最優秀賞『愛してるの』(霊が出てこない怖い話部門より)
ペンネーム:ウワノソラ
リアルじゃ誰にも言えないんで、ここで吐き出す。高校時代の話。うちは俺、母、父、姉の四人家族。思春期になっても家族仲は良かった。父母ともに笑顔を絶やさない人だったからだと思う。
ある時、親父の出張と姉の部活合宿が重なり母と俺だけが家にいる日があった。夜、ベッドで寝てると首の痒みで目が覚めた。そしたら、母が俺の首を舐めていた。思わず突き飛ばして明かりをつけると、母が下着姿なことが分かった。一気に眠気が覚めた。心臓がギュッて掴まれるような感覚になって、横になってるのに脚がブルブルと震えた。
「なに?」か細い声でなんとか絞り出すと、母は俺のことが好きなんだと言った。その時の母の目が本当に気持ち悪かった。怖くて泣きそうだった。いつもの母と全然違う。「ごめん」としか言えなかった。母は何も言わず下を向いて部屋から出ていった。
その夜は一睡も出来なかった。緊張でトイレに行きたくなっても、部屋の外に母がいると思うと出られなかった。気持ち悪くて部屋のごみ箱に吐いた。声を押し殺して泣いた。
次の日、何度も悩んだが部屋から出ると、母はいつも通りご飯を作っていた。普通に「おはよう」と言ってきた。それ以外は何も言わなかった。飯の時も無言だった。
父と姉が帰ってきてからも、母は何事もなかったかのように振舞ったし、俺は怖くて何も言えなかった。何度もあれは夢なんだと思い込んだが、部屋の吐瀉物を片付けた記憶がずっと残っていた。それからは母と二人になることを避けるようにした。
俺は地元の大学に進むつもりだったが、ランクを上げて東京の大学に行くことにした。離れた場所で一人暮らしをするために。父と姉は応援してくれた。母も「がんばれ」と言った。
受験の三か月ほど前、母は父と旅行に行き家を空けていた。俺は大学寮にいる姉から頼まれ、ハンコを探していた。姉は母の部屋にあるはずだと言ったので、母の部屋に入って引き出しをいろいろ開けると、ノートがあった。直感的に、見ない方がいいと思った。けど、見た。ほとんど空白だったが、最後のページに「○○くんが大学落ちますように。お願いします神様、愛してるの」と書かれていた。心底ゾッとした。あの時の記憶が蘇ってきて、トイレに行ってまた吐いた。
俺は東京の大学に受かった。家族は喜んでくれたが、母の目は笑ってなかった。一人暮らし先に母が来たこともあるが、警察を呼ぶぞと脅したら泣きながら帰っていった。本当は警察どころか誰にも言えないのに。
俺はあれから女性の「情念」というか「想い」みたいなものが怖くなった。女性と必要以上に仲良くなることを避けるようになってる。遊びに誘われても何かと理由を付けて断る。性欲は自慰で解消している。俺はこれからどうすればいいんだろう。
TOPに戻る
心霊怖い話部門賞『禁足地』
ペンネーム:kuma
コレは自分が体験した実際の話です。
※霊障や何か禍々しいモノを感じ易い方は自己責任で。
自分が高校生2年の夏休み。
いつもの様に友達五人と集まって何をする訳でも無くたむろしていた。
集合は決まって友人Rの家の側にある通称(鬼ヶ棲沼)だ。
この沼は古くからあり、沼を囲う様に林があり、その林道には数軒の民家と突き当たりには防空壕が未だにあるのだ。
その日もいつも通り集まった。
すると、Rが変な事を言い出した。
あれ、見てみろよ。
自分達はRの指差す方を向くと、一台の赤い軽自動車が沼のほとりにポツンと停まっていた。
いつも何も無い所に車があるだけでその存在感は凄く、皆で恐る恐る近寄った。
ロックは掛かっておらず、キーはさしっぱなし。
ダッシュボードの中には持ち主のであろう運転免許証が入っており、なんだか薄気味悪いので放っておこうと満場一致。
その日はそれで何もせず解散した。
翌日、再び集まるとその車はまだ動かずにそこに居た。
そのままかれこれ1週間以上その車はそこに停車していた。
あくる日、Rが何を血迷ったのかその軽自動車を突然沼に押し込んで沈めてしまったのだ。
