1.お兄さんが遺したもの
ペンネーム:ミュウ
うちの母はいわゆる昔から第六感的なものが鋭い人だった。たまに隣で夜寝ていると「洋、起こしてくれ」と寝言で頼まれて、起こすと「知らないお爺さんに足を引っ張られてた」なんて言う。夢だとこちらが言うと、手の跡がついた足を見せられて驚いたこともある。また、朝突然親族の墓参りに行くと言い出し、墓に行くと、大きな鳥の死骸が墓石に乗っていたことなんかもある。これはそんな母が20代の時に経験した不思議な話だ。
母には兄が1人いた。柔道をやっていてガタイがよく、それでいてとても優しいお兄さんだったようだ。だったようだというのもお兄さんは私が産まれた年に亡くなってしまっていたからだ。
兄が亡くなる前の年、母は子宮の病気になった。子宮の全摘出を医師が勧める病気だ。残しても再発の可能性が高く、子供が出来る可能性は5割もないと言われたらしい。結婚して3年、子供が出来なかった母は結局子宮は残す判断をしたが、よく泣いていたとのことだ。
そんな時、お兄さんのガンが発覚した。まだ20代、末期のガンだった。あのガタイが良かったお兄さんがみるみるうちに痩せ衰えていく。でもお兄さんが気にするのはいつも母のことだった。いよいよ危ないとなった時、朦朧としたお兄さんに母は1つの嘘をついた。「直子、子供できたか?」いつもの問かけ。「出来たよ兄ちゃん」「そうか良かったなぁ」、兄に心配せずにいてほしかった嘘だった。そして、その数日後にお兄さんは静かに息を引き取った。
お兄さんが亡くなってからしばらく経ち、49日の法要が終わった晩、母は実家に泊まった。夜中寝ているとふと眼が覚め、突然金縛りになった。次の瞬間布団がふわっと上がり、母がパニックになっていると枕元にお兄さんが立っていた。「兄ちゃん何?何?」母が必死に問いかけても何も答えない。そのまま何分経ったかはわからないが、ふとした瞬間、お兄さんは煙のようになって、母のお腹にスゥっと吸い込まれていった。その瞬間、金縛りも解け、母は祖父母の部屋に転がりこんで夜を明かした。
母の妊娠が判明したのはその1週間後のことだった。親戚中が生まれ変わりだと喜び、母はお兄ちゃんが命を子供に遺してくれたと感じたようだ。
その10ヶ月後、真冬の空のもと母な産気づいた。しかし私は頭が大きく、陣痛から2日経っても産まれてこなかった。いよいよ促進材を使おうと言うとき、母はふと窓の外を見た。そこには季節外れの大きな紫色の蝶がいた。窓にとまってずっと動かない。母はすぐに兄ちゃんが見にきてくれたんだ。と思ったという。それからすぐに陣痛が激しくなり、分娩室に入り私が産まれた。蝶はいつの間にかいなくなっていた。
その後は病気の再発もなく、兄妹も3人になった。私もすくすく育った。性格は伯父さんとは似ても似つかないが、よくお爺さんの若い時の仕事姿とか見たことがないことを言って母を驚かせていたらしい。
今は30歳を超え、お兄さんの歳を追い越した。
結婚してこの秋には子供が産まれた。
この冬はお墓に子供を見せに行こうと思う。
お兄さんありがとう。
以上です。長文を読んでいただきありがとうございました。
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2.不思議な体験
ペンネーム:名無しNo.1
怖くもなんとも無いですし、かなり一瞬で終わる話。
電車のダイヤって平日と土曜、日曜でそれぞれ違うと思うのですが、なんの変哲もない月曜日に、他の火から金までのダイヤと1分だけ違っていました。
ダイヤが改正されたわけでもなく、次の日にはまた元に戻っていました。
ちょっとしたパラレルワールド系のものなのかと1人ワクワクしていましたが、それと同時にちっぽけすぎるなと思えました。
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3.消えた患者
ペンネーム:ぽんこつ
私が通うBARのマスターで尾崎さん(仮名)という方がいます。
多くの常連客が通うだけあり、気さくで話も面白く人望も厚い人物です。
その尾崎さんのBARで以前、怪談好きな常連客を集めて朝まで怪談を語るイベントが開催されたことがあり、怪談好きな私はもちろん参加しました。
その際に尾崎さんから聞いた話がかなり興味深かったので、今回許可をいただき、この話を投稿させていただきたいと思います。
尾崎さんは大学生時代、都内のある病院で夜間受付のアルバイトをしていたそうです。
救急の一次受付と夜間の見回り以外の空き時間を勉強や読書に充てられるこのアルバイトは、当時勉強しまくっていた尾崎さんにはうってつけのアルバイトだったそうです。
ある日の深夜、尾崎さんがいつものように見回りを終え、さて勉強を始めようかと思ったころ、救急の受付を知らせる電話が鳴りました。内容は交通事故に遭った40代くらいの男性を受け入れられるかどうかという救急隊員からの連絡で、怪我の状態はかなり深刻だったそうです。
その日の夜は外科医が当直であったため、尾崎さんは医師に確認のうえ、受け入れ可能であることを伝えました。
途端に病院は慌ただしくなります。当直の医師と看護師達はすぐさま受け入れ準備を始めました。
数分後、救急車が到着し、すぐさまストレッチャーで患者が運ばれてきました。
患者の状態を見て誰もが絶句したそうです。
車に轢かれて頭部を激しく打ったその男性の頭蓋骨は変形しており、鼻から脳の一部と思われる物体が出ていたそうです。
絶対に助からない。
尾崎さんはそう思いました。看護師達にも諦めの色が見えたそうです。
しかし、医師の「最善を尽くす」という言葉で看護師達は我に返り、準備を続けました。
意識がなく、身元がわからない患者の場合、最初に仮のカルテのようなものを作成するそうです。その役目は尾崎さんが担当していました。
尾崎さんはカルテに「40代男性、紺色のシャツ、ベージュのズボン・・・」など、見てわかるだけの情報を記入しました。
その後、処置に取りかかるため、男性を移動させようとストレッチャーに目を向けた時、誰もが自分の目を疑いました。
男性がいなくなっていたのです。
頭が変形し、意識もなく、まさに生死の境を彷徨っていた男性が消えたのです。
ストレッチャーから落ちたのかと思い、辺りを見渡しても男性はいません。
奇跡的に意識が戻り、自力で歩いてどこかに行ってしまったとでもいうのでしょうか。
救急で運ばれてきた患者がいなくなってしまっては、病院としては大問題です。とにかく慌てた尾崎さんを含む病院のスタッフは男性を探し回りました。そう遠くまでは移動できないはずです。
しかし、スタッフ全員で手分けして病院の中と周辺を探しても男性は見つかりませんでした。
仕方なく事実を伝えるため、医師は救急隊に連絡を入れます。
「先ほど、私どもの病院に運ばれてきた男性がいなくなってしまった。」
すると、救急隊から耳を疑うような返答が返ってきました。
「そちらの病院には誰も搬送しておりませんが・・・。」
続けて、
「確かに同時刻、40代くらいの男性が交通事故に遭い、救急車は出動しました。しかし、そちらの病院ではなく、○○大学病院に搬送されています。」
どういうことなのでしょう。
確かに先ほど瀕死の男性が運ばれてきたのです。その光景は尾崎さんを含め、10人近い病院のスタッフが実際に自分の目で見ています。尾崎さんが患者を見て書いた仮のカルテも残っています。
しばらくの間、スタッフの間には何とも言えない空気が流れたそうです。
しかし、患者がいないのでは仕方がありません。看護師達は無言で使われなかった器具などを片づけ始めたそうです。
その時、一人の看護師があることに気づきました。
通常、救急車が病院に到着した際には救急専用の入口から患者を受け入れますが、誰が入口に行き、患者を受け入れ、移動させたのか。
看護師全員に確認をしてみましたが、全員が「気が付いたら既に処置室に運ばれていた。」と言うのです。
実在しない患者が運ばれてきて、そして消えたのです。
理解できない出来事を目の当たりにしたこの日の夜、この話題に触れる人はいなかったそうです。
後日、消えた患者のことが気になった尾崎さんは、医師を通じてあの日の夜、別の病院に運ばれた患者について調べたそうです。
すると意外な事実が発覚しました。
あの日、交通事故に遭った男性は、残念ながらすぐに息を引き取ってしまったらしいです。しかし、この男性には末期癌の父親がおり、その父親が尾崎さんがアルバイトをしていた病院に入院していたのです。
「きっと最期に会いにきたんだな。」
こう呟いた医師曰く、人が最期を迎えることが多い病院では、不思議なことが多々起こるそうです。
この日病院に運ばれてきた男性は、生死の境を彷徨う状態の中、魂だけで父親に会いに来たのでしょうか。
医師が言うように病院という場所には、多くの魂が彷徨っているのかもしれません。
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4.晩ご飯のおかず
ペンネーム:エウロパ
小学校6年の頃の話。
放課後友達3人でいつものように馬鹿話で盛り上がってた時に私が友達二人の今夜の晩ご飯を当ててやるって言った。もちろん冗談でお前んちはカレー、お前んちはハンバーグって適当に言った。友達二人もお前適当にいってんじゃねーよとか言いながらその日は帰った。
