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諸葛孔明って戦争未経験のガリ勉だったのになんでいきなり軍師として大活躍できたの?

2016年09月16日:16:00

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コメント( 214 )

1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:31:53.29 0
不思議

s

引用元: 諸葛孔明って戦争未経験のガリ勉だったのになんでいきなり軍師として大活躍できたの?







4: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:33:48.95 0
ちなみに旧日本軍もめちゃくちゃ賢いエリートが
いきなり将校として指揮してるし珍しくも無い

6: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:34:57.82 0
所詮は口だけの青二才
ガチで戦えば経験に勝る関羽には勝てぬ

7: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:35:55.47 0
しかも都会でエリート教育を受けたというわけでもなく地方で晴耕雨読してた若造がだよ

8: 猫@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:36:37.12 0
>>1
現実の孔明と演義の孔明を区別すべきだね。
現実の孔明は、法律の専門家で、軍事問題に関わったのだろうか?

9: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:37:32.98 0
兵士としてのスキルと軍師としてのスキルが全く違うものだから
何年兵士を務めても軍師としての能力は一ミリもアップしない

12: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:38:54.82 0
ちなみに一兵卒が独裁者となり国家と国軍を指揮したのがヒトラーな
兵士としては滅茶苦茶優秀だった

15: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:40:25.81 0
馬鹿は三国志演義の方を史実だと思ってるからね
孔明は軍師としてじゃなく政治家や官僚としての才が高かった
そもそも「軍師」というものは当時は存在してない

16: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:40:43.85 0
むしろ叩き上げの指揮官の方が珍しい
ほとんどの指揮官は若い頃から幹部候補生として一般兵とは区別された教育を受ける

19: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:45:46.23 0
名前が良かっただけだよ
諸葛亮孔明は実は何もしていない
裏ではブレインがいて戦略についてずっと話し合ってる
それを諸葛亮孔明の案として発表してただけ
名前からして頭のよさそうな軍師が魏にはいるぞってなって蜀と呉は闘う前から負けのビジョンを描いてしまう
簡単に一言で言ってしまえばはったりってやつだ

23: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:47:53.31 0
マジレス

孔明は政治家
戦場でも後方の兵糧調達とかで
前線で戦ったことなどない

26: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:48:14.20 0
史実はぶっちゃけ軍師としては微妙だったが
天下三分の計を描いて実行して見事に実現したとこがすごいの

28: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:49:21.73 0
ていうか中国史に登場する軍師ってほとんど実戦経験なかった学生ばかりだろ
それが君子の気まぐれで登用されて活躍するってパターンばかり

32: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:51:48.05 0
天下三分の計てw
あれ「別にわかれたまんまでええんとちゃいますの」言うただけやん

39: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 22:57:01.64 0
内政も外交も軍事も全部一人でこなす化け物やぞ
生まれつき天才だったとしか言いようがない

43: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:00:13.40 0
天下三分の計
「ヨソはヨソ!ウチはウチ!」てことだもんな

87: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:47:29.41 0
>>43
「漢のフカーツなんて諦めて」とw

47: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:03:24.73 0
正史における孔明の評価

「古来より兵を出して奇計を使わず危険を冒さず成功した者などいない。諸葛孔明の用兵は奇計を使えなかった所に欠点がある」(王志堅『読史商語』)
「蜀がもともと弱国で危ういことを知っていたから、慎重堅持して国を鎮めたのだ」(傅玄『傅子』)
「主君が暗愚で敵国が強大であるので(魏を一気に滅ぼす)計画を変更して蜀を保持しようとしたまでのことだ」(王夫之『読通鑑論』)
「諸葛公はリスクが大きい計略だから用いなかったのではない。大義を標榜した出兵だったから策謀や詭計を用いなかったのだ」(洪邁『容斎随筆』)

55: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:08:54.69 0
ナポレオン元帥でいうとベルティエなんかも完全に文化系将軍だよね

59: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:10:42.51 0
劉備「馬謖には大事な仕事を任せるなよ」
孔明「はい」

58: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:09:37.87 0
孔明は軍師というより政治家

60: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:10:50.53 0
じゃあ政治家としての孔明の実績ってなんなの

65: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:16:37.68 0
>>60
赤壁の戦い、というか蜀と呉の同盟

61: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:12:02.33 0
上層部の優劣は物事を大局的に見る能力で決まる
細々とした現場のことも知ってるに越したことはないが重要度は低い

84: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:46:02.29 0
ガリ勉言うたら春秋戦国時代の百家だってガリ勉だけど表舞台に出たら活躍してるやつは歴史に名を残してる
今と違って実学を教えてたんだよ

93: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:49:37.68 0
孔明は負けない戦は出来るが勝てる戦を出来ない
天下は絶対に取れない

104: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:57:58.19 0
孔明は戦場未経験の馬ショクを起用したら見事に命令無視して大敗
帰還した馬ショクを泣く泣く処刑した
劉備が「馬ショクは戦争未経験のクセに口だけは達者だからあてにするな」の言い残したのを忘れていた孔明

105: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/15(木) 23:58:43.13 0
孔明が活躍した戦なんて南征だけだろ

113: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:05:45.69 0
>>105
孟獲を七回捕らえて七回放す
の元アイディアは馬ショク

115: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:08:03.58 0
>>113
放さなきゃ1回で終わってたやん

126: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:18:28.54 0
>>115
そこをあえて「再チャレンジ」させたわけ

117: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:10:49.06 0
孔明が魏から生け捕ってきた姜維は孔明の後継者を自任して魏攻めを繰り返したが結局蜀漢を傾けた

130: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:20:23.28 0
いや殺したところで他の奴が頭になるだけだからだろ

131: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:21:17.79 0
孔明もすごいが孔明に指揮を許した劉備や周りの将軍も偉いよ

137: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:31:36.17 0
東南の風を呼ぶの逸話があるということは
孔明は赤壁の気象をあるとぃど予測できたんではないの

138: ルウ@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:31:57.03 O
孔明と馬謖は合わせ鏡というかなんというか
一歩間違えたら孔明が馬謖になっていてもおかしくなかった
馬謖のエピソードを入れる事によって机上の学問と、実際の現場のライブ感は別ものという経験の大切さとか
何かリアリティあるものを教えてくれる
もしかしたら馬謖ってのは架空に作り上げた人物で実は孔明本人の失敗談だったのかもしれない
希代の天才・孔明の名誉に傷が付かないように別人格の話として創作したのかも

147: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:38:44.47 0
魏と蜀の国力考えたら善戦したほうじゃないの

196: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 08:07:13.02 0
>>147
禿同

172: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 01:30:05.06 0
諸葛亮(孔明) 略歴

181年 出生 まだ幼い頃、徐州から弟の諸葛均と共に従父の諸葛玄に連れられ南方へ移住する。
197年 諸葛玄が民衆の反乱に遭って殺される。
     その後、諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。
     この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はほとんどおらず、親友の崔州平や徐庶だけがそれを認めていたという。
     また、この時期に地元の名士・黄承彦の娘を娶ったようである。
200年 三顧の礼 天下三分の計
208年 長板の戦い 赤壁の戦い
211年 入蜀
214年 益州平定 
220年 夷陵の戦い
225年 南部平定
227年 北伐
228年 街亭の戦い 陳倉の戦い(第2次北伐)
229年 第3次北伐
231年 第4次北伐
234年 第5次北伐 五丈原の戦い 没 享年54

175: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 01:33:40.27 0
>>172
俺の脳内に眠る横山三国志のデータが一気に蘇ったわ

174: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 01:32:21.43 0
今気づいたけど三国志って孔明の物語だったんだな

192: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 07:30:02.81 0
実際の諸葛亮は筋肉ムキムキだし戦地では鎧を着て戦ってたよ

198: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 10:01:49.99 0
演義と正史で一番ギャップが激しいのが孔明だよ演義だと魏の曹真は孔明まったく歯が立たなかったようだけど
実際は一度も負けてない赤壁の戦いだって周瑜と魯粛は初めからやる気満々だったから孔明はほとんど役に立ってない
北伐だって正攻法じゃ勝てないのに魏延の長安奇襲作戦を退ける頭の固さ
政治家としては一流でも軍師としては二流なのが孔明

199: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 11:07:50.71 0
実在は不確かだけど「孫子」の作者も著作が認められて将軍として登用されたことになってる

143: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/09/16(金) 00:36:20.70 0
こういうエピソード聞くと「俺もやれる」って気になれるから好き







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諸葛孔明って戦争未経験のガリ勉だったのになんでいきなり軍師として大活躍できたの?

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コメント

1  不思議な名無しさん :2016年09月16日 16:19 ID:grnxz0j60*
三分の計は蒯通が最初に唱えたんでしょ?
韓信が実行してたらどうなってたか見てみたいのぉ・・・・
2  不思議な名無しさん :2016年09月16日 16:53 ID:v1S7mImu0*
因果。本人、なんで勝ったかわかってない。

作戦とか、色々あるけど、それ込みで因果。

諸葛亮が勝つと、多くの人が苦しんで嫉妬して、地獄に落ちるシナリオに多く巡り合った。

そういう、勝利スポットに座ってしまった。ラックが高い。

人間、「他人を蹴落としたい」と、願うので、「戦術」でも「練度」でもなく、そういう処がある。もちろん、戦術とかもある。
3  不思議な名無しさん :2016年09月16日 17:01 ID:09RgITjo0*
孔明は心理学、天文学 物理学 等々学んでいたから一流学者であって叩き上げの軍人の上に立つような人ではない
もし仕えていたのが蜀じゃなかったらそもそも出世もしてない
4  不思議な名無しさん :2016年09月16日 17:21 ID:Og9Id8UxO*
あるとぃどって何?
5  不思議な名無しさん :2016年09月16日 17:48 ID:FAg4jAre0*
軍師という職業な無かったと聞いたけどな
6  不思議な名無しさん :2016年09月16日 17:58 ID:l7exH9Ai0*
曹操についていれば、荀彧の上位互換かな
7  不思議な名無しさん :2016年09月16日 18:01 ID:p0kU2koT0*
幸運ならそこそこでもスカウトされる
不運なら才能があってもスカウトされない
ってことよ
8  不思議な名無しさん :2016年09月16日 18:05 ID:1Cqv8Muf0*
戦略家としては一流で関羽がやらかさなければ長安以西までは押さえられたでしょ
やらかしってのは呉の裏切りを読めなかったことではなく部下に裏切られたことな
そんでもって夷陵でさらに劉備がやらかして事実上の終了
後は単なる消化試合
9  不思議な名無しさん :2016年09月16日 18:52 ID:7jZ4.Zzr0*
当時は全員「学」が無い状態だから
ちょっと「学」がある人間が頭をひねれば簡単に勝てただけ
孔明が特別天才だったわけじゃない
俺がその時代に生きてたらもっと凄かったと思うよ
3回程度の訪問だと家から出ない自信あるし!
10  不思議な名無しさん :2016年09月16日 19:06 ID:hTKEmy8F0*
19につっこんだら負け
11  不思議な名無しさん :2016年09月16日 19:13 ID:HjBP46pr0*
ホウトウが軍事をやってたけど早死にしちゃったから政治と掛け持ちする事になったって聞いたことある
12  不思議な名無しさん :2016年09月16日 19:33 ID:NsjjI49J0*
北伐をしながら国を維持したってのが一番すごいらしいが
国力比が七倍差だったか?
忘れたけど、これで何度も北伐ができたという事実が異常だとか
13  不思議な名無しさん :2016年09月16日 19:43 ID:80S4a0w60*
こいつが離れた瞬間、関羽がやられたり、しばいさえいなきゃ、魏やばかったりと、有能すぎるよな。劉禅の教育と、ばしょくと孫呉に期待しすぎた落ち度はあれど。
14  不思議な名無しさん :2016年09月16日 20:01 ID:Kzr4DSvC0*
史実でも孔明は魏の宮廷から恐れられていて演技ではぱっとしない曹真という史実での名将が病死してから迎え撃った代理の司馬懿が勝ったことが司馬懿一族が魏を乗っ取るきっかけになった
15  不思議な名無しさん :2016年09月16日 20:12 ID:gHLwKqpZ0*
正史の孔明の不可解な行動で打線
1(二) 馬謖を任用するなという劉備の遺言を無視
 (劉備「馬謖は口先だけの男であるから、くれぐれも重要なことを任せてはならない」)
2(遊) 諸将からの呉懿や魏延への推挙を無視し、馬謖を任用して大敗
 (蜀の第一次北伐 街亭の戦い)
3(一) 馬謖の件で何の責任も取らず形だけの降格
 (自らも位を3階級下げて右将軍になったが引き続き丞相の職務を執行)
4(左) 司馬懿に2度も、孫子の「最上の策」(戦わずして屈服させるのが最善の方策)で撤退させられる 
 (第4次北伐と第5次北伐で司馬懿の防衛に対し完全に屈する)
5(三) 司馬懿を初め局地的に破るが、戦略で完璧に破られる
 (第4次北伐)
6(右) 魏延の度々の献策を無視し、死の前に内密に諸将を呼んで魏延を殺す算段をたてる
 (魏延が全軍撤退命令に従わなければ、構わず軍を進発させよと内密に楊儀・費禕・姜維らに指示)
7(中) 魏延と楊儀の険悪な関係に対し、何もせず放置する
 (諸葛亮は2人が不仲なのに心を痛めていた)
8(捕) 問題のある李厳をたびたび用い、ついに謀られて北伐から撤退
 (第4次北伐)
9(投) 陳震のたびたびの忠告をガン無視し、李厳を任用し続けてきたことを後悔
 (「陳震伝」)
16  不思議な名無しさん :2016年09月16日 21:10 ID:HTUuYkS90*
138さん  なるほど!!確かにそうかもと思う
17  不思議な名無しさん :2016年09月16日 21:13 ID:EGRStpdr0*
名前が残っている時点で並みでは無かったことは間違いない。
18  不思議な名無しさん :2016年09月16日 21:38 ID:C3bcU3m.0*
孔明無能説は歴史好きが必ず通る道
19  不思議な名無しさん :2016年09月16日 22:05 ID:CRSTto780*
諸葛ビームは出るよ マジで
20  不思議な名無しさん :2016年09月16日 22:52 ID:GnVNaxdY0*
こういった「実のところ、全然大したことない」って真逆な意見ばかりなのを見ると、演義やそれを元にした各種メディアでの英雄ぶりへの反動的な意見じゃないかって思えてしまうわ
史実は良く知らんが、これだけの歴史的人物が「二流」の一言で片づけられるものなのか
21  不思議な名無しさん :2016年09月16日 23:33 ID:Jlzawr8A0*
否定してる奴が全員かしこぶってて笑った
22  不思議な名無しさん :2016年09月17日 00:11 ID:welQRDhl0*
要するに経験より知識が重要ってことか
23  不思議な名無しさん :2016年09月17日 00:39 ID:1FRiR1GW0*
当時の軍事学は飯を確保する為に生み出されたガリ勉がどうしても何世代かに一度発生する飯ないでござるに付随して起こる戦争に対していかに集団の秩序を保ったまま敵兵に当たらざるを得なくさせるかの手練手管なのだからガリ勉孔明がある程度軍事できても当たり前。今でいうロジが前線での勤務内容とも被っていたような時代でロジが半分槍働き半分、補給がしっかりしていたから魏呉に比べて漢(笑)でしかなかった蜀が継続的に参戦できたのでそれ故に孔明が偉い。しかし蕭何の他に韓信を使う余裕と時期が蜀に押し込められた自称漢にはなかった。
24  不思議な名無しさん :2016年09月17日 01:05 ID:ezU.pb96O*
正史のコメは正史読んでからして欲しいわ。さすがにデタラメすぎてこっちが恥ずかしくなる・・・
25  不思議な名無しさん :2016年09月17日 01:40 ID:U3lUpv0B0*
フィクションだからにきまってんだろ・・・
26  不思議な名無しさん :2016年09月17日 02:53 ID:rPTNak.HO*
蒼天しかしらないからイチモツのでかい目が3つの変態みたいなイメージ。
27  不思議な名無しさん :2016年09月17日 03:27 ID:VCjLef030*
今以上に家の価値が大きかったんだろ。
日本の戦国時代なら、前田家の次男の利家とか。
明智家とか、そう言うのが評判良くてエリートとして就職したと言う感じだと思うが。
普通に名家で兄が呉でもお偉いさんになってるし。
28  不思議な名無しさん :2016年09月17日 03:31 ID:SiX5xSvZ0*
この手のスレは、孔明は実際は無能のクソ!またいなアホが湧き出てきて嫌になる。
29  不思議な名無しさん :2016年09月17日 04:55 ID:Hk.2.W7C0*
本来の孔明とは政治家でしかなかった
軍事を担う劉備が死んだ時点で表舞台に立たざる得なかったのだ