何を隠そうこのR、両親は内科の医師の父親と精神科の看護師の母親でサラブレッドなのだが当の本人は頭のネジが2本ほど無い男で、前述に述べた沼の奥の防空壕に一人でカメラとロウソクを持ち一晩を過ごすという暴挙に出る程で、彼のおこないは大体見てきたのだが今回の車の件には流石に皆、青ざめた。
そこから軽自動車が無くなって数日が経ったある日、Rから一本の連絡が入った。
ちょっとヤバイ事になったんだけど。
話を聴くと林道沿いにある数軒の民家の内の一軒で、一家が失踪したとの事。
警察車両が何台もRの家の前を通り過ぎたのが気になってその方向に向かった所、沼の林道の先で黄色の立ち入り禁止テープを見た。
そこにいた人達に話を聞いた所、まるで神隠しにあったかの様に忽然と姿消してしまったらしい。
食卓にはこれからご飯でも食べるかの様におかずやご飯等並べられていて、テレビはもちろん家の電気も付いていて、玄関の鍵も開いていてまるで生活感がある状態のままだったそうだ。
朝でも夜でもその状態を不審に思い、近所の人が尋ねた所誰も居なかったそうで、すぐ警察に電話を入れたらしい。
その翌日にRの元に警察から一本の連絡があった。
あそこら辺で赤い軽自動車を見なかったか?と。
警察の電話の内容は、その赤い軽自動車は一家失踪の手掛かり、もしくは事件等の証拠になるものであって、つまりは車を探しているのだ。
一瞬で理解したRは事実を言ってしまったら沼に落とした自分が捕まるかも知れないと思ったそうで知らないと言い張ったそうだ。
その直ぐ後に私達に連絡をして来たのだ。
皆ですぐに沼に集まり車の場所に行ってみると、既に警察が車の捜索に取り掛かっていた。
沼に潜り詮索していたそうだが、不思議な事に車は見つからなかった。
Rは少し安心したのかこわばっていた表情が緩んだ瞬間に友人Mが話し始めた。
俺さ、この間Rが車を沼に落とした時さ、向こう岸の木の隣に人が数人立ってコッチを見てたんだよね。怖かったし俺だけ見えてると思うと余計な事言わない方がいいかなって思ってさ。
そ、それ俺も見えてたんだけど。。
すかさず友人Sも話し始めた。
どうやら自分とRともう一人の友人Wは何も見えて居なかったのだが他の2人は同じモノが見えていたそうだ。
怖くなった私達はそのまま帰宅した。
なんだかモヤモヤしていた夜中に再びRから連絡が来た。
しゃ、洒落にならんからみんなすぐにウチに集まってくれ!と。
意味が全く分からないが只事ではない勢いだったので昼間の件もあったし、すぐに向かった。
自分が到着すると友人達は既に家の中に居てRの母親と父親がソファに座っていた。
Rは重い口を開けて話し始めた。
今日あの後家帰ったら夜勤明けの母ちゃんとバッタリ会ってさ、急に仕事の話を始めたと思ったら突然あの車の話をしてきたんだよ。。
すると側にいたR母が私達にもこう言った。
今日ね、今まで長い間一言も喋らないおばあちゃんが患者さんで入院に来たの。お母さん病室でお花を飾ってたらね、おばあちゃんがいきなりアンタ息子居るかい?って。お母さんビックリして居ますよって言ったらそのおばあちゃん、今すぐに北東の方角に行け!だって。なんの事ですか?って聞いたらアンタの息子さん左足首まで持ってかれてるよ。早く逃げないと全部持っていかれるよ。って。お母さん全く訳が分からなくて何度もきき返したんだけどね、それからずっと何だか歌みたいなお経?みたいなモノを口ずさんでるの。
なんて言っているのかよく分からないんだけど時折聞こえるのが、「赤い車と四つの魂」って言葉だけで…
私達はかつてない程のトリハダが立った。
尋常じゃない位の心臓の鼓動が聞こえる。
Rは一連の件を両親に隠さず話した。
両親は頭を抱えていた。Rは泣きながらどうしたらいいかと喚いていた。
私達もどうしたらいいか分からなかった。
その日は解散し翌朝R母が仕事を休んで全員を車で拾いに来た。
これからお清めしてもらいに行くからアンタ達しっかりしなさいよっ!と。
地元で、一番古い神社に向かうと高齢の神主さんが出迎えてくれた。何も言わずに奥に通されお祓いが始まった。一通り終わると神主さんがおみくじサイズのお札を4枚くれた。
10年毎に一枚ずつ飲みなさい。それを飲んでいる間は目隠しになるから。必ず10年経った同じ日に飲みなさいと。
