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8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ

2017年08月03日:12:04

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コメント( 92 )

戦争体験談


1: 名無しさん@涙目です。(茨城県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:22:20.28 ID:qUc0YNUL0 BE:844481327-PLT(12345) ポイント特典
【記者と案内人】朝日新聞記者と小学校教員、異なる戦争体験

 1935年、糸満の漁港で写したとみられる記念撮影風の1枚には、沖縄を取材して本土に戻った大阪朝日新聞の記者と、糸満での取材を案内した人たちが写っている。
その後の歩みは異なるが、それぞれが激動の時代をくぐり抜けていた。
(以下略)

※全文はソース元で
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/111965
no title
※こちらは一昨年立てられた戦争体験談のスレ

8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ
http://world-fusigi.net/archives/8075594.html




19: 名無しさん@涙目です。(京都府)@\(^o^)/ [FR] 2017/07/13(木) 21:32:53.40 ID:L4LjyvIZ0
うちのじーさん、ジャワ島で戦闘機が故障して不時着して、そのまま終戦まで現地で米作ったり水車を作ってやったりして楽しく過ごせたんだと。
色々現地人に教えてやってるうちにジャワの言葉も覚えて、すっかり現地に溶け込み、終戦後日本に帰るときには引き止められるほどだったとか。
軍資恩給?は海外にいると多く貰えるとかで、満額支給。ばぁさんが亡くなった次の週には「わし、よそにも女いるからお別れや」と言って出ていったきり消息不明。バイタリティが俺らとは段違いだは

20: 名無しさん@涙目です。(東京都)@\(^o^)/ [GB] 2017/07/13(木) 21:32:57.58 ID:2qd/rwrf0
地元では5,6年に一度不発弾が発掘されるんだがw



33: 名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:41:09.60 ID:bHx/0NzO0
うちの父ちゃんはまだ子供で、ど田舎だったから遊んで帰ってきたら、戦争負けたって親に言われたらしいよ
あとは、食べる物がなくて松茸ご飯もほぼ松茸とか言ってた

34: 名無しさん@涙目です。(dion軍)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:41:21.67 ID:7ws1bnIt0
50キロ離れた隣町に子連れで行ったら、運悪く空襲に合い
子供を背負って、走って帰ってきたおばちゃんを知ってる。
途中、何度も、土管の中とかで身を隠しつつ。

39: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [EU] 2017/07/13(木) 21:45:59.15 ID:Zh5xMk6u0
岡山県にいた第17師団だったと思う、祖父が高松で訓練を受けて南方へ向かう前に戦争が終わったとずいぶん前に話してくれた事があった

戦争が終わって岡山県の和気町あたりへ帰る際、本当に酷い雨で西大寺から長船町あたりは洪水だったと

その雨で和気町の川が増水、学校の屋上に避難した先生と生徒は建物ごと流されて助けを求めながら濁流の中で校舎が倒壊。みんな亡くなったんだそうだ。いま消防署がある辺りから少し南に行くとカーブになってて、そこで

戦争が終わって助かったというのに気の毒な話で、祖父の姉さんもその話を聞かせてくれた時に居て当時の事を話してくれた。図書館があるところの橋に慰霊碑が建ってる

実際は満州も南方も戦地へ行ったと祖母は後から教えてくれたが、戦争の悲惨さはとても言葉で伝えられるものではないのだろうね
口に出しても何か違う、いやこうじゃないって感覚

54: 名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区)@\(^o^)/ [JP] 2017/07/13(木) 21:57:10.10 ID:TZAiewivO
>>39
あれ、婆さんから洪水(吉井川)話は聞いたぞ。
多分君の爺さまとうちの婆さんの生誕地はかなり近いな

144: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [EU] 2017/07/13(木) 22:35:57.20 ID:Zh5xMk6u0
>>54
おぉ、そうですか。今年もそちらはクソ暑いですか?

その時は西大寺の先が洪水で電車が止まって動かなくなったそうだ
仕方ないから関西方面へ帰る同僚に食料を渡して自分は歩いて吉永あたりから今の日生町方面へ向かったと

祖父は曾祖父から受け継いだ土地を提供して、地域に工場や学校ができた
今はもう工場も閉鎖されてしまい過疎で学校が無いそうだが

222: 名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 23:46:19.42 ID:TZAiewivO
>>144
こっちはクソ暑々

>吉永あたりから今の日生町方面へ向かったと

うんうん。よくわかる地名じゃわ。
そういえば、うちも聞いたがいくら岡山県南とはいえ結構な距離を峠だなんだとあるのに~まで歩いてた~行商してた~とか、現代的な感覚じゃビックリする話あるよな

40: 名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:48:51.84 ID:TZAiewivO
爺さん→神奈川(横須賀?)で訓練中に終戦
婆さん→飛行機に機銃で撃たれるから姉妹で隠れる話や、近くの山にある横穴は防空壕の跡って話

まぁ爺さんの話は、思うところがあったのか、私がガキ故にだったのか本人から聞けず、死んだ後に婆さんから聞いた。

41: 名無しさん@涙目です。(熊本県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:49:07.28 ID:Wfkwi4PB0
海軍におったじいちゃんの話で
軍艦の大砲?に配置してたら隣の兵隊さんが戦闘機の弾に当たって吹き飛んだらしい
ほんと凄い時代を生き抜いてきたんだなって思った

44: 名無しさん@涙目です。(長野県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:52:03.85 ID:TNOr+RDs0
俺のじい様戦時中インドシナにいたんだけど、バナナ食い過ぎて腹壊して入院した
でもそのおかげにインパール作戦に参加しなくて済んだらしい

だけど終戦直後日本が負けたと知った瞬間じい様の部下が手榴弾抱えて目の前で自決したのを止められなかったのを今でも忘れないって言ってた

45: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [ES] 2017/07/13(木) 21:52:15.17 ID:EUiOoPhP0
爺さんがシベリア抑留組。中尉だったから4年間強制収容所送り
兵卒は1、2年位で帰れたらしい
ガタイのいいやつから栄養失調で眠るように死んでいったとか
爺さん体が小さくて生き残ったけど、帰ってきて1年間は栄養失調のせいで頭が動かず働けなかったらしい

航空整備兵だったので隼も整備したとか
なお本人は話したがらず、直接聞いたことはなかった

61: 名無しさん@涙目です。(香川県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 21:58:58.96 ID:CjSIUu0r0
>>45
うちの親父もシベリアだな
少尉だったんだが、学歴もあるってんで途中でモスクワまで連れていかれて
徹底的に共産主義を叩き込まれたらしい
まあ日本に帰ったら活動してくれってことらしいな

しかしうちの親父はまったく赤化してなかった
どうしてなのか聞いたら
「そりゃお前、聞けば聞くほど共産主義って絶対にうまくいくはずがないってのがわかってくるんだよw」
って笑っててわ

あんな怪しげなものに飛びつくのは、貧しい農家出身の奴とかが多かったなって言ってた
「平等って素晴らしい!!」ってなるらしいw

73: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [ES] 2017/07/13(木) 22:04:39.27 ID:EUiOoPhP0
>>61
ああそんな話は聞いたわ。
皆んな赤に染まったふりしてたとか。でないと返してもらえないかららしいけど。

119: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/13(木) 22:25:08.52 ID:pMssSUiW0
>>45
多分俺の爺様と同じ境遇だわ
一昨年鬼籍になってしまわれたが婆ちゃんがあの人は人食ってたんだよって言っててドン引きした。

128: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [ES] 2017/07/13(木) 22:29:53.90 ID:EUiOoPhP0
>>119
許してやってくれ。
数人に黒パン一斤だけの配給で、それを人数で等分とかだったらしいから
体でかい人はそれじゃ足りないので、水でふやかして量を多くしたから、なおさら吸収が悪くなって死んじゃったんだろうって話だった
俺らには絶対に判らん状況だから

48: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行)@\(^o^)/ [IL] 2017/07/13(木) 21:55:10.04 ID:gu0ISPEU0
よっぽどトラウマだったのか誰も何も話さなかった

49: 名無しさん@涙目です。(禿)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:55:31.41 ID:81jDKea60
従軍体験のある人もかなり減ってきたね。佐官だった人なんて数を数えるくらいだろう。こうなると記憶の改竄がますます進むんだろうね。

50: 名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:55:54.93 ID:Y71SWUqt0
じいちゃんきのこ雲を近くで見て次の日現場で遺体の処理
見ただけの人は手帳もらえたけどじいちゃんは貰えずだった
医者に関係ないとは言われたけど俺は白血病になった

