2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:20:02.50 ID:4dVnOA0k0
ガソリンスタンドの屋根に死体
5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:20:25.21 ID:0XfLzHlM0
>>2
そんな事件があったの?何年?
66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:01:20.92 ID:IVEVZXXu0
>>2
これはなんなの?
70: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:05:04.85 ID:n6UucJGO0
6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:21:35.95 ID:t9gUDQ0p0
平将門の乱の後、京都に持ち帰ったはずの将門の首が武蔵国で見つかったこと
首の伝説
言い伝えでは討ち取られた首は京都の七条河原にさらされたが、何か月たっても眼を見開き、歯ぎしりしているかのようだったといわれている。
ある時、歌人の藤六左近がそれを見て歌を詠むと、将門の首が笑い、突然地面が轟き、稲妻が鳴り始め、首が「躯(からだ)つけて一戦(いく)させん。俺の胴はどこだ」と言った。声は毎夜響いたという。そして、ある夜、首が胴体を求めて白光を放って東の方へ飛んでいったと言い伝えられ、頸塚は京都にはない。「太平記」に、さらしものになった将門の首級(しるし、しゅきゅう)の話が書かれている。将門の首は何か月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたので、恐怖しない者はなかった。
また、将門のさらし首は関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ、途中で力尽きて地上に落下したともいう。
この将門の首に関連して、各地に首塚伝承が出来上がった。最も著名なのが東京千代田区大手町の平将門の首塚である。この首塚には移転などの企画があると事故が起こるとされ、現在でも畏怖の念を集めている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/平将門
10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:22:54.01 ID:C6KjZETn0
>>6
それは首が自力で飛んでいったから
12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:23:16.04 ID:0XfLzHlM0
>>6
こわ 信長も首なかったらしいよね 爆死と言われてるけど
7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:21:45.88 ID:zN60gQJv0
卑弥呼の死後100年
8: 霧 ◆/kiri/z5FE 2013/10/11(金) 23:21:45.90 ID:aFqa25YRO
出雲大社
出雲大社
出雲大社(いづもおおやしろ、いづもたいしゃ)は島根県出雲市にある神社である。
(中略)
現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさである。
本居宣長が『玉勝間』に引いたところによれば、
かつての本殿は現状の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈(48m)、さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされる。
同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものになる。
上古については流石に神話と看做すとしても、16丈あったとすると東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈・45m)や平安京大極殿より大きかったということになる。
wiki-出雲大社-より引用
13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:23:30.15 ID:6uoHEgd60
本能寺の変
15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:24:09.96 ID:eU/KZQFA0
西郷隆盛の顔だろ
18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:27:13.12 ID:0XfLzHlM0
>>15
本当はやせ形なんだっけ
27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:32:12.62 ID:eU/KZQFA0
>>18
小太りだったのは事実だが、顔は肖像画とはだいぶ違うという説もある
一方で、弟の従道なんかはあの肖像画とか銅像にクレームつけてないし、似てないわけではないという説も
西郷隆盛
大久保利通ら維新の立役者の写真が多数残っている中、西郷は自分の写真は無いと明治天皇に明言している。現在のところ西郷の写真は確認されていない。
死後に西郷の顔の肖像画は多数描かれているが、全ての肖像画及び銅像の基になったと言われる絵(
エドアルド・キヨッソーネ作)は、
比較的西郷に顔が似ていたといわれる実弟の西郷従道の顔の上半分、従弟・大山巌の顔の下半分を合成して描き、親戚関係者の考証を得て完成させたものである。キヨッソーネ自身は西郷との面識が一切無かったが、キヨッソーネは上司であった得能良介を通じて多くの薩摩人と知り合っており、得能の娘婿であった西郷従道とも親しくしていたため、西郷を知る人の意見が取り入れられた満足のいく肖像画になっているのではないかと言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/西郷隆盛
16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:24:19.01 ID:SseSBjV+0
欠史八代
欠史八代
欠史八代(けっしはちだい)とは、『古事記』・『日本書紀』において系譜(帝紀)は存在するがその事績(旧辞)が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のこと、あるいはその時代を指す。
現代の歴史学ではこれらの天皇達は実在せず後世になって創作された存在と考える見解が有力であるが、実在説も根強い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/欠史八代
17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:24:49.21 ID:0XfLzHlM0