理由を聞くと前に言った向こう岸でこちらを見ていた人達があなた方を探していると。。
ここら辺は昔「禁足地」だったそうで、人が入らぬよう見守るのがこの神社の役目だった。
それがいつしか緩和され、人が移り住むようになったんだそうで。
その頃から決まって何かの節目の年には人が急に消えると…
それを聞いてふとみんなが思ったのがあの一家だった。
あの一家の念の強いモノに関わってしまった為、一緒に道連れにと憑いて来ているのだと神主さんは言った。
それからRは東北の大学に逃げるよう入学した。
自分達もバラバラになり各々の生活を送って行った。
今年で丁度10年目の年。
つい先日久々に集まろうと連絡を取ったら友人Sが死因不明で亡くなっていたと聞いた。
あの日、神社で貰ったお札を飲んだ後家で体調を崩して全て吐き出してしまったのだと。
これから先もずっと憑いて来られると思うと気が気でない。
もしかしたらこんな事有るわけ無いと思うが、これを読んだり聞いたりした人の元にもあの家族が来ないとは言い切れない。
願わくば私達の周りでおさまっていてくれたらと切に願う。
TOPに戻る
霊が出てこない怖い話部門賞『小学生の時に経験した怖い話』
ペンネーム:トウカイテイオー
これは、私が小学生の頃に経験した話なんですが、その当時友人のA君とよく小学校の近くにある山の頂上で色々遊んだりするのがブームでした。
とある日、いつものようにA君を誘って保温の水筒に熱々のお湯を入れて頂上でカップヌードルとおしるこを食べようと誘い、自転車で頂上まで登りました。
頂上までは30分くらいで着いてその後カップヌードルを作り、おしるこを作ろうとしたところお湯が足りずあえなくカップヌードルのスープで作ったりしながなら10分くらいそこで過ごした後、夕方になってきたので帰路につきました。
帰りも同じ道なので雑談しながら帰っていると道の脇に行きには無かった車が止まっていました。
その車からは明らかに変な感じが漂っていてガムテープで目張り(?)のようなものがされており、その当時好奇心が凄かった私はついつい中をのぞいてしまいました。
すると、中には20代ほどの男女が口から泡を吹いてとてつもない表情で目をものすごく開けたまま動いていない状況でした。
それに恐怖を覚えた私とAが走った自転車に乗って小学校まで逃げました。
その後校長先生から警察に通報してもらい、練炭自殺とわかったのですが、この話で一番怖かったのは目張りが車の外からされており、自殺に見せかけた他殺でなおかつその後山から犯人が捕まったことです。
後一歩早かったら僕たち二人がどうなってたかと思うと恐怖で体が震えました。
TOPに戻る
不思議な話部門賞『神頼み』
ペンネーム:地鎮
とても短いんだが、俺の経験した唯一の普通じゃない話。大学時代にKという友達がいた。俺とKには共通の趣味がある。「聖地探し」だ。自転車で行けるとこまで行って神社やお地蔵様を見つけるってやつ。見つけたら片っ端から拝んでいく。本当バカだったと思う。
俺は旅が好きだし、何となくご利益がありそうだからやっていたが、Kはいつも「宝くじで一等をとりたいから」と言っていた。ある日、自転車で一時間ほどの県境に一つのお地蔵様を見つけた。人通りもない草むらに何の変哲もなく一つだけ。
Kはなぜか、そのお地蔵様をいたく気に入り、100日間毎日一時間祈ると言い出した。何かの本でそうすれば願いが叶うと読んだらしい。冗談かと思ったが、大学で会う度に「今日もいって来たぜ」とか言ってくるので、俺は少し怖くなった。
けどいい奴ではあるので、たまに晩飯だけ一緒に食ったりはしていた。正確に100日後なのかは分からん。けれども年が明けてあいつから「宝くじ一等が当たった」と連絡がきた。信じられなかったが本当に当たっていた。大学で会った時、あいつの顔はキラキラと輝いていた。
俺もあいつのマネをしようと思い、願い事を考えているとKから家に食事にこないかと誘われた。あのお地蔵様を見つけられたのはお前のおかげでもあるからと。