53: 名無しさん@涙目です。(千葉県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 21:56:56.36 ID:HLAwN1gb0
大叔父が大陸での戦闘中にわざと上官のそばに向けて銃を打ったらその上官が大人しくなった
映画やドラマに出てくるような理不尽で横暴な上官だったからムカついてやったらしい

55: 名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [GB] 2017/07/13(木) 21:57:24.46 ID:w44FuBn00
じいちゃんは終戦時にまだ子供だったけどじいちゃんちの山に戦車が大量に置かれてたんだって。銃剣とかも拾ったんだけどなくしたそうな。
九州だから本土決戦に備えて温存してた兵器なのだろうか?
あとばあちゃんのお父さんは南方戦線に徴兵されて帰らなかった

130: 名無しさん@涙目です。(dion軍)@\(^o^)/ [JP] 2017/07/13(木) 22:31:01.02 ID:+WaJaFc50
>>55
米軍の暗号をある程度解読してたから宮崎に上陸作戦するのを判ってた。
なので九州に戦車集めてたんよ。
戦車がずら~と並んでる写真見た事ある。

194: 名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [GB] 2017/07/13(木) 23:20:00.20 ID:w44FuBn00
>>130
よく宮崎ってわかったね

415: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/14(金) 08:12:21.60 ID:M0H/vgcW0
>>130
宮崎も飛行場あったりして結構な軍事拠点だったんだよな
日南の王子製紙には米軍基地の機銃掃射の弾痕が残った建物があったな
俺の地元の都城は富士重工の工場があって、今でもネットでその工場が銃撃にあう動画が見れる

59: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [CA] 2017/07/13(木) 21:58:08.09 ID:6AJ6xMCQ0
婆ちゃんは、自分の婆ちゃんの実家の茅ケ崎に疎開したんだが
戦争が終わって7歳の時に根津の自宅に帰ってきた

茅ヶ崎も、根津の自分の行動範囲(谷中から本郷周辺)も、全く
被害がなかったんで、東京大空襲も知らんかった

62: 名無しさん@涙目です。(禿)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:59:37.52 ID:81jDKea60
祖父は奈良の予科練に行っていたらしい。だからなのか飛行機にもヘリコプターにも乗せてくれた。ただ予科練について聞いても何も話してくれなかった。空が好きでも、かなり嫌な事があったのだろうと思う。

63: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 21:59:58.78 ID:4H2tT/5j0
ビルマで戦ってたじいちゃん、指が3本なくなってて腕には弾丸が埋まったままだって聞いた

70: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 22:03:00.30 ID:uA1QN8x80
パン職人の爺さん
建物疎開で自宅が軍に接収

戦後、返還されず他人の手に

農家から材料を調達して洋菓子を作って売り捌く

自宅の土地を買い戻して自宅兼工場を再建

730: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/15(土) 20:32:59.97 ID:oejFpCZV0
>>70
淡々と書いてるが前向きで良い話だ

72: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区)@\(^o^)/ [GB] 2017/07/13(木) 22:04:20.82 ID:Oo7ZaM/60
陸軍だったトーチャン達は戦争終盤、門司から広島に向かって移動していたが
移動した3日後位に前に居た街が空襲に遭ったらしい
そして呉鎮守府(クレチン)で終戦を迎えた
その後、引き上げ船が呉港に入港して皆が盛大に帰港を祝って万歳してる目の前で
機雷に当たってあれよあれよと言ううちに沈没したらしい

77: 名無しさん@涙目です。(catv?)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 22:07:37.33 ID:lqPagE/a0
うちのじいさんは軍曹で主計だったらしい
戦争が終わっても残務処理でしばらく仕事があったとか

非常に小食で、戦時中でもそれは変わらず
飯の盛りも少なくするように配膳の兵士に言ったけど
事情を知らない他の人間がそれをとがめて兵士をぶん殴ったことがあったそうな

78: 名無しさん@涙目です。(長野県)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/13(木) 22:07:53.01 ID:X+V/EKWR0
うちのじいちゃんはあんまり話したがらなかったな
死んだ後にアルバム出てきて、戦友達との写真に何月何日どこで戦死とか細かく書いてあって一生背負ったんだろうなと切なくなった
もう一人のじいちゃんは爆弾抱えて戦車にひかれる訓練してたら戦争終わったって言ってた

81: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [SA] 2017/07/13(木) 22:09:26.67 ID:jTvqN/bG0
じいちゃんは突撃のラッパ吹いてたそうで無傷で帰国。ラッパ持って帰ってあったらしいんだけど人知れず処分したらしい。戦争の話はしてくれなかったから思い出したくなかったのかな

83: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [ES] 2017/07/13(木) 22:10:25.43 ID:EUiOoPhP0
終戦まで中国戦線、満州にいた人はまだ幸運だわ。
南方に送られた人は殆ど帰ってこなかったらしいからなあ

84: 名無しさん@涙目です。(京都府)@\(^o^)/ [BR] 2017/07/13(木) 22:10:44.30 ID:XG/tTcjR0
うちのジッジは中野でわいわいしてたみたいや
no title

87: 名無しさん@涙目です。(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ [IL] 2017/07/13(木) 22:12:02.28 ID:75y1/YTb0
親父の足の親指の爪が変な形
ガキの頃なんでって聞いたら
爆弾運んでて、落としたって言ってた
親指の上にな・・

89: 名無しさん@涙目です。(東京都)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 22:12:53.36 ID:axvWC9+a0
うちのじいさんはいよいよ南方で、近海で訓練していたら、轟沈されて、入院していたら、運よく終戦だった。
運ゲームだよね。

91: 名無しさん@涙目です。(京都府)@\(^o^)/ [TR] 2017/07/13(木) 22:13:28.80 ID:wEaIUCD/0
撤退中、匍匐前進で森を彷徨って居たら、ばったり米兵の一人と出くわしちゃって
「嗚呼、終わった…」って覚悟決めた所、その米兵が徐にウヰスキーボトルを差し出したそうな
こっちはお礼にタバコをあげて、お互い一服しながら酒を酌み交わしたんだって
その後二人共何も言わず180度回れ右して別れたと、沖縄で戦った爺さんから聞いた

384: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 06:50:45.69 ID:8ZiW9zmR0
>>91
良い話だね

564: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [VN] 2017/07/14(金) 22:05:32.99 ID:ARKOXRqy0
>>91
誰も好き好んで殺し合いなんかしたくないんだよ

94: 名無しさん@涙目です。(茨城県)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/13(木) 22:14:42.33 ID:n+pz+xCa0
末期には戦闘機が地上スレスレの低空を昼間っから堂々と飛び回っていて、パイロットとはっきり目が合ったらしい。でも撃たれなかったとか。嘘くさいけど

103: 名無しさん@涙目です。(香川県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 22:18:11.16 ID:CjSIUu0r0
>>94
いや、それはあると思う
うちのお袋もパイロットの金髪、青い目まで見えたって言ってた
おまけに機銃掃射受けたらしい

120: 名無しさん@涙目です。(山梨県)@\(^o^)/ [BE] 2017/07/13(木) 22:26:27.48 ID:uw52GN+D0
>>94
>>103
東京大空襲の話は戦後、身内から聞きました。
対空兵器が消失している状況で、B29はまるで嘗めるように
総武線を添うように東から侵入し、
ジュラルミンの敵機の下部は燃える市街地の炎を照らしオレンジに光っていたそうです。

10万を超える市民が犠牲になりました。黙祷を捧げます。

109: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [ES] 2017/07/13(木) 22:20:08.16 ID:EUiOoPhP0
>>94
嘘くさくない。
ばあさんは、近くの航空基地の練習機赤とんぼを、米軍戦闘機が追い回してたけど銃撃しなかったっていってた。
要はからかって遊んでたようだ。
あとは地上走ってる犬とかを銃撃して遊んでたらしい

もう日本には反撃する戦力もなかったから

145: 名無しさん@涙目です。(dion軍)@\(^o^)/ [JP] 2017/07/13(木) 22:35:58.28 ID:+WaJaFc50
>>94
うちのオヤジは終戦時5歳で台湾に居たが、トウキビ畑を歩いてたら空襲に来た戦闘機のパイロットの顔がハッキリ見えたとか言ってたわ。

97: 名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [FR] 2017/07/13(木) 22:15:31.98 ID:/KUnbHkv0
北海道の港町だが、爺さんたちの話によると戦中戦後に食糧難が一切なかったらしい
川に虫取り網を突っ込んだらいくらでもシシャモが捕れるし、農家との物々交換でも鮭一尾で結構な量の野菜と交換してもらえるしで

98: 名無しさん@涙目です。(愛知県)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/13(木) 22:16:04.86 ID:bue8pQQj0
叔父(長男、俺の父親は9人兄弟の末っ子)は戦艦武蔵と共にレイテ島沖で沈んだ
くらいしか知らない