なお孔明の死因は過労という話がある 
孔明の激務の内容を聞いた司馬懿が孔明は間もなく死ぬなと予言したという記述もあるレベルで
それほどまでに当時の蜀は孔明に対し重責を担いすぎたのだ
30  不思議な名無しさん :2016年09月17日 13:16 ID:9AUupnlI0*
実際の三国志の戦争自体正確な描写かは疑問符だが古代文献は近代の映像作品によって誇大化されたイメージが先行しているから真意の程は誰にもわからない
当時の人の価値観や感覚、表現方法や評判の真偽も文献だけでは判断が付かない
庶民の記録なり生活状態なりの資料が膨大にあれば実態が分かりそうだが
31  不思議な名無しさん :2016年09月17日 14:31 ID:bp9VnyUJ0*
空城の計とかはマジでやったんやろ?
根性がすごいわ
32  不思議な名無しさん :2016年09月17日 18:01 ID:Wlf.A.fD0*
相変わらす阿呆が湧いて居るわ。
33  不思議な名無しさん :2016年09月17日 19:16 ID:FULh8s2x0*
小説やゲームのイメージが先行し過ぎて実物より過大評価され過ぎてるだけなんとちゃう?
34  不思議な名無しさん :2016年09月17日 19:33 ID:wNIi2HjV0*
浮遊しながらビーム出せるんだから多少は活躍できるでしょ(無知)
35  不思議な名無しさん :2016年09月17日 22:29 ID:2UOw0FGC0*
献帝と生年没年が一緒なのはマメな
36  不思議な名無しさん :2016年09月17日 22:52 ID:qaI7b2r40*
兄貴も外交官で、有能な家系だったんだろう。
ぶっさいくな嫁を貰って笑われたが、夫婦仲は良かったってエピソード好き。
後の出世を思えば舅が援助して娘を娶すほどには若くして才気煥発だったのだろう。
あと、出師の表が名文だったし、そこで評価が高まった部分も。
正史を書いた陳寿が蜀の出身で、司馬一族に世話になった人物の引き立てがあったので、司馬懿の好敵手として好意的に描かれた部分もある。
37  不思議な名無しさん :2016年09月17日 23:37 ID:UkBMLl8uO*
当時の中国のガリ勉のレベルは今とは次元が違うんだよ
38  不思議な名無しさん :2016年09月18日 00:42 ID:R8n5uCMh0*
孫子にある通りの戦い方をしているよね。
自軍は絶対に崩壊したり負けないように堅実に戦う。
そして相手がミスするのを待つ。

だから孔明は全ての戦いで、万全を期して撤退に成功している。
無理して一か八かで追撃してきた名将・張恰を美味しく返り討ちにしている。

曹真や司馬懿はミスを犯さなかったから勝つことはなかったけど、敗北もなかった。
弱小国家がなんとか用意した10万の兵を大国相手に棄損しないで、無事に帰国させ保全し続けることができた。
39  不思議な名無しさん :2016年09月18日 02:37 ID:Iu5HgnbW0*
蜀って孔明が死んだ後の方が長いんだよね
蜀全体の歴史の3分の2は孔明無し
そう考えると諸葛亮孔明がいなければ蜀が持たなかったってのもちょっと違うとは思う。
そもそも魏と蜀の国力差がでかすぎて時間が経てば経つほど混乱も収まっていくから
余計に差は開いていく、悲しいかな三国が県立した後の時代は
個々の才よりも社会が安定して組織全体の優劣になっている。
中国って組織の中の矛盾点や問題が大きくなると個人の才による革命が起きて王朝が変わり
世代が変わり個人の才ではなく組織で国を治める以下エンドレスってのを2000年以上繰り返してるのよね。
だから孔明関係なく蜀は負けてたよ、すでに個人の才の範疇を大きく超えていたと思う。
※38にあるように孔明自体戦略はどちらかというと攻めるよりも敵を誘い込んで倒す方法をとっていたみたいだし、そこを司馬懿に戦略を看破されている。
彼自身は超有能だと思うし、非常に優れた外交官ではあるけど
全知万能の存在ではないわね。少なくとも軍人ではなく文官であって、政治家であったと思う。
40  不思議な名無しさん :2016年09月18日 07:39 ID:MO.nYJM10*
上位互換はないだろ 初代人材マニア
41  不思議な名無しさん :2016年09月18日 09:13 ID:r0ywq46W0*
演義が有名すぎるから悪いwww
42  不思議な名無しさん :2016年09月18日 10:27 ID:XkwpXB4h0*
外交官だと思ってたわ
一応戦にもでてたんか
43  不思議な名無しさん :2016年09月18日 21:09 ID:nNykET4n0*
本当は架空の人物
というか複数人で作り出した役職みたいなもの
44  不思議な名無しさん :2016年09月19日 00:30 ID:woQRN6qEO*
そもそもが宰相というか、国全般の政治・軍事すべてを統括してた人やから

奇策はしょせん奇策。堅実に勧めることで見えてくる活路もある
45  不思議な名無しさん :2016年09月19日 03:56 ID:btwOp4ui0*
赤壁の戦いの事も出てきたけど…
実際有ったのかすら怪しい。呉史では赤壁の戦いで魏軍を叩いた記述はあるものの赤壁自体の場所すら何処にあったか判明していない(現中国で赤壁の地はココだと言うてる地が何ヶ所もあり、本当にその場所が正しいのかハッキリしていない)
魏軍はあれだけ兵を損失したにも関わらず武将クラスは誰1人として戦死したと言う記述がないし…
陳寿がハッキリ書いとけばスッキリするのに

一般に知られている三国志の話は演義の内容で劉備を主役にしてるから孔明も獣神化されて書かれている。
劉備の先祖が皇帝の末裔ってのも実際調べた事があったらしいけど解らず終い(調べていくうちに末裔ってのも怪しくなってきたが今更違かったとは言えずそれ以上調べる事を途中で止めたって説もある)
46  不思議な名無しさん :2016年09月19日 13:13 ID:QE1LBvf10*
※45
獣神化ってなんぞwモンストかw

演義で神格化されてるので少し正史をかじった違いを出したい
マニアに反動的過小評価されてるってのが現状な人なんだろう
孔明が有能か否かは司馬懿の「天下の奇才なり」という
言葉以上に何か必要なのかなとは思うけどな
最前線で多年対峙した敵の名将の偽らざる感想じゃないか
47  不思議な名無しさん :2016年09月19日 14:41 ID:9EOwkenL0*
ビームしか出せないから最弱やろ
48  不思議な名無しさん :2016年09月19日 23:15 ID:btayqA.90*
演義と正史を分けて考えなきゃいかんよね。
演義ならその方がお話として面白いから。
正史なら軍事的才能は二流でそもそも軍師的な位置じゃない。
一流政治家ではあったけどな。
49  不思議な名無しさん :2016年09月22日 00:21 ID:5ZdBHAtM0*
正史でも天才的な軍人であり政治家
この時代ドクトリンを描き、それにそった軍を作ったのは曹操と諸葛亮だけ

でも優秀な現場司令官てわけではなかった
その人材がいないところが弱小国たる所以ですが
50  不思議な名無しさん :2016年09月22日 07:24 ID:2mWQh2aR0*
>>43とか、天下三分の計を立てたときはまだ劉備が劉表の客に過ぎなかった事ちゃんと理解してんのかね?
蜀を取ったあと蜀だけでええやんって言うなら凡人だけど、その遙か前の策なんだから普通に考えて凄いってなるやろ。
51  不思議な名無しさん :2016年09月24日 12:03 ID:35rjivyo0*
法正が長生きして、劉禅がもうちょっと頭良かったら向いてないことをしなくてよかったんやで。
52  不思議な名無しさん :2016年09月24日 14:11 ID:ulu1qGnV0*
そもそも三國志が史実じゃない定期
元々面白ストーリー小説なんだから超人が居たっていいんだよ
53  不思議な名無しさん :2016年09月25日 00:07 ID:L6Jz8pwR0*
まあ、指揮官は別の訓練していないと駄目なのはわかるけどさすがに
本読んで学べるもんでもないしな。しょせんフィクションってことでしょう
54  不思議な名無しさん :2016年09月27日 03:26 ID:qVOl87ZQ0*
※51
劉禅がもう少し頭良かったら
実権握ろうとして孔明たちを粛正して終了w
55  不思議な名無しさん :2016年09月27日 03:29 ID:qVOl87ZQ0*
馬謖の事は色々あるけど優秀な兄貴たちを皆死なせたのは劉備
馬良達が生きてたら抜擢されることも無く馬謖は孔明の優秀な片腕として役に立っただろう
56  不思議な名無しさん :2016年09月27日 06:40 ID:k6FhCHwa0*
演技にしても虚構7割史実3割らしいが、
その史実3割の中にも不確定な部分があるらしいし。

孔明は実はたいしたことなかったとかうちらが言った所で
あんま意味ないんだよな
57  不思議な名無しさん :2016年09月27日 13:39 ID:NnO56pvv0*
諸葛亮を評価するんなら
まず外交官としての適性を述べなきゃ。
誰かが書いてるように諸葛一族は離散して各国に散らばっている。
そして公私混同が当たり前というか、むしろ権限を家族のために使わないと逆に非難される当時の中国において、『他国に親戚がいる名族』は外交官に最適だった。
だからこそ領土問題で何度も蜀は呉に対して無茶を通せているし、劉備の死後あたりにきっちり借りを返す羽目になっている。
58  不思議な名無しさん :2016年09月27日 21:04 ID:TzQRpNlD0*
横山三国志でも後半はわりと無能じゃん。
59  不思議な名無しさん :2016年09月30日 07:28 ID:5TMTXzs00*
亮ちゃんって、軍事でなくて政治家として優秀だったんじゃないの?

※54
劉禅って言われているほど暗愚ではないと思うけれどな。
そんなのだったら、魏に下った後に本人の意向関係なく叛乱の旗印にされてさっくりと暗殺されているよ。
60  不思議な名無しさん :2016年09月30日 22:17 ID:NGBAei250*
この時代は「お前優秀やん、じゃあアレもコレもソレも全部任せるわ」感が凄い
61  不思議な名無しさん :2016年10月01日 21:32 ID:KjV91rGE0*
>史実は良く知らんが、これだけの歴史的人物が「二流」の一言で片づけられるものなのか

そら創作のすごさってやつだよw
日本だって直江兼続みたいな老害を、「忠義一徹の名武将」として祭り上げてるじゃんw
架空の人物であるホームズやアーサー王を信奉している人がいるだろ?
創作と現実の区別がつかず、それどころか自分から資料も読まずに、「みんなが褒めてるからスゴイに違いない」なんて幼稚なこといってるから水素水とかに騙されるんだよw
62  不思議な名無しさん :2016年10月02日 00:48 ID:bAHzAz020*
赤壁で関羽が失態犯してなければ蜀の勝ちだったんじゃね?
一度でも大将とれば流れ出す。
その後も義兄弟たちが暴走しなければ良かったが、
止めるすべがなかったことが悲しい出来事だ。
仁義を犠牲にしてでも民を幸せにさせたれてたらな。
63  不思議な名無しさん :2016年10月02日 12:43 ID:9TAdSxHI0*
まあ演義ですし。
今の中国見てると、史実すらどこまで正しいのか怪しいわ。
64  不思議な名無しさん :2016年10月03日 00:09 ID:NSpJMBsb0*
陳寿の記述とそれによる2ちゃんとかの書き込みをろくに調べもせずに戦下手の政治家と言うやつ多いよね
65  不思議な名無しさん :2016年10月03日 02:52 ID:wqJMYqY20*
※59
暗愚でなくても何かを積極的にする意味で優秀な訳じゃない
神輿で担がれて部下に任す、部下が優秀なら力を振るえるし
そうでなけりゃアレだ
66  不思議な名無しさん :2016年10月09日 03:46 ID:Ww3EeVBH0*
将軍、軍政官として一流
孔明率いる本隊と野戦決戦をするとか司馬懿でも避けたい事実
67  不思議な名無しさん :2016年10月11日 08:57 ID:NkKEZh7u0*
スレやコメで書かれている事へのツッコミを書き出すと時間も文字数も足りない。

戦争未経験のガリ勉も何も当時学校や塾で学んでいたのは統治や軍事に関わる先例集だ。
そりゃ現代の軍人の幹部候補生と同じことやってたんだから成功する奴も出れば大失敗する奴も出てくる。

当時軍師的な役割がなかったかといえばあった。石井仁の論文の軍師考くらい読んでから発言しろ。
新末後漢初においては監察官の役割だった軍師という役職をシンクタンク型に再編したのは曹操だ。
そして諸葛亮は多くの政策を曹操に倣っているが、本人は将軍だ。

公私混同についてだが、公私混同が非難されてないなら地元に赴任する事を禁じる法律も前漢の大昔に作られることはなかっただろうし無意味な縁故を排除するための試験制度が生まれることもなかったよ。
諸葛亮が呉に行った理由に諸葛瑾が呉に居たことは正史には全く書かれて居ないし諸葛瑾はあの外交において大勢に一切関わって居ない。あそこで主導権を握って居たのは魯粛だ。

