2: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:35:19 ID:BpP
後者
すべて空しいと思えば、脱力感しか湧かない
4: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:37:00 ID:Rcq
>>2
脱力して平穏に生きることが幸福なのでは?
5: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:37:27 ID:BpP
>>4
お前はね
俺は違う
9: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:40:17 ID:sEX
>>5
人それぞれ何が最も幸福を感じるか違うから
どっちも正解なんだよ
友達とワイワイやる時が一番楽しい奴もいれば
1人で静かに過ごす時が一番幸せな奴もいる
そういうことでしょ
11: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:44:36 ID:BqX
デリダ 二項対立なんてやめて脱構築しようぜ
幸福なんてそもそもなかったんや
12: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:46:35 ID:vBu
極端すぎるんじゃないか。
1人になりたいときもあれば大勢といたいときもある。
どっちかしかないのは悲しいよ。
14: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:48:52 ID:Rcq
自分の今の生き方はどっちつかずだから余計、幸福から遠い気がするんだけどね
15: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:48:56 ID:Rij
あれもこれも人それぞれケースバイケース
そうやってろくに決められず暗中模索に迷うのも
現代人の苦しみの一つよ
16: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:53:00 ID:Rcq
シューペンハウエルは平穏な人生が幸福であると考え、ラッセルは刺激の多い人生が幸福であると考えたわけなのだが
平穏と刺激どっちが幸福な人生には必要であるのか
どっちも両立はナシで言ったら、どっちを選ぶの?
20: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:58:51 ID:BqX
>>16
若いときは刺激派
年食ったいまは平穏派
つか刺激になれたこれ以上の刺激は変態の領域になるからやだ
(エベレスト登りかねない
17: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:54:59 ID:xMz
全て空しいと諦観
絶対幸せちがうやん
18: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:56:16 ID:Rcq
>>17
日本人の仏教的価値観には近いと思うけど
色即是空みたいな
19: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:57:45 ID:Rcq
仏教は幸福を求めるというより、苦しみから解放される手段だけど
21: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)03:59:34 ID:BqX
>>19
悟りを開く手段で苦しみからの解放は方便だよ
22: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:01:34 ID:Rcq
>>21
でも誰もが悟りを開けるわけじゃないんだから、大乗仏教的には生の苦しみから救う手段でしょ?
26: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:07:33 ID:BqX
>>22
そもそも悟りの存在以外の協議は全部ほ方便で端的に言えば嘘だからなあ
生の苦しみなんて存在してないがそれをいっても理解されないわけで
25: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:06:00 ID:sEX
いやだから
ある人にとっては合っていても
他の人にとっては違うって話じゃないの?
結論
どっちも正しい
30: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:08:35 ID:Rcq
>>25
結論はそうかもしれないが、あくまで二択と思って自分はどっちを選ぶか考えてほしい
どっちを幸福とするか、その過程が知りたい
28: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:07:47 ID:Eif
積極的に幸福を得ようとするのと不幸を減らすのとどっちがいいかみたいなことか
31: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:10:38 ID:7Jr
科学が進歩するにつれて、哲学は科学に勝てないなとつくづく思い知らされるよね
原点がどうとかは関係なく、現状だけを見るとさ。
33: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:14:06 ID:7Jr
生きる意味とか、どう生きたら幸せとか、それも全て脳内で起こってる事象なんだから
他の名無しが言ってるとおり心理学や脳科学の進歩で答えが一つに決まるだろ
当たり前だけど、その「答え」ってのが個別具体的な行動を示すものじゃなくて
特定の脳内物質が多く(または少なく)分泌されるメカニズムを示すものだから
人によって どの行動がそのメカニズムを起点とした多幸感を獲得できるかは変わると思う
メカニズムは普遍的で、行動に対する人の感情が個別的だから、○○をすれば幸せ!という簡明な答えは永遠に出ないだろうよ
35: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:17:43 ID:Rcq
>>33
脳内で幸福をもたらす物質が増えることがイコール幸福なら、麻薬漬けになるのが幸福な人生と言えるのか?
