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    10

    彡(゚)(゚)「世界各国の旧君主家の方々」 ハプスブルク家編

    84: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)15:58:14 ID:a6h
    ハプスブルク家の書き溜めていた部分を投下する
    すげえ今さらなんだけどおんJってageてもいいの?


    オーストリア ハプスブルク家 オーストリア大公 継承法:セミ-サリカ法

    カール・ハプスブルク-ロートリンゲン


    no title


    彡(゚)(゚)「ハプスブルク家。世界的に見ても有名な君主家と言えるな。
         原ちゃんも少し位なら知っとるやろ?」


    (´・ω・`)「神聖ローマ帝国とかカルロス2世とか歴史の授業で叩き込まれたね」


    彡(゚)(゚)「せやな。ではまずハプスブルク家の説明をするで」
    前回:彡(゚)(゚)「世界各国の旧君主家の方々」
    http://world-fusigi.net/archives/8794369.html

    引用元: 彡(゚)(゚)「世界各国の旧君主家の方々」







    85: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)15:58:45 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「ハプスブルク家の成員は16世紀以降は全員
         “オーストリア大公(Archduke)”の称号が冠せられる。
         これは14世紀のハプスブルク家当主のオーストリア公爵ルドルフ4世が
         大公を僭称した事が由来や」


    彡(゚)(゚)「その後ハプスブルク家は神聖ローマ帝国 現在の国家でいうドイツ、オーストリア
         チェコ、スイス、リヒテンシュタイン、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、
         スロヴェニアに加えてフランス東部に北イタリア、ポーランド西部を支配し
         更にスペインをも支配したんや」


    no title
    (1547年時点の地図 緑色の部分が当時のハプスブルク家の領土)


    (´・ω・`)「改めて考えると本当に“日の沈まぬ大帝国”だね」


    彡(゚)(゚)「せやな。ただこれらの経緯を説明すると長くなるし、
         わいよりも詳しい方もいらっしゃると思うからカットさせてもらうで」

    86: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)15:59:06 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「それで神聖ローマ帝国は300の領邦国家で構成されとったんやが
         1648年に締結されたヴェストファーレン条約で
         神聖ローマ帝国のそれぞれの領邦の独立が認められて神聖ローマ帝国は分裂状態になったンゴ」


    (・ω・`)「それは世界史の授業でもやるし有名な話だよね。なんか特筆することがあるの?」


    彡(゚)(゚)「焦るな ここで重要なのは“領邦国家が独立した”と言う事や。
         これは“その領邦を支配していた貴族は国家の君主になった”と言う事でもあるで」


    彡(゚)(゚)「ほんでスペインはカルロス2世に子供がおらへんかったから手放して
         神聖ローマ帝国の領邦国家の中でも小さな国は
         当時ナポレオンが大暴れしていたのを理由に
         領邦国家の中でも大きな国であるザクセンやバイエルン等に併合され」

    87: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)15:59:34 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「小さな国を統治していた君主は皇帝直属の臣下の身分を失って、
         大きな国の家来となったしまったんや これが所謂陪臣化や。
         そして併合された元君主家はメディアタイズドハウスと呼称されている」


    (´・ω・`)「あー上でメディアタイズドハウスがどうのこうの言ってたけどこれの事か」


    彡(゚)(゚)「その後ナポレオンが没落して神聖ローマ帝国は1806年に解体されたんや。
         ほんで1815年のウィーン会議によって復古体制が築かれたんやが、
         神聖ローマ帝国は解体されっぱなしで復活せんかったし
         小さな領邦国家の君主も大きな領邦の陪臣のままで領地も戻らへんかった」


    彡(゚)(゚)「やがヨーロッパ各国はこの小さな領邦の君主、
         メディアタイズドハウスの構成員は位としては君主家と同格とみなし、
         君主家の構成員とメディアタイズドハウスの構成員との結婚は“身分の等しい結婚”であり
         貴賤結婚にはならないとしたんや」

    88: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:00:10 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「通常君主家の構成員と国の大貴族以下の位の人間と結婚するのは
         貴賤結婚とみなされていたから、
         メディアタイズドハウスの構成員は大貴族よりも位は上とみなされていたと言う事やで」


    彡()()「長くなったけどこれがメディアタイズドハウスの概要です。
        神聖ローマ帝国を支配していたハプスブルク家を説明するのなら今ここで
        メディアタイズドハウスの事もやっとくのがベストかと思いました。
        話が完全にずれてごめんなさい」


    彡(゚)(゚)「話を戻すで。こうして神聖ローマ帝国は崩壊しさらに1859年の
         第2次イタリア独立戦争でサルデーニャ王国に敗北したことでロンバルディア地方を失う」


    彡(゚)(゚)「そして1866年の普墺戦争で大敗したことで帝国はドイツの統治権を失い、
         ドイツはドイツ帝国として独立する」


    (´・ω・`)「へっぼwwwwぺぺーちょwwwww」

    89: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:00:42 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「こうしてハプスブルク家は領土を大きく失ったんやがそのあとすぐ持ち上がった話が
         オーストリアとハンガリー他の国の領土(ハンガリー王冠領)を二分化して
         ハプスブルク家の当主をオーストリア皇帝、ハンガリー国王(および他の国の君主)として
         領土を二重に支配するという形式 つまりアウグスライヒや」


    彡(゚)(゚)「ハンガリーはもともと1526年のオスマン帝国との戦争で敗北してから、
         その領土をオスマン帝国とオーストリア帝国で分けていたんや。
         やからオーストリアとは歴史的な関係があった」


    彡(゚)(゚)「アウグスライヒはハンガリー司法相にしてマジャール人(ハンガリーの民族)の
         指導者デアーク・フェレンツとのちに首相となるアンドラーシ・ジュラによって推進され」


    彡(゚)(゚)「外務相(元ザクセン首相)のフリードリヒ・ボイストと交渉して
         無事にアウグスライヒは執行されたんや」


    彡(゚)(゚)「先に書いたハンガリー王冠領は現在でいうハンガリー、スロバキア、ウクライナ、
         ルーマニア、クロアチア、セルビア、スロヴェニア、ポーランドで構成されとる」

    90: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:01:20 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「そしてハンガリー国王の位をオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が兼任したんや」
     

    彡(゚)(゚)「フランツ・ヨーゼフ1世は1830年生まれで4兄弟の長男。
         フランス革命が原因となって勃発した1848年革命のごたごたで
         オーストリア皇帝に即位したんや」


    no title
    (22~3歳頃のフランツ・ヨーゼフ1世)


    no title
    (高年期頃のフランツ・ヨーゼフ1世)