中国の歴史書を物語という奴がいるが、物語(小説)は当時の中国人の一番嫌うところだ。
だから裴松之とかいうおっさんがいちいち真偽検証しているわけで。
王朝の正統性のための皇帝の事跡と数字以外に粉飾は少ないし、政治上の先例集としての役割を果たせなかったら史書としての意味をなさないのだから帝紀以外で物語化は少ないよ。
春秋の筆法というものがあってAの伝記ではAに都合の悪いことは書かないという約束事はあるが、その場合は他の伝で書くことになっている。
正史の黄忠の事跡を見てみろ、忠義どころか文字数自体ほとんどないぜ?
68  不思議な名無しさん :2016年10月11日 15:25 ID:M.PkRPcJ0*
むしろすごいのは劉備の人材雇用の目だとおもうわ
こいつすごすぎだろ
曹操がすごすぎなかったら結構いいところまでいってたとおもう
69  不思議な名無しさん :2016年10月12日 05:32 ID:BiN.D3lh0*
政治は一流、軍事は二流
っての飽きた
あと魏延の長安強襲
敵が逃げるの前提の強襲とか笑
別に諸葛亮じゃなくともあんなの許さんよ
70  不思議な名無しさん :2016年10月14日 12:23 ID:8LOEmofd0*
どっかの作家が
「天下統一に失敗した地方政権の宰相」て言ってて
これが一番しっくりきた。
71  不思議な名無しさん :2016年10月14日 19:38 ID:how8S0qM0*
軍事で二流だったら北伐のどっかで負けてるわ、でも実際には負けなし勝ってもないが
終盤の相手だった司馬懿が他の相手なら完勝してるのに引き分けで済んでるんだから、これで実力は分かるってもんだ
72  不思議な名無しさん :2016年10月14日 20:40 ID:csqeJ6PZ0*
※71
北伐って三次以外は撤退戦でしか大きい戦果を上げてないだろ。
確かに名だたる武将を討ち取ってるけど、それって蜀が求めるものではないだろ
敗戦処理がうまかったってのは間違いないと思うけど
慢性的な食糧不足からは逃れられなかったし
戦争で一番大事な兵糧の不安があった状態で攻撃を仕掛ける側ってのは正直どうなんだろうね。
第五次ではそのために屯田もやってたけど肝心の諸葛亮さんが死んじまうし
後他の相手でも完勝ってわけでもないべ
実際武都・陰平を平定した以外は大きな戦果ってあったんか?
73  不思議な名無しさん :2016年10月16日 20:14 ID:etvRzE3J0*
嘘だ!無双で前線出て戦ってたぞ
74  不思議な名無しさん :2016年10月19日 07:36 ID:2vtzob1e0*
土民同士の争いの中に突然インテリが現れたら
インテリがいる側にはイノベーションが起こりまくって
戦況が有利になるのは自明の理
75  不思議な名無しさん :2016年10月21日 23:53 ID:nh6dywnq0*
※67
裴松之は真偽検証はしてないぞ、裴松之がしたのは陳寿は三国志を編纂する際に
信頼度が低い可能性がある書物を排除したので少し背景がわかりづらいし、
簡潔すぎて逆にわかりづらかった。
そこで裴松之は信頼度が低い(あまりにも低いのは除外したみたいだが)歴史書を注釈として織り込んだのよ。
途中である伝記の話は紀伝体を知らない人は理解できないみたいで
陳寿は晋の心証を良くするためにわざと事実を隠蔽したとか、捏造したと言う人もいるが
裴松之の注釈なしの三国志って歴史の教科書みたいに細かいことはなんもわからん。
76  不思議な名無しさん :2016年10月22日 05:25 ID:4eCCXHUt0*
水鏡門下で兄貴も呉の文官って家系だからね
要はエリート
77  不思議な名無しさん :2016年10月22日 14:58 ID:4Y.KxKdH0*
孔明って活躍の機械の多かった場合の石田三成みたいなもんでしょ?
戦に関してはあまり関わってなかったよ
78  不思議な名無しさん :2016年10月22日 18:28 ID:hSfExPGY0*
63
ちゃんと分かってる人いるんだね。
陳寿の個人的な感想と彼が史実として認識している歴史に脚色して話を盛ったもの=三国志演義であって楽しませるための小説として書かれた演義はもちろん、正史でさえ正しいかどうかは分からない。
孔明に関しては蜀の建国に功績があり、その後魏の打倒を目指して北伐するも失敗した政治家というのは正しいだろうが、空城の計を含む細かい話は全て空想の域を出ないもの。
そんなもので戦場において優れた作戦を立案した軍師かどうかなど分かるはずもないし、誰がやっても厳しかったであろう北伐の成否を見てその能力を測るのも難しいことから
「孔明に軍事の才があったかどうかは分からない。」
これが正解。
79  不思議な名無しさん :2016年10月23日 08:15 ID:pxRa5LVA0*
司馬懿は孔明没後の陣を見て天下の奇才って言ってる
裴松之はもし諸葛亮が魏にいれば司馬懿や陳羣も及ばないって言ってる
軍事的に言えば唐代の名将リセイの六花の陣は孔明の八陣図を参考に作られたもの
ネットの誰かさんの「実際はわからない」よりは歴史に名を残した人の言を信用しますわ
80  不思議な名無しさん :2016年10月23日 08:36 ID:szolAAPq0*
※79
八陣の図自体はどんなものかわかってないぞ
六花の陣は八陣の図を参考にして作られたものと言われているだけで
真偽の方はよくわかってない。
李衛公問対自体、本当に唐代にできていたのか討論が本当に行われていたのかはわかってないしね。
結局ifでしかないから妄想するしか無いけど魏に諸葛亮がいて活躍できたかは個々人の考え方によると思うわ。
81  不思議な名無しさん :2016年10月24日 17:10 ID:V3Kg2j1i0*
演技では超人的に描かれてるけど、史実だけでもやっぱ演技程じゃ
ないにしても当時並外れた天才だった事だけは確かだと思うよ。
そりゃ魏に居たら他の天才達に埋もれたかもしれないが、それすら
「たられば」だし。弱小国に居て奮闘した、その事実だけが全てだよ
82  不思議な名無しさん :2016年10月27日 22:56 ID:mc5eOoXh0*
一応演技じゃなく史実でも北伐では指揮官として十分活躍しとるわ
第4次北伐は補給失敗で撤退したが戦術的には当時の魏最高格の指揮官である司馬懿に孔明主導で勝った
最も北伐は局所的な戦いで戦果を挙げたことはあっても戦略的な目的で言えば結局失敗してるからその点で評価が分かれる
83  不思議な名無しさん :2016年10月29日 18:23 ID:nB1OcIRo0*
孔明は劉備死ぬまで軍の指揮はしていないが、自身が先頭に立って指揮をした場合は一応負けてはいないんだよな。
北伐でも魏が撃って出て来た時は、完膚なきまでに打ち負かしたりしてるし。
84  不思議な名無しさん :2016年10月29日 21:07 ID:wbwkkbMZ0*
※83
北伐は魏が攻めてるわけじゃなくて蜀が攻めてるんだよ。
蜀が勝ったのは撤退戦なんだよね。第四次北伐で張コウを討ち取っているのも
後退時の話で、諸葛亮の戦略は攻めよりも守りが物凄く優れていた。
攻めている側が退却する時に追手を倒すのを勝ち戦とは言わないでしょ。
無論諸葛亮が一流の人物であることは疑いようもないけど、北伐に関しては判官贔屓だとは思う。
※82の人も書いてるけど戦術的には孔明は勝ってると思うが
目的を完遂してないから負けは負けだと思うんだよね。
85  不思議な名無しさん :2016年10月30日 17:05 ID:3ud4qs090*
北伐って戦争というよりプロパガンダだと思うから国体を保ちつつ仕掛け続ける事が出来た時点で成功だと思う
86  不思議な名無しさん :2016年10月31日 17:15 ID:rf3aXj8N0*
五丈原で病没しているのに、前線に立ったことないとか阿呆か。
2ch知識真に受ける奴はどうしょうもねーな。
戦術指揮官として凡庸だったということと戦争に参加していないじゃ意味が全然違うつーの。
87  不思議な名無しさん :2016年11月08日 01:33 ID:a.JBDOvA0*
司馬懿が防戦に徹して叩けなかったんなら十分軍事的才覚あったと予想されるんだが、司馬懿なら二流軍事家が指揮してる蜀からの大遠征軍なんてちょろいだろ
88  不思議な名無しさん :2016年11月08日 21:12 ID:WhCQppsk0*
マネーボールは野球をやったことのない人間がルール作ったんやで
89  不思議な名無しさん :2016年11月09日 11:19 ID:7WJUBaaM0*
今の感覚で識字率が一桁程度の時代を語るからわからんのよ。
文字や計算に堪能ってだけで希少性があるんだぞ。

現代に例えるなら英語とフランス語の専門書ぐらいサクサク読めて、経営力もあって人望ある技術者だと思えばいい。
そりゃ出世するやろ。
90  不思議な名無しさん :2016年11月09日 19:56 ID:kMs.aUd50*
演義と正史が混ざって話してるな
個人的には「出師の表」をどう読むかで評価すべきと思う
91  不思議な名無しさん :2016年11月11日 22:55 ID:0uTKK.FG0*
※36
兄の瑾は呉の将軍だぞ?外交官なんかじゃない
演技と正史を混同するなよ
92  不思議な名無しさん :2016年11月11日 22:59 ID:0uTKK.FG0*
※76
だから兄の瑾は呉の将軍!文官じゃなくて武官!
93  不思議な名無しさん :2016年11月17日 14:13 ID:cXTkjDz10*
そら孔明が経験を積まずとも
実用レベルに達してしまう天才だからできただけで
一般人を基準に考えれば絶対無理だわな
94  不思議な名無しさん :2016年11月25日 15:19 ID:EZUN6jGM0*
医者の村田さんも強くて草
95  不思議な名無しさん :2016年11月25日 23:34 ID:lkvg7BWj0*
劉備も若い頃侠客だったみたいだし、ヤンキー漫画的な無双もやってみてーけどな。
96  不思議な名無しさん :2016年11月29日 21:09 ID:bzjRMa8z0*
マジレスすると、軍師としては失格だったと思う。
将軍としては、地道に実績重ねて、晩年はかなり強かったみたいだが・・・寿命が短すぎた。
97  不思議な名無しさん :2016年12月03日 18:39 ID:7JBiDyhP0*
本人が戦国期の楽毅や管仲を尊敬してるってことから、同じように政・軍万能の天才にされたけど、北伐などの動きを見ても軍事指揮官としては普通
馬謖と魏延の例のように、自分に共鳴する人物は厚遇するが、批判者を拒絶する器量の狭さが目立つ
劉備・劉禅の代行者ということを意識するあまり、自分自身が実質的な首脳なのに責任の所在を曖昧にしすぎた結果、帝王学的人材利用ができなかった
98  不思議な名無しさん :2016年12月06日 21:30 ID:N0xfNOBV0*
知能高い人はどこでも通用するんだよ、知能低い人は高い人を理解出来ないんだよ
99  不思議な名無しさん :2016年12月08日 14:45 ID:JqcIh2J30*
>>147が全てだよなぁ
呉と魏に攻められないために、呉と組んで魏を攻め続けるしかなかった
勝つために国を賭けて伸るか反るかの大博打をするより、延命策を取ってたんじゃないかと思うふしがある

うろ覚えだが、国土は3倍で人口は5倍差だっけ?無理ゲーすぎなのよね……
100  不思議な名無しさん :2016年12月10日 22:33 ID:rbi80B5T0*
本当は孔明は政治家で軍師は法正だよな
101  不思議な名無しさん :2016年12月11日 14:30 ID:gBvgQgzs0*
正史でも張コウ討ち取ったりしてるのに2流とは言えないだろ
指導官としても十分一流に入るわ
それに当時は軍師という職業はなかった
102  不思議な名無しさん :2016年12月17日 14:58 ID:RZiHLlx80*
それまで軍師とは官職だったわけよ。
これを初めて劉備が諸葛亮を軍師中郎将に任命した。
益州奪取後は軍師将軍に昇進した。
この「軍師」とは驃騎将軍の「驃騎」、征東将軍の「征東」に
相当する軍号であって官職ではない。

歴史上で世間一般に言われる軍師の役職に初めて就任したのが諸葛亮なわけよ。

103  不思議な名無しさん :2016年12月20日 01:01 ID:p4.6iAoY0*
正史だと宰相タイプの人間のはず。劉邦の蕭何みたいなもんだわ
104  不思議な名無しさん :2016年12月21日 12:27 ID:N.37lul60*
※102
軍師中郎将に初めて任命したのは劉備だけど
元々軍師は君主を手助けする役職で占いをしたり助言をしたりと決して官職ではなかったよ。
むしろ諸葛亮が丞相や将軍も兼任する官職。

歴史上で初めて今の形の軍師の役職に立ったと言われるのは諸説あるけど
呂尚だと言われてるが、
実際には張良ではないかなと思う。
そもそも軍師は古来中国では名誉職的な意味合いが強いしね。
後軍師将軍も呼び名を新しくつけただけで官職の名前だよ。
105  不思議な名無しさん :2016年12月23日 20:16 ID:0TU0F6cM0*
そもそも、凄い軍師として伝わってるんだから、当時の記録を信じるしかない
知ったかの馬鹿の意見なんざ、聞いちゃいねえよ
106  不思議な名無しさん :2016年12月25日 19:45 ID:8U2qPi190*
ハンニバルを遥かに上回る戦術家であり
超有能な政治家だったチートさん
107  不思議な名無しさん :2016年12月26日 15:08 ID:cAMhhPzm0*
※105
これっぽっちも伝わってないよ
三国志演義と言うのはその名の通り当時から創作物語として読まれていただけ
孔明は一介の書生で特に何かに優れた人物ではなかった
現実的に頭脳で蜀を支えたのは法正と馬良
孔明は特に法正の才能を羨んで毛嫌いして荊州に飛ばした根暗野郎
ただ真面目で潔白だったから玄徳に重用されただけ

知ったかの馬鹿の意見なんざ聞いちゃいねえよ
108  不思議な名無しさん :2016年12月27日 04:29 ID:WiNuvIky0*
長坂、赤壁での記述が極めて少ないからとりあえずおいとくとして、軍の指揮として記述に出始めるのは入蜀のときの諸郡平定戦だなあ。
江州、徳陽、建為を攻略するとき孔明が張飛と趙雲の軍を指揮していた、となっている。劉璋の軍は中原の軍のような洗練されたものではなかったと思うけど、かなりあっさりこれらの軍を平定できてるね。

まあ当時の軍の戦術指揮は武人の仕事だし、文官は戦略的なことを考える役割ではあるけど、少なくともこのころすでに戦略的指揮は行ってるようだね。
109  不思議な名無しさん :2016年12月27日 18:46 ID:47hduLR80*
田舎のガリ勉みたいに言うけど諸葛家の格はたしかなんじゃないのか
110  不思議な名無しさん :2016年12月28日 19:01 ID:GXMEx.5E0*
まだ人類が世界中でうほうほ言ってる時代だし、周りの教育レベルが基本的に低いことは踏まえないとな
ガチがり勉はそれだけで異能
111  不思議な名無しさん :2017年01月11日 18:36 ID:lqWtDFnZ0*
真三国無双で見た
112  不思議な名無しさん :2017年01月12日 03:05 ID:19S.bQ.Q0*
「諸葛亮孔明」なんて書く無知な人は議論に参加しちゃダメ
113  不思議な名無しさん :2017年01月16日 19:43 ID:NMnduW8i0*
撤退が孔明がうまいんじゃなくて
殿務める魏延が優秀なんだよなぁ
王双も張コウも魏延が討っている
孔明の策も何も後方にすでに撤退してるからなw
114  不思議な名無しさん :2017年01月17日 14:01 ID:Xy.GgDE80*
※110
中国は政権が安定してる時代は比較的知識レベル高いぞ
無論ウホウホ言ってるやつもいるけど
2世紀だったらガリ勉が異能なんてことはないよ。
115  不思議な名無しさん :2017年01月18日 19:01 ID:gh2ARnYF0*
張良、范蠡と並ぶ程度の才智はあったはず

でなきゃ、魏と戦えるわけがない
116  不思議な名無しさん :2017年01月24日 16:59 ID:s8NxjOAg0*
矢立 肇とか東堂いづみとか畑亜紀を天才天才と持ち上げるようなもん
複数人の功績を便宜上1つにまとめてるだけ
117  不思議な名無しさん :2017年01月26日 08:04 ID:sVUtqBAo0*
孔明って呉と同盟結んで蜀を乗っ取るのを劉備に進めただけじゃないの?
他になにか実績ある?
118  不思議な名無しさん :2017年01月26日 23:34 ID:Yi8I00.B0*
※117
脳筋バカどもに囲まれたやはり脳筋バカな君主の下で内政を一手に引き受けて国を保たせた
ちょっと尋常じゃないぞこれ…
119  不思議な名無しさん :2017年01月28日 13:59 ID:0J2LId6V0*
※118
劉備は脳筋バカではないだろ、張飛も関羽も史実では脳筋ちゃうぞ
ただ性格に難があるだけだ。
後蜀自体は諸葛亮がいない時間のほうが長いからね。
120  不思議な名無しさん :2017年01月31日 12:45 ID:IiGjcVI40*
当時は掛け算できるだけで「すげえ!」って言われてた時代だぞ

今と違って、馬鹿が物凄く多かった時代
物をろくに数える事もできず、火のつけ方もろくに知らないようなのが一般的だった時代だ

そんな馬鹿を集めて馬鹿が戦争をやっていた時代に、ちゃんと計算できて火のつけ方を知ってる奴がいれば無双できるのは当たり前だろ

なろうの異世界転生モノみたいな状況にリアルでなってたのが孔明よ
121  不思議な名無しさん :2017年02月01日 04:23 ID:XKN6Bczk0*
※120
中国バカにしすぎだろ、三国志の時代って日本はまだ未開の地だけど中国は普通に社会が形成されてる時代だぞ。
掛け算も九九の原型は中国だが紀元前5世紀にはできてる。
秦の時代には始皇帝が当時国によってバラバラであった貨幣をまとめて貨幣経済にしてるし
数が数えれんと税金も納めれんだろ。
火の付け方なんぞ中国どころか50万年ぐらい前から人間は使ってるからな。
そりゃ当時は今より知識レベルは低いが、古代中国は普通に知識レベルは高いぞ。
122  不思議な名無しさん :2017年02月03日 14:05 ID:sPKNV3Lb0*
ゲームの三国志おもしれーな
   ↓
漫画で読もう
   ↓
孔明すげー
   ↓
史実みて「なんや孔明ダメやん」
   ↓
内政官やったんかーい、いくさだめなんかーい
   ↓
細かいことに気がつく優秀な内政官なんやな
   ↓
(突然)え、袁術の勢力、けっこうすごかったんや
   ↓
うお、皇帝袁術と互角以上に戦った劉備軍すげー
   ↓
その劉備を蹴散らした曹操、超々すげぇ!
   ↓
うお、劉備と孔明と劉備陣営の将軍が集まったら
曹操が相手にならなへんやんけー!
   ↑
  今ここ

