深夜の道案内
ペンネーム:なゆた
数年前、友人と遊んで深夜2時過ぎに車で1人帰宅する途中、ある交差点で赤信号につかまり停車しました。
田舎なので他に車なんていなかったのですが、走り出して数分後後ろに1台の車が居る事に気づきました。
時間も時間だし、こちらは女性1人なので何となく怖いなと思って左に避けたのですが、そうするとその車も減速してしまい追い越してくれませんでした。
いよいよ怖くなって、このまま自宅に向かうのは拙いと考えた私は自動販売機が並ぶ路肩に車を入れて、やり過ごそうとしました。
後ろから来ていた車は行き過ぎたようだったので、ホッとしたのも束の間、ドアミラーにこちらに向かって歩いて来る人影が。。。
でも、不思議と怖い気持ちよりも、どうしたんだろう?と言う気持ちが勝り窓を少しだけ開けて相手の様子を見ると、黒いスーツ姿のおじさんでした。
「道をお尋ねしたいんですが」と、言われ少し怯えていた自分がバカらしく思えました。
「地元なので、だいたい道はわかりますよ。どちらですか?」
と、私は笑顔で答えました。すると、おじさんは助かったーと微笑んで
「火葬場をさがしているんです」
私はおじさんが持って来たメモ張に簡単な地図を描いて渡しました。
後から考えると、その車が私の後ろにいる事に気付いたのはその火葬場の入口だったように思います。
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木
ペンネーム:俱利伽羅
怖い話ではありませんが、私が生まれる前、まだ父と母が恋人だった頃の話です。祖父は複数の県に多数の土地を有している資産家でした。そのうち一つが道路拡張のために売却されることになりました。実は、その土地は以前火事で建物が全焼したらしいです。
それ以降祖父はその土地に新たに建物を建設しませんでしたし、一般の買い手も見つかりませんでした。つまり、祖父にとってはただ税金がかかるだけのお荷物物件でした。ですから、自治体からの買取の提案は祖父にとって渡りに船だったようです。
売却のためにはその土地を更地にしなくてはなりません。しかし、建物は既にないので雑草などの植物を片付けるだけ。つまり撤去費用もほとんど掛かからない二重においしい話だったようです。
その土地には一つだけ木があったようです。この木は以前火事と一緒に焼けてしまったのですが、その後残った幹から新たにその命を芽吹かせようとしていたみたいです。しかし、当然この木も撤去しなくてはなりません。祖父は父にこの木を伐れと命じました。父は言われた通り幹ごとその木を伐り、土を掘り、完全に木を処分してしまったのです。
二日後、会社にいる母に祖父から電話がかかってきました。父は今病院にいるのでお見舞いに行ってあげてほしい、と。どうしたんですか、と聞いても体調が悪いとしか言いません。母は急いで父に電話をしました。
すると「おひおひ」と父が出ました。何かがおかしいです。母が「○○くん?」と父に呼びかけても「おうやお」と意味不明なことしか言わなかったようです。母はすぐに病院に行くからね、といい電話を切りました。
病院に着いた母を待っていたのは異様な姿の父でした。口が半開きのままでそれ以上あけることも閉めることも出来なかったのです。また、唾を飲みこむことすら出来ず垂れ流しのまま。そのため口元には常にハンカチを添えていなければならなかったようです。唾を飲めないので当然水を飲むことも食事も出来ない。よって、点滴で栄養を補給せざるをえなかったらしいです。
父は喋ることも出来ず、病院嫌いも相まってとても不貞腐れていたのが口から上の表情でわかったようです(笑)。口を開けることも出来ないので診察も出来ない。ただ点滴をしてもらっているというある意味面白い状況だったらしいです。
それでも、入院から三日後には口がきけるようになりました。父曰く、木を切った次の日の朝にいきなり喋れなくなったみたいです。それどころか口を動かすことも水を飲むことも出来ない。祖父から話しかけられても「あうあう」みたいなことしか言えないので祖父からぶん殴らぐられたみたいです(笑)。
それでも「おうおう」「あうあう」いっていたら祖父は察してくれたらしく病院に行けと言ったみたいです。父が首を横に振るとまた殴られたらしいです。仕方なく病院に行き、入院が決まり、その次の日に祖父が母へ連絡を入れた、ということみたいです。
父も祖父も呪いなどは信じないのですが、さすがに木が関わっている様な感覚はあったようです。以後同じようなことがあっても必ず業者に頼むようになりました。母はそれ以降植物を切ることを躊躇うようになりました。おかげで、家の観葉植物は伸びっぱなしです。
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私が見た赤い死神
ペンネーム:きよし
今から20年近く前、中学生2年生の春先に死神のようなものを見ました。
その時分、自転車で10分くらいの場所に古い模型店があり月に何回か掘り出し物があるか探していました。
ちょうどその日は夕方ごろに仲のいい友人5人で自転車に乗りいつものように模型店に向かっていました。
模型店に向かう途中、2mほどの壁があるカーブになっている線路沿いの道を走るのですが、その時に見てしまいました。
ちょうどカーブに差し掛かるとき、真正面の壁に頭から赤いフードをかぶった女性(顔は見えなかったのですが、なぜか女性と思いました)が宙を浮いているのが見えました。
そして横を通過する際、なにやらぶつぶつつぶやいている声が聞こえ、気持ち悪いなと思い、通過してすぐの信号で引っかかった際友人たちに
「さっきの赤い人なんか気持ち悪かったよな?」と聞いたのですが、全員そんな人いなかった。赤いなにかもなかったというではありませんか。
私が見た場所に戻りましたが、そんな人も赤い何かがぶら下がっているわけでもなく、ただ壁があるだけで友人たちからなにかと見間違えたんちゃうか?とからかわれました。
カーブ部分の真正面だったので、見落とすはずもないし、見間違えたはずも聞き間違えたはずもないと、何か腑に落ちない気持ちではありましたが私以外は誰も見ていないので勘違いと思いました。
模型店から自宅に戻った際近所のおばちゃんたちが私の家のダイニングで談笑していたので、さっきこんなん見たけど他の人は見えていなかったと言ったら
「そのことはもう言ったらアカンし、なるべくその近くに近寄らんほうがいい」ときつく言われました。
私が当時住んでいたのはN県の中南部に位置する比較的新しいベットタウンで、うちの両親も近所の多くも結婚後この辺りに住みだした人が多かったのですが、その人は昔からN県の南部に住んでいた人でした。
もしかしたらなにかそのあたりに曰くでもあるのかと思いなんでなんでと聞いたものの、もうこの話はおしまいと、切られてしまいました。
その日から1週間後、私の父が亡くなりました。
職場での歓送迎会で酔った状態で、普段なら寄らないコンビニにより、普段なら通らない50㎝ほどの段差がある裏道を通り、そこで転倒して亡くなりました。
赤いフードを見て比較的時間がたってなかったこともあり、どうしてもあれが死神にしか思えません。
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占い師が見たもの
ペンネーム:747
占い師って、一般的にはどんなイメージなんでしょう。占術を学んでそれを生業にしている人、というだけでは語れないでしょう。スピリチュアリティに詳しかったり、信仰心が厚かったり、第六感にすぐれていたりと、何かしらのプラスアルファを持つ人が多いようです。そしてそのプラスアルファが「人には見えないものが見える」能力だったら?
これは私が昔働いていた会社に、アルバイトとして来ていた女の子から聞いた話です。彼女の名をHさんとします。
私もHさんも神奈川県住みで、一緒にではありませんが、何かにつけ横浜に行ったものです。そのせいか横浜のお店やグルメについて、よく情報交換しました。
ある日私を除いた社員が全員出払ってしまい、ちょうど仕事がなかった私とHさんは、おしゃべりして時間をつぶしました。やはりその時の話題も横浜のことで、私はとあるファッションビルで占いをしてもらった話をしました。
「運勢を占ってもらうのに、家族全員の生年月日を聞かれたのね。それで両親と妹と弟の生年月日を伝えたの。そしたらその占い師さんがいきなり『妹さんと仲がいいでしょう』って言うの。『そうです』って答えたら、占い師さんが『貴女と妹さんは兄弟星なのよ』だって。そんなことってあるんだね」
Hさんはちょっと考え込み、聞いてきました
「その占い師さんって、どんな感じの人でした?」
「三十代くらいで、髪の毛が肩より少し長いパーマヘアで、メガネをかけた女の人」
「きっと同じ人だ」Hさんは目を見張りました。
「えっ? どういうこと?」
Hさんには仲の良い友達がいて、ある日連れ立ってそのファッションビルに行ったそうです。ぶらぶらしていると、占いコーナーに座っていた占い師さんが突然立ち上がり、Hさんたちに手招きしました。その占い師さんは先に述べたように、肩より長い髪にパーマをかけ、メガネをかけていました。
不審に思ってHさんたちが近寄っていくと、占い師さんはHさんではなく、彼女の友達に言いました。
「早く家に帰りなさい」
Hさんも友達も驚いて、その理由を尋ねました。でも占い師さんは帰るように急かすだけで、何も言ってくれません。Hさんの友達は食い下がりました。
「理由を教えてくれないなら、帰らない」
しばらく友達と占い師さんの間で押し問答が続いたようですが、最終的に占い師さんが折れました。そしてHさんの友達にこう言ったのです。
「おうちの人に会えなくなってしまうかもしれない。だから早く帰りなさい」
衝撃の一言にHさんの友達もHさんも泡を食って、それぞれ自宅に戻りました。その時点では、Hさんの友達のご家族は全員家にいて、ピンピンしていたそうです。
それでもHさんは気になり、その夜友達に電話してみました。やはり異状はなく、友達はプンプン怒っていました。
「すっかり騙されちゃった。むかつくー。何よ、あの占い師。大嘘つきじゃん」
「ほんと。お金と時間が無駄になっちゃったね」
Hさんも釈然としませんでしたが、友達をなだめて電話を終えました。
その翌朝。Hさんに電話がかかってきました。友達かと思ってぎくっとしましたが、そのご家族からでした。事もあろうに、Hさんの友達が夕べ遅く急死したというのです。
Hさんは頭の中が真っ白になってしまい、何と言っていいかわからなかったそうです。ただ、あの占い師さんに言われたこと、死を暗示するあの言葉が友達自身を指していたことに愕然としたそうです。
友達の葬儀を終えて落ち着くと、Hさんはこの話をほかの友達にしました。その占い師さんにもう一度会って話を聞いてみたら、という意見が多かったそうです。
でもHさんが再びその占い師さんに会うことはありませんでした。
どうしてか?