俺は家に行き、Kの家族にお祝いを述べ、一緒に食事をした。その食事中にKは突然倒れてそのまま死んだ。脳梗塞だった。あいつは俺の目の前で死んだ。家族も含めて、人が死ぬ瞬間を見たのはあれが初めてだった。
俺は願い事を止めたし、聖地探しも止めた。初詣すらいってない。やはり滅多に拝んだり祈ったりすべきじゃない。人間は地道が一番なのだと俺はKから学んだ。冷たい言い方だが、それしか言えない。
TOPに戻る
ネタ部門賞『ヤクザ天使』
ペンネーム:鉄板
これは我が家の鉄板ネタです。両親は九州出身。二人が若い時の九州はヤクザの全盛期。当たり前の様に、一見してヤクザと分かる集団が大手を振って通りを歩いているような物騒な時代だったそうです。ある時ヤ―さん一家で後継者争いが勃発。黒塗りの車が至る所にいて一般人はビクビクしていたそうです。
父の趣味は車集め。しかも外車。お金はほぼ全部車につぎ込んで母とドライブデートするのが休日の楽しみだったそうです。父はある日、お気に入りの黒のベンツで母とドライブ。けれども九州のド田舎で、今から何十年も前に黒いベンツを乗り回す若者などそうそういません。いつのまにか後ろには黒塗りの車が何台も・・・。母はこの時点で泣きそうだったそうです。父も青ざめていたらしいです。
急いで近くの派出所(当時は交番とは言わなかったそうです)まで行こうとすると、何と目の前からも黒塗りの車が数台きて挟まれてしまったのです。そして車から一人の男が降りてくる。母はその時はっきりと、その男が胸の中に右手を入れていたのを覚えていると言います。「あ、これは死んだ」と母は思い、生きるのを本気で諦めたそうです。すると、何と父は自ら窓を開け大声で「私はこの近くに住んでいる〇〇(偽名)という者です。何か御用でしょうか!!」と叫んだそうです。そしたら前後から数人男たちが走ってきて父の顔を覗き込みます。その男も父を舐めまわすように見た後、助手席の母の顔もじろりと見る。右手は胸の中に入れられたまま。母は生きた心地がしなかったそうです。男は一言「素人さんか・・・」と呟き、すぐに戻り車はあちこちに離散していったといいます。
二人で真っ青になりながら派出所に駆け込む。警官は大笑いして「無事で良かったですな」と言った後「こんないい車に乗ってるからですよ」とだけ。当時の九州はこんなもんだったそうです。
帰り道、父は母にプロポーズ。プロポーズの言葉は「お前とならどんな苦難も乗り越えられる」だったそうです(笑)。母は勢いで承諾。母はいつも「あのヤクザは恋のキューピッドだった」と冗談めかして語ります。まあ、夫婦仲は今でも良いので私としては何よりです。
TOPに戻る
懺悔
ペンネーム:m
私が10年間、誰にも打ち明けることができなかった過去をここに記します。
事の発端は、私が小学6年の夏まで遡ります。
当時、私は東京に住んでおり、小学1年から6年までの間、春夏冬の長期休みを利用して、毎年母の実家へ帰省していました。
祖父母の家は、車で6、7時間程の山奥にあります。
小さな集落で、当時から周辺では過疎化が問題視されていたようですが、山の麓には学校もあり、少なからず子供はいました。
また、集落は非常に閉鎖的であったため、部外者が来ることもなく、人為的な危険性はありませんでした。
そのため、私は祖父母の家に行く度に、近くの川や山中へ遊びに行くのがお決まりでした。
外へ一人で遊びに行くことに対して、祖母は「ケガしねぇか。迷わねぇか」と心配してくれていましたが、両親は家で騒がれるよりは良いだろうという料簡でした。
何より、私は家よりも外で遊ぶ方が好きでしたし、年に3度も帰省しているので、集落周辺にも完全に認識されており、おかげで友達も何人かできました。
その友人の中でも特に仲良くしていたのが、「マサ」と呼ばれていた男の子です。
彼は、私が集落で初めて友達になった子で、彼の仲間に「この子は東京から来たんだぜ」と紹介してくれました。
私が彼と知り合った小学2年の冬休みから、毎年帰省する度に、彼らと川遊びや虫取り、雪遊びなどをして楽しく過ごしていました。
そして、小学6年の夏に帰省した時も、これまでと同じように皆で遊ぶ日々を送っていました。
そんなある日、私と彼の二人しかいない日がありました。