100: 名無しさん@涙目です。(北海道)@\(^o^)/ [BE] 2017/07/13(木) 22:16:50.34 ID:SeCpD+U/0
じいさん樺太で抑留されてて昭和25年に帰って来た。
抑留されてたとき朝起きたら隣の戦友が凍死してたりして、よく埋めてたって言ってたわ。

113: 名無しさん@涙目です。(香川県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 22:22:57.01 ID:CjSIUu0r0
>>100
>抑留されてたとき朝起きたら隣の戦友が凍死してたりして、よく埋めてたって言ってたわ。

それ、うちの親父も言ってた
「明日も頑張ろうな」って言って眠りについた隣の奴が
次の朝冷たくなってたりしたことがよくあったらしいんだが
それがトラウマになってたのか、自分の母親が亡くなるときに病院にいたんだが
「人が死ぬのを見るのが怖い・・・」っていって病室を出て行った
自分の母親の臨終が怖いって感覚は俺には理解できないけど
やはりなんかフラッシュバックしたりしたのかもしれないと今になって思う

104: 名無しさん@涙目です。(dion軍)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 22:18:45.05 ID:lB+lmHwJ0
うちの親は昭和5年生まれで、次の年に兵役に付く前の年に終戦って言ってた。
少しでも生きたいと当時、最も死なない内地の海軍の通信に受かったって言ってた。
凄い倍率だったらしいが、俺が言うのも何だか親父は天才だったから受かったんだと思う。

126: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 22:29:41.37 ID:BaUCdy4o0
うちのじいちゃん、戦艦大和にぎりぎり人数いっぱいで乗れなかったらしい
そのあとタイだかで川に飛び込んで泳いだお陰で助かったとか
そのあと長崎に派遣されて原爆→爆心地から遠かった+防空壕にいたから被害なし
でも気絶したって言ってた
しかし、片付けで暫く長崎にいて地獄だったって言ってた、被爆手帳もどたばたでもらい損ねてた

そんなじいちゃんは、おつかいでアイスとフローズンを間違えて買ってきてばーちゃんに怒られてたのんびりじいちゃんです
今は天国にいます

133: 名無しさん@涙目です。(群馬県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 22:31:50.60 ID:8HCzxwQm0
俺の曾祖父は戦艦八雲に乗っていたらしい
何でも世界を何周もしたとか
ほんとかな?

146: 名無しさん@涙目です。(香川県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 22:37:13.82 ID:CjSIUu0r0
もう亡くなったけど近所の医院の先生が広島大学の出身で
戦時中も学生で広島にいたんだが
原爆投下の前日に何人かが教授に呼ばれて
「おまえらとにかく農家かどこかで大八車を調達してきて今すぐ広島を離れろ
 とにかく今すぐだ、できるだけ遠くへ、山を越えて行け、理由は聞くな、他人にも話すな」
って言われたらしい
その医院の先生は真面目な性格だったので教授の言うことを聞いて
徹夜で山を越えて広島から離れたらしい
夜が明けて、やれやれ一休みってところで広島市内方面が突然光ってキノコ雲が・・・
教授の言うことを聞かずに広島に残った者は全員亡くなったらしい
「ああいう情報って、どこからか入ってきて、知ってる人は知ってるんだなぁ」って
その医院の先生はしみじみ言ってたな

328: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 02:22:58.62 ID:5K2uc8aF0
>>146
戦争末期は米軍が空襲前に予告ビラ撒いてた
広島長崎も原爆投下予告ビラが撒かれたよ
原子爆弾がものすごい威力があるのでのを先生は知ってたんだね
アメリカが広島に原爆を落とす前に大量に撒いたビラの内容がこちら
http://world-fusigi.net/archives/8533605.html

01

337: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 02:42:43.50 ID:U+opzMUM0
>>146
投下を事前に知っていて逃げられた、っていう人は結構いるらしいな。
米国は情報を集めやすい所に日系人のスパイを入れてて、
広島大もそのひとつだったんだろうね。

知ってて逃げた、っていう人が余り表に出てこないのは
機密を破って教えてくれたスパイへの配慮と、自分だけ助かったっていう後ろめたさなんだろうな。

154: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 22:41:42.90 ID:fa/2DTdI0
チビで戦場に行けなかったじいちゃん
そのおかげで俺がいるんだなと。

157: 名無しさん@涙目です。(香川県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 22:44:18.45 ID:CjSIUu0r0
>>154
うちの爺ちゃんもそうだわ
チビでデブw

でも器用だったので近所の大工さんにさそわれて
一緒に松山の航空隊の兵舎の建築作業に行ってたらしい
日当は良かったらしいよ

156: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 22:43:51.07 ID:z+USiMFe0
8月15日の正午に終戦が告げられたけど、その数時間前に日本海軍厚木飛行場を攻撃しに来たグラマン機の編隊と、
それを迎撃した厚木の302航空隊の零戦隊が横浜の上空で最後の大空中戦を繰り広げたと、当時女学生でそれを目撃していた婆ちゃんから聞いたことがある。ベテランの搭乗員が操っていたと思われる零戦の方が圧倒的に強く、グラマン機が次々と撃墜されていったそうだ。
後に聞いた話だと、その時に撃墜されパラシュート脱出した米兵はすでに息絶えており、近くの寺に丁重に葬ったという。
厚木の航空隊には以前にもグラマン機に追いかけ回されていた時、3機編隊の零戦に助けて貰った事があり、真っ白いマフラーをはためかせ機体をバンクさせながら飛び去る日本のパイロットが本当にカッコ良かったと言っていた。

252: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/14(金) 00:10:24.50 ID:OnujtXUA0
>>156
うちは小田原だが、たった1機で大編隊の米軍機に戦いを挑んで撃墜された疾風の話が伝わっているよ
慰霊碑はその時の疾風のプロペラでできている

234: 名無しさん@涙目です。(dion軍)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/13(木) 23:59:15.57 ID:1mgZVjTM0
ばーちゃんの話
逃げそびれて、空襲で姉に手を引かれて防空壕へ逃げてたら
近くに爆弾が落ちて庇った姉が腕だけ残してぶっ飛んだ
それから、自分より大きい人と手を繋げなくなった

一方、じーちゃんは満州?の辺りで食料なくて死にそうになってたら
現地の人に、口にキュウリ突っ込まれてた
若い人がこんな所で死ぬな、生きて故郷に帰れって言われたそうだ
助けてくれた人が亡くなるまで文通してた

235: 名無しさん@涙目です。(dion軍)@\(^o^)/ [US] 2017/07/13(木) 23:59:27.16 ID:lB+lmHwJ0
no title

240: 名無しさん@涙目です。(dion軍)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 00:02:28.10 ID:evVID6Fo0
その本の中にある一部を撮ってみたよ。

no title

no title

248: 名無しさん@涙目です。(東京都)@\(^o^)/ [CZ] 2017/07/14(金) 00:08:18.65 ID:OnBg0AOg0
>>240
免許皆伝の曽祖父が、
祖父が士官学校を出て軍刀持って配属される際に語った事を思い出した
「おまえには剣道の才は無い。野戦になったらとにかく突け」だったそうだ
その軍刀は珍しい程度には長いサイズだった

263: 名無しさん@涙目です。(茨城県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 00:16:37.13 ID:BtkAZTJ00
>>240
首切りの作法かな?
貴重なものを有難うございます

241: 名無しさん@涙目です。(中部地方)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/14(金) 00:03:06.83 ID:aJbCRC610
じいちゃんはミャンマー方面行ってたわ
戦後もよくそっちに渡航してた
もし戦争に勝ってたら向こうに住むつもりだったらしい

251: 名無しさん@涙目です。(東京都)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 00:10:12.27 ID:T55ZpCS30
今年105歳で亡くなった俺の母方の爺さん
海軍で通信士官だった

愛宕、山城に乗船したが幸い撃沈される前に下船
その後は掃海艇(28号って言ってた)に乗り、ラバウルで集中放火浴びて沈没したけど運良く助かり、その後日本に帰投して航空隊の支援部隊の内勤やってたら終戦

最後は官位ももらってたな
正八位だった

とても優しい爺さんだった

297: 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/14(金) 01:09:21.49 ID:0zySjeT10
>>251
なんかウチの爺さんと似てる
ラバウルで沈没、地元の漁民に助けられ沖縄まで送ってもらったとか言ってた…

261: 名無しさん@涙目です。(東日本)@\(^o^)/ [IN] 2017/07/14(金) 00:15:22.70 ID:G0QHzGvcO
十年前に死んだ祖父は、妻(俺の祖母)や息子たち(俺の父や叔父)にさえ、従軍中のことはほとんど何も語らなかったそうだ。
葬式のとき、親戚が集まったけど、詳しいことを聞いた人は誰も居なかった。

