2: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:12:44 ID:xTe
1(二) カレーライス(原型:英カレー)
寄稿者名/gontabunta元はインドのスパイス料理であるが、この形になったのは宗主国英国においてである。
日本に伝わったのは明治初期であり、当時は香辛料の貴重さとあって、きわめて高価なメニューであった。
明治期の獣肉ブームまで海鮮もよく利用されており、
変わった処ではレシピにカエル肉を使う事を推奨している料理本まであることから、
フランス料理の技法が用いられている可能性もあるという。
保存期間の長い野菜を使って手ごろに作れる煮込み料理であり、かつ白米との相性がよいため、軍隊では早く普及した。
陸軍では野営地で匂いの強い食べ物が禁忌とされたため、前線では普及しなかったが、
海軍では「一つの深皿で食事が完結する」という利点もあって、今日まで海上自衛隊名物料理となっている。
海軍カレーは茹で卵やサラダ、あと牛乳もセットで供される。
海軍で脚気を防ぐのに一役買った。また、曜日の感覚を忘れないように金曜日にカレーを食べるという習慣もあるという。
明治末期、あるいは大正前期までには香辛料や西洋野菜の価格も下がり、ハイカラな洋食として日本中に広まった。
ニンジン、ジャガイモ、タマネギといった西洋野菜が普及するのは明治末期であるが、
これらの野菜が栽培されたのは北海道が最初であり、北海道大学では早い段階でカレーが寮食として登場している。
日本料理としてのいわゆる「日本式カレー」はとろみをつけた肉野菜に
「カレールー」と呼ばれる香辛料と小麦粉とカレー粉を混ぜて煮込んだ料理であるが、
日本においては様々な派生料理が誕生しており、北海道のスープカレーや大阪のドライカレーのようなご当地カレーも多い。
「カレー南蛮そば」や、「カレーパン」などのように別の食材に利用されることも多く、
また、スナック菓子の風味としても非常に人気の高い。
3: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:14:03 ID:xTe
2(遊) トンカツ&フライ(原型:仏コートレット)
寄稿者名/sasaken元々は、仔牛肉をスライスしたものに細かいパン粉をつけてフライパンなどで炒め焼きするフランス料理であった。
しかし箸のみを使って食べるのが難しく、また一食一食をフライパンで調理する際の火加減も難しいため、
大衆向け料理とはならなかった。
これを高価な牛肉ではなく豚肉に変え、さらに天ぷらの技法で油に泳がせる料理にしたのが、
豚のコートレット、すなわち「トンカツ」である。
夏目漱石お気に入りの「煉瓦亭」では温野菜を添えて、デミグラスソースをかけてナイフとフォークで供する品として登場した。
後に手間のかかるデミグラスソースや温野菜は、「ウスターソース」と「キャベツ」にとってかわった。
キャベツには油料理の胸やけを防ぐ効果があり、また手間もかからないためよく添えられる野菜である。
ウスターソースもまた、本場イギリスの「ウスターシャーソース」とは似ても似つかないジャパニーズ魔改造のひとつである。
香辛料を利かせたとろみのある甘いソースは、日本独自の調味料であり、これまた日本中にご当地ソースが存在する。
詳しくは「めしばな刑事タチバナ(おすすめ)」を参照。
この料理が「とんかつ」になったのは昭和初期である。
カツを包丁で切り分け、茶碗飯と漬け物と味噌汁で食べさせるという和定食のスタイルを始めたのは、
御徒町の洋食店、「ポンチ軒」とのこと。
4: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:18:03 ID:xTe
3(中) オムライス(原型:仏オムレット)
寄稿者名/gontabuntaオムレット、と呼ばれるフランスの卵料理の中に、ケチャップで炒めたチキンライスをくるんだ料理である。
ケチャップまたはデミグラスソースを掛けて供される。
「煉瓦亭」が発祥とされているが、この時点では「卵の中に炊いた白米を混ぜて作ったオムレット」であり、
これは忙しい厨房でもスプーン一つで食べられるようにと考案された。
白米大好きな日本人らしい発想である。
今日イメージできる「オムライス」に近いのは「北極星のオムライス」である。
こちらではマッシュルームと玉ねぎを入れたケチャップライスを薄焼き卵で包んだ現在一般的となっているスタイルである。
大正末期に、いつも白飯とオムレツを頼んでいた胃の弱い常連客のために
「同じものばかりでは可哀そうだから」という店主の思いから生まれたとされる
また、この時点でのオムライスは、
「茶巾寿司の発想で薄くやいた卵でチキンライスをくるむお手軽料理」であった。
伊丹十三の最高傑作「タンポポ(名作)」では、「皿に盛ったチキンライスの上に中が半熟のプレーンオムレツを乗せ、
食卓でそれに切れ目を入れて全体を包み込むように開く」という方法が紹介された。
これは本当に伊丹十三が発案し、東京日本橋にある洋食屋の老舗「たいめいけん」が作り出したもので、
現在は「タンポポオムライス(伊丹十三風)」という名前で供され、店の名物の一つとなっている。
これはオムレツ作りに本格的な技術が必要であり、まさに名物料理となり得る技術力の高い料理である。
なお、これをチキンライスではなく焼きそばの乗っければ「オムそば」となる。
48: 名無しさん@おーぷん 2018/01/28(日)22:07:01 ID:PH3
>>4
北極星って大阪のかいな?