世の中には知らなくていいこともあるから。
それにしても占い師さんは、Hさんの友達に何を見たのでしょう。
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不思議な友達
ペンネーム:にゃんちょ
3歳頃に3ヶ月だけ住んでいた東北の社宅にて不思議な体験。
幼い頃は転勤族だったため、父親の会社が所有する社宅を転々としていた。
私と3つ年上の兄は毎日のように敷地内の公園で遊んでいた。社宅には同じ年頃の子供がいる世帯が多かったため、遊び相手には困る事はなかった。
ある日の夕方、私は一人で公園の砂場で遊んでいた。
夕日であたりがオレンジ色に染まっていたのを覚えている。
いつもはこの時間の公園は子供達がたくさん遊んでいるのに、私以外誰もいなかった。でも特に不思議にも思わず、砂を掘って遊んでいると背後から声をかけられた。
「一緒に遊ぼうよ」
振り向くとニコニコした兄より少し年上くらいの子がいた。
髪は長めでボサボサ気味。赤と黒の太めのボーダー柄セーターに短パンを履いていたように思う。
知らない子だったけども、いつも知らない子と遊んでいたので「うん」と頷き追いかけっこなどをして遊んだ。その子は自分のことを「僕」と呼んでいたけど髪が長いのでお姉ちゃんだと思っていた。
少し暗くなってきたところでその子が「トイレ行きたい」と言った。
暗くなってきていた事もあって、ここでバイバイかなと思っていたらその子がうちにおいでよと言う。でもそろそろ帰らないとなーと悩んでいると、ちょっとだけでいいからさと言って走り出したのでついて行く事にした。
その子の住んでいる棟は、私が住んでいた棟のすぐ右側だった。
階段を上りその子のお家の玄関を開ける。
私は玄関を入ったところで待っていた。トイレは玄関のすぐ目の前にあり、その子はトイレのドアを開けたまま用を足し始めた。洋式便座に座るのではなく立ちションで。あれー?男の子だったんだー?と思っていると「僕、女の子な
んだけどち○ち○ついてるんだよね」とこちらを振り返りながら言った。
奥にある台所からはお母さんが料理をしているのだろう、トントンと包丁の音がする。
その音を聞いていたら、早く帰らなくっちゃと思い「帰るね」と言って玄関を出た。遊んでいる間ずっとニコニコしていたその子は、この時だけは無表情でこちらを見ていた。
階段には窓があり外が見える。だいぶ薄暗くなっていたので急ごうと階段を駆け下り、外に出てすぐ隣の私の住む棟に駆け込みまた階段を登る。当時住んでいた3階に到着しドアノブをつかんだところで、そこがうちじゃないと気付いた(うちにはないドアにリースか何か飾りがかけられていた)
なんで?その子のうちはすぐ隣の棟だったのは覚えている。頭の中が?でいっぱいになりながらも、もう一度外に出てみる事にした。
階段を降りきると、そこはさっきの子のお家から出てきたのと同じ棟の入り口だった。
途端に怖くなりもう一度自分の住む棟に向かって走り階段を登る。今度こそは自分のうちのある棟だった。
息切れしてドアを開けると、おかえりーと言う母親の声と料理する音。
一気に安心したのを覚えている。
その後すぐにまた引っ越したので、それ以来その子に会う事はなかった。
幼い頃の記憶なので本当にあったことなのかも怪しいけど、私の記憶にある不思議な体験。
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黒い猿
ペンネーム:チロン
私は小さい頃から霊感があるとか何もないところを指さしていたとかそういうのはなかったけど、ただ一つだけおかしなものを見ていた。
物心ついた頃から、気付いたら自分の側には猿みたいなのがいた。
真っ黒なふさふさの体毛で、顔はいつも視界の端とかにいるから見えなかった。結構大きかった気もする。
当時私は山を抉って作ったような団地に住んでいたので、山から下りてきた猿だと思った。
それにいつも遠くにいるので恐怖は少し感じていたが、何もしないし視界の端にチラッと映るだけだし、いるのが当たり前だと思っていたので親にも何も言ってなかったと思う。
ある日、友達の家に遊びに行こうと意気揚々と玄関を開けたら、門扉の前でその猿が門扉に手を掛けてじっとこちらを見ていた。
初めて間近で、しかもしっかりと姿を捉えたことにめちゃくちゃ驚いたし、いつも遠くにいるのになんで?恐怖から急いで家の中に入って居間で洗濯物をたたんでいる母に抱き付いた。
母はよくわかってない感じで洗濯物ができなくて邪魔そうにしてたけど、私のただならぬ様子を見て抱きしめてくれた。
母の胸に顔をうずめてたら、いつの間にか周りかからひそひそ声が聞こえ始めた。
すぐ側でそれは聞こえるのに、何と言っているかは全然わからなかった。
顔を上げて周りを見ると、あの猿が大量にいて私と母を囲んでいた。おばさんが噂話をする時みたいに、こちらを見ながら手で口を覆い隠して隣同士の猿とひそひそ話していた。
その時顔全体は見えなかったけど、目だけはしっかりと見てしまった。カッと見開いた血走った目。
その目からは感情が感じ取れなくて、こちらに対して怒ってるとか、反応を見て楽しんでるとかもなくて、ただじっと観察してるだけの目だった。
目が怖いし、でかくて真っ黒な猿に囲まれてるし、猿たちの異様な雰囲気に圧倒されて意味も分からず、もう私は大声を上げて泣いた。
泣いて母に縋り付いた。母は突然泣き出した私に困惑してたけど、ずっと背中をさすってくれてた気がする。
それからは猿は見ることはなくなり、一年たてば猿のことも忘れてそのまま私は大きくなった。
でも数か月前、夢にあの猿が出てきた。なんか記憶の猿より小さかった気がする。
その時、私は恐怖というより「うわっ!あの時の猿だ!なんで!?」みたいな驚きの方が大きかった。
そしたら猿が淡々と「鳥に気をつけろ」って言ってきた。イメージとしてはもののけ姫の猩々をほぼ同じ声。
それを言い終えると猿はあっさり消えて、ですぐ目を覚ましたとかそんなこともなく、その後は普通の夢を見て朝方起床。
起きてからは一応覚えていて「鳥?」ってなった。鳥に危害を加えられるのか?
あとその気をつけなければいけないのが今なのかこれから先なのか分からなくて「もうちょっと詳しく教えろよ」ってなった。
すると二カ月前、母が惣菜の焼き鳥にあたってゲーゲー吐いていた。これのことだったのかな?と思った。
私に降りかかる筈の厄災が母にいったのか、それとも出てくる夢を間違えたのか。
どっちにしても、その数日後に私はポットのお湯が手にかかって火傷したのでそっちは予言してくれないのかよと若干憤慨したw
以上、私の怖くないけど不思議な話でした。
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マヨイガに消えた友人
ペンネーム:早川
私は過去に『マヨイガ』を見たことがあります。
迷い家(マヨイガ、マヨヒガ)とは東北や関東に伝わる伝承で、山中に現れる幻の家だそうです。
当時の自分は東北の田舎に住む小学生で、幼馴染の友人A君と川や家の裏山でよく遊んでいました。
そんなある日、いつもは行かない山頂の方までA君と二人で登りました。
山頂とは言っても小さな山なので、小学校低学年の足でも10分も歩けば到着できます。
そして二人で山頂に付くと、かやぶき屋根というか木造建築というか、とにかく時代劇に出てくるような古いボロ小屋を見つけました。
家の裏山にこんな小屋があるだなんて聞いておらず、しかし興味本位にその小屋に入ろうと思う気持ちにはなれませんでした。
子供ながらに気味が悪いというか、鬱蒼と木や植物が生えていて太陽もあまり差し込まない場所だったので、その小屋の周囲だけが異様に薄暗く、陰気な場所だと感じました。
A君も「変な家だな、なにこれ?」と怪しんでいたのでそれ以上深入りはせず、二人一緒に下山しました。
その後、やはり気になって裏山に一人でも度々訪れたのですが、山頂のボロ小屋は消えており、何度探しても裏山に小屋を見つけることはできませんでした。家族も「そんなものは知らない、小屋なんてないよ」と言っていました。
そして自分は成人し、オカルトやホラーなどの話が好きになるにつれて、『マヨイガ』という存在を知りました。
マヨイガを訪れた者は富を得ることもできるとされ、自分としてはあの小屋に入らなかったことを未だに後悔しています。
本当なら、自分もA君も今頃お金持ちになっていたかもしれません。
そして今回の不思議.netさんの募集を見て、幼少のこの体験を思い出しました。
大人になった今でも付き合いのあるA君と食事に行き、記憶に誤りがないように迷い家の出来事を確認してきました。
彼も覚えていたようで、「お前ん家の裏山に確かに変な小屋あったよなー」と言ってくれました。
しかし少し奇妙だったのは、A君が神妙な顔をして「あの時さ……俺ら、三人で行ったよな?」と言うのです。
私としては突然何を言い出すんだ、という感じでした。
A君が言うには、あの日あの場所には私とA君、そして『B君』という三人目がいたそうです。しかし私には全く覚えのない名前でした。
更にA君は「アイツさ……俺とお前が帰ろうって何度も言ったのに、一人であの小屋入っちゃったんだよ」と教えてくれました。
そして私とA君が下山した後もそのB君は結局帰ってくることがなく、A君は小学校卒業してもずっと気がかりだったと言うのです。
ですがアルバムを見てもA君が覚えていた電話番号や住所を探してみても、他の同級生に聞いても『B君』という存在を確認することはできませんでした。
自分としては、A君が語るB君というのは、幼少期に架空の友達を脳内に作ってしまう『イマジナリーフレンド』だと思っています。
実際A君自身も、B君と遊んだり勉強した記憶はあってもその存在を証明できないので、何かの記憶違いだと本人も納得しているそうです。
でも万が一、B君は本当に私とA君の幼馴染で、私がB君の存在を忘れてしまっているのかもしれません。
そうなるとB君は今どこで何をしているのだろうかと、あの小屋を思い出す度に考えてしまいます。
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蝶
ペンネーム:バタフライ
※ご本人様の希望により文字を青くしてあります。
怖いというか、不思議な話
俺のおばあちゃんは今から約25年前に他界した
60代後半で癌だった
この祖母が生前、ある蝶が好きだったんだ
俺は蝶に興味ないから名前がわからないんだけど、小さくて、角度によって紫や青や水色に見える蝶
家の祖母の部屋にその蝶の標本みたいなのがあって、高そうな額縁に飾られていたのを覚えてる
蝶のサイズはジッポくらいで額縁はPCくらい
まぁ、よっぽど好きな蝶だったんだろう、祖母は亡くなる前にはたぶんもう自分の死期をわかっていたと思う
「死んだらこれを着せて」
って、その蝶の柄の浴衣を作ってた
で、冬
祖母が他界したわけだ
俺、蝶にホント詳しくなくてわからないんだけど、蝶って冬もいるものなのかな?