    彡(゚)(゚)「1854年にはバイエルン王国公女エリーザベトと結婚。
         エリーザベトは現在でも“シシィ”として有名やな」

    91: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:01:50 ID:a6h
    彡(-)(-)「やがフランツ・ヨーゼフ1世には苦難が続いた。
         帝位継承者のルドルフ皇太子は謎の怪死を遂げ
         エリーザベト皇后は旅行先のスイスのジュネーブで殺害
         崩御した報せを受けた皇帝は硬直したかのように立ち尽くしてから書斎の机の椅子に沈み
         両手で顔を覆って泣くと“この地上ではあらゆる不幸が私を襲う”と呟いたそうや」
         

    彡(-)(-)「“この世では余に残されたものは何もない”だとも伝えられとるで
         その後皇帝は肉親の不幸が重なる度に“我は見捨てられし者なり。
         最後の息の絶えるまで戦う者なり。名誉のうちに滅びゆく者なり”と
         漏らすようになったそうや」


    彡(゚)(゚)「話を戻そうか。ルドルフ皇太子にはエリーザベト大公女という娘しかおらんかった
         ハプスブルク家はセミ・サリカ法。男子が全員帝位を継承出来なくなった場合にのみ
         大公女の息子に帝位継承権を与えるという風に決まっていたんや」


    彡(゚)(゚)「かのマリア・テレジアも父の神聖ローマ皇帝カール6世以外にハプスブルク家に男子が
         おらへんかったからハプスブルク家の家督となったんや。
         まぁ代打バッターと考えて貰えばええで」

    92: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:02:52 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「フランツ・ヨーゼフ1世の子供はルドルフ皇太子を除けば娘しかおらんかったから
         帝位継承出来ず、皇帝の弟のカール・ルートヴィヒ大公が帝位継承者になったんや」


    no title
    (皇帝の弟のカール・ルートヴィヒ大公)


    彡(-)(-)「カール・ルートヴィヒ大公は1896年に皇帝に先んじて薨去したからその長男、
         つまり皇帝の甥のフランツ・フェルディナント大公が次の帝位継承者に目されたんや」


    no title
    (皇帝の甥のフランツ・フェルディナント大公)


    彡(゚)(゚)「フランツ・フェルディナント大公は1863年生まれ。
         20歳の時にオーストリア=ハンガリー帝国陸軍のプラハの歩兵連隊に配属されて、
         1885年に大尉、1888年に少佐、1890年に大佐、そして1896年に大将に昇進したんや」
         

    彡;(゚)(゚)「それでフランツ・フェルディナント大公と皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は・・・
         端的に言うと非常に仲が悪かった」

    93: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:03:18 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「まず思想。皇帝はアウグスライヒで民族と国家同士の融和を推し進めようとしたんや。
         例えばウィーン市会選挙でカール・ルエーガー率いるキリスト教社会党が大勝した時
         その反ユダヤ思想と扇動的な面を問題視してルエーガーの市長就任を拒否した事があるで」
         

    彡(゚)(゚)「大公は帝国においてマジャール人が優遇されすぎているのを疑問に抱き、
         帝国の中央集権化を推し進めてチェコやクロアチア等を構成している
         スラヴ人の待遇を改善させてからスラヴ民族国家を帝国内部に設立し、
         現在の二重帝国ではなく三重帝国にしようとしたんや。」


    彡(゚)(゚)「1910年の国勢調査によると帝国内におけるオーストリアのドイツ人の占める割合が全体の23%
         ハンガリーのマジャール人の占める割合が全体の19%」


    彡(●)(●)「やが帝国内のチェコ人やセルビア人といったスラヴ人が占める割合は全体の44%と
          上記のドイツ人とマジャール人を合わせた割合よりも大きかったんや。
          フランツ・フェルディナント大公が三重帝国を推し進めたくなるのも分かるやろ」


    (;´・ω・)「スラヴスラヴスラヴ!どいつもこいつもスラヴ!」

    94: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:03:55 ID:a6h
    彡(-)(-)「セルビアは特に帝国への反発が強くてな。マケドニアやモンテネグロといった
         過去にセルビア人が支配していた国はセルビアが再度支配すべき。
         という思想を元とした大セルビア主義などの急進的な動きを抑制したいという思いも
         フランツ・フェルディナント大公は持ち合わせていたで」


    彡(゚)(゚)「大公はクロアチアの政党のクロアチア権利党が主張した
         クロアチア、スラヴォニア、ダルマチアを大クロアチアの名のもとに統一し、
         南スラブ族にマジャール人と同じ地位を与え、
         帝国を三重帝国にするという案も支持していたそうや」


    彡(゚)(゚)「また皇帝はいずれロシアとの開戦は不可避と考えて、
         ドイツとの同盟関係を緊密にしようとしたんやが
         大公はロシアとの関係を改善してオーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ、ロシアとの
         三帝同盟を復活させるべきと訴えたで。」


    彡(゚)(゚)「ロシアもスラヴ人国家やから、チェコやセルビア等の国々はロシアにシンパシーを
         感じている部分も多々有ったんや。」

    95: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:04:38 ID:a6h
    (´・ω・)「何かこれだけ見ていると大公の案の方が現実味があるように思えるね」


    彡(゚)(゚)「せやな。スラヴ人の自治意識には帝国もほとほと困っていたから
         大公は何とか折り合いを付けようとしたんや」


    彡(●)(●)「・・・スラヴ人達の自治意識が年を経るにつれて増大し、
          後に帝国に牙をむく事を理解しとったから大公は妥協を模索したんやろうか・・・」


    彡(-)(-)「とまぁこのように皇帝とフランツ・フェルディナント大公の思想・傾向は
         全く異なっており両者には衝突が頻発したンゴ
         大公の意見は皇帝や宮廷から支持を取り付けられず、大公はかなり煙たい存在となっていたで。」


    彡(-)(-)「おまけに大公はある理由で皇帝から顰蹙を買っていたんや それは・・・」


    彡(●)(●)「大公がチェコの伯爵令嬢のゾフィー・ホテクと位違いな交際をしとったからや」


    no title

    96: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:05:24 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「大公がゾフィー・ホテクと出会ったのは1888年。
         当時少佐だった大公はプラハでゾフィーと出会い、
         ダンスを共にしたことで恋に落ち交際を始めたそうや」


    (´・ω・`)「おば様方が涎垂れそうな展開ですこと」


    彡(゚)(゚)「ゾフィーはチェコのボヘミアのホテク伯爵家の出身。
         ホテク家は18世紀半ばに興り、父のボスグラフは外交官でヨーロッパ各地の大使などを歴任
         母方の家のキンスキー家も伯爵家だったんや」