50: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)22:37:54 ID:xTe
8: 名無しさん@おーぷん 2018/01/28(日)20:23:09 ID:h58
応援も何もフランスのオムレットと日本のオムライスを並べとる奴の何を応援せえと言うんや
フランスのオムレットはケーキのスポンジ生地を丸く焼いたものにクリームなり果物なりをサンドした食い物ちゃうんか?
10: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:29:04 ID:xTe
>>8
それ「オムレツケーキ」のことやで?
少なくとも19世紀には、フランスでもいまのオムレツの形のことを指すし、
世界中にある「オムレツ」はこっちの概念や。
「オムレツケーキ」を今のオムライスの原型というのは、無理があるで。
「寿司は本来は馴れ鮨だけを指す言葉だからアメリカSUSHIの原型は握り鮨じゃなくて馴れ鮨」
というのと同じやないか?
5: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:18:58 ID:xTe
4(捕) 生姜焼き(原型:仏ポークソテー)
寄稿者名/54613元々は厚い豚肉をバターで炒めた肉料理であり、デミグラスソース等を掛けて供されるフランス料理である。
日本で養豚が始まったのは関東大震災後であり、それまで豚肉は高級品であったが、
豚肉が庶民に広まるにつれて発達した家庭料理に近い。
あるいは明治期に登場したすき焼きか、あるいは江戸時代のももんじ焼がルーツかもしれない。
日本人は甘辛いタレを好み、さらに獣肉特有の匂いを消し去る調理法がよく発達する。
ショウガによる匂い消し作用と、濃い東京風味の甘味によって、
豚肉をおいしく食べるために発達した料理だったのであろう。
ちなみにショウガはコショウと同じく、中世西洋で珍重されたスパイスであり、
財産として保持する為に保存加工が必要な食材と認識されている。
つまり西洋に生のショウガが入ってくるようになったのは比較的新しい。
このため西洋では生のまま使う事は少なく、ドライジンジャーとしてクッキーなどにまぜて使う事が多い。
生のショウガの作用をフランス料理に応用した日本独自の洋食、と呼ぶことができるであろう。
シンプルながらも西洋の食材と東洋の食材をうまく融合させた至高の逸品である
6: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:19:22 ID:xTe
5(右) 肉じゃが(原型:英ビーフシチューorアイリッシュシチュー)
寄稿者名/fuumi901肉じゃが(にくじゃが)は、日本の煮込み料理の一つである。
肉、じゃがいも、玉ねぎ、糸こんにゃくなどを油で炒めてから、醤油、砂糖、みりんで甘煮にしたもの。
肉は、牛肉、豚肉、鶏肉などが使用される。
カレーライスと同じ素材を使うために補給の都合がよく、軍隊の食事として全国的に導入された。
海軍では「旨煮」、陸軍では「牛肉煮込み」としてそれぞれの調理指南書に登場している。
「カレーライスと同じ素材を使う」という一点において、
これが帝国陸海軍の糧食補給に都合がよいがために軍隊で普及した料理であることに間違いない。
さて、肉じゃがの起源については3つの説がある。
・東郷平八郎が舞鶴鎮守府司令官時代に「ビーフシチューを作れ」と炊事長に作らせた
・東郷平八郎が呉鎮守府参謀長時代に「ビーフシチューを作れ」と炊事長に作らせた
・そもそも全く関係なく筑前煮や煮しめの延長線上として自然に発生した。
東郷が作らせたというのは神格化された人間によくある「おとぎ話」のように思えるし、
何より寡黙・荘重な東郷が鎮守府での飯に文句をつけたとは考えにくい。
なにより英国に留学していたのだから、赤ワインやトマトやバターの存在を知らないわけがなく、
「とにかくあるものでビーフシチューを作れ」のような愚かな命令を出すとは思えないのである。