その次の朝登校すると真っ先にその二人の友達がやってきて「お前凄いな!おれんちカレーだったぞ!」「おれんちはハンバーグだった!」って興奮気味だった。私はたまたま適当に言ったのが当たっただけと思って大して驚かなかった。
その日放課後私の元に友達二人と更に三人友達がやってきて五人の友達の晩ご飯のおかずを言い当ててくれと言い出した。私はまた適当に「お前んちコロッケ」「お前んちは寿司」「お前んちはグラタン」「お前んちは鍋」「お前んち唐揚げ」…思いついたおかずをぽんぽん言っていった。
次の日朝また昨日の五人がやってきて「お前すげーよ!当たったよ!」「マジでうちグラタンだった!」って大興奮。これはさすがに口裏を合わせてるなって思って「お前らウソつくなよ!」って言ったら五人共、本当にウソついてないって答えた。
その日放課後今度は噂を聞いた女子含めた十人がやってきて晩ご飯のおかずを当ててくれってきた。十人ならさすがに外れるだろうと思いながらまた思いつくおかずをぽんぽんって言っていった。
次の日朝教室は興奮の渦に!私の机の周りに昨日の十人が集まってて当たったよーって言われた。やっぱりみんな嘘をついてる様子はなく、本当に驚いてた。
その噂が他のクラスにも広がってみんなおかずを当ててくれって言ってきた。また適当に思いつくおかずを言っていった。次の日また当たったよってみんなから言われた。
だんだん自分自身が怖くなってきておかずを当ててくれって頼まれても断るようになった。この出来事はただの偶然なのか?それとも不思議な力があったのか…
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5.追いかけてくる足音
ペンネーム:よしえ
怖い話ではないのですが、私が幽霊の存在を感じた唯一の出来事です。
それは私が小学校四年生の頃の話。
田舎すぎたため、歩いて行ける距離には何もなく、コンビニへ行くのも友達と遊びに行くのも、とにかくどこかへ行くには必ず自転車を使っていた。
そして家を出て必ず通らなければならない道に、国道があった。
長く続く真っ直ぐな道路のため、その横を自転車で走るのは爽快感と疾走感が味わえて好きだった。
しかしいつからか、私が国道の脇を走っていると、自転車の速度に合わせて
たっ たっ たっ
と誰かが歩いてついてくる音が聞こえるようになった。
どれだけ自転車の速度を上げても、ゆっくり走っても、常に一定の
たっ たっ たっ
という足音が側で聞こえてくる。
幼いながらに、おかしいということだけはわかった。
ただ、この足音は十字路に差し掛かると、いつの間にか消えてしまう。
側で足音が聞こえるだけで、他に害があるわけでもないため、怖がることもなく
「あ、今日も足音聞こえる…。スピードあげてやろ」
と思うほど日常的なものになっていた。
この事を母に話すと、
「昔、あの国道で事故があったの。
真っ直ぐだからついスピードを出しすぎて事故を起こしやすい道で、その事故で亡くなった人もいる。
だからあの国道の脇にはお地蔵様が立っていて、亡くなった方を供養しているのよ。
きっと見守ってくれているから、怖がったりしないでね」
と言われた。
別に怖くないけど、と思いながら、幽霊だ!幽霊だ!と、ホラーが好きな私はその時「幽霊を感じる人」になったのだと思って興奮していた。
その話を聞いた事も忘れていたある日、友達と公園で遊ぶことになった。
その公園は到底歩いていける場所ではないため、自転車で15分かけて行くことにした。
しかし、その遊ぶ日に私は寝坊をし、盛大な遅刻をしてしまった。
家を出る頃にはすでに約束の時間を過ぎていたが、出来るだけ早く向かおうと急いで自転車をこぎ始めた。
そしてふと母から聞いたことを思いだし、国道の脇を見ると、母の言った通り小さな地蔵が立っていることに気づいた。
あの話は本当なんだ、と思いながら地蔵を通りすぎると、いつものように足音が側で聞こえてきた。
しかしあまりにも急ぎすぎていたため、追いかけてくる足音にイラついてしまい、
「今日はあんたにかまってる暇ないっての!!」
とキレながら全速力で自転車をこいだ。
人生の中で一番スピードを出して自転車を漕いだと思う。
自分で漕いでいるにも関わらず、あまりのスピードでハンドルの操作がおぼつかない。
すると、いつもは一定でゆっくり歩いてくる足音が
タッ タッ タッ
と走っている音に変わっていることに気づいた。
普段と違うことに多少の恐怖を感じながらも、それでも幽霊より友達が優先だろ、と思い無視をしながら更にスピードを上げた。
そのスピードについてくるように、足音が早く大きくなる。
タッタッタッタッタッ
もう体感では車と同じくらいスピードを出したつもりだった。
すると、スピードについていけずバランスを崩し、自転車を投げ出す勢いでド派手に転倒した。
あまりの衝撃に自転車の籠は歪み、ハンドルは曲がり、サドルは取れ、タイヤも外れた。
自転車はボロボロに大破してしまった。
にもかかわらず、私自身には大した怪我がなかった。
明らかにおかしかった。
転倒の衝撃は強かったが、自転車はたった一度の転倒ではあり得ない曲がり方をしており、壊れていて直せそうにない。
それなのに、私はアスファルトで擦れた傷のみで、ほぼ無傷だった。
投げ出され、折れ曲がった自転車を立て直そうとしたが、もう使い物にはならなかった。
そしてふと気がついたら、あんなにやかましく走ってまでついてきた足音は、何も聞こえなくなっていた。
ボロボロの自転車を引きずって公園へ向かったが、友達に自転車のおかしな壊れ方を驚かれた。
いつもボロボロの自転車に乗ってるの?と馬鹿にされたのが悔しかった。
家に帰って母に自転車を見せると、最初は驚いていたが、「あんたが無事ならいい」と言われて抱き締められた。
そして、
「そのついてきた足音は、あんたがスピード出してて危ないって、教えようとしてたのかもね。だから今度お地蔵様のところを通るときには、ちゃんと感謝するのよ」
と言われた。
素直な私は、あの足音が助けてくれたんだと本気で信じた。
もともとあの足音に嫌な気配がないため、助けてくれたと言われても、すんなり受け止めることができた。
足音しか聞こえない私にどうにかアプローチしようとしたのでは、とも考えた。
軽い擦り傷も治り、兄のおさがりの自転車を乗りこなせるようになった頃。
国道を通る際に、またあの足音が聞こえた。
絶対に自転車にはついてこれない程、ゆっくりな足音。
たっ たっ たっ
私は地蔵に向かって心の中で感謝を言ってみた。
見守ってくれてありがとう。
自転車、ちゃんとルールを守って乗ります。
そんな感謝を考えていたら、十字路についた。
足音は、そこで止まった。
何となく、やはり見守ってくれたのかなと思えた。
それは大人になった今でもそう思う。
事故が多い国道で亡くなった人が、事故が起こらないように見守っているのではないかと。
自分のような犠牲を出さないように、見守っているのではないかと。
私は今でもそう思っている。
お地蔵様に感謝をしたあの日以来、何度国道の脇を通ってみても、あの足音が聞こえることはなくなった。
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6.溜まる場所
ペンネーム:名無し
これは怖い話しなのか、どちらかと言うと不思議な話しかと思います。実話です。
私には一人娘がいまして現在は社会人です。娘は小学生の頃から所謂見えないものがたまに見る体質でした。主人はハッキリと見える体質です。私は周りに霊感体質ばかりなのに見えません。
娘は幼い頃から体調も優れず、かと言って特段悪い病気もありませんでした。
小学生高学年の時に頭痛が酷く市内の病院から有名な病院、頭痛外来まで行きました。改善されてるのか判らず頭痛外来では精神の鑑定までして何ともありません。この時にボロい借家に住んでいまして私は夢を視たんです。夢の中で壁に穴が空いて布団に寝ている娘に白い芋虫みたいのが沢山周りにいて一匹緑色の芋虫が娘の頭に近付いていく‥
知り合いの山伏系の方にその話をすると引っ越しを薦められました。たまたま近くのマンションが同じ大家さんが持っていてそちらに動かないか?と言われてた時でしたからすぐに引っ越しし、頭痛はなくなりました。ですが山伏系のかたはボソッとそのマンション見て二年、と呟いて二年以降はまた引っ越し考えたほうが良いと言われました。
その後中学3年の秋、突然腹痛が始まりました。
勿論すぐ病院も行きました。もしかして虐めがあるのか等考えましたが思いあたるのは無かったです。曜日かまわず朝昼夜中トイレに籠り便意はあるけど出ない、出ないけどすぐトイレにいないとマズイ感じだったそうです。(数年後聞きました)病院側もやはり特別問題ないから精神的なものではないかと言われ、世の中の病院は原因がわからないなら精神と言うんだと落胆しました。
元々不思議な話や怖い話が好きな私でしたが流石に山伏系の方には直ぐには相談できませんでした。。世の中のお母さんならお現実的に具合が悪いなら病院、数件診察してもらい原因不明なら心療内科になりますよね?