    (´・ω・)「あれ?顰蹙買ったっていうから下の下の位かと思ったけど結構由緒正しい家柄じゃん
           農民とか奴隷ならともかく」


    彡;(゚)(゚)「これがな・・・ハプスブルク家は当時世界一貴賤結婚に厳しかったと噂されとってな
         例えば上に書いたメディアタイズドハウスだと公爵家や侯爵家があるんやが
         公爵家の娘と結婚するのは普通に可能なんやが侯爵家以下の娘と結婚するのは
         皇帝の直々の許しが無いと不可能だったんや」

    97: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:05:54 ID:a6h
    彡;(゚)(゚)「特にこだわっていたのが“君主家の定義”や。
          例えばベルギーにリーニュ公爵家という領主家があるんやが、
          他の君主家だと大抵の場合君主家とみなしている。」


    彡;(゚)(゚)「やがハプスブルク家はリーニュ公爵家が過去に自領を大きく売り払った事に注目し、
          当時は君主家とみなさなかったンゴ」 


    彡()()「このハプスブルク家の継承法は独特かつ今でも謎が多い。
        2015年にオーストリアの歴史家が謎を解明した話があったんやが続報は出とらん」


    (・ω・`)「考古学みたいな話になってきたね」


    彡(゚)(゚)「話を戻すとホテク伯爵家はそれなりに由緒正しい家柄やけど
         メディアタイズドハウスに含まれておらんから貴賤結婚にあたるとされたで
         おまけに没落気味で貧乏やったし」


    彡(゚)(゚)「ちなフランツ・フェルディナント大公とゾフィーの交際がばれたきっかけというのは
         大公は皇帝の又従妹にあたるフリードリヒ大公の家に毎週通っていてな。」


    no title
    (テシェン公爵にしてオーストリア大公フリードリヒ)

    98: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:06:45 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「フリードリヒ大公には娘が三人おったから、フリードリヒ大公の妻イザベラ大公妃は
         娘を大公に輿入れさせようとしていたんや。」


    彡(゚)(゚)「ある日フランツ・フェルディナント大公が城内のテニスコートに懐中時計を忘れてな
         当時は懐中時計の蓋の裏に恋人の写真をはめ込む事が流行っとったもんやから、
         イザベラ大公妃が裏を盗み見たら家に女官として働いている
         ゾフィー・ホテクでびっくり仰天・・・という話や」    


    彡(゚)(゚)「皇帝がフランツ・フェルディナント大公の友人、親戚、教会の関係者を総動員して
         交際に諦めるよう圧力をかけたんやが、大公とゾフィーの意志は固く、
         皇帝から“帝位か結婚がどちらかを選べ”と言われた際も大公はその両方を望み」


    彡(゚)(゚)「また大公が皇帝に送った書簡には“伯爵令嬢との結婚は私にとって、
         これからの人生で私がこうありたいと願い、またそうであるべき人になるための方法なのです。
         もし結婚できなければ、私は苦悩に満ちた人生を送らざるを得ないでしょう”と記されとる」


    彡(゚)(゚)「こんなやり取りが延々繰り返されたんやがエリーザベト皇后が暗殺されたことをきっかけに
         フランツ・フェルディナント大公の継母のマリア・テレジア大公妃が説得し、
         結果皇帝はようやく結婚を認可したんや」


    (´・ω・)「おお大公妃やるじゃん」

    99: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:07:20 ID:a6h
    彡(-)(-)「やがそれには条件があった。それは“フランツ・フェルディナント大公は
         帝位継承者としての地位は承認されるがゾフィーが皇后になることは許されない。
         また夫妻の間に生まれる子供に帝位継承権は付与されない”とな」


    彡(゚)(゚)「要するに大公としての権限、身分はフランツ・フェルディナント一代限りで
         子供達及び子孫は皇族扱いされないという事や」


    (´・ω・`)「きっついけどこれでも皇帝は大分譲歩したよね・・・」


    彡(-)(-)「せやな。本来だったら大公は帝位継承権を剥奪されてもおかしくないで」


    彡(゚)(゚)「ゾフィーはホーエンベルク公爵妃という称号が授与され、
         夫妻には1人の娘と2人の息子、計三人の子供に恵まれたんや。
         ちなホーエンベルク公爵位は後に長男のマクシミリアンが継いだで」


    no title
    (夫妻の長男のホーエンベルク公爵マクシミリアン)

    100: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:07:47 ID:a6h
    彡(-)(-)「ホーエンベルク公爵家は帝国内で二つしか存在しない公爵(duke)家でな
         帝国内ではオーストリア皇族(ハプスブルク家の構成員)に準じる位なんやが、
         勿論皇族ではない。
         ゾフィーと子供達は皇族の集いに参加する際には、
         最後列に並ぶ事を余儀なくされたりと冷遇されとった」


    彡(゚)(゚)「こんな状況やったから皇帝や宮廷は大公の弟の息子、
         つまり甥のカール大公に注目しとったんや」


    no title
    (フランツ・フェルディナント大公の甥のカール大公)


    彡(゚)(゚)「カール大公の説明の前に父のオットー大公について説明するで」


    no title
    (カール・ルートヴィヒ大公の次男のオットー大公と妻のマリア・ヨーゼファ大公妃)

    101: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:08:31 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「オットー大公は1865年生まれ。兄のフランツ・フェルディナント大公は
         軍や政治に精通していたけども、オットー大公は軍事や政治には疎く、
         それよりも絵画やろくををまわして陶器の制作に励んだりと芸術を嗜んでいたんや」


    彡;(゚)(゚)「やが・・・オットー大公は奇行が多いことで知られとってな。」


    彡()()「泥酔した状態でホテルザッハーに金羊毛勲章以外身に着けていない全裸の状態で現れたとか
        カフェで全裸で踊るのが趣味とかお椀に入ったほうれん草を皇帝の胸像にぶちまけたりとか
        妊娠中の自分の妻マリア・ヨーゼファ大公妃を侮辱して、
        話を聞いて怒った皇帝に殴られたとかそんなエピソードばかりや」


    彡()()「付いたあだ名が“麗しのオットー大公”やから推して知るべしと言ったところか」


    (´。ω゚`)「さすが奇行種と褒めてやりたいところだぁ」


    彡(゚)(゚)「やがオットー大公は政治的にはのんぽりかつ陽気な性格で、
         人にそれなりに好かれとったから、シュランペライ(役人が法律や規則を守って
         仕事をするのではなく、役人個人の打算的な思考から行われるぞんざいな仕事ぶり)な宮廷では
         自分の意見をごり押しする頑固なフランツ・フェルディナント大公より、
         オットー大公に期待を寄せる者も多かったで」

    102: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:09:09 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「ついでに言うとその時期フランツ・フェルディナント大公は結核を患っとってな。
         そういうのも兼ねてオットー大公に期待したというのもあるやろうな
         ちな結核は後に普通に治ったンゴ」