とはいえ、このあたりは舞鶴と呉がお互いに面白がって始めた遊びということもあるし、
日本海軍、および東郷のファンは日本以外にもたくさんいるので、ぼやかして観光資源にするのが賢いだろう。
邪馬台国起源説と同じく、このあたりはぼやかしておいた方が何かと都合がよいこともあるのだ。
ただし、肉じゃがはアイルランド名物料理の「アイリッシュシチュー」にそっくりだという考察もある。
もし東郷が英国留学中に食べたのが「アイリッシュシチュー」であり、これを再現させたのであればなるほどと合点がいく。
呉か舞鶴がアイルランドの都市と交流を深めるきっかけになってくれれば、これほど素晴らしい事はないだろう。
11: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:42:04 ID:xTe
6(一) 天ぷら(原型:葡テンポーロ)
この打線では唯一の江戸時代からのレギュラーである。
寄稿者名/sasaken16世紀にラードで食材を揚げる料理として「長崎天ぷら」として登場したが、
獣脂が手に入らない日本で普及するはずもなく、典型的な「卓袱料理」として名を遺すだけである。
しかし食材に小麦粉で衣をつけて油で揚げる、という発想そのものは西日本各所に広まり、
地域によってさまざまな発展を遂げた。
例えば「さつま揚げ」は典型的である。
漁獲量の多い地域で、魚をすり身にして油で揚げて保存性を高めるこの料理は、
西日本では「てんぷら」と呼ばれることもある。
蕎麦と違って飲用水の確保が不要であり、また比較的すぐに作れるファーストフードであることから、
江戸で屋台料理としてよく発達した。
そもそも調理に大量の油を使うという発想は、豊かな国の発想である。
以前の過去作で中華料理を指して「油を多用する」と考察したが、これは富裕層の調理の話であり、
原則的に庶民はそのような料理を常食できなかった。
むしろ中華において「庶民でも油が多用できるようになった」のは20世紀の満州大豆の普及によってである。
本来、油とは高価な食材なのだ。
そもそも油は食べる以外に照明用という利用が可能であり、また大量に摂取すると胸やけを起こす。
江戸時代は260年間の間、戦乱らしい戦乱がなく、農業技術が発達し、商品作物である油の生産量が非常に増えたため、
安価に油を使うことが可能になった。
この恩恵を受けて登場したのが、ゴマ油であげる「江戸天ぷら」である。
なお、本来は江戸料理であったこの料理が全国に普及したのは関東大震災(1923)以降である。
職を失った天ぷら職人が各地に移ったのがきっかけらしい。
また屋台料理としての天ぷら屋は姿を消した。
おそらくは衛生的な理由と、西洋化著しい東京の道路で、通常の調理火災以上の危険が付きまとう揚げ物の屋台が敬遠されたのが原因か。
12: 名無し 2018/01/28(日)20:47:56 ID:cGj
>>11
江戸時代ごろの天ぷらってどういう食材を揚げてたんや?
その辺は今とあまり変わらんのかな
13: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)20:51:22 ID:xTe
>>12
レンコンとかの歯ごたえのある野菜か、あるいは車えび、穴子、はぜ、きすみたいな魚介やでー。
変わったところではよく取れるアオヤギなんかもあげてたらしい。
なお、江戸三大ファーストフード(江戸蕎麦、天ぷら、寿司)は、すべて
・車エビ
・アオヤギ
・海苔
の三つが登場するんで、よっぽど採れたんやろうね。
アオヤギはちょっと想像つかないンゴ……
14: 名無し 2018/01/28(日)20:53:46 ID:cGj
>>13
はえー、サンガツ
エビやアナゴは当時も食べてたんやな
アオヤギってバカガイの事かな?
ワイも分からんけどホタテの天ぷら的な感じっぽそう(適当)
18: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:00:29 ID:xTe
>>14
ええんやで!