どうしようもなくなり山伏系の方に相談したんです。たまたまその時に同じ流派?の方が他にも2名同行してきまして視てもらいました。
場所が良くない。
溜まる。
祓ってもまた溜まる。
死体を置く場所だから。
家族で一番弱い人に出る、それが娘。
西を向いて寝かされてる。
私は出身が違う場所なので昔の事はわかりません。
が、視てくれた結果がそうでした。あの方々は実際にはお金がかかるから別の場所に住んだほうが良いとまでは言いませんでしたが私は引っ越しを決意。同じ市内を同行してピックアップした10件ほど見にいきました。
「こういうのはね。最初に選んだ場所視るより最後のほうが良い場所なんだよ。何故か?今、あなたが悪いように引っ張られてるから。でもあえて悪い場所の空気を教えてあげるから体感して。」
見事に最後の物件で引っ越し出来ました。
引っ越しの後は何事も無く娘の体調も良くなりました。
因みに震災前の秋に腹痛酷くなり、春に引っ越したんですが、それも関係あるのかしら。震災の時は腹痛ピッタリ一度止まったから悪さしてるヤツもびっくりしてたりして。
そのマンションに住んでいて家族が体験したのは照明の紐が上下に動く。(風もなく閉めきった部屋)一階に住んでましたが二階の床からゴロゴロ何か転がす音がする(実際に何かを転がしてた?)耳鳴りが頻繁にありました。
その前のボロい借家は
血走った眼の女が添い寝にくる
鱗がある黒っぽいものが通る
庭に白い女がいる
飼い猫が突然びっくりして後ろをふりかえる
昼寝してると身体に入ってきそうな何かがいました。
‥書いてるととんでもない場所に住んでましたね。
現在はいたって何事もなくそのような体験はありません。でも運気が落ちてるときには悪いように流れていくのかもしれません。
以上、ちょっとした体験でした。乱文失礼致しました。
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7.身代わりの「ぞ」
ペンネーム:たぴおか
今はだいぶ改善したのだが、私は子供の頃、吃音症を患っていた。
吃音症の症状は、簡単に言えば言葉がうまく話せないというものだ。
「ありがとう」と言おうにも「あ」の音が出てこない。
どうしても早口になってしまう。
そんな症状を抱えていたから、幼い私は人との会話を避けていた。
笑われたり怒られたりするのが怖くて仕方なかったのだ。
しかし全く話さないというわけにはいかない。
授業の音読やスピーチで、私はいつも笑い者になっていた。
最初にその夢を見たのは、音読がうまくできず、笑われた日の夜だった。
気がつくと、私は知らない街にいた。
広い通りの端に、江戸時代のような木造建築の家が立ち並ぶ街だ。
当時毎週見ていたアニメの音声が近くの家から聞こえてきて、これは夢だと確信した。
少し歩いて目に飛び込んできたのは、現代風の建築の家だった。
その家が気になって、いけないと思いながらも勝手に庭に入った。
庭には、私と同じくらいの女の子が立っていた。
家の人に見つかったと思って逃げ出そうとしたのだが、なぜか話しかけなければいけない気がした。
名前を聞こうと思い、「なんていうの」と尋ねた。
普段自分から喋らない私にとっては信じられない行動だ。
女の子は少し首をかしげた後、嬉しそうに笑ってこう答えた。
「ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ」
そこで目が覚めた。
怖かった。
あれほどリアルな夢を見たのは初めてだったし、あの子の意味不明な言葉が耳について離れなかった。
しばらくの間その夢のことで頭がいっぱいだったのだが、国語のスピーチの発表日が近づくにつれ、夢で感じた恐怖は薄れていった。
代わりに不安が募り、限界を迎えた発表日の前日。
また、その夢を見た。
前回と同じ街。
違うのは、今回は通りが人で賑わっていたということだ。
街の人の話す言葉は、ごく普通の日本語だった。
とりあえずあの家に向かうと、母親らしき女性と話す「あの子」の姿があった。
「今日は何が食べたい?」と尋ねる母親に、「あの子」は相変わらず「ぞ」の音だけで答えていた。
それでも母親は「うん、わかった」と答えていたので、会話は成立しているようだった。
「あの子」が私に気づいて手を振ってくれたので、私も軽く会釈した。
母親は私を友達と思ったのか、「娘と仲良くしてね」と言った。
「うん」とだけ答えると、夢はそこで覚めた。
もう、名前を聞く気は起きなかった。
その後も何度か「あの子」の夢を見た。
どうやら「あの子」は「ぞ」の音のみで会話しているにもかかわらず、他人と普通に意思疎通ができているようだった。
街の人たちは皆「あの子」と親しいこともわかった。
異変が起きたのはある夜の夢でのこと。
街の人たちの様子がおかしくなった。
彼らの話す言葉に「ぞ」の音が混じっているのだ。
例えば「おはようございます」という言葉が「おはぞうぞぞいます」となっていた。
不気味さを感じながらも「あの子」の家に行くと、喉を押さえて泣く「あの子」がいた。
「のぞが、ぞえが」と言っていた気がする。
話しかける前に目が覚めて、その日の夢は終わった。
それからどんどんと、街の人の「ぞ」は増えていった。
「あの子」は、私からすれば普通に喋れるようになっていった。
私の吃音症は、だんだんと改善されていった。
それは中学受験の面接を翌日に控えた日の夜だった。
面接練習はそれなりにうまくいっていたが、それでも不安は強く、吐き気を堪えながら私は眠りについた。
街の人の言葉は、ついに全てが「ぞ」だけになっていた。
私はいつものように「あの子」の家に向かった。
「喋ると気持ち悪がられる」
私の顔を見るやいなや、「あの子」はそう言った。
「笑われたり怒られたりする」
「お母さんも街のみんなも私をバカにする」
「あなたが来てからこうなった」
「返せ」
「返せ、返せ」
「返せ!!!!!!!!!」
錯乱したように私に襲いかかる「あの子」が怖くて、私は必死に
「ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ!!!!!!!!!」
と叫んだ。
気がつくと、自室のベッドの上だった。
それ以来、「あの子」の夢は見ていない。
私の受験は成功し、今は友達に囲まれて楽しく過ごしている。
吃音症は完治こそしていないが、普通に話せるほどにまで改善した。
友達と談笑するなど子供の頃は絶対にできなかったことだ。
今は間違いなく幸せだと言える。
だが幸せを実感するほどに「あの子」のことを思い出してしまう。
「あの子」は私の身代わりになったのではないか。
人々に囲まれていた「あの子」の幸せを、私が奪ってしまったのではないか。
どうしてもそう考えてしまう。
スピーチを無事に終えた後、友達と会った帰り道。
いつも「あの子」の声が頭に響く。
「返せ、返せ」
「ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ」
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8.携帯電話
ペンネーム:なべぞう
これは10年程前の話しです。
私はその頃、とある携帯ショップに派遣されていました。
携帯ショップでは、販売やアフターサービスなどの業務の他に、家庭ごみに出せない携帯電話のリサイクルなども請け負っていました。
私は実際に携帯電話を販売する業務は、契約の関係上出来ない立場だったのですが、リサイクル程度は預かって本体に専用の機械で穴を開けるだけな為、お客様に本体のデータをオールリセットしてもらった後に作業をさせてもらっていました。
その出来事は、派遣された携帯ショップでちょうど慣れ始めた頃に起こりました。
その日は、平日でお店も来客自体は少なく、通常なら暇。しかし、月末で、在庫のチェックや、新機種の入荷もあり、スタッフさんはバタバタとしておりました。
ちょうどバックヤードにスタッフさんは引っ込み、1人で店番をしている時に1人のお客様がご来店されました。