祖母が他界した12月7日、病院を出たら棺に1匹の蝶が止まった
祖母の好きなあの蝶だった
棺を葬儀社の車でまず家に運ぶ時も家に着いて車から棺を出す時も、また蝶が棺に止まる
家から寺に運ぶ時もいた
たぶん別の蝶だと思うんだよ
蝶に追跡能力はないだろうしwこっちは車だしなー
祖母の蝶の標本は祖母と一緒に燃やした
で、だ
その時から毎年12月7日に俺はその蝶を見るんだ
しかも俺だけじゃなく家族一同見てるっぽい
今でも必ず
庭で見たり、運転中の信号待ちで車に止まったり、とにかく12月7日になると必ず1回はあの蝶を見る
そんで「あぁ、今日はおばあちゃんの命日か」と思い出す
俺はあまり曜日やひにちが関係無い仕事をしてて、「今日何日だっけ?」てたまになるんだけど、おかげで12月7日だけはカレンダー見なくてもわかるwww
あの、小さくて紫や青や水色に見える蝶
名前知りたいんだけど、なんとなく自分では調べたくなくて、勝手に「おばあちゃんの蝶」と命名してる
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もう1人の私が住む家
ペンネーム:みーこ
幼稚園の頃、古い日本家屋に住んでいました。ある日の夕方、父、姉、私、妹の4人は、ご飯ができるまでの間、18畳ほどの和室で遊んでいました。
押入れに父と私が背中を向けて座っていると、霊感のある姉が、あ!と言って押入れを指さしました。振り向きましたがいつもと変わらない押入れがあるだけ。
父が、どうしたの?と聞くと「みーこがもう1人いた、押入れから首だけ出してこっち向いてた」というのです。父はそういった怖い話が大好きなので、本当?!詳しく教えて!と姉に聞いていましたが私と妹は意味がわからず怖くて母の元に逃げました。
それから10数年、私が高校生になった頃、その家は新しくリフォームし今時の洋風な家に生まれ変わりました。昔の和室での怖い出来事なんて忘れていたある朝、父が「お前、昨日の夜中お父さんお母さんの部屋にきて寝ているお父さんのこと枕で叩いてきたけど何で?」と聞いてきました。
私はそんな記憶がなく、むしろ生理初日で体調が悪くて寝込んで動けずにいたので、いやいや行ってないし、そんな怖い嘘やめてよ!と言い、お父さんが怖い作り話してきてさ〜、と母に愚痴りに行きました。しかし母も「たしかに夜中来てたよ、枕でお父さんを叩く音で起こされたもん。もう寝なって言ったら手を振って出てったじゃん、何も喋らず出てったけど何しにきてたの?」と…
その時姉が、そういえば昔も押入れから出てきたことあったね、もしかしたらこの家にはもう1人あんたがいるんじゃ?と言ったところで、昔の出来事を思い出して鳥肌が立ちました。結婚してその家を出た今でもその話は謎のままです。
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山の禁域にて
ペンネーム:縁汁
地元の山には禁域がある。山の神様のおわす所のため、巫を除けば条件を満たす日以外は立ち入りを禁止されている。
…といっても封鎖しているわけでも、看板が立っているわけでもなく入ろうとすれば難なく入れるのだが。まず地元民は入らないし、入ろうとも思わない。
それほど禁域は特別で、そして異様。
空気が違う、圧迫感が違う、植生が其処から一目で分かるほどに違う
立ち入ることができる条件は
・満月か新月の日の日中であり、太陽が目視できるときに限る(曇る又は雨が降った際には即禁域から出る)
・山の神様の巫が作る護符を身につける
・入る前日に蛇を殺さない。海のものを口にしない 等
通常は巫のみが禁域に出入りするのだが、年に数回程人手が要る作業が発生する。
その日も夏場の下草刈の為、禁域に自分も含む数人が出入りしていた。
自分がそのメンバー内にて一番の年下だった為に、機材や草刈鎌の混合油の運搬の為頻繁に行き来をしていた。
禁域の中には小さなお堂?が二軒たっており、そこまで約1Km程ある。其処までの小道の下草をお堂側から刈っていくのだが、小道と言っても獣道を少し広げた様なものでアップダウンや凹凸も激しく、見通しも悪い。
そんな中をえっちらおっちら荷物を運んでいる際に道脇の藪がガサガサ音を立てた、まだまだ刈る予定地よりずいぶん手前だった為、不思議だなと思い足を止めたときにソレは姿を現した。
藪から姿を現したのは、ぱっと見には人に見えなくも無かった。
ずいぶん小柄で(130cm~140cm程)全身が黒く、酷いにおいがした、まただらりと垂らした手の甲が直立しているのに地面に付きそうなくらい長い。
それらが3体藪をかき分けてでてきた
今考えるなら悲鳴を上げて逃げる様なものだが、その時は偶にしか会えない知人に会ったように思えた。
向こうも同じような感じだったのか、警戒する素振りを解き、自分に向き直った。
白目のほぼ無い目、凹凸が無く切れ込みのような穴が開いている鼻、顔に比べて大きく広がった口、対照的に小さな耳、バサバサの髪の毛が顔半分を覆っていたが人ではない
それなのに向こうから声を掛けてきた、「ゴ」や「グ」に近い音を多用した濁音の多い泡のはじける様な音の連なり、到底言語には聞こえないものの筈なのに、理解できる
その時は確実に理解していた。ソレは言語だと。
同じように自分も同様の音を使って返答をする。あんな音が自分の喉から出たのが信じられないし、どうやってできるかも分からない。
そのような「会話」を数度行ったあと満足したように目を細めて頷きソレはまた藪の中に姿を消した。
自分もそのまま荷物を担ぎ、作業しているメンバーのもとに向かった。違和感など一切感じず、普通に。
作業を終え、禁域を出てからその日の出来事を振り返った際に肌が粟立った。
自分がナニと出合ったのか、なぜソレらの言葉(?)が理解でき話せたのか、なぜ今までおかしいと思わなかったのかが一気に押しよせ貧血を起こし寝込んだ。
確実に禁域を出るまでソレとの会話内容は覚えていた、大したことは話していなかったはず。
それから禁域には一切近づいてはいない。
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相撲対決
ペンネーム:サチロカ
これは私の祖母が子供だったころ、祖母がおばあさんから聞かされた話だそうです。私からすると高祖母です
ね。
祖母はもともと四国の出身で、確か高知県の山深い田舎で育ったと聞いた記憶があります。自給自足の生活で、ある日おじいさんは小さな船を出し渓流に魚を釣りに一日中出ていたらしいです。陽も落ちて来た頃、船の底からノックをするようなコツコツという音が聞こえて来ました。
おじいさんは急いで岸に戻ろうとしたのですが、そのコツコツという音はどうやら船について来ているようでした。この時おじいさんは、すでに何がどんな目的で自分に付いて来ているのか、分かっていたそうです。
岸に船をつけると、おじいさんの思っていた通り、河童が川からあがってきました。河童は人間の内臓が大好物で、肛門から直接えぐり出して食べるというふうにおじいさんが子供の頃から聞かされていたそうです。しかし、河童はむやみやたらに人間を襲うわけではなく、ある対決をして負けた人間だけから、その大好物を頂くという決まりがあったようです。
その対決が、相撲だったそうです。岸辺に円を書き、おじいさんと河童との取っ組み合いが始まりました。河童は頭の上の皿の水が無くなれば負けになるらしいのですが、思っていたよりかなり力が強く、二人の決着はつかぬまま、かなりの間相撲をとっていたらしいです。
その時突然、河童が飛び上がり川へと飛び込み逃げていきました。陽も沈み、あまりにも帰りの遅いおじいさんを探しに、おばあさんが松明を持って川辺に駆け寄って来たのです。火を嫌う河童は大慌てで逃げたのです。おばあさんが近づくと、おじいさんは粘り気のある粘液のようなもので全身ドロドロになっていたそうです。
このような河童の他にも、私の祖母は近所の人が天狗に取り憑かれて、木から木へと軽々跳び回っているのを大人達が大勢で捕獲し、お祓いをしていたのを見たなどという話をしていたこともありました。さすがは四国、黄泉の国や仙人伝説など、昔は本当に存在していたのかもと思わせてくれる面白いお話でした。
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父から聞いた体験談「早朝の雪山での話」
父は趣味で狩猟をやっていました。その日はベテランのAさんと二人でウサギ狩りをしたそうです。
ウサギはすぐに巣穴に潜って隠れてしまうので、追い立て役と待ち伏せ役に別れての巻狩りが有効なのだそうで、父は待ち伏せ役として独り、雪山の中を先回りしました。
雪山での狩りは雪が凍って硬くなっている早朝でないと進むことが難しい。更にカンジキと呼ばれる足が沈み込まない為の道具をつけて、示し合わせた山の中腹までたどり着き、薄暗く小雪がちらつく中で追い立てられたウサギがくるのを待っていました。
ふと斜面の上を見上げると林の中にぼんやりとした明かりが移動しているのが見え、こちらに向かって来ています。ゆらゆらとした明かりは林を抜け雪の上に姿を見せました。
手に提灯を持った遠目でもわかるほど艶やかな着物を着た女性だったそうです。“この辺りに人など住んでいないはず…”なんで着物?提灯?
なにも納得出来る理由が思い浮かばないまま呆然としている父の横を女性が軽く会釈をして通り過ぎて行きました。
近くで見るととんでもない美人。しかし得体の知れない雰囲気だったそうです。
ここで父は自分がウサギ狩りに来ていた事を思い出します。どこから鉄砲の弾が飛んできてもおかしくない場所なわけです。少し迷いましたが“ここは危ないですよ!どこに行くのですか?”と声をかけてみました。
女性は立ち止まり振り返ると ◯◯(となりまちの名前)に妹が嫁に行くのでそのご挨拶に参るところです。と、これまた美しい声で答えすぐに歩きだしました。
呆然と後ろ姿を見送っているとすっと横にそれて林の中に入り込んでしまいました。頭の中の整理がつかないまま雪の上に立ち尽くしていると斜面の下にAさんが現れ“おーい!今日は駄目だ、ウサギがいない。帰ろうや”と手を振っています。
父はズボズボと足をとられ歩きづらい斜面を全力で下りAさんに今見たものを説明しました。2人になって多少余裕がでたのか横にそれて林の中に続く足跡に気付き林の方へ近付くと “そっちは駄目だ!その奥の森は絶対入るなとじー様達がよく言ってる。
それにその足跡…変だろ?この雪の上を歩いてそれは変だろ?と、うっすらとしか残っていない足跡を指差しています。父がしゃがんで林の中を見通すと薄暗い木立ちの奥でゆらゆらとした明かりがまだ見えたそうです。
余談ですがこの日を境に父は逃げる獲物を銃で撃つことが何故か出来なくなり趣味を辞めてしまいました
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毛だらけのカオナシ
ペンネーム:K
小学生の頃、夕方リビングでテレビを見てたら、ふと視界の隅に何かが写ったのでそちらを見ると、変な奴が居た。
リビングから庭に出る事が出来る普通の透明なドアなんだけど、千と千尋のカオナシみたいなシルエットの生き物がドア越しにこっちを見てた。
カオナシの顔面の部分だけは人の顔なんだけど、あとは全身黒くて長い毛で覆われてた。顔は人間のお爺さんぽい顔。
俺はヒッと声にならない声を上げて、テレビ点けたままダッシュで2階の自分の部屋に逃げた。あと少しで母が買い物から帰って来るはずだったので、ベッドに潜り布団を被ってガタガタ震えながらやり過ごそうと思った。
早く帰ってきて!とひたすら祈っていると、布団が少しめくれて少しだけ隙間ができた。毛だらけの手が布団をつまんでた。あいつが音も無く追いかけて来たらしい。
動けないでいると、そいつが屈んでお爺さんの顔と目があった。横を向いている俺に合わせて、お爺さんの顔部分が「コッ……コッ……コッ……」と音を立ててゆっくりコキコキと90度傾いた。
そこで俺は気を失ったらしい。
目が覚めてから父と母にありのまま伝えると、夢という事にされてしまった。でもほぼ発狂して泣きながら訴える俺を納得させる為にか、母が警察に相談してくれた。さすがにおかしいと思われたか、後日医者にも連れていかれた。
それ以降あの化物は見てないけれど、大人になってからもずっと、ドアや窓のカーテンを開けられなくなった。
ちなみに千と千尋も二度と見れない。思い出すから。
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12・12
ペンネーム:にゅう
これは私が小学4年生の頃の話です。
私は父と父の友人家族と共に、夏休みに一泊二日で県外の少し田舎の方にお出かけをすることになりました。カンカン照りの暑い日だったのを覚えています。
一日目はBBQです。友人家族の子(Sちゃん、Nちゃん)とはその時初対面でしたが、一緒に海で泳いだり肉を食べたりするうちにすぐに仲良くなりました。
その日の夜は海岸沿いの安い旅館に泊まり、子供同士で夏恒例の怖い話なんかをして盛り上がりつつ眠りにつきました。この時はまだ、これから自分たちが不思議な体験をすることなど思いもしませんでした。
二日目もまた晴天に恵まれ、みんなで少し離れた水族館に行くことになりました。移動手段は私と父の車にプラスしてNちゃんが軽自動車、それ以外の友人家族が黒いワゴン車の、計二台です。
車内で私とNちゃんは歌を歌うなどワクワクしながら水族館への道を移動していると、いつの間にか信号待ちで一緒に移動していた黒いワゴン車を見失ってしまいました。
父はカーナビがあるから大丈夫だとそのまま車を走らせましたが、カーナビの指す通りに走っているとそのうち一面が田んぼの道に出てしまい、さらにその奥の方には竹林になっていました。
カーナビの通りに走っているのだから大丈夫だろうと思いつつ、私も父もNちゃんにも本当にこの道でいいのだろうかという不安が押し寄せてきます。
そのまま竹林の中の道をしばらく走ったところで、先ほど見失ってしまった友人の黒いワゴン車が竹林の脇道から出てきて合流しました。やはりこの道で正解だったのだと一安心してワゴン車の後ろをついて行くと、一つトンネルを通りました。
