ってのは地域の治安維持を担当する警察官みたいな役職だと思って良い
ちなみに、今も保安官っていう役職はアメリカのいくつかの地域で残ってる
西部劇に出てくる有名どころだとワイアット・アープやワイルド・ビル・ヒコックなんかが挙げられる

こういう保安官やアウトローなどのガンマンたちの間での様々な物語は、
後に西部劇として映画やドラマなどで取り上げられたので、知ってる人も多いと思う
彼らがリアルに活躍してたのがこの「西部開拓時代」って訳だ

76: アスペニート 2016/08/26(金) 11:56:01.704 ID:3l1j3gCE0
おもしろい

77: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 12:15:46.112 ID:OzjFBq390
さて、西部開拓時代を特徴づけるもう一つの要素がインディアン戦争
白人たちが開拓していったフロンティアには、先住民がいたためしばしば彼らと高いになった
アメリカ政府は、先述のインディアン強制移住法などに基づいてそのようなインディアンを居留地に追いやった
そのため、それに反発した先住民との間での戦いが頻繁に生じた

リンカーン時代に起きたダコタ戦争を先ほど説明したが、この反乱を起こしたスー族というインディアンは、
南北戦争後の西部開拓時代を通して、頻繁にアメリカ政府と対決した
この時代のインディアン戦争の中でも特に有名なのが、リトル・ビッグホーンの戦いだ
このときにスー族の一員として戦った有名な先住民がシッティング・ブルだ
一方、アメリカ軍側の将軍はこれまた有名なカスター将軍だ(彼はリトル・ビッグホーンの戦いで戦死してる)
なお、この戦いは、インディアン側が勝利した戦闘という意味でも珍しいものである

スー族以外には、アパッチ族のジェロニモなんかも当時白人に抵抗したインディアンとして有名だな
当然だが、彼らインディアンとの様々な戦いは次第に白人側が優勢になっていき、
1890年に「ウンデット・ニーの虐殺」と呼ばれる事件で、スー族を大量に殺害したことを最後に、
インディアンとの戦いは終了し、インディアンたちの抵抗は完全に鎮圧された訳だ

この1890年に、アメリカ政府は地理的調査の結果、「フロンティアの消滅」を宣言する
つまり、アメリカの西部は白人によってどこも完全に開拓しきっており、十分な人口密度を持つようになったってこと
これをもって、アメリカの「西部開拓時代」は終わりを告げ、
以後のアメリカは拡大意欲をアメリカ国外に目を向けることになり「帝国主義の時代」に移っていく

78: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 12:37:48.602 ID:OzjFBq390
余談だが、南北戦争後の1868年にアメリカはロシアからアラスカの購入もしている
こうしてアメリカは金ぴか時代・西部開拓時代に、さらにアラスカまで領土を広げた訳だ

79: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 13:21:50.054 ID:OzjFBq390
⑥帝国主義時代
ここまでのアメリカはあまり世界史に絡まず内向きの歴史だったが、
19世紀末からは帝国主義的政策を開始し、積極的に海外領土を狙っていくようになる
現在、反米主義者が良く使う言葉である「米帝」としてのアメリカはこの時代に始まったと言える
ここからは再び大統領ごとに業績を追っていく形にする

第25代大統領ウィリアム・マッキンリー
山の名前にもなっていることで有名な大統領だ
1890年に西部開拓が終了したアメリカは、彼の時代に国外へその領土拡大欲を伸ばしていく
マッキンリーは1898年に2つの方向で領土拡大政策を実行している

まず1つがハワイ併合だ
ハワイ王国は19世紀を通してアメリカから移り住んだ白人が結構いたんだけど、
彼らは1893年にアメリカ軍の支援の下でクーデターを起こし、ハワイ先住民による王政を廃止し、
ハワイ共和国を建国して、さらにはこのハワイ共和国をアメリカ合衆国に併合して欲しいと頼んだ
マッキンリー以前のアメリカ大統領は、ハワイの共和制政府自体は承認しても併合までは認めなかったんだけど、
1898年に帝国主義者のマッキンリーはハワイの併合を受け入れ、この結果ハワイはアメリカ領になった

もう1つが米西戦争だ
これはその名の通り、スペインとアメリカの間で起きた戦争だ
当時スペイン領だったキューバで、現地人によるキューバ独立戦争が行われてたんだけど、
ヨーロッパの国によるアメリカ大陸の支配を嫌うモンロー主義が根強いアメリカ人の世論は、
このキューバの独立戦争に同情的で、新聞などのメディアを通して反スペイン感情が高まっていた
こうした世論の後押しを受ける形で1898年にマッキンリーはスペインとの戦争を開始した
この戦争はアメリカ側の勝利に終わり、スペインはキューバの独立を認めただけでなく、
その他に植民地として持っていたグアム、プエルトリコ、フィリピンをアメリカに割譲した
このとき、スペインから独立したキューバも事実上アメリカの保護国としたので、
この戦争でアメリカは、当時スペインが持っていた主要な植民地をほぼ全て奪ったことになる

なお、リンカーンや後のケネディほど有名じゃないけど、マッキンリーも在職中に暗殺されてて、
彼の死後は当時副大統領だったセオドア・ルーズヴェルトがその後を継いだんだ

80: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 14:15:08.923 ID:OzjFBq390
第26代大統領セオドア・ルーズヴェルト
テディという愛称でも有名なアメリカの大統領だ
彼も帝国主義的な対外政策で有名なんだが内政面でも色々と業績を残してるので先にそっちに触れる

まず、彼は金ぴか時代に蔓延った一部の資本家による市場独占を是正するために
それまでいわゆるザル法としてあまり使われてなかった反トラスト法(19世紀末に制定済み)を使って
積極的なトラスト解体政策を行って、不当に富を独占していた企業を取り締まった
あと、当時としては珍しく自然保護運動を早い段階から推進したことでも有名

しかし、彼の治世の業績の主要部分は前任のマッキンリーの方針を引き継いだ対外政策だ
先述の通り、米西戦争が終わると、フィリピンがスペインからアメリカに割譲されたんだけど、
当のフィリピン人はアメリカの支配を認めず、アメリカに対する独立戦争を起こした
これがいわゆる米比戦争と呼ばれるもので、マッキンリー大統領の時代から続いて、
セオドア・ルーズヴェルトの時代に終了した戦争だ
この戦争に勝利したセオドアはフィリピンを植民地化した訳だ
なお、この戦争については国内でも「帝国主義的だ」ということで反対意見がそこそこ出てる

さらにセオドア・ルーズヴェルトは米西戦争でスペインから独立したキューバに対して、
プラット条項と呼ばれる条文(アメリカがキューバに内政干渉できることを認めた内容)を、
キューバの憲法に書き込ませて、キューバへの事実上の保護国化を推し進めた
また、セオドアは1903年にコロンビアからパナマを独立させ、その代わりにパナマ政府に対して、
パナマ運河の建設権と租借権を認めさせた(この運河が完成したのは1914年)
上記のような、セオドアのカリブ海地域に対する一連の帝国主義政策は棍棒外交と呼ばれてる

また、セオドアは日露戦争を調停してポーツマス条約を結ばせたことでも有名だ
これは世界史だけでなく日本史でも扱うので知ってる人も多いと思う
この功績で彼はノーベル平和賞を受賞していたりもする
とは言え、このアメリカの政策の裏には中国に進出したいというアメリカの思惑があったのは有名だ
マッキンリー時代からセオドア・ルーズヴェルト時代にかけての国務長官ジョン・ヘイは、
1899年に出した門戸開放宣言のもとで、列強による中国分割を非難し、
(アメリカ含む)あらゆる国が中国に経済進出する権利を持っているはずだと主張していた
だから、日本とロシアの戦争を仲裁することで「漁夫の利」的に満州進出を狙ってたんだけど、
結局、日露戦争後もアメリカは思ったほど中国に進出できず、
このせいでむしろ日本との関係が悪化してしまった
いわゆる黄禍論などの日本脅威論がアメリカで盛り上がる契機にもなった

81: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 14:44:54.458 ID:OzjFBq390
⑦第一次世界大戦と狂騒の20年代
次の大統領は大した業績を残してないので飛ばしてウィルソンの時代に入る
彼の時代の最も重体なイベントはなんと言っても第一次世界大戦だ
日本だといまいち盛り上がってない第一次世界大戦だがアメリカが超大国となる大きな出来事でもある

第28代大統領ウッドロウ・ウィルソン
大統領に就任当初の彼もいくつか業績を残してはいるんだが細かいので割愛し、
第一次世界大戦に関することだけ触れていく
1914年に第一次世界大戦が始まった当初は中立を保っていたものの、
国内世論は英仏などの協商国寄りで、協商国への物資支援や戦費貸付が行われた
このおかげで、戦後のアメリカはヨーロッパ諸国に対して債権国となった訳だ

周知の通り、ドイツの無制限潜水艦作戦によって、アメリカ人の乗った客船が沈められたことが、
アメリカ国内の反独感情に火をつけ、参戦へと向かわせた訳だが、
より直接的なきっかけは、この沈没事件より後に起こったツィンメルマン電報事件だったりする
アメリカの参戦を恐れたドイツの外務大臣ツィンメルマンがメキシコ政府に電報を送って、
「アメリカが一次大戦に参戦した時には、メキシコがドイツ側で参戦してくれないか?」と頼んだ訳だ
メキシコが参戦してくれた場合の見返りとしてかつて米墨戦争でアメリカに奪われた領土の奪還を、
この電報では提示してたんだけど、あろうことか電報の内容がアメリカにばれて、
キレたアメリカ政府はすぐさまドイツに宣戦布告した訳だ
(なお、メキシコは当時革命中で混乱してたこともあって、このドイツからの参戦の誘いを結局断ってる)

このアメリカの参戦によって第一次世界大戦は一気にドイツは不利になり、
最終的にドイツたち同盟国陣営の敗北で戦争が終わったのは周知の事実だ

82: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 15:08:47.365 ID:OzjFBq390
第28代大統領ウッドロウ・ウィルソン(続)
第一次大戦中にロシアで成立したソヴィエト政権の出した「平和に関する布告」に対抗して、
ウィルソン大統領は「14ヶ条の平和原則」を唱え、その中で「民族自決」や「国際連盟創設」などを唱えた
ここで唱えられた民族自決はあくまでもオーストリアやトルコなど敗戦国の領域における少数民族の独立を唱えたものにすぎないけど、
それでも「民族自決」っていう概念が列強によって名目だけでも唱えられた影響は大きく、
世界中の植民地における独立運動がこの頃から活発化する原因の一つにもなった訳だ

戦後すぐにウィルソンの提案に従って国際連盟が出来上がるんだけど、
周知の通り、ウィルソンの努力もむなしく、アメリカは国際連盟に参加しなかった
提案者のウィルソン自身は当然アメリカの国連加盟を望んでいたけど、
孤立主義を奉じ内政干渉を嫌ってた議会は国連加盟を否決してしまう

