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    「難攻不落」の国が滅亡したとんでもない理由www【東ローマ帝国】

    rome-2305365_1280

    歴史担当のライター、ダルです。
     
    突然ですが、皆さん戸締りは大丈夫ですか?なにかと防犯意識が高まっているご時世かと思います。我が家は自分でも入りづらいほど鍵の調子が悪いので対策バッチリです。
     
    しかし、うっかり鍵を閉め忘れてしまうなんてことは誰しも経験あるかと思います。ですがその「うっかり」が、空き巣などに繋がります。
    また、空き巣とバッタリ遭遇なんて怖いパターンもあるかもしれません。
     
    ちゃんと施錠しないと「空き巣」、「傷害」、「首都陥落」などに巻き込まれかねません。
    今回は、そんな「うっかり」が首都陥落の決定打となり滅亡した東ローマ帝国についてご紹介します。




    東ローマ帝国って?

    svg
    Credit: Wikipedia
    1025年の東ローマ帝国

    まずは『
    東ローマ帝国(ビザンツ帝国)』について。

    皆さんご存知「ローマ帝国」。コロッセオだとか顔が平たくないだとかカエサルだとかで有名なあの国です。

    ローマ帝国の後継的国で、時代によって変わりますが大体は現在のトルコやギリシャの辺りに存在したのが東ローマ帝国です。

    そう、ローマどころかイタリア半島にすらいません(ローマまで領土が届いた時期もありましたが)。全然ローマやあらへんやんけって感じなのですが大丈夫。精神的にローマを継いだ的なあれなので、大丈夫なんです、ローマったらローマです。 
    紀元前の日本が土器を作ってキャッキャしていた時代に、上下水道を完備した都市をつくるなど高度な文明で隆盛を誇ったローマ帝国ですが、395年には東西に分裂してしまいます。
     
    “分裂”というのも、ある時期からローマ帝国は領土を分割して統治していました。
    この東西に分けたのもその流れに沿ってでしたが、東西が一つになる事なく約100年後に西ローマ帝国は滅亡します。
     
    そんな中、ローマ帝国の継承者として存続し続ける東ローマ帝国
    分裂した395年から滅亡する1453年まで実に約1000年もの間存続し続けました。
    立地的にローマではありませんし、公用語はギリシャ語で、国民達も民族的にギリシャ人やスラヴ人などでしたが、それでもローマの継承者であると自負していたようです。
     
    が、実際にはギリシャ文化などの影響が大きく、ギリシャチックな国でした。
    時代が進むにつれその傾向は強まり、より独自の性質を持つようになっていったようです。

    svg
    Credit: Wikipedia
    東ローマ帝国の最大版図

    そんな東ローマ帝国の首都が『コンスタンティノープル(現:イスタンブール)』です。

    現在のトルコにある街で、アジアとヨーロッパの間にあるため交易の要衝として栄えました。また、建設されてから約1000年もの間、難攻不落を誇った城塞都市でもありました。


    オスマン帝国の台頭


    東ローマ帝国はその長い歴史の中で様々な国と戦いました。

    ササン朝ペルシャやセルジューク朝、十字軍など多くの勢力と戦い、その広大な領地を削られ、取り返し一進一退を繰り返しました。
     
    しかし帝国末期には首都周辺とギリシャの一部地域のみの小さなものとなります。
     
    それほどまで東ローマ帝国版図が縮小したのは、14世紀中頃から地中海やバルカン半島へ進出してきていた『オスマン帝国』が一つの要因でした。
     
    歴史上幾度か包囲されるコンスタンティノープルでしたが、一度も攻略されることなくまさに難攻不落。
    その理由として5世紀に造られた「テオドシウスの城壁」があります。
    北・東・南を金角湾とマルマラ海に囲まれているため、陸側から唯一攻め込まれる西側を防衛する為に建造されました。

    TheodosiusWallsConstantinople
    約1000年にわたり難攻不落を誇った「テオドシウス2世の城壁」

    この壁は全長7kmにも及ぶもので、堀と二重の城壁の三重構造となっており城壁の高さは8~12mありました。
    これによりコンスタンティノープルが正面突破されることは、陥落するその日まで一度もありませんでした
     
    しかし、もはや全盛期ほど力を持っていない東ローマ帝国。1453年、ついに滅亡を迎えます。それはオスマン帝国の“スルタン”(イスラム系国家での王的な称号)である『メフメト2世』によるもので、後に彼は征服王と呼ばれるようになります。