自然科学は物事の答えを見出だすかもしれないが、その答えを人生にどう当てはめるかを考えてるのは哲学の役割だと思う
39: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:19:31 ID:7Jr
>>35
それは論点ずらしてる
麻薬漬けになるのは一時的に幸せになれてるだろ
そしてその後苦痛な思いをするのも、「脳内物質の分泌」によるもの
麻薬による多幸感の獲得は刹那的なものなんだから、それを人生全体に拡大するなよ
43: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:23:37 ID:Rcq
>>39
脳内物質の反応だけが幸福不幸ではないということだよ
45: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:25:43 ID:7Jr
>>43
客観的に考えてみてくれ
胃とか腸とかに関してはみんな 肉体的な一器官であると認識しているのに
なぜだか心、すなわち脳に関しては神秘的で非科学的なものだと捉えがちな傾向にある
君が幸せを感じるというのは、言い換えれば君の脳内で幸せを感じさせる脳内物質が分泌されている、からなんだよ?
48: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:28:21 ID:BqX
>>45
なぜ分泌されるのかどのようにしたら分泌されるのか
薬物は作用でわかりやすいが
例えば好きな人とてをつないだとき
どの段階で幸せ物は分泌されるのか
幸せだから分泌されるのか分泌されるから幸せなのか
36: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:17:52 ID:7Jr
「積極的に生きるか」「消極的に生きるか」という問いに対して
大雑把で蓋然性の高い答えは、科学的観点からの考察で確実に導かれる
だけど、上記のとおり行動に関する当人の感じ方は人それぞれだから
もちろん多少の例外は出てくる
40: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:19:48 ID:Rcq
>>36
科学的にどっちが正しいかではなく、あなたはどっちを選ぶかを聞いてる
37: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:17:58 ID:Vj7
過程は後者
終局は前者
42: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:21:46 ID:Rcq
>>37
つまり、刺激を求める人生のほうが生きてるうちは楽しいが
人生の末期を迎えるときに良かったと思えるのは平穏を求める人生である、ということだね
49: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:28:47 ID:7Jr
俺たちの「幸せ」っていうのも脳科学的な原理に基づいた科学的事象なんだから
当然そこには法則性・規則性が見いだせるわな
その法則性・規則性を利用した科学的な生き方ができれば誰でも幸せになれる
こういう「心」に関与することへ合理的にアプローチすることは
なぜか嫌悪されるきらいがあるんだよね、日本には。
55: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:32:46 ID:7Jr
お前らは心ってものを神秘的に考えすぎなんだよ
心だって言い換えれば脳、胃や腸と同じ人間の一器官に過ぎないんだよ
69: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:43:33 ID:Rcq
快楽=人間の幸福ではないのだけはたしか
スレタイの幸福論もあくまで人間の幸福を求めている
ただ脳が快楽だけを感じれば良いという畜生の幸福ではない
極論すぎる上に非人間的でありすぎる
71: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:45:10 ID:7Jr
>>69
お前はいろいろ勘違いをしている
俺がいってる 快楽というものを「刺激がマックスですぐに消え去るもの」だと曲解していないか?
日常的に何となく感じる緩やかで穏やかな快も脳内物質の分泌に依存して生じているものだろうと、もっと言えばそれと一致しているものだろうと、そういっているわけよ
76: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:47:44 ID:Rcq
>>71
満足した豚よりも不満足な人間のほうが、より幸福には近いということだよ
快楽を求めることが人間的幸福ではない
78: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:48:50 ID:7Jr
>>76
それよりもスペックと人生において後悔していることを教えてほしい
80: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:50:10 ID:7Jr
>>78
の答えをマジで頼む
現在絶賛徒労に迷ってる哀れな子羊だよ
みんなの人生観や人生で気づいた教訓等について知りたい
86: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:53:55 ID:BqX
>>80
人生は概念
存在せん
あるがままに
82: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:51:25 ID:Rij
なんと言うかな
そもそもがメカニズムじゃなくてそれを起動するための具体的な行動の選択の話だろ?
それが人それぞれだってのは究極的にはそうだろうが現実社会を前提にすればある程度の系統化は出来るはずだ
副作用ゼロの麻薬を死ぬまで供給すると言うのはあくまで未来技術の仮定の話であってそれを言ったら
そもそものメカニズム自体を改造出来るようになれば~とかもう何でもありで逆に無意味な議論になる
結局こういう話題ってのはあくまで現状(せいぜい近未来)の中でさらに個人だけじゃなく社会全体がきちんと
機能するような形で幸福をどう実現するかっていう前提の上での話ってのが暗黙にあると思う
83: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:52:15 ID:7Jr
>>82
言いたいことはわかる
俺はちょっと究極的に語りすぎた
でも厳密な意味で俺の言ってることが正しいというのはわかるだろ?