    彡(゚)(゚)「オットー大公は不摂生が祟ったのか梅毒を発症し1906年に薨去したで。」


    彡(゚)(゚)「大公には二人の息子がおってな。長男が前述したカール大公や」


    彡(゚)(゚)「カール大公は1887年生まれ。母親のマリア・ヨーゼファ大公妃の影響と
         父のオットー大公を反面教師にしたんやろうか、真面目で敬虔なクリスチャンでな
         子供の時、放り投げた木の枝が聖母の聖堂に当たった時は
         “聖母を傷つけてしまった”と泣いた事もあったんやと」


    彡(゚)(゚)「カール大公は16歳で軍に入隊しボヘミアで数年間軍務に就いていたようや」


    彡(-)(-)「はっきり言ってカール大公の存在感は帝位継承者としては最初は全く無かった。
         というのはカール大公は皇帝の弟の孫であり、生まれた当時はルドルフ皇太子や
         カール・ルートヴィヒ大公が存命していたから誕生当時の帝位継承順位は第5位」

    103: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:09:38 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「カール大公誕生の報せは宮廷関連の報告と共に小さく載せられたに過ぎないで」


    彡(゚)(゚)「だがルドルフ皇太子の怪死や祖父と父の死が重なった事で、
         帝位継承順位は繰り上がったんや」


    彡(-)(-)「そして何よりもカール大公はある点でフランツ・フェルディナント大公よりも
         好意的に見られていた それは・・・」


    彡(゚)(゚)「後にカール大公の妻となるブルボン-パルマ公女ツィタの存在や」


    no title


    彡(゚)(゚)「生まれのブルボン-パルマ家は、スペインの君主家のスペイン-ブルボン家の分家でな
         ブルボン-パルマ家が代々統治していたパルマ公国は今でいうイタリアのパルマ地方を
         統治してたんやが、1860年にサルデーニャ王国に併合されたんや。」

    104: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:10:09 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「それ以降パルマ公族はオーストリア=ハンガリー帝国によって庇護されたんや」


    彡(゚)(゚)「ツィタの父はパルマ公国最後の君主のロベルト1世。
         ロベルト1世は生涯で2人の妻を娶り計24人の子供が生まれツィタは17番目の子やった」


    no title
    (パルマ公爵ロベルト1世)


    (・ω・`)「お兄ちゃん、ロベルト1世はハツカネズミか何かで?」


    彡(゚)(゚)「ハプスブルク家の庇護下にあったブルボン-パルマ家は当然ハプスブルク家と仲が良く
         ツィタとカール大公は幼少期の頃から付き合いがあった。
         一時期疎遠になったんやが、両者は後に再び邂逅し結婚まで行く仲となったんや」


    彡(゚)(゚)「カール大公はフランツ・フェルディナント大公よりも好意的に見られたと言及したけども
         その理由はツィタの家柄や。」

    105: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:10:44 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「ブルボン-パルマ家はスペイン-ブルボン家のカトリックの分家であり、     
         ブルボン家は元を辿ればフランスのカペー朝を開いたユーグ・カペーの血を引く、
         欧州でも一二を争うほどの名門や」


    彡(゚)(゚)「つまりツィタはハプスブルク家が定めた
         厳しい同等結婚の課題を、全てクリアしている人物だったんや」


    彡(-)(-)「もっともフランツ・ヨーゼフ1世にとってはカール大公とツィタ公女の結婚は
         寝耳に水だったらしく、それ以前から皇帝は色々とカール大公の為に
         結婚相手を思索しとったんやと。
         だがツィタ公女がパルマ公国の公女であると知ると皇帝は納得して結婚を祝福したで」


    彡(゚)(゚)「そしてカール大公とツィタ公女は1911年10月21日 
         オーストリアのシュバルツアウのブルボン-パルマ家所有の城館にて挙式を行ったで」


    https://www.youtube.com/watch?v=UOWQC7bZb2w

    (カール大公とツィタ公女の結婚式)

    106: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:11:07 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「結婚式にはハプスブルク家の人々やバイエルン王国王太子ループレヒト
         スペイン-カルリスタ系ブルボン家の当主マドリード公爵ハイメといった
         多くの君主家の構成員が駆け付けたンゴ」


    彡(^)(^)「カール大公はツィタに結婚指輪を渡す際にラテン語で
         “Sub tuum praesidium confugimus, sancta Dei Genitrix
         (私達の昇天は聖母が保障してくれるだろう)”と言ったそうやで」


    (´;ω;`)「甘酸っぺえええ」


    no title
    (中央の2人がカール大公とツィタ公女 右端の男性がフランツ・ヨーゼフ1世)


    彡(゚)(゚)「皇帝は“今日の盛大な祝宴に集まった皆様を喜ばせてくれたこの結婚は、
         私にとっても大きな喜びと満足を与えてくれました。
         カール大公は、人生のパートナーとしてパルマ家のツィタ公女を選んだのです。
         この選択が幸多からんことを祈り、ハプスブルク家の一員となったツィタ公女を
         心から歓迎します”と述べ祝杯の音頭をとったで」

    107: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:11:33 ID:a6h
    彡(^)(^)「フランツ・ヨーゼフ1世の喜びようは凄くてな。皇帝は基本写真に撮られるのを嫌がるんやが
         この日に限っては喜んで写真を撮らせたというで まぁ調子に乗りすぎて後日風邪に罹り
         ベッドの上で咳き込みながら“ああ、シュバルツアウの災いの日よ”と罵ったんやけど」


    (´・ω・`)「コラァおじいちゃん無茶すんなー」


    彡(゚)(゚)「そして翌年の1912年11月20日に・・・」


    彡(^)(^)「長男のオットー大公殿下がお生まれになられたんや!」


    no title
    (幼少期のオットー大公殿下)


    彡(゚)(゚)「オットー大公殿下の洗礼名はフランツ・ヨーゼフ 
         この名は帝位を継ぐ事を念頭に入れた名前やったで。」

    108: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:12:01 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「オットーという名はカール大公の父から取ったセカンドネームなんやが
         カール大公ら家族は殿下をオットーと愛称しとってな。
         殿下ご本人もオットーという名に愛着があったそうや
         ちな当時の公式文書等は殿下を“フランツ・ヨーゼフ・オットー”と記述しとるで」


    no title
    (フランツ・ヨーゼフ1世とオットー大公殿下
     “ERZHERZOG FRANZ JOSEF OTTO”と記されているのが確認出来る)


    彡(^)(^)「夫妻にはこの後も子供が相次いでお生まれになったんや
         1914年には長女のアーデルハイト大公女殿下、1915年に次男のローベルト大公殿下
         1916年に三男のフェリックス大公殿下、
         1918年に四男のカール・ルートヴィヒ大公殿下
         1919年に五男のルドルフ大公殿下、1921年に二女のシャルロッテ大公女殿下
         1922年に三女のエリーザベト大公女殿下がお生まれになられたで」


    no title
    (左からオットー大公殿下、アーデルハイト大公女殿下、ローベルト大公殿下
     フェリックス大公殿下、カール・ルートヴィヒ大公殿下、ルドルフ大公殿下
     シャルロッテ大公女殿下、エリーザベト大公女殿下)

