誘われただけの理由で巫女へ
根っからの適当人間だった私は、「海外旅行に行くとき楽かも!」という漠然とした理由で、英米語学科のある地元の大学に進学した。
当たり前だけど大学に入ったからって人間性が変わるはずもなく、適当に勉強したり遊んだり、留学したりして、大した考えもないまま大学4年間を適当に過ごしていた。
そんな私にも他の学生たちと同じように就職活動の時期がやって来たが、やりたい仕事も将来の目標もない私はことごとく就職活動を放棄した。というより、どうすればいいかわからなかった。
ダメ人間な私を急き立てることもなく、「そのうち面白そうな仕事が出てくるよ」と、どこまでも放任主義な両親。そんな両親に甘えていた自分もどうかと思うが、とにかく就職活動もしないまま適当に毎日を過ごしていた。
そんな私に転機が訪れたのは、大学を卒業する間際のことだった。縁っていうのは案外身近に転がっているもので、母親の知人が「うちで働かないか?」と声を掛けてくれた。なんとそこが神社だった。知人というのがその神社の神主で、昨今の参拝客の傾向から英語が喋れる人を探していたらしい。以降、神主さんと呼びます。
その神社というのが規模も知名度もそれなりのところで、私の家から自転車で15分ほどの距離にあり何度か訪れたこともあった。以降、A神社と呼びます。
A神社は地元ではそれなりに有名な山の麓にあり、前はこの山への登山客で賑わっていたらしい。
神主さん「最近ではB(ここ数年で外国人の観光客が急増している観光地で、A神社から車で20分ほどの距離にある)から流れてくる外国人も増えていてね、この人たちに対応できるよう英語が喋れる人を雇いたいと思ってたんだよ」
話を聞かされた私は、正直「面白そうだな」と思った。日常会話程度の英語なら難はないし、大学で学んできたことも活かせそうだ。それに何より、我が家は神職の家系でもなければ、宗教事に賢しい家庭でもないので、そのようなものと無縁だった私としては、未知の世界を見れるという好奇心が大きかった。
どうせやりたい仕事も目標もないし、卒業後の就職も決まってないしで、私は二つ返事で神社への就職を決めた。今思えばもうちょっと考えるべきだったと思うけど、いかんせんこの時は神的なものや霊的なものを微塵も信じていなかったので、そういう超常的な何かと本当に出会うなんて考えていなかった。
それから無事に大学を卒業し、予定通りA神社に就職することになった(神社では奉職すると言う)。
A神社での私の仕事というのがいわゆる巫女(地元の人にはお巫女さんと呼ばれている)で、最初は神道や神社に関する知識を学びながら神主さんたちの手伝いをしたり、外国人を案内したりすることが主な役割だった。
神主さん「後々は神事にも参加できるように、ゆっくりと勉強していこうね」
私「がんばります!」
思っていたよりも学ぶことは多そうだ。
ちなみにこの時点での私の神社に対する認識は、今思えば相当ヒドいものだった。とにかく神的なものも霊的なものも信じていなかったため、神社=ただの観光地という認識が私の頭の大半を占めていた。
友達「神に奉仕する仕事ってどんな感じ?」
私「別に遊園地と同じだよ。賽銭投げや鈴緒引き(鈴を鳴らすあれ)はアトラクション、おみくじやお神札は限定グッズ、神事や祭祀はイベント。みんなそんな風にしか思ってない」
こんな話を友達にしたこともあった。巫女の風上にも置けないヒドい認識だったと思う。
だけど、神社で働く者の中でこのような認識を持っている人は割と多いんじゃないかな。神主さんに聞いた話では、全国には9万余りの神社があるけど、その中で神職が常駐しているのは1万程度しかないらしい。
その1万程度の神社も観光地化しているところが大半のようで、
神主さん「神社という箱の中で、神職という人形が、昔からのしきたりをただなぞっているだけというのが現実」
という言葉が妙に印象に残っている。もちろんそうじゃない神社もあるのだろうけど、この神主さんの言葉が私の偏った認識に拍車を掛けたのは間違いない。
そんな認識を持ったまま、私はA神社での仕事を淡々とこなしていった。最初こそ一般的な会社とは違う「未知の世界観」に浮き立っていたけど、そのワクワクもしばらくすればどこかへ消え、あとはただひたすら毎日の業務をこなすだけだった。
「これが社会の歯車か」なんて思ってはいたけど、別に仕事が嫌になることもなかったし、別段楽しくなることもなかった。
お巫女さんとして働くようになってから半年くらい経った頃、私は先輩のお巫女さん数人とご飯を食べに行くことになった。巫女だからといって食事の席でも神様や奉仕の話をするわけじゃない。普通の女子と同じように、彼氏がどうの出会いがどうのって中身のない話をしていたと思う。
食事を始めて1時間くらい経った頃、お酒も進んで話が盛り上がってきたこともあり、話は職場の愚痴に移っていった。「あの人の指示の仕方が偉そうでむかつく」だの、まぁ好き放題言ってたと思う。
その流れでふと私は聞いてみたくなった。
私「そういえば先輩たちって、幽霊とか見たことないんですか?」
私より遥かに長くお巫女さんとして働いている人もいたから、中には心霊体験した人もいるんじゃないかと思っただけだった。別に深い意図があったわけじゃない。
私が質問すると、先輩たちの挙動が明らかにおかしくなった。
A先輩「まぁ幽霊っていうのは・・・あんまりねぇ?」
B先輩「そうそう・・・。ってか、Cは彼氏とどうなのよ?」
C先輩「私は別に変わりないですよ」
明らかに誤魔化された。こんなにわかりやすく話を受け流されることってあるかね?