トンネルを通って少しすると、Nちゃんは気分が悪いと言ってぐったりしてしまいました。普段は車酔いなどする子ではないのです。Nちゃんを心配しつつ竹林を走り続けたところで、数メートル前を走っている黒いワゴン車が突然停車しました。
もうその道の先には竹が生い茂っていて進めなくなっています。そして行き止まりの道のすぐそばには、綺麗な一軒家がポツンと、一つだけ建っていました。どうしてこんなところに一軒家が、と不気味に思っていると、なんと友人の黒いワゴン車が一軒家の前のスペースに駐車しだしたのです。
よく注意して見てみると、一軒家には表札らしきものは見当たらず、黒いワゴン車の運転席には人影がありませんでした。私たちは恐ろしくなり、来た道を急いで引き返しました。先ほどのトンネルをもう一度通るとNちゃんの体調も良くなってきて、少し落ち着いた頃に父が友人に電話をして、今どこにいるのかと尋ねました。
すると友人はどうやら一時間ほど前からずっと高速で渋滞にハマっており、身動きが取れない状態だったそうです。それから15分ほど車を走らせると私たちは無事に水族館に着きましたが、友人は渋滞によりそれからまた一時間ほどかかり、私たちは本来の到着予定時刻からは考えられないほど早く到着したようなのです。
水族館で友人の車のナンバーを確認すると、『・〇-〇〇』のような三桁の数字だったのですが、竹林で出会った黒いワゴン車のナンバーは12・12でした。
後になってその田んぼや竹林や一軒家があった場所をもう一度カーナビや地図で確認しようとしてもそのような道はデータ上存在しておらず、友人の車が走っていた高速道路か一般道しかありませんでした。もしかしたら、もう一度現地に向かえば検証できるのかもしれませんが…ビビりな私は十数年経った今でもとてもそのような気にはなれません。
伝え忘れましたがこれは8月15日、終戦記念日の出来事です。
終わり(実話です)
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私が感じた虫の知らせ
ペンネーム:静子
あれはもう30年以上も前、私が小学生の時の話です。
当時私はとある街に住んでいました。
都市部にはバスと電車を乗り継いで、1時間弱かかる田舎町です。
そんな田舎町だったので、たまの楽しみは都市部に出てのショッピングでした。
確か初夏の頃だったと思います。
林間学校が近かったので、それに着ていく服を買いに行く約束を母としていました。
約束の日曜日をとても楽しみに待っていたのですが、当日起きてみると、気分がすぐれません。
体調が悪いと言うよりも、今迄に感じたことの無い気分の悪さでした。
そしてあんなにショッピングに行く事を楽しみにしていたのに、「行きたくない」としか思えないのです。
私は母に「行くの辞めよう」と言いましたが、母はもう出かける準備を始めていて「前から今日って決めてたでしょう、行くよ」と言われてしまいました。
仕方無しに予定通りに家を出ました。
バス停まで歩きバスに乗り...。
その間もずっと気分が悪くて、心には訳もなく「行きたくない」という気持ちが沸いてきます。
バスを降りると次は電車に乗ります。
母が2人分纏めて切符を買ったのですが、販売機のボタンを押し間違うか何かして、駅員さんに尋ねていました。
その間もずっと私は気分が悪く、「行きたくない、行きたくない」、それしか思っていませんでしたので、何で母が駅員さんと話していたかはわかりませんでした。
ただ、駅員さんが「それで大丈夫ですよ」と言い、母が「良かった~」と言っていた事、その駅員さんは若くて背が高くてすごい爽やかな笑顔だった事が印象的でした。
そしてホームへ。
うちはいつも、ホームの1番先頭にある木のベンチにすわるのが定番でした。
ですので母はいつも通りにそこに行こうとします。
でもその時の私は更に気分が悪くなり、「そっちに行っては駄目!そっちは駄目!」と強く思っていました。
そして、「早くベンチへ行こうよ」「そっちは駄目」と母と私が言っている間に、反対方向の電車がやって来ました。
でも、その電車がいつもの電車と違うことはすぐにわかりました。
まず、音が違います。
バリバリと異様な音をたてながら、踏切を過ぎてホームに入ってきました。
そして、たった数mホームに入った所で止まってしまいました。
その様子に驚いていると、すぐに何かが焦げた臭いがしてきました。
私が訳が分からず呆然としていると、母が「何あれ?あっ、お人形を轢いてしまったんじゃない?」と。
そして直ぐに「いや~!えっ?」と状況を理解した様でした。
私達が見つめる線路には、肌色をした何が散らばっていました。
そして、さっき爽やかな笑顔で対応してくれたあの駅員さんが、尋常ではない顔をして、線路に駆け下りて行きました。
ここで私はようやく全てを理解しました。
誰かが電車に轢かれたこと、私が朝から感じていた気分の悪さや行きたくないという気持ち、ホームの先頭に行ってはいけないと思っていた理由を。
辺りは騒然としていましたが、暫くするとこちらの電車も来たので、私達は予定通りにショッピングには行きました。
しかし、当たり前ですが、楽しめませんでしたし、その夜は一晩中電気をつけていましたが、いつも通りに眠ることもできませんでした。
翌朝母が「昨日の事故、自殺だったそうよ。お爺さんが色々悩んでて、それで...」と言っていました。
後に’虫の知らせ’という言葉を知った時、私はすぐに、この事故のことを思い浮かべました。
あの気分の悪さと訳もなく思っていた「行きたくない」「行ってはいけない」という気持ちは、正に’虫の知らせ’でした。
あんなに強く感じたことは、それ以来一度もありません。
また私は大人になりナースとして働いていました。
亡くなる方も多い病棟勤務で、解剖室や霊安室等も度々入っていましたが、特に霊的な体験をしたこともありません。
あの虫の知らせは私がこどもで純粋だったから感じたのでしょうか?
私はお爺さんが自殺しようと決めていた事を、自殺する何時間も前から感じ取っていたのでしょうか?
何処の誰かもしらないお爺さんなのに、本当に不思議です。
そして今私は結婚して偶然にも?あの事故のあった踏切の近くに住んでいます。
踏切を通る度に、あの事故のことを思い出します。
今ふと思ったのですが、私まさか呼ばれた訳じゃないですよね…?
あの踏切にお供えものをしてお祈りをした方がいいんですかね?
あの気分の悪さと勝手に湧いてくる「行きたくない」「行ってはいけない」という気持ち、焦げ臭い臭いと駅員さんの様子、線路に散乱していたもの、今でも忘れることができません。
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ジャンプとジャンプ
ペンネーム:売り切れ炭酸水
私が小学校低学年のころのお話です。
そのころ私は市営住宅に住んでいました。
小さな間取りと、少ない部屋のごく普通の住宅です。
居間の隣には寝室があって、タンスとベッドでほどんどを占めています。
そのタンスの上にはダンボールと新聞紙、雑誌などが雑に積まれていました。
長い間その配置は変わらず、ずっと同じ様子で生活していました。
その当時、私の父の趣味は漫画を読むことでした。
特に週刊少年ジャンプがお気に入りで、毎週欠かさずジャンプを購入していました。
父が一通り読んだ後に私が読むという暗黙の了解があって、私は一週間のうちにジャンプ全体を3回以上は読んでいたと思います。
ある夏のお昼すぎのことです。
土曜日の午前授業のあと、私が外から帰ってくると家には誰もいませんでした。
私はすでに何度か読んだジャンプをもう一度ワクワクしながら読み始めました。
それも一通り読み終わると、流石に飽きてきます。
その時ふと私はタンスの上の雑誌の束をとってみようと思い立ちました。
というのもその一番上に、ジャンプの背表紙らしきものが何年もチラリと見えていたからです。
普段の生活の中でチラチラ目に入って気にはなっていましたが、小学生からするとタンスの上は気合いを入れないと届かない位置です。
暇だった私はそのジャンプへの興味が急激に高まりました。
まずベッドの上に椅子を置いてタンスの上に手を伸ばしました。
不安定だったため、雑誌の束を抱え込んでそれをまるごと下に放り投げ、ゆっくりと椅子とベッドから降りてジャンプを手にとって確認しました。
何年も背表紙の一部だけ見ていたので、手にとったジャンプを早く読みたくてウズウズしていましたが、そこで驚くものを目にします。
長年タンスの上に置いていたそのジャンプが、なせか「今週号」だったからです。
不思議さと混乱でバタバタしながら、さっき読んでいたジャンプを持ってきて比べると表紙も中身も同じものです。
ただしタンスの上にあったジャンプはホコリをかぶって、相応に劣化しています。
その2つを色んな角度から見比べたことを今でも覚えています。
その事自体小学生ながらとても不思議だったのですが、今思い返して一番不思議だったことは、それを受け入れてしまうような空気がその場を覆い始めたことです。
驚いたことが半分、こんなもんなのかな?と思ったことが半分、ふわふわとした空気でした。
私はその夜、両親に父が買ってきた「今週号」と棚の上にあった「今週号」を見せて、ことの経緯を話しました。
そこで返ってきた返事は「そういうこともあるんじゃない?」の一言でした。
本当にさほど関心を示さず、するりと流されたのです。
まるで何かが、その事実に気を留めさせないような空気で場を覆いこんでしまったような感覚です。
そのジャンプはしばらく手元にあったように思いますが、今はもうありません。
・2つの「今週号」のジャンプ
・その出来事を軽く流してしまうような空気感
今でも何だったのかと思いますが、棚の上に何かがチラリと見えていると、このときのジャンプを思い出します。
大人になってからでも、たまにこの空気感らしきものが出現して周囲の驚きが流されてしまうようなことがあります。
自分がおかしいのか、何かがあるのか、不思議ですね。
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七不思議
ペンネーム:ダブルウッド
これは小学校の頃の話です。
当時は映画「学校の怪談」シリーズが大流行して、学校では七不思議の話で持ち切りでした。
しかし、私自身も同じ小学校に通う姉に訊いてみたのですが、私の通う小学校には七不思議なるものがありませんでした。
そこでどうしても七不思議が欲しかった私は、ある事を思い付きました。
それは七不思議を自分で作るというものです。
それから小学生ながらに、出来るだけ怖い内容の話を7つ考えました。
そして友達に少しずつ広めていきました。
もちろん自分が作った話とは伝えず、あくまで聞いた話といった具合にです。
それからの拡散は物凄い速さで広まっていきました。
皆が私と同じ様に七不思議を望んでいたのかもしれません。
自分の知らない人が、自分の考えた七不思議を話しているのを聞いて、とても悦に浸っていたのを覚えています。
そんな大流行をした我が小学校のオリジナル七不思議ですが、季節が秋になり涼しくなってくると、少しずつ皆の熱も収まってきていました。
そんなある日。
学校が終わり、友達と学校の裏門で待ち合わせをして遊ぶ約束をしていた私は、一度家に帰った後に再び学校に向かいました。
待ち合わせの裏門は門の外から中庭が見え、中庭にある水路や水飲み場まで一望できる様な位置にあります。
時間は午後4時くらいだったと記憶しています。
待ち合わせ場所に着いた私は、遊ぶ約束をしていた友達2人(わかりやすくAくん・Bくんとします)を待っていました。
少し待っているとAくんが合流し、Bくんを待ちながら雑談をしていました。
すると、Aくんが突然黙ってしまいました。
「どうしたんだろう?」と思いつつ、私はAくんの視線が中庭の方を向き止まっていることに気付きました。
Aくんはじっと中庭の方を見たまま動きません。
私もふと中庭の方に目をやると、中庭の水飲み場の横に私たちに背を向けて女の子が立っていました。
白いブラウスに赤いスカートを穿いた、いかにも「トイレの花子さん」の様な格好をしているのです。
それを見た私は、寒気と共に一気に鳥肌が立ちました。
なぜなら中庭の水飲み場に立っている女の子の状態が、私の作った七不思議の話の一つに出てくる内容と全く同じだったからです。
「…あれって、七不思議の…かな?」
Aくんがやっと口を開いても、私は何も言えませんでした。
何故なら、私の小学校の七不思議は私の作った創作であり、七不思議なんて存在しないのです。
その事実を知っているのは、もちろん私しかいません。
その私が1番ありえない事が分かっているのにも関わらず、その七不思議が実際目の前で起きているのです。
しかし、まだ普通の生徒なのではないかという疑問を捨てていなかった私は、その女の子に話しかけようと思いました。
七不思議とは無関係だと確認さえ出来ればと思ったのです。
裏門から中庭に入り、女の子から目を話さずに近づいて行きました。
その間、Aくんが大声で必死に私を止めようとしていた様ですが、一切耳に入っていませんでした。
女の子との距離が3m程になった時、私を呼ぶ声が聞こえました。
そこでハッと振り返って裏門を見るとBくんが到着したところでした。
直後に目線を戻すと、もうそこに女の子はいませんでした。
「あれ?」と辺りを見回しても、中庭には誰もいません。
少し安心した私は、Aくん達の元へ戻ろうともう一度裏門に目をやりました。
するとAくんの後ろにさっきの女の子が立っているのが見えました。
女の子は俯いており、髪の毛が顔に掛かってしまって顔はよく見えません。
とっさにヤバいと感じた私が「Aくん!!」と叫ぶと、女の子はスーッと消えてしまいました。
その日は3人で遊んだものの、ずっと七不思議の女の子の話題で持ち切りでした。
そこで分かった事は、Bくんには何も見えていなかったのです。
Aくんは私が女の子の方に歩いていった後、Bくんが合流した時に声を掛けられ、目を離したらもう女の子はいなくなっていたと話していました。
次の日3人でクラスの皆にこの話をしましたが、中々誰も信じてくれませんでした。
そしてその1週間後、Aくんは事故で亡くなりました。
Aくんの死に関して、七不思議の女の子が関係しているのかは分かりません。
私がAくんを殺してしまったのでしょうか?