    109: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:12:37 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「そのころの帝国の状況はというとハンガリーのマジャール人の動きが活発化
         マジャール人はオーストリアの勢力を弱めようと、
         独自の軍旗と紋章を掲げたハンガリー軍の設立しようとしたんや」


    彡(゚)(゚)「ついでに軍での指揮言語を今までのドイツ語からハンガリー語に変えて、
         ハンガリー精神に基づく将校の育成を目指したンゴ」


    彡;(゚)(゚)「これには流石の皇帝も帝国への愛国心を示さず身勝手で危険な思想と怒ったそうや」


    彡;(゚)(゚)「せやから皇帝はそれを戒める為に軍隊に対するマジャール人の特権、軍の統一性
          指揮言語であるドイツ語への侵害を一切許容しないと宣言したんや」


    (´・ω・)「嫌な予感しかしないんだけど」

    110: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:13:10 ID:a6h
    彡(●)(●)「その予感は大当たりやで。国会の議事は妨害され街頭では暴動が起こり、
          1890年代のバデーニ危機(チェコの領地のボヘミアとモラヴィアの
          行政機関で使う言語はドイツ語とチェコ語で行う事にするから、
          ボヘミア在住のドイツ人行政関係者もチェコ語を覚えろとの言語令が発布された時に
          帝国在住ドイツ人が起こした暴動)に匹敵する勢いになったんや」


    彡(-)(-)「せやから結局ハンガリー軍旗の使用、ハンガリーにおける軍事裁判での
         ハンガリー語による審理、帝国軍でのハンガリー人将校の採用、
         学校におけるハンガリー語の普及などが決定されたんや」


    彡(-)(-)「ハンガリーがええなら俺も俺もとチェコ人は州都のブルノに
         チェコ人専用の大学を創設しろだの、ニーダーエスターライヒ州に
         チェコ人用の小学校を作れ、ボヘミアの軍隊にはチェコ語を導入しろだの」


    (´・ω・)「調子こいておりますねぇ」


    彡(-)(-)「この状況を危惧したフランツ・フェルディナント大公は皇帝に改革案を提出したんやが
         皇帝はそれに目を通しながらこう答えたらしいで」

    111: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:13:32 ID:a6h
    彡(-)(-)「“・・・この国にあっては、信じがたいような複雑な要因が
          幾重にも積み重なっている。しかも勇気のある人間が欠如している。
          このような状態で、国家の正しい指針を見出すなど、ほとんど不可能に近い”と」
          

    彡(-)(-)「大公は居住しているベルヴェデーレ宮殿の中で懇意の人物とよく話し合っててな
         大公に近い人物にはスロバキア独立に関わり、
         後にチェコスロバキアの首相となるミラン・ホッジャもおったで」


    彡(゚)(゚)「このように大公と密接にかかわった人達を指して“影の内閣”
         ひいてはベルヴェデーレ派と皮肉られたんや
         ちな皇帝に近い立場の人間はシェーンブルン宮殿にちなんで、
         シェーンブルン派と呼称されとった」


    彡(-)(-)「オーストリア社会民主党の議員だったカール・レンナーはこの混沌とした状況を
         1910年3月の国会でこう言及したそうや
         “我々はもはや君主政体、1人の君主など持っておりません。二頭政治の状態、
          シェーンブルン宮殿とベルヴェデーレ宮殿との間の競争状態にあります”とな」


    (´・ω・`)「帝国がどうなるかコレガワカラナイ」

    112: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:13:55 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「1908年にオーストリア=ハンガリー帝国はオスマン帝国領の
         ボスニア・ヘルツェゴビナを青年トルコ人革命の混乱に紛れて併合を宣言。
         ボスニアには数多くのセルビア人がおったから、
         この併合はセルビア王国との仲をより一層悪くするものだった」


    no title
    (ボスニア・ヘルツェゴビナの一件を描いた風刺画)
         

    彡(-)(-)「1912年にはアルバニア人騎兵部隊のオスマン帝国への反乱を口実として
         ブルガリアやセルビアを始めとしたバルカン同盟はオスマン帝国に宣戦布告
         これがバルカン戦争の始りや。
         オーストリア=ハンガリー帝国はオスマン帝国側に付き、セルビアらと交戦したで」


    彡(゚)(゚)「この状況の中でセルビア軍の大佐にしてセルビア民族主義者の
         ドラグーティン・ディミトリエビッチが作りだしたのが黒手組や。
         黒手組は大セルビア主義を奉じテロも辞さない連中で、
         1911年にフランツ・ヨーゼフ1世暗殺を計画していた過激派や」


    no title
    (黒手組の主導者ドラグーティン・ディミトリエビッチ 通称“アピス”)


    (´・ω・`)「(黒手組といいアピスといい厨二心をくすぐる名前してるなぁ)」

    113: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:15:11 ID:a6h
    彡(-)(-)「そして1914年6月28日 大公夫妻は帝国軍の大演習の視察の為に、
         ボスニア・ヘルツェゴビナの首府サラエボに訪問。」


    彡(゚)(゚)「こういった視察には基本的に妻のゾフィーは同行出来ないんやが、
         今回だけは許されとる。
         この日が夫妻の14回目の結婚記念日だったのも理由の一つかもわからへん」


    彡(-)(-)「サラエボはセルビア寄りの町であり住民達は帝国の大公夫妻の
         訪問に不満を燻らせたで。また6月28日が1389年にセルビアが
         オスマン帝国に敗北を喫したコソボの戦いの日なのもセルビア人の気を逆なでさせた」


    彡(●)(●)「訪問を報道したセルビア系の新聞はこんな内容の檄文を発したというで
          “ハプスブルクの大公を殺害せよ。殊勲をあげた者は、
           国家の英雄として永遠に称えられるであろう”とな」


    (´。ω゚`)「マジビビルわぁ!」

    114: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:16:08 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「当然訪問の情報は黒手組も知っていた。せやからディミトリエビッチは
         夫妻暗殺の計画を練りサラエボに実行犯としてダニロ・イリイッチ、
         ネデリュコ・チャブリノヴィッチ、トリフコ・グラベジュ、
         クヴジェトコ・ポポヴィッチ、ヴァソ・チュブリロヴィッチ、ムハメド・メフメドバシッチ
         そしてガブリロ・プリンツィプらを派遣したんや」


    彡(-)(-)「まぁチャブリノヴィッチとプリンツィプ以外のメンバーは
         当日実質動かへんかったけどな」


    no title
    (実行犯の1人のネデリュコ・チャブリノヴィッチ)


    no title
    (実行犯の1人ガブリロ・プリンツィプ)