なお、ウィルソン自身はこの国連創設の功績でノーベル平和賞を受賞してる

84: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 15:44:54.301 ID:xOmr4OEU0
面白そうなスレ発見

85: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 15:53:27.880 ID:OzjFBq390
「狂騒の20年代」もしくは「禁酒法時代」もしくは「ジャズ・エイジ」

さて、第一次世界大戦が終わり、現代的なアメリカ文化・アメリカ社会ができた1920年代に入る
実は個人的にこの頃のアメリカ文化が一番好きなんだが、それは置いておいてまず政治的な話からしよう
1920年代の大統領は、初期だけ民主党のウィルソンが務めたが、
それ以降は、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーと、3代続けて共和党の大統領が続く

政治的には保守的な思想が強まった時代でもあって、
1920年、国内の強い禁酒運動のもとで有名な「禁酒法」が制定されている
これによってアルコールの製造や販売が禁じられたので、
酒を飲みたい人たちは非合法な組織から買うしかなく、
その結果、アル・カポネに代表されるマフィアが台頭することになった

他にもこの頃の保守的な動きとしては1924年の「移民法」制定による移民排斥も進んだ
日本では排日移民法って呼ばれてるように、この法律で日系人の移民が事実上禁止されたけど、
排斥の対象は何も日本人だけではなく、その他のアジア人や南東欧の移民も制限された

あと、先述のKKKの活動が活発になったのもこの時代だ
彼らは人種主義的思想をより強め、黒人のみならずあらゆる人間を攻撃した

とは言え、20年代は決して保守的な政治思想ばかりではなく、中にはリベラルな動きもあって、
その一例として、1920年に女性参政権がアメリカで認められたことが挙げられる

政治的な話はここまでにして、1920年代における経済や文化、社会に関する変化を語っていく
ぶっちゃけ個人的に20年代は、こっちのほうが面白いと思ってる

86: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 16:15:45.567 ID:xOmr4OEU0
保守

みてるぞ

87: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 16:34:15.439 ID:OzjFBq390
この時代が「狂騒の20年代」と呼ばれるのは、それだけこの時代にアメリカの大衆文化が栄えたからだ

第一次世界大戦の被害で没落したヨーロッパ諸国に変わってアメリカが経済的な中心となり、
それに伴って技術革新や都市のインフラ整備も大いに進んだ
ニューヨークに高層ビルが立ち並び摩天楼と呼ばれたのもこの時代だ
(有名なエンパイア・ステート・ビルが建設されたのも20年代末期のこと)

また、ヘンリー・フォードがベルトコンベアでの流れ作業による大量生産方式を初めて行い、
それによって「T型フォード」と呼ばれる大衆向けの自動車を普及させた
この自動車は20年代を通してアメリカの中流階級の間で大流行した訳だ

さらに、ラジオ放送が始まったことも大衆文化に火を付けた
狂騒の20年代が別名「ジャズ・エイジ」と呼ばれていることからも分かるように、
ラジオ放送の開始に伴い、黒人音楽のジャズがアメリカ中に流行したのもこの時代だ
この時代の代表的な黒人ジャズ・ミュージシャンとして、
ルイ・アームストロング(通称サッチモ)やデューク・エリントンなどが挙げられる
ジャズ以外にもこの時代の黒人は大衆文化で大いに目立つようになり、
特にニューヨークの黒人街ハーレムを中心にしたので、ハーレム・ルネッサンスと呼ばれてる
(例えば、デューク・エリントンが出演してたコットン・クラブというミュージッククラブなんかが有名)

この時代に活躍したのは黒人だけでなく女性もそうで、
フラッパーと呼ばれるモダンなファッションを好む女性が現れるようになり、
現在のティーンの女性たちの独特の大衆文化はこの頃に萌芽したと言える

大衆文化の象徴として挙げられるスポーツ観戦が盛り上がったのもこの時代だ
ベーブ・ルースやジャック・デンプシーなどの名だたるスポーツ選手が活躍した

また、ハリウッドに映画製作の中心地が移ったのもこの20年代である
1927年にワーナー・ブラザーズが世界初のトーキー映画を公開すると、
ハリウッド映画勃興の兆しとなり、続く1930年代はハリウッド映画の黄金期と呼ばれるようになる訳だ

88: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 16:42:47.343 ID:OzjFBq390
狂騒の20年代については、アメリカ社会を代表する有名人がまだまだたくさんいて、
例えば、世界初の大西洋単独無着陸飛行を成し遂げた飛行家のチャールズ・リンドバーグや
20年代のアメリカ社会を描いた小説『グレート・ギャッツビー』の作者F・スコット・フィッツジェラルド、
ミッキーの生みの親であるウォルト・ディズニーなんかが、その例として挙げられる

あと、(彼は正確にはアメリカ人じゃなくてイギリス人だけど)喜劇王チャップリンが活躍したのもこの時代のアメリカだ

89: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 17:01:14.630 ID:OzjFBq390
⑧世界恐慌と第二次世界大戦
狂騒の20年代における経済的な繁栄は1929年には終わってしまう
有名な「世界恐慌」の始まりだ
1929年10月24日の株価大暴落をきっかけに、アメリカのみならず世界中を巻き込む大不況が起きた訳だ
この原因については経済学者の間でもいまだに諸説分かれてるのでそこには立ち入らないことにする

世界恐慌が起きた時の大統領は20年代最後の大統領ハーバート・フーヴァーで、
彼はしばしばこの恐慌に対して何もしなかった無能な大統領って言われている
とは言え、全くの無策だった訳でもないそうで、最近は彼の評価の見直しが行われていたりもするらしい

フーヴァーの次に大統領になったのが、有名なフランクリン・ルーズヴェルトで、
彼の下で世界恐慌に対する積極的な経済政策としてニューディール政策が行われる訳だ

90: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 17:32:44.780 ID:OzjFBq390
第32代大統領フランクリン・ルーズヴェルト
こいつはかなりの有名人で、日本人にとっては色々と思うところも多い大統領かも知れない
さて、就任当初の彼がやった有名な業績は、何と言っても先述のニューディール政策だ
周知の通り、これはかなりケインズ経済学の影響が強い経済政策として有名で、
政府が経済に積極的に介入して、有効需要を生み出すことがその基本方針だった
かなり左派的傾向の強い経済政策でもあって、労働者の権利保護や失業対策にも力を入れた

なお、このニューディール政策の評価は今でも経済学における大きな論争の1つになってる
(フリードマン以降のシカゴ学派の間では否定的だけど、ケインジアンの間では肯定的な評価)
統計データ的には、確かにニューディール政策で一時的にアメリカ経済は回復したんだけど、
一連のニューディール政策に対する揺り戻しが起きたこともあって1930年代後半にはまた経済は落ち込み、
最終的に、1940年代に第二次世界大戦に参戦したことでの軍事需要増大が大恐慌の終了につながった
結局、ニューディール政策の効果をちゃんと検証できるような結果が出てくる前に、
第二次世界大戦に突入しちゃって、ニューディール政策とは無関係に景気が回復しちゃったものだから、
ニューディール政策の評価を巡って今でも意見が分かれているんだよね

91: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 17:34:56.339 ID:JI4PRvDW0
戦争で経済が拡大するってのも変な話というか変な時代というか
現代だと戦争の当事者になると基本赤字みたいだけど

92: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 17:43:20.093 ID:OzjFBq390
>>91
第二次世界大戦は総力戦で、アメリカ政府は軍事産業への積極的な投資を行ったからな
そもそも世界恐慌になる前から経済大国として国内に十分な資本があったアメリカだからこそ、
政府の財政としては赤字になっても、その分だけ民間に行き渡る金は増えて有効需要も増えるんだろう

93: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 17:56:51.546 ID:OzjFBq390
第32代フランクリン・ルーズヴェルト(続)
続いて彼の外交政策について触れてみる
彼の任期後半の大きなイベントは言うまでもなく第二次世界大戦だ

でもその前にラテンアメリカにおける彼の外交政策である善隣外交について軽く触れる
善隣外交は、今までのラテンアメリカ諸国に対する積極的な圧力外交を改め、
例えばキューバに対しては、先述のプラット条項を廃止することで事実上の保護国化を終わらせてる
とは言え、当時のキューバでは親米独裁者であるバティスタが政権を握っていたので、
そういう意味ではアメリカの傀儡国家であったことには変わりないとも言える

彼の時代には、他にもアメリカの植民地フィリピンを10年後に独立させる法律を定め、
実際に10年後の独立準備を進める政府をフィリピンに作ったりしてて、
経済政策のみならず外交においても左派的な傾向の強い大統領だと言える
ただし、このしばらく後に二次大戦で日本がフィリピンを占領しちゃったため、
フィリピンの独立は10年後ではなく、日本の敗戦後まで延期されることになってしまう

94: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 18:28:52.902 ID:OzjFBq390
さて、それではいよいよ第二次世界大戦についてだ
フランクリン・ルーズヴェルトは当初から枢軸国に対しては快い感情を抱いてなく、
個人的には二次大戦に参戦したいと考えていたが、
依然として孤立主義の強いアメリカの世論を参戦に向かわせるのはなかなか難しかった

とは言え、アメリカは当初参戦こそしなかったものの、レンドリース法で連合国に武器を大量に支援し、
実質的には連合国の味方みたいな感じになってた
また、中国や東南アジアへ進出している日本への圧力もかけ始めた
有名な「ハル・ノート」をきっかけに日本は対米参戦を決め、真珠湾攻撃を行った訳だ
で、この真珠湾攻撃にアメリカの世論も激怒し、アメリカは第二次世界大戦へ参戦する訳だ
まあここら辺の詳細な流れは日本じゃかなり有名だから、ほとんどの人が知ってるでしょう

大戦中の色々な戦いは有名だしここでは省く
あと、日系人強制収容やマンハッタン計画なんかもルーズヴェルトの政策として有名やな
そして戦争を行いながらも、テヘラン会談やカイロ会談、ヤルタ会談などで連合国の首脳陣と会って、
戦後処理についてどうすべきかなどを、イギリスやソ連、中国などと話し合った

で、まあ彼は第二次世界戦の終了を見る前に亡くなってしまい、
副大統領のトルーマンがその後を継いで大統領になった訳だ

95: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 19:07:22.493 ID:OzjFBq390
第33代大統領ハリー・S・トルーマン
フランクリン・ルーズヴェルトの死を受けて大統領を継いだ人間だ
就任当初の彼の仕事は、何よりもまず第二次世界大戦を終わらせることだった
ポツダム会談で英ソの首脳と話したトルーマンは、ソ連の対日参戦の前に日本を降伏させたいと考えた
前任のフランクリン・ルーズヴェルトは同じ連合国ってことでわりと親ソ的だったんだけど、
トルーマンは、当時独ソ戦に勝って東欧をほとんど占領していたソ連に脅威を感じてたので、
なんとしても日本にソ連が入ってくることを防ぎたかった
そうして、日本の降伏を早めるために広島と長崎に原爆投下を行ったという訳だ
それと前後する形でソ連も対日参戦を始め、これらを受けて日本は降伏したのは周知の通り