始めのうちは、いつものように川遊びや虫取りをして遊んでいたのですが、少し遊び疲れて来たので休憩しようということになり、近くにあった木陰で休むことにしたのです。
小学生最後の夏ということもあり、彼はいつになく饒舌で、将来や中学校のことについて、色々な会話を交わしたことを覚えています。
しばらくは他愛のない会話を楽しんでいたのですが、彼は唐突に話題を変え、集落よりもずっと上の方に、誰にも使われていない納屋があるのを知っているか、と私に聞いてきました。
私は、納屋のことは初耳で、なぜ誰も使っていないのかと尋ねると、彼は、彼の母が子供の時から既に使われていなかったと母親から聞いており、かつ彼の友人にも誰一人として納屋に行ったことのある人間がいないことを教えてくれました。
私は「何で使われなくなったんだろう。きっといらなくなったのかな」と、さほど興味もない口調で言ったのですが、彼はそんなことはどうでも良いらしく、せっかくなので探検に行こうと提案してきたのです。
彼は、今まで納屋について一度も話さなかったのは他の皆がいたからで、彼の集落でも近づいてはいけないことにっているが、二人なら密かに行けるしお宝があるかもしれないと、声高に語りました。
彼の説明によると、空き家だったとしても他人の所有地へ勝手に入るのは、集落では固く禁じられているとのことでしたが、人里離れている納屋であれば見つかることはないだろうし、余所者である私しか一緒に行ける仲間がおらず、納屋の存在を確かめるには絶好の機会とのことでした。
私は暫くためらいましたが、小学生最後の夏ということもあり、良い思い出になればと承諾しました。
彼は、大きいカヤブキ屋根が目印らしいから直ぐに見つかるだろう、と喜び勇んで私を誘導しました。
しかし、彼自身も納屋へ行くのは初めてのため、何度も道に迷ってしまい、目印となる茅葺き屋根を見つけ、ようやく納屋へ着いた時には日が傾きかけていました。
目の前には、鬱蒼と生い茂る草木の中に、深く黒ずんだ納屋だけが佇んでおり、片側の側面が夕日に照らされていました。その光景は異様なほど不気味で、今すぐにでも帰りたいと感じたのを覚えています。
私が、怖いと独り言のように呟くと、彼は「本当にあったんだ!子供が遠くまで行かないように、大人達が創った嘘だと思ってた」と一人喜んでいました。
見るほどに気味が悪く、一刻も早く帰りたかったのですが、彼が楽しそうであることに加え、私に喜んでもらおうと頑張っている姿を見ると、とても「帰ろう」とは言い出せませんでした。
そのため、私は納屋の鍵が開いていないことだけを切に願っていましたが、その希望はすぐに打ち砕かれました。
鍵が開いているから早く入ろうと彼が言い出したので、見てみると、錆びた鉄の鍵には無理矢理壊されたような形跡がありました。誰かが同じような目的で入ったのでしょうか。しかし、余所者が納屋の存在を知っているはずはありません。
考えれば考えるほど混乱してきたので、私は思いきって「やっぱり入っちゃまずいよ。持ち主が来るかもしれないよ」と伝えたのですが、彼は「平気だよ。俺の母ちゃんが子供の頃から誰も使ってなかったんだから」と、聞く耳を持ちません。
それどころか、ライトを持って来ていないから、日が暮れないうちに急ごうと納屋へ入るのを急かしてきます。
この時、私には別の不安がよぎりました。
ただでさえ日が傾きかけており、今から戻っても辺りが暗くなり始めることは間違いない。ましてやあれだけ迷った道を、明かりもない状態で無事に帰れるのだろうか。
私は、こうなったら早く探索を済ませて、さっさと引き上げようと考え、意を決して納屋へ入ることにしたのでした。
納屋の中は、外見以上に広く感じました。納屋というよりは、古い家屋に近かったかもしれません。
また、埃や煤だらけで物が散乱していたものの、子供が並んで歩ける程度の足場は残っており、格子から差し込んでいる夕日だけでも、十分に探索は出来そうだと感じました。
彼も「流石に荒れてるね。お宝あるかな」と言いながら暫く探索をしていましたが、何もなさそうだなぁと一人ごちたので、漸く帰れると思ったその矢先、「奥に梯子が見える」と言ったかと思うと、梯子を登って行ってしまいました。 私はついて行くのが精一杯で、「まってよ」とすぐ後に続きました。