    彡(-)(-)「6月28日の午前10時15分ごろに大公夫妻が車で
         同地の市庁舎に通りかかった瞬間に、チャブリノヴィッチは手榴弾を投げつけた
         が、手榴弾は大公夫妻の乗っていた車ではなく後続の車に遅れて爆発したもんやから
         大公夫妻は無傷で済んだんや」


    彡(-)(-)「暗殺に失敗したチャブリノヴィッチは川に飛び込みがてら
         毒薬を飲んで自殺しようとしたんやが、
         川の水深は10cmしかないもんやからすぐに取り押さえられたンゴ 
         毒薬は粗製で効果無かったし」


    (´・ω・)「ださッ」

    115: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:16:49 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「車は市庁舎に逃げ込み、大公は当初の予定を変更して手榴弾で負傷した人達を
         お見舞いする為に病院に行くんやが、運転手は予定変更を知らへんかったから
         道を間違えてフランツ・ヨーゼフ通りに入ってしまったンゴ
         車の動きに気付いたポチョレク総督は大声を挙げて車を止めさせたんやが」


    彡(-)(-)「なんたる不幸か。偶然にも実行犯のプリンツィプはその通りで
         コーヒー飲んでだらけていたんや
         プリンツィプは通りがかった大公夫妻を見て・・・」


    彡(-)(-)「午前10時45分 総督が車を止めさせた一瞬の隙を突いて、
         プリンツィプは1.5mの距離から発砲。
         一発目はゾフィーの腹部に 二発目がフランツ・フェルディナント大公の首に命中したんや」


    no title
    (プリンツィプが発砲した瞬間の絵 伝聞で描かれたものなので実際の状況とはやや異なる)


    彡(。)(;)「大公はチェコ語でゾフィーに向かってこう叫んだで
         “ゾフィー!ゾフィー!死なないでくれ、子供たちのために!”
         やが叫びも空しく午前11自時頃に総督官邸内で両者の死亡が確認されたで」


    (´;ω;`)「悲しい」

    116: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:17:23 ID:a6h
    彡(-)(-)「これが後世にも伝わっているサラエボ事件の概要や。
         そしてこれを火種に人類史上初の世界大戦、第一次世界大戦が勃発するのは周知の通りやで」


    彡(゚)(゚)「ちなこの時カール大公とツィタ大公妃は何をしていたかというと、
         別荘で食事を待っていたんや。その場で夫妻は暗殺の電報を受け取ったんや」


    彡(-)(-)「フランツ・フェルディナント大公とカール大公は仲が良くてな。
         自分の住まいのベルヴェデーレ宮殿にカール大公を何度も招待しとったんやで
         その際にフランツ・フェルディナント大公が口にしたことを思い出しながら、
         カール大公はショックに打ち震えとった」


    (´・ω・`)「何を口にしたの?」


    彡(-)(-)「こんな事を口にしとったんや“私は・・・私は近いうち・・・
         暗殺されるかもしれない。君も承知の通りアルトシュテッテンに墓所も用意してある。
         近いうちにそこに運ばれる事になりそうだ”とな」

    117: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:18:21 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「ちな暗殺の報告を受けた皇帝の反応はというと
         “恐ろしいことだ。全能の神に逆らって報いなしには済まない。
          余が不幸にも支えられなかった古い秩序を、より高い力が立て直して下さった”と
         口にしていたそうや」


    (;゙゚'ω゚')「皇帝、怖いでしょう・・・」


    彡(-)(-)「フランツ・フェルディナント大公が宮廷や皇帝に嫌われていたのは前述したけども
         帝国内でも好かれていたとは言いづらかった 例えば帝国議員のヨーゼフ・レートリヒは
         “ウィーンでは悲しい雰囲気など皆無で、プラター公園やグリンツィングスの至る所で
          陽気な音楽が流れていた”と言及しとるし」


    彡(-)(-)「フランツ・フェルディナント大公は人気が無かったと記している書物はいくらでもある」


    彡(-)(-)「やがフランツ・フェルディナント大公が愛妻家で子供達にも同じ愛を注いだのは事実や」

    118: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:18:43 ID:a6h
    彡(-)(-)「また大公の考えに賛同していたベルヴェデーレ派は自然消滅し、
         ハプスブルク家に見切りを付けて共和派に赴いた人間もいる
         せやから大公が政治的な意味でも重大な人物だったというのも事実やで」


    彡(゚)(゚)「大公が暗殺された後に葬儀の準備と暗殺の報復が話し合われ、
         最終的に帝国のベルヒトルト外務大臣が、
         セルビアに最後通牒を送付したのは有名なんやが・・・」


    彡()()「ここで第一次世界大戦の推移等を説明するとスレの方向性がとっちらかる上に
        膨大な事になるのでフランツ・ヨーゼフ1世やカール大公の動向に焦点を絞った説明をします
        戦争の説明が疎かになりますがご了承下さい」


    彡(゚)(゚)「フランツ・フェルディナント大公が暗殺された事でカール大公は帝位継承者となり
         次期皇帝となるのが確実になったんや」


    no title
    (カール大公とフランツ・ヨーゼフ1世)

    119: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:19:20 ID:a6h
    (´・ω・`)「帝位継承順位第1位になったカール大公は皇帝の傍に立って政治的なサポートをしたんだ」


    彡(゚)(゚)「いや逆や。カール大公は陸軍最高司令官のフリードリヒ大公によって
         ポーランドのテシェンにある野戦軍司令部に派遣されて東部戦線の一軍を指揮したんや
         後に少将待遇となったンゴ」


    (・ω・`)「えっどういうこと?大事な跡取りでしょ危ないじゃんそんな所にいさせたら。
           手元に置いとかないと」


    彡(-)(-)「これは皇帝の意向でな。皇帝は出来るだけカール大公を
         政治と関わりが無いように遠ざけたんや。」


    彡(゚)(゚)「第一次世界大戦が始まったのは、帝国がセルビアに無茶苦茶な最後通牒を突き出したのが
         理由なのは前述したとおりやが、当然皇帝はそれに噛んでた。
         せやからカール大公が後に帝位を継承したとしても責任がかからんようにしたんや」


    (´・ω・`)「なるほど カール大公を思いやった訳だ」

    120: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:19:43 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「皇帝はカール大公がお気に入りだったようで、こんな言葉を残しとる
         “余はカールを非常に高く評価している。彼は余に明確に意見を表明する。
          しかし余が考えを固執する時には、それに従う気持ちを失ってはいない”とな」


    彡(-)(-)「まぁカール大公は政治に極力関わらせない扱いには内心憤慨しとったそうやで
         政治にも軍にも参与出来ず、セルビアへの最期通牒の件についても
         知り合いの銀行筋から知るという有様でな。