確か、スーツを着込んだ男性だったと思うのですが、顔を見た記憶がありません。
唯、男性は酷く慌てて、二つ折りの携帯電話を私に押し付け、止める間もなく立ち去りました。
リセットしてもらわなければならないのに、困ったな、と思っていると、受け取った携帯電話が甲高い電子音を出し始めました。
まだ回線が生きている端末を受け取ってしまった!やらかした!と慌ててバックヤードにいるスタッフさんに相談しようと携帯電話を持って行きました。
やっちゃったね〜、と顔をしかめて受け取ったスタッフさん。
とにかく、電源を切ろう。気付いて取りにくるかもしれないし、最悪返却の方法が無い訳ではないから。と言ってくださいました。
そしてスタッフさんが二つ折りの端末を開くと自然に電話が切れました。
切れちゃったね、と軽い調子で言いながら、電源を落とそうと電源ボタンを長押ししました。
が、電源は落ちず、電池パックを外して矯正終了しようと電池蓋をスタッフさんが外しました。
すると、スタッフさんが一瞬固まり、私に向けて携帯電話を差し出しました。
無いよ、と言いながら。
そうなんです。電池パックが無かったのです。
あり得ない事なんですよね、電池パックが無いし、当時一機種だけ出ていたソーラーパネルの機種でもないし。
その後、念の為、スタッフさんが調べてくれたのですが、回線自体は切られているので何かの誤作動だろうと言うことになりました。
ただ、電話が掛かってきていたのは確かな筈なんです。
私もスタッフさんも見ていたんです。
電池パックの無い携帯電話のディスプレイに表示された市外局番から始まる電話番号を。
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9.おかっぱの女の子
ペンネーム:そうた
初投稿。フェイクとか得意じゃないからありのままを書く。
読んだ人がほっこりした気持ちになってくれたら嬉しいな。
父の母(俺からみたらばあちゃん)はいわゆるユタ。
その影響なのか俺も小さい頃から不思議な経験をたくさんしてきた。
今回はそのたくさんの中でも一番印象的だった時のはなし。
高校2年の時。祖父が亡くなった。
その日から霊感がマックスになった。10段階で表すと普段は4~7くらいなんだけどその日からは10。
これは俺だけなのか?わからないけど霊感は感じやすくなる時期と鈍くなる時期があってじわじわ上がってじわじわ下がっての周期を繰り返すんだ。だから4~7。でも今回は10。急に感覚が変わることなんて今までなかったしフルに感じるようになったのでめっちゃ気持ち悪かった。
なにが気持ち悪いってまず家に全く知らない人が5~6人いる。なんとなくで分かったけどこれはご先祖様だった。
今まで家では感じることはあっても所詮感じる程度だった。でも今はいる。顔もしっかりわかるレベルでそこにいる。
それだけで普通に怖い。
他にはじいちゃんの遺影と遺体は仏間にあるのにじいちゃんがいつものようにテレビの前で酒を飲んでる。入院する前と全く同じようにそこにいる。
故人に会えたりご先祖様がみえることって幸せなことなのでは?って思うじゃん。その時の俺はその真逆だった。
ご先祖様と思われる人に「俺の名前は○○(昔の人の名前、後で調べると家系図に載っていたのでここでは伏せる)、今度俺は✖✖(姉の名前)の子どもとして生まれてくる」とか言われた。急にそんな事言われても困るし、つか話せたの?状態。
知らないおじさんにそんなこと言われたら誰だって怖いと思う。
これのせいで姉の子どもを最初可愛がれなかった。同じ目をしてたから。
じいちゃんも生前と変わらずそこにいるから『死ぬ』って何だろうって本気でわからなくなった。
そのくせにおとんはじいちゃんの遺影の前で酒をのんで感傷に浸っている。
なんていうか“じいちゃんの遺影”と酒飲んで感傷に浸るおとんがすごく滑稽にみえた。
そこにじいちゃんはいないのに。
今思えばおとんに教えてあげればよかったんだけどその時はそんな事考えられないくらいにイライラしてた。
ご先祖だから悪いことはないけど威厳のようなものがあるから家にいても心が休まらなかった。
しかもその日から悪夢を見るようになった。夢の内容は異なるけど基本俺が死にかける夢。今でも鮮明に覚えてる。
寝ても覚めてもこんなんだからかなり弱ってた。
日に日にひどくなって死んでる人と生きてる人の区別もつかない。
そんなんだから自分が死んでるのか生きてるのかもわからない状態に陥ってた。
そんなんが2週間ほど続いた。俺以外の家族は見えないから家族にあたったりしてた。
ある日また夢を見た。山を登る夢。
薄暗くてどんよりした山でここにいれば死ぬ、頂上にたどり着ければ助かるって直感でわかった。だから俺は走った。走って登るんだけど頂上に近づくにつれて俺を後ろへ後ろへと引っ張る人が出てきた。
正確には“人のようなモノ”で背中に乗ってきたり服を引っ張ったり何人もいた。すんごいしがみついてくる。足を止めたらダメだと思ってたから振りほどきながら走った。そいつらって見た目は人なんだけど精気が全くなくて自分も山頂にいって助かりたいって感じで俺にしがみついてくるわけじゃなくてこいつも引きずりこんでやろうぜってしがみついてくる感じでただただ気持ちの悪いものだった。
しかも楽しそうなの。わかるかな?それが複数いるってマジで恐怖。一心不乱に走る俺は前だけ見て走ってるんだけどこいつらを振りほどくときに顔が見えたりする。笑ってんの。もういいじゃん諦めなよって顔で。足震えてたと思う。んでその山、山頂に近づくにつれてどんどん傾斜がきつくなってってあともうちょいで山頂ってころにはもう山を走るってより崖を登る状態になっていた。
足にも背中にも“そいつら”はついてるし増えるし一人一人?はガリガリで力も弱いんだけどさすがに人数が増えると重くて山頂一歩手前で手に力が入らなくなってきた。さすがにあ、もうやばいかも、つかもう毎日疲れるし落ちてみよかなって思ってしまった。
手の力を抜こうとしたその時、目の前にきれいな手がでてきた。条件反射のようにその手をつかんだ俺の体はそのまま浮くようにして頂上にあがっていった。その手を出してくれたのは3~4歳くらいのおかっぱの女の子だった。頂上に自分の足がついた瞬間ぱぁーって明るくなって俺にしがみついてたやつらは消えてった。崖だったところを見てみるとだだっ広い草原?になっててひざ下くらいの花がたくさん生えてて太陽も明るいしふわっと吹く風が気持ちいいしもうめちゃめちゃ心地よかった。
自分でも不思議なんだけど俺のその女の子への第一声は「久しぶり」だった。会ったこともないけど懐かしい感じがした。あと助けてもらったくせにかっこつけようとした。
よくわからない俺の「ひさしぶり」に女の子はニコって笑って頷いてくれた。
そこで目が覚めたんだけど目が覚めてからはもうガン泣き。
年甲斐もなく声出して泣いた。
夢が怖かったとかは微塵もなくてなんで忘れてたんだ、俺に忘れられていて辛かったはずなのにそれでも俺を見守ってくれてたんだ、あの夢で見た女の子が大好きだって気持ちがあふれて止まらなかった。泣き止む頃にはなんか清々しい気持ちになってて今生きてることが嬉しくなった。なんか久しぶりの感覚だった。
その日を境に先祖もじいちゃんも見えなくなったし怖い夢も見なくなった(じいちゃんは夢で出てくることがあるけど)
全部その子のおかげだった。ちなみに忘れていたと書いたが何か思い出したわけでもなくこの子に心当たりもなかった。
絶対ただの夢じゃないと思っておかんに夢の内容を話してみたんだけどおかんはびっくりした様子でこんな話しをしてくれた。
俺が3歳の時の誕生日、通っていた保育園でケーキを前に写真を撮ったらしい。そしたらその写真におかっぱの女の子が写ってた。
保育園で撮った写真なんだから女の子が写ってることくらいなんら不思議なことじゃないんだけどよくよく見たらその女の子、下半身がない。
俺の方を見てるしそもそもこんな子この保育園にはいないと気づいたおかんは知り合いの霊媒師?にその写真を見せたらしい。