その後の関羽と荊州を失い、呉が強くなって魏の統一が消えた・・・

曹操をびびらせまくったんやからね

孔明前
曹操軍>>劉備軍

孔明後
劉備軍>曹操軍

という評価はどうやろうか?
孔明加入で(功績とは言ってない)組織として成長したのでは
123  不思議な名無しさん :2017年02月04日 19:11 ID:9J8LcXVb0*
ホウトウさえ生きてればだいぶ違ったんだろうなぁ。
孔明は後方業務に専念できただろうし。
124  不思議な名無しさん :2017年02月08日 12:34 ID:djOgb6cu0*
なーんか、必死に諸葛亮貶めの為に史書と異なる事を
必死に喚きまくってる変なのがいるなあ。
あまりに酷いと思いましたんで、指摘をさせてもらいますねー。
※117
とりあえず、諸葛亮の業績としては
1.それまで荊州の一城を預けられてるだけの
根無し草の客将だった劉備に「荊州と益州を貴方が制圧して
天下を三分する群雄になりなさい。その為の方策は~、
その後は~」と具体的な行動指針と戦略を与えた事
実際に天下三分までは諸葛亮の構想通りに進んでるのだから、
優れた戦略といっていいかと思われますね。
2.呉と外交交渉をして、同盟を結び、赤壁で曹操軍と戦う契機とした。
なんかスレとか※欄とかで、「魯粛は元々やる気だった!」とか
書いてるのがいるが、呉の張昭をはじめとする重臣たちは降伏論で
孫権も迷っていた。それを説得したのは大きな業績かと。
3.赤壁以後に劉備達が荊州南部4郡を制圧した後、
そこにおいてしっかりとした行政組織の整備を行い、
租税徴収を確保して劉備軍に安定した収入と軍事費をもたらした。
これがそれ以降の劉備軍の活動資金源となるわけですね。
4.蜀攻略戦において、張飛・趙雲らとともに別動軍を率いて進軍し
益州の諸郡県を制圧して成都まで到達してます。
これも蜀攻略戦の成功に至る大きな業績ですね。
劉備も入蜀以後に諸葛亮を関羽・張飛と並ぶ程の功労者として認めています。
5.蜀に入った後の諸葛亮は、政治を担当し、蜀における法律整備などを
行ったり、劉備が遠征を行う時には後方支援担当者として
兵站と補給を順調にいかせるようにしていますね。

125  不思議な名無しさん :2017年02月08日 13:01 ID:djOgb6cu0*
※124の続き
6.漢中の戦いでは戦地にいる劉備に対し、大量の兵員と兵糧の増援を送り
パワーバランスを一気に傾かせる事に成功していますね。
これが劉備達が夏侯淵を撃破する契機となりました。
7.劉備が皇帝に即位すると、丞相となり、内政の総責任者となりますね。
さらには劉備死去後には、国内の整備や安定化を行い、
呉との外交関係も修復させていますね。
8.益州南部で反乱がおきた時には、それを軍を率いて迅速に制圧してますね。
9.出師表を書いて第一次北伐を行い、3郡を制圧して優位になりますが、
馬謖の命令違反による敗退などによって撤退を余儀なくされますね。
ただ、この時に涼州の人口を一部蜀に移住させる事に成功していますね。
10.第2次北伐で陳倉を攻め、20日余りで撤退し、
追撃してきた王双を倒していますね。その後ですぐさま第3次北伐を行い
武都・陰平の2郡制圧に成功していますね。この連動性などから、
第2次北伐は第3次の為の陽動策とも言われていますね。
126  不思議な名無しさん :2017年02月08日 13:10 ID:djOgb6cu0*
※124の続き
11.第4次北伐においては、優位に進め、司馬懿率いる魏の主力軍を
野戦において大いに撃破するに至ります。
この戦いは正史諸葛亮伝には直接は書いてませんが、王平伝を読み、
諸葛亮伝とその流れを見比べる事で、
言外に理解ができるようになっていますね。
陳寿は司馬一族に気を使って、司馬懿が諸葛亮に大敗した事を
直接的に記述するのを避けたと思われますね。
注釈の記事では普通にこの戦いの具体的な内容が載っていますね。
12.上記のようにうまくいきかけた第4次北伐ですが、
後方支援担当の李厳が職務怠慢をした事により、撤退を余儀なくされますね。
ただ、その時も追撃してきた魏の名将張コウを見事に倒しておりますね。
13.長期戦の備えをして魏に侵攻し、第5次北伐を行い、局地戦では
しばしば優位にたったりもしたようですが、諸葛亮の病没によって
撤退を余儀なくされますね。しかし、生前に残しておいた指示により、
蜀軍を見事に撤退させ、反乱を起こそうとした魏延も倒す事に成功しています。
14.自身が死去した後の後継体制もしっかりと指示しており、
蜀は諸葛亮死後も30年近くにわたって命脈を保つ事になりますね。
15.他にも、諸葛亮は様々な発明なども行っており、それらは
諸葛亮死亡後の蜀軍においても活用されたようですね。

他にも書こうと思えばいくつも書けるのでしょうが、
簡略化して書けばこのくらいですかね。
十分に当時における政治・軍事における一流の人物としてよいかと
思われますね。
127  不思議な名無しさん :2017年02月08日 13:29 ID:djOgb6cu0*
※116
当時から、普通に一人の人物として、業績が記されていますし、
魏も呉も普通に諸葛亮という一人の人間を対象として
外交とか戦争とかを行っているんですけどねえ。
第一、それ言うたら、諸葛亮死後の蜀の活動とか、
諸葛亮以前の劉備の活動とか、の差異が大きすぎる事になると思いますが。
128  不思議な名無しさん :2017年02月08日 13:33 ID:djOgb6cu0*
※113
まーた必死に無理矢理魏延を持ち上げて、諸葛亮叩きに躍起になってる
不可思議なお方さんですかあ?
魏延が殿軍を務めたなんて、魏延の事績を書いた正史魏延伝にも
書かれてはいない事なんですけどねえ。
そういう風に書かれてるのは演義ですが、これですら、
魏延は諸葛亮から指示と策を与えられ、それを実行した事になってるわけで。
諸葛亮を「演義で持ち上げられてるだけ!」とか言いつつ、
魏延を持ち上げる時は平気で演義を史実みたいに言い出して、
しかも諸葛亮の策と指示を受けての事だっていうのをスルーするのは
あまりにも無理矢理すぎやしませんかあ?
129  不思議な名無しさん :2017年02月08日 13:45 ID:djOgb6cu0*
※107
なーんか、随分と必死になっていらっしゃるようですけど、
※105の人の言ってる事に対して、貴方は何を元にして
語っていらっしゃるんですかあ?
>三国志演義と言うのはその名の通り当時から創作物語として読まれていただけ
そりゃ、演義はそうですけど、諸葛亮は演義成立の千年以上前の
同時代の人達から多大な絶賛を与えられている人物だってのは
なぜにスルーされてるんですかね?

>孔明は一介の書生で特に何かに優れた人物ではなかった
何を元にして語っていらっしゃるわけで?
とりあえず、同時代の人物達から、諸葛亮の政治的能力及び
軍事的能力に対しては大きく評価されている記述がいくつもあるのですが。
というか、劉備自身が、諸葛亮の業績と能力を大きく評価してますし、
敵であった司馬懿も諸葛亮を「天下の奇才」と評していますし、
正史三国志の著者である陳寿も諸葛亮を「名宰相にして優れた軍隊統率力を
有した偉大な人物。北伐に成功できなかったのは天命。」的に
書いているんですけど。※124 ※125 ※126にある史書に記述された
業績だけでも一流の人物であったことは十分に伺えますしね。

>現実的に頭脳で蜀を支えたのは法正と馬良
法正は軍事面で劉備を支えましたけど、諸葛亮はその時には
政治面で劉備を支えていたはずなのですが。
特に法正の最大の功績というべき、漢中戦の勝利も、諸葛亮が蜀において
大量の兵員と兵糧を増援として送った事から可能になった、
というのをスルーするのも如何なものかと思いますしね。
馬良も悪くはないと思いますが、何を根拠に諸葛亮より上とおっしゃるのか
とても疑問なので、説明を求めたいのですけどねえ。
どう考慮しましても、馬良の業績は諸葛亮を上回るとは
言えないと思うのですが、説明をよろしくお願いいたしますねー。

130  不思議な名無しさん :2017年02月08日 13:55 ID:djOgb6cu0*
※107宛続き
>孔明は特に法正の才能を羨んで毛嫌いして荊州に飛ばした根暗野郎
これは本当に何を元にして語っていらっしゃるのか、
本当に疑問なのですけど。
正史においては、孔明と法正は性格的には合わなかったけど、
公的には互いを認め合っていた、と書かれているんですけどねえ。
さらにいいますと、諸葛亮は、法正が過去の私怨を公権によって
晴らし、そのうちの何人かを独断で処刑する、なんて事を行い
劉備家臣から非難の声があがった時に、法正の能力と業績を評価して
かばってあげてるんですけど、貴方は何をいってるんですか?
それから、史実の法正は死亡するまで普通に益州におり、
荊州になんか行ってないのですけど、真面目に貴方は
何を元にして語っていらっしゃるのか疑問すぎるのですが。
説明を是非ともよろしくお願いしたいので、よろしくお願いいたしますねー。

>知ったかの馬鹿の意見なんざ聞いちゃいねえよ
とりあえず、※129と※130であげた数々の事柄だけでも
貴方の主張は史実とは大きな異なりが存在するように思うのですが。
とりあえず、それらの史書との違いなどについて、
貴方が何を元にして語っていらっしゃるのかを、説明する所から
はじめて頂きたいので、よろしくお願いいたしますねー。
131  不思議な名無しさん :2017年02月08日 14:16 ID:djOgb6cu0*
※97
「魏延が諸葛亮に拒絶されていた!」とかいう人がいるけど、
諸葛亮は魏延をしっかりと重用して、功績をあげたら
しっかりと昇進させてるんですよね。
むしろ魏延の具体的な手柄はいずれも諸葛亮時代のものばかりです。
ただ魏延が言ったとされる「5千の兵で道なき道を進んで
10日余で長安に到達すれば、長安の大将が戦わずに逃亡してくれる
はずだから制圧できる。」という、正史魏延伝にも書いてないような
献策を却下した、というだけの話でして。

それから、諸葛亮は司馬懿に対して直接的な野戦において、
第4次北伐で勝利してますから、軍指揮官としても優秀だと思いますよ。
この戦いは陳寿が司馬一族に気を使って諸葛亮伝とかには直接的には
書いてないのですが、王平伝とかを読んで、諸葛亮伝の流れと比べれば
理解できるようになっていますね。注釈とかには具体的に書いてありますし。
132  不思議な名無しさん :2017年02月08日 15:17 ID:djOgb6cu0*
※87
同意です。司馬懿は諸葛亮以外の相手なら果敢な攻勢で
大勝しまくってる司令官だという事を考慮すればそうなりますよね。
※84
いやいや、その撤退戦における張コウを倒した戦い以外でも、
普通に諸葛亮は野戦において司馬懿に勝利してますよ。
この戦いは陳寿が司馬一族に気を使って諸葛亮伝とかには直接的には
書いてないのですが、王平伝とかには書いてありますし、
それを基にして諸葛亮伝の流れと比べれば、言外に司馬懿が諸葛亮に
野戦で敗退した事が理解できるようになっていますね。
注釈とかには具体的に書いてありますし。
133  不思議な名無しさん :2017年02月08日 15:22 ID:djOgb6cu0*
※72
いやいや、その撤退戦における張コウを倒した戦い以外でも、
普通に諸葛亮は野戦において司馬懿に勝利してますよ。
この戦いは陳寿が司馬一族に気を使って諸葛亮伝とかには直接的には
書いてないのですが、王平伝とかには書いてありますし、
それを基にして諸葛亮伝の流れと比べれば、言外に司馬懿が諸葛亮に
野戦で敗退した事が理解できるようになっていますね。
注釈とかには具体的に書いてありますし。
>後他の相手でも完勝ってわけでもないべ
>実際武都・陰平を平定した以外は大きな戦果ってあったんか?
これは貴方が※71の人の文章を読み違えていらっしゃるのだと
思うのですが。
※71の人は「司馬懿が」「他の相手なら完勝」だったといってるわけで、
その司馬懿相手に引き分けなんだから、十分凄いだろう、と
言っていらっしゃるように思えるわけでして。
まあ、実際には諸葛亮は普通の野戦において、司馬懿に対して
大勝しているわけではあるのですがね。
134  不思議な名無しさん :2017年02月08日 15:31 ID:djOgb6cu0*
※75
横からですけど、裴松之は真偽検証もしてますよ。
有名なところでは、赤壁の前後において、
孫権が合肥を攻めたのはいつなのか、について
呉書の記述の方が正しい、と指摘してる孫盛の意見を載せてますね。
さらに劉備が関羽から「なんで過去に曹操を暗殺しなかったのですか!」
と言われた時に劉備が「天下の為に彼を惜しんだのだ。」と答えた逸話に
ついても、「その時暗殺しても、自身も殺されるからやめたのだろう。」
と裴松之自身で述べたりしてますね。
さらには、典略において、関羽と孫権が協力して魏を攻めるつもりだった、
という話についても、「諸々の事柄からしてありえない事だ。」と
裴松之自身で書いてたりしますよ。
裴松之は色々な書物や逸話を盛り込んだ上で、それらについての評価を自身で
色々と書いたり、それに対する論評とかの文を載せたりしてますので、
真偽検証みたいな事をしてる、と言われてもよいかと思われるのですが。
135  不思議な名無しさん :2017年02月08日 15:35 ID:djOgb6cu0*
※61
諸葛亮が凄い凄いと称えられているのは、同時代からの評価なのですが。
そして、同時代の史書においても、非常に多くの業績や
評価が載せられており、政治および軍事において優秀な人物だった事が
うかがえるというものです。
貴方が諸葛亮を大した事がない、とおっしゃるのは何に基づいて
いらっしゃるのか、とても不可思議に思えますので
是非ともよろしくご説明を願えないでしょうかね。
136  不思議な名無しさん :2017年02月12日 20:20 ID:nJXwn7wT0*
※124が言いたいこと言ってくれたのを見て安心した
孔明の最大の功績は、劉備=蜀漢に荊州と益州+南蛮という地盤を獲得させたことでしょう
137  不思議な名無しさん :2017年02月13日 10:44 ID:dCWHtXTQ0*
諸葛亮が参入するまでの劉備陣営は一城を預けられているだけの客将
でしたからね。なんか本スレで天下三分計を
「分かれたままでいいといっただけ」とか「漢の復活を諦める」とか
本スレで変な事を書いてる人がいますけど、
真面目に何を基にして語っていらっしゃるのか、疑問杉なんですけどねえ。
138  不思議な名無しさん :2017年02月14日 03:42 ID:FtDlKoN60*
昔の支那人の軍隊・戦争なんて、実際のところゴロツキの喧嘩でっかくしたようなもんだったんだろう。異民族に攻められてなすすべもなく陥落してるし。

それよりも医者の大村益次郎が、いきなり長州軍や官軍の総司令官になって連戦連勝する方が異様だわ。
139  不思議な名無しさん :2017年02月16日 03:51 ID:oHGcjDtn0*
孔明を批判している人は結局、魏延くらいの判断力なのでしょう。
存在が大きすぎる相手の一部分しか見えていない。
人材不足ゆえに有能なのは要職につけて、癖のある人物を手元に置かざる得なかった。
また、期待せざる得なかった。
一人一人喪失していくことが孔明の寿命を縮める事に繋がっていったので悲哀を感じます。

曹操と荀彧のように劉備と孔明が機能し続ければ天下は間違いなく取れていたと思います。
140  不思議な名無しさん :2017年02月16日 06:34 ID:knxCgMyh0*
※138
それ、晋王朝の内政混乱・八王の乱、などで混乱してる所に
異民族が侵入してきたからだ、ってご存じないわけでもないと思いますが。
三国志時代の群雄達は結構異民族相手にも勝率がいい、と思いますがねえ。
141  不思議な名無しさん :2017年02月18日 17:34 ID:1szqV1hJ0*
三国志入門者→孔明すげえ!
三国志中級者→孔明ってしょぼくね
三国志上級者→孔明すげえ!