二階へ上がった時の光景は、今でも忘れることができません。
階段を上がると、近代家屋の屋根裏部屋のような構造で、すぐに部屋へと繋がっていたのですが、1階とは打って変わって異様なほど重苦しい雰囲気が漂っていました。
辺り一面には満遍なくお札が貼られ、天井の四隅を囲むように注連縄が垂らされていたことは、今でも鮮明に覚えています。
そして部屋の中央には、今にも崩れそうな観音開きの仏壇のようなものが固定されており、その左右には黒ずんだ盛り塩や蝋燭も置いてありました。
私は泣きそうになりながら、ここは絶対に来てはいけない場所だから、もう帰ろうと言うと、「ちょっと見たらすぐ帰るよ。それに大人達が寄せつけなかった理由が気になる」と、彼は一歩も引きません。
私は階段を上がったすぐ側で、震えながら見守っていることしか出来ませんでした。
そして、彼が部屋を二周りほどした時、突然その仏壇のようなものが後ろに倒れたのです。
私は心臓の鼓動が部屋中に響いたのではないかと思った程で、彼も「足が当たったかもしれない」と、少なからず驚いた様子でしたが、私が見ていた限りでは、仏壇は独りでに倒れこんだように見えました。
私は相変わらず「もう帰ろうよ」と繰り返し言っていたので、彼も気が変わったのか、「大人達がここに寄せつけなかった理由は分からなかったけど、何もないから帰ろうか」。
そう言って、彼が倒れた仏壇を起こした時、倒れた衝撃で壊れたのか観音開きの扉が外れ、中から黒い塊が出てきました。
彼は「何かでてきた」と言いながら、すぐにその塊を拾い上げましたが、わぁと投げ捨てて「早く出よう!」とこちらに走ってきます。
私は急いで階段を降りつつも「どうしたの」と聞きましたが、「後で後で、早く早く」と急かされたので、無我夢中で納屋の外へと逃げました。
外は大分暗くなっていましたが、まだ足元が分かる程度には明るかったと思います。
とにかく二人で、来た道も考えずに走り続けました。
お互いに疲れが表れ始め、次第に歩きへと変わる頃には、不思議と集落の近くまで来ていました。
彼も安心したのか「少し休憩しよう」と言って脇の土手に座り込みました。
暫くしてお互いの息も整ってきたので、私は「さっきの変な黒い塊は何だったの」と尋ねると、「良く分からないけど、あれは何重にもぐるぐるに巻いた髪の毛の塊だったように見えた。それに、あの塊を持った途端、誰かに見られてるような気がして。何のために作ったんだろう」。
彼の言葉を聞き、無性に不安になった私は、「わかんない」と答えるのが精一杯でした。
そして、ふと彼の手に目を向けると、指先が赤黒くなっていました。
「それ、どうしたの」と私が彼の指を指すと、「気づかなかった。さっきの塊を持った時についたのかな。ベタベタして気持ち悪い」と言い、彼は指先を足元の草花で拭いました。
私には、彼の指先に付着していたものが何だったのか、未だにはっきりとは分かりません。
ただ、その時は何か良くないことが起こるのではないかと、気が気ではありませんでした。
そんな私とは反対に、彼は「今日のことは二人だけの秘密にしよう」と元気な様子でしたが、そのおかげで私も理性を保てたのだと思います。
もちろん私も「親にも絶対秘密にしようね」と言い、先程のことなど忘れたかのように談笑しながら、お互い帰路につきました。
翌日、私は家族と街へ買い物に出かけており、それなりに楽しい一日を過ごしました。
その日の夜は中々寝つけずにいたのですが、昨日の出来事も何のことはない、また明日からマサと何をして遊ぼうか、そんなことばかり考えていました。
翌朝、遊びに誘うため彼の自宅まで行くと、彼の母親が出て来て「ごめんね。マサは体調が優れないの。昨日もマサと遊んでくれてたんだってね。ありがとうね」と告げられたのです。
私はとてつもなく嫌な予感を感じました。
これまでに彼が病気になったことなど、私の知っている限りでは一度もなかったからです。