きっと、語りたくないことが沢山あったのだろう。

267: 名無しさん@涙目です。(長屋)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/14(金) 00:20:02.84 ID:RHA0lSzW0
ばあちゃんは死ぬまで寝る時にはモンペ履いてたよ
いつでも逃げられるようにって
うちは戦争でも関東大震災でも全焼したから…

268: 名無しさん@涙目です。(岐阜県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 00:20:17.90 ID:0exrF8jS0
岐阜空襲(ぎふくうしゅう)は、第二次世界大戦中アメリカ軍により行われた岐阜県岐阜市に対する空襲。
1945年(昭和20年)7月9日
https://ja.wikipedia.org/wiki/岐阜空襲

被害者の多さに火葬場が満杯で遺体を焼くこともままならず、真夏なので遺体も腐ってきた
仕方なく小学校の校庭に遺体を積み上げてガソリンをかけて骨になるまで焼いたとのこと

272: 名無しさん@涙目です。(東京都)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 00:22:39.14 ID:WEoKIbmv0
親戚が駆逐艦乗りだったらしいが、終戦までに乗った艦が3回沈んだそうだ
90まで生きていたそうだが、いっぱい恩給出たらしいわ

295: 名無しさん@涙目です。(兵庫県)@\(^o^)/ [RO] 2017/07/14(金) 01:08:38.76 ID:cZ4aF0A70
戦地に行ったじーちゃん曰く逃げ回ってた毎日食う飯にすら困ってた
物資とか弾薬なさすぎワロタ状態だったぞうだ

302: 名無しさん@涙目です。(富山県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 01:17:03.17 ID:YsOjv18Y0
ばーさんが挺身隊で舞鶴にいた
憲兵に「この非常時にぱーまねんととは何事だ!」と髪の毛を掴まれて怒られた
ばーさんら必死に「これは天然です!」と泣きながら話してやっとわかってもらえたが怖かったと言ってた

その頃じーさんは満州で演習中に落馬していたらしい
その怪我のおかげで内地に戻ってこれたんだってさ

308: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [FR] 2017/07/14(金) 01:31:28.93 ID:GJd8re3s0
戦後72年か
聞いた話しじゃなくて経験した人は殆どいないんだろうな
体験を聞ける人は聞いておいた方がいいのかもね

315: 名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 01:45:53.78 ID:QNTq4SFU0
死んだじいさんから聞いたけど、南東の島で、敵に囲まれて死んだと思ったけど、いきなり空から光が降ってきて相手が全員倒れたと言ってた
味方の兵器じゃなく宇宙からの光とか意味深なこと言ってた

338: 名無しさん@涙目です。(千葉県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 02:44:34.59 ID:ehUjZKDt0
爺ちゃんが8年間シベリアで抑留されてた
決死隊に選ばれてソ連兵に突撃したが捕虜になり、その後は強制労働させられていた
労働がきつくて逃げ出す奴も居たけど捕まって見せしめにみんなの前で射殺されてたそうだ

341: 名無しさん@涙目です。(三重県)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/14(金) 02:52:56.24 ID:V/9DEIca0
名古屋の空襲で夜空が真っ赤になってるのが三重県から見えたとか
空一面がB-29に覆われてたとか、上空で飛行機雲が円弧描いて空中戦してるのが見えたとか
子供の頃はなんか嘘くさいな・・・と思いながら話聞いてたけど
今思うと、婆ちゃんが生きてたうちにもっと真剣に詳しく聞いておけばよかった(`;ω;´)

359: 名無しさん@涙目です。(茸)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/14(金) 04:09:53.30 ID:Yz1wTHtS0
うちのじいちゃんも満州に行ってた
班長たかなんかやってたらしくて部下がミスして責任者だからと上官にスコップで酷く叩かれたらしい
置いてかれそうになった人を担いで助けた事も
その人は戦後たびたびじいちゃんを訪ねて来てたみたい
軍の余りもの理不尽なやり方を許せなくて勲章も恩給も受け取り拒否してた

362: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 04:14:23.48 ID:wO2ttldW0
そういえば ウチの親父も満州生まれ じっちゃんが満州に行ってお菓子屋さんをやってた時に生まれたが 間も無く戦局が悪くなって一歳か二歳の時に引き上げて小倉で暫く暮らしてた居たので 小倉の天気が悪くなく原爆投下されてたら 俺は今こうして生きてないと思う
その代わりに長崎で生まれるはずだった人が生きて居ないのだと考えると居た堪らない気持ちになったりする

387: 名無しさん@涙目です。(空)@\(^o^)/ [ID] 2017/07/14(金) 06:54:52.96 ID:/G/vD8PB0
じいさんが南方に行った時に前後の船はやられたが自分の乗った船は大丈夫だった。マンゴーばかり食べてたので今は見るのも嫌だという。

403: 名無しさん@涙目です。(禿)@\(^o^)/ [CN] 2017/07/14(金) 07:53:33.36 ID:+DoTZbsu0
祖父は生前の一時期、空母加賀の乗組員だった。当時の写真と書状が残っている。
ただ、ミッドウェー海戦の時点では乗組員ではなくなっていたので命拾いした。もし、参加していたら機関科(死亡率が高いらしい)だったので確実に戦死し、俺はもちろん親父も生まれなかっだろう。

428: 名無しさん@涙目です。(神奈川県)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/14(金) 09:12:33.76 ID:oAe1lY1F0
親父がフィリピンでP38の機銃掃射を受けてめちゃ怖かったって言ってた。

442: 名無しさん@涙目です。(SB-iPhone)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/07/14(金) 10:29:46.57 ID:25580ddq0
祖父が水木しげると同じ隊で水木しげるのせいで一緒にボコボコにされて、水木しげると一緒に隊とはぐれて見捨てられた話はしてたな。

459: 名無しさん@涙目です。(愛知県)@\(^o^)/ [US] 2017/07/14(金) 11:49:02.28 ID:5cONKEsa0
おじさんは神風特攻隊だった
特攻する前に終戦したので命拾いしたそうな









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8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ

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コメント

1  不思議な名無しさん :2017年08月03日 12:31 ID:1tntQV7C0*
親父は幼過ぎて疎開できなかったそうだ。
東京大空襲の日も、赤子だった親父を背負って婆ちゃんは必死に逃げ惑ったそうだ。
親父自身には戦時中の記憶はほとんどないらしいが「焼夷弾が落ちた場所が少しでもずれてたらお前(俺)はこの世に存在しなかったんだぞー」と言われる。
戦後もひもじくて芋とかばっかり食べてたから、今では芋とかは好んでは食べたくないらしい。
昨今、麦飯とか稗や粟が健康食としてもてはやされているのも解せないそうで「白飯が一番」だそうだ。
2  不思議な名無しさん :2017年08月03日 12:43 ID:XIhX9AT20*
慰安婦は本当にいたのって聞いたら
「いた。でも5円も掛かるから部下で済ませてた」
って言われた
3  不思議な名無しさん :2017年08月03日 12:44 ID:DT6mOjGv0*
よく聞く話だが俺の連れの知り合いに特攻隊の訓練を受けた人が居て(父が議員だから知り合いが千差万別的に多い)特攻機に乗り見送りの人達を見渡すと上官が走り寄ってきて直ぐに広場に集合させられラジオで終戦を聞いたらしい 
4  不思議な名無しさん :2017年08月03日 12:51 ID:FtkuUbR40*
アトミックの話

ハムの日でもある
5  不思議な名無しさん :2017年08月03日 12:52 ID:Hb7HmmIK0*
北海道だと、シベリア抑留とかロシアの火事場泥棒みたいな話ばかりだな。
6  不思議な名無しさん :2017年08月03日 12:57 ID:z5yhPski0*
シベリア抑留者がその当時の話をすると死期が近い。
7  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:01 ID:UqPWgsRe0*
ひい爺さんが南方作戦から奇跡的に帰還していたらしい。その後鬱で死んじゃったけど
8  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:02 ID:k51Jf3xU0*
本スレ387 同じく召集で南方にいた近所の親戚のオジサン、奥様に「(日本で)マンゴーは高いんですよ」との話に
「マンゴーの何が高いんだ、(戦地では)食い放題だったのに」