>>16
はじめて聞いた名だ
22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:28:25.17 ID:eU/KZQFA0
>>17
知らないのかよ…初期の孝のつく天皇の業績が謎なんだよ
28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:32:34.52 ID:0XfLzHlM0
>>22
だから欠史なのか…
19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:27:38.16 ID:WsKBMf3h0
下山事件だろ
23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:29:39.63 ID:7+8DOtTW0
>>19
戦後史だとダントツでこれだな
三鷹とかでも似た事件起きてるし
21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:28:10.23 ID:0XfLzHlM0
>>19
詳しく
24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:29:50.74 ID:VtCFSezYi
>>21
ぐぐれ
29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:33:39.80 ID:WsKBMf3h0
>>21
昭和24年
国鉄の下山総裁が行方不明になって
翌日轢断された死体で発見
自殺説
GHQ説
労働者説
どれも決定的な証拠がない
ケネディ暗殺と似た匂いのする事件
下山事件
下山事件(しもやまじけん)とは、日本が連合国の占領下にあった1949年(昭和24年)7月5日朝、国鉄総裁下山定則が出勤途中に失踪、翌7月6日未明に死体となって発見された事件。
事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、警視庁は公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切った。下山事件から約1ヵ月の間に国鉄に関連した三鷹事件、松川事件が相次いで発生し、三事件を合わせて「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれる。
1964年7月6日に殺人事件としての、公訴時効が成立し、未解決事件となった。
1949年(昭和24年)6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の初代総裁に就任したばかりの下山定則は、7月5日朝、午前8時20分頃に大田区上池台の自宅を公用車のビュイックで出た。出勤途中、運転手に日本橋の三越に行くよう指示。三越に到着したものの開店前だったため、一旦、国鉄本社のある東京駅前に行って千代田銀行(三菱銀行、現在の三菱東京UFJ銀行)に立ち寄るなど、複雑なルートを辿った後で再度三越に戻った。そして午前9時37分頃、公用車から降りた下山は、「5分くらいだから待ってくれ」と運転手に告げ、急ぎ足で三越に入りそのまま消息を絶った。
普段、下山は午前9時前には国鉄本社に出勤し、毎朝秘書が玄関で出迎えていた。失踪当日は、国鉄の人員整理をめぐり緊張した状況にあり、午前9時には重要な局長会議が予定されていたため、自宅に確認したところ「普段通り公用車で出た」との回答に国鉄庁内は大騒ぎとなり、警察に連絡。失踪事件として捜査が開始された。翌7月6日午前0時30分過ぎに足立区綾瀬の国鉄常磐線北千住駅 - 綾瀬駅間で汽車に轢断された下山の遺体が発見された。
wiki-下山事件-より引用
32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:34:47.16 ID:0XfLzHlM0
>>29
詳しくありがとう 本当に謎だね
25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:30:14.56 ID:0XfLzHlM0
なんか怖いな 肌寒くなってきた
26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:30:49.41 ID:FO5yBzWu0
プチエンジェル
31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:33:51.47 ID:He3bVYKS0
今なら三鷹事件かな
34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:34:53.68 ID:QNvzNh7s0
最大のミステリーは間違いなく本能寺の変だろうな
37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:36:46.72 ID:UesvrN9x0
よく調べてみると、戊辰戦争には日本のタブーがすべて詰まってる
仙台にも朝廷があったなんてどの教科書にも乗ってないし、ここらへんは全然教えられない
本当は佐幕VS倒幕軍の戦いではなくて、長州藩VS会津・仙台連合軍の戦いであったことも、よく考えれば全然有名でない
44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:40:07.34 ID:eU/KZQFA0
>>37
東武皇帝は天皇家の黒歴史だから
49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:43:03.54 ID:UesvrN9x0
>>44
それでも幻の仙台朝廷は、とりあえず存在したんだよな。見事なのはそれを隠し通した明治新政府だ
あと、戊辰戦争の発端が長州藩の単なる個人的怨恨だったとかな。会津藩自体が許せなかったのはいくらなんでも節操がなかったね
よく考えりゃ、会津藩をオトすには最初から錦の御旗を掲げりゃよかった。あれはどう考えても近代戦争の予行練習だもんなぁ
54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:46:00.11 ID:eU/KZQFA0
>>49
日本史勉強するとわかるが、会津ってどこよりも勤王藩なんだよな
なのに朝敵にされたんだから気の毒だ
長州は一長一短すぎる
58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:51:06.75 ID:UesvrN9x0
>>54
当時、日本最強の大名と呼ばれた伊達藩の青葉城よりも、会津の殿様のほうが立派な天守を持ってるしな
なんとも美しい城であった。あんな城を作れる大藩が京都守護職ってのも頷ける
要するに会津攻めは、長州藩の不逞浪士が会津お預かりの新撰組に多数殺されたからだろ?