それに、彼と遊んだのは一昨日であって昨日ではなかったと伝えると、「あら、じゃぁ他のお友達かしら。昨日も家にいなかったものだから。また遊んでやってね」。
それから二言三言交わすと、彼の母親はにこやかな表情で家の中へと戻って行きました。
その日は、他の友達3人と遊ぶことになったので、昨日彼と遊んだ人がいるか尋ねましたが、皆遊んでいないと答えました。
私は心のどこかで不安を覚えつつも、いつものように日が暮れるまで遊びました。
それから、私は毎日一人で彼の自宅を訪ねましたが、病気が思わしくないため会わせてもらえず、漸く会うことができたのは、納屋に行ってから8日目のことでした。
彼の母親に案内された部屋へ入ると、彼は布団の上で横になっていたのですが、彼のあまりの衰弱ぶりに驚きました。つい数日前まであんなに元気だったはずが、その面影もないのです。
彼の希望により、二人きりにしてもらうと、彼は弱々しく「あの納屋に近づいちゃいけない理由が分かったよ。俺はあの日から誰かに見られてる。ふと夜中に目が覚めた時なんか、そこのドアから誰か覗いてて」と、私の後ろを指しながら言うので、「それ、きっとマサのお母さんが心配して見に来たんだよ」と伝えたのですが、彼曰く「目が違った。母ちゃんや父ちゃんならすぐに分かる」とのことでした。
私は、彼が見た光景は夢ではないかしらと思ったのですが、彼を疑いたくなかったので黙ってしまいました。
しばらく沈黙が続くなか、唐突に彼が口を開きました。
「実は、納屋に行った次の日、また一人で行って来たんだ」。
私は、それまで府に落ちなかった事柄が一変に繋がったと同時に、彼の行動が理解できませんでした。
「どうしてまた行ったの」
「納屋に行った夜から変な視線や気配がするから、とりあえず、あの塊だけでも元の位置に戻して来ようと思って」。
私には、そもそもあんな場所へ一人で行くなんてことは考えられなかったので、彼をとても逞しく感じました。
「それで、あの塊は戻せたの」
私がそう言った時、彼の指先が僅かに震えていたのが、とても印象に残っています。
「それが、戻ってたんだよ。仏壇までご丁寧に直してあった。何で戻ったのか。誰かが戻したのか。結局、俺はそれを見た瞬間、怖くなってすぐに帰って来た」。
彼は、喋りながらも正気を失いかけているのが分かりましたが、それは私も同じでした。
私は泣き出しそうになるのを必死に堪えながら「やっぱり、誰かが管理してたんだよ」と言うのがやっとでした。
しかし、彼はすぐに「それはあり得ない」と言うのです。
「もし管理されてるなら、まず壊れてる鍵とかを直すだろ。でも鍵は直ってない、中は散らかったまま。何より俺が行った時、入口の扉すら開いたままだった。つまり、2階以外は俺らが逃げて来た時のままなんだよ」。
私には、彼の言葉を検証するゆとりなどなく、「まってよ。よく分からないよ。なんで2階だけなの」と答えると、彼は考え込んでしまいました。
再び沈黙が訪れましたが、彼は先程より少し落ち着いた様子で、「意味が分からないだろ。もしかすると、俺らの侵入に気づいた大人が、罰として意地悪してるだけかもしれないけど」と、現実的な可能性を示したので、私は嬉しくなって「そうだよ、きっとそれだと思う。そうとしか考えられないもん」と言いました。
しかし、再び彼は考え込んでいる様子でした。
ふと何かを決心したかのように、沈鬱な面持ちで「でも、やっぱりあの髪の毛の塊が関係してんのかな。体調も悪くなる一方だし」と力なく言いました。
一番考えたくなかった内容だけに、私は暗い気持ちになりながらも、「そんなの関係ないよ。早く元気になって遊ぼうよ」と言うと、彼は「うん。また遊びたいな」と小さな声で呟き、そのまま寝てしまったのでした。
彼をゆっくりさせてあげたかったので、彼の母親に挨拶を済ませ、そのまま私は彼の家を後にしたのです。
そして、それが彼との最後の会話になりました。
私が彼の部屋で会話をした翌日、彼の母親から電話があり、今朝がたマサが息を引き取ったので、できればお通夜に来て欲しいと伝えられました。
昨日会ったばかりの彼が亡くなるなんて、私には受け入れることが出来ず、一日中泣いていました。