その時霊媒師に言われた言葉はこう。
「この子は○○(俺の名前)の守護さん。誕生日を祝うために降りてきてくれた。とってもいい写真だからお守りにしなさい」
おかんは嬉しくなってその写真を保育園のアルバムとは別に保管してたんだと。
すっかりこのことを忘れていたらしいが夢で見た女の子の特徴を聞いて思い出したらしい。
んじゃさっそく写真を見てみようぜって昔の写真やらが入っている箱を引っ張り出してきておかんと二人で写真を探し出し確認。そしたらまんま夢に出てきた女の子。また泣いた。嬉し泣きだった。なぜかおかんも泣いてた。とってもあったかい気持ちになったのを覚えている。
今でも見守ってくれていてくれてありがとうって思った。
おかんもにもちゃんと保管してくれていてありがとうって伝えた。
実はこの話し、本当に伝えたいのはここから。
それからは俺は社会人になっても気配を感じるくらいで姿をみることはなかった。
そしてある日をきっかけにその気配も消えた。正確には移動した。
ある日夢をみた。真っ白な空間でおかっぱの女の子が俺をみてる。
一瞬であの子だってわかって俺は嬉しくなった。
その子も照れたように笑っててほんの数秒だけど幸せな時間が流れた。
不意にその子が俺に手を振って「行ってくる!」って言った。
俺はなぜか嬉しくなって「うん、待ってる!!」って答えた。
言った自分も「ん?待ってる?」ってなったのを覚えてる。でもそれで合ってた。
その子が走り出したところで目が覚めた。
その二日後嫁が第一子を妊娠したことがわかったんだ。
直感でわかった。その子の気配が嫁のお腹にあったから。
今世でこの子に会える事、自分を父親に選んでくれたこと。全部が嬉しかった。
来月生まれる予定なので記念に投稿させていただきました。
これからは俺がこの子を一生かけて守っていきたいと思います。
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10.足跡
ペンネーム:にゃんちょ
東北の雪深い地方に住んでいた祖父母から聞いた話。
祖父母は毎朝散歩をするのを日課にしていた。だいたいルートは決まっていて、家から20分くらいで着く公園の遊歩道を一周して戻ってくる約一時間のコース。田舎の公園なので、利用者はほとんどいないらしい。
冬になり、膝下くらいまで雪が積もった朝も散歩に行くと、公園の遊歩道を誰かが歩いた足跡が残っている。雪の降る地方の人なら分かるかもだけど、まだ誰も歩いていない道なき道を雪をかき分けながら進むのは重労働だ。
これはありがたいとその足跡の上を踏みながら祖父母は一列になって歩いた。
次の日も昨日の雪の上に新しい雪が積もってはいたが、やはり公園にはすでに誰かが歩いたあとが。
祖父母も明るくなってからとはいえ、わりと早朝に散歩していたのに、それよりも早い時間に歩いている人がいるなんて熱心だなぁと思っていたそう。
何日かして、今日も誰かの残した足跡の上を歩きながらふと思った。
公園の出入口は何ヶ所かある。
祖父母が出入りしている所は、あの雪が降った初日、祖父母が新しく足跡をつけたのだ。ということは、この足跡の主は別の出入口を使っているはずなのだが、遊歩道をぐるっと回る足跡の他に出入口に向かう足跡がないのだ。
それに気づいた時、寒気とは違うヒヤリとした空気を感じ一気に鳥肌がたった。
キツネやタヌキに化かされているかとも思ったが、なんとも不気味で雪が溶けるまではその公園には行かなくなったんだそう。
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11.小さい頃の不思議体験
ペンネーム:カイロ
これは自分が6歳〜9歳位の間に体験した話になります。
自分が当時住んでいた場所は、買い物するにも3つ向こうの駅ビル(付近では1番栄えてる駅)まで行かないと目ぼしい物が手に入らない様な地区でした。ただ最寄り駅は徒歩30分程掛かるので、晴れの日は電車、雨の日は比較的近くに乗り場があったバスで行ってたと思います。(ウン十年前の話なのでその辺りは朧な記憶ですが)
前置きが長くなりましたが、自分の不思議体験はこの2つの交通手段の移動中で、とにかく乗車しているお客さんが怖くて、早く目的地に着かないかと、毎回微妙な気持ちでした。乗客は普通の人ももちろん居ますが、半分は見た目が変わってる人達で、強烈に覚えているのは、4頭身で頭が倍くらいの人と、顔が溶けたみたいな人、頬に大きなコブが2つある人、胸が3つある人くらいでしょうか、
一度だけ、顔が溶けた様な人にあまりにも衝撃を受けて、窓の外を見ていた兄に、小さな声で「あの人見て」と伝えたところ「人のことをじろじろ見るのは良く無いことだ」と言われ、それ以来、周りをあまり見ない様にしていましたし、どんな人が乗って来ても口にはしませんでした。
因みに目指す駅に降りて改札を抜けると、そういった人達の数は一気に減ります。一度だけ改札を出たところで、前から頭の大きな2頭身の人が歩いて来て、すれ違って暫くした後、母親が「フクスケだね」と呟いたのを聞いたことがあります。
ただ、随分大きくなってから、親と兄弟にこの話をしても全く覚えて居ませんでした。冒頭に書きましたが、3年程この状況が続いていたのですが、全く分からないそうです。バスでも同じく、ちょっと変わった人が居ましたし、4頭身の人はバスのステップで滑った自分を支えてくれた事もあるくらい、顔なじみ(?)だったのにもかかわらずです。(その人は黒縁眼鏡をかけていつも白いシャツ着てました。)
今はとてもキレイな駅になっていますが、当時はひょっとしたら、何かの専門病院でも有ったのかと思い少しだけ検索してみましたが、特に見つかりませんでした。オチも無く以上が不思議体験になりますが、これは「アリス症候群」の様に何か名前がある現象なのでしょうか。お分かりになる方が居れば教えて頂きたいです。
補足になりますが、某神隠し映画を観た時は、やはり同じ体験をしてる人がいるのでは?と、勝手に親近感が湧きました。
胸が3つの女の人は、目線を感じたのか自分から見せてくれました。当時は電車内で平気で授乳する時代だったので、特に抵抗せず見ちゃいました。
頬にコブがある人は、1つの人と2つの人がいるのですが、同じ人物ではなく多数居ました。
兵士の格好で片足が無い人が改札出たところに座ってましたが、この人は母親も覚えていました。
だらだらとすみません。以上です。
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12.お兄ちゃん
ペンネーム:てん
あれは、今から十数年前の夏の暑い日のことでした。
その年は今の家に引っ越して一年目でした。
日々二人の子育てに追われていたわたしは、実家の母が遊びに来てくれたのをこれ幸いに、子供達を近くのテーマパークに遊びに連れてってもらい、昼間からソファーでうとうととしていました。
一時間も過ぎたあたりでしょうか、二階からドタバタと子供が走る音がするのです。
あれ?もう帰ってきたのかな?と寝ぼけた頭で考えて、そろそろ起きるかと思い、目を開けてしばらくぼーっとしたと思います。
二階に上がると誰もいないので、夢でも見てたのかと思い、リビングに戻り、家事の続きをしていました。
子供達が帰って来たのはそれから二時間後でしたので、一旦家に帰って来たかと尋ねると、母はそんな事はしてないと答えました。
やっぱり夢かなーと思って、その時はそれで終わったのですが、2日後、息子が唐突に、
あのねー、お兄ちゃんもう帰るのよ。バイバイしてきたーと言うのです。
え?お兄ちゃんって?
と聞くと、
あのねー、お兄ちゃんと遊んでたんだけど、もうバイバイなんだってー。
と。
2歳になる息子は、知らないはずなのです。
わたしが結婚してすぐお腹で性別もわからずにいなくなってしまった子供の事を…
あの時の子供が来ていたのでしょうか。
そういえば、息子がバイバイした日は盆も終わりに近づいた日でした。
それ以来、息子達は家で何かを見かける事はありませんでした。
一緒に一度でも遊びたかったのかな?