南部も庄内も伊達も、「会津藩を勘弁してあげてよ」って新政府軍に請願してたのに、それを無下にされたから戦争になったわけだしな
西南戦争なんかモノにならんぐらい戊辰戦争はヤバかった。内乱というより、有力者の個人的怨恨によるただのケンカだもんなぁ
38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:37:50.25 ID:jziSza4w0
帰雲城
帰雲城
帰雲城(かえりくもじょう)は、今の岐阜県大野郡白川村保木脇(ほきわき)にあった日本の城である。内ヶ島氏の居城であったが地震による山崩れで埋没した。
帰雲城は当地の有力武将である内ヶ島氏の居城であった。寛正年間(1461年 - 1466年)の1462年ころに内ヶ島為氏により築城された。
天正13年11月29日(1586年1月18日)に天正地震が起き、帰雲山の山崩れで埋没。城内と城下を合わせ推定500人余りが埋没したとされる。当日城内で祝宴が行なわれており、難を逃れたのは所用のため不在だったわずか4人と言われる。城主の内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡した。
また、内ケ島氏の領内に金山があったことから、そのとき埋まったとされる埋蔵金伝説がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/帰雲城
47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:41:59.94 ID:eU/KZQFA0
>>38
戦国好きにもほとんど知られてないよな
まさか城ごとタイムスリップしたとか
48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:42:20.42 ID:0XfLzHlM0
>>38
なにそれ
51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:44:02.02 ID:C6KjZETn0
>>48
正月に一族で集まった日に大地震が起こって
城が崩壊、一族全員死亡@飛騨国
41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:38:43.84 ID:DsHglwgJ0
一生懸命考えたけど、織田信長の行方が分からないってのかな
42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:39:04.98 ID:0XfLzHlM0
桶狭間の戦いは奇襲攻撃じゃなかったとか 武田信玄がどうので
43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:39:50.03 ID:yz6IMLLc0
邪馬台国の場所は未だにわかっていません
46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:41:26.91 ID:pZWFZzTU0
本能寺の変の黒幕が秀吉だって説はどの程度有力なの?
59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:51:36.39 ID:eU/KZQFA0
>>46
本能寺の黒幕はマジでわからない
黒幕説があるのは、秀吉、家康、朝廷、足利義昭、長宗我部…
黒幕がいなくて光秀の単純な下克上だとする説も有力
63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:57:09.88 ID:pZWFZzTU0
>>59
そーなんだー
なんか分かんないけど小学生の時ぐらいから直感的に黒幕は秀吉だって思い続けてるんだよね
53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:45:31.11 ID:TxwDWEKV0
仙台衝撃隊とかいう妙にかっこいい部隊
55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/11(金) 23:47:27.90 ID:IszjTKJG0
お前らって頭良いんだな(´・ω・`)
69: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:04:03.83 ID:wzB9+15R0
豊臣秀頼
197センチ167キロ
怪物だろ…
71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:05:33.55 ID:/A9IBnGu0
>>69
どこの横綱だよ……
73: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:08:16.69 ID:iHPUWvY80
>>71
でも頭よくて温厚で優秀な人物だったらしい
身体デカいのは母方の影響
77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:11:31.69 ID:3uBKE44c0
>>73
そもそも父親は誰なんだよって話だけどな
79: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:12:22.14 ID:/A9IBnGu0
>>77
あぁ、秀吉の子じゃないかもって話聞いたことある
80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:12:27.97 ID:wzB9+15R0
>>77
大野治長という話もあるが、普通に秀吉だと見るのが妥当
83: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:13:56.92 ID:rnMcxIKe0
秀頼も
その祖父の長政も
激デブだったのは有名
背をでかく言うのも
昔はハッタリでよくつかわれたことだから
あまり信用しないほうが良い
三国志に2メートル級の奴が
ぞろぞろ出るのと同じ
91: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:20:28.97 ID:ezD05m2KO
会津と長州の関係は今年大河で広まったんじゃね
92: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:21:15.97 ID:gecJ2KDk0
本能寺の変は基本的には明智単独犯と解釈していいよ
94: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:23:16.06 ID:P5bz0A3w0
信長の部下に黒人の部下が居た
本能寺の変で信長と死に別れてからの消息はわかっていない
98: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:25:50.83 ID:n6UucJGO0
>>94
信長が最初墨でも塗ってんじゃないかと疑ってごしごし洗わせたけど黒いままなんで面白がって登用したらしいね
96: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:24:36.95 ID:/A9IBnGu0
ここであんまりあがってないけど龍馬暗殺もミステリーだよね?