ちなみに蕎麦は幕府が16文と決めたんで、そのまんまなんやが、
トッピングものでは「花巻(もみ海苔)蕎麦」と「あられ(アオヤギ貝柱)蕎麦」が24文で同じ価格だったらしいで。
しかもあられのほうは海苔が敷いてあるんでちょっとお得なメニューだったそうや
15: 名無しさん@おーぷん 2018/01/28(日)20:58:12 ID:nLy
イクラは日本では鮭の卵の醤油もしくは塩漬けを指すけど
語源はロシア語で「魚卵」だからキャビアもタラコもトビッコも数の子もイクラなんだよな
19: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:00:56 ID:xTe
>>15
ロシア語由来だったり、アイヌ語由来だったりの言葉が北海道の食材には多いで!
16: 名無しさん@おーぷん 2018/01/28(日)20:59:17 ID:Kad
トンカツはシュニッツェルが元だと思ってた
20: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:02:54 ID:xTe
>>16
ドイツ料理は日本ではあんま流行らんかったなぁ……バルトの楽園でみたんやが、
第一次世界大戦のドイツ人捕虜がオーケストラ第九や食肉加工のハムを日本に広めたんやと!
25: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:15:12 ID:xTe
7(左) ナポリタン(原型:スパゲティ・アマトリチャーナ)
寄稿者名/from my point of viewこれも有名な話だが、イタリアに「ナポリタン」という料理は存在しない。
しいて原型をあげるならば、イタリアの「アマトリチャーナ」が近いらしいが、
豚頬肉、羊のチーズ、トマトというあまりなじみのないソースである。
日本式のナポリタンの特徴はこんな感じである。
・味付けはケチャップ
・ウインナーソーセージを薄く輪切りにしたもの
・缶詰のマッシュルームや玉ねぎやピーマンなどの野菜。
・汁気が飛ぶまで炒める
さて、この料理だが、実はイタリアよりもアメリカ料理のほうにルーツがあるかもしれない。
アメリカは日本を小麦輸入国にさせるために、GHQは日本人の食文化に大きな影響を残していった。
前回紹介したとおり、アメリカからの食糧支援である「ララ物資」では、米などなくトウモロコシや小麦粉がメインであった。
戦後まもなくの日本の都市生活者は、米を喰う事ができなかったため、さまざまな小麦粉料理に親しむことになった。
まず最初に「ラーメン」という形で麺の工業化が進み、さらに昭和30年代にはスパゲティの工業生産が可能になった。
この時、主な食糧輸入元であるアメリカの文化として、「スパゲティ・ミートボール」が紹介されたのではないだろうか。
そもそも「ケチャップ」はアメリカで生まれた香辛料である。
アメリカのウスターシャーソースが日本で「ウスターソース」になったのと同じように、
アメリカではトマトを使った「ケチャップ」が考案された。
日本のウスターソースがそうであるように、このケチャップも万能ソースとしてアメリカで認識されている。
日米はともに「甘しょっぱい味」が大好きであり、ケチャップも日本の食文化に急激に取り入れられていった。
バジルやにんにくやオリーブオイルなど手に入らず、トマトなどの新鮮な野菜の入手も怪しい時期に、
日本では「ケチャップとひき肉さえあればなんとか形になる」このスパゲティが普及したのだろう。
また日本の復活には漁業産業が大きくかかわっており、その過程で考案された「魚肉ソーセージ」が具財として代用できたのも大きいだろう。
なお、「パスタ」は麺類を意味する言葉であり、スパゲティは太さによって名称が変わるパスタの一つである。
日本でいえば、「うどん・きしめん・にゅうめん・ひやむぎ・そうめん」のようなものである。
個人的には、「パスタ食べる?」は「麺食べる?」と直訳されるのでイマイチ好きになれない。
ふつうに「スパゲティ」と呼べばよいのではないかと思う。
7: 名無しさん@おーぷん 2018/01/28(日)20:21:16 ID:nLy
スパゲッティーのことパスタっていうやつ
44: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:59:28 ID:xTe
>>7
ちゃんと言及したで! イッチも「パスタ」って呼ぶのちょっと抵抗あるんや!
52: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)22:51:20 ID:xTe
×7(左) ナポリタン(原型:スパゲティ・アマトリチャーナ)
〇7(左) ナポリタン(原型:米スパゲティ・ミートボール)
こういうふうに訂正したほうがええかな。
27: 名無しさん@おーぷん 2018/01/28(日)21:17:51 ID:1Mo
ドリアは?
46: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)22:03:43 ID:xTe
>>27
ドリアわすれてたー! ちょっと控え選手として今から書きます
29: 名無しさん@おーぷん 2018/01/28(日)21:18:58 ID:nLy
ザッハトルテは本場のと同じなんか?