    彡(゚)(゚)「またローマ教皇のピウス10世はカール大公宛てに、
         皇帝に戦争の危険性を十分に認識してもらうよう頼む書簡を送っとったんやが、
         タカ派グループの妨害でカール大公の下に届かんかったし」


    (´・ω・)「アホが仲間にいると怖いなぁ」


    彡(゚)(゚)「戦争はどうなったかというと、最初の頃帝国はそれなりに押していたんや
         それに帝国内のチェコといった諸民族同士は対立を一時やめて、
         王朝に献身的な態度を示したいたンゴ」

    121: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:20:26 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「まぁボヘミアの独立などを求めていた民族主義者のトマーシュ・マサリクや
         エドヴァルド・ベネシュは中央政府への抵抗をやめへんかったから、
         チェコ内部の王党派によって国外追放されたけどな」


    彡(-)(-)「やが帝国と協力関係にあったドイツがフランスのヴェルダン要塞攻略のために
         主力を西部に結集したために東部のポーランド方面と南西部のイタリア方面が手薄になり、
         帝国軍は開戦当初のようにドイツ軍の援助を得られなくなっていったンゴ」


    彡(゚)(゚)「そのため陣地は段々後退を止む無くされ、1916年に帝国統治下の
         ウクライナのチェルニウツィーをロシア軍に奪取されたで」


    彡(゚)(゚)「カール大公指揮下の帝国軍のみが健闘し、
         同国のブコヴィナに侵入してきたロシア軍に対して堅固な守備線を固めたで」


    彡(゚)(゚)「カール大公は司令官として数々の戦果を上げながらも平和への願いを絶やさなかった
         イタリア戦線の激戦地イゾンツォの戦線を視察した時、
         カール大公は涙ながらにこう決意したというで
         “誰もこのようなことを神の御前で申し開きすることはできない。
          できるだけ早くこれを終わらせなければ”とな」


    no title
    (戦争当時のカール大公)

    122: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:20:52 ID:a6h
    彡(゚)(゚)「平和への願いはその信心深さが故か、砲弾が飛び交う中平静を失う事なく
         ピオ10世から贈られた金のロザリオを磨滅させるほど聖母への祈りを繰り返し唱えとった」


    彡(゚)(゚)「信心深い兵士たちの信仰を助ける為にカール大公は細やかに気を配り、
         前線にいる部隊も含めてそれぞれの連隊で少なくとも月に一回はミサがあげられ、
         告解や聖体拝領が出来るように配慮したそうや」


    彡(゚)(゚)「またカール大公は戦地において負傷者の看護や、
         戦争捕虜が適切に扱われるように配慮し、面倒見も良くて兵士から好かれとった。」


    彡(゚)(゚)「例を挙げると、イゾンツォ川の戦いの際に増水した川で部下がおぼれかけた際に、
         汚濁した川に飛び込んで助けた事もあるんやと。」


    (´・ω・`)「カール大公はよく出来た人だねほんと」

    123: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:21:20 ID:a6h
    彡(-)(-)「カール大公は健闘していたが同盟軍は段々劣勢の立場に回るようになり、
         更に帝国は食糧といった兵站を欠くようになっていったで」


    彡(゚)(゚)「というのは帝国に加担した中央同盟国はドイツ帝国、ブルガリア王国、
         オスマン帝国のみやったからおおざっぱに考えると、それ以外の国々が敵になったと言う事や
         だからこの四国でなんとか兵力と食糧を賄わなけりゃならへん」


    (´・ω・)「おおざっぱにも程があるだろその勘定」
         

    彡(-)(-)「とりわけ帝国は食糧事情に悩まされた。特に帝国の食糧は
         ハンガリーの農地にほぼ依存しとったから、農業大国のハンガリーの食糧は戦争に費やされ、
         ハンガリーの経済は戦争が始まってすぐにボロボロになったンゴ」


    彡(゚)(゚)「軍需工場は軍当局に接収され、原材料や労働力自体は供給されたが
         消費物資不足は深刻化 
         配給等の措置やそれらを管轄する公共販売・流通センターも設立されたんやが
         問題の解決にはならへんかった」


    彡(●)(●)「むしろ公共販売・流通センターは汚職や闇市を直接取り仕切る事で得た
          不正利益といった腐敗の温床にもなったそうや」

    124: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:21:42 ID:a6h
    彡(-)(-)「せやから戦争の被害を被りまくりなハンガリーはオーストリアと離別する意向を示し始めたんやと」


    彡(゚)(゚)「1916年8月にはルーマニアが中央同盟国に宣戦布告して、
         ハンガリー内部のトランシルヴァニアに攻めてきたで
         この土地は以前からハンガリーとルーマニアは所有権をめぐって争っていたで」


    (´・ω・)「いかん...いかん!(帝国)危ない危ない危ない...」


    彡(゚)(゚)「同年10月21日には帝国首相のカール・シュテュルクが、
         ウィーン市内のホテルで暗殺されたんや 犯人はフリードリヒ・アドラー
         社会主義者のヴィクトル・アドラーの息子で反戦を盛んに主張していたで」


    no title
    (社会主義者のフリードリヒ・アドラー)


    彡(●)(●)「アドラーは逮捕される際に“専制主義打倒!我々は平和を欲する!”と叫んでたそうや」


    (;´・ω・)「自ら混乱を扇動するタイプなのか・・・」

    125: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:22:14 ID:a6h
    彡(-)(-)「この事件に皇帝はショックを受けたのか体調が悪くなり、
         11月に入ってからは容体が急変 同月11日には熱が38度4分になり、
         皇帝自身ももう助からないと呟く程病状は悪化したんや」


    彡(゚)(゚)「報せを受けたカール大公は11月12日にウィーンに駆け付けたで。
         その日のうちに熱は下がって食欲も出始めて、病状は少し回復したンゴ」


    彡(゚)(゚)「体調がすぐれなくても皇帝は国務を怠っとらんくてな
         この頃は朝の3時半に起きて文書を署名しとったんやと
         その後も度々カール大公とツィタ大公妃は皇帝のもとを訪れたで」


    彡(゚)(゚)「皇帝は訪問したバイエルン国王ルートヴィヒ3世と会談するほど一時は回復したんやが、
         同月17日には再び高熱を発してな 20日に皇帝の娘のマリー・ヴァレリー大公女が、
         お見舞いに来た時に皇帝は気分の悪化を伝えていた
         カール大公の侍従武官が記した記録によると
         “体温は39度以上、両側肺に炎症有り”とあるで」


    彡(-)(-)「が、皇帝は職務をやめへんかった。
         20日の夜から21日の朝にかけては小康状態を保っとったんやが病状はまた悪化
         午前11時30分にカール大公とツィタ大公妃が訪れると
         皇帝は“早く回復したい。仕事が多く残っている。
         とても病気になどなっていられない”とこぼしたで」