    東ローマ帝国最期の戦い、コンスタンティノープル包囲戦


    1453年、オスマン帝国はコンスタンティノープルを包囲します。
    東ローマ側の守備兵が救援に来た傭兵を合わせても7千であるのに対し、オスマン側の軍は最精鋭部隊であるイェニチェリ2万を含む総勢10万もの大軍で、戦力差は歴然でした。

    Constantinople
    コンスタンティノープル周辺図

    さらにオスマン側は、当時最新鋭の大砲で砲撃を浴びせます。
     
    オス:「あのへんにぶち込もうか。あーそうそう、そのへん。OKOKだいぶ逸れたけど…まあ次当てようや。」
    東ロ:『あっぶな、当たるかと思った。でっかい大砲の割に変なとこ当たっただけか、びっくりさすなや…とりあえず直しとくか』

     
    しかしびくともしない。

    500kgもの石を飛ばせる巨砲でしたが命中精度は全然ダメだったようです…。
    そのためコンスタンティノープルのどこか…という狙いしかできず、なおかつ発射間隔が広いためすぐに修繕されてしまっていたようです。
     
    そんな決定力に欠けたまま二ヵ月の膠着状態が続きます。
     
    この状況を打破すべくメフメト2世はある奇策に出ます。
    それは艦隊の山越え
     
    首都北側の金角湾は東ローマ帝国により巨大な鎖で物理的に文字通り「封鎖」されていました。
    鎖で封鎖ってダジャレチックなことをやってのけるんですからダイナミックな戦いです。
     
    丸太を敷き詰め潤滑油を塗り作った道で、70隻もの船を山越えさせました。
     
    “船頭多くして船山に上る”を現実のものとしたのはこの人ぐらいではないでしょうか。
    夜が明けると湾内には艦隊が並んでいるのですからさぞ驚いたことでしょう。え?マジで?では済まない状況です。
    これにより海上からの補給物資が絶たれた東ローマ帝国。
     
    オス:「どや!山越えしてまで艦隊持ち込んだったで!」
    東ロ:『頑張って鎖繋いだのに…山越えてくるてなんやねんあいつらの執念。帰れや。まあでもまだ壁あるから、ご先祖様に感謝やで。』

     
    しかしそれでも攻略には至りません。
    が、じりじりと追い詰められ東ローマ帝国側もいよいよかと覚悟を決め始めます。
    時の皇帝『コンスタンティノス11世』は兵たちの前で演説をし、臣下の一人一人に自らの不徳を詫びました。
     
    その次の日、ついに最期の戦いが始まります。


    決定打となるもの

    Fall-of-constantinople-22 (1)
    コンスタンティノープルの陥落

    オスマン帝国は総攻撃をしかけてきました。
    第一波、第二派と次々に攻め入るオスマン軍、オスマンの誇る精鋭であるイェニチェリの攻撃をもしのぎます。
     
    指揮官が負傷し混乱に陥りながらも耐えていた防衛軍でしたが、あることが決定打に。
    それは「門通用口の施錠忘れ」
    これを発見したオスマン軍は城内へと侵入します。
     
    オスマン軍A:「あれ?ここ開いてない?開いてるやんな?ほら、開いてる。」
    オスマン軍B:「嘘つくなや、そんなわけ…ほんまや!!!入れるやん!」
    オスマン軍ABCDE:「「「「うおおおおおおおおおおおおお!!!!突撃!!」」」」」
     
    東ロA:『うわああ!!どっからかオスマン入ってる!』
    東ロB:『おおおおお落ち着け、あばばあば』

     
    こうして東ローマ帝国は大混乱を極め、守備軍は総崩れとなっていきます。
     
    前線で指揮を執り続けていた皇帝でしたが、この閉め忘れにより城壁にオスマン帝国の旗がはためくのを見て「誰か余の首を刎ねるキリスト教徒はいないのか!」と叫びながら親衛隊と共にオスマン軍に突撃し、行方知らずとなりました。
     
    こうして永きにわたり続いた東ローマ帝国は城内に入られ滅亡し、ローマの歴史はここで完全に途絶える事となりました。そして首都は以後、現在のイスタンブールという呼称になっていきます。
     