こうして第二次世界大戦が終了し、ここからはいわゆる戦後史に移る
戦後のアメリカ史を特徴づける大きな要素の1つは言うまでもなく冷戦だ
大戦末期にトルーマンの抱いていたソ連脅威論は、戦後すぐに冷戦となって噴出する訳だ

96: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 20:20:24.964 ID:OzjFBq390
⑨冷戦と国内激動の時代
ここからはまた大統領ごとに業績を見ていく感じにする

第33代大統領ハリー・S・トルーマン
戦後の彼が真っ先に取り組んだ対外政策は何よりもソ連との対決だった
彼の対ソ政策は「封じ込め政策」と俗に呼ばれてる
例えば、トルーマン・ドクトリンと呼ばれる宣言で、ギリシャとトルコへの支援を決め、
これらの国を東欧に広がる共産主義勢力に対する防波堤とした
また、二次大戦で甚大な被害を受けた西欧諸国の復興を援助するマーシャル・プランも開始した
ちなみに、マーシャルってのは当時の国務長官の名前だ
こうしてギリシャやトルコ、西欧諸国などにアメリカが資金援助を行うことで、
東側陣営に対する防波堤を築いて、共産主義の拡大を封じ込めようとしたのがトルーマンの政策だ

そして、冷戦期のトルーマンの対外政策で最も大きかったのが朝鮮戦争だ
社会主義陣営の北朝鮮と資本主義陣営の韓国との間で起きたこの戦争に、
トルーマンは国連軍を派遣して介入せざるを得なかった
こうして冷戦は本当の「戦争」になったのだが、周知の通りこの戦争は結局引き分けのまま休戦する
(なお、朝鮮戦争が終わったときにはトルーマンの任期は終わってる)


冷戦の影響は外交のみならず国内の政治情勢にも現れて、
この頃、共産主義者排斥運動である赤狩りがアメリカ国内でも起こっている
特に、これを率いたのが当時上院議員だったジョセフ・マッカーシーだ
彼の名にちなんでマッカーシズムと名付けられたこの共産主義排斥運動では、
政治家や軍人、役人、ハリウッド映画関係者など、あらゆる分野での人間が、
共産主義者だとかソ連のスパイだなどというレッテルを貼られて非難された
こういうふうに国内でも反共主義が高まったのが第二次世界大戦直後の時代って訳だ

97: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 21:22:02.596 ID:OzjFBq390
第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワー
彼はもともと軍人で第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦を指揮したことで有名だ
まず彼の対外政策から見ていく

就任直後のアイゼンハワーは、トルーマン時代から続いていた朝鮮戦争を終わらせた
1957年の第二次中東戦争(スエズ戦争)では、ソ連と一緒にエジプトを支援して、
エジプトによるスエズ運河国有化を邪魔していた英仏を非難した
これは、「英仏のような帝国主義国と違ってアメリカは第三世界の味方だよー」と
アピールすることで、エジプトなどの第三世界諸国がソ連に接近するのを防ぎたかったかららしい

アイゼンハワー時代のソ連では指導者スターリンが死んでフルシチョフが新たな指導者になってて、
彼はアメリカとの宥和を図り、1959年にはアメリカに訪問してアイゼンハワーと会談までした
このため、この時代は「雪どけ」と呼ばれてるんだけど、
翌1960年にU-2撃墜事件が起きたせいで、また米ソは緊張関係に戻ってしまった
この事件は、ソ連をこっそり偵察していたU-2という軍用機がソ連に発見され撃墜された事件で
ソ連を信用せずスパイ行為を働いていたアメリカの態度にフルシチョフは激怒した訳だ
このせいで、予定されていたアイゼンハワーのソ連訪問をキャンセルとなった

アイゼンハワー時代のアメリカは、雪どけとは言いつつソ連への警戒心や対抗心は残していて、
特に、1957年にソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げると、
技術力でソ連に負けたくないアメリカ政府は宇宙開発競争に乗り出すため翌年にNASAを設立した
この宇宙開発競争はアイゼンハワー以後の大統領の時代にも進められる事業となるのは周知の通り

98: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 22:12:46.440 ID:OzjFBq390
第35代大統領ドワイト・D・アイゼンハワー(続)
次に、アイゼンハワー時代の国内情勢について見ていく

就任当初には、依然としてマッカーシー上院議員による赤狩りが国内で巻き起こっていたが、
1954年には、マッカーシーの、あまりにも過激で、根拠のうすいデマに基づく赤狩りに対して、
国内から多くの批判が上がり、同年彼は上院から譴責決議を出されて事実上失脚した
こうして、1954年にマッカーシズムと呼ばれる激しい赤狩りは終了した訳だ


また、アイゼンハワーの時代には黒人たちによる「公民権運動」と呼ばれる運動が盛り上がった
これはマッカーシズムに代わって、以後のアメリカ国内における一大運動となったやつだ
先述の通り、19世紀後半にレコンストラクションが終了したアメリカ南部の諸州では、
「ジム・クロウ法」と総称される人種差別的な州法が多く存在する状態がこの頃まで続いてた
この法律のもと南部では、学校やバス、レストランなどで白人用と黒人用の区域が分かれていたうえ、
だいたいにおいて黒人用のほうが劣悪な環境下にあった

そんな中の1955年、ローザ・パークスという黒人女性が南部のバスにおいて、
白人優先席にも拘わらず白人に席に譲らず座り続けた罪で逮捕された
このニュースを聞いた黒人たちは、有名なキング牧師の指導の下で、
人種差別的なバスに乗るのをボイコットし、バスの人種差別に抗議した
この運動は、最高裁が「バスでの人種差別は違憲」と判決を下したことで、
黒人たちの勝利に終わり、自信を付けた黒人はキング牧師などの指導者のもと、
南部に残る様々な人種差別的な制度に抗議する運動を始めた訳だ
これがいわゆる「公民権運動」と呼ばれるやつで、
有名な指導者としては、マーティン・ルーサー・キング牧師の他に、
キングよりも過激な主張で知られるマルコム・Xなんかも挙げられる

アイゼンハワー大統領はこの公民権運動にはあまり関わらなかったけど、
関わらざるを得ない事件も発生していて、それが1957年の「リトル・ロック高校事件」だ
この事件の発端は、1954年に最高裁が「教育機関での人種分離は違憲」と判決し、
南部の学校に対して、人種で学校を分けるのをやめさせようとしたことだ
裁判所の判決にも拘わらず、南部のアーカンソー州の知事は学校の人種統合に反発し、
リトルロック市の高校に州兵を送って、黒人学生の入学を妨害した
この事件がテレビなどで報道され大きな反響を呼ぶ中、
アイゼンハワーはこれに対して連邦軍を派遣して、黒人学生の護衛に当たらせ、
連邦軍の兵士に守られながらも黒人はリトルロック市の高校に入学できた訳だ

こんな感じで、アイゼンハワー大統領以降のアメリカ政府は基本的に公民権運動において
当時発達してたテレビ等での世論の影響もあって、黒人の味方をすることが多かった
一方この動きは、南北戦争の時ほどではないが、当然南部の白人の反発を買うことにもなった

100: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 22:46:30.410 ID:OzjFBq390
余談だが、アイゼンハワーは大統領を退任する際に軍産複合体を痛烈に批判した
軍産複合体ってのは軍需産業をもとに、軍と企業と政府が互いに癒着し合ってる体制を指してて、
アイゼンハワーは大統領時代にこのような軍産複合体からの圧力を実際受けてたんだろうな
だからこそ退任演説でこれを痛烈に批判し、その言葉は今でもアメリカに対する風刺として様々なところで使われている

101: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 22:52:11.491 ID:Rp6/KnUL0
アイゼンハワーは日米戦争には殆ど関係ない
日米戦争はルーズベルトが始めた
アイゼンハワーは小磯国昭みたいなどうでもいい人

103: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 22:54:29.997 ID:OzjFBq390
>>101
日米戦争の時はアイゼンハワーは政治家じゃなくてあくまで軍人だからそれはそう

104: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/26(金) 23:26:54.536 ID:OzjFBq390
第35代大統領ジョン・F・ケネディ
こいつはかなり有名なアメリカ大統領やな
今はニューヨークの国際空港の名前になってたりもする
史上初のカトリック教徒のアメリカ大統領でもある
とりあえず彼の時代の国内情勢からみていく

アイゼンハワー時代から続く宇宙開発競争はケネディの下でさらに活発化した
特に、ケネディは有名なアポロ計画の推進に大いに力を入れたことで知られる
このアポロ計画自体はケネディ以前のアイゼンハワー時代から計画されていたんだけど、
ケネディはこの計画にかなり意欲的に取り組み、公の席で、
「アメリカは10年以内に人類を月に送り込む」と発言した
こうしたケネディの姿勢の裏には、
1961年ソ連のガガーリンが人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたことも当然影響している
スプートニク・ショックに続き有人宇宙飛行でもソ連に先を越されたアメリカにとって、
なんとしてもアポロ計画で人類を月に送り込むことで、ソ連に対するメンツを保ちたかった訳だ

さらにケネディは、アイゼンハワー時代から続く黒人の公民権運動も積極的に支援した
特に、ジョン・F・ケネディの弟で司法長官ロバート・ケネディが大きな指導力をふるった
先のリトルロック高校事件に続き、南部のいくつかで黒人学生の入学を拒否する大学が出てきて、
当時の南部の州知事がこれらの大学を支援するという事態が発生した(メレディス事件など)
これに対してケネディ兄弟は、時には連邦軍の派遣までして、黒人学生の入学を大学に認めさせた

こうしたケネディ政権の支援のおかげで公民権運動はますます盛り上がり、1963年には
キング牧師のもと「ワシントン大行進」と呼ばれる大規模なデモを首都ワシントンDCで行った
"I have a dream"(私には夢がある)というセリフで有名なキング牧師の演説はこの時のもの

以上がケネディ時代の主な内政上の業績だ
周知の通りケネディはすぐに暗殺されるため在任期間はわりと短く、
内政面ではそこまで目立った業績は残せていないんだよね
ただし、外交面ではケネディの時代に冷戦を特徴づけるいくつかの大きな出来事が生じてる
だから個人的に、ケネディ時代の重要事項は、内政面よりもむしろ外交面のほうだと思ってる

105: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 00:09:54.109 ID:YNyhsXjH0
第35代大統領ジョン・F・ケネディ(続)
ということで、ケネディの対外政策いついての話や
意外かも知れないけど、ケネディは大統領になる前、マッカーシーの赤狩りに協力していたぐらい、
かなりタカ派の強硬な反共主義者でもあったんや
だから、大統領になってからのケネディは冷戦での共産主義勢力への勝利に、
何よりも情熱を燃やしていて、彼の対外政策のほとんどはそこに起因してる