七不思議を作ったという事実は、今まで誰にも話していませんが、もし七不思議の中で女の子の設定をもっと残虐なものにしていたらと思うと恐ろしいです。
皆様も怖い話の創作にはご注意下さい。
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虫の知らせ
ペンネーム:不思議兄さん
今から10年ほど前に実際に私が体験した不思議な話です(恐怖要素はないです)
今は退職してしまった会社での出来事です。
郊外にあった事務所は周りに畑が広がる自然の残った地域に建つビルの2階にありました。
ちょうど今頃のお盆のシーズンに事務室でパソコンに向かい仕事をしていました。
向かい合わせに机が6つ並び、片方の端に課長の机があるという配置で、私を含めて5人の職員が働いていました。
暑い日でしたが、エアコンを付けずに窓を全開にして外からの風で暑さをしのいでいました。
ラジオをBGMにして、各自がルーチンワークをこなしていると、窓の外から黒いアゲハ蝶がひらひらと事務所の中に入って来ました。
窓に向かって座っている女性の事務員さんが、「あらぁ、綺麗なアゲハ蝶ねぇ。」と声を出し、一同で少し手を止め、事務所の天井近くをひらひら舞うアゲハ蝶を眺めました。黒い翅の下半分にメタリックな青緑色の線が入った模様の蝶でした。
そのアゲハ蝶はしばらく天井近くで飛びながら事務所を数回ふわふわと回って、課長のパソコンのディスプレーの上に留まって、翅をパタンパタンと開けては閉めるのを繰り返しました。後になって思い出すとこの時から課長の顔はすぐれませんでした。
しばらくするとアゲハ蝶はまた天井近くに舞い上がり、ひらひらと事務所の中を飛び回ると今度は課長の肩の上に留まって翅の開け閉じをして休みました。他の職員さんたちが
「課長、蝶々に好かれちゃったみたいですね^^」
「何かいい匂いでもしてるんじゃないですか?」
と、冗談を言い合ったんですが、課長だけは困ったような顔をしていました。
いつもと違う雰囲気の課長を見て、私は何かがおかしいなと思って立ち上がり、ファイルを団扇のように使ってアゲハ蝶を課長の肩から追いやって飛び上がった蝶々を窓の外に追い出しました。多分蝶々が嫌いなんだろうなぁ、と思っただけで仕事に戻りました。
それから30分ほど経った頃、同じ模様のアゲハ蝶がまた事務所の中に入って来ました。
先ほどと同じ女性事務員さんがアゲハ蝶に気が付いて、「あ、また蝶々が入って来ましたよ」と声に出し、一同で再び手を止めてひらひらと上を舞うアゲハ蝶を見ながら、「暑いから日陰の部屋の中に入って来ちゃうんですかねぇ?」とか、「さっきと同じ模様のアゲハ蝶じゃないですか?」などと言い合いました。
すると、再びそのアゲハ蝶は課長の肩の上に留まって、翅の開け閉じをして動かなくなってしまいました。
それを見て女性事務員さんが「課長!やっぱりアゲハ蝶に好かれちゃったんですよ~!」と冗談を言ったのですが、
課長は苦笑いをして黙っていました。
いつもならみんなの雑談に加わる課長が、その日はいつになく静かで、なおかつ蝶々が留まる度に難しい顔をするので、よほど蝶々が嫌いなんだろうと思った私は、先ほどと同じ要領で、ファイルで仰ぎながらアゲハ蝶を課長の肩から追い払って、窓の外まで仰ぎ出しました。今度は戻ってこれないように窓をすべて閉め、クーラーを付けて、自分の机に戻りました。
「それにしても不思議ですね。」
「同じ模様の蝶でしたよね?」
「なんで課長の肩にだけ留まったんでしょうね?」
などとみんなで少し話しましたが、それもすぐに止み、各自で仕事に集中しました。
その日は定時まで何事も起こらず、業務をこなし、いつもは定時から1時間ほど残業していく課長も定時過ぎに退社しました。
翌朝出社すると、毎日必ず私より先に事務所に来ている課長の姿がありませんでした。
他の同僚に聞いたら、「課長は今日はお休みですよ。」と言われました。
課長は私が採用されてから一度も休みを取らず、時には休日出勤もしていました。
物静かな方でしたが、時折始まるみんなの雑談を優しい言葉で和ませてくれる人でした。
課長一人がいないだけでも随分静かになってしまうんだなと思いながら、その日はあまり雑談も始まらず、定時まで仕事が捗り、誰も残業をせずに退社しました。
翌朝出社すると、いつも通り課長は机に座って、カタカタと忙しくキーボードを打っていました。
「昨日は大丈夫でしたか?体の具合お悪いんですか?」と尋ねた私に、「いや、そうじゃないんだよ。家の都合でね。昨日は休んじゃって申し訳なかったね。」
と、控えめな笑顔で答えて安心させてくれました。
その日も定時まで特別に何も起こらず、ほかの職員さんは定時過ぎには退社して、私と課長の二人が事務所に残りました。
課長のサポート業務を担当していた私は、たいてい課長と共に1時間か2時間ほど残業をしてから退社するのがいつものパターンになっていました。
みんなが退社してしばらくすると、課長から「そろそろ少し休憩を入れようか?」と言われて、コーヒーを淹れて少し雑談したり、業務上の質問に答えてもらうのが日課になっていました。
いつもながらのリラックス雑談タイムに入り、その日は課長が好きなジブリ映画の話になりました。
となりのトトロの話になって、お盆だったこともあり、「課長、あれって実はサツキとメイちゃんは亡くなっていたって都市伝説知ってますか?」と私から話を振りました。「え、そうだったの?」と課長に言われ、「実はあれって~~~」と魂になったサツキとメイがお母さんに会いに来たという都市伝説をお伝えしました。
10分ほど休憩を取って仕事に戻ってしばらく経つと、課長がボソッと、「あのさ、おとといアゲハ蝶が僕の肩に留まったでしょ?実はアゲハ蝶って僕にとって死を告げる虫なんだよね」と、手を止めて話し出しました。
不思議な話が好きな私は内心ワクワクしながら、「そういえば課長が困ったような顔していたんで僕も蝶々を追い出したんですよ」と答えて、話の続きを待ちました。
課長の話は彼が中学生の頃の思い出から始まりました。
炬燵に入ってテレビを見ていた課長は、いつの間にかそのまま眠ってしまっていたそうです。
ふと気が付くと草原に立っていた課長の目の前にアゲハ蝶がひらひらと飛んでいるのに気が付いたそうです。
なぜかその蝶々の後に着いていかないといけないと感じた課長はひらひらと飛ぶ蝶々の後を追って歩いていきました。
しばらくすると前方に大きな森が表れて、蝶はその中に進んで行ったそうです。
熱帯雨林のようなうっそうとした森の中をしばらく進むとポカっと木の生えてない空間があり、地面に無数のアゲハ蝶が留まって湧水を飲んでいたそうです。課長の前を飛んでいたアゲハ蝶も地面に降りてほかの蝶に混ざってしまいました。
そこから課長は一人で先に進まないといけないと思い、木々の間に入っていくと、すぐに森が開けて、石がゴロゴロ転がる河原に出たそうです。
自然と足が前に進み、大きな川の淵まで辿りついたそうです。向こう岸がようやく見えるくらいの幅の広い大きな川だったそうです。
なぜか自分は向こう岸に行かないといけないと思った課長は、川の中に足を踏み入れます。思ったよりも川は浅くて歩いて進むことができたそうです。
しばらく進むと、自分以外にも親戚や家族が同じように川に入って向こう岸に歩いて向かっていることに気が付いたそうです。
川の中ほどまで進んだところで急に足が動かなくなり、それ以上前に進めなくなってしまいました。
周りを見ると他の家族や親戚達もいて、同じように動けなくなってしまっていたそうです。
そんな中、一人だけ向こう岸に向かって歩き続ける人が見えたそうです。それは課長さんのお爺さんでした。
自分は動けないまま、課長はおじいさんが向こう岸まで歩いて渡るのを見続けたそうです。そのころには向こう岸に何人かの人影が見えたそうですが、その人たちの顔はよく見えなかったそうです。
おじいさんが向こう岸に辿り着いたちょうど同じタイミングで、耳元でお母さんが「何寝てるの!早く起きなさい!!」と言う声がして、眠りから起こされたそうです。どうしたのか尋ねたら、しばらく入院していたお爺さんがお亡くなりになったという電話が田舎から入ったから、今から支度して田舎に行くのよ、と伝えられたそうです。
夢の中の出来事と、現実での出来事が関係していたんじゃないかと課長には思えて、印象深く覚えていたそうなんですが、変に思われると思って誰にもその話はしてこなかったそうです。
そして、2日前のアゲハ蝶の話に戻りました。
実は、課長のお父さんが長いこと体調が悪く、入退院を繰り返していたということでした。プライベートなことは全く話さない方だったので、この時初めて前日のお休みは忌引きだったということを知りました。
「1日とは言わずもう少し休んでご家族と一緒にいたらいいんじゃないですか?」と私が言ったら、「仕事が立て込んでるから1日でも休むのは大変だったんだよ、」と社会人の責任感を見せつけられました。
アゲハ蝶が事務所に入ってきた前日に入院先のお父さんが一度危篤状態になってから持ち直し、お医者さんからはこの数日が峠かも知れませんと言われていたそうです。
そんな中、仕事中にアゲハ蝶が事務所の中に入ってきて自分の肩に留まった時、その蝶々が自分のお父さんなんだ、と直感したそうです。
不思議なことですが、お父さんがお亡くなりになった時間と、アゲハ蝶が事務所に入って来た時間がほぼ同時刻だったそうです。
お父さんには頑張って欲しいと思っていたそうですが、中学生の頃の体験が思い出されて、きっとお父さんはお亡くなりになったんだろうと覚悟したそうです。
それが私の見た困ったような難しい顔の理由でした。
そのお話を聞いた後で、もしそうだったとしたらアゲハ蝶を追い出して窓を閉めたのはいけないことだったんじゃないか、と反省しました。
一度追い出した蝶々が再び戻ってきて、二度も同じ課長の肩に留まるのを見たのは本当に不思議な体験でした。
子供の頃から、テレビ番組の「あなたの知らない世界」や死後の世界の話などが好きで不思議な話を聞いてきたり読んできた私ですが、自分の体験として経験したのはこの出来事が最初で最後です。
昔から虫の知らせといいますが、長い歴史の中で同様の経験をする人が何人かいて、そういうことはあるんだよ、と言い伝えられるようになったのかもしれません。
その会社を退職した今でも課長とは年賀状のやり取りを続けていて、仕事上時々顔を合わせることもあります。
大人しくて真面目に仕事に取り組む方ですが、「大きな地震が起こる前には必ず地鳴りが聞こえるんだよ」と時々不思議な話をしてくれる方で、地鳴りがしたら絶対教えてくださいね!と頼んであります。
不思議な世界はきっとあると思います。
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リサイクルショップ
ペンネーム:やまも
もう十年ほど前のこと。
高校2年生の私は夏休みを利用して、M県に住む従姉妹の家に何泊か泊まることにしていた。
従姉妹はまだ4歳と2歳、周りに小さな子どもがいない環境の私は久しぶりに従姉妹に会えるのをとても楽しみにしていた。
従兄弟の家の周りはかなりの田舎で公共交通機関があてにならず完全な車社会で、歩いて行けるコンビニもなく、夜は山から聞いたこともない動物のような鳴き声が響いているそんな場所だった。
従姉妹と遊ぶ毎日は本当に楽しかったし、従姉妹がいるならずっとここに住んでもいいな~なんて鼻の下が伸びっぱなし、そんなある日、おばさんの明日は某国の名前が付いたテーマパークにみんなで行こう!という突然の提案で行くことになった。
今思えばこの時点でもう何かに呼び寄せられていたのかもしれない...