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13.小学校であった不思議な話
ペンネーム:紫
これは私が小学生のころにあった不思議な話です。
私は家から学校まで遠く、通学にはバスを使っていました。
その日も帰りの会が終わった後私は同じバス通学の友達と一緒に多目的ホール兼第二図書室(つっても図鑑や歴史の本が入っている大きな本棚が少しあるだけ)で学校にバスが来るまで勉強してました。
勉強中トイレに行きたくなった私はその友達を連れてトイレに行きました。
個室に入って用を足していると突然トイレの電気が2秒くらい消えたんですよ。
私の学校はその当時新しく改築してました。まだ一週間くらいしか経ってなかったので蛍光灯の不調ではないと思います・・・多分。
その時の私は(トイレの電気のスイッチは外側にあったので)友達がやったんだろうなと思いあまり怖いとは感じてませんでした。
トイレから出て
「××(友達)電気消したでしょ~!」
って軽ーく言おうとしたらその子トイレの向かいにある理科室をじっと見てたんですよね。
「何してるの?」って言ったら友達が
「何かいる・・・」
って。放課後は基本的に理科室とか家庭科室とかって鍵掛かってるはず。先生だとしても「何か」って言い方はしないだろうし。そもそも先生が入ったくらいでじっと見る必要ないし・・・。
と、考えつつ私も理科室を見ているとなんだか凄く嫌な気配を感じてその場から動けず硬直。
友達が私の腕を引っ張って「もう行こう・・・」と言うと私達は逃げるようにその場から走り出しました。
その後友達に「ねえ、私がトイレにいたとき電気消した?」
と言っても「消してない」と言われました。
電気は仮に蛍光灯の不調だとしても友達が見た理科室の「何か」は何だったのでしょうか。
もうとっくに何事もなく卒業してしまったので真相はわかりませんが今も理科室に「何か」がいると考えると不安でなりません。
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14.海での奇跡
ペンネーム:はーと
この話は僕が小学校に入学する前の話です。
ぼくは保育園をその春に卒園して、その友達たちの親たちが海でBBQをやると計画してました。
海といっても海の近くにあるBBQ場です。
BBQが始まり、親たちが料理をしている間に僕は兄と友達と友達の兄と海に遊びに行くことになりました。
その日の海は穏やかではなかったことを覚えています。少し波もあり入るのは危なかったと思います。
しかし、まだ小さかった僕たちはそんなこと関係なしに海で遊んでいました。近くにいた他の友達たちは遠くから見守ってました。
押し合ったりして水に濡れて楽しんでいたところ、押された衝撃で僕は波に引きずり込まれました。
気がつくと兄たちは米粒ほどに小さく見えました。
結構な距離まで流されたと思います。
目の前がスローモーションになり、体も沈みかけていました。
その時、誰かが僕を背負い颯爽と砂浜まで連れ帰ってくれました。
その人は、外国人でした。
その外国人さんは4人で海に来ていました。
1人は近くの大学の大学生で日本人の方でした。
溺れたことを聞きつけた母が駆けつけて、外国人さんにもお礼を言いことを終えました。
驚いたのは後日外国人さん達に、お礼を言いにいった時のことです。
外国人さん達はキリスト教との方たちで、その日は毎週通っている礼拝の日だったそうです。
いつもなら神父さんがきて色々やるそうなのですが、その日はなぜか神父さんが休みでいつもより早く終わったそうです。
外国人さん達はラッキーだと喜んで、その後にいつもいってるとこで昼食を取る予定でした。
しかし、その中の1人が「今日は近くのとこで食べようよ」と言いだし、いつもいってるところよりも近いところで昼食を済ませたそうです。
昼食後に、いつもは行かないのにその日だけはみんなで海でも眺めに行こうかという話になり、僕が溺れた海に来ました。
その中の日本人の女性の方によれば、「これは運命で、神様が導いてくれたものかもしれません。」と手紙に書いてありました。
神父さんの休みや、昼食の場所、たまたま海にいたということすべてが重なり、僕は助けられたのだと思います。
僕はキリスト教徒ではありませんが、神様はいると思います。
こうやって今も生きていられるのも奇跡だと思ってます。
昔の不思議な話があったので投稿させていただきました。
読んでくれた方ありがとうございました。
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15.透明な子猫
ペンネーム:まゆゆん
ある秋のとても寒かった朝、ゴミ捨て場で箱にはいった子猫2匹を見つけました。
蓋は開いていて底にタオルが敷かれていてそこには
ぐったりした子猫に2匹寄り添っていました。
ぱっとみでも虫の息でもう内心無理かなって思ったけど
家に連れて帰り、暖めたりしてもあまり反応はなく…
残念ながら間に合わず次の日には息を引き取りました。
裏庭の木の近くに埋めて簡易ですがお墓を建てました。
それから一週間ぐらいたった頃リビングでテレビを見ていた時
トトトタト トトトタトっていう音が聞こえてきて
何かな?って思った時横目に透明な子猫たちが見えてきて
元気に駆けまわってるんです。
そちらに顔を向けると見えないのに横目だとなぜかいたんです。
子猫がぴょんぴょん飛び跳ねたりじゃれたりはしりまわったあと、
私の方を見てからそのまま窓をすり抜けて消えていきました。
一瞬しか関われなかったし救えなかったのに会いに来てくれたのかな?って少しせつなくなりました。
救えなかったことをとても悔いていたので幻かもしれませんが…
あれ以来透明な子猫を見ることはありませんでした。
子猫達はなにをいいたかったんだろうって
裏庭の木を見るたびに今でもたまに思い出します。
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16.契約者
ペンネーム:桜木(仮名)
私には霊感など全くなく予知能力といった
超能力の類も一切もちあわせていません。
人外と会ったり異世界に行ったなどの奇跡体験もありせんでしたが
そんな私が高校の頃、1人だけ友人に超能力じみたことをやる女の子がいました。
例えば、雨の日に私がふざけて晴れないかなぁと言うと彼女が「あぁ、任せて」と言い、なんの事かと思えば1時間後には晴天になったり、ある日帰宅する際、ネットでは運休情報が出ており、みんなが迂回ルートで帰ろうとする中、その子はネットなど全く見ないまま「動いてるから大丈夫」と私の腕を引っ張って駅に連れていきました。
どうせもう電車ないのに…と思いながらホームに着いた途端に運休していたはずの電車(恐らく運休前の最後の電車)が到着。
驚いた私がなぜ来るとわかったのか聞くと「来ると思えば来るものだよ」とはぐらかしてニコニコと笑っていました。また不思議なことに彼女と歩いている時には1度も信号に捕まることがなかったりと。理由を聞いてもいつも笑いながらはぐらかすだけで教えてはもらえず、ついに痺れを切らした私がしつこく聞くと、
彼女は困ったように笑い「卒業式が終わった後でなら教える」と言いました。とにかく理由が知りたかった(あわよくばやり方を教えて欲しかった)私はやっとの思いで迎えた卒業式のあと、彼女元へ駆けつけました。彼女は相変わらずニコニコと笑っており、「絶対信じないと思うけど…」と言いながらポツポツと喋り始めました。
去年の春にインフルエンザで高熱を出し、寝込んでいた時、夢を見たそうです。
大量のボルトとナットに自分が埋もれており目の前では黒くてモヤモヤとしたものが浮いており、そのモヤモヤは「ボルトとナットを全てはめ込んだら契約が成立する」「対価は寿命。願いと年数を心の中で祈れば叶う」「人に話せば契約は破棄となる」「人知を超えたことはできない」など矢継ぎ早に話し、わけも分からないまま彼女はボルトとナットをはめ込み、全てをはめ込んだ時、モヤモヤは消え、目を覚ますと熱は下がり驚くほど体調は良くなっていていたそうです。
次の日、夢のことははっきりと覚えており、バカバカしいと思いながらも心の中で「今日の夜はハンバーグがいいです。1年でお願いします」と祈り、ただの夢だと信じてはいなかったようですが、その日の晩、夕食にハンバーグが出た際に彼女は事の大きさに気づいたようでした。
半信半疑ではあったものの、別段大好物でもないハンバーグが出たことで本当にあの黒いモヤモヤと契約したのではないかと思い始め、必死になって似たような事例がないか調べたそうです。
結果的に似たような事例などなく、そもそも自分の寿命はあと何年あるのか、本当に寿命を使い切れば死んでしまうのかなど、とても不安になりましたが何かあった際は寿命を使って寿命を増やすことを祈ればいいのではないかと気づいた途端、不安など消え、自分の都合がいいように1年間ずっとこの力を使ってきたそうです。
願いが大きいと多めの寿命ではないと叶わないなどの制約っぽいものがあったそうですが大抵は自分のさじ加減で寿命を決められたそうです。なぜ教えてくれたのかと聞くと、「もう充分楽しんだし、寿命も使い切りそうだったから」と答えました。