大体こうなる気がする
真面目な話、指揮官として無能なら北伐のどこかで大敗して兵失ってる
しかも相手は当時魏で最強の指揮官の曹真&司馬懿
142  不思議な名無しさん :2017年02月18日 18:21 ID:ytGGKoKM0*
※138
そりゃ今みたいに徴兵をして練度を上げるなんてのは近代に入ってからだし
古代中国になかったわけではないが、治安等様々な面が安定してないと簡単に兵士の熟練度を上げれないからね。
ただ異民族相手に負け続けてるってわけでもないよ。
諸葛亮が南蛮を制圧してるけどあれも異民族やぞ。

※141
北伐に関しての評価の仕方は局地戦として見るか、それとも魏との戦争としてみるかで大分見方が変わる。
そもそもの北伐の目的は魏を制圧し、漢を今一度統一王朝とするという目的があるわけで、この結果だけ見ると成功はしていない
2郡を鎮圧したに過ぎず目的の達成とは言えない。
がしかし、諸葛亮の功績として見れば2郡を制圧するのに成功し局地戦という点で見れば全て大勝とは言えないが、勝利している。

諸葛亮がすごいかすごくないかは人によって感じ方があるとは思うが、
蜀と魏の戦争は個々の武が優劣が戦争を決する三国志の前半とは違い
国と国の規模の戦争に変化してるので、諸葛亮個人の資質がどれだけあろうとも
魏を制圧するのは難しかったのではないかなと思う。
143  不思議な名無しさん :2017年02月19日 21:37 ID:J2GVuA0a0*
そもそもの問題として、同時代から既に
「国力差6倍以上なのに司馬懿が諸葛亮に対して引きこもってるって
おかしくね?」って言われてるのが実態なわけですしねえ。
144  不思議な名無しさん :2017年02月20日 11:58 ID:97Bzs7z50*
※143
それに関しては評価が割れるからなんとも言えんけど
蜀は攻めるには道が限られている為、魏側から攻めるにはリスクが大きかったことが大きな要因かと
国力差があるってことは時間が経てば差が開き蜀がジリ貧になるのは目に見えて明らかなわけで
司馬懿側からしてみれば無理に打って出る必要がなかったっていう側面もある。
諸葛亮も備えを持って北伐を行ってはいたが、補給線、特に兵糧には苦労したし
第四次も李厳の失態とは言え補給がなくなっての撤退だからね。
部下の失態は指揮官の失態と見るかそれとも個の責と見るかはそれぞれだが、
諸葛亮がいかに偉大な人物であってもやはり大差をひっくり返すことはできなかっただろうね。
というか史実ではできてないわけだし
145  不思議な名無しさん :2017年02月22日 15:55 ID:gktFRU400*
※144
いや、それに関しては李世民も司馬懿に対して書いてるように
「魏軍の方が戦力的には勝り、しかも平坦な道を進んでこれた。
対して蜀軍の方は戦力的に魏軍より劣り、しかも険阻な道を進んで
こなければならなかった。これだけ有利な状況でありながら、
司馬懿は諸葛亮を恐れて決戦しようとせず、
諸葛亮が死亡した後に追撃しても、蜀軍が反転してきたらまた逃げた。
これで良将だと言えるのだろうか?」っていう評価がされるのが
ある意味自然、って感じじゃないですかね。
蜀の地形が険阻だったというなら、その地形を超えて、
わざわざ魏側の地域にまで進出してきた、国力差6倍以下の国の軍勢を
どうして攻撃して撃破しないのか、という話にそりゃなるでしょうて。
司馬懿という、諸葛亮以外の相手なら、ほぼ速攻撃破で完勝がデフォの名将に
度々勝利を重ね、そのように持久戦対処をせざるを得ないようにした、
という時点で諸葛亮という人物が、同時代からも後世からも言われるように
優れた名将だった、というのが事実として正しいのではないかと思われますね。
146  不思議な名無しさん :2017年02月22日 17:38 ID:j0PTkwwg0*
※145
司馬懿と諸葛亮の個々の資質どちらが優れているかはその人の考え方に依るとは思うが、
司馬懿は諸葛亮の撤退戦でチョウコウを討ち取られる程の大失態を犯しているので、その後深追いをしなくなったってのが大きいかと
そもそも持久戦対処をせざるを得ないってのは蜀側からしてみれば
持久戦を行われると圧倒的に不利と見ることもできるし
これは司馬懿の作戦が功を奏した結果になったわけで
国力差が圧倒的だからといたずらに攻撃をしかけるのが正しいとは思えないし
諸葛亮が優れた人物であることに異論はないし、その通りだと思うけど
蜀対魏の攻防に置いて致命的な問題点があったのは間違いないわけで
ただそれは諸葛亮の責ではないという話

>>わざわざ魏側の地域にまで進出してきた、国力差6倍以下の国の軍勢を
どうして攻撃して撃破しないのか、という話にそりゃなるでしょうて。
これはもう個々人の感じ方に依るところなので諸葛亮に対して司馬懿は無能で勇気もないと見る人もいれば
果断な戦略を得意とする司馬懿が諸葛亮との戦争では安全策を取り、無謀なことはせず自分の有利な状況に持っていったと見ることもできるわけで
この考え方はどちらも間違って無いと思う。
147  不思議な名無しさん :2017年02月24日 06:13 ID:5SCbN4Za0*
※146
いやいや、その撤退戦以前に、司馬懿は諸葛亮に対して、
第4次北伐では普通に自身の得意な速攻を凌がれ、
決戦を挑んだら撃破され、そして追撃したら張コウを倒され、
という感じで諸葛亮が基本的に優位に進めてる、とするのが
妥当でしょうて。

遠征軍が持久戦には不利だなんていうのは当たり前の話でしょうに。
ただ、防御側だって、敵側に対して長期に大軍を張り付けておくのは
国力的にもしんどいし、威信という面においても問題があるから、
通常なら自軍側の方が敵軍よりも物量的等の面で優位であるならば、
後方から「早く出撃して敵を追い払え!」という要請が
出てくるものだし、実際に司馬懿に対してそうだったように、
諸将が「こちらの方が優位なのに、蜀のような小国相手に引きこもるなんて
やってられません!戦わせてください!」と言い出すのは
自明の理でしょうて。それを押してもなお、
元々、果断な速攻で諸葛亮以外の相手になら
大勝利を得てばかりの司馬懿が、必死に持久戦を堅持し、
魏朝廷側も第5次ではシンピを派遣してまで、それを継続させようと
している、という時点で諸葛亮>司馬懿という風に同時代から
評価されている、っていうのはある意味自然なように思われるのですがねえ。

148  不思議な名無しさん :2017年02月24日 07:53 ID:v8AF2atA0*
※147
第四次北伐は蜀側の圧倒的優位で終わっているけど、最終的に補給線が駄目で撤退してるでしょ。
チョウコウはその時の追撃戦で討ち取られているわけで司馬懿からしてみれば撤退している相手へ追撃でさらなる大敗北を喫してるわけよ。
ここは疑いようもない蜀側の大勝利だけど、その後の司馬懿は決して無策であったわけではなく
五丈原の戦いでは司馬懿は曹叡からもこっちから打って出るよなとの厳命を元に諸将の打って出るべしという意見を押さえ込んでよく耐えた結果
諸葛亮の寿命が尽きて防衛に成功している。
諸葛亮も魏延も司馬懿が打って出ないことはよく理解していたわけだし
これは魏側の諸将がわざわざ諸葛亮の罠にハマっていく事を主張しているのだから
無能なのは諸将なのでは?
結果的に不満をある程度抑え、自分の持っていきたい方向に戦争を動かしたのだからこれをもって無能と呼ぶには少し暴論な気がする。
その後の追撃戦は司馬懿は死んだ諸葛亮に翻弄されることになるが、これはチョウコウを討ち取られるという大失態を犯しているため
よく備えられた撤退に無理に追撃をすることの損害を恐れたためだし
諸葛亮の得意とした王道の正攻法に真正面から付き合うのは確かに魏側に多大に負担を強いたが、それは蜀側も同じで基本的に戦争は侵略側のほうが経済的負担が大きい
この時は呉も蜀に呼応して魏を攻めたが全く役に立たなかったことも蜀にはマイナスに働いているけど
国防という面で言えば魏の勝利で終わったのが第五次北伐

諸葛亮と司馬懿を直接比較してどちらが優れているかなんて見る人によって違うんでしょ。
俺は両方共優れていると思うし、どちらも高いレベルだからお互いの手の内が
ある程度読めたから長い持久戦になったんでしょうね。
149  不思議な名無しさん :2017年02月25日 06:09 ID:gQYvJ.Jl0*
※148
いや、こちらは司馬懿の方を無能と言ってるわけではなくて、
「果断な速攻で諸葛亮以外の相手になら
大勝利を得てばかりの司馬懿が」と何度も書いていますように、
司馬懿が諸葛亮以外の相手には完勝を何度も収めてきた名将である事は
普通に認めておりまして。
単に同時代からの評価通りに、国力差6倍以上の小国側の軍が
わざわざ険阻な道を通ってやってきたにも関わらず、
それを撃破できずにひきこもって持久戦術で追い払う事になっている時点で
諸葛亮>司馬懿と言われてしまうのはある意味仕方のない事じゃないかと
指摘をしてるだけの話でして。

貴方は諸葛亮の寿命が尽きて防衛に成功、とはおっしゃってますけど、
逆に言いますと、諸葛亮の寿命が尽きなければ
どうなるかは不明だったわけでして。史書の記述では、司馬懿が
諸葛亮の寿命について知りえたのは対陣中であって
当初から知っていたわけではなかったわけですしね。
というか、そもそもの問題として、同時代からも後世からも言われて
いるように、蜀に対して国力差6倍以上の魏が、
険阻な道を通ってわざわざ魏側の領域にまで入ってきた諸葛亮の軍を
普通に撃破する事をせずに、必死で引きこもって
相手側の寿命とかを期待して、相手が退いてくれたら大喜びしてる時点で
普通に諸葛亮>司馬懿と言われてしまうのは仕方のない事なんでは
ないでしょうかねえ?
150  不思議な名無しさん :2017年02月25日 10:07 ID:I.69cQXD0*
※149
ふと疑問に思ったのですが、その評価というのは同時代ではなく唐代の晋書ではありませんか?
正史としての司馬懿伝は確かに李世民の晋書が重要な資料ですが、同時代での評価というので
特に司馬懿と諸葛亮を比較したものはないと思うのですが

寿命も大事な要素ですよ。死んでしまったら終わりですし
そもそも戦国時代に置いて”生き残る”というのはいちばん大事な要素で
それを体現しているのが蜀漢の皇帝である劉備玄徳その人です。
彼は先ず第一に生き残る事を優先していました。
過労が原因による病死なのかは議論のあるところですが
死んでしまい作戦が遂行できなかったってのは戦略的には敗北ですよ、何故イフの話をするのですか?
どうなるか不明であった話なんてのはしてません。
結果として諸葛亮は死んでしまい司馬懿は生きていた。
これは重大な結果の一つですよ。
ただそれは諸葛亮個人の資質では無く、国力等の差も大きいでしょう。
しかしながらそれで諸葛亮と司馬懿の個人的な資質の差を測るのは無理だと思います。
持久戦に持ち込んだ一番の理由は補給切れ狙いが大きいでしょう
その結果諸葛亮が死んでしまったのは司馬懿にとって大きな好機で活かせなかったのは失態と言ってもいいでしょうね。
天下の奇才なり!はまさしく最大級の賛辞ですし、司馬懿は追撃戦でまたやられちまったよいって思ったでしょう。
司馬懿が諸葛亮が死ぬのを待っていたなんてのは聞いたことがありません。
戦略的には相手が引けば基本的には侵略から防いだのですから勝利で喜んでもかまわないでしょう。
そうした点を見ると第五次北伐においては司馬懿率いる魏が勝ったというわけです。
最初から述べているようにここは感じ方の違いだとは思いますが
151  不思議な名無しさん :2017年02月26日 05:25 ID:8aU5LJY20*
※150
いやいや、同時代の呉の人も、国力差があるにも関わらず、
ずっと司馬懿が引きこもっていた事から、諸葛亮>司馬懿と
評価していますね。

そんな事を言われましても、人間がいつ死ぬかなんて、
誰もわかりませんし、司馬懿だって当初からそれを予想していたわけでも
ないですのに、それが見事な戦略とかいうように言われましてもねえ。

諸葛亮は第5次北伐の時には屯田兵まで用意して、補給の備えをし、
そもそもその前の2年にわたって食料の備蓄を行って
第5次に備えていたわけで。持久戦対策は諸葛亮もしていますね。

魏帝は確か、第5次北伐のあとで、「よく守り抜いてくれた!」的に
司馬懿を大いに褒めているわけですが、魏側の方が国力で勝り
戦力的にも優越しているにも関わらず、
持久戦で時間稼いでお引き取り願ったのを、こんなに褒めているっていう事が
諸葛亮>司馬懿を魏朝廷も十分に認識している証拠だと思うんですけどねえ。
わざわざシンピを派遣しているわけでもありますし。
他の相手なら普通に司馬懿に速攻撃破する事を許し、
司馬懿自身もそれを行っているにも関わらず、
諸葛亮相手の時は戦力優位であっても必死で持久戦に持ち込んで
撤退を望む、という時点で諸葛亮>司馬懿が示されているのは
明白だと思うんですけどねえ。
ここまで戦力的優位で互角の能力持ちなら、なんで出撃して戦わないのか、
っていう話になると思いますし。他の相手には普通にしてるのにも関わらず。
152  不思議な名無しさん :2017年02月26日 09:09 ID:zYnIMxd90*
※151
同時代の呉の人の評価というのはどの資料でしょうか、不勉強で申し訳ありません。

見事な戦略ではなく、諸葛亮との戦争において最適解が持久戦という選択だったのでしょう。
また戦力差が6倍とありますが、魏のほうは呉とも戦争をせねばならず
単純に蜀だけに戦力を割くわけにはいきません。
実際に234年に呉は蜀と呼応して戦争をしてるわけですから

第四次北伐の後諸葛亮が備えたのは3年です。
ここは晋書によりますが、司馬懿は3年はかかるだろうと予想しそのとおりとなりました。

当時から果敢に攻めるべきという意見はあったのでしょうね。
1800年近くたった今でさえ151さんのように戦力差があるのだから攻めるべきだという意見があるのですから、
ただもし攻めた場合どういった罠があるかはわかりませんし、
無謀に攻めて諸葛亮の手の内で戦争をする必要が感じられません。
なので151さんのような意見を必死に抑えたのでしょう。
そもそも最終的に撤退するであろうと思われるのに打って出た場合のメリットが知りたいです。
もし攻めたとして諸葛亮に大敗を喫することになれば大損害を被りますし
デメリットのほうが大きいですよね。特に諸葛亮の戦争は相手をおびき出して
から火計や様々な罠にかける策略を得意としていたようですし
司馬懿が陣を見て天下の奇才とたたえたのもその査証だと思います。
周りの意見に流されずに耐える、結果として侵略を防ぐことができた。
であればこの選択は正しいと思うのですが?

何度も述べるようにこれは蜀の侵略戦であって防衛は魏の勝利なんですよ。
何故勝った側の将校が、戦力差があるからの理由で評価が下がるかわかりません。
もし責めるのであれば、持久戦に持ち込ませずに司馬懿に戦わせるよう仕向ける必要があった諸葛亮の方ですよね。
153  不思議な名無しさん :2017年02月27日 07:42 ID:Of.xoe5q0*
※152
呉の大鴻臚張儼さんの論ですね。
「蜀の国力は魏の9分の1であり、司馬懿は諸葛亮よりも
圧倒的に優位な状況で精鋭を有しながら、積極的に出て撃破しようとせず、
諸葛亮に往来の自由を許していた。
もし諸葛亮が死亡しなければ、魏は鎧を解く事ができず、
勝敗は決していた事であろう。諸葛亮は司馬懿より優れていると言えよう。」
的に論じていらっしゃる感じですかねえ。

司馬懿の方に魏が主力ともいえる兵馬を集結させた結果、
呉に対する増援の兵力が足りない、的な状況になり、皇帝自らが
親衛隊を率いて出陣せねばならないか、的な状況になっているわけですが。

そうですね。第4次北伐が終了したのが231年の夏で、
第5次北伐が開始されたのが234年の春ですから、
三年は行ってないかと思ったものですが。
154  不思議な名無しさん :2017年02月27日 07:42 ID:Of.xoe5q0*
※152宛続き
なんか変な風にこちらの意見を曲解なされているように
思われてしまうのですが。こちらは別に「出て戦うべきだ。」
と言っているのではなく、「諸葛亮>司馬懿でないなら」
司馬懿が戦力的に優位でありながらも、引きこもるのも妥当であり、
それは別におかしな事ではない、と言っているだけの話でして。
上記の呉の人も、李世民も同じような事を言ってるわけでして。
というか、魏朝廷も司馬懿が軍の突き上げなどを受けて出撃するのを懸念し、
シンピなどを派遣してまで必死で抑えようとしてる事から
諸葛亮>司馬懿的な評価だったように思われるわけでして。