※2さん  それって・・・さすが軍隊というアレですかね・・・。
9  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:08 ID:4G5owgkg0*
※8
戦国時代もだけど戦場じゃ男色に走るのねwww
10  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:10 ID:xy9Ixhi80*
じいちゃんシベリア組多いな
まぁうちはひいじいちゃんだけど
小学生の時夏休みに遊びに行ったらDAIGOのじいちゃん(竹下登元総理)の名前が書かれた慰労状?みたいなのが大事に飾ってあった
11  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:17 ID:M5uXN.0g0*
高校生の時、死んだ爺さんの書架にあった大岡昇平の「俘虜記」「野火」「レイテ戦記」を見つけて読みふけった。
救いのない地獄絵図を赤裸々に記し、美化もせず、悪化する戦況を新聞記者のような冷徹な視点で淡々と描いていく。学校で反戦・反日教育の立場で語られる情感たっぷりな体験記とは全く違った。
戦争体験者の手記や自叙伝ばかりが目立つ爺さんの書架を見て、爺さんの戦後を思った。
爺さんはアジア各地を転戦し、死線を何度もくぐり抜けて終戦後無事帰還した人だが、自分が生き残った事で、自責の念からか帰ってきてから少しおかしくなった時期があった。
戦争中の事は家族にも誰にも話さず、晩年は人を避け、療養していた離れの部屋で誰にも看取られる事なく一人事切れた。

もう直接従軍経験者から話を聞くことが難しい時代、こういうスレがある事を嬉しく、ありがたく思う。不思議ネットの管理人さん、まとめてくれてありがとう。

12  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:20 ID:yuot30X40*
俺の曾祖父さんも駆逐艦乗りだって言ってたな
雪風だかって船に乗ってたらしい
死ぬ前に「お前は俺と同じ幸運の加護を受けている。死ぬ迄一生運には困らんだろうよ」って言ってた
戦争では実力とかじゃなくて運で人の生き死にが決まるのかと悲しくなったわ。
13  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:32 ID:MUeSTemX0*
うちのじいちゃんは満州での馬の上が寒くて寒くて手綱がろくに持てなかったといっていた。死ぬまで体に弾や爆弾の破片が入ってた。
14  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:36 ID:xy9Ixhi80*
※12
疑うわけじゃないがお前雪風とか普通に知ってるだろ
わざとうろ覚えを装ってる感じが凄い

何にせよネット民の祖父もしくは曾祖父の大和雪風赤城の乗組員か零戦もしくは隼パイロット率は異常
15  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:39 ID:t37h.oK.0*
野火って映画は内容が重すぎて凄かった。
16  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:41 ID:yuot30X40*
※14
疑うわけじゃないと言いつつおもっクソ疑っとるやんけ
まあ信じる信じないは勝手だけど自分が賢いと思い込んで嘘つき呼ばわりはやめた方がいいぞ
ネットだからいいけど現実じゃ嫌われるから
17  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:47 ID:qdzCgrhH0*
食糧不足で何でも食ったと言ってた
ある日、野菜のような葉っぱを見つけて盗んだが食えなかった(タバコの葉w)
犬は旨い、特に赤犬が最高
猫を食ったら腹を壊して死にそうになったとか
タバコと猫は煮ても駄目らしい
肝に銘じた
18  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:47 ID:8sxQQhwV0*
曾祖父さんは田舎の地主の長男で、なんとしても死ぬわけにいかなかったらしく
徴兵期間の短くて済む軍医になって4年で徴兵逃れてとっとと帰って来たらしい
徴兵期間って軍医だと短いの?
もしかしたらわかりやすく軍医って言ったのかもしれないけど。
曾祖父さんすごく頭が良かったからできたんだろうね。
93歳まで長生きしたけど最期まで頭はしっかりしていたから、子供の頃にもっとちゃんと聞いておけばよかったなぁ
19  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:47 ID:iU8XXGlH0*
うちのじいさんは満州にいて、終戦後捕まってシベリア送りにされたとか
蛙の卵食ってたとも聞いたなぁ
20  不思議な名無しさん :2017年08月03日 13:57 ID:0cxsWPqb0*
うちの亡くなった祖父が、神風特攻隊の生き残りだった。
仲間が飛び立って行ったのに、戦争に負けて生き残ってしまった自分がしんどくて、かなりグレたらしい。
最後はボケちゃってたけど、終戦記念日の番組を観ると、この話だけは絶対に忘れる事なく、哀しそうな顔をして言葉少なく語ってた。
21  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:00 ID:z4TANej.0*
外地に出兵して、終戦後帰還した父親の友人の話。
やはり食べ物の話で 最高の弁当は、蜥蜴弁当だと言ってた。
喰えそうな物は、何でも喰ったと聞いたと聞いた。
蜥蜴・蛙・蚯蚓・雑草等 。
22  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:08 ID:RJYogjIw0*
祖父→満州で憲兵やってた
終戦後は憲兵出身とバレるとフルボッコになるんで黙って帰ってきたらしい

祖母→農家。長崎の原爆の光を遠目に見た
終戦当日に「米軍が村へ略奪に来る」という噂が流れて、住民総出で山へ逃げたらしい
もちろんデマ
23  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:12 ID:r9aVVc8g0*
勤務先の介護施設に、どうやらソ連で抑留されていたと思われる人がいて、その方の息子さんも、「父親はソ連に抑留されていたみたいだけど、その話はしたがらない。」と仰っていた。認知症が強くなり、時々、幻覚も見ていたようで、そんな時はロシア語で喚いたりしていた。認知症が強くなり余所の施設へ転居されたが、どうされているのか。
24  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:16 ID:K9Ta2YY10*
爺さんの弟が呉海軍工廠にいたそうだ、んで19年に南方にて戦死したとの内容で戦死公報が来たんだと、工員として南方に派遣されてたっぽい。
25  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:17 ID:nx0hPq2L0*
職人だったから徴兵されずに飛行機作ってたじっちゃと
車で地雷踏んだけど無事だった叔父さん
26  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:19 ID:lkZPaMJQ0*
日本良い国桜の国七月八月灰の国
って感じのビラが撒かれてたって聞いたな
ペンシル爆弾とかあったらしく怖いから拾ったりはしなかったそう
27  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:19 ID:vXQ4X9vD0*
戦時中の話じゃないけど、爺様の家に遊びに行く時に袖に小さなアメリカ国旗がプリントされたTシャツ着てったら
ぶん殴られて家の外に放り出されたな…十何年くらい前の子供の頃だけど
寡黙な爺様が何であんなに怒ったのか当時は分からなくてほんと怖かった
28  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:32 ID:E3kTbXI10*
塾で教えていた子のじいさんが、醤油一気飲みで徴兵逃れ。

母方のばあさんの最初の夫は戦死。じいさんはその夫の弟だったと最近知る。
29  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:37 ID:e.cD3ZEu0*
母方の祖父はフィリピン組だったようで当時急性虫垂炎、つまり盲腸の手術をせざるを得なくなった
執刀したのが軍医なのかどうかはわからんけど物資の無い中、当然麻酔薬も無かったみたいで仕方なく麻酔無しでお腹きって手術をしたそう
出産時の妊婦さんよろしく、手ぬぐいを口の中に放り込まれての手術だったみたい
小さい頃よくそのお腹の傷痕見せて貰った
友達なんかに盲腸手術の跡を見せてもらうこともあるけどあんな綺麗な手術跡じゃなかったのが大人になった今更にすげーなと思う
30  不思議な名無しさん :2017年08月03日 14:54 ID:XNI2sKtC0*
うちのじいちゃんは41年に中国で鉄道警備の任務についてた時銃撃を受けて左手首と二の腕を貫通する負傷をして後送された。
その後は左腕にまひが残ったため傷病兵扱いになって終戦まで東京で暮らしてた。
東京大空襲の時ちょうど現在の亀戸駅の北側あたりに住んでいて、警報で飛び起きて外に出たらもう周辺は火の海だったらしい。
とっさに人の流れに逆らって風上側に逃げた結果、うまく火にまかれずに海までたどり着けて助かったと言っていた。
一晩明けて家のあった場所に帰る途中、黒焦げの死体や溺死した死体をいっぱい見たけど不思議と嫌悪や恐怖は感じなかったらしい。
だけど途中で明らかに暴行を受けて身ぐるみはがれた死体を見たときに「生きとる人間が一番怖い」て思ったって言ってたのを今でも覚えてる。
31  不思議な名無しさん :2017年08月03日 15:08 ID:..wg6nOM0*
婆さんは広島の田舎の方にいたからあんまり影響もなく食べ物にも困らなかったっていってたわ
32  不思議な名無しさん :2017年08月03日 15:11 ID:Ej4Ni.l60*
S県K市だけど、終戦の前の晩に空襲を受けて、曾祖父の家は全焼。
TVで戦争中のB-29の投下した不発弾処理のニュースを見ていたとき、
じいさんが、そういえば家の近くにも大きな不発爆弾が落ちて、
そのまま埋めてたよ、と言っていた。
ほんとかどうか調べてみたら、日本が終戦交渉をはじめたので、早期にポツダム宣言受諾の決断をうながすため、8000ポンド爆弾4発を落として、日本側に原爆が落ちたように思わせようとして投下、しかし4発とも不発だったらしい。
じいさんや、当時の人何人かに、くわしく聞いたんだけれど、不発弾処理がされた覚えがないと言っていた。また投下されたのを知らない人もおおい。
市の中心部には、いまだに8000ポンド爆弾4発が眠っているかもしれない。
33  不思議な名無しさん :2017年08月03日 15:21 ID:rb29kiwV0*
爺さんの話、捕虜を集めていた所で任に就いていたらしい。
りんご農園の近くだったので、1日1個なら取って食べてよかったらしい。
もし、取ったりんごが腐ってたり、虫が食ってたりしたら捨てて、もう一個取ってよかったらしい。