89: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)04:55:12 ID:Rcq
>>83
価値観が全くちがうから平行線だが
ひとつ言えるとすれば人間が個々人の快楽のみを幸福として追求したら社会は必ず崩壊するし、行き過ぎた快楽は幸福とは言えない
101: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:09:05 ID:6i8
後者かな~
それが辛いって人は前者の方が良いんだろうな
102: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:09:26 ID:Rcq
自分は幸福とは快楽を求めることではなく、自己実現の達成にあると考えている
その上で、スレタイの幸福についてのシューペンハウエルとラッセルの違いについて、自己の幸福とは己の内側に求めるべきか、外側に求めるべきかということに疑問を抱いてこのスレを立てたわけなのだけれど
まあ人の幸福とは人それぞれということだな
結論は最初から出ていたが
109: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:23:04 ID:7Jr
>>1はもし仮に17歳の自分に何か伝えられるとしたらなんていう?
110: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:23:57 ID:Rcq
>>109
何か伝えたとして、それを聞くような人間じゃないから
何を伝えても何も変わらないと思う
111: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:26:21 ID:7Jr
>>110
現在17の俺に何かアドバイスをくださいお願いします
112: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:30:37 ID:Rcq
>>111
他人が与えた助言なんてなんの意味も無いってことかな
自分のことをよく知ってる人ならまだしも、自分のことは一番自分がよく知ってるし、赤の他人の意見を聞いてどうこう出来るものじゃないよ
113: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:31:17 ID:7Jr
>>112
それは俺も今つくづく感じてる
自分で決めたほうがいいよな
114: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:32:55 ID:Rcq
ただ自分は人間の幸福とはそれが何であれ人間の理性に基づくものであるべきだということ
その点でさっきの考えは議論のための方便だとしても人の道に外れ過ぎている
117: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:34:24 ID:BqX
>>114
ないもののうえにないをかさねてもあるになるわけではないで
そもそもないもんについて話してんだよ
115: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:33:20 ID:BqX
自意識があるかどうか
自分で決められているかどうかもあやしいんだけどな
116: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:34:16 ID:6i8
開かれた気持ちを持ってないと他人の意見て入ってこないんだよな
118: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:37:26 ID:SEh
ショペンハウエルとラッセルの場合哲学的前提が何一つかみ合ってないから有効な比較にはならん
ショペンハウワーにおいてはまず世界の根源に生きる盲目な意思があって、それの現れとして現実があるとするんだから
この現実は無目的の虚しい世界であり、それゆえ生きることそのものが本質的に虚しい行いだってことになる
だから情熱を燃やしたりするのも意味がないし、自分の存在にも意味がないから何もかんも諦めてしまったほうがまだましということになるが
これにラッセルが言うような社会的政治的実践において有意味であることが
望ましいとするような伝統的な英国的倫理観は立脚点も議論の焦点も全然違う
基礎的なパースペクティブからして既に違うんだからよほど丁寧に論理を処理しないことには議論にもなんねーよ
119: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:40:14 ID:Rcq
>>118
前提が違うのは理解してる
だから漠然と提示してどっちを支持する人が多いのか反応が知りたかったというだけ
120: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)05:40:26 ID:BqX
>>118
名前だけ出してるだけで中身は
刹那的か向上的かの二項対立だから問題ないとおもうよ
哲学的議論不毛だしな
知識自慢大会になりかねないし
121: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)11:52:53 ID:gdp
両方は相いれるとおもう
123: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)11:58:11 ID:Hjr
人それぞれ幸福論は違うんだから
万人に共通する理論なんてありえんわ(思考停止)
前者で幸せになる人、後者で幸せになる人、それ以外で幸せになる人。な?
124: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)12:08:58 ID:3h1
どちらも正しくない
幸福がどうとか戯言言ってないで
本能に従え
野生の声を聞け
125: 名無しさん@おーぷん 2017/06/16(金)12:15:39 ID:hWu
個人によって、状況によってかわるから普遍の答えはない
ただし、簡単に幸福感を得る方法はある
何かの価値基準において、自分より劣ると考えてる人間と自分を比較することだ
実際に劣ってる人間と比べる必要が無いのがミソ
130: おしえてモルモーロ◆nLqEGjUZjKj. 2017/06/16(金)13:58:32 ID:hwU
前者かな
平穏が一番
良くも、悪くも、変化は求めていない