諸葛亮の戦いにおいて、火計が使われた形跡は少なくとも正史には
なかったと思うのですがねえ。史実の諸葛亮の戦い方は王道的な正攻法だった
わけでして。

ですから、大軍を擁しながら、それもその為に呉が侵攻してきたら
魏帝が親衛隊を率いて出撃せねばならないか、という程の大兵力を
保有しながらも、国力において劣る小国の軍勢が
険阻な道を通ってわざわざ魏の領域に入ってきたのにも関わらず、
得たりとばかりに叩きつぶそうとはせず、必死に持久戦に持ち込んで
お引き取り願おうとしている、っていう時点で
普通でしたら後方から「さっさと出撃して敵を撃破しろ!」とか
言われるものですけど、魏朝廷側からも必死に「出撃するな!」と
指示されている事からして、
諸葛亮>司馬懿と評されるのもある意味自然ですし
李世民も呉の人も、普通に同じように評価しているだけの話、という話でして。
155  不思議な名無しさん :2017年02月27日 08:05 ID:Of.xoe5q0*
※152宛続きその3
追記として、司馬懿という人物が、そもそも積極果敢な速攻を得意とし、
それによって「諸葛亮以外になら」完勝を収めてきた人物である、
という事をどうお考えなのでしょうか?
そんなにも、戦力的に優位でありながら、
持久戦に持ち込んだ司馬懿の行動は不可思議ではなく、当然である、
と主張されるのであれば、司馬懿が「諸葛亮以外が相手なら」
積極果敢な速攻を用いて完勝を収めてきた、という事例群とは
どのように整合性をつけておられますのでしょうか?
普通に同時代からも後世からも評価されてますように、
「諸葛亮>司馬懿」と評されるのは仕方のない事のように思われるのですが、
そこら辺はどうお考えなのでしょうか?是非ともお答えを頂きたく存じます。
156  不思議な名無しさん :2017年02月27日 15:51 ID:43aoNko10*
※153
張儼という人は後出師表の作者さんだったのですね。
歴史家からの信頼度はあまり高くなく諸葛亮びいきであったと見られているようですね。
それを言ったら李世民も司馬懿の人となりはかなりけなしてますが、、、

>司馬懿の方に魏が主力ともいえる兵馬を集結させた結果、
呉に対する増援の兵力が足りない、的な状況になり、皇帝自らが
親衛隊を率いて出陣せねばならないか、的な状況になっているわけですが

第五次北伐での呉は満寵と張穎がよく耐え、曹叡が親征をしてくると
数百里先にもかかわらず撤退しています。
また、皇帝自らの出征ということはそちらが本軍であり、対呉との戦争に主力を割いたと見ることもできます。
明帝紀にも呉との戦いの後曹叡自ら司馬懿の援軍に向かうべきだという意見があったようですが、
曹叡は呉が撤退した今諸葛亮は肝を潰しているし、司馬懿が守っているのなら必要はないと退けています。
157  不思議な名無しさん :2017年02月27日 15:59 ID:43aoNko10*
>思われてしまうのですが。こちらは別に「出て戦うべきだ。」
と言っているのではなく、「諸葛亮>司馬懿でないなら」

どういう意図で議論を持っていきたいのかわからないのですが
出て戦うべきでないのであれば、どうすればよかったのでしょうか?
諸葛亮の火計は勘違いでした。申し訳ありません。

詔は基本的に厳命されるべきものであり、大儀だと思うので
これに逆らうことはよくないはずですよね、何を持って必死にとなるのかがわかりません。
曹叡は頭の良い人物で、蜀が長期戦になれば不利になることを理解していたので
司馬懿に詔を出したのでは?
司馬懿も同じように蜀の弱点を理解していたのでしょう。
またシンピに関してですが
魏氏春秋では女物の服を送られた司馬懿は怒り出撃しようとしたが止めたとあり
晋書ではそもそも司馬懿の出撃の上奏は諸将の怒りを収めるためのものと諸葛亮が語っているとあります。
この一点のみで諸葛亮>司馬懿とするには短絡的すぎませんか?
158  不思議な名無しさん :2017年02月27日 16:03 ID:43aoNko10*
>追記として、司馬懿という人物が、そもそも積極果敢な速攻を得意とし、
それによって「諸葛亮以外になら」完勝を収めてきた人物である、
という事をどうお考えなのでしょうか?

何故戦争毎に戦略を変える必要があるのに、全て同じ方法で攻めるべきだと考えているのかが理解に苦しみます。
司馬懿は普段速攻を得意としたとしても、それが相手に通用しないとなるならば戦略は変えるべきです。
諸葛亮との直接対決で散々苦汁を舐めているのに戦略も練らずに同じように
速攻で行くぜベイベーの猪突猛進型ならどうしようもない阿呆ですが
諸葛亮にはそれが通用しないなら変えるべきですよ。
戦略を変えることが無能であるとおっしゃるのなら何も言いません。

ところで、結局攻めた時のメリットを教えていただきたいのです。
「出て戦うべきだ。」と言っていないわりには国力差があるのに攻めきれなかったのは
司馬懿が諸葛亮より劣っていると評価されても仕方ないとおっしゃるのなら
司馬懿の最適解は何だったのか、それをご教授願いたいです。
159  不思議な名無しさん :2017年02月28日 04:30 ID:jvAxUra.0*
※156
いや、別に張儼は後出師表の作者とみられてるわけではないのですけどねえ。
歴史家の人からもそんな風に言われてるわけではないですし。
そうやって、ご自身の見解に都合悪い事を指摘されたら
その対象をボロクソにけなされるのは如何かと思うのですが。
っていうか、張儼さんは「国力9倍でありながら、司馬懿は引きこもって
諸葛亮の好きなようにさせた。諸葛亮>司馬懿というべきである。」
という至極当たり前の事を言ってるだけの話ですしねえ。

その割には、劉邵の献策に基づいて
歩兵5千、騎兵3千を派遣して、これを大軍のようにみせかけて
孫権を撤退させようとする、という策を弄していますけどね。
出来れば皇帝側としても戦わずに相手を退かせたかった、
というのが実情ではないかと。
曹叡が司馬懿の援軍云々は長安に滞在すべきだ、という話で、
やっぱり安全地帯にいて督戦すべきだ、という感じで
戦うことを推奨してるようには思われないと思うのですが。

160  不思議な名無しさん :2017年02月28日 04:40 ID:jvAxUra.0*
※157
いや、何度も申しあげておりますように、こちらが述べているのは
李世民やら呉の人やらの評価のように、「諸葛亮>司馬懿」のように
思われるからこそ、司馬懿は諸葛亮に対して引きこもった、
というだけの話です。
司馬懿が諸葛亮を上回る軍事的能力の持ち主であるならば、
これだけ圧倒的優位の状況において、引きこもる事はないと思われるわけで。
「諸葛亮>司馬懿」という認識があるからこそ、司馬懿も魏朝廷も
徹底した守備命令をしている、というだけの話でありまして。
非常にわかりやすい話だと思われるのですがねえ。

なぜ曹叡がそれだけ優位な状況でありながら、守備命令を出しているのか、
を考慮された方がよろしいのではないかと。
司馬懿が諸葛亮以外の相手には積極果敢な速攻で勝利を収めている人物だ、
という事もあわせて考慮してみますれば、諸葛亮>司馬懿的な認識が
伺えるように思われるのですがねえ。

ですから、魏朝廷にとっては、司馬懿だけでは戦いたがる諸将を
抑える事が難しい、そして戦ってしまったら、司馬懿が諸葛亮よりも
圧倒的に優位な大軍を擁していても、勝つ事は困難である、
という認識があるからこそ、シンピを派遣して抑えさせようと
しているわけでして。諸葛亮>司馬懿、的な評価がされてそうに思われますが。

161  不思議な名無しさん :2017年02月28日 04:55 ID:jvAxUra.0*
※158
そうですね。戦う相手によって戦い方を変えるのはとても重要な事ですね。
そして、司馬懿の必勝パターンである、積極果敢な速攻は
諸葛亮には通用しない、と司馬懿自身も魏朝廷も
認識していたと思われるわけで。
戦力的に圧倒的に優位な状況であっても、司馬懿の得意とする積極果敢な
速攻では、諸葛亮を撃破する事は難しい、守備命令でお引き取り願うしかない、
と司馬懿自身も魏朝廷も認識していたと思われるわけで。
十分に諸葛亮>司馬懿の認識を
示しているように思われるのですがねえ。

>戦略を変えることが無能であるとおっしゃるのなら何も言いません。
貴方は毎度毎度思うのですけど、0か10かしか存在しないのですかねえ?
こちらは何度も述べてますように、司馬懿が諸葛亮以外の相手になら
完勝を収めてきた名将である事は何度も述べております。
ただその司馬懿をもってしても、戦力的に優位な状況であっても、
諸葛亮を撃破するのは困難だろう、という風に魏朝廷も司馬懿も
認識していたと思われるわけで。普通に諸葛亮>司馬懿を示しているように
思われるのですがねえ。
162  不思議な名無しさん :2017年02月28日 05:00 ID:jvAxUra.0*
※158宛続き
ですから、何度も言ってますように、魏朝廷も司馬懿も認識していたと
思われますように、司馬懿という名将が、その必勝パターンである
積極果敢な速攻を、蜀側よりも優位な状況や戦力で行っても、
諸葛亮率いる蜀軍を撃破する事が困難であり、諸葛亮>司馬懿であるならば
司馬懿は守備命令を徹底して、蜀軍にお引き取り願うしかない、という、
至極わかりやすい話だと思うのですが。司馬懿も魏朝廷も、
諸葛亮>司馬懿を認識していたからこそ、戦力的に優位であっても
徹底した守備命令を貫徹した、という事であり、
諸葛亮>司馬懿である、という認識に基づいて、彼らは最適の解を出し
それを行った、というだけの話で、同時代からも後世からも
諸葛亮>司馬懿と評された、というだけの話だと思われるのですがねえ。

逆にお聞きしますと、戦力的に優位な状況でありながら、
しかもそれを率いる将軍は積極果敢な速攻によって完勝を収めてきた
名将司馬懿であるにも関わらず、
司馬懿当人も、魏朝廷も、諸葛亮相手に出撃して戦ったら危険である、
と考慮して必死に守備命令を堅持しようとしている、させようとしている、
というのは、諸葛亮>司馬懿以外の何があると思われるのでしょうかねえ?
同時代からも、後世からも言われているように、普通に諸葛亮>司馬懿を
示してるだけのように思われるのですがねえ。
163  不思議な名無しさん :2017年02月28日 07:14 ID:o.yE7aoi0*
※162
結局どうすればよかったかは答えてくれないんですね。
普通に防衛してるのが一番楽だから攻めなかっただけでしょう。
164  不思議な名無しさん :2017年02月28日 10:54 ID:ualemHRd0*
※163
いや、ですから答えてるじゃないですか。
魏朝廷も司馬懿も認識していたと
思われますように、司馬懿という名将が、その必勝パターンである
積極果敢な速攻を、蜀側よりも優位な状況や戦力で行っても、
諸葛亮率いる蜀軍を撃破する事が困難であり、諸葛亮>司馬懿であるならば
司馬懿は守備命令を徹底して、蜀軍にお引き取り願うしかない、という、
至極わかりやすい話だと思うのですが。司馬懿も魏朝廷も、
諸葛亮>司馬懿を認識していたからこそ、戦力的に優位であっても
徹底した守備命令を貫徹した、という事であり、
諸葛亮>司馬懿である、という認識に基づいて、彼らは最適の解を出し
それを行った、というだけの話で、同時代からも後世からも
諸葛亮>司馬懿と評された、というだけの話だと思われるのですがねえ。

逆にお聞きしますと、戦力的に優位な状況でありながら、
しかもそれを率いる将軍は積極果敢な速攻によって完勝を収めてきた
名将司馬懿であるにも関わらず、
司馬懿当人も、魏朝廷も、諸葛亮相手に出撃して戦ったら危険である、
と考慮して必死に守備命令を堅持しようとしている、させようとしている、
というのは、諸葛亮>司馬懿以外の何があると思われるのでしょうかねえ?
同時代からも、後世からも言われているように、普通に諸葛亮>司馬懿を
示してるだけのように思われるのですがねえ。
165  不思議な名無しさん :2017年02月28日 11:06 ID:ualemHRd0*
※163宛追記
一番楽な方法だから、とはおっしゃってますが、
もし、諸葛亮>司馬懿ではなく、司馬懿に諸葛亮を上回るだけの
軍事的能力がある、という仮定で話をしますなら、
一番楽な方法は、その蜀側よりも優位な戦力を用いて
司馬懿が諸葛亮以外の相手にならそうしてきたように、
積極果敢な速攻によって撃破してしまう事だと思われるのですが。
その方が、魏側にとっても守備命令の堅持のように、
大軍を長期に渡って貼りつけておく必要が存在せず、
国力的にも楽ですし、敵国である蜀軍を長期にわたって跋扈させておく、
という威信的な面においてもよろしくないと思われる事もないわけです。

それらを押してでも、魏朝廷も司馬懿も諸葛亮相手に
守備命令を堅持する事を厳命し続けたのですから、
普通に魏朝廷にも、司馬懿にも、諸葛亮>司馬懿、という認識が
存在していた、と考慮するのが
妥当なように思われるのですがねえ。
166  不思議な名無しさん :2017年02月28日 11:26 ID:o.yE7aoi0*
正直蜀が侵略側で最終的に撤退しているのにその結論に至る意味が理解できないです。
これが魏が侵略側であったなら全くその通りだと思いますけけど
蜀が攻める側で攻めあぐねているのはOKで魏が侵略されているのに守っているのはNGって自分で言っててなんとも思わないんですか?
167  不思議な名無しさん :2017年02月28日 11:39 ID:ualemHRd0*
※166
いやいや、じゃあ逆にお聞きしますけど、
もし、諸葛亮>司馬懿ではなく、司馬懿に諸葛亮を上回るだけの
軍事的能力がある、という仮定で話をしますなら、
一番楽な方法は、その蜀側よりも優位な戦力を用いて
司馬懿が諸葛亮以外の相手にならそうしてきたように、
積極果敢な速攻によって撃破してしまう事だと思われるのですが。
その方が、魏側にとっても守備命令の堅持のように、
大軍を長期に渡って貼りつけておく必要が存在せず、
国力的にも楽ですし、敵国である蜀軍を長期にわたって跋扈させておく、
という威信的な面においてもよろしくないと思われる事もないわけです。
この件についてどう考慮なされているわけですかねえ?

古来より、強敵に対して大軍を擁しながらも持久戦を行って
お引き取り願おうとしながらも、後方からの「早く出撃して敵を撃破しろ!」
という要請によって交代させられたり、あるいは内通を疑われて殺された、
という指揮官は複数存在するわけでして。
敵より優位な戦力の大軍を擁したなら、それを基にして
早めに敵を撃破してもらった方が、後方としても楽なわけですし、
威信という面においてもありがたい話なわけでして。
それらを押してでも魏朝廷も司馬懿も、徹底した守備命令を貫徹させようと
している、という時点で、明らかに諸葛亮>司馬懿という認識が
伺えるように思われますが、この件についてはどう思われるのでしょうか?
168  不思議な名無しさん :2017年02月28日 13:05 ID:o.yE7aoi0*
※167
何故それが一番楽だと思うのかがわからないのですが
司馬懿は諸葛亮への攻めで辛酸を舐めているわけで、愚策に繰り返すことが良策ってことですよね。
軍事的能力の話をするのであれば、目的の達成が第一では?

第四次北伐まで、魏は蜀を撤退させることはできても、野戦では勝てなかった
諸葛亮有能→わかる
第五次北伐ではその反省を込めて、無策に攻めたりはせず、詔もあったので
防衛に徹し、蜀を退けた、司馬懿無能→???
国力的に楽といいますが、攻めた時に防衛時よりも損害が出たらどうします?
それらを踏まえて攻めるメリットを何回も聞いているのに
後方からの突き上げ~とかそんなことは聞いてませんって
そもそも防衛が目的なので、攻めあぐねていた諸葛亮はどういった点が有能だったのでしょうか?
司馬懿を引きずり出すことができなかったのは有能の査証なのでしょうか?
169  不思議な名無しさん :2017年02月28日 13:55 ID:ualemHRd0*
※168
いや、だって楽じゃないですか。
国力的にも、威信的にも、普通に「司馬懿が諸葛亮を上回る軍事的能力を
持っているなら」戦力的にも優位なんですし、
司馬懿が速攻で撃破してくれれば、
魏としてはとっても楽なはずなんですが。
>司馬懿は諸葛亮への攻めで辛酸を舐めているわけで
つまり、「諸葛亮>司馬懿」を明確に示しているわけですよね?
>軍事的能力の話をするのであれば、目的の達成が第一では?
ハンニバルに対するファビウス、
項羽に対する劉邦、同じく項羽に対して持久戦略をとったものの、
謀反の疑いを受けて楚軍に降伏せざるを得なかった章カン、
いずれも、まともに正面から戦っては敗退させられた、
あるいは敗退させられると思われる相手に対し
徹底した持久戦略をとって対抗していますが、彼らが
その相手側より軍事的能力において勝っていた、とは一般的には
まず言われてないと思うのですが。
170  不思議な名無しさん :2017年02月28日 13:56 ID:ualemHRd0*
※168宛続き
何度も言いますけど、なんでそう貴方は有能・無能、
あるいは0か10かしか存在しないんですかあ?
こちらは司馬懿が諸葛亮以外の相手なら完勝してきた名将だと
何度も書いてるじゃないですか。
司馬懿が有能であっても、軍事的能力において諸葛亮>司馬懿、
であるならば、守備命令貫徹をとってお引き取りを願うのが
一番手堅いやり方、っていうだけの話じゃないですか。
>国力的に楽といいますが、攻めた時に防衛時よりも損害が出たらどうします?
はいはい。それでは、司馬懿は諸葛亮以外の相手になら、
積極果敢な速攻によって勝利を収めている人物で、その勝利においては
守備命令貫徹の時よりも確実に被害が出ているはずですから、
貴方的には司馬懿は無能、という事になりますけど、よろしいですかね?