りんごを食べるとき、やせ細った捕虜達がうらやましそうに見ているので、憐れに思った爺さんは一口かじって「うわ、腐っとる!」
と演技して捕虜たちの所に投げていたんだって。
捕虜達は「ありがとう、ありがとう」と言いながらそのりんごを食べてたらしい。
そして、そんな事をやってたのは爺さんだけではなく部隊のほとんどの人が同じような事をしていたらしい。
34  不思議な名無しさん :2017年08月03日 15:54 ID:Tk9A.RcI0*
京都(市内)に爆弾は落ちなかったと言われているが、実際は落ちたとうちの爺様が言っていた。
なんでも、京都市役所に落ちたとかで、書類が空に舞っていたそうな。


それにしても親父が従軍していただの、戦争体験していただの…
書き込んでいるヤツの年齢は幾つやねんw
35  不思議な名無しさん :2017年08月03日 16:06 ID:RNJnCvFY0*
315が気になる事言ってる
36  不思議な名無しさん :2017年08月03日 16:39 ID:vCJtyus.0*
水木しげるはいつでも水木しげるでフリーダムすぎてワロタ
37  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:06 ID:fIX4oCuS0*
飛んできた手榴弾を上官が蹴ったらこっちきたから蹴り返したとか(不発)
敵機が落ちたぞ!ってみんな喜んでいたから見にいったらどうみても味方機だったとか
笑っていいのかわからない話を笑いながらしてくれたよ
38  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:28 ID:7sHDoWJJ0*
学徒動員で徴兵されたらドキュン下士官に、度胸だめしに捕虜の殺害を命じられた。
という話をすると左翼扱いされる。
39  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:28 ID:aeAbLT5n0*
イタリア人と一緒に酒飲んでたそうな。
40  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:46 ID:FmMMsJyY0*
金属供出で、先祖伝来の刀から鎧からみんな提出したそうな。
小作農家の人たちもナベから鉈からみんな出したという。
ところが、とある近所の教師をやってた家に(戦後に)用事で出かけていったところ床の間に立派な装飾をほどこした太刀があった。その後、その教師の家の人たちを周囲の人たちはほとんど村八分状態で接したと聞いた。
でも、その話をしたオレの母親は「うちも一番高価なやつだけでも隠しておけば良かったのに」と残念がっていた。
金持ちの家ほどそういった後ろ指さされるようなことをやってたらしい(真偽のほどは定かではない)。
41  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:48 ID:Y84JlhDA0*
戦後の物は全て信用できない。

洗脳されているからだ。

体験談も、負け戦では、フィルターがかかる。

アメリカと左翼の洗脳を解いて、公正な認識を持つことが出来るか。

それがこれからの課題だ。

42  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:51 ID:eBgyu1Ww0*
※41
割とよくある話。
村八分どころか村落揃って「家宝だけは庭に埋めとけ」と村長が触れて回った、なんて所も結構ある。古い武家街なんかは特にね。
ウチも裏山に伝家の宝刀とまでは言わないけど槍やら刀やら埋めてたけど、終戦後掘り返したら油紙が破れて全部腐ってたそうだ。
43  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:57 ID:cLI1FmQM0*
家宝の刀を軍刀にカスタムした話はよく聞く
44  不思議な名無しさん :2017年08月03日 17:59 ID:cLI1FmQM0*
思考停止マンきたよ
45  不思議な名無しさん :2017年08月03日 18:20 ID:kM82W.9e0*
知り合いの爺さんの親だか祖父だかが満州で撮った写真。
中国人の首切って並べてその横で笑って写ってた。
満州事変の写真と言う事らしい。
46  不思議な名無しさん :2017年08月03日 18:26 ID:yfp7qcAQ0*
存在そのものが存在軍事機密の飛行場を爺さんたちが作ってた。終戦時には陸軍によって記録文書等が焼却処分されたそうだ。第一は陸軍、第二は海軍の為で第二は空母の長さに合わせ作られていたそうだ。
曾祖父さんは硫黄島に居る
47  不思議な名無しさん :2017年08月03日 19:32 ID:Ap5T5Rsp0*
うちの婆さん(95歳存命) 身内に軍艦乗りがいたらしく、軍から品を融通してもらって商売成功。戦後の苦労話は「モノが盗まれて大変だった」
戦時中も特に爆撃された類の話は無く、人によって色々違うものだと感じる。
ただし、空襲警報だけは記憶に残っているらしく、認知症になった今では空襲が来るから灯りを消さなければ、等と言うようになった。

近所の爺さん(95歳存命) どこだか最前線の島の生き残り。「あの時は沢山ころした。戦争はやるからには勝たなきゃならん。次に中国とやったら絶対勝つ」といつも言ってる。95歳なのに杖も無しでシャキシャキ歩く。
48  不思議な名無しさん :2017年08月03日 19:59 ID:inTDgTPn0*
しかし、多方面の生の話を聞けなくなったのは残念だね。
だから、悪の権化日本軍vs誇り高き皇軍みたいな極端な解釈になるんだろうか。
人間だもの大半のひとりひとりは生きるために必死だったからどちらでもないのにね。
49  不思議な名無しさん :2017年08月03日 20:33 ID:i.A0939Z0*
叔父の父だか祖父だかが軍医やってたと聞いたな
身分が違いすぎてあまり話さないから詳しくはしらんが
50  不思議な名無しさん :2017年08月03日 20:40 ID:4v5hDmIO0*
俺の爺さんは漁師って事もあって、料理がたいそう美味かったんだ。
兵站ではなく部隊内の賄いをしていて、上官にも気に入られていたらしい。
沖縄で終戦を迎えたそうだけど、それまでに負傷してガマに隠れていたと。
真水は殆ど得られず、痛みを堪えて海水で傷の洗浄を続けていたそうな。

爺さんは俺が小学低学年位の時に鬼籍となった。
もっと色んな話が聞きたかったなぁと、本当に悔やまれる。
51  不思議な名無しさん :2017年08月03日 20:56 ID:ulDdM5Vt0*
つい先日、亡き祖母の家で写真が大量に発見されてその中見てたら祖母の父親(曽祖父)の写真が出てきた
自分と変わらないくらいの年齢で軍服着てたのは印象的だったな、一年志願兵の予備役少尉さんだったとか
52  不思議な名無しさん :2017年08月03日 21:10 ID:LzW0KZdV0*
父方の祖母は東京大空襲を受けたらしい
溶けたガラスが降ってきたってのはよく聞いた

