すると女性は震えた声で、
「
私は死んだのですか?」
「え?」
驚いてSさんがミラーをのぞくと、後部座席には誰も座っていなかったそうです。
深夜の小さな乗車客もう一つご紹介します。
49歳のドライバーNさんは2013年の8月、
深夜の回送中に手を挙げている人を発見し、乗せたと言います。車を停めて見てみると、そこには
小学生くらいの小さな女の子がいました。季節外れのコートや帽子、マフラー、ブーツなどを着ていたそうです。
Nさんは深夜であったこともあり不審に思って話しかけました。
「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」
すると女の子からは、
「
ひとりぼっちなの」との答えが。
Nさんは迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ねて向かいました。
女の子が降りる時にNさんは手を取って降ろしてあげました。
「おじちゃんありがとう」
女の子は車を降ります。
すると、その瞬間姿を消したそうです。
今確かに会話をし、手を取って触れたのに、突如消えてしまったことにNさんは驚きました。明らかに人間だったのに・・・。恐怖や驚き、不思議でいっぱいだったと書かれています。
お盆、息子とひとときの再会津波によって息子の康生くんを失った遠藤さんのお話です。震災のあった2011年の5月に
「康ちゃんに逢いたい、何で夢を見ないのだろう、夢でもいいから逢いたいなあ」
そう思った時、突然夢を見たそうです。みなし仮説に住んだことのない息子の康生くんが、仏壇代わりに作った祭壇の前の座布団に座って「イイーッ」と歯を見せて笑っていました。
昔から「ママ、笑って笑って」と言う子だった、と遠藤さん。夢の中の康生くんは鮮やかでカラーなのに無音で声が聞こえなかったそうです。悲しみのあまり遠藤さんは「康ちゃん、そんなのママ笑えないよ。笑えないってば、無理だよ」と話しかけていたといいます。この日は母の日だったそうです。
それから2年経ち、悲しみ暮れて悩む遠藤さんの思いが頂点に達した時にそれは起こりました。ご主人、中学生の娘さん、震災の翌年に生まれた次男と食事をしていました。康生くんの仏壇から少し離れた食卓であったため、仏壇のほうを振りむいて遠藤さんは「康ちゃん、こっちで食べようね」と声をかけたと言います。
そう言って全員で「いただきます」と言った途端、
「康ちゃんが大好きだったアンパンマンのハンドルがついたおもちゃの車が、いきなり点滅したかと思うと、ブーンって音を立てて動いたんです」
スイッチを入れなければ動くはずのないおもちゃが動いた時に、全員が「あっ康ちゃんだ」と叫んだそうです。
ご主人が次男をお風呂に入れている時に遠藤さんはもう一度康生くんに心で話しかけました。
「康ちゃん、もう一回でいいからママにおもちゃ動かして見せて」
するとまた動いたそうです。この日以来、遠藤さんは康生君を身近に感じるようになったと言います。
お盆のある日、次男と離れて寝ているはずの自分の布団に、気付いたら次男が寝ていたことがあったそうです。ご主人に聞いてみると、夜に次男が起きて誰かに手を引かれるようにして歩いて遠藤さんの布団に入ったと言います。またある時は次男が夜中にむくっと起き出し「ブランコブランコ、ブランコで遊ぼう」と言って遊び始めたといいます。
2歳の次男をブランコで遊ばせたことはなく、ブランコという言葉も知らないはずでした。これは康ちゃんの仕業だなと思ったと言います。しかしそんな事もお盆を過ぎるとなくなっていったそうです。
携帯電話に出た伯父の霊陸前高田市に住んでいる吉田さんは、
地震の前年の10月に奇妙な夢を見たそうです。
「あれは朝方で、私がマイクロバスに乗ってるの。バスは走っているんだけど、周りを見たら全部死人のようなの。」
見れば、
マイクロバスが走る道の周りには死体がごろごろ転がっているのが見えたと言います。吉田さんいわく「アウシュビッツの写真を見ると死体がゴロゴロ写っているでしょ。そんな感じなの。」
そのうちバスは山の中に入って行き、そこにも男女の遺体がたくさんあったそうです。よく知っている場所なので、なぜこんなところに?と思ったところで目が覚めたといいます。
吉田さんのおじいさんが管理していた山は毎年松茸がとれました。震災の前年はいつもの3倍もとれて、20年間で初めての収穫量だったそうです。
災害の前年は山も変化するのかと気味悪く思っていました。その山というのが夢で見た山だったからです。震災の予告のようだったといいます。
そんな吉田さんが親しくしていた
克夫おじさんが、津波に流されて亡くなりました。克夫おじさんは吉田さんの御主人の伯父さんで、普段からとても気にかけてくれた人物なのだそう。遺体が見つかって二か月経った5月のある日、亡くなったことは分かっているけれど、なんとなく克夫おじさんに逢いたくなって電話をしたそうです。
「ああ、おじちゃん、どうしているかなあ、逢いたいなあ」
軽い気持ちで電話をしました。するとプルルルルと鳴ったかと思うと、
突然「はい、はい、はい」と言って克夫おじさんが電話に出たのです。
「エエエッ!」
(誰?なんでおじちゃんが出るの)
怖くなってすぐ携帯を切ったそうです。
さらに驚くことに、パニック状態だった吉田さんの元に、
なんと克夫おじさんの名前ですぐに折り返しの電話がかかってきました。背筋が寒くなって出られなかったという吉田さんは、すぐに克夫おじさんの番号を削除したそうです。その話を聞いたご主人が、克夫おじさんの番号に電話をかけてみましたが、通じませんでした。克夫おじさんの携帯電話は津波に流されて見つかっていません。海水に浸かっているはずなのです。しかし