夏休みシーズンは国道が混むからと朝は少し早めに出発。
車内で朝ごはんを済ませていると、予想に反して国道は全く渋滞しておらず、開演時間まで1時間ほど早めに着いてしまった。
さぁ、どうしよう
ちょっとぐるぐるドライブでもしようか
と、適当に車を走らせて時間を潰すことにした私たち。朝も早いし、田舎なせいか開いているお店はおろか人すら歩いていない状況。
田んぼが広がる片側一車線の道を走っていると、前方に“リサイクルショップ”の看板とお店が見えた
「開いてるやん!ここ寄って時間潰そっか」
ということで寄ってみることになった
店内は思ったより広く、若い女性の店員2人と中年の男性店員1人の3人がいたと思う
置いてあるリサイクル品は面白い物が多く、安価なため買い物はかなり楽しめた
おばさんやおじさん達も「ここの店は結構ええとこやったな~」と満足していて、皆それぞれ買い物をしていた
そんなこんなで開演時間になり朝から夕方までガッツリ遊んだのだが当然従姉妹も私も疲れ果ててしまって車の中で寝てしまった
ふっと目を覚ますとまだ家には着いておらず車が走っている
「あれ?相当寝た気がするんやけどなぁ」と、自分の体感では家に着いてもおかしくない時間は寝ていたはずなのに…と不思議に感じながらももう一眠りしようかと目を閉じたとき
運転席と助手席に乗っているおじさん達の話声が聴こえてきた
「あれはやっぱり変やったって」
「あんなとこにおるのおかしいもん」
など何やら不穏なやりとりをしている
私は気になって「どうしたん?」と後部座席から声をかけると
おばさんが「あ、起きたん?いや実はさ」と私たちが寝ている間に起きた話をしてくれた
カーナビで自宅までの道案内を設定し運転していたのだが、途中カーナビが「この先300m 左です」と左折をする案内をしたのだが「ん?ここ左折したら山道じゃないか?」ということでおばさんが不思議に思い「このナビ、バージョン古いから昔の道案内しようとしてるんかも」と、案内を無視することにしたそうだ
しかしその後もしつこくナビは左折するよう案内をする
するとおじさんが「こんなに左折するように言うてるんやからほんまに近道かもしれんで、一回曲がってみよか」とナビの案内通りにすすむことに決めたらしい
左折してすすむと当たりはどんどん山道に、はじめは民家がぽつぽつとあったが進むにつれて民家どころか街灯すらないけもの道のようなとこになってきた
「あー、やっぱりナビのバージョン新しくしないとこんな道に連れて来られるのか」と、どこかで切り返して元の道に戻ろうという話をしていると
「ん?大きな門があるぞ、この先行かれへん行き止りやな」と大きな門の前で止まったらしい
門の先には大きな洋館がたっており広い庭が広がっている
ただ人の気配はしなかったそうで、誰も住んでいないのだろうという感じだったらしい
あまりにも立派な洋館だったそうでしばらく2人で見入ってしまったそうだ
そんなときおじさんが「あの庭に生えてる木の下に人がいる」と言い始めた
おばさんも見ると確かに庭に生えた大きな木の下に男性と男の子がこちらを向いてたっていたそうだ
「夏やしね、親子で虫取りでもしてるんかもね」という話になりそろそろ元の道へ引き返そうかと、元の道へ戻り走っていたのだが、
思い返すと街灯もなにもない真っ暗な山道、車のライトを消すと真っ暗になる環境で懐中電灯も持たずにあの2人はあの場所で何をしていたのか
人のシルエットしか見えない中、なぜ自分たちは彼らを男性と男の子だとわかったのか
なぜこちらを向いていたのがわかったのか
など不審な点がいくつかあり話し合いをしている最中に私が起きてきた、というわけらしい
こういう話が大好物の私は「私も見たかったーーー!!」ととても悔しがったのを憶えている
無事自宅に着き、お土産や買い物したものを整理していると誰も身に覚えの無い袋が出てきた
リサイクルショップの袋なのだが誰も買っていないという...
取り敢えず開けてみようということで開けてみると小さなグラスが出てきた
なんの変哲もない花柄模様のグラス
全員でこれは一体なんだろうという話になり
店員さんが他のお客のものを間違って渡してしまったのだろうか
いや、客は私たち以外いなかったからそれはないだろう
え、じゃあなに?サービスなのこれ?おまけ?など話していると
「あ!」と突然おばさんが大きな声を出した
「もしかして...このグラス、元々あの洋館にあったもんやないやろね...?」
それを聞いた瞬間ブワッと全身に鳥肌がたった
なぜかはわからないが絶対そうだ、と皆確信していた
これはあかん!とグラスに塩とお酒を入れてベランダに置いておくという一時措置が取られた翌日、グラスを見ると真っ黒に変色したお酒がそこにはあった
これはやばい!とおばさんは即座にグラスを割り、割れ物として処分してこの件は一件落着
しかし、疑問は残る
なぜこれが荷物に紛れていたのか...
店員がわざと忍ばせたのか...
グラスが勝手についてきてしまったのか...
そもそもリサイクルショップは本当に存在していたのか...
あの親子は私たちを呼び寄せて何かして欲しかったのか...
この謎は一生解けないのだろうと、思い十年経ったいまでもたまに思い出してしまう
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年賀状はがきのアルバイト
ペンネーム:虎
あれは今から5年前の年末でした。
当時、学生だった私は、郵便局で年賀状はがきの選別のアルバイトをしていました。
(周囲は女の子ばかりだったので少々恥ずかしかったのを覚えています)
アルバイトの内容は非常に単純で、ポストに投函された年賀状はがきを、事前に配布されたカードに記された住所の順番に並べて、輪ゴムでまとめるというものでした(記憶違いだったらすみません)。
ただ、たまに住所の書き損じや、酷い癖字があり、当時の私は、かなり苦労した記憶があります。
基本的に、上記の理由でどこに振り分けていいのかわからない年賀状はがきは、まとめておき、最後に熟練のパートおばさんに教えてもらいます。
バイト2日目、私は妙なことに気づきました。
1日目通り、年賀状はがきを整理していると、
「○○町 ☆☆☆ △△△ 12-34」
という、事前に配布されたカードに記されていない住所の年賀状はがきを複数枚発見しました(○○町 ☆☆☆まではカードにありましたが、△△△という地名はありませんでした)。
最初は書き損じの類いかと思いましたが、作業を続けていくにつれてその住所の年賀状はがきは増えていき、最終的には30枚ほどになっていました。
不思議に思いつつ、パートのおばさんにその年賀状はがきを持っていくと、
おばさん「あ~、これね。こっちでやっておくからいいわよ。お仕事に戻ってちょうだい。」
と言われ、私は次の作業に戻りました。
結局この存在しない住所宛の年賀状はがきは私がこのアルバイト中に50枚は見つけたと思います(他にアルバイトは居るので合計はもっと多いと思います)。
結局、あのはがきの正体がわからなかったので、最終日に、担当の方に聞いてみると
担当の人「あぁ、あれはね、昔からずっと届いてるんだよ。何なんだろうね。」
という返事しか貰えませんでした。今考えると話を誤魔化されていたのだと思います。
その日の夜、父に例の年賀状はがきについて聞いてみると(私は10年ほど前ここに引っ越してきたのですが、父はこの土地生まれなので聞いてみました)、
父「○○町か、あそこは昔から何かあるんだよ。俺が子供の頃は誰も近寄らなかったな。」
と言っていました。普段からよく嘘ばかり言う父ですが、このときの台詞は何故か嘘のようには聞こえませんでした。
オカルト好きの私はどうしてもあの住所の正体を知りたかったのですが、実際に確かめにいくには○○町が遠すぎたため、その時は住所と宛先の名前のメモだけして諦めました(流石に50回も見て覚えていました)。
それから約2年後の秋、自動車免許を得た私は、ふとあの住所のことを思い出しました。免許を取りたてで、何かと行動力のあった時期の私はその週末、さっそく○○町に向かいました。
当然、カーナビではあの住所は出て来なかったので、○○町☆☆☆の適当な地点に向かいました。
車で30分ほどで到着しました。ほとんど畑と田んぼでした。民家は山沿いにちらほら建っている程度でした。
当時の私は
「くね○ねでも出てきそう」
とワクワクしていました。
例の住所の家を探すべく、家沿いを適当に車で走りましたが、走れど走れど普通の民家しか無く、気づいたら集落から外れた林道に差し掛かっていました。
まあ、薄々予想はしてたけど、こんなもんかと諦め、そろそろ帰ろうと思ってカーナビに自宅のルートを検索させました。
するとカーナビは自宅のルートをこの林道の先であると指示しました(林道を突っ切って、山の裏側の道に出る
ルートでした)。
そろそろ暗くなってきた頃だったので、恐怖心はありましたが、指示に従い林道を進みました。
暗闇のガタガタ道を走り始めて5分ほどしたときです。道の先にうっすらと家らしきものが見えてきました。
もしやと思い、家の塀の前に停車し、車から降りて近づきました。
表札にはあの年賀状はがきの宛名の名字がありました。
その家は、明かりが灯っておらず、窓が割れていたり、板が打ち付けられていたり、蔦が壁を覆っていたり、屋根が崩れていたり、家の一部が潰れていたりと、人が住んでるとは思えない外見をしていました。
私は急に現れた異質な建物へ吸い寄せられるように近づきました。
塀の内側へ入ろうとしたときです。
私は玄関にお供えものを連想させる大量の枯れた花束と瓶ビールが置いてあることに気づきました。
それに気づいた瞬間、急に怖くなり、すぐに車に乗り発進しようとしました。このとき一瞬カーナビには存在しないはずの
「○○町 ☆☆☆ △△△」
の住所が見えました。
そこからは全力で逃げるように帰りました。事故らなかったのが奇跡だったと思っています。
後日、某ネット地図であの場所を探しましたが、全く知らない土地なので、結局見つかりませんでした。
今でもあの場所は謎です。
あの年賀状はがきは何だったのか、父が言っていた話と関係はあるのか、あれはただの廃墟だったのか、今のところ全て謎です。
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声
ペンネーム:はち
俺が小学校低学年だったころの話な
埼玉郊外の一軒家に両親と3人で暮らしてたんだけど
父親は仕事、母親はパートに行ってたから学校から帰ってきて18時あたりまでは基本的に1人だったんだ
俺はテレビ見たりゲームしたりお菓子を食べたりと割と好き勝手にやってたからそこまで寂しくはなかった
ただ、何を見たとか聞いたとかじゃないんだけど
うちは洗濯物を2階の広めの部屋(ここでは物置部屋と呼ぶ)が怖かった
そこの部屋には洗濯物を干してたんだけどバスタオルとか着替えがタンスにないときは自分で取りに行かなきゃいけないんだよ
その二階の部屋の半分物置になってる部屋はあまり使わないからという理由で部屋の電気が小さなオレンジの豆電球しかつけられてなかったんだ
物が積み上げられて少しホコリっぽい室内がオレンジの淡い光で照らされている様子は
ただまっ暗い部屋よりもなんとなく怖くかったのを覚えてる
ある日の夕方、傘もない中で大雨にあってでびしょびしょで帰宅した俺は風呂に入ろうと思った
玄関でぬれて重くなった服を脱いでランドセルと教科書を乾かそうと中身をぶちまけて
脱衣所まできた俺はバスタオルがないことに気がついた
母親が洗濯物をためていたらしくいつもの場所に積み上げられているはずのバスタオルがなかったんだ
スポーツタオルとかを代わりに使う知能があればよかったんだけど当事の俺は
風呂上りはバスタオルで体を拭かなきゃ怒られる、と思ってたんだよ
「イヤだな~」なんて思いながら階段をあがって、物置部屋に入る
雨戸が締め切られた部屋に除湿乾燥機のゴーーーーッとした音が鳴ってて
体をしたたる水のせいか雰囲気のせいか思わず背中がブルッとした