例えば、ケネディはラテンアメリカ諸国の共産化を防ぐために、
「進歩のための同盟」を唱えて、ラテンアメリカ諸国への積極的な援助を行った
この同盟の背景にあるのはもちろん、1959年に起きたキューバ革命だ
これはケネディより前のアイゼンハワーの時代に起きた出来事ではあるんだけど、
それまで親米独裁政権としてキューバに君臨していてバティスタ政権が、
カストロとゲバラ率いるゲリラ闘争によって打倒された事件だ
当初のカストロはこの革命を社会主義革命だとは言ってなかったんだけど、
親米政権を倒したうえ、キューバ内にあるアメリカ資産の国有化などを行ったせいで、
アメリカの反感を買い、1961年にアメリカはピッグス湾事件を起こすことになった

このピッグス湾事件はアイゼンハワー時代から計画され、
ケネディ政権下で実行された、アメリカによるキューバ革命政府の打倒作戦だ
カストロ政権を嫌ってアメリカに亡命していたキューバ人を、
アメリカ軍の支援の下、キューバのピッグス湾に上陸させて、
そのまま武力でカストロ政権を打倒するというという計画だったが、
結局この作戦は失敗し、亡命キューバ人の集団はカストロ政権の前に敗れた
このピッグス湾事件をきっかけに、カストロは社会主義宣言をして、
ソ連陣営に加わることで、アメリカの脅威から守ってもらおうと考えた
こうして、アメリカのすぐ近くのキューバに反米社会主義政権が誕生した訳で、
就任直後のケネディにとって、ピッグス湾事件は最初の大きな失敗となった

ケネディ時代には米ソ対立がかなり深まっていて、その一例がベルリン危機だ
東ドイツから西ドイツへの亡命を防ぐために、東ドイツは有名な「ベルリンの壁」を建設した
当然アメリカはこれに抗議し、1963年にはケネディが西ベルリンを訪問し、
ベルリン市民を励まし共産主義国を非難するような演説を行ったりしてる

これらの東西緊張が最も高揚した事件が、あの有名な「キューバ危機」だ
これは有名だし映画にもなってるぐらいなので、知ってる人も多いと思う
この危機のきっかけは、新たに社会主義陣営に加わったキューバに対して、
ソ連が核ミサイルを配備しようとしたことに始まる
アメリカの隣国であるキューバにソ連の核ミサイルが設置されるなんてことを、
ケネディが許せるはずもなく、アメリカはキューバの海上封鎖を実施した
こうして米ソ間の緊張が高まり、核戦争に行くのではと恐れられたが、
フルシチョフとケネディの間で妥協が図られ(アメリカもいくつかソ連に譲歩した)、
結局フルシチョフはキューバからミサイルを撤去して、戦争の危機は去った訳だ
このキューバ危機はケネディの対外政策の中でも一番重要な出来事だろうな

あと、ケネディは南ベトナムに対する軍事支援も行っている
社会主義陣営の北ベトナムが勝利することで、
東南アジアに共産主義が広がってしまうのをケネディは恐れていた訳だ
とは言え、この時はまだアメリカはあくまで間接的な支援にとどまってて、
本格的にベトナム戦争を開始したのはケネディの次の大統領の時だ

周知の通り、ケネディは1963年に暗殺される
この暗殺事件は色々な陰謀論が飛び交うぐらい有名な事件なのでここでは割愛する

106: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 00:19:02.752 ID:YNyhsXjH0
力尽きたので今日はここまでで終えて休眠する
続きはまた起きてからやるわ

107: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 01:09:39.781 ID:PxI5ntlV0
おつ
楽しいスレだ

109: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 07:31:42.148 ID:zukQVh0l0
保守

110: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 12:27:14.062 ID:YNyhsXjH0
第36代大統領リンドン・ジョンソン
ケネディの死後に副大統領のジョンソンが後を継いで大統領になった
こいつは内政と外交で評価が180度変わるタイプの大統領で、
内政ではかなりリベラルな政策をとってわりと高評価な一方、
外交では今でも人によって評価が大きく分かれる政策をとってしまった

まずは内政から触れる
ジョンソンの内政面での最も大きな功績の一つは公民権運動への対処だろう
彼は南部のテキサス出身だったので、当時の黒人運動家の中には、
「前のケネディ政権と違って公民権運動に理解を示さないのではないか?」と思ってた人もいたらしいけど、
実際の彼は公民権運動にはかなり共感してて、人種差別をなくすための様々な政策を実行した

ジョンソンの公民権運動に関する政策の中で最も重要なのが1964年の公民権法の制定だろう
これはアメリカにおける人種や宗教などに基づく一切の差別を禁止した法律だ
この法律は当時盛り上がっていた公民権運にとって大きな転機となり、
以後のアメリカでは連邦政府が積極的に介入して南部の州内での人種差別をやめさせることができるようになった

さらに翌1965年には投票権法と呼ばれる法律も制定されている
それまでの南部では、黒人に対して重い投票税や難解な投票試験を課すことで黒人の投票権を奪ってたんだけど、
この投票権法の制定によって、人種差別につながりやすい投票権の制限を全面禁止した
こうして南部でも黒人が選挙権を持てるようになり、その後の黒人政治家の増加につながるんだよね

あと、アファーマティブ・アクションが始まったのもジョンソンの時代だ
これは、大学や企業が黒人などの今まで差別されてきた集団用の枠を一定数とって採用させる政策だ
現在でもアメリカでは行われ続けてる政策で、たまに「逆差別」なんじゃないかと問題にもなってる
ようは、今までの差別の結果をを是正するために、ある程度の黒人入学枠を設けているせいで、
白人よりも黒人のほうが大学に入学しやすくなってるなどの問題があるんじゃないかってこと
こういう感じで今のアメリカでもしばしば議論になるアファーマティブ・アクションだけど、
これもジョンソン時代に、黒人への差別をなくすための政策の一環として採用されたやつだ

公民権運動以外にもジョンソンは比較的リベラルな政策をとってて、その表れが「貧困との戦い」だ
彼は演説の際に「貧困との戦い」をスローガンに掲げて、低所得者や高齢者への莫大な福祉政策を採用した
ジョンソンの時代に、医療や教育、高齢者や低所得者への補助金などへの政府支出が2倍近くに増えた
この莫大な社会保障費は、後述するベトナム戦争での戦費と一緒にアメリカ財政を圧迫することにもなったんだ

以上がジョンソン時代の内政面での功績だ
このように就任当初のジョンソンは内政面でかなりリベラルな政策をとったから支持率も高かったのだが、
後述する対外政策の結果、彼の支持率は大きく下がることになってしまった
その対外政策というのが「ベトナム戦争」だ

111: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 13:41:24.049 ID:YNyhsXjH0
第36代大統領リンドン・ジョンソン(続)
続いてジョンソンの対外政策についてだ
彼の対外政策における最も大きな出来事は、何と言っても「ベトナム戦争」だろう
というか、それ以外は目立った外交政策がないので、以下ベトナム戦争について語っていく

当時のベトナムは南北に分裂してて、北ベトナムが社会主義陣営、南ベトナムが資本主義陣営に属していた
そして、北ベトナムの影響下で結成した「南ベトナム解放民族戦線」(通称ベトコン)という軍事組織が、
南ベトナムでゲリラ闘争を働いて、この地の親米政権を打倒しようとしていた訳だ
これに対して、ケネディ大統領は南ベトナムへの軍事支援を行うことでベトナム全土の共産化を防ごうとしてた訳だが、、
それでもベトコン側の攻撃は一向にやまず、その状態が続いたままケネディは国内で暗殺された
なので、そのケネディの後を引き継いだジョンソンも、なんとかベトナムの共産化を防ぎたいと考えていた

そんな中、1965年にアメリカ海軍の戦艦が北ベトナムから魚雷攻撃を受けたという事件が発生する
これが有名なトンキン湾事件で、この事件を口実にジョンソンはベトナムへの本格的な軍事介入を決定した
ちなみに、このトンキン湾事件はアメリカによるでっち上げであったことがジョンソン退任後に発覚してる
つまり、アメリカは自作自演の事件を口実にベトナム戦争に介入した訳で、このこともこの戦争が今でも非難される要因の1つだ

さて、トンキン湾事件をきっかけに始まったベトナム戦争で、アメリカは北ベトナムへの空爆(いわゆる「北爆」)を行い、
さらには悪名高い枯葉剤の散布を行ったりもしている(これによる健康被害の程度については今でも論争になっている)
さらに大規模なアメリカ軍をベトナム本土に送り込んでの地上戦も展開し、ベトコンのゲリラ戦に対して大いに苦戦した

これらの軍事行動にも拘わらずベトナム戦争はなかなか終わらず、その結果アメリカ世論を二分することになってしまった
当時はテレビが一般大衆に広まってて、アメリカ人にとってベトナム戦争は初めてテレビ放送で中継された戦争でもあった
テレビで報道される戦争の悲惨な被害や、一向に終わらない戦争の情勢に対して不満を持つ人が増加し、
アメリカ国内の至る所で反戦運動が展開されたのは周知の通りだと思う
ベトナム反戦運動は盛り上がり、徴兵拒否する若者も増えた(著名人だとモハメド・アリがベトナム戦争への徴兵を拒否してる)
彼らは「ヒッピー」と呼ばれ、奇抜な格好で薬物を摂取したりしながら世界平和を訴えベトナム戦争に反発した
こういう若者のヒッピー文化を象徴する音楽として「ビートルズ」などのロックバンドが流行したのもこの時代だ
1969年のウッドストック・フェスティバルは、そんなヒッピーの音楽文化を象徴する音楽祭としてかなり有名だと思う

自分が、戦後のこの時代を「⑦冷戦と""国内激動""の時代」って言ってるのはまさにこういう時代だったからなんだよね
冷戦直後のマッカーシズムに始まり、黒人の公民権運動、そしてヒッピーたちのベトナム反戦運動、という感じで、
アメリカ国内で様々な政治的社会的運動が盛り上がり、あちこちでデモなどが行われたのがこの時代の特徴だ
こういう運動の激化は何もアメリカに限った話ではなく、例えば日本でも同時代には学生運動が盛んだったのは有名な話だ
これらの運動は時には過激な暴力に発展することも当然あって、特にこの時代のアメリカでは著名な政治指導者の暗殺が多発してる
1963年のジョン・F・ケネディの暗殺に続き、1965年にはマルコム・X、1968年にはキング牧師やロバート・ケネディが暗殺されている
そういう意味でも、まさにこの頃のアメリカは激動の時代だったと言うことができよう

112: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 13:42:53.708 ID:YNyhsXjH0
閑話休題

ベトナム戦争に対するこれらの反戦運動はジョンソン大統領への支持率低下にもつながり、
特に1968年に起きたベトコンの「テト攻勢」は、アメリカ国民に大きな衝撃を与えジョンソン人気急落の決定打にもなった
テト攻勢とは、ベトコンが南ベトナムの首都サイゴンまで攻勢を仕掛けアメリカ大使館を一時的に占領した事件だ
結局この攻勢はベトコン側の失敗に終わり、一時的とは言えベトコンにアメリカ大使館を占領された衝撃は大きく、
それまでは「なんだかんだでアメリカが勝つ」って思ってた人たちも戦争の結果に不安を抱くようになってしまった
これ以降、ベトナム戦争及びジョンソン大統領への国内の支持率は急速に低下した