普通は国力的にも戦力的にも優位なら、後方からも「早く出撃しろ!」
と言い出すものですし、魏の諸将達のように、出撃を主張するものです。
魏の方が蜀を上回る大軍であり、それを貼りつけておくのも、
いつまでも蜀軍の跋扈をスルーし続けているのも、
国力的にも威信的にも厳しい事のはずですしね。
そして出てくれば思う壺、というやつですね。
ですが、諸葛亮としては、相手側が魏朝廷も司馬懿も、
「諸葛亮>司馬懿」という認識に基づいて守備命令貫徹を
優先したのが意外だった、という感じでしょうか。
まあ、それでも諸葛亮は持久戦を続けられるように、大量の穀物の備蓄と
屯田兵による自給自足を行っていたわけではありますがね。
171  不思議な名無しさん :2017年02月28日 21:33 ID:o.yE7aoi0*
???
諸葛亮>司馬懿を言い始めたのはそちらでは?
防衛に徹していることでその評価になるのはおかしいと言ってるわけで
同時代といっても全員がその評価を下しているわけではないのに
他の方は誰と聞いても答えてくれないですし
結局攻めることの具体的なメリットには答えてくれないんですか?

後五丈原の戦いはでは司馬懿は諸葛亮よりも早く陣を引いているんですが
これは彼の拙速さを示す一例だと思いますよ。
この速さが諸葛亮が一手を決めるに欠ける結果となったわけで
何故諸葛亮>司馬懿になるのかがわからないと言っているのです。

私は両方共優れていると思いますが、両者とも一長一短あり
戦略的な立場で言えばどちらが上と断定できるような簡単な問題ではないと考えています。
何故防衛に徹しただけで諸葛亮のほうが優れていると考えられるのかその説明が
戦力的に優れていた側が防御に回るのがおかしいって普通にえ?ってなりません?
で防衛してるのは魏であって
魏を攻めあぐねた蜀についてはどうお考えなのですか?
そこの答えもいただけてないのですが
後0と10の考え方ではなく、極端なとり方をしてるのはそちらですよ。
172  不思議な名無しさん :2017年02月28日 21:50 ID:o.yE7aoi0*
後一つ大きなミスリートというか、問題点があるのですが
戦力差は勝敗に大きく影響を与えますが
あくまで戦争の目的は勝利することであって
ここでいう勝利とは魏は防衛
蜀は統一のための領土拡大(どこまでかはとかく)
その目的を達成できたか否かの判断が一番大事であって
そうした結果を無視してるのはどうかと思いますよ。

何度も言いますが、形はどうあれ挑発にのらず司馬懿はよく防いだのですから
この点を持っても諸葛亮>司馬懿と簡単には言えないわけですよ。
173  不思議な名無しさん :2017年02月28日 23:18 ID:ualemHRd0*
※171
へ?李世民も呉の人も普通にそう述べてますけど?
逆に聞きますけど、
司馬懿>諸葛亮、なんて評価をしてる人いるんですか?
>他の方は誰と聞いても答えてくれないですし
いつどこで聞いたんですかあ?
こちらが張儼の事を述べてから、貴方はそんな事を聞いたレスが
どこにもないように思われますが、どこでお聞きになられたんですかあ?
お答え願いますね。

>結局攻めることの具体的なメリットには答えてくれないんですか?
だから何度も答えているじゃないですか。
国力的にも、威信的にも、普通に「司馬懿が諸葛亮を上回る軍事的能力を
持っているなら」戦力的にも優位なんですし、
司馬懿が速攻で撃破してくれれば、
魏としてはとっても楽なはずなんですが。
第一、貴方は必死にスルーなさっているようですが、
司馬懿は諸葛亮以外の相手になら、
積極果敢な速攻によって勝利を収めている人物で、その勝利においては
守備命令貫徹の時よりも確実に被害が出ているはずですから、
貴方的には司馬懿は無能、という事になりますけど、よろしいのですかね?


>後五丈原の戦いはでは司馬懿は諸葛亮よりも早く陣を引いているんですが
自国内の話でそんな事を言われましても、という感じなのですがねえ。
174  不思議な名無しさん :2017年02月28日 23:19 ID:ualemHRd0*
※171宛続き
ですから、こちらが普通に何度も述べている事でしょうに。
ハンニバルに対するファビウス、
項羽に対する劉邦、同じく項羽に対して持久戦略をとったものの、
謀反の疑いを受けて楚軍に降伏せざるを得なかった章カン、
いずれも、まともに正面から戦っては敗退させられた、
あるいは敗退させられると思われる相手に対し
徹底した持久戦略をとって対抗していますが、彼らが
その相手側より軍事的能力において勝っていた、とは一般的には
まず言われてないと思うのですが。
司馬懿が有能であっても、軍事的能力において諸葛亮>司馬懿、
であるならば、守備命令貫徹をとってお引き取りを願うのが
一番手堅いやり方、っていうだけの話じゃないですか。

いや、明らかに貴方が極端な事を言い出してると思うのですが。
司馬懿が諸葛亮より軍事的能力に劣る、という評価を受けそうになると
「司馬懿が無能だと言われている!」と過剰反応してるように思われますし
そういう風に貴方が述べられているレスもいくつも残っておりますね。
なんでこう、有能・無能の2極端しかないのかと不可思議に思っている
次第でございまして。
175  不思議な名無しさん :2017年02月28日 23:29 ID:ualemHRd0*
※172
ですから、その理屈でしたら、司馬懿は諸葛亮以外の相手になら
積極果敢な速攻によって勝利を収めてきた人物ですが、
彼のそれまでにあげてきた数々の勝利や功績は、貴方的な理屈でしたら
守備命令貫徹よりも被害が多数出ている愚行であり、
そんな事をし続けた司馬懿は極めつけの阿呆であり、無能であり、
それらを功績として評価して昇進させていった魏朝廷も阿呆、
という事になってしまうわけでして。それでよろしいのでしょうかねえ?
国力的にも、威信的にも、普通に「司馬懿が諸葛亮を上回る軍事的能力を
持っているなら」戦力的にも優位なんですし、
司馬懿が速攻で撃破してくれれば、
魏としてはとっても楽なはずなんですが。

その理屈で言いますと、ファビウスはハンニバルよりも軍事的能力があり、
劉邦や章カンも項羽より軍事的能力がある、という話になるわけですか。
だったら最初から野戦で撃破すればいいじゃないか、という話になるだけだと
思われますし、実際に野戦とかでどうにもならなかったから、
持久戦略をとってるのも司馬懿と全く同じなわけですが、
一般的に彼らが相手側よりも軍事的能力によって勝っていた、という評価を
されている事はまずないと思うのですが。
そこら辺はどうお考えなのでしょうか?
176  不思議な名無しさん :2017年03月01日 07:47 ID:J.8v.plC0*
※175
158で何故戦争毎に戦略を変える必要があるのに、全て同じ方法で攻めるべきだと考えているのかが理解に苦しみます。
司馬懿は普段速攻を得意としたとしても、それが相手に通用しないとなるならば戦略は変えるべきです。
とあるのですがそれはスルー?
177  不思議な名無しさん :2017年03月01日 09:45 ID:Owhda7BB0*
※176
ですから、それ何度も答えてますよね?
都合悪いところを必死で毎度毎度のようにスルーされているのが
貴方ではないですか。
※161でしっかりと
「そうですね。戦う相手によって戦い方を変えるのはとても重要な事ですね。
そして、司馬懿の必勝パターンである、積極果敢な速攻は
諸葛亮には通用しない、と司馬懿自身も魏朝廷も
認識していたと思われるわけで。
戦力的に圧倒的に優位な状況であっても、司馬懿の得意とする積極果敢な
速攻では、諸葛亮を撃破する事は難しい、守備命令でお引き取り願うしかない、
と司馬懿自身も魏朝廷も認識していたと思われるわけで。
十分に諸葛亮>司馬懿の認識を
示しているように思われるのですがねえ。」
と書いてあるじゃないですか。
そしたら、いきなり具体的には答えられずに貴方は※163で
「普通に防衛してるのが一番楽だから攻めなかっただけでしょう。」
と言い出し、こちらから、※165や※169で
「国力的にも、威信的にも、普通に
「司馬懿が諸葛亮を上回る軍事的能力を
持っているなら」戦力的にも優位なんですし、
司馬懿が速攻で撃破してくれれば、
魏としてはとっても楽なはずなんですが。」的に指摘されると
攻めるメリットがどうとか、攻めたら損害が出たらどうする、と言い出し、
そうしたらこちらから※170とかで
「司馬懿は諸葛亮以外の相手になら、
積極果敢な速攻によって勝利を収めている人物で、その勝利においては
守備命令貫徹の時よりも確実に被害が出ているはずですから、
貴方的には司馬懿は無能、という事になりますけど、よろしいのですかね?」
と聞かれて、必死でスルーなさっているのが貴方ではないですか。

そうやって、苦しくなったら論旨を2転3転させるのは、
いい加減やめて頂きたいのですけど。
178  不思議な名無しさん :2017年03月01日 11:02 ID:J.8v.plC0*
???
というか二転三転してませんよ。
”「国力的にも、威信的にも、普通に
「司馬懿が諸葛亮を上回る軍事的能力を
持っているなら」戦力的にも優位なんですし、”
というのをあなたが重視してるだけで、私は結果を重視してる。
それに”司馬懿が速攻で撃破してくれれば、
魏としてはとっても楽なはずなんですが”これはあなたがそう思っているだけで
魏は守れば勝ちなんですからわざわざ損害を大きくする可能性がある必要がないと言っているんですよ
だから攻めて損害が出れば完全に諸葛亮>司馬懿ですけど実際はそうでなかったわけですよね?
結果を見るなら防衛に成功した魏の功績は?と聞いているのはスルーしてません?
諸葛亮は何故司馬懿を誘い出すことができなかったのですか?
ここには答えてくださいよ。
スルーし続けてるのはあなたでは?
”貴方的には司馬懿は無能、という事になりますけど、よろしいのですかね?”
ん?だから第五次北伐では戦略を変えて防衛に徹したんでしょ?
長々とわけのわからない返しをせずに完結に私の質問に答えてくださいよ。

っていうか何度も書きますけど蜀が侵略側なんですよ。
後同時代の評価であるなら諸葛亮を大絶賛している陳寿が諸葛亮は軍事の人ではなかったという評論を残してますよね。
179  不思議な名無しさん :2017年03月01日 11:32 ID:Owhda7BB0*
※178
いや、してるでしょ、貴方はこちらが既に答えた事を
意図的に流れを曲解するなどして、なんとかしてごまかそうと
していらっしゃるようにしか思われないわけで。
現に貴方が書いている文章は、こちらがこれまでに書いた文章で
そのまんま反論が可能です。
>魏は守れば勝ちなんですから
>わざわざ損害を大きくする可能性がある必要がないと言っているんですよ
それなら、何度も問うていますように、
司馬懿は諸葛亮以外の相手になら、
積極果敢な速攻によって勝利を収めている人物で、その勝利においては
守備命令貫徹の時よりも確実に被害が出ているはずですから、
貴方的には司馬懿は出さなくていい損害を毎度のように出して
守備命令貫徹よりも大きな損害による勝利を行い続けた無能、
という事になりますけど、よろしいのですかね?これにちゃんと答えて
もらえませんかねえ?

>だから攻めて損害が出れば完全に諸葛亮>司馬懿ですけど実際はそうでなかったわけですよね?
第4次北伐で正面からの野戦でも、追撃戦でも撃破され、
諸葛亮>司馬懿である事を認識したから、第5次の守備貫徹命令があるわけで
それを必死にスルーされましても、という感じなのですが。

>結果を見るなら防衛に成功した魏の功績は?
>と聞いているのはスルーしてません?
はいはい。これも何度も書いていますよね。
貴方のの理屈で言いますと、ファビウスはハンニバルよりも軍事的能力があり、
劉邦や章カンも項羽より軍事的能力がある、という話になるわけですか。
だったら最初から野戦で撃破すればいいじゃないか、という話になるだけだと
思われますし、実際に野戦とかでどうにもならなかったから、
持久戦略をとってるのも司馬懿と全く同じなわけですが、
一般的に彼らが相手側よりも軍事的能力によって勝っていた、という評価を
されている事はまずないと思うのですが。
そこら辺はどうお考えなのでしょうか?
180  不思議な名無しさん :2017年03月01日 11:44 ID:Owhda7BB0*
※178宛続き
>ん?だから第五次北伐では戦略を変えて防衛に徹したんでしょ?
だからそうやって都合の悪い流れとかを曲解したり、
捏造したりして、ご自身の都合のいい混ぜ返しの為に利用するのは
いい加減にやめて頂きたい、と申し上げているのですがねえ。
その文章は、元々、貴方が「司馬懿が守備命令貫徹したのは
それが一番楽だったから。」「攻めてそれ以上の損害が出たらどうする」
と述べている事への返しです。その理屈だと、司馬懿は諸葛亮以外の相手なら
貴方が愚策という、積極果敢な速攻によって、貴方が非難する、
守備命令貫徹以上の被害、を毎度のように確実に出しながら勝利を
収めているので、貴方の理屈におきましては司馬懿は紛うことなき無能、
という事になります。まずこれにちゃんと答えてもらえませんかねえ?
ちなみに、司馬懿は諸葛亮との第5次北伐以後でも、普通に同じような
速攻による勝利を重ねていますので、貴方的な理屈で言えば、
司馬懿はもはや阿呆を通り越した何か、という事になるわけですが、
これについてちゃんとお答えになってもらえないでしょうかねえ?

>長々とわけのわからない返しをせずに完結に私の質問に答えてくださいよ。
貴方がこちらにされている、都合の悪い指摘などを必死で理解するのを拒絶し、
流れの曲解やら混ぜ返しなどを必死に行っているだけではないですか。
それこそこちらにはどうでもいいですので、お早めにこちらに聞かれている事に
お答えになってくださいねー。
181  不思議な名無しさん :2017年03月01日 11:58 ID:Owhda7BB0*
※178宛続きその2
>後同時代の評価であるなら諸葛亮を大絶賛している陳寿が
>諸葛亮は軍事の人ではなかったという評論を残してますよね。

本当に陳寿の諸葛亮に対する評論をご存じなんですかあ?
陳寿が諸葛亮に対して詳細に論じた諸葛氏集においては
「諸葛亮はその武を輝かせた。」「諸葛亮の能力は軍隊の統率には
優れていたものの、奇策には長じていなかった。」
「政治の能力は将としての能力よりも優れていた。」
そして「兵力が相手よりも少なく、兵力の多い相手側が守る、
という普通とは異なる形であった為、勝利を得る事はできなかった。」
「昔の名宰相には優れた名将がいたものだが、諸葛亮にはそれがいなかった。」
「結局は北伐が成功しなかったのは天命というべきで、智略の及ぶ所では
なかったのだろう。」と述べているわけで。
よーするに、諸葛亮の能力は政治>軍事ではあったけど、
軍事的能力にも十分優れていて、北伐が成功しなかったのは
魏が兵力が多いにも関わらず守備貫徹をとった事、などが理由だと
しているわけで、結局は天命だった、と最大限にその軍事的能力を
擁護しているわけなんですが。

で、何度も聞いてるはずなんですけど、
同時代の評価で司馬懿>諸葛亮としている評価を
貴方は提示できないのでしょうか。
何度も聞かれてるのに、一度も提示できずにスルーなさるのは
如何なものかと思いますが。
182  不思議な名無しさん :2017年03月01日 12:13 ID:J.8v.plC0*
”司馬懿は諸葛亮以外の相手になら、
積極果敢な速攻によって勝利を収めている人物で、その勝利においては
守備命令貫徹の時よりも確実に被害が出ているはずですから、
貴方的には司馬懿は出さなくていい損害を毎度のように出して
守備命令貫徹よりも大きな損害による勝利を行い続けた無能、”
何故ケースバイケースが理解できないのですか?
戦争によって戦略も変わりますよね、対諸葛亮とその他の戦争の仕方が変わっても
おかしくないでしょう
んで、蜀との戦争では防衛戦のほうがメリットが大きかったからそうしただけで
むしろ戦局によって戦略を変えれないほうがまずいのでは?