オレンジの頼りない明かりをつけてカゴにつみあげられたバスタオルをひったくるように取ると
あわてて部屋を出て行こうとしたんだけど部屋の奥に背中を向けた途端「ビイイイイイイイイイイイイイン」と音が鳴ったんだ
俺はメチャクチャびっくりして思わずかたまってしまった
その間にも音は鳴っててそんなことはなかったかもしれないけど段々と音が近づいてきてる!と思った俺は
威嚇のつもりか恐怖のあまりか「うばあああああああ!!!!」って叫んだんだ
そしたら音が止んで 俺はホッとしたんだけどその途端にさっきとは比べ物にならない音量で「ビイイイイイイイイン!!!!」
と音がした 俺はさっきとは比べ物にならないほど驚いて何故か頭をかかえてうずくまった
音は相変わらず大音量で鳴ってるんだけどその中に違う音が混ざってるのに気が付いたんだ
「ビイイイイイイイイン!!!!」という音の中に人の声が混線したラジオみたいに混ざって聞こえる
それに気が付くと声はだんだんと大きくなってきてやがて「せいじいいいいいいい!!!!」って女の声で叫んでるのに気が付いた
せいじってのは俺の父親の名前だったんだよ わけが分からないままだんだんと音よりも声の方がでかく聞こえるようになって
父親につれてこられたパチンコ屋みたいにうるせえ怖い何なんだって思いながら耐えてると不意に下から
「なに!!!こんなに散らかして!!」って母親の怒号が聞こえた
すると音がぴたりとやんだので俺はバスタオルを抱えてあわてて部屋を出て階段を転がり落ちるように降りると
玄関で脱ぎ捨てた服とびしょびしょになって散乱してるランドセルや教科書を見て怒ってる母親がいた
俺は安心したのか泣き出して母親にとびついて「物置部屋が!!」と訴えた
母親は訳が分からないままおばけの声がした!と訴えられ俺に促されるまま物置部屋に上がっていったんだ
俺は怖すぎて下のリビングで震えてた
しばらくして母親が戻ってくると
「これのせいみたい」とヴァイオリンを見せてきた
それはヴァイオリンのおもちゃで弦の部分に鉄が触れると自動で演奏してくれるというものだった
(詳しくはヴァイオリン おもちゃでぐぐってほしい)
ヴァイオリンの音なんて聞いたことない俺は「絶対違う!!!!あれはおばけの声だった!」と言った
母親はそんなこと言うのならとヴァイオリンの弦に弓をあてて演奏しようとしたんだけど音が鳴らない
おかしいと裏の電池蓋を取るとそこには電池が入っておらず
長い髪の毛が一本だけ絡まって入っていた
流石に母親もひるんだのか「壊れちゃったみたい」と言って蓋をしめて
それをそのまま不燃ごみの袋にぶちこんで袋の口を結んだ
俺は絶句したままあれは何だったのかも聞けず父親の声を叫んでいた声のことも言えず
母親と風呂に入ってそのまま寝てしまった
翌朝になって起きると母親が「物置部屋に電気つけたから」と言った
俺は恐る恐る物置部屋をのぞくと窓が開けられ白い電球が室内を照らしていた
あのヴァイオリンが入れられたゴミ袋は既になかった
なんとなくあの話をしてはいけない雰囲気を子供ながらに感じて俺は何も言わず学校に行った
相変わらずあの部屋には近寄りたくはないし関係あるのかないのか分からないけど
父親はその3年後に死んだ
ここからは余談になるんだけど
俺はといえば大学生になって頻繁に都内に通うようになったんだけどはじめて
電車の接触事故というのに遭遇した時にそばにいた女の人があげた悲鳴があのヴァイオリンの音に似ていて冷や汗がふきだした
調べてみたらヴァイオリンは「人の声に最も近い楽器だ」と言われることがあるらしい
俺があの時聞いた音はどっちだったんだろう 父親はどうしてあの声に呼ばれていたんだろう
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胴長
ペンネーム:TJエクルバーグ
怖い話…というより不気味な話かな。
気が向いたら夜中に散歩してしまう癖があるんだけど、俺の家の周りのクソがつくド田舎には、今でも街灯なんて一本もない畦道が当たり前のように残ってる。
夜中にそんな道に差しかかるとマジでなんにも見えなくなっちゃうんだよね。
もちろん徐々に目は慣れてくけど、それでも道の輪郭が滲んで見える程度なのよ。
だけど特に怖いって感じはしない。多分、地元だからだと思うんだけど。
田んぼの水面が急に野球ボールを落としたくらいに跳ね上がったり、茂みから飛び出してきた影が猛スピードで俺の前を横切ったり、何もない道の真ん中で鳥の鳴き声が聞こえてきたり、そういう体験は結構ある。ああ、田んぼの件はそういう音がしたって話ね。
それからタヌキの死骸を見かけたこともあったな。
多分、車に引かれたと思うんだけど、タヌキなんてこの辺りでも珍しいのに、普通に歩道脇に転がってたよ。
でもこういうのって全然どうってことないのよ。
2,3日は外出を控えようと思うけど、それが過ぎたらまた夜の散歩を再開してる。
俺が今でも忘れられないのは3年前のゴールデンウィークのこと。
その時期ちょうど中学時代からの友人がK県に転勤してて、帰省する気もないから遊びに来いよって誘われたんだ。
数日滞在して帰るつもりだったんだけど、これはそのうちの最終日前夜の話。
初日に買い込んだ酒が中途半端に余ってて、二人でちびちびとやってたんだけど、そのうちに友人の方が先に寝息を立て始めたんだよね。
時間は12時を回ってたのかな。俺も若干眠気が来てたから、友人に毛布をかけてやって、おとなしく客間の布団まで引き上げたんだ。
ただ、その日って5月にしてはちょっと蒸し暑い夜で、どうにも寝苦しかった。
それでしばらく悶々としてたんだけど、とうとう堪えきれなくなってマンションの外に出たんだ。
で、そのまま歩いて近くのコンビニまで向かった。
何日か滞在してるうちになんとなく土地勘がついてたんだよね。
K県ってぶっちゃけ都会でさ、友人の住んでるマンションも密集した住宅街のど真ん中だった。
少し歩けばコインパーキングに当たるような場所で、あの看板のオレンジとか緑の明かりが妙に夜中の蒸し暑さを助長してたんだ。
他にも街灯の明かりとか、ガードレールにくくりつけたゴミネットとか、とにかく暑い日には何を見てもイライラするんよね。
コンビニでは飲み物だかアイスだかを買って外に出た(なに買ったか覚えてない)。
覚えてるのはまだエアコンの設定が夏仕様じゃなかったってこと。全く夜涼みになんなかったの。だから立ち読みも早々に切り上げて、すぐに店を出たんだ。
で、本題はこの帰り道のことなんだけど。
友人のマンションとコンビニの間には中っくらいの交差点があって、帰りに俺は運悪く赤信号に止められちまった。
夜中だけど連休中だったし、それにトラックもちらほら走ってたから、無理して横断歩道を渡っちゃうのはちょっと難しかったのね。
それで信号が変わるまでぼんやり交差点の奥を眺めてたんだ。
するとさっき言ったゴミネットのふもとで変な影がもぞもぞしてるのに気付いた。
猫かなーと思って見てたんだけど、それにしてはちょっとおかしいんだ。っていうのは、あまりにも胴体が長いんだよ。普通の猫の倍くらいはあったね。
まあ、犬にもダックスフントとかいるしさ、初めは「そういう品種も世の中にはいるんだろう」なんて呑気に構えてたんだけどね。実際に犬の可能性だってあったわけだし。
信号が切り替わってその生き物に近づくんだけど、そいつはどこまで行っても胴長のままだった。
見間違いってことも考慮してたんだけど、そういう可能性はどんどん失われてくの。
それで、そいつとの距離が20mくらいにまで迫ったときかな、俺は決定的な違和感を抱くんだ。
そいつのケツから生えてる尻尾がさ、くっきり2本あるんだよ。1本でも3本でもなく2本。
流石にギョッとしたよね。だけどそういうときの好奇心って面白いもので、俺の足は少しも止まんなかった。元より夜の体験には慣れてるからね。それに、それこそ何かの見間違いだろうって高をくくってたんだ。
そして思ったとおり、俺がもうそいつを捕まえられるぞってトコまで近づくと、そいつの胴体はにゅるっと2つに分裂したんだ。
つまり2匹の猫が重なってただけ。蓋を開けてみたらこんなもんだよ。
…っていう安心が一瞬だけあった。
そいつの尻尾は2匹に割れても2本のままなのよ。よくよく見たら胴体だって最初に見た長さのまんま。
そっくり同じ胴長のツインテールが俺の目の前に2匹並んで現れたんだ。つまり2つの胴長と4つの尻尾。
さすがに驚いて声が出ちゃった。「うぇっ」とか、そんな情けないやつ。
その瞬間2匹の胴長はビクッと体を硬直させて、それから2匹が別々の方向に猛然と駆け抜けていった。
1匹は車道を渡って向かい側のどこか茂みの奥に消えて、もう1匹はすぐ隣のアパートに逃げ込んだ。
俺は恐る恐るだけど、そのアパートに足を向けてみたんだ。
それでさ、都会の住宅事情に文句言うつもりはないんだけど、とにかくそのアパートときたら芸術的な構造をしてたのよ。
ベランダはどれも道路側に面してたから、部屋の入口は建物の裏側にあったんだろうけど、肝心の裏へ回り込む通路は壁際のやけに細い一本しかなくて、しかもアパートからは外階段が突き出してる。なんていうのかな、そこを通るには縦にも横にも体を縮めなきゃいけないのよ。ひたすら情けない格好なんだわ。怖いというよりもなんだか悲しくなってきたんよね。
第一、勝手に私有地に入っちゃってるわけだしさ、そういうのがごちゃごちゃになって、感情の整理もつかなくなってきてた。
だけどすぐに感情は一つに固まったよ。外階段の真下をくぐろうとした時にさ、突然聞こえてきたんだ。
「引き返せ」
たぶん外階段の上から聞こえてきたと思う。
そいつが警告したのはその一回っきりで、めちゃくちゃ重苦しくて、低くて、それから妙に通る声だった。俺と違ってかなり落ち着いてる。もしも警告用ボイスのオーディションなんてのがあったとしたら、俺は間違いなくこの声の主を推薦するね。
でも全然、惚れてたわけじゃない。声の正体は姿を見せないし、他のアクションをしてくるわけでもない。俺の方も体が自由に動いてくれないし、それで膠着状態が体感1分くらい続いてたかな。
だけど勇気を振り絞って引き返すことにした。体が居竦まっちゃってるときって引き返すにしても勇気なんだよね。
まあ、だから、結論から先に言うけど、その声の正体にしても胴長の正体にしても、俺は一切なにも知らないし、調べようとも思わない。
友人も去年の冬に地元に帰ってきちゃったし。
たださ、今でも俺の耳にこびりついてるのは、あのアパートを逃げ出してから聞いた一つの声なんだ。
友人のマンションが見えてきたとき、俺は初めて後ろに振り返ってみたんだよ。
特に変わった雰囲気はなかった。コインパーキングの看板が怪しく光ってたくらい。
俺は大きく息を吐いて顔を正面に戻したんだ。
で、その途中ではっきり聞いてしまったの。
「忘れろ」
ってさ。
外階段で聞いたのと全く同じ声。
すぐさまもう一度振り返ったけど誰もいなかった。
話はそれっきり。別にそのあと不幸に見舞われたとか、呪いで誰かが死んだとか、そういうわけじゃない。
でも友人のマンションは本当になんの変哲もない街中の一角にあったんだ。
オカルトって言うんなら俺の地元のクソ田舎の方が何かありそうだし、「胴長で尻尾が2本のタヌキが死んでた、でも次の日行ったら死体はなかった」って方がまだ説得力だってあったと思う。
でも実際にあの胴長たちは、人間の匂いにまみれてる住宅街の一部に潜んでたんだよ。
それが妙にごわごわとして後味悪く俺の中に残り続けてんの。
場所とか都会とか関係ないらしいよ。
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ご先祖様
ペンネーム:サチロカ
私が中学生の頃、父の兄妹が一同に集まり、みんなの生まれ育った瀬戸内海の孤島で合同で先祖供養をすることになりました。
父には年上の兄が一人、年下の妹が二人、父方の家族はみんな疎遠で、小さな島の山奥で貧しい生活をしていた上に、幼い頃に生みの母親を亡くし、全員が継母に育てられ、一番上の兄にいたっては、里子に出されたか、遠い親戚に預けられたかで、ほぼ生き別れになったまま全員が過酷な環境で育ったそうです。