結局、ジョンソンは自身の不人気ぶりを察して次期大統領選挙への出馬を諦め、1969年にその任期を終えた

113: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 14:19:02.950 ID:YNyhsXjH0
第37代大統領リチャード・ニクソン
ウォーターゲート事件のせいで不人気な大統領だが、最近の歴史家の間では再評価されてる大統領でもある
こいつはもともとアイゼンハワー大統領の時に副大統領を務めてて、ケネディと大統領選挙を争った人間だ
1960年の大統領選挙ではケネディに負けてしまい、それからしばらく政治の世界から距離を置く不遇時代が続いてたんだけど、
しかし1968年、ニクソンは大統領選挙に再び出馬し、そこで見事勝利を収めて大統領に就任した
そういう経緯で、再び政治の世界に返り咲いたニクソンは、良くも悪くも現実的かつ合理主義的な政治家って感じだった

ニクソンは大統領選挙において「法と秩序の回復」をスローガンに掲げたことからも分かるように、
ベトナム反戦運動の激化などで秩序が乱れていた当時のアメリカ国内の情勢を落ち着かせることを目指した
ニクソンのこうした方針の一例として有名なのが「麻薬取締局」の設置だ
この機関の設置を通じて、ニクソンはアメリカ国内に流通する麻薬の徹底的な取り締まりを推進した
あと、この頃は環境問題が世界中で盛り上がってた時代だったので、1970年には「環境保護庁」が設立されている
この機関がアメリカ国内における様々な環境問題に対処する省庁となった訳だ

ニクソンの主な業績は後述する外交政策においてなので、内政面ではこの程度の業績しかない

なお、ニクソンの大統領就任当初の1969年には、あのアポロ11号が人類史上初の月面着陸を成し遂げた
宇宙開発競争でソ連に散々遅れをとっていたアメリカにとってはこのニュースが相当嬉しいものだったのは言うまでもない

114: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 15:05:01.565 ID:YNyhsXjH0
第37代リチャード・ニクソン(続)
ニクソンは対外政策においてかなり大きな功績を残したことで有名だ
この時、ニクソンの片腕となって外交政策を補佐したと言われるのが、これまた有名なヘンリー・キッシンジャーだ
ニクソンのもとで国家安全保障担当補佐官や国務長官の職を務め「外交の達人」として名高いけど、最近の研究だと、
「ニクソン時代の一連の外交政策はキッシンジャーじゃなくてほとんどニクソンの功績だったんじゃないか」と言う人もいて、
彼が実際にどこまでニクソンの外交に影響を与えていたかはわりと意見が分かれるようだ

ニクソンの外交政策の一つとしてまず挙げられるのが、ソ連との「デタント」だ
デタントとは、ソ連とアメリカの間での緊張が緩和し、政治的な対話が試みられるようになったことを指す
ニクソンは、当時のソ連の指導者ブレジネフと会談を行い、「第一次戦略兵器削減交渉」(通称"SALT I")を行った
この交渉の結果、米ソ両国での軍備制限が取り決められ、米ソ間の対立緩和は進んだ

それと同時にニクソンは、ジョンソン時代から続いてたベトナム戦争による混乱の終結も図った
大統領選挙の時からニクソンは公約で「ベトナム戦争からの名誉ある撤退」を掲げていたぐらいだ
北ベトナムとの和平交渉の席は、ジョンソン政権の末期には一応設けられていたんだけど、
それにも関わらず、北ベトナムとアメリカ軍との戦闘は依然として続いてて、和平交渉は全然進まなかったんだよね
ジョンソンの後を継いだニクソンはベトナム戦争終結を目指して、この和平交渉を続けるんだけど、
その一方で、アメリカにも少しでも有利な状態で和平するために、北爆の拡大なんかも同時進行で行っている
飴と鞭を織り交ぜた粘り強い和平交渉の結果、とうとう1973年にパリ和平協定が結ばれ北ベトナムとの和平が成立した
この協定後すぐにアメリカ軍はベトナムから撤退し、アメリカにとってのベトナム戦争は終結した
この北ベトナムとの和平を結んだ功績で、キッシンジャーはノーベル平和賞を受賞してる
なお、アメリカ軍撤退後も北ベトナムと南ベトナムの間での戦争はしばらく続き、
味方のいなくなった南ベトナムは1975年に首都サイゴンが陥落し北ベトナムに併合され、ベトナムは共産主義政権の下で統一した

このベトナム戦争での和平はニクソンの外交的功績の中でも一番重要なやつだと言われてる
泥沼の戦争を終わらせた点を評価する人もいれば、南ベトナムを見捨てたことを非難する人もいるが、
とにもかくにもこれで、アメリカを悩ませ世論を二分させていたベトナム戦争はニクソンによって終結した訳だ

116: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 15:50:04.571 ID:YNyhsXjH0
第37代リチャード・ニクソン(続)
さて、ニクソンは「ニクソン・ショック」と呼ばれる2つの出来事で世界を驚かせたことでも有名だ

2つある「ニクソン・ショック」のうちまず最初に起こったのが、1971年7月にニクソンが自身の中国訪問の予定を宣言した事件だ
当時はまだベトナム戦争に関して北ベトナムと和平交渉を行っていた最中だったので、
北ベトナムの味方をしていた中国との国交を回復することで、北ベトナムとの和平交渉を進めたいというのがその狙いだ
翌1972年にニクソンは宣言通り中国に行き、毛沢東や周恩来などの中国指導者と会談を行った訳だ
これ以降、アメリカと中国の緊張関係は緩和することになる(ただし中国と正式に国交樹立したのはニクソン後のカーター政権の時)

もう一つのニクソン・ショックは、1971年8月にニクソンが金とドルの交換停止を宣言した事件だ
普通、単に「ニクソン・ショック」って言った場合はこっちのほうを指すことが多いと思われる
第二次世界大戦後の国際金融はブレトン・ウッズ体制と呼ばれる体制がとられていたんだけど、
これは、ドルを金と交換可能な通貨として、そのドルに対して各国の通貨の交換比率を定めた固定相場制だ
しかし、冷戦期にかさむアメリカの軍事費(特にベトナム戦争での戦費が大きかった)がアメリカ財政を圧迫していき、
外国のドル準備がアメリカの金保有量を上回るレベルになってしまったことで金とドルの交換ができなくなってしまった
このような背景の中で、ニクソンが金とドルの交換を停止したことで、ブレトン・ウッズ体制は終焉した
この結果、ドルに対する信用が一気に低下し、ドルを中心とした固定相場制の維持が難しくなった
このあともしばらくは固定相場制維持の努力が続けられるんだけど、結局その努力は長続きせず、
1973年には各国が変動相場制に移行してしまう(この変動相場制が現在まで続いてるのは周知の通り)

ここまで見た通り、ニクソンは国際政治や経済に対して非常に大きな影響力のある出来事を起こしてきた訳だけど、
それ以上にニクソンが今のアメリカ史で有名になっているのは、何と言ってもウォーターゲート事件だろう
1972年の大統領選挙でニクソンは再選し2期目の大統領職に就く訳なんだけど、
この選挙の最中、民主党本部に盗聴器が仕掛けられていたことが発覚してしまう
ニクソンは共和党の人間で、民主党は選挙でニクソン陣営と対立していた訳だから当然ニクソン支持者の関与が疑われた
この事件に当のニクソン自身がどこまで関与していたかは今でも明らかになってないが、
あろうことかニクソンはこの事件の捜査に対して圧力をかけて妨害してしまった
ニクソンが事件のもみ消しを関与していたことを示す録音テープが証拠として出てきたことでニクソンの人気は一気に下がり、
議会でニクソンを弾劾裁判にかけようという動きが出てきた矢先、ニクソンは突如大統領を辞任してしまった
これはアメリカ政界における一大スキャンダルとして今でも歴史に残っているのでとても有名だろう

117: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 16:06:52.331 ID:YNyhsXjH0
「法と秩序の回復」を訴えたニクソンの訴え通り、1970年代には国内の激動は収まっていった
ベトナム戦争が終了した辺りから、唱えるべき政治的イデオロギーがなくなっていったこともあって、
公民権運動やヒッピー運動などの下からの運動は徐々に下火になっていった

ニクソンの辞任後、副大統領のジェラルド・R・フォードが大統領に就任したけど、
彼は大統領就任後、ウォーターゲート事件に関する恩赦をニクソンに与えたことで支持率を落とした
そのため1976年の大統領選挙でフォードは再選を果たせず、代わりにカーターが大統領に当選した訳だ

118: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 16:29:12.096 ID:DMgFAIeo0
アメリカは内容が濃いっていうかずっと戦争し続けてるだけな気がする

119: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 17:09:29.701 ID:YNyhsXjH0
⑧冷戦後期と現代の始まり
ここから冷戦構造が変わっていき、再び米ソ対立が盛り上がったりする
あと、反米勢力としてイスラム主義が出てくるのもこの時代だ
ここからのアメリカ史はわりと現代に近いので記憶に残ってる人も多いだろう

第39代大統領ジミー・カーター
こいつの前のフォードに関しては前のレスで語った程度の業績しかないので飛ばす
このフォードを破って大統領になったのがジミー・カーターだ
カーター時代の内政に関しては特に触れるべきところがないので外交政策だけ見ていく

カーターは自身の外交政策を「人権外交」と呼んで、各国の人権を尊重した外交政策推進を標榜した
その一例として、パレスチナ問題などで長年対立してたエジプトとイスラエルの関係修復を仲裁し、
1978年にキャンプ・デービッド合意と呼ばれるエジプト・イスラエル間の和平合意がカーターの下で成立した

また、先述のデタント政策もカーター時代に継続され「第二次戦略兵器削減交渉」(SALT II)が行われた
セオドア・ルーズヴェルトの棍棒外交でアメリカが獲得していたパナマ運河のパナマ共和国への返還を約束したのもカーターで、
彼がパナマと結んだ条約に基づいて1999年にはパナマ運河は正式にパナマ共和国に返還された

さらに、ニクソンの中国訪問以降続いてた中国との国交回復の動きもカーターの時代に執り行われ、
彼は1979年に中華人民共和国と正式な国交を樹立すると同時に、台湾の中華民国政府との国交を断絶した
とは言え、東アジアにおいて日本や韓国と並んで資本主義陣営に属していた台湾を完全に切り捨てる訳にもいかないので、
同年に台湾関係法という法律を制定して、非公式ではありながらも台湾との外交関係は維持されることになった

しかし、2つの出来事においてカーターの人権外交は「弱腰外交」として批判されることになる
その1つが1979年に起きた「イランアメリカ大使館人質事件」だ
ことの発端は、この年にイラン革命が起きて、親米独裁者だった皇帝モハンマド・レザー・パフレヴィーの政権を打倒し、
ホメイニーを指導者とするイスラム主義に基づいた共和制が樹立したことにある
このときイラン皇帝の亡命をアメリカが認めたことに怒ったイラン人たちがイランのアメリカ大使館が占領した
大使館職員を人質にとられたカーターは人質救出のために皇帝をアメリカから出国させるもイラン政府はそれに応じず、
仕方なく「イーグルクロー作戦」っていう軍事作戦で人質救出を目指すも、これも失敗してしまう
こうして人質事件の解決ができなかったカーターは国内で大きく批判されてしまった