    126: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:24:10 ID:a6h
    彡(-)(-)「皇帝は宮廷司祭のザイトルを呼んでから告解を済ませて聖体拝領を行い、
         まもなく熱は39度5分まで上がった
         それでも皇帝は仕事をしてたんやが、とうとうペンを落としてベッドに横になったで」


    彡(-)(-)「午後6時に皇帝は側近に明朝午前3時半に起こすよう頼んで睡眠し、
         その後一度喉の渇きを訴えて少量の紅茶を飲むとこう言ったそうや“調子はよろしい”
         ・・・それが最後の言葉やった」


    彡(-)(-)「皇帝が再び目を開ける事は無く呼吸は次第にかすかになり・・・」


    彡(-)(-)「ザイトル司祭は“永遠に光輝が彼にかがやきわたるように”と祈ったが、
         もう皇帝の心臓は脈を打たない」


    彡(-)(-)「1916年11月21日午後9時5分 オーストリアのシェーンブルン宮殿にて
         オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世崩御
         享年86歳 在位期間は68年」


    no title
    (崩御したフランツ・ヨーゼフ1世)


    https://www.youtube.com/watch?v=qPzyJxwcWpE

    (フランツ・ヨーゼフ1世の葬儀の様子)

    127: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:24:39 ID:a6h
    彡(-)(-)「フランツ・ヨーゼフ1世は1848年革命の最中に即位し、
         その統治下で帝国は世界各国への影響力を失い
         更に弟と妻と息子には先立たれる不幸に見舞われた」


    彡(゚)(゚)「だがフランツ・ヨーゼフ1世は帝国臣民から好かれ、国父とも呼ばれとった
         現在もオーストリア国民や旧帝国領の王党派からは好かれとる」


    (´・ω・)「悲劇的なエピソードが多い苦労人ってイメージだよねフランツ・ヨーゼフ1世は」


    彡(゚)(゚)「比較文学・ドイツ文学者の江村洋も似たような事を記していたな。曰く
         “ひたすら帝国の安寧を願い、他国との抗争を極力避けるように努めた。
          悪く言えば帝国の延命策に奔走した。こうした生き方は、あまりドラマに仕立てにくい。
          彼を主人公とする作品が日本で皆無なのは、そのあたりに原因がありそうである。”」


    彡(-)(-)「“だが19世紀のオーストリア帝国で、
          この皇帝ほど国家のすべてを一身に担っていた人はいなかった。(中略)
          もしこの皇帝が存在しなければ、あるいはもし君主が崩御することになれば、
          たちまち国家はがらがらと音をたてて瓦解することは目にみえていた。
          彼はそれほど重要な人物だった。彼は国家の総体だったのである。”」


    彡(゚)(゚)「そしてフランツ・ヨーゼフ1世の崩御をもってカール大公は帝位を継承し、帝国皇帝カール1世となったんや」


    no title
    (オーストリア=ハンガリー帝国 皇帝 カール1世)

    128: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)16:29:07 ID:a6h
    以上で書き溜めた分は終了
    続きは正直いつ投下できるか分からない
    やっぱりこれアルバニアとブルガリアを合わせた分よりも長くなりそうだな・・・

    135: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)20:56:58 ID:IF7
    カール1世ほんとすこ

    134: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)18:09:39 ID:l4s
    ハプスブルク家すこ

    138: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)23:42:03 ID:a6h
    >>134
    王制復古しねーかなー 王党派のSBAは設立されたのが最近だから
    まだちょっと頼りないし そういう話題がオーストリアででもっと盛んになるといいんだが

    139: 名無しさん@おーぷん 2017/04/10(月)01:19:33 ID:tFR
    ああ間違えたSGAだSchwarz-Gelbe Allianz
    136: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)21:07:28 ID:IF7
    余談やけどカールとツィタが婚約した時、ローマ教皇ピウス10世はツィタに
    「私はあなたの未来の夫を祝福します。彼は次のオーストリア皇帝になるでしょう」と言ったらしいで

    ツィタや周囲の人間が次の皇帝はフランツ・フェルディナント大公にもう決まってますって訂正しても
    教皇は「カールが次期皇帝となりましょう」と意見を変えなかったらしいわ

    138: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)23:42:03 ID:a6h
    >>136
    そのエピソード入れれば良かったなぁ 情報の配分下手だね俺
    その話が載ってる「チタ ハプスブルグ家最後の皇妃」は間違いなく名著
    学術書みたいに格式ばった書き方でもなく、古き良き王朝と滅びる帝国の哀愁
    エンタメ性とマニアックな情報が満載
    ところでその原著を書いたタマラ・グリセール=ペカールは2009年に増補版を書いたようだが
    翻訳はまだですかね出版社さん 1988年のシクストゥス公子の本も併せてもらえればもっとありがたい
    前回:彡(゚)(゚)「世界各国の旧君主家の方々」
    http://world-fusigi.net/archives/8794369.html






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    コメント一覧

    1  不思議な名無しさん :2017年04月10日 08:30 ID:qXzzgbyt0*
    前のもそうだけどもうちょい内容まとめて欲しいわ
    語尾に~なんやをつけてるだけで後は垂れ流し
    こいつが教師だったら授業中みんな寝てそう
    2  不思議な名無しさん :2017年04月10日 09:18 ID:GgoBFTD80*
    フランツイケメンやなあ
    3  不思議な名無しさん :2017年04月10日 15:18 ID:ktfAKmdG0*
    3
    おは作者様
    4  不思議な名無しさん :2017年04月10日 15:21 ID:gO5QHJ9N0*
    ※4
    安価すらまともに打てないんかまとめ民キッズ
    5  不思議な名無しさん :2017年04月10日 16:43 ID:83qZXvpj0*
    ありがとうございます!待ってた!
    6  不思議な名無しさん :2017年04月10日 17:55 ID:ktfAKmdG0*
    wikiの記事に~やで ってつけただけじゃん
    7  不思議な名無しさん :2017年04月10日 19:01 ID:AlgbP.NF0*
    アウグスライヒじゃなくてアウスグライヒね
    8  不思議な名無しさん :2017年04月11日 01:03 ID:uV0TMeCr0*
    今一番王政復古に近いとしたらルーマニアかな
    9  不思議な名無しさん :2017年04月11日 22:18 ID:UeKLdG4e0*
    彡(゚)(゚)と(´・ω・`)シリーズにはまっててまとめ探してる
    顔文字あるだけで読みやすい
    10  不思議な名無しさん :2017年04月12日 01:07 ID:TQgi28y.0*
    ハプスブルク家ってある意味世界征服しかけてたよな

     
     
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