47: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)22:05:34 ID:xTe
>>29
さぁ……日本ではあんまみんからなぁ。
バームクーヘンのほうが人気やろ。
これも第一次世界大戦で捕虜になったカール・ユーハイムってやつが日本に広めたんやで
41: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:58:18 ID:xTe
8(三) コロッケ(原型:仏クロケット)
寄稿者名/abc1234カレーライス、トンカツと並ぶ大正三大洋食である。
フランスでは「クロケット」と呼ばれる料理であるが、
中身はジャガイモの代わりにベシャメルソースが使われている。
これは日本では「クリームコロッケ」と呼ばれる料理であり、
コロッケの普及後、かなり時間が経ってから定着した。
※ただし、本物のクロケットは油で揚げる料理ではなくオーブンで焼く料理
日本では北海道開拓と同時にジャガイモと人参と玉ねぎが普及し、
それを家庭でどのように消費させるのかが最重要課題であった。
この中で、「玉ねぎ」はネギの代理としての利用方法が様々にあり、
人参はこの中では唯一生食できる食材であるため、漬物等に使われて普及した。
これまで日本料理には存在せず、
そのまま蒸かしただけでは白米のおかずにならないジャガイモを家庭で消費させたのが
「コロッケ」である。
先述の「ウスターソース」との相性が別群であり、腹持ちがよい料理であり、
また冷めてもある程度味を保てることから、大正時代に人気の高い総菜となった。
大正前期まで「クロケット」としてのコロッケは高級フランス料理であったが、
あるシェフの手により日本中に普及する事となった。
大正中期、東京「長楽軒」のコック阿部清六は、ジャガイモを種にした揚げるコロッケを考案し、
店頭での大量生産を可能にした。
彼が昭和2年に立ち上げた精肉店「チョウシ屋」でこのコロッケは大ブームを巻き起こし、
肉屋の惣菜としてのコロッケの地位は揺るぎないものとなった。
日本ではコロッケは家庭で作る料理というよりも肉屋や総菜屋で購入する料理として普及し、
安価な総菜としての地位を保っている。
バリエーションが豊富であり、サトイモやサツマイモやカボチャで作るものもある。
この中で最もお勧めしたいのは「ポテトサラダコロッケ」である。
ポテトサラダを具にしたコロッケであり、適度な歯ごたえも楽しめる最高のコロッケである。
42: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:58:27 ID:xTe
9(投) 総菜パン(原型:???)
寄稿者名/fuumi901打線では唯一、固定の料理名ではない「調理法」である。
日本では高級料理であるフランス料理のひとつとしてパンの製造方法が明治期に伝わったが、
「信長のシェフ」でやっていた通り、戦国時代には日本に紹介されている。
ただし、キリスト教との関りが深かったことを敬遠されてか、その後江戸時代には普及しなかった。
本格的にパンが食べられたのは明治初期である。
明治初期にパンが伝わったのとほぼ同時に木村屋(キムラヤ)が「あんぱん」を考案したらしい。
この派生としてジャムパンやクリームパン、コロネなどの様々な菓子パンが登場した。
日本人は基本的に甘いものが好きなのである。
また、おそらくはロシアのピロシキに触発されたであろう「カレーパン」や「揚げパン」、
ホットドックの発想から出たものでは、炭水化物+炭水化物な「コロッケパン」「焼きそばパン」など様々なものが存在する。
パンに何かを挟むという発想自体は、サンドイッチやホットドックなど、様々な国と地域で生まれる概念である。
しかしこの中でも日本の総菜パンの種類の多さは群を抜いているだろう。
ベーカリーに様々な菓子パンが並ぶ姿は、他の国では見られないという。
もし日本のパン職人が海外に進出するのであれば、是非とも応援したいものである。
また日本のパンは海外のパンに比べると非常に柔らかいと認識されている。
本来、例えばフランスパンは「外側はクリスピーで、中はふわふわもちもち」であることが最上だとされている。
基本的に日本の植民は歯ごたえを楽しむ料理を好むものの、「食いちぎれないような歯ごたえ」の料理を好まない。
これは中華でも同じであることから、おそらく箸文化と関係があると思われる。
43: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)21:58:41 ID:xTe
ほい、以上や。
49: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)22:17:55 ID:xTe
代打の切り札 ドリア