父に兄がいることは、聞いたことがあるかないかというくらいで、存在そのものを意識したことは今まで一度もありませんでした。
その頃は親族に不幸な出来事が続き、父の会社の経営も大きく傾き、私の母も乳がんを患うなど、大変な時期が続いていました。当時まだ中学生だった私はあまり実感できなかったのですが、父方の一番下の妹さんが地元のお寺の方から、先祖の供養をちゃんとした方が良い、そのせいで不幸が続いているというアドバイスを受けたそうです。
確かに私の父はほとんど自分の幼少期や両親の話をせず、私も父方の親族とはほとんど面識もないまま育てられました。お墓参りなどもしたこともありませんでした。
父の一番下の妹さん(Hさんとします。)はその島に住んでおられたので、お寺に協力してもらい、膨大な記録の中から何とかご先祖様のお墓の場所をつきとめることができました。
誰も所在を知らないと思っていた父の兄も、父のもう一人の妹(Sさん)だけは細々と連絡を取っていたようで、何とか全員が集まり、先祖供養をみんなの生まれ故郷で執り行うことができました。
父方の兄妹全員と、それに加えて私の母、弟たち。質素な供養でしたが、住職がお経を唱え出ししばらくすると、Hさんが「うわ〜いっぱい来だしたで〜・・・。」と私の母に小さな声で話していました。
すると母も「ホンマやね。左肩がすごく熱くなってきたわ。」などと言っており、もともと霊感のある二人には、ご先祖様が喜んでいるのが分かっているようでした。もちろん私も弟も何も見えず、何も感じず、ただ退屈で早く供養が終わってほしいと願うばかりでした。
お寺での供養が終わると、住職と一緒にご先祖様のお墓のある場所まで行き、またそこで読経、掃除をして供養は終了という流れでした。お寺からはそんなに遠い場所ではないのですが、山の中腹の孤立した古い墓場にあるということでした。
その山に入る時でした。私はその山の入り口をよく知っていました。私だけではなく、家族全員に馴染みのある場所でした。何でこんな所に行くんだろう?と不思議に思いつつも、連れていかれるがまま、私たちはその見慣れた山道を運転して進んで行きました。
道が細くなり、そこからは車を停めて少し歩きました。もう少し車で上に行けば、美味しい天然水が湧き出ている井戸があるのを私は知っていました。
私がまだ小学生の頃、父がドライブがてらに家族を連れて、その湧き水をポリタンクいっぱいに汲みによく来ていたことを思い出しました。父は普段は健康などには興味がない人間で、なぜその当時は新鮮な天然水などをわざわざ2時間もかけて汲みに行くのかが、私には理解できませんでした。
細い山道を少し下ると、ほとんど整備されていない古くて小さな石の階段が薮の中に続いていました。
その先に小さな開けた場所があり、小さな祠と10ほどの古い暮石が並んでいました。
そのうちの一つが先祖の墓でしたが、掘られた文字は風化し、ほとんど読めませんでした。
墓石を水で洗い流し、花を添え、新しい卒塔婆を立て、再び住職にお経を唱えてもらい、おそらく人生で最初で最後の先祖供養は終わりました。
その後は全員で夕食をとりました。小さな料亭で初めて、父が兄とお酒を飲みながら話をしているのを見ました。父の兄に家庭があるのか、どんな生活をしているのか、私は話すタイミングもなく今でも父の兄がどんな人なのかは、よく知りません。それ以降も交流もなければ、家族の間で話題になることもありませんでした。
それでもただ二人が話している姿ははっきり覚えています。妹のHさんとSさんも、こんな日が来るなんて信じられない、兄二人が一緒にいることなんて想像も出来なかったと言っていました。本当に短い再会でしたが、父も、父の兄も、表情が少し和らいだように見えました。私には先祖供養の意味など当時は分かりませんでしたが、子供心にもこれは何か必要なことだったんだと思えました。
きっと父のご先祖様たちは必死で父に呼びかけていたんだと思います。家族で何度も行ったあの天然水の湧き出る井戸のあんなに近くにお墓があったなんて。ご先祖様は家族がもう一度集う姿を見たかったのかもしれないと思うと、少し切ない不思議な出来事でした。
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セミじいちゃん
ペンネーム:たどころ
もう15年以上前の、まだ私が小学生だったときの話です。
夏休みを利用し、家族で父の実家がある鹿児島へ帰りました。
多分5年ぶりくらいの帰省だったと思います。
東京に住んでいた私たち家族には鹿児島は遠く、多忙な父が帰省を面倒臭がっていました。
さすがにそろそろ祖父母に孫の顔を見せてあげようという母の進言がなければ、その時の帰省も見送りになっていたでしょう。
5年ぶりの鹿児島はカラッとした気持ちのいい暑さでした。
半日かけて新幹線と電車を乗り継ぎ、祖父母の家の最寄り駅まで。
改札を出ると真っ青な空な下で2人が笑顔で手を振っていたのを覚えています。
祖父の車に乗って私たちは家に向かいました。
祖父母に会う機会も乏しく、もともとあがり症で人見知りの私はしばらく緊張していましたが、車中少し話しただけで昔の調子に戻り、喜々とした様子につられてすぐ打ち解けることができました。
何日滞在したかはっきりとは思い出せませんが、確か5日間ほどだったと思います。
海、お祭り、花火など夏にできることはみんなしました。
普段あまり外で遊びたがらない私も、山と畑しかないような田舎が珍しかったのか、真っ黒になるまで外で遊んでいました。
今でも、あれほど夏休みらしい夏休みを過ごしたのは最初で最後だったと感じます。
そして東京へ帰る前日。
父と祖父母は車で1時間ほどのところに住む叔父の所へ出かけて行きました。
母は連日の遊び疲れでゆっくりしたいという事で留守番。私は近所を一人探索してみたいという理由で家に残りました。
母の遠くへ行きすぎちゃダメよ、という声を背中に私は外へ出ました。
私が一人で探索してみたい、と思ったのには大きな理由があります。
当時、学校でエアガンが流行っており、公園でサバイバルゲームのようなものをして遊んでいたのですが、近所の人たちから「危ない」と苦情が入り、エアガンを使った遊びが一切禁止になってしまいました。
もともとインドアな私が外で遊ぶ唯一のものだったので、とても悲しかったのを覚えています。
エアガンも一度は両親に没収されたものの、撃たないから手元に置かせてくれ、と頼み込んだものでした。
そして鹿児島に行く際もお守りのように持っていたエアガンは勿論リュックに忍ばせていました。
ここなら人も少ないし、心置きなくエアガンが撃てるぞ!と思い、一人外に出たのです。
祖父母の家は山路を拓いた大きな車道の丁度ふもとにありました。
そのまま山に向かってしばらく車で登っていくと、とても大きな墓場があります。
お墓参りの時にそこを知り、私は始めその辺りで遊ぼうかなどと罰当たりなことを考えていたのですが、車でも30分くらいかかる場所で、到底歩いてでは厳しいと思い諦めました。
しかしながらその道中に、小さい頃遊んでいた公園があったの思い出し、そこならあまり人も通らないし丁度良いだろうと私はそこで遊ぶことにしました。
15分程ゆるやかな坂道になっている車道を歩いていくと、草木が生い茂る中に公園の入り口を見つけました。
雑草で入口は曖昧で、公園の入り口によくある車止めでなんとかわかる程度。
中にあるブランコやシーソーといった遊具も錆び切っていて、雑草も当時の私の膝くらいまで伸びきっていましたが、その人を寄せ付けないような排他的な雰囲気は好き放題に遊びたい私にはとても魅力的でした。
私は早速リュックからエアガンを取り出し、さながら映画レオンのジャンレノのような殺し屋になりきりながら木の陰に隠れ銃を撃ったり、見えない敵に撃たれたりして遊びはじめます。
小学校低学年とはいえ、人に見られたら恥ずかしいようなごっこ遊びもここなら心置きなくできる、と私ははしゃいでいました。
しかし、ひとりでやるごっこ遊びにも限界があります。
ブランコの柵に座りながら次はなにしようか、帰ろうかなどと考えていると、私の正面にあった、数本ある木々の一本になにやらくっついているのが見えました。
目を細めて見ると、それはセミでした。
ただし不気味なほど、とても大きいセミです。
その人の握り拳ほどあるセミは、木の中腹にじぃっと張り付き、微動だにしません。
私はなぜか目を逸らせず、3分ほどそこに立ち尽くしてしまいました。
その異様な昆虫はその間もまったく動かず、まるで玉座に鎮座している権力者のような威圧感を纏っていました。
はっと我に帰り、なぜか私は「倒さなきゃ」と思いました。
エアガンという武器と、心までジャンレノのなりきっていた先程までのごっこ遊びは、私に訳の分からない勇気をもたらしてしまったのでしょう。
私はエアガンを構え、「それ」に標準を合わせました。ガスを注入し、発砲するこのエアガンは非常に威力も強く、BB弾をまっすぐと飛ばします。
人の肌に当たると真っ赤な後が出来るほどです。
バシュ、バシュ、と何発かの乾いた銃声。そのうちの一発がセミに当たると、呆気なくそれは木から剥がれ落ちていきました。
私はそれを確認しようと恐る恐る近づきました。
しかし、そこには先程のセミも、私が撃ったBB弾もありませんでした。
セミはどこかに飛び立ってしまったとしても、BB弾はお金のない私にはとても貴重で、撃った後回収して使い回していたのですが、周囲を注意深く見渡しても見つかりません。
そうこうしているうちに辺りは暗くなり、18時を告げるチャイムが響きました。
そろそろみんなが心配すると思い、私はなんとなく心にしこりを残しながら帰路につきました。
車道を歩いて下っていくと、すぐに祖父母の家が見えます。
が、その日はなにか変でした。
家の周りに大勢の人と、救急車が止まっていました。
私は急いで駆け下りていきます。
救急車に父が乗り込んで行くのが見えました。
息を切らし懸命に走りましたが、救急車はそのまま行ってしまいました。
玄関前にいた母と祖母に祖父がお風呂で倒れた、とききました。
私はさっきまでの巨大なセミのことなど忘れ、病院に行くと騒ぎ立てましたが命に別状はなく、明日には帰ってくると母がなだめてくれました。
それが真実かどうかはわかりませんが、私は落ち着きを取り戻し、母と祖母とさみしい、最後の鹿児島での夕食を食べました。
そのまま頭に入ってこないテレビをボーと眺めていると、母にお風呂入って寝なさい、と言われ私はフラフラとお風呂に向かいました。
祖父が倒れた後の風呂に入るのは気が引けましたが、早く眠ってしまいたかったのもありさっさと服を脱ぎ身体を洗い、浸かろうと風呂桶の蓋外しました。
風呂の中にはなぜか、5、6個のBB弾が漂っていました。
私は布団の中で震えました。
幼い私は、あのセミは祖父で、私がエアガンを撃ったせいで倒れたのだと考えたのです。
自分を責めながら、誰にもそのことを話せないまま、私は布団の中でいつのまにか眠ってしまいました。
翌朝、寝ぼけ眼で居間に行くといつもの座椅子にいつも通り祖父が座って新聞を読んでいました。
「じいちゃん!」と私は祖父に飛びついきました。
祖父は優しい笑顔で心配かけたなぁと私の頭を撫でてくれます。
私は昨晩の罪悪感から解放されたように大声で泣き叫びました。
両親も祖父母もみんな優しい笑顔でそれを見守っていました。
昼食を食べた後、東京に帰るためみんなで駅に向かいました。
改札の前で祖父母を一言二言交わしたあと、私はしばらく二人に抱きつき、また来るね、と約束しました。
待ってるねーと祖母。
祖父は笑顔のまま私の目線までしゃがみ、頭をくしゃっとして
「痛かったぞ」
そのまま祖父母は背中を向け、車に乗ってしまいました。
昨年、祖父が亡くなりました。
私はいまだに祖父のあの言葉の意味を考えていますが、答えは出ません。
偶然なのか、そもそも幻なのか。
私はあの夏からセミが大の苦手になってしまいました。
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