    1000年もの間、難攻不落を貫いた都市の決定打となったのは、大軍でも巨砲でも山越えの奇策でもなく、なんとも無情にも鍵の閉め忘れでした。
     
    堅牢な城壁があっても、地の利があっても小さなミスで滅んでしまうのですから諸行無常です。
     
    メフメト2世は古くから続く帝国に敬意をもってか、聖堂などを破壊せずにモスクに改修するだけに留めています。

    真意はともかくそのお陰で今も東ローマ帝国時代の建物を見ることができます。せめて一度はトルコに行ってみたい…。
     
    皆さんも戸締りにはお気を付けを。











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    コメント一覧

    1  不思議な名無しさん :2017年06月03日 22:01 ID:J.ea9XGV0*
    あ、こういうスタイルで行くことにしたのね
    2  不思議な名無しさん :2017年06月03日 22:26 ID:A4aUVTWc0*
    終わりやね
    3  不思議な名無しさん :2017年06月03日 22:31 ID:ohI0E7Md0*
    おもろいやん
    4  不思議な名無しさん :2017年06月03日 22:45 ID:3kYEMnKN0*
    いいじゃんこういうの

    100年戦争終わったのもこの年?
    5  不思議な名無しさん :2017年06月03日 23:18 ID:2RIS2n8V0*
    忍者的なあれじゃないの?
    6  不思議な名無しさん :2017年06月03日 23:23 ID:NhTRjgRH0*
    ぶっちゃけ首都まで敵きてるからどっちにしろ死んでたで。
    決定打ってのは間違いないが
    7  不思議な名無しさん :2017年06月03日 23:29 ID:3PRqdfyd0*
    帰れや。でワロタ
    8  不思議な名無しさん :2017年06月03日 23:37 ID:c.Er0w0W0*
    簡潔にまとまってて面白い
    9  不思議な名無しさん :2017年06月03日 23:50 ID:9l8hzoYL0*
    金角湾封鎖というのが比喩ではなく本当にごっつい鎖で塞いだという驚き
    10  不思議な名無しさん :2017年06月04日 00:14 ID:EViX1FkM0*
    「硬直状態」

    こうちゃく(膠着)と書きたかったんだろうなあw
    こんなゆとりでも記事書くんか
    11  不思議な名無しさん :2017年06月04日 00:16 ID:EViX1FkM0*
    >“船頭多くして船山に上る”を現実のものとしたのはこの人ぐらい

    ヤマというのが「暗礁」のことだと分かってるんだろうか
    このライターさんはwww
    12  不思議な名無しさん :2017年06月04日 00:28 ID:Jq3eJzLU0*
    東ローマ帝国とかいう実質ギリシア帝国
    13  不思議な名無しさん :2017年06月04日 00:30 ID:woWAJqNw0*
    やったぜ。
    14  不思議な名無しさん :2017年06月04日 06:16 ID:W4TcCi4v0*
    ベルリンの壁崩壊も似たようなもんじゃん
    15  不思議な名無しさん :2017年06月04日 06:43 ID:OvSro0oM0*
    アサクリで見たイェニチェリってあのビジュアルは史実に基づいてるんかね。
    だとしたら格好良い。
    16  不思議な名無しさん :2017年06月04日 07:04 ID:SANXzF8X0*
    最近の無理な更新ネタの絞り出し方が寒い
    ライターの口調も寒く質が低い
    17  不思議な名無しさん :2017年06月04日 09:11 ID:X06RSydG0*
    それまで内応策などはできなかったのかね?
    18  不思議な名無しさん :2017年06月04日 09:34 ID:z4o7qV9u0*
    コピーにコピーを重ねた感じの残念な文章
    19  不思議な名無しさん :2017年06月04日 09:39 ID:57XzTSFF0*
    腹筋崩壊ニュースみたいな感じ
    20  不思議な名無しさん :2017年06月04日 09:46 ID:x.MtY33.0*
    文章が読むに耐えない
    21  不思議な名無しさん :2017年06月04日 10:12 ID:syXcoZo30*
    ※8
    俺もそう思う。面白かった。
    やたら目くじら立ててる気にくわない人たちがいるけど、多少の漢字の誤変換や言い間違いくらいいいじゃない。公的文書とかでもあるまいし。
    少なくとも読むに耐えないとは思わない。

    22  不思議な名無しさん :2017年06月04日 12:34 ID:jgTZDXVE0*


    いや、コンスタンティノープルは一回十字軍に攻め落とされて占領されただろ
    23  不思議な名無しさん :2017年06月04日 12:38 ID:Z9r3EW5T0*
    ビザンツ帝国って物凄い国だったわりに印象薄いんだよね