あと、母方の祖母の兄は駆逐艦の機関士?で南洋で亡くなったって話だった
親戚が乗ってた艦を調べて兄弟姉妹に配ったのが仏壇にしまってあるらしいのでいつか確認しようと思って何年か経つ
53  不思議な名無しさん :2017年08月03日 21:21 ID:A6zagIvl0*
うちの爺ちゃん満州行ってた。ことさら話してたけど、中でも印象的なのは捕虜は埋めて首だけ出して日本刀で処刑するって笑ってたよ。戦争は人を狂わせるんだよな、小さかったから分からなかったけど。
そりゃ今まで職人一筋で戦争行って帰ったら、復興だかで保険の営業の外回りとかわけわかんねーよ。
この人は時代の犠牲者と知ったときは泣いたな…
54  不思議な名無しさん :2017年08月03日 21:29 ID:TZ9gz.J90*
ばーちゃんが零戦のモーター作る工場で
P51にケツ撃ち抜かれるとこだった話は毎年していこうと思う
55  不思議な名無しさん :2017年08月03日 21:32 ID:ouUpoFQG0*
親父の太もも、大きなケロイドがあった、神戸大空襲の時の焼夷弾にやられたキズらしい。
空襲後逃げ回って一時行方不明、偶然近所の人が見つけてくれた。
そんな親父ですがB29は大好きだったから訳がワカラン。
空襲時に見たB29,キラキラ光ってそれはそれは美しかったとのこと、
自分の祖母や兄弟が死んでるのに不謹慎な人だった。
俺には曾祖母にあたる人、十年ぐらい前に被害者名簿で見つかりました。
まだまだいろいろネタあるよ。
56  不思議な名無しさん :2017年08月03日 21:41 ID:ouUpoFQG0*
三年前だったかな年賀状が来た、呉で大和に乗ったことがあるのは
ついに私一人になりましたと。
何とも時の無常さを感じました。
57  不思議な名無しさん :2017年08月03日 21:59 ID:8fwRdntv0*
北海道の炭鉱にて、
終戦直後、露助が現れ土足で家にあがりタバコ、酒、金品、女はほぼ持って行ったらしい
だがうちのばあちゃんは連れて行かれなかった
ブスだったので
58  不思議な名無しさん :2017年08月03日 22:46 ID:hHUMHbJT0*
インドネシアのどっかの島。
もともとはドイツ語と英語ができたから、暗号解読だったそうだが、戦地の悪化のため島に送られたそうな。
アメリカ軍は上陸してこなかったけど、毎日艦砲射撃と爆撃。
米を炊く時は、山で一旦焚き火をする。そうするとそこに空爆が行われるから、山を降りて草木で煙をできるだけ防いで地下で炊いた。
終戦後、上官が自殺したため責任者がいなくなり、ドイツ語と英語ができるからという理由で、軍法裁判にかけられたが、無罪で解放。
帰還するごろには終戦から数年たってて、祖父の墓もあって、帰った時は物乞いがいると家族に最初思われたそうな。
本当に頭が上がりません
59  不思議な名無しさん :2017年08月03日 23:28 ID:M5uXN.0g0*
ほんとだな、俺たちの命は爺さん達が命賭けて戦ってくれたおかげだよな
感謝する気持ち、忘れたらいかんな
60  不思議な名無しさん :2017年08月04日 00:43 ID:eWuFujzw0*
当時の事を「日本は悪の国だった」「天皇の手先になって次々と国に攻めこんだ」
みたいな事言う人いるけど、きっと一人ひとりはさ
「大切な家族を守るため」っていうごくシンプルで極めて崇高な想いで戦地へ赴いたと思うんだよ
戦争はもう2度といやだけどさ
感謝と、誇りに思うべきだよね
61  不思議な名無しさん :2017年08月04日 01:18 ID:8..zYWeV0*
※60
泣いた
62  不思議な名無しさん :2017年08月04日 05:57 ID:DJieGKI70*
10年前に逝去した祖父。
とある夏の朝6時半、とある駅前で仲間たちとラジオ体操をして、7時前に汽車に乗り駅を出発。
10時過ぎぐらい?に上官が兵たちが乗っている車両に飛込んできて叫んだらしい。
「お前ら、助かったぞ!!」
1945年8月6日の話
63  不思議な名無しさん :2017年08月04日 06:00 ID:fIgC1ip40*
うちの祖母と大叔母さんは、満州に行ってた
男の人がいない代わりに役所のようなところで働いてたそうだ
見回りの仕事で、農家を回って食べ物を貰っていた
日本に引き上げる時には、みつかると取り上げられるので刀を埋めてきた
自分が子どもの頃に聞いた話で、刀を堀りに行こうと言ったけど叶わなかったw
64  不思議な名無しさん :2017年08月04日 06:30 ID:W7AuWrD90*
もう亡くなった親父から生前に聞いた墜落したB29の話は忘れられない。生きてた乗員が居たらしいんだよね
65  不思議な名無しさん :2017年08月04日 09:37 ID:PiTLWV4J0*
俺のばあちゃん佐賀の神崎ってとこにいたけど、博多空襲の時空襲されてるのが佐賀からでもわかったんだと
66  不思議な名無しさん :2017年08月04日 09:56 ID:w4XWZNLh0*
※16
12じゃないが文体からして怪しすぎるだろ
まぁ指摘されて顔真っ赤なのは解るが
67  不思議な名無しさん :2017年08月04日 10:31 ID:wWZzvhg80*
相手と目があったからか
攻撃してこなかったって聞いた
かつ子供だってのもあるかもしれない
68  不思議な名無しさん :2017年08月04日 10:31 ID:pCgpwYUo0*
祖父母(故人)から、戦争中や戦後の話は結構聞いた。

仏領インドシナで終戦を迎えた祖父から、現地での食料の調達(要は略奪)や
軍医の治療の手荒さとか話してもらえたが、実際の戦闘行為は話してもらえなかった。血なまぐさすぎと思ったのかな。
略奪でも戦闘における行為でも、とにかく上官の命に逆らえば鉄拳制裁はまだ
よいほうで、私刑による死刑もあったそうだ。
もらった勲章は戦後つぶして指輪に加工。
↑「命をかけて国のために戦ってもらったのにつぶすなんて!」と祖母は
激怒しあきれ返っていたが・・。

無理にでももっと聞いておくべきだったか。。
形見の軍隊手帳を見ると行軍記録や参加した作戦がわかる。祖父はホント
運がよかったとしか思えんわ。

祖母曰く、戦争中より戦後の食糧難の方がひどかった。
食うものがなくヌカを焼いて食べたがとても食べられるようなものでなかったと。
ヌカって、自分はグラノーラに入れたり、自家製パンに入れたりして食べている
のでマズすぎってイメージがない。
終戦記念日に今度ヌカを水で溶いて焼くってのをやってみようかな。

祖母の武勇伝も沢山ある。
買出し中、経済警察につかまってつれていかれた警察署で啖呵をきった話とか。
まあ、長くなるのでこのへんで。
69  不思議な名無しさん :2017年08月04日 13:11 ID:eNBMCpEp0*
みんな戦後GHQが日本を略奪したの知らないのね、それらの食糧で日本人を籠絡して共産主義者をたくさん作り出した事も。
70  不思議な名無しさん :2017年08月04日 15:25 ID:lXw.Mtg.0*
ヨメの爺さんはハイカラな人で英語が堪能だったので、戦争時も「お国のため」とか「天皇万歳」みたいな世の中に疑問を持って、出兵に行っても割と早い段階で自分から捕虜になったらしい。
一応牢屋に入れられてたけどほとんど不自由もなく、黒人の看守兵さんに「何か欲しいものはあるか」と聞かれたので「コーヒーが飲みたい」って言ったらバケツ一杯に持ってこられて「好きなだけ飲め」と言われたんだけど、爺さんはそんなに飲めないと言ってコップ一杯だけ貰って、看守兵さんが「何?もういらないのか?」と言って残ったバケツのコーヒーをザバーッと捨ててしまった時に「あ、こりゃ日本負けるわ」と悟ったらしい。