”貴方のの理屈で言いますと、ファビウスはハンニバルよりも軍事的能力があり、
劉邦や章カンも項羽より軍事的能力がある、という話になるわけですか。
だったら最初から野戦で撃破すればいいじゃないか、という話になるだけだと”
今は諸葛亮と司馬懿の話ですよね、それぞれ戦争も戦局も戦略も時代も違うわけで
一緒くたに考えられる問題ではないでしょう。
少し短絡的に考え過ぎでは?

”その文章は、元々、貴方が「司馬懿が守備命令貫徹したのは
それが一番楽だったから。」「攻めてそれ以上の損害が出たらどうする」
と述べている事への返しです。その理屈だと、司馬懿は諸葛亮以外の相手なら
貴方が愚策という、積極果敢な速攻によって、貴方が非難する、”
対蜀の戦争での話ですよ。他の戦争と一緒にする意味がわからないのですが
それとも戦争は全部同じとしか理解できないってことですか?
183  不思議な名無しさん :2017年03月01日 13:07 ID:Owhda7BB0*
※182
ですから、それについての回答も、もう前のレスで
何度も十分に説明がされてますよね。
そのまんまお示しいたしますと、
そうですね。戦う相手によって戦い方を変えるのはとても重要な事ですね。
そして、司馬懿の必勝パターンである、積極果敢な速攻は
諸葛亮には通用しない、と司馬懿自身も魏朝廷も
認識していたと思われるわけで。
戦力的に圧倒的に優位な状況であっても、司馬懿の得意とする積極果敢な
速攻では、諸葛亮を撃破する事は難しい、守備命令でお引き取り願うしかない、
と司馬懿自身も魏朝廷も認識していたと思われるわけで。
十分に諸葛亮>司馬懿の認識を
示しているように思われるのですがねえ。
これについてちゃんと答えてもらえませんかねえ?

はいはい。相変わらず都合悪いところは必死で省こうと
していらっしゃるようですけど、それらの事例の人々も、司馬懿も、
実際に野戦とかでどうにもならなかったから、
持久戦略をとってるのも司馬懿と全く同じなわけですが、
一般的に彼らが相手側よりも軍事的能力によって勝っていた、という評価を
されている事はまずないと思うのですが。
そこら辺はどうお考えなのでしょうか?
184  不思議な名無しさん :2017年03月01日 13:08 ID:Owhda7BB0*
※182宛続き
はいはい。司馬懿が諸葛亮以外の相手になら、
毎度のように積極果敢な速攻によって勝利し、第4次では諸葛亮に対しても
それを行おうとしたけれど、逆に諸葛亮によって撃破される事になり、
諸葛亮に対しては戦力的に優位であっても、それを行う事が出来ない、
という時点で、諸葛亮>司馬懿を明白に示しているように思われますが
これだけ明白な条件であるにも関わらず、諸葛亮>司馬懿ではない、
という風に主張できるだけの、戦力的優位であるにも関わらず
速攻で撃破する事ができずに持久戦略を取らざるを得ないと司馬懿本人すら
認識していて、後世の人も同時代の人も諸葛亮>司馬懿と評価してるのに
それを覆すだけの特殊条件がどこに諸葛亮と司馬懿との戦いに存在するのか
是非とも示してほしいのですが。貴方が言い出されました事なのですから、
是非ともどのような特殊条件が存在しますのか、具体的に示して
いただきたいのですけど。

で、何度も聞いてるはずなんですけど、
同時代の評価で司馬懿>諸葛亮としている評価を
貴方は提示できないのでしょうか。
何度も聞かれてるのに、一度も提示できずにスルーなさるのは
如何なものかと思いますが。
185  不思議な名無しさん :2017年03月01日 13:12 ID:Owhda7BB0*
※182宛続きその2
で、さらにいいますと、ファビウスや劉邦、章カン達と
司馬懿は違う!と必死におっしゃってるようですけど、
ファビウス達がその相手側より軍事的能力において勝っていたと
一般的に評価される事はまずないように、
司馬懿も同時代においても、後世においても普通に諸葛亮>司馬懿、
と評価されているわけなんですけど、
これについてはどうお答えになるおつもりなのか、
是非ともお答えになってくださいねー。
186  不思議な名無しさん :2017年03月02日 12:55 ID:Ou3ETAwq0*
三国志好きが多いから偉ぶって持論を述べてるヤツ多いけど、六韜を諳んじられるだけでも驚異的な頭脳の持ち主。わずか20歳で学ぶものが無くなった、という天才であり、お前ごときがわかりうるはずもない。この異常なペースは例えるなら辞書を1日1冊のペースで暗記し続ける事に匹敵する。

そもそも関羽張飛がいるとはいえ、烏合の集でしかない玄徳軍をまとめ上げ国を作れる才覚など歴史上にも何人も存在しないだけでなく、死後も彼の作ったシステムのお陰で60年も存続出来た。玄徳のお人好しが無ければ魏も倒せていたかも知れない。蜀を乗っ取る気で居たのに玄徳が反対したお陰で時間が掛かり魏の力を付けてしまった。
187  不思議な名無しさん :2017年03月02日 17:25 ID:9OMQDSfo0*
目的を以って歩き続けて頂けたからです、
と、
心理学者でもありましたネ(笑)

死せる孔明生ける仲達を走らす、とかサ。

司馬懿帝も、凄い方、亮先生を見越されてたから、
部下の最先鋒方は、控えろヨっ!と警告したのに、
張郃将軍とか陥穽にはまる方もおられた、

我慢我慢の臥薪嘗胆を尽くされたが故、
御子息方、一族方から、贈号授与されました。

魏への尽し方ハンパ無い方です。
188  不思議な名無しさん :2017年03月06日 23:44 ID:24EnGuLP0*
実際は戦争ドヘタで相手より大軍でも曹真や郭昭すら抜けてないし人事下手。
政治手腕も塩の実権握ってた豪族まとめきれず専売も微妙だった。
締め付けもきつかったから劉備の時代より反乱増えてるしな。
それでも諸葛亮に頼ってたのはそれだけ人材がいなかったってことなんだけどね。
しょせん、三国志は三国鼎立ではなく1強2弱だから。
189  不思議な名無しさん :2017年03月06日 23:49 ID:24EnGuLP0*
※186
法を作ったのは麋竺や伊籍ら清流派の生き残りたちだし、
軍事は法正とか、陳到や魏延といった連中を取り込んだことのほうが大きい。
組織体系も劉巴や許靖なんて能力あるのがしっかりまとめてるんやで。
190  不思議な名無しさん :2017年03月08日 12:42 ID:3SuCipk10*
※188
いや、普通に当時の最強の司令官の一人である司馬懿を
何度も打ち破ってるし、曹真は諸葛亮の陽動策に引っかかって
三郡を攻略される事になってるし、陳倉はそもそも20日余分しか
兵糧を持ってきてなくて、第三次の為の陽動という説もある。
反乱は明らかに魏とかよりも少ないし、政策も色々なものを行って
普通に国内の政治を発展させて、何度も北伐を行えるだけの国力を
整えてるんですけど。第5次北伐とか、それまでで最大の大軍を
用意できるようになってますしね。

そうやって、必死に魏を持ち上げるなら持ち上げるで、
魏が何度も蜀や呉に攻め込んでも撃退されまくりだったり
合戦においても敗退しまくりだった事とかを
どう説明するのか疑問すぎなんですけどねえ。

念のため、官渡じゃ何にも決まってませんよ。
191  不思議な名無しさん :2017年03月08日 12:48 ID:3SuCipk10*
※189
なーにを言ってるんですかと。
法律を作ったの諸葛亮だとしっかり史書に書いてあるんですけどねえ。
伊籍 劉巴 法正 李厳といった人たちも協力したようですが、
諸葛亮が参加してないというのもまたおかしいでしょうに。

法正は北伐関係には関係してないですし、陳到も劉備死後には
対呉の抑えを担当してて、魏延がどうとか言ってますけど、
魏延なんか劉備生前には具体的な功績と言えば、
「蜀攻略に参加して数回手柄を立てて、下級の将軍に任じられた。」
としかないのに、なんでそんなに持ち上げようとなさるのかと。

劉巴も許靖も劉備陣営に参加するのは蜀攻略戦争の後なんですけど。
普通に劉備陣営の組織体制の構築を整えたのは諸葛亮で、
なんでこの人達の功績になるのかがよくわからないのですけどねえ。
192  不思議な名無しさん :2017年03月13日 17:43 ID:cTlMxtWi0*
韓信とか言う兵卒から見出されて当時最強の戦略家になったやつもおるしな
別に違和感はない
193  不思議な名無しさん :2017年03月14日 11:08 ID:Z6PsfY070*
基本的に文字になって現代まで残っている歴史書はリアルタイムで記録されたものではなく、数十年後に伝聞となっていたものを当時の歴史家が残したものなのだから、その歴史書が編纂された当時の王朝にとって都合の良いことがデフォルメされているだろうし、都合の悪いことは消去されているでしょ。

演義はそもそも小説なので信頼に値せず。
正史は晋代になって書かれたものだから司馬氏にとって都合の良いように書かれているでしょう。

真実なんて誰も知りようがないんだから妄想で楽しもうよ。
194  不思議な名無しさん :2017年03月16日 14:38 ID:kbUXCjaB0*
諸葛亮のこと悪く言われるの聞くだけで泣いてしまうところがあるから、今までこの手の話見なかったんだけど大変勉強になりました。
でも見ててもどかしくなる。ここにいるみんなで三国志の時代に行って実際のところ見てきたくなった。無理だけど。
195  不思議な名無しさん :2017年03月16日 20:35 ID:ydo.6Oug0*
※193
さすがにそれは無理ありすぎでしょ。
例えば、諸葛亮が司馬懿に野戦で大勝した事とかは、
陳寿が必死でオブラートに書いてて、
その後の歴史家とかが普通に書いてる事なんで、非常にわかりやすいし、
諸葛亮が同時代の人からも高評価なのも、その記録を元にしてるからだし、
そもそも三国志は魏・呉・蜀の三国の歴史の記録を陳寿が参照しつつ、
精査して書いたりしてるし、陳寿が書かなかった数々の事柄については
裴松之が注釈でまとめてたり、で色々と三国志についての資料は
「妄想でいい」とまで言われるような類のものじゃない位には
参考にする価値があると思うのですけどねえ。
196  不思議な名無しさん :2017年06月24日 11:41 ID:mCaW8P090*
諸葛亮は別に自分で戦略を発案したんじゃないよ
歴史書軍略書を読み漁りその都度状況に合った方法を進言しただけ
それがズバリだったから優秀な策略家として名を馳せた
そもそも単に晴耕雨読の生活をずっとしていた訳でなく今で言う専門学校的な?場所で多くを学んでいる(師について学んでいるって方が良いのか?)
要は知識が豊富で応用力が高かっただけ
人望は低かったから反抗されて夢半ばで散って逝った不遇と言えば不遇な人
197  不思議な名無しさん :2017年07月04日 15:32 ID:iUF5XOQi0*
※196
いや、諸葛亮は普通に後半生は軍司令官として多くの勝利を重ねているのですが。

人望もむしろ多くの逸話からして高い方ではないかと思うのですけれどねえ。
198  不思議な名無しさん :2017年07月06日 04:17 ID:9ZfpwAHx0*
劉禅が頭悪くなったのは赤子の頃に劉備に投げ落とされからなんかな
199  不思議な名無しさん :2017年07月08日 20:13 ID:Ih.RJTVx0*
諸葛亮は有能だが魏にいたらそこまで目立ったとは思えない というより魏の地方司令官レベルの人材なら同じ立場にいたら似たようことをやってのけられる可能性が高い
典型的な鶏口牛後だろう
200  不思議な名無しさん :2017年07月17日 20:10 ID:s6Upw1Gi0*
歴史オタ()の中には影が薄かったり無能扱いの人物をやたらヨイショし有能扱いの人物をやたら貶めるのが好きでそうする事で自分がいかに博識であるかをアピールしたいだけの自慢したがり知ったか野郎がたくさんいるのでこいつらの意見はまるであてにならない
結局本当によく知ろうと思ったらネットの住人なんぞ頼らない方がいい
201  不思議な名無しさん :2017年07月17日 20:23 ID:uvTqcSzp0*
オマエラ三国志大好きだな。
中国人もビックリだ。
202  不思議な名無しさん :2017年07月23日 09:54 ID:vbBn569f0*
北伐ってあれは「勝つ」為にやった戦争じゃないよ。
自国を「漢の再興」というスローガンで一つに纏める為に行っていたデモンストレーション。
しかもあんな大国相手に損害ほぼゼロで五回も繰り返して「成功」させてたんやで。
そりゃ国力や兵站も考えない長安奇襲なんて「成功しても自滅まっしぐら」な下策を採用する訳がない。
203  不思議な名無しさん :2017年07月31日 08:44 ID:bvMpcrxE0*
孫子の兵法書を基準にするなら"戦わずして勝つ"が最上の勝ち方。
城を攻めるには守りの10倍兵を擁する故に如何に城外に出させるかが重要。

司馬懿は最上の方法を採り、孔明は城外に出せなかった。(大まかに言って)
孔明が負けるのは当然ですね。
204  不思議な名無しさん :2017年08月11日 00:56 ID:LWNlZFap0*
長安を奇襲して万が一に成功しても蜀が逆転勝利なんて出来ないだろうよ
それなのに頭が硬いってどんな事を妄想してらっしゃるんだろうか
205  不思議な名無しさん :2017年09月02日 03:11 ID:5ov51pZW0*
孔明が頭良かったんじゃなくて周りがみんな馬鹿だったからじゃないのかな。だって狭い川で船連結したら燃やされたら終了って分かる事じゃん。
周りが馬鹿なら三国志はつじつまが合う。
206  不思議な名無しさん :2017年09月23日 18:33 ID:JF7.MoK.0*
※205
まぁ所詮2000年近く前の話ですし、お寿司
諸葛亮はクラウゼヴィッツの戦争論的には目的達成はできてないから
近代戦争の価値観としては勝ちではないんだけどね。
207  不思議な名無しさん :2017年09月26日 22:21 ID:u6zd7QbX0*
本いっぱい読んでるやつって実践がクソみたいな固定観念あるけど、なかには本いっぱい読んでてその上実践もできる要領いいやつっていっぱいいるじゃん
というかむしろ東大クラスってそういうやつばっかだし
孔明もそのクチなんじゃないのかね
208  不思議な名無しさん :2017年09月26日 23:25 ID:v2mwdez30*
中国の官僚の優秀さのレベルは想像を遥かに越えるからな。
今だって11億の人口と30以上の民族を統治してるからね人口1億程度でほぼ単一民族の日本の政治家や官僚とは優秀さの次元が違うよ。
209  不思議な名無しさん :2017年09月29日 23:47 ID:5DFTbQIY0*
自分が読んだ本によると荊州にいるときただ晴耕雨読してる
だけでなく地元の名士としっかりとコネを作っていたらしい。
それが劉備が赤壁後の荊州での地盤を固めるのに役立ったらしい。
あと北伐に関しては恩賞問題もあったらしい。
魏を倒せば恩賞で豊かで広い土地がもらえるという
夢や希望を持たせるという意味もありそうやって求心力を保たせたと作者は推測していた。
あとはやっぱり劉備にきちんとした戦略を説いたのが大きな
功績なんじゃない?
曹操に荀彧が献帝を補佐して国を固め大きくしていくという戦略を
説いたように。
210  不思議な名無しさん :2017年09月30日 15:31 ID:5Z7G8RR20*
あのなぁ、当時の内陸は疲弊して戦争どころじゃない。
大きな戦は官渡と淮南三叛程度。名のある武人は多いけど三国時代で将といえるのは曹操と鄧艾だけだよ。
211  不思議な名無しさん :2017年10月04日 13:34 ID:hIMICRWy0*
ホウ統と法正、軍事に強い二人が二人ともさっさと死んだからなあ
孔明も内心は
「えぇー・・・こいつらマジかよ・・・」
って思ってたと思う
212  不思議な名無しさん :2017年10月29日 10:43 ID:gHghuG040*
三国志時代の鎧って本当にあんな煌びやかなやつだったの?
兵馬俑みるとそれっぽいけど。
213  不思議な名無しさん :2017年11月02日 23:54 ID:9klX.cNe0*
負けては逃げ負けては逃げばっかだった劉備軍団が他勢力の力借りずにまともに勝ちだしたのは孔明が参入してから。
土地を持たない傭兵集団をまともな組織に変えたのも孔明と言える。
214  不思議な名無しさん :2017年11月07日 21:33 ID:wpayHwEW0*
まぁ周りがみんな馬鹿だったんだろうな…。

 
 
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