    もっと評価されるべき、と思うけど、たぶん文化とかが基本的にギリシャ・ローマを踏襲したものだから独自色が薄いんだろうね
    24  不思議な名無しさん :2017年06月04日 13:31 ID:ooFjC7Xn0*
    鍵については「という珍説がある」程度やね
    たぶんキリスト教徒の負け惜しみ
    あれさえなければ、的な
    25  不思議な名無しさん :2017年06月04日 16:54 ID:Os076W5D0*
    記事では一度も攻略されたことがないとあるけど、実際は難攻不落ではなく、これ以前に第四次十字軍に攻め落とされていて、その際に一時的に帝国も滅んでる
    26  不思議な名無しさん :2017年06月04日 21:55 ID:jxIx97Ed0*
    西側からのちょっかいくらって衰退してたとこに
    セルジュークに負けて小アジアへのトルコ人流入許したことが始まりだし、
    十字軍のラテン帝国とかの統治でズタズタになったとかが入ってないやん。
    モンゴルにボコられた後にオスマンが台頭するわけで、流れは順当だぞ。
    27  不思議な名無しさん :2017年06月04日 23:35 ID:CRGIYGy40*
    少し前の不思議ネットを持ち上げて今を叩くの懐古厨気取りって感じで見ていて辛いな。できてからそう古くはないサイトなのに
    28  不思議な名無しさん :2017年06月05日 03:08 ID:dDyFSQxw0*
    籠城戦が長期間続いて、かつ兵力差から勝ち目のない戦いと分かりきっているなら、内応させやすいだろうねぇ。
    29  不思議な名無しさん :2017年06月05日 07:42 ID:XCgaphWO0*
    よく調べると違うからこの記事をそのまま鵜呑みにするのは小学生までだ。
    30  不思議な名無しさん :2017年06月05日 18:02 ID:exRnGS.w0*
    イスラムに負け続け、援軍を頼んだ味方のはずの十字軍に蹂躙されて、ほとんど滅亡寸前だったし。
    しかし、滅亡後もいくつかの都市は、しばらくの間しぶとく生き残った。
    31  不思議な名無しさん :2017年06月06日 07:47 ID:js8yetxY0*
    おっ開いてんじゃーん!
    32  不思議な名無しさん :2017年06月06日 12:33 ID:tdGVRgbO0*
    ついに自分で記事を書いていくのか(困惑)
    33  不思議な名無しさん :2017年06月07日 16:07 ID:u6URv0Mu0*
    防衛側が不眠不休だから当然いつかどこかでミスは起きる
    ちっぽけな部分だけを見て「こいつ一人のポカのせいで世界史に重大な影響が」
    ってセンセーショナルな結論に飛びつくのは
    世界史の大いなる流れを意識しない、上辺だけの雑学小僧のやることだ
    34  不思議な名無しさん :2017年06月07日 22:17 ID:cKMFZKoI0*
    かつて、難攻不落を謳われた城で、今も城塞として存在してるものは・・・
                   ない。
    35  不思議な名無しさん :2017年06月07日 22:57 ID:cKMFZKoI0*
    インターネット:エクスプローラーから、グーグル:クロームに変えたら、誤字脱字が驚くほど減ったよ、IEって気をつけて変換しても誤字脱字のオンパレードになっちゃうんだよねー。
    36  不思議な名無しさん :2017年06月08日 09:11 ID:ihVDBIwJ0*
    はい終了
    37  不思議な名無しさん :2017年06月09日 07:57 ID:NKOvcLFS0*
    何がそんなに気に食わんのかわからん
    間違ってる間違ってへんなんか、鵜呑みにするやつの自己責任やろ
    38  不思議な名無しさん :2017年06月09日 10:06 ID:vE.pltWI0*
    少しずつ誘い込んで殲滅させていく作戦が失敗した可能性もあるよな
    39  不思議な名無しさん :2017年07月06日 11:29 ID:Kfd7XReg0*
    ※11
    知ったかするな
    この諺のもとになったのが
    船頭が多くて舟は山王の山にものぼる今日の祭礼(大田南畝『千紅萬紫』)
    だから普通に山の意味であってるよ

    船頭多くして船岩に乗るとごっちゃにしてるだけだろ
    40  不思議な名無しさん :2018年02月04日 15:53 ID:x99vSrDR0*
    なんというか、文章が下手すぎてそっちが気になった
    41  Tedd :2021年08月17日 08:47 ID:1WUr90tV0*
    ダルさん、丁寧にまとめたな。
    すぎょい!
    まさか、1000年の歴史が門の鍵の掛け忘れで終わろうとは。
    トリビアの泉でも観たような気分だ。
    「へぇ~」
    おめでとう、10分咲きです

     
     
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