ちなみにその黒人の看守兵さんとは戦争が終わった後も交流があり、90年代初頭まで文通などでやり取りをしていたそうだ。
71  不思議な名無しさん :2017年08月04日 18:06 ID:mxdhpvgc0*
この手の話題を見ると、前の大戦は70年経ってもまだ歴史に成りきってないと分かる
あとどれほど経過すれば、歴史になるのか気になるな
72  不思議な名無しさん :2017年08月04日 18:47 ID:RjkgOrav0*
深夜、電気消してリビングでBFしてたら、背後に気配を感じたと思ったら、じいちゃんが画面を凝視してた。久しぶりに血が騒いだのか、目が赤く光り、銀歯をちらつかせてニヤついてた。
73  不思議な名無しさん :2017年08月05日 00:27 ID:2PlBgRV90*
母方祖父母は満州の電電にいて、
ソ連侵攻の一報を同僚が受け、早く逃げろと連絡してきて慌てて逃げたって言ってたな
満州脱するまで匿ってもらってた知り合いの家に中国人の強盗が来たそうだが
近所の世話してやってた中国人だったらしく、
アイヤー奥さん!と見逃してくれたって話とか
74  不思議な名無しさん :2017年08月05日 17:32 ID:nQXqYPUW0*
※73
日ごろの付き合いが明暗をわけたらしいね。知人の亡くなったお母様が
(当時小学生くらい)満州いたとのことで、現地人が日本人の家を
略奪して回ったらしいけど、そのお家は知り合いの支那人がこの家は
見逃してやれって略奪者達に交渉してくれて助かったとか。
まあ又聞きだけど。
75  不思議な名無しさん :2017年08月06日 20:24 ID:Qzrs.3EI0*
大叔父さん二人は一人は満州で、一人はパイロットとして亡くなったことしか知らない。じいさが亡くなる前にもっと話聞いとけばよかった
76  不思議な名無しさん :2017年08月09日 19:00 ID:dYIZ1MMw0*
親父の兄弟は次男から四男まで軍隊にとられて四男は特攻隊で出撃2日前に終戦
次男の武勇伝とかさんざん聞かされてたが、三男の話はあまり語らなかった
最近よーやく共産党に転向して帰国したと言い出した
一族的に恥ずかしかったらしい
77  不思議な名無しさん :2017年08月10日 13:05 ID:7wgthcWz0*
亡くなった母方の祖父が戦艦大和に乗艦してて、坊ノ岬沖戦の時には駆逐艦浜風に乗艦してたが、轟沈して3~4日程海上で漂流してたって昔聞いたなぁ。
78  不思議な名無しさん :2017年08月11日 00:12 ID:Hk1KOt.d0*
うちのひいじいちゃん、あの時代にド田舎から関東の海軍学校?に行って2番目の成績で卒業したから軍では部下がいたらしい(ちっちゃい班の班長とかなんだろうけど)。オカンの弟の名前は部下にちなんで名付けられたらしいし、ひいじいちゃん頭に弾丸入ってたんだけど船乗ってたら敵が爆弾か何かを撃ってきて自分の部下がひいじいちゃん守ってくれたからその怪我で済んだって言ってて部下思いで部下からも慕われてたのかなーと。
今もばあちゃんち行くとひいじいちゃんが戦場で書いてた日記と写真が残ってる。
79  不思議な名無しさん :2017年08月11日 21:48 ID:HIsvUKvH0*
戦時中は国民学校の児童だったじいさんは、授業そっちのけで連日軍事教練と軍事工場への勤労奉仕ばっかで、軍事教練のときに同級生の誰かが下手こいて失敗すると「国やお前らを守るために命懸けて戦地で戦ってくれてる兵隊さんに申し訳ないと思わんのか!連帯責任ぢゃ!」みたいな理由で、教育担当の軍人?から全員竹刀や素手でボコボコに殴られるだけ殴られて終戦だったんで、子供や孫にあんな理不尽で一方的な暴力を振るわれたくないから、死ぬまで反戦だったな。
80  不思議な名無しさん :2017年08月11日 22:26 ID:ODQuUH6u0*
私の祖母は終戦で満州から逃げてきた生き残り。ほとんど手ぶらの状態で逃げ出した。ロシア兵に見つかったら女は終わりだからと、17歳の祖母は泥を塗って男の姿で逃げた。露助は最低なやつらだと言ってた。兄弟と母が途中でなくなり、朝鮮半島に遺体を置いて逃げざるおえなかった。

それまでは満州で豊かに暮らしていた普通の一家がだったそうです。
81  不思議な名無しさん :2017年08月12日 01:39 ID:4TLymfW00*
祖父の叔父さんが満州に徴兵されて、何も帰ってこないし何の報告も無い
82  不思議な名無しさん :2017年08月16日 12:42 ID:DhljtOJl0*
祖父の兄が歩兵第32連隊で沖縄行ったのしか知らん。割りと名前珍しいんで調べたらすぐ出る
83  不思議な名無しさん :2017年08月16日 13:14 ID:v3mTgoDU0*
ほとんど語ってはくれなかったけど
祖母の家が樺太で商売してて、そのまま戦争に巻き込まれたらしい
空襲に遭い、腕の肉はこぞげ落ち鼓膜も破れ難聴になったとのこと
生前、性格のキツイ人だったけど、戦時中・戦後の混乱の中
生き抜くためには、そのぐらいでないと厳しかったのだろうな
84  不思議な名無しさん :2017年08月16日 22:53 ID:RRRJISBS0*
母方の祖母から聞いた兄貴二人の話

長男は、海軍で通信兵をしていたそう
みんなが知ってる有名な航空戦艦(近代改修前)や伊51とかの少し知名度が低い潜水艦に乗って、2年ぐらいごとに別の船とかに移ってたらしい

頭も良くて、横須賀にて成績の優秀な人が集まって試験をするという事があった
その時、他の人達はみんな将校さんやら位が高い人達ばかりで、長男だけ水兵さんの格好で周りから浮いていたとか(笑)
最期は呉の海軍学校で先生してたのにテニアン島まで行ってそこで死んでしまった

次男は海軍で働いてたけど軍人ではなかったらしく、ミシンが使えたので海軍の制服を作ったり直したりしてたとの事

待遇も良くて船の中では個室で、食べ物も満足に食べれたそうで他の船員達にもその食べ物を分けていたらしく、水兵さん達にも慕われていたらしい

最期は、乗っていた測量船?が敵の魚雷で沈められてしまった
その船の生き残りの人から聞いた話では、船の浸水が早く、個室で服作っていたので恐らく閉じ込められたまま沈んでるんじゃないかと
85  不思議な名無しさん :2017年08月17日 17:15 ID:BdeN9P2p0*
※71
今後さらに記録する行為は進化して行くから、歴史となるのに必要な時間は途方もなく長くなると思うけど、どうかな?
現在ですら、モノクロ画像、映像に色を与えたりして、むしろどんどん過去との距離が縮んで行くような気がするよ。

86  不思議な名無しさん :2017年08月17日 21:56 ID:GK3sa4ev0*
看護師してますが高齢患者さんから戦争体験聞く機会は割とある。満州から身一つで帰って来た話やお風呂介助でケロイドの跡がひどくて、尋ねると大牟田空襲の火傷跡とか。私のお爺ちゃんは100才近く認知だけど私が幼稚園の頃満州で運転手した話笑って話ししてた。もう片方は近衛兵だから無事帰還してすぐ病死。
87  追加 :2017年08月17日 22:52 ID:GK3sa4ev0*
インテリぽい上品な90才オーバー女性のご主人についてのお話は興味深かった 前戦の話は一切超極秘事項だと話してくれなかったから何してたか全く知らず。亡くなる前に聞いたって。任務は確か航空の方の専門なのに何故か海軍の有名な慰霊?めいほに夫の名前がある。潜水艦?船?でこっそり敵の陣地まで入っては双眼鏡で偵察したり戦略計画練ったり小型飛行機で海上から飛び回ってたらしい
88  不思議な名無しさん :2017年08月20日 13:28 ID:z5766.9g0*
うちのじいちゃんはブーゲンビル島に行った生き残り。
ばあちゃんは東京大空襲の生き残り。
奇跡たわな。

ばあちゃんはとっくに亡くなったが、じいちゃんは存命だ。
まだしっかりしつてるうちに話を聞きに帰ろうかね。
戦友会の資料なんかもみんな譲って貰うように頼んでみて、私がずっと保管したい。

子供の頃はたくさん話を聞いたよ。
じいちゃんはどうやら衛生隊だったようだな。
89  不思議な名無しさん :2017年09月15日 05:10 ID:RKVYV3LJ0*
 祖母が、里で遇った(福岡)空襲にて。
 里は空襲範囲から10km程離れていた為、直接的被害も無かったそうで、防空壕から顔を出して外の様子を伺っていると、焼夷弾がが真っ暗な夜空に幾条もの光が帯の様にたなびきながら降る様子を見て、子供心に「綺麗だなぁ…」と、思ったそうです。
 後の惨状を考えれば不謹慎極まりない感想でしょうが、聞かされた時に私は“子供の逞しさ”を感じましたね。
90  不思議な名無しさん :2017年09月21日 10:05 ID:1Krzlwwh0*
 昔、中国で陣地? を抗日ゲリラだったか中国軍だったかに取り囲まれて、本部? に救援要請したら、他の部隊も出払ってて、留守番しかいなくて、如何しようって思ってたら、煌々とライトをつけた味方のトラックがやって来たそうだ。
 
 留守番やってた人たちが、ありったけのトラックを持ってきたらしい。
 敵が「援軍か!?」ってなってる間に、実はトラックは空っぽで、味方を回収してささっと帰ったそうだ。

 で、祖父の命は、助かったって言ってた。
91  不思議な名無しさん :2017年10月06日 19:18 ID:pwvsUZ2I0*
曾祖父(祖父の父)はミャンマーとかその辺りで終戦、生きて帰ってこれた。89歳で逝去。祖母の父は別の東南アジアのどこがで戦死。戦争になる前まではど田舎なのにバイオリンひいたり、お金に困ることはなかったらしいけど、亡くなってからは貧乏になったって。ひとかけら程の骨と位牌?だけが返ってきたって最近聞いた。
祖母は、戦争に行く前に父親が、チューリップの刺繍?がある高級なランドセル買ってくれたらしい。
戦中か戦後かわからないけど、アメリカ兵にチョコレートもらったって言ってた。
92  不思議な名無しさん :2017年10月24日 08:36 ID:alAmYuag0*
うちの母方の祖父は戦闘機乗りの端くれ、そしてその戦闘機の設計者の一人が父方の祖父ってのも不思議な話だよなぁ…

 
 
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