この後しばらくアメリカは人質救出を諦めて無策な状態が続くんだけど、
アメリカを出て紆余曲折の挙句エジプトに亡命していたモハンマド・レザー・パフラヴィーが1980年に亡くなったため、
イラン政府としても大使館を占領する意味がなくなり、1981年カーターが大統領を退任する日に人質は解放された

120: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 17:28:33.060 ID:YNyhsXjH0
第39代大統領ジミー・カーター
イランアメリカ大使館人質事件と同じ1979年に起きたもう一つの出来事が、ソ連のアフガニスタン侵攻だ
これは当然アメリカ世論の反ソ感情を呼び起こし、デタントで緊張緩和してた米ソ関係はまた悪化の道へ進んだ
実際、この事件の結果、アメリカは翌年のモスクワオリンピックへの参加をボイコットすることでソ連に抗議してる
このソ連によるアフガン侵攻を防げなかったのはカーターの外交姿勢が弱腰だったからだと非難されカーターの人気はさらに落ちた

結局この1979年に起きたイランアメリカ大使館人質事件とソ連のアフガン侵攻の2つの出来事が原因となって、
カーターは2期目の大統領選挙に敗れてしまい、対ソ強硬派のレーガンが大統領になる訳だ

余談だが、この1979年は冷戦後のアメリカがイスラーム勢力と対立を深めていく兆しの年だと言える
実際、イラン革命後に成立したホメイニー政権はイスラーム主義を奉じ反米姿勢を強めていたし、
アフガニスタンでも、1979年のソ連侵攻による混乱の中で、後に政権を握るタリバンなどが台頭していく訳で、
そういう意味でこの「1979年」という年を現代の混迷する中東情勢の起点となる年として捉える人は多いらしい

121: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 17:45:20.861 ID:zukQVh0l0
なるほど

122: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 19:27:43.535 ID:YNyhsXjH0
第40代大統領ロナルド・レーガン
元ハリウッド俳優という経歴で、ネオコン(新保守主義)の代表的政治家としても知られるやつだ

レーガンの内政面での業績でとりわけ重要なのがレーガノミクスと呼ばれる新自由主義政策だ
ちなみに、日本のアベノミクスっていうネーミングもこのレーガノミクスにちなんでる(政策の内容は関係ないが)
大幅な減税と規制緩和による投資促進、金融政策によるインフレ抑制を行い、
さらに福祉関連の費用を減らし、その代わりに軍事費を増大させることで政府支出を拡大するという政策だった
この時代は、アメリカに限らずイギリスのサッチャーや日本の中曽根など様々な国で、
レーガノミクスのような新自由主義的な経済政策がとられ、従来のケインズ主義的な経済政策は見直された
でもレーガン時代のアメリカ経済は決して良い状態だったとは言えず、貿易赤字と財政赤字から成る「双子の赤字」に悩まされた

内政面でのレーガンの目立つ業績はこれぐらいしかないので、続いて外交面に入る
ネオコンの代表らしく、外交面においてもレーガンはタカ派っぽい政策をとったことで有名だ
特にソ連に対しては、今までのデタント方針を改めて、ソ連を「悪の帝国」と非難し、
「スターウォーズ計画」と呼ばれる大規模な軍備拡大計画を立てる(スターウォーズって通称は当然例の映画にちなんでる)
こうしたレーガンが強硬な反ソ姿勢を打ち出したことで米ソ対立は再び高まり、冷戦は新たな段階に入った

とは言え、この新しい米ソ対立はゴルバチョフがソ連の指導者になったことですぐに収まった
ゴルバチョフがペレストロイカと呼ばれる一連の民主化改革をソ連で行うとレーガン政権もソ連への態度を改めた
レーガンとゴルバチョフは何度も会談を行い、中距離核戦力全廃条約の締結など米ソ両国での軍縮が進んだ
こうして第二次世界大戦後ずっと続いてきた米ソ間の冷戦が次第に終焉に向かっていった訳だ


レーガンの強硬な反共的外交姿勢はラテンアメリカやカリブ海の国々において特に目立った
1979年にニカラグアで独裁者ソモサが倒され、サンディニスタと呼ばれる左翼集団による政権が誕生したんだけど、
このニカラグア革命によって、第二のキューバが中米にできることを当時のアメリカは恐れた訳だ
レーガン政権は、サンディニスタ政権を打倒するために、コントラと呼ばれるニカラグアの反革命右派勢力を積極的に支援した
こうしてニカラグアではサンディニスタとコントラとの間の内戦が10年近く続き、アメリカは公然とこれに関与したんだ

さらに、カリブ海の島国グレナダで1983年に社会主義者によるクーデターが起こると、レーガンはすぐさまグレナダへアメリカ軍を派遣して、
この社会主義政権を倒した(これはグレナダ侵攻と呼ばれ、アメリカにとってはベトナム戦争以来の本格的な戦争行動だった)

レーガンはラテンアメリカの反共的な独裁政権との友好を深めていて、特にチリのピノチェト政権との友好関係は今でも問題視される
ピノチェトはかねてからチリ国内での独裁的な人権弾圧が国際的に問題になってたからだ

125: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 19:51:56.497 ID:YNyhsXjH0
第40代ロナルド・レーガン(続)
レーガンのラテンアメリカにおける反共的かつ強硬な外交姿勢は、帝国主義的かつ非人道的だとして、
今でもアメリカ国内及び国際社会でも批判する人はそこそこ多い
特にラテンアメリカでの反米的な政治家から、これらレーガンの行動が格好の非難の的となったのは言うまでもない

また、ニカラグア内戦でのレーガンのコントラ支援は1986年に「イラン・コントラ事件」と呼ばれる大きなスキャンダルを呼び起こした
アメリカ政府が秘密裏にイランへ武器を売却し、それで得た資金を先述のコントラへ送っていたことが発覚したのだ
イランアメリカ大使館人質事件以降アメリカと関係が悪化していたイラン政府に武器を売っていただけでも大きい不祥事なのに、
当時、反レーガン派である民主党が多数を占めてた議会ではコントラ支援にも反対意見が多かったので、
このことは大きなスキャンダルとなってレーガン政権の閣僚たちにはダメージを与えた
これ以後アメリカはコントラへの支援をあまり大っぴらに行えなくなって、ニカラグア内戦は和平に向かうことになった訳だ

あと、日本ではレーガンは中曽根首相と仲良かったことでも有名かも知れない
レーガンが中曽根をヤスと呼び、中曽根がレーガンをロンと呼んだため「ロン・ヤス関係」って言われてたのも有名な話

126: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 20:29:27.978 ID:YNyhsXjH0
第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ
レーガン時代に副大統領を務めてたやつだ
後に同姓同名の息子が大統領になってるから、区別するために良く「パパブッシュ」って呼ばれてる
彼は内政面ではそんなに目立つことしてないので外交面だけ取り上げる

パパブッシュが就任した1989年はベルリンの壁崩壊などに代表されるように、
東欧諸国で社会主義政権が次々と崩壊していった年であり、
そのような流れの中、パパブッシュはレーガン時代から続くソ連との緊張緩和を一気に推し進め、
1989年にソ連のゴルバチョフと有名な「マルタ会談」を行い、冷戦終結を宣言した
こうしてパパブッシュの時代に、第二次世界大戦後ずっと続いていた冷戦は完全に終了した訳だ

同じ1989年にパパブッシュは、アメリカへの麻薬輸出に関わっていたパナマの独裁者ノリエガを打倒するため、
パナマ侵攻を行いノリエガを捕まえた(その後ノリエガは麻薬密売の罪でアメリカの刑務所に入った)


パパブッシュの対外政策の中でも最も重大なのが湾岸戦争に参加したことだ
これは有名な戦争なのでわざわざ説明するまでもないと思うけど、簡単に触れておく
1990年にイラクがクウェートに侵攻するとイラクへの非難が国際社会で高まり、国連の安保理決議に基づいて、
翌1991年にアメリカを中心とする多国籍軍を派遣してクウェートからイラクを追い出した訳だ
湾岸戦争に勝利し、イラクの侵攻からクウェートを救ったことでパパブッシュの支持率は大いに上昇したらしい

しかし、湾岸戦争後にアメリカの景気が落ち込んだこともあって、パパブッシュは二期目の選挙で敗れた
そしてクリントン政権の時代に移る

127: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 20:30:44.601 ID:WTvDTxZ50
おもしろいなー

128: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 21:22:57.139 ID:YNyhsXjH0
第42代大統領ビル・クリントン
クリントンはパパブッシュに対して経済問題の重要性を訴えて選挙に勝利したため、
レーガンやパパブッシュなどの共和党政権とは違って積極的に対外戦争に乗り出すことはせず国内の経済政策に力を入れた

クリントンは、当時アメリカで勃興していたIT産業の育成に特に力を入れた
副大統領のアル・ゴアのもとで「情報スーパーハイウェイ構想」ってのが提唱された
これはアメリカ中のコンピュータを全て高速通信回線でつなげようという構想で、この構想は最終的にインターネットの普及で実現した
インターネットの誕生については民間で自然発生的にできた部分も大きいから完全にクリントンやゴアの功績って訳でもないけど、
それでも1990年代の急速なインターネット普及に、クリントン政権がある程度貢献したことは事実であり、
俺が今こうやって2chに書き込めるのもある意味彼らのおかげだと言えなくもない

IT関連以外だと、国民皆保険制度の導入もクリントンは目指したけど、これについては国内世論の反対で失敗してる
経済政策重視を掲げていただけあって、クリントンの時代には実際にアメリカ経済は良くなり、双子の赤字も解消された

外交面でのクリントンは、パパブッシュらとは違い、国際問題に深く介入することは少なかったけど、
それでもいくつかの面では外交的な業績もそれなりに残している
彼の外交政策で特に有名なのは、イスラエルとパレスチナの和平合意であるオスロ合意を結ばせたことだろう
とは言え、この和平はすぐに崩れて中東問題は再発してしまうので、この意義について疑問視している人も多いね
あと、中東以外だとコソヴォ紛争やソマリア内戦なんかにも介入してる

クリントンは数々の不祥事でアメリカを騒がせたことでも有名だろう
特に、モニカ・ルインスキーとの不倫疑惑のせいで弾劾裁判にかけられたことは知ってる人も多いと思う
結局、この弾劾裁判ではクリントンは辛うじて有罪判決を食らわずに済み、大統領職を続行できた

130: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 21:57:26.484 ID:YNyhsXjH0
第43代大統領ジョージ・W・ブッシュ
パパブッシュの息子だ
さっきのパパブッシュと区別するために小ブッシュと呼ばれることもある
ブッシュの時代になるともはやほぼ現在って感じで、
大多数の人にとってはまだ記憶に新しいところも多くて歴史って感じもしないだろうから、
そこそこ端折って語っていく