そういえば同じような質問を歓迎会の時に神主さんにしたことがあった。その時もこんな感じでやんわりと逃げられた気がする。「何か隠してる?」とも思ったが、根っからの適当人間である私は酔っていたこともあり、特に気にすることはなかった。
神職に就く身として、軽はずみに神様や幽霊を話題にしちゃいけないのかな?と思ったくらい。
それからも幽霊を見ることはなかったし、神々の戯れに遭遇することもなかったし、神社への認識が変わることもないまま、平々凡々な毎日を過ごしていた。
御継の儀
時は流れて、お巫女さんとして働くようになってから2年が経ったある夏のこと、いつもの業務が全て終わった後、帰ろうとしていた私は社務所に呼ばれた。行ってみるとA神社の神職全員が集められているだけでなく、神主さんの横には見知らぬおじいさんが立っている。後で知ったことだが、おじいさんはこの地域の自治会長さんらしい。
最初は神主さんから事務的な話が続いた。
神主さん「最近、手水舎の下に落ち葉が溜まっていることが多いから、気づいた人はできる限り掃除するようにしましょう」
だのなんだの。私は暑い巫女装束を早く脱ぎたいし、汗でベタついた体が気持ち悪いしで、「早く帰ってお風呂は入りたい」とばかり考えていた。
神主さん「えー、それから、そろそろ『御継の儀』の時期になります。経験者も多いと思いますが、今回も自治会長さんと協力しながら万全の体制で臨みましょう」
『みつぎのぎ』? 何だそれ、そんなものがあるなんて今初めて聞いたんだけど。そう思って周りを見ると、頭の上に疑問符を浮かべているのは私と隣にいたC先輩だけのようだった。
神主さん「私さんとCさんは残ってください」
神主さんに言われて私とC先輩は居残り、社務所には神主さんと自治会長さんの四人だけが残った。他の人は素知らぬ顔して早々と帰って行った。
神主さん「二人は『御継の儀』が初めてだと思うから、その前にこの行事について話しておかないといけないね」
そう言って神主さんは『御継の儀』なる行事について詳しく話してくれた。
このA神社が建つ山はいわゆる活火山で、昔はそれなりに活発だったらしい。そのため、周辺地域への被害も少なからずあったそうだ。
そんな強大な自然の力に対して人が畏怖の念を抱き、そこに神的なものを見出すのは日本の宗教体系的に至極真っ当らしく、この地域では古くから山岳信仰が栄えていたらしい。そんな山岳信仰の信仰拠点として山の麓に作られたのが、A神社の前身にあたる葛流女神社(くずるめじんじゃ)という神社だそうだ。
葛流女神社ではこの山を御神体としていて、人々は日々祈りを捧げていた。ここまでならよくある神社の歴史って感じだけど、この葛流女神社には独自のある儀式が執り行われていた。
それが『御継の儀』らしい。これは10年に1度、神主の家系の末子(女)を巫女として山に捧げるというもので、簡単にいえば生贄の儀式だそう。
巫女となる女子は山で育った樫の木で作られた御継箱(みつぎばこ)という木箱に入れられ、本殿下に空けられた縦穴に入れられる。捧げられた巫女は命が尽きるまで祝詞を唱え続ける、というのがこの儀式の全容だった。
神主さん「生物の体ってのは最後には土に還り、やがて木や他の生物の養分となるだろう?だから、活力に溢れた若い女子を山への養分として捧げたんじゃないかな。当時としては自然な流れでそうなったんだろうね」
ふーん、なるほどねぇ。じゃなくて、怖すぎだろ!生贄の儀式とか映画でしか見たことないんだけど。あんな密林の原住民がやってたようなことを、この場所でやってたってこと?
さも当たり前のように生贄の儀式について語る神主さんをちょっと怖いと思いつつも、そんな文化が自分の家の近くであったことに驚いていた。
あれ、でも待てよ。さっき「もうすぐ『御継の儀』の時期」って言ってたけど、今もまだこの儀式をやってるってこと?
え、もしかして私たち山に捧げられちゃうの?とプチパニック状態になっていると、C先輩の声にならない怯えた吐息が横から聞こえてきた。
だけど、当然ながら、今の時代において生身の巫女を生きたまま山に捧げるなんて許されるはずもなく、今はこの儀式をなぞって巫女をかたどった人形と供物を捧げているらしい。
自治会長さん「私は地域住民を代表して、用意した供物をA神社に捧げる役割があるんだよ」
なるほど、それでこのおじいさんと協力して〜ってことか。神社だけの文化じゃなく、地域住民が絡んでるとなると、ますますリアルだなぁなんて思った。
その後、私とC先輩は『御継の儀』の時の自分たちの役割を神主さんから聞き、この日は帰らされた。帰り際、
C先輩「なんか宗教の闇みたいなもの見えたよね?」
私「見えた見えた!しかも他の先輩たちは知ってたってことですよね?なんで教えてくれなかったんだろ」
『御継の儀』については何となく理解できたけど、それ以上に他の先輩たちがこんな闇深行事について教えてくれなかったことにむかついた。
C先輩は優しいから「怖がらせたくなかったんだよ」「言ったら辞めると思ったんじゃないかな?」とか言ってたけど、私はどこか腑に落ちなかった。
翌日、先輩たちを問い詰めたら、
A先輩「ごめん。別に隠してたわけじゃないけど、教えたら怖がるかなって」
B先輩「私たちも語れるほど内容をよくわかってないから」
とか何とか言っていた。やっぱり腑に落ちない。
それからは自治会長さんを含めて何度か打ち合わせをしたり、儀式で使用するものを揃えたりと、なんだかんだ準備することは多くて、この儀式について知ってから2週間くらい経って、やっと御継の儀の日がやってきた。
後半へ続く