彼女は自分の寿命を100年と仮定して力を使い、卒業の頃には今の年齢と使ってきた寿命を引くと残り12年ほどしか残っていなかったそうですが、彼女曰く、誰かに話せば契約は破棄になってこの遊びも終わる。そうなれば力は使えなくなるけど残りの寿命で今まで使った寿命を戻してくださいって願ったから普通に過ごせるだろうし大丈夫と話していました。
この話を聞いた時、全てを信じたわけではありませんでしたが実際に今までの出来事をみるとまるで全てが嘘のようには思えず、晴れさせたり信号が変わりやすかったりと自分にとってちょっと運がいい程度にしか力を使わず、無欲だった彼女だからこそ、契約出来たのではないかと私は考えました。この後家族と卒業のお祝いをするというので彼女とは別れましたがもっと詳しく話を聞きたかった私はまた近々、彼女と遊ぶことを約束して別れました。
帰宅しながら、まるで漫画のような出来事にテンションが上がり早く会いたいと思いながら帰りましたが、二度とその約束が果たされることはありませんでした。
この日の夜、彼女は交通事故で帰らぬ人となりました。
運転手のわき見運転が原因ということでしたが、しかし、私にはどうしても偶然とは思えません。
正体の分からぬ者との契約にはご注意を。
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17.探検ごっこ
ペンネーム:misoji
これは私が7歳頃に体験した、霊的なものなのか何なのか、いまだに府に落ちていない話。
兄が小学校の野球部に所属しており、練習試合や大会に行く際にはいつも母と共についていってた。
そこで同じく兄が野球部に入っていて、付き添いに来ている男の子のAと女の子のBと知り合った。
Aは活発元気少年といった様子で、いつも野球部の付き添いに行くと球場の周りを歩いて探検ごっこをして遊んでいる子どもだった。
Bは1個上で、本の読み聞かせなどをしてくれる優しいお姉ちゃんのような存在だった。
私はというと、兄の影響から男勝りな面もあり、探検ごっこをする方が好きだったため、いつもAと一緒にふらふらと出歩いては怒られているような子どもだった。
ある日、他校がたくさん集まる練習試合についていくことになり、地元から離れた田舎の球場へ行くことになった。
その球場は裏に森があり、周りに建物もないため、不気味な静けさがあった。
私もAも探検ごっこができるとわくわくしていた。
母親たちが兄の試合を応援し始めると、Aが「兄ちゃんの試合が終わるまで森へ探検ごっこをしに行こう!」と言い出した。
私はもちろん探検ごっこをするつもりでいたためAに賛同したが、Bは乗り気ではなかった。
B「この森なんか気持ち悪い…やめた方がいいよ…」
A「こんな森くらいなんともないだろ」
私「そうだよ。帰り道覚えてればいいだけじゃん」
B「でも…」
私「じゃあ私とAで行ってくるよ」
B「…ねえ、本当に危ないよ。ここはやめようよ」
A「だからお前は待ってろよ」
B「でも…」
Bはなぜかずっと煮え切らない様子だった。
そんなBを見てイライラしたのか、Aは「もういい。行ってくる」と言って私の腕をつかんで森へ向かった。
すると、Bもおずおずと私たちについてきて、結局一緒に森へ入った。
森はやけに静かで、日光と木があまりにも絵になるくらい綺麗だったのを覚えている。
道という道があったわけではないが、何となくのルートが示されていて、人が入れる場所なのだと少しほっとしていた。
Aは楽しそうに先頭をきって歩き、私もその後ろを歩き、そして私の服をつかんでBがそれに続いていた。
私「すごい!なんか綺麗!」
A「な!Bも来てよかっただろ!」
B「う、うん」
私「なんか不思議なところだね」
A「千と○尋みたい!」
私「そう、そんな感じ!」
などと会話をしながら歩いていた。
本当に綺麗で、あまりにも静かで、美しすぎて、それが不気味でもあった。
非現実的な光景で、内心何か起こるのではとどきどきしていた。
何分か歩いていくと、大きな池を見つけた。
青く透き通る、美しい池だった。
思わず3人とも魅了された。
A「すげえ…」
私「何これ、すごい」
B「綺麗…」
乗り気ではなかったBも感動するほど、雄大であまりにも綺麗な池。
そしてやはり、美しいと思うのに、なぜか不気味だとも感じた。
するとあんなに静かだった森なのに、何か音が聞こえ始めた。
シャン……シャン……と間隔をあけて聞こえる。
それは、例えるならたくさんの鈴をひとつにまとめて鳴らしたような音だった。
私「なんか聞こえた?」
A「鈴みたいな……なんだろ?」
B「ねえ、もう帰ろ?」
A「なあ何かまじで千と○尋じゃん!」
興奮するAと、涙目になるB。
私も正直、綺麗だけど気持ち悪くて不気味で、帰りたくなっていた。
私「Bの言うとおり、もう帰ろうよ」
A「もう少し!もう少しだけ進もうぜ!」
Aはガキ大将なので、人の話を聞くわけがない。
どんどん一人で歩いていった。
Bは恐怖からか声も出さず、ただ強く私の服を握っていた。
シャン…シャン…
音はまだ聞こえる。
というか、歩けば歩くほど近づいているような気さえしていた。
すると、意気揚々とどんどん先へ進んでいたAが、急に立ち止まった。
私「何、急に止まらないでよ」
A「なあ、これおかしくないか?」
Aが、指を差した方向を見てみると、先程見た池と似たような池がまたあった。
だが、その池は赤く濁っていて、あまりにも気味が悪かった。
それだけではなく、池の周りの草は人工的に踏み潰されたように頭を垂れ、この周囲だけ木もすべて枯れていた。
あんなにいい天気だったはずなのに、太陽が出ていないと感じるほどに暗く、ただ不気味な赤い池だけが、私たちを待ち構えていたようにそこにあった。
おかしい。
そう思うと同時に、
耳元で鈴の音がシャン!!!!!!と鳴った。
その時あの鈴の音が私以外にも聞こえていたのかはわからないが、何も言わず、3人は同時に走り出した。
ここにいてはいけないと、直感的にそう思った。
ひたすら走って、走って、ようやく森を抜けて兄が試合をしている球場へ戻ってきた。
戻ってくるときには、鈴の音は聞こえなくなっていた。
A「……」
私「…あれ何だったんだろうね」
B「…だからやめようって言ったのに…」
A「気持ち悪い…」
私「大丈夫?」
B「私飲み物あるよ」
A「いらない…」
Aはふらふらと水道まで歩いていって、そこで嘔吐していた。
Aがあの場所で何か感じたのか、もしくは何か見たのか。
聞いても答えてはくれなかった。
それからその日はいつもとは比べ物にならないほど大人しく過ごし、3人ともそれぞれ親のそばを離れなかった。
試合もおわり、帰り際に森を遠くから眺めた。
入る前に見たあの絵になるような美しさは、もう感じられなかった。
あの森は、あの池は、あの鈴の音は、一体なんだったのか。
今でもよくわかっていない。
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18.誘導された先には
ペンネーム:ぐーちゃそ
私が中学生の頃の話です。
私の通ってた中学校では、毎年8月の夏休みに各学年の各クラスのクラス長、副クラス長、生徒会メンバーが集まり、リーダー研修というのを行います。
リーダー研修では、新しいレクリエーションを企画して実践したり、違う学年同士での交流会や、夕飯はみんなでカレーを作ったりします。
この研修でみんなが楽しみにしてるのが、夜の肝試しです。
学年ごとに3人ずつでチームを組んで回ります。脅かし役は先生なのですが、先生たちも力が入っており、脅かすために狼の被り物や血糊でゾンビになったりと張り切っていました。
私のチームは知り合いの後輩男子(以下A君と記載)、先輩女子(以下S先輩と記載)でした。
A君は初めての研修で肝試しということで張り切っており、私とC先輩は2回目の参加だったのでA君を微笑ましく見ていました。
いざ、私たちの番になり、懐中電灯を一つ持ち出発しました。
先生たちが要所要所にいるので、道を教えてくれます。そのためみんな迷うことなくゴールできるのですが…
毎年同じコースと聞いていたので、私とC先輩が先頭を歩きました。すると1人目の先生が出てきました。豚のお面をかぶって光る警棒のようなものを振っています。
私は、(あぁ、ここ曲がるところだったなあ)と思いながら進んでると、その先生は私が曲がると思っていたコースではなく、違うコースを指してきました。
C先輩が曲がらなくていいのかと聞くと、先生は黙って違うコースを指しています。
不思議に思いながらも先生が指したコースを進みました。
その先には雑草が生い茂っており、辛うじて一列になって通れる獣道の先に、道路がありました。
施設内に道路はなかったはずなのにです。
疑問に思い左右を見渡すと、左手にはもう使われていない体育館、右手の先には白い一軒家がありました。なんとなくみんな、体育館の方には行きたくないという雰囲気があり、一軒家がある右のほうに進むことになりました。
道路を進むにつれ、施設の外に出てしまったのではないかと感じ、私は一軒家の人に戻り方を聞いた方がいいのではないかと提案し2人は納得してくれました。
道路は下り坂になっていました。
家の前まで来た時にA君が、「チャイム鳴らす前に道路から家の中が見えたから人がいるか確認しよう」と言い、私たちは家の中を見ることにしました。
レースのカーテンの隙間から中を見ると、四歳ほどの男の子が飛行機のおもちゃで遊んでいるのが見えました。灯りはついていたので、みんなが安堵した瞬間、男の子がおもちゃを置き、走ってどこかへ向かいます。それを無意識に目で追うと、ダイニングテーブルに座りました。