寄稿者名/Elena Shashkina1930年、米食悲願民族ニッポンのために横浜のホテルニューグランドの料理長が日本で考案した料理がドリアである。
とかく日本人はコメが大好きで、食事に米が使われていないと満足感を得られないので、
洋食もご飯によく合うように、あるいはご飯を中に詰め込むという魔改造がなされる。
料理方法としては、米料理をグラタンを仕込んだだけのものであるが、
米とグラタンに二つのソースを使うことができるため、調理の幅が大きい。
発想としては菓子パンと同じぐらい安易であるものの、様々な種類のドリアが日本に存在する。
シーフードドリアやチキンドリアといったバリエーションが有名である。
ホワイトソースとチーズの焼き加減が肝になる料理であるが、
チーズをのせるようになったのは戦後の話である。
ちなみに米がとれないフランスでは、こういった米をメインにした料理は少ない。
元になった料理はパリのレストランが創作した料理で、
イタリア・ジェノヴァの名家「ドリア一族」のために作られたものであったことから、こう名づけられた。
この料理は、キュウリやトマトなどを使ってイタリアの国旗の色である「緑」「白」「赤」を配色したり、
トリュフが使われた料理で、日本の一般的なドリアとは異なるとのこと。
53: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)23:21:22 ID:xTe
>>1 訂正
1(二) カレーライス(原型:英カレー)
2(遊) トンカツ&フライ(原型:仏コートレット)
3(中) オムライス(原型:仏オムレット)
4(捕) 生姜焼き(原型:仏ポークソテー)
5(右) 肉じゃが(原型:英ビーフシチューorアイリッシュシチューor筑前煮?)
6(一) 天ぷら(原型:葡テンポーロ)
7(左) ナポリタン(原型:米スパゲティ・ミートボール)
8(三) コロッケ(原型:仏クロケット)
9(投) 総菜パン(原型:???)
先発 ドリア(原型:仏ドリア)
中継 チキンライス(原型:伊ピラフ?)
抑え タコライス(原型:タコス)
54: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)23:21:44 ID:xTe
中継 チキンライス(原型:伊ピラフ?)
寄稿者名/stocksolutionsチキンライス
オムライスに入っているケチャップで炒めたご飯である
戦後、おそらくはナポリタンの普及と同じ時期にケチャップで炒めるようになったが、
元は大正時代に「チッケンライス」として広まった、
「鶏肉、人参、玉ねぎを加えて炊いた西洋風の炊き込みご飯」を指す料理である。
おそらくはピラフを原型として考案された料理である。
現在のチキンライスは炊いた米を使う。
このため発想としてはチャーハンに近いが、米と鶏肉を掛け合わせた料理は東南アジアにはたくさんあり、この料理はそのバリュエーションの一つであろう。
大正時代には、キリスト教会によるクリスマス慈善会という集まりがあり、そこでは孤児に食事が振舞われた。
鳥を大量に手に入れるのが難しかったためか、クリスマスにつきものの七面鳥の丸焼き的なものが日本では普及しなかったが、キリスト教徒にとって重要なこのクリスマスに、西洋的で豪勢な感じがする「チッケンライス」をその代用としたのだろう。
チッケンライスはおむすびの形で孤児に振舞われたという。
ボランティアスタッフの優しさがにじみ出るいいエピソードである。
55: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)23:27:44 ID:xTe
抑え タコライス(原型:米タコス)
寄稿者名/sunabesyouタコライス
アメリカのテックスメックス料理の一つである「タコス」を参考にし、沖縄で発祥した米料理である。
タコスはトルティーヤと呼ばれる皮で、辛く味付けしたひき肉や新鮮な生野菜を包んでソースを掛けた料理の総称であり、これを具としてご飯にかけたのが「タコライス」である。
米国の沖縄占領時代に生まれた料理だと思いきや、実はその発祥は1984年と非常に新しいものの、沖縄では非常にポピュラーな料理である。
タコライスの具は下記の通り。
・牛ひき肉にスパイスを入れたタコミート
・千切りチーズ
・レタスやトマトの生野菜
チーズとひき肉によるボリュームと、たっぷりの生野菜が南国の気候にマッチした料理である。
ただ、「タコスの具をご飯に掛けただけ」という評価には疑問符が付く。
そもそも日本では「タコス」そのものがあまり普及しておらず、
アメリカから進出した「タコベル(Taco Bell)」が一度は撤退したほどである。
このなかで日本人にマッチするようにご飯にかけて提供したというのは、それはそれで評価されるべきであろう。
56: カバエル◆C042qdaDP6 2018/01/28(日)23:55:30 ID:xTe
それじゃそろそろ寝るでー