ブッシュ就任した2001年にあの有名な「9・11テロ」が起こった
この事件が当時かなり大きな衝撃を世界中に与えたことは言うまでもない
これを受けてブッシュはテロとの戦いを宣言し、アフガニスタンに侵攻しタリバン政権を打倒した訳だ
さらに2003年には大量破壊兵器疑惑などから、イラクにも戦争を仕掛けフセイン政権を倒した
ブッシュの中東地域へのこれらの戦争での対応を巡っては今でも色々と意見が分かれてるのは周知の通り

2005年にはハリケーン・カトリーナがアメリカを襲って、ブッシュ政権はこの対処に追われることになったけど、
イラク戦争で兵の多くがイラクへ派遣されていたこともあって、十分な対応ができてなかったと非難されることにもなった

131: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 22:41:32.302 ID:YNyhsXjH0
第44代大統領バラク・オバマ
アメリカ史上初の黒人大統領で、現在のアメリカ大統領だ
ぶっちゃけ、ここからはもはや歴史と言うよりも時事ネタになってくるな
まあ、そろそろオバマの任期も終了し、もうすぐ大統領選挙もあるので、ここらで彼の業績をまとめるのも良いだろう
一応、自分の判断で、歴史に残りそうな業績だけをピックアップすることにする

オバマの内政面での業績でまず挙げられるのは、2010年に行われた医療保険制度の改革だろう
クリントン時代に試みられながらも挫折してしまった国民皆保険制度の導入がオバマの時代に執り行われることになった
オバマケアと呼ばれるこの改革で、無保険者には罰金を課すことで国民全員の医療保険加入を義務付ける一方で、
既往歴などでの保険加入への差別をやめさせるなどいくつかの改革を保険会社に義務付けた

オバマは以前から同姓婚を認める主張をしてきたが、そんな中で2015年に最高裁が同姓婚を合憲とする判決を出した
これはオバマの功績と言うよりは最高裁の判決によるものだが、これによってアメリカの全州で同姓婚が認められることになった訳だ

続いて外交面に関して
オバマは、ブッシュが起こしたイラク戦争からの撤退を宣言し2011年までにアメリカ軍をイラクから完全撤退させた
これをもって、オバマはイラク戦争の完全終結を宣言した
一方、2011年から現在も続いているシリア内戦に関しては、
オバマは軍事介入を試みるも世論や議会の支持を上手く得られず、結局シリア内戦には限定的な関与に留まった

さらにオバマ時代の外交面でのもう一つの大きな業績と言えば、キューバとの国交正常化だろう
1959年のキューバ革命以降、アメリカとキューバは長年緊張関係にあった訳だけど、
オバマの時代に両国間の国交回復が初めて試みられた訳だ
2015年にはキューバとアメリカは正式に国交を回復し、翌2016年にはオバマがキューバに訪問した
現職のアメリカ大統領のキューバ訪問は88年ぶりのことらしい

以上が、現時点でのオバマの主な業績だ
まあこのあとも何かしら重大な事件等が起きるかも知れないので、これで全てという訳でもないかも知れないけど

132: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 22:46:06.675 ID:YNyhsXjH0
ふー、だいぶ長くなってしまったがこれで現在の大統領まで述べれたので、俺のアメリカ史語りは一端終わるわ
俺はわりと最近アメリカ史の魅力にはまったばっかりの人間なんだが、
とりあえず大まかなアメリカ史の流れをまとめることはできたと思う
スレ保守に協力して、付き合ってくれたみんな、どうもありがとう

134: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/28(日) 08:45:19.267 ID:XW1DIxiB0
乙、楽しかった

キューバとの国交断絶って、少なくともその始まりは正直言ってアメリカの逆恨みにしか見えなかったし
ようやくまともになったのかって感じだなぁ

133: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/08/27(土) 22:50:22.074 ID:WTvDTxZ50
面白かった。乙でした






  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【完成版】アメリカが歴史ないみたいな風潮

この記事が気に入ったら
イイね!しよう

不思議.netの最新記事をお届けします

おススメ記事ピックアップ(外部)

おススメサイトの最新記事

コメント

1  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:09 ID:ghDumFeU0*
白人が来る前にはネイティブ同士の戦争とか負けた方を奴隷にしたとか
大きな部族を恐れて崖に住んだとか、そういった話もあるよね
2  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:10 ID:.SpuRoHf0*
他人の知識で小遣い稼ぎ
3  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:26 ID:QaSvYQfI0*
歴史ないのに今や世界のリーダー格とか、神降臨しすぎ&神立地すぎだろ
4  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:33 ID:DTjsDQ3S0*
ほんの僅かな極普通の感性の人をヒーローに仕立てることで
大多数が圧倒的多くの時間し続けてる搾取と虐殺と弱い者いじめを隠そうとするのが
アメリカの歴史語りの常
5  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:36 ID:W1fJU.Qu0*
※3
インディアン「神なんていないよ。白い肌の神は悪魔だった」
6  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:37 ID:Y09FSD1v0*
歴史があるとかないとかいうけれど今現在の日本は共産党支配の中国よりも
2年後輩の新興国だろ
7  空缶 :2016年08月28日 12:49 ID:8GFXLDLu0*
建国はたった二百年前だけど
白人の入植、欧化という段階も含めりゃ
見方にもよるが四、五百年の歴史はある。
8  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:51 ID:pjY8vEzp0*
※6
オイオイオイ
戦前戦後で断絶してはいるけど中国以下はないわ
さっさと祖国に帰れ
9  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:54 ID:6in5yA6uO*
まあ、国の歴史に置ける「国」をどこに定義するかにもよるよね


政権、政府、実行支配、建前、国土

日本も「日本国」という政府政治が国の始まりと考えるなら第二次大戦後から、「大日本帝国」も含めるなら明治から、「天皇」による制度を含めるなら大和から、「国土と人」を国とするなら旧石器時代から、それぞれ国が始まったことになるしね


一般的には「天皇」の存在を日本では重視してるけど、「天皇」の実質的な政権は短いからただの制度と見ることもできる


文献などで確認できる証拠があるところまでが歴史の長さって定義でいいかもね
10  不思議な名無しさん :2016年08月28日 12:58 ID:sodFjRmmO*
大日本帝国が滅亡したんなら、日本の歴史は戦後から?
11  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:02 ID:RrYNoJxB0*
人の自由を奪って自由を叫ぶ国になってしまったね
12  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:20 ID:Qf0IrlY.0*
アメリカ人は歴史の無さは誇っていいんじゃねえの

人間におきかえてみれば、歳とって経験豊富もいい事だが
若くして大成してリーダーってのもまた凄い事だもんな
13  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:20 ID:yoXFbgq50*
アメリカの先住民虐殺であたかも先住民が善の集団で正義みたいに言われることが多いけどそうでもないよね
白人が来てからイギリス川フランス側に立って先住民同士で戦ったりイロコイ連邦は従わない先住民を殺したりしてるし
結局どっちも所詮人間なんだなと
14  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:21 ID:f4kbeS9.0*
インディアンの歴史が知られてないのは、当時虐殺により99%のインディアンが殺されたから
その後も定められた居留地から出ることは長くできなかった
15  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:26 ID:bEezmg8L0*
あいつらが事さらUFOだの宇宙人だの先住民のスピリチュアルだのを持ち上げるのは歴史がない事の裏返しなんだよな。

中世以前の神話やら伝説があるヨーロッパとか東アジアの先進国と違って、国自体に神秘性がないんだよ。
16  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:30 ID:6in5yA6uO*
日本人も同じじゃねそれ
オカルトブームやパワースポットとか、何かにつれて傾倒してると思うけど
17  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:30 ID:2SPCDNSY0*
歴史が浅いから数少ない事象を金科玉条にしてる節はある
それも都合の悪い歴史はある程度正当化して
どこぞの半島と似てるけど、近現代史での諸外国への影響を考えるとアメリカの歴史は狭くて深い
18  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:38 ID:pZ4GGcco0*
正直、高校の世界史で習ったことなんて、さっぱり覚えてませーん
19  不思議な名無しさん :2016年08月28日 13:42 ID:6.lf3eZg0*
米10
大きな分岐点ではあったけど、日本としてのれきしは昔からあるよ。神武天皇とか怪しいのもいるけど。
20  不思議な名無しさん :2016年08月28日 14:19 ID:BRM6.SEW0*
アメリカも海っていう防壁がかるからね〜
ww1で漁夫の利得られた感じ
21  不思議な名無しさん :2016年08月28日 14:27 ID:yoXFbgq50*
※14
虐殺もあったが多くはユーラシアからの疫病だよ
さすがに数百万を当時の人の手で殺すのは無理
22  不思議な名無しさん :2016年08月28日 14:29 ID:KbCHhuBh0*
アメリカの歴史=白人による開拓の歴史としている段階で何の意味もない。実にくだらない。
23  不思議な名無しさん :2016年08月28日 14:38 ID:EgBOjYnW0*
※22
それいっつもみんな言うけど、実際インディアンの歴史は
文献とかないし無理ゲーすぎるだろ。