そこで、私たちは言葉を失いました。そのダイニングテーブルには食器が並べられているのですが、笑顔の男の子の他に3人いたのですが、いや三体と言いますか。すべてマネキンでした。
笑顔のマネキンや、無表情のマネキンが箸やスプーンを持って座っています。
呆気にとられた私たちは無我夢中で来た道を戻りました。気づくと施設内に帰ってきてた私たちは先生たちに探されており、事情を聞かれました。3人でそこに立ってた豚の被り物をした先生にまっすぐ進めと誘導されたというと、そもそもそこに人員を配置していないことや、豚の被り物を持ってる先生はいなかったことを聞かされました。
その時は怖いという気持ちはなく、マネキンに対して不思議に思っているという方が強くあったことを覚えています。
その研修から数年経ち、私は地元を離れた大学に進学していました。
休みを利用して地元に戻った時、たまたまA君と会う機会がありました。昔話に花を咲かせて飲んでいると、ふと研修の肝試しのことが頭をよぎりました。A君に、「あの時は不思議な体験をしたね」と言うと、A君の顔が強張りポツリポツリと話をしてくれました。
中学校を卒業しA君が高校生になった頃、仲間でバイクの免許を取りツーリングをしていたそうです。その時、肝試しであったことを仲間に話した際、好奇心でそこにもう一度行ってみようということになったそうです。
A君もおもしろいと思ってその場所に行きました。しかし、いくら探してもあの一軒家が見つからない。でも、使われていない体育館はそのまま残っていて場所を間違えているはずはないと。
さらに、信じられないと思いますが、その一軒家のあった場所に「不法投棄禁止!〇〇市 〇〇年〇〇月」と書かれた看板が立っており、その記載された日付は私たちが肝試しした年よりも数年前の年の記載がありました。
私も実際その後その場所に行ったのですが、A君が言っていた看板があるだけで、一軒家はどこにも見当たらなかったのです。
今でも思い返すことがありますが、あの男の子はなんだったのか、なぜマネキンがあったのか、一軒家はどこに行ったのか見当もつきませんが、不思議な体験をしたことだけは事実です。
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19.山奥の埋もれたお地蔵様
ペンネーム:ゆうき
この話をするとみんな気味悪がるのでこちらで。凄く読みづらい文ですがお許し下さい。
祖母の家は山奥にありました。隣の家まで数百メートル、そのまた隣の家までは崖沿いを車でギリギリ走るというレベルの山です。
私がまだ低学年の時、大人はみんな田んぼに出ていたので、私は祖母の家の敷地にある牛小屋の前で遊んでいました。
牛小屋の前には山の中まで獣道のような小道があって、猟師さんが鉄砲を担いで時々歩いていたのを記憶してます。
で、山の中なので、当然その道は我が一族か、猟師さんしか通らないのですが、私が遊んでいたのはその道です。
いらなくなった鍋とかに土を入れたり、牛を撫でたりして遊んでいると、見慣れない女の人が山の奥の方から私に向かっておいでおいでをしてるんです。
大人であれば「見慣れない人間だから怪しい」と思う筈ですが、まだ小さい私には、祖母の山ということもあり、警戒心もなくその女の人の方へ行ってしまったんです。
どんどん奥に歩いて行く女の人に早足で頑張って付いていきました。
やがて獣道も途絶え、流石に「この先まで行ったら怒られる」と思った私は立ち止まりました。
女の人は、暫くこちらを見ていましたが、スッと消えてしまいました。
不思議なことに、怖いとも、不思議だとも思わず、その女の人が消えた場所まで進みました。
そこは小さな窪地になっていましたが、見ると、墓石のようなものがいくつも土に埋まっています。綺麗に埋まっているのではなく、子供がおもちゃを散らかしたように、横に倒れたり斜めになったりしていました。
そこではじめて「なんか凄いものを見てしまった」という気持ちが押し寄せ、消えた女の人が戻るのを待っていた方がいいのか(それくらいしっかりとその女の人は見えていた)、父を呼んだ方がいいのかわからず、ボケっとその墓石のようなもの達を眺めていました。
その頃、牛小屋の辺りでは大人たちが大騒ぎになっていました。もちろん私がいないからです。
待てど暮らせど女の人が戻ってこないので、獣道を歩いて戻った私の耳に大人達の必死な声が聞こえた時、とんでもないことをしてしまったと思いました。
もちろん「心配したんだぞ!」とガッチリ怒られましたが、一部始終を話し、「夢でも見たんだろう」と信じない大人達に必死に訴え、先程の墓石のようなもののところまで行きました。
父、二人の叔父が付いてきましたが、窪地まで到着すると
「なんだぁ??何でこんなのが埋まってんだぁ??」と驚いていました。
私が大きくなってから聞いた話によると、
もともと窪地にぶつかる獣道だからそこで途絶えていた。
祖母が嫁いで来た時にはもうその獣道はあったが、「熊が出るから入るなよ」と言われていたのであんなに奥まで行ったことはない。
祖母が知る限り、この山に自分達以外が住んだことはないし、お墓があるのも聞いたことはない。
ということでした。
話は戻りますが、父や叔父もそのお墓のようなものを見て、「さてどうしたものか」ということになりました。
その晩、祖母をはじめとして親戚一同(田植えのために集まっていた)で話し合いが持たれました。
私が見つけた経緯を話しましたが、この集落にそんな女性はいない、と言われてしまいました。
あの墓石(埋もれていたのでそう見えた)を掘り起こすべきか?
我が一族には何も悪いことが起きたことはないので、わざわざ掘り起こさなくてもいいのでは。
昔は疫病などがあったから、人知れずあそこに埋葬したのではないか?それならばあのまま静かにしておいた方がいいのではないか?
みんな凄く真剣に話していました。
結局、「坊さんに聞こう」という、当たり前の結論に至り昔からお葬式が出たときに来てくれるお坊さんに来てもらいました。
お坊さんは私の話を真剣に聞いてくれました。女性については何も言ってくれませんでしたが、お坊さんと親戚みんなを連れて窪地まで行くと、
「うん、これは昔の人のものだね、墓石ではないよ。地蔵さまだね。土に埋もれておくのではなく、きちんと立ててあげなさい」みたいな事を言われたので、みんなで掘り起こしました。
土を落とすと、確かにお地蔵様が石に掘ってありました。何か字が掘ってあるのもありましたが、もう崩れて読めず。
わたしがそれを見つけたのも、きっと見えない縁があったんだね、と頭を撫でてくれました。
結局、そのお地蔵様たちは、祖父のお墓の後ろに並べ、お墓参りの時に一緒にお線香をあげるようにしています。
それがいいことなのか余計なことなのかは誰にも分かりませんが、30年経った今、悪いことは起きていません。
管理人です!
お話の中にあるお地蔵様の写真を送っていただけました。かなり古そうですね。なぜそこにあったのか・・・気になります。
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20.百物語本を読んだあとに
ペンネーム:すてーぶん
私はいわゆる零感で幽霊などは見たことはありませんが洒落怖などの怪談話が大好きです、これはそんな私が唯一体験したゾクッとした話です。
ある有名な百物語を模した怪談本があります、これは怪談好きならば知っているかと思うのですが1冊に99話(実は100話)の怪談が書かれており一夜に読みきると不思議なことが起こると噂されているシリーズ本になります。学生時代の夏休みに、この本を一気読みをしたことがありました。
夜の0時ごろから読み始め数時間後に読み終わり、その後に少し待ってみたのですが特に何も起こらず「まっ、こんなもんかな」と思い、その日は寝てしまいました。
翌日の昼過ぎです、散歩がてら近所のスーパーに買い物に行くことにしたのですが、このとき母親からスーパーに行くのならとお使いを頼まれました。ただ、メモを取らなかったためスーパーに着いたときには何を頼まれたのかわからなくなってしまい仕方なく公衆電話から家に電話を掛けました。
今でも回数を覚えているのですが、2回目のコールのあとガチャっと電話が繋がり「あ、○○だけど」と話しかけたのですが何の反応もありません、「もしもーし、もしもーし」と続けたのですがやはり何の反応もありませんでした。あれ故障かなと思いながら聞き耳をたてたのですが、やはり何の音も聞こえて来ませんでしたが、そのとき電話の向こう側のイメージが頭の中に浮かびあがりました。それは、真っ暗で何もないがとても広い空間でした。そのイメージが浮かんだのと同時に怪談本を一気読みしたことを思いだしゾクッとして瞬間的に電話を切りました。
とにかく頼まれた物がわからないので家に帰り母親に電話をした事を話したところ、電話は掛かってきたがコールが数回なった後に切れてしまったとのことでした。
私は確かに家に電話を掛け一度は繋がりましたが、そのあと何処に繋がったのでしょうか、そして電話を切らなかったらどうなっていたのでしょうか。その考えが頭に浮かび怖くなり、あぁ本当に不思議なことが起こるんだなと思いました。
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