あの声は確かに克夫おじさんの声だったと吉田さんは言っています。
体験が心の支えに
「呼び覚まされる霊性の震災学」によると、タクシードライバーの霊体験は少なくないそうです。そして
タクシードライバー以外の人の体験と徹底的に異なるポイントは、霊との直接的な対話や接触があったという点であると述べられています。そしてドライバー達は皆、とても穏やかに受け止めており、Nさんも「私だけのヒミツだよ」と嬉しそうに語ったそうです。また同じように真冬の恰好の人がいてもお客さんと変わらず乗せてあげると言います。
このような心霊体験には共通点が多くみられます。それが「霊を乗せるタクシードライバーの体験」「死亡者の夢を見る遺族の体験」「前向きな気持ちになると霊が出てくるという遺族の体験」です。体験した人は共に怖がらず、そのままを受け入れています。そして体験者は
自分の霊体験と巷で語られる心霊話は違うと感じており、心霊話を否定する人が多くいます。
それは多くの人と同じように
「心霊話=エンターテインメント」と捉えており、霊体験を認めていながらも、著者が「幽霊話」と言うと
「失礼な」「面白おかしくネタにするんじゃない」と怒りをあらわにする人も多かったそうです。
また、亡くなった家族が夢になかなか出てきてくれず寂しい思いをしたという話が多くあります。しかし絶望的な気持ちの時は出てきてくれず、前向きになり始めた頃に姿を現すのだそうです。客観的には「遺族の心が前向きになっているから、夢の内容も前向きに変わるのでは?」と現実的に考えてしまいますが、遺族はそれを分かっていても「亡くなった家族が自分を励ましてくれている」と強く信じています。
霊体験が遺族の心の支えになっていることは間違いないと感じました。
震災というものは東日本大震災に関わらず、
時間が経つにつれて記号化されている、と「呼び覚まされる霊性の震災学」では語っています。私大柴も被害が少ない土地にいましたが、東日本大震災の被災者です。それでもあの出来事が「3.11(サンイチイチ)」や「復興」「フクシマ」「原発」のような簡単な言葉で表されることに違和感があります。
出来事が全てキレイに記号化され、過去のひとつとして社会に処理されている感じがしています。これが
現地の方々と被災者ではない人との間に大きな隔たりを作っているように感じます。
また「呼び覚まされる霊性の震災学」ではこうも語っています。
日本では多くの犠牲者が出て、何万人が死亡したという単なる数値の羅列だけがあり、死者そのものはタブー視されて功妙なまでに隠されていることに気付かされる。
遺体の映像を流さないのは、日本だけなのでは?と著者が問うています。これは2004年のインド洋大津波で遺体がむき出しのまま報道されていたことと比較しての話です。
少なくともそれは世界共通ではなく、日本特有かもしれない。死の世界を遮断することは、あたかもそれがなかったかのごとく、当たり前のように了解される。
覆い隠して身近に感じないことで「死への不感症」が起こっているといいます。
もちろん何でもそのまま映せば良いというわけではありません。ご遺体とその家族のプライバシーもありますし、見ている人のショックもあるので配慮が必要です。しかしこのことも被災者と被災者ではない人とを隔てる大きな壁の一つの要因となっているような気がします。そしてその壁があればあるほど、被災者の心は理解されにくくなります。心の支えが必要になるのです。
この心の支えが霊体験なのではないかと思います。
遺族の傷
冒頭でも挙げたように、
震災を体験していない人でも「魂でもいいから、そばにいて」を興味深く手に取っています。震災遺族ではない人でも、こうした
「家族を突然失った経験」を知ることで、自らの心の傷を癒しているのではないかと思います。
それは想像して相手の気持ちを自分に置き換えて感じることで
「追体験」をしているのではないかと思います。追体験とは、先人が行った経験を後からきた者が自分もその結果に近づけるように経験することを言います。たとえ「この本のように自分も救われたい」と思っていなくても、
読む事で自動的に追体験をし救われていくように感じます。
心理学者の河合隼雄氏は自身の対談で「勝手に話して勝手に治っていくから患者さんはすごいんだ」とカウンセリングをしている患者さんのことを語っていました。語ることで追体験をして自分の心に自分でケリをつけるのだそうです。
残された家族の傷はなくなりません。人は皆死にますが、順番をたがえて子供が先に死んだとなると一生傷を負います。本書に綴られた霊体験は、震災に限らず事故や病気で家族を亡くした人も助けているのでしょう。この書籍は震災の記録としてだけでなく、家族を失った悲しみに暮れるたくさんの人々に広く影響を及ぼしているのです。
死者とともに生きる
霊体験を面白おかしく取り上げることがすでにエンターテインメントとして一般的になっています。しかしこの2冊の本は
こうした霊体験を震災学やコスモロジーとして取り扱っており、人間は「わからない」のが怖いのだと「呼び覚まされる霊性の震災学」では語っています。「震災という先の分からないこと」「家族が突然いなくなること」などというたくさんの
よくわからない怖いものに何か理由をつけて合理化することで恐怖心を取り除き、生きるために自分を変化させているのだと感じます。
そして霊体験や霊魂に関することをその後にどう生かすかも、
遺族が生きていく道を見出すための重要で必要な作業なのだと感じました。それが「死者とともに生きる」ことなのだと思います。
<参考書籍>