アメリカの歴史=先住民無視か!ってなるから
アメリカ合衆国の歴史って書けば文句出そうにないんだよね。
24  不思議な名無しさん :2016年08月28日 14:47 ID:Oo6kIQTa0*
他のくにからしたら短い歴史なのに、なんでアメリカの歴史書はめっちゃ分厚いんや?
25  不思議な名無しさん :2016年08月28日 14:48 ID:lZo0AG3d0*
まあ世界最古の日本から見たら歴史がないも同然だからなあ
26  不思議な名無しさん :2016年08月28日 15:14 ID:QSeRh2QE0*
国の名前が変わろうと政権が変わろうと今も昔も日本の象徴である天皇家は断絶したわけでも王朝(というと何か変だけど)が変わったわけでもないし、戦前と戦後で日本は違うということはないのでは。
27  不思議な名無しさん :2016年08月28日 15:23 ID:mfGCp8zv0*
※25
日本は人類が住み着いたのも農耕が始まるのも青銅器鉄器が作られるのも文字が記されるようになるのも後発組なのにいつから世界最古になったんだ?
28  不思議な名無しさん :2016年08月28日 15:23 ID:yoXFbgq50*
日本の歴史とか中国の歴史って言うときは基本的に文化や精神性が一貫してるかどうかが重要だと思う
日本だったら天皇家はずっと続いてるし古くからその精神性に連続性があるから縄文~現代まで日本の歴史といっていいし
よく中共は新しい国だから中国の歴史は数十年という奴がいるが民族は混血してしまってるものの中華思想とか漢字といった根幹の文化は連続してるから数千年あると言っていいと思う
29  不思議な名無しさん :2016年08月28日 15:40 ID:3bFPFJDv0*
※24
何事も「つい最近の出来事」な分、
膨大で詳細な資料が集まって自然にそうなる傾向。
南北戦争など、それだけで一ジャンルを成すものだし。
日本で言えば、関ヶ原の戦いが二百年前だったら
本屋の歴史コーナーがどんだけすごいことになるかって事だ。
30  不思議な名無しさん :2016年08月28日 16:01 ID:k5I1L1Eq0*
古代や中世より資料が豊富な近現代史の方が好きだからアメリカ史は大好物
31  不思議な名無しさん :2016年08月28日 16:12 ID:h9Tw6v5n0*
国として見れば大戦前からずっと独立を保ってきたのなんてバルカンを除く欧米とアジアの日中泰、
そしてエチオピアぐらいしかないんだから独立国として見れば結構古参の部類
32  不思議な名無しさん :2016年08月28日 16:21 ID:i.BzDMQI0*
うるせえ紅茶捨てるぞこのやろう
33  不思議な名無しさん :2016年08月28日 16:47 ID:TksYt3bk0*
大学受験のいいおさらいになった、ありがとう
34  不思議な名無しさん :2016年08月28日 20:17 ID:2NnDGuSqO*
侵略して出来た国家のくせに偉そうにするな。アメリカの合衆国化を阻止できていたら歴史が変わっていた。
35  不思議な名無しさん :2016年08月28日 20:25 ID:sodFjRmmO*
バカには“継承国”という概念が存在しない
36  不思議な名無しさん :2016年08月28日 21:06 ID:WY617LJ70*
短くて濃い(濃いとは言ってない)
自国の同じ時代の文献漁ってみろや、各地方でそれこそクッソ濃い出来事盛り沢山だったわ
要は如何に自国の事を知らんかというだけや
37  不思議な名無しさん :2016年08月28日 21:10 ID:lIrcWsql0*
侵略・戦争・テロ、ろくな歴史しかありませんねぇ...
38  不思議な名無しさん :2016年08月28日 21:14 ID:sodFjRmmO*
アメリカみたいに、「全く違う民族が遠くからやって来て作り上げた新しい国」って、なかなか無いんじゃね?
オーストラリアくらいか?
39  不思議な名無しさん :2016年08月28日 22:05 ID:Y09FSD1v0*
この地球はノンマルトの物なんだ!
40  不思議な名無しさん :2016年08月28日 22:14 ID:hkcwzm5r0*
世界最古の文明国である日本はすごい
ある意味全ての文明の起源を持ってるのかも
41  不思議な名無しさん :2016年08月28日 22:52 ID:q9wBeuxi0*
猫目先生のがらくたのやつ好き
42  不思議な名無しさん :2016年08月28日 23:15 ID:sodFjRmmO*
>世界最古の文明国である日本はすごい
>ある意味全ての文明の起源を持ってるのかも


何言ってんだコイツ…
43  不思議な名無しさん :2016年08月29日 00:02 ID:9gELaVzGO*
外国で「日本文明は世界最古なんスよw」とか言ったらバカにされるぞマジで
44  不思議な名無しさん :2016年08月29日 07:05 ID:D18dw4OU0*
アメリカは、移民国家ゆえに国として団結する為に、絶えず外敵をつくる必要があるんだよ。
さて、次の羊はどこになるのかね~
45  不思議な名無しさん :2016年08月29日 08:38 ID:pPZjxjyy0*
※44
ちうごくと北のあの国だな
異教徒の第三勢力たまったもんじゃねえな
46  不思議な名無しさん :2016年08月29日 08:52 ID:awh9rQNp0*
お前らあの国と同じ人種なんだな、言うことや思想がそっくり。他国をリスペクトできる余裕が欲しいわ。
47  不思議な名無しさん :2016年08月29日 11:38 ID:tUoHNiuc0*
欧州はダイジェストでも追いきれなくて好きな部分を抜き出して楽しむ感じだけど
アメリカは歴史が新しくて短い分詳細な記録も残ってて丸々楽しめるのが良い
48  不思議な名無しさん :2016年08月29日 11:40 ID:bU1OSZ5q0*
マッキンリー山は最近デナリ山に名前が変更されましたね
49  不思議な名無しさん :2016年08月29日 12:14 ID:u9dqI15V0*
先住民虐殺を正当化したからその後も虐殺を正当化する歴史が続いている。
50  不思議な名無しさん :2016年08月29日 14:06 ID:DuR0FoY.0*
結局ネトウヨのたぐいってやってることは自国ホルホルで自分も偉くなった気になるという韓国人と同じことなんだよな
左も右も行き過ぎるとアホになるから気を付けないとね
51  不思議な名無しさん :2016年08月29日 16:18 ID:EcCLPtGG0*
アメリカはすごいよな 落ちぶれたとはいえ現在ですら圧倒的な国力持ってるし
文化の面でも未だに数多くのアメリカ産の娯楽が世界で受けてるし
なんでなんだろなほんと
52  不思議な名無しさん :2016年08月29日 18:36 ID:9gELaVzGO*
韓国でも過剰な自賛してる奴は、クッポン(訳:愛国中毒者)とか言われてバカにされてるからな
要するに韓国版のネトウヨさ
ネトウヨが韓国人だと思って戦ってる相手もそのクッポン
“争いは同じレベルの者同士でしか発生しない”と言うが、全くその通りだよ
53  不思議な名無しさん :2016年08月30日 07:36 ID:7jGi0vlK0*
4世紀のことすら満足にわかってないのに世界最古の文明国とか意味不明だぞ
54  不思議な名無しさん :2016年08月30日 18:30 ID:C78a1Wv30*
そもそもが侵略者共の内輪もめでできてその後も味をしめてひたすらあっちこっちに侵略したり喧嘩売ってて落ち着きもないから濃く見えるだけじゃねーか
55  不思議な名無しさん :2016年08月30日 20:40 ID:GNO4AHV40*
日本が戦前戦後で断絶してるってのも分からんな〜日本が世界最古とは言わんけど
右派左派がケチをつけてるけど、大日本帝国憲法の改正は手順に則って正当に行われたわけだし
昭和天皇は皇位につき続けたじゃん
でも成文憲法から成り立つ近代国家って意味では、アメリカが世界最古ってことになるのか?
56  不思議な名無しさん :2016年08月30日 21:30 ID:ADQ4wbF9O*
そもそも「国の歴史」に対する認識がそれぞれでバラバラだからね


単純に「歴史」の話なら、どこまで資料的に遡れるかが歴史の長さということになるから、縄文時代からの話になる。他の国例えばエジプトなんかはすでにその頃大国で、さらに歴史を遡ることができるからもっと歴史が長いことになる


アメリカはインディアンの歴史があるはずだけど、史料がないから入植以降が歴史になる。だから他に比べて歴史が浅いといわれることになる


まあ、歴史をどう見るか、どう区切るかなんて、語る人の主観によるものさ。実際に生きてる人たちは、途切れることなく生活を続けているんだから
57  不思議な名無しさん :2016年08月31日 10:25 ID:dbcb8K2p0*
エジプトは歴史の長さでいえば圧倒的に最古級だけど
途中でアラブ人に征服・入植されて古代以来のエジプト人が少数派に転落してから
中身としては別物になって断絶してるよね。
アメリカ史におけるインディアンと白人の関係に似ている。
58  不思議な名無しさん :2016年08月31日 10:29 ID:dbcb8K2p0*
ていうか、「インディアン」の本来の意味って今で言う「アジア人」みたいなもんだから
日本人だって準備が整う前に白人に出会ってたら
インディアンと同じ運命をたどっていたかもしれないわけで
そうならなかったのは天佑としか言いようがないな。
59  不思議な名無しさん :2016年08月31日 10:45 ID:dbcb8K2p0*
日本で言えば江戸時代が始まるのと同じくらいから植民地建設が始まって
(江戸時代の日本も新田開発が盛んで人口が増えたり北海道や樺太のアイヌまで支配下に入れた)
明治時代に当たる時代に大国としての地位を固めたっていうのは、
一見正反対な両国なのに妙に符合していて興味深いね。
60  不思議な名無しさん :2016年09月04日 06:59 ID:50BQ7kdT0*
演技派ケンモメンのトンデモ起源説コメントには草 起源説の起源はお前らやし思う存分ホルホルしてもええんやで
61  不思議な名無しさん :2016年09月04日 07:03 ID:50BQ7kdT0*
というか先住民始末&隔離して「開拓以前の歴史はなかった」てのも酷いな 削除したんでしょうに
62  不思議な名無しさん :2016年09月05日 04:32 ID:Bk72VamS0*

チョ○モメン「今日も日本人のフリして書き込むか…」  
      「日本の歴史は世界最古で文明の起源!」

雑種の歴史コンプレックスの闇は深いんやね

63  不思議な名無しさん :2016年09月06日 06:14 ID:u9bqzOYh0*
浅い割には差別と暴力の歴史は豊富やんけ

ベトナム、中東、中南米から自由奪って自国の自由と平等を叫び散らすんか
ハワイの自演クーデターからエグすぎて草も生えん どんだけ繰り返すんだよ

嫌儲の歴史コンプからしたらホルホルなんやろな

64  不思議な名無しさん :2016年09月07日 02:33 ID:.iBsGe740*
関係ないけど雑種犬ってくっせぇよな
65  不思議な名無しさん :2016年09月08日 17:46 ID:LRELh8oJ0*
なんで鮮人が勝ち誇ってんだよ コンプか?
66  不思議な名無しさん :2016年09月08日 21:22 ID:aZQEBby00*
白人が奴隷仕事してた訳でないし後にアフリカインド中国から奴隷を買いあさって他力で発展させた訳だし初期の13州なんて植民地というより入植地の方が正しいような気もするのだが

実際1950年代でさえ白人率が90%以上でアジア人は1%以下20世紀に非白人で事業成功させてたの日本人ぐらいでしょそれで差別の的にされた訳だし
アメリカが大国化したのはメキシコから奪ったテキサスで石油カリフォルニアで金や鉱石が出たのが大きくそれ19世紀前半までメキシコより貧しい国家でしょ
67  不思議な名無しさん :2016年09月11日 16:04 ID:chYSnFsw0*
9.11か…

あのテロくらうまで、アメリカ人は「自分たちは世界から信頼されている」と本気で思ってたらしい
68  不思議な名無しさん :2016年09月12日 17:53 ID:dnOxkAkg0*
映画のファンタスティック4やオブリビオンで、惑星から資源を吸い尽くしたら次の惑星へ移動するみたいな巨大な化け物いたけど そんな感じ。侵略して、奴隷や植民地があって当然というかそれ前提で全てが進行してる歴史、というより戦史。歴史はないな。
あの顔や体の骨格、体格で人をブッ殺しまくってたのはその光景を想像するだけでおぞましい。そしてそれがかたちを変えて今も世界中で行われている。もはや国や人種などというよりひとまとまりのアメリカという現象だね。嫌いじゃないけどね、映画とか見るし。
69  不思議な名無しさん :2016年10月25日 15:23 ID:YejFae8m0*
※43  
知識が無いのに妄想で言わない方がいいぞ
自称でなく世界機関が幾つかの根拠を元に認定してるのだから最古は確定済

70  不思議な名無しさん :2017年06月03日 18:06 ID:oJ.dnrHl0*
思い込みが激しそうな1だな

 
 
上部に戻る

トップページに戻る