あれも黒幕は誰なの?
100: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:28:55.92 ID:wzB9+15R0
>>96
討幕派でしょ
97: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:25:17.77 ID:GVttk4/F0
あと、戊辰戦争後に薩長がやらかした会津転封は、実はスターリンレベルの被害を出したことね
会津の三十五万石は、戊辰戦争後に下北の辺境に追いやられ、交渉三万石、実質石高ゼロ以下の斗南藩に転封された
スターリンがウクライナ人に対してやらかした飢餓作戦(ホロドモール)とほぼ同じレベルのことを明治新政府もやっている
三十五万石を三万石に減俸ということは、つまりは家臣の十分の一を飢え死にさせろってことだしな。こりゃ立派な虐殺行為だった
福島人はもっともっとこれを主張すべきだった。俺らは政府軍に殺されたのだと言わなかったからフクイチ事故も単なる「運が悪い」だけの事件になてしまった
101: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:29:58.19 ID:jB8YMvB80
>>97
福島人は維新後は強烈な愛国心を持つようになるんだよね
105: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:37:08.10 ID:GVttk4/F0
>>101
大政奉還以後のやり取りがまんま土人的だしな
会津藩「将軍が諦めたのだからもう引退します」
↓
長州藩「ふざけんなお前ら絶対ぶっ殺すから覚悟してろ」
↓
会津藩「俺らは佐幕じゃなくて、単に先祖様の言いつけを守って教徒を守護してただけです」
↓
長州藩「知るか。いいか、絶対お前ら殺すからな?」
薩摩藩「長州どんもこう言っておりますので……」
↓
仙台藩「おいおいそりゃひどいんじゃねぇの? 会津藩は仕方なかったんだよ。許してやれよ」
南部藩「同意」
庄内藩「同意」
↓
長州藩「は? 何? 会津をかばうの? 何? 死にたいの? 殺そうか?」
↓
仙台藩「え? 何? 下手に出りゃつけ上がりやがって」
南部藩「おい長州藩いい加減にしろマジで。今ならまだ堪忍してやるから」
↓
長州藩「は? 殺そうか? 上等だ、会津の田舎侍もまとめて全部かかってこいよ」
↓
仙台藩「は? 何言ってんだ殺すぞ? いいのんか? いいのんかコラ?」
奥羽列藩同盟「仙台さんの言うとおり、長州生意気すぎ。仕方ない、こっちも天皇を担いで国家を二分しようぜ」
↓
長州「よっしゃ、お前ら全員賊軍にしてやるわ。薩摩藩、奥州ヘコましてやろうぜ」
薩摩「ゆるしゃったもんせぇ」
106: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:39:26.04 ID:wzB9+15R0
>>105
わかりやすい
仙台って割と早く降伏したんだよな
伊達政宗の末裔なんだししっかりと戦って欲しかった
108: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:47:00.05 ID:GVttk4/F0
>>106
一言で言えば、長州藩がたかが私怨の戦いに錦旗の御旗なんか担ぎだしたせいで話が複雑になったな。くだらない戦いに天皇の名前を使ってはいけないのだ
ただただ、会津藩を許してやればそれでよかったじゃないか。いくら京都守護職と言え、元はといえば会津は佐幕派であるとは言いがたいもんねぇ。一言で言えば会津はマジメだったのだ
いくら江戸は無血開城したとはいえ、薩長は血を見たかったのだな。それは革命とか政変の時には仕方ないことだけどさ。それにしても官軍・賊軍の話ではないわな
仙台は仙台でいろいろとライバル的だった会津藩が、ポット出の長州にコマされるのが許せなかっただろうし、南部藩は伊達藩に借りがあったからねぇ
戊辰戦争って実は、日本最大の内乱なのかもしれんよ。西南戦争なんてもののタネにならんぐらいヤバい戦争だったのだと思う。東武朝廷とかもうホントタブーの域だし
109: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:49:16.92 ID:wzB9+15R0
>>108
お前まさか会津人?
110: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:54:28.76 ID:GVttk4/F0
>>109
南部人だ。一山百文の南部領民だよ
南部藩の秋田藩討ち入りの陣頭指揮を取った楢山佐渡とか、マジで辞世の句がイカすんだよな
『花は咲く 柳はもゆる 春の夜に うつらぬものは もののふの道』と宣って死んだ。イカすよなぁ
まぁ南部藩の秋田討ち入りなんて戊辰戦争のなくてもよかったオマケレベルの戦争だけどさ
111: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:56:14.80 ID:wzB9+15R0
>>110
南部といえば原敬だな。まさしく一山だ
114: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 01:01:52.55 ID:GVttk4/F0
>>111
楢山家と原家は、同じく南部藩の家老職の家だったからね。楢山佐渡への処断は原敬も死ぬまで恨んでいたという
原敬は学生時代のアレコレから士族の身分を捨てたけど、心は本当にこの戊辰戦争で止まってたんだろうね
その原敬もテロリストに刺殺されて即死した。夫人は夫の死を知ったその瞬間から、二度と首相官邸に戻らなかったという
北の田舎侍の家系は頑固だよな。「死人になってしまってはもう首相じゃないから」って言い放ったらしいな。会津もこんな感じだったんだろうな
117: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 01:08:31.20 ID:wzB9+15R0
>>114
会津でいえば柴兄弟なんか明治の武士だね
ちなみに俺の先祖は仙台藩士で会津で大山厳と戦った
120: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 01:15:42.10 ID:GVttk4/F0
>>117
すげぇなぁ、夢があるなぁ。戊辰戦争ってスター大集結の一時期だからな
宮古湾海戦なんて、世界史上稀に見る敵艦乗っとり作戦だった上に、土方歳三、榎本武揚、まだペーペー時代の東郷平八郎と、
その後の教科書に名前が載ってる奴ばかりが酸化してた戦いだからな。さしずめ日本版の虎牢関の戦いといえるだろう
東郷平八郎も、最初は「トーゴーチャイナ」って馬鹿にされたけど、宮古湾海戦に参加してたのを告白したら一躍有名人になったとか言うし
121: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 01:19:50.71 ID:1DA+B7SF0
>>120
宮古海戦の頃の東郷の写真見るとかなりイケメンだよな。まだ二十歳そこそこだし
その35年後に日本を守る海戦の指揮とるとかカッコいい
99: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:28:16.84 ID:+Wy5QH/U0
前方後円墳
102: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:32:46.28 ID:3uBKE44c0
当時としても残酷な方法で処刑された石川五右衛門は何者だったのか
104: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:34:25.18 ID:IVEVZXXu0
>>102
どんな方法だったかな
107: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 00:41:49.85 ID:3uBKE44c0
>>104
油でカラっと揚げられたとか
あるいはこんがり煎られたとか
大々的に処刑されて後に有名人になってるのに詳細が今ひとつ分からない
石川五右衛門
石川五右衛門(いしかわ ごえもん、生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代の盗賊。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で一子と共に煎り殺された。
従来その実在が疑問視されていたが、近年発見されたイエズス会の宣教師の日記などを史料として、同名の人物の実在が確定した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/石川五右衛門
115: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/10/12(土) 01:05:07.23 ID:23eepnlK0
関が原で東軍が勝利したことだな
普通はあり得ない、とまでは言わないが、かなり厳しい