今でさえも、彼はどこかで生きているんじゃないかと思う時があります。
通夜当日、私は彼の母親に彼の死因について尋ねてみたのですが、医者の見解によると悪性の病であるらしいとしか教えてもらえませんでした。
私は長い間ショックから立ち直れず、この日を境に、一度も帰省していません。
帰省してしまえば、必ずあの時の悲しい記憶が蘇るのは明白なので、祖父母や両親にもそのように伝えていました。
あの時、嫌われてでも良いから、あの部屋に入ることを止めていれば彼を救えたのではないかと、私は10年間後悔し続けて来ました。
結局、彼の死は病気がたまたま重なっただけなのか、それとも怨念のような類に触れてしまったのかは分かりません。
ただ、彼が重度の病気であったとは考え難く、古くからの言い伝えには、やはりそれなりの理由があるのだと思います。
あの黒い塊は何だったのでしょうか。
マサを見ていた目は、誰だったのでしょうか。
私は10年の節目として、彼のお墓参りを兼ねて近々あの納屋へ行くことに決めました。
今では、集落一体も大分人が減ったようで、子供は殆どいないそうです。
また、彼の死後しばらく経ってから、祖母との通話にて聞き出したのですが、納屋の鍵が壊されていたのは、私たちが納屋に行った1ヶ月程前に、部落の男が窃盗目的で侵入するために壊したようです。
納屋へ侵入してから数日の内に亡くなったそうですが、一人で生活していたため、周囲が気づいた時には死後2ヶ月程経過していたとのことです。日数は、死体の側にあった手記から推定したと聞かされました。
まだ納屋が残っているかは分かりませんが、彼の死と関係があるのか確かめて来るつもりです。
TOPに戻る
お守りの中身
ペンネーム:ゴジラ4343
起きた事をできるだけ克明に記しておきたいので、長文にはなりますが、どうかご容赦ください。
30代の社会人男性です。
この話は今から6年前になりますが、当時の私は大学時代の同期や会社の同僚を中心に、休暇を利用して山スキーや海外へトレッキング旅行に行く小さな社会人サークルの幹部をやっていました。
サークルと言っても、総数10人程度の愛好会のようなもので、メンバーが全員揃うのは年末の忘年会程度で、あとは入れ替わりで休暇のタイミングが合ったメンバーがその都度集ってスキーや旅行を楽しむといった活動でした。
メンバーの中に、私とも特に懇意にしていた同僚のA君がいました。
彼は私の一つ年下で、絵に描いたような豪傑と言いますか、とにかく何でも体力で乗り切ってしまうような男で、裏表の無いとても実直で明るい人でした。
そんな性格もあって、サークル内でもムードメーカーとして、また旅行などの日程から現地でのトラブルまで対処してくれる頼もしい友人でした。
その年の正月に、久しぶりに東京で集まろうという事になり、地方へ帰省しているメンバーや家族を優先しなければいけないメンバーを除いた男性4人が集まり、みんなで全国的にも有名な神社にお参りに行ったんです。
その神社はメジャーな観光スポットで、むしろ同じ敷地内にある大きなお寺で有名な場所でした。
私は、特に神仏への信仰がある訳ではなかったのですが、他の多くの日本人と同じように、言わば慣習として、初詣で賽銭を投げて祈るという行為に親しんできましたから、その時も例年と同じように神社に詣でた訳です。
その後、せっかく同じ場所に有名なお寺もあるのだから、そちらにも挨拶していこうという流れになりまして、みんなで連れ立ってお寺にも参拝。
おみくじを引いたりお守りを購入したりと、和気藹々とした時間を過ごしました。
この時、A君は身代り(みがわり)御守りというものを購入していまして、他のメンバーが購入した心願成就や招福系の小さなお守りと比べて一回り大きく、値段も倍くらい高価なものでした。
私を含め、他のメンバーは彼に「随分と奮発したじゃないか」と囃し立てたのを覚えています。
しかし、肝心の本人は「おみくじで旅に出るのは良くないと書かれていたから、そんな事が本当なら生きていけないから、何か悪いことでもあれば身代わりになってくれるお守りがいいんだ」なんて飄々とした顔で言い切っていました。
その晩は繁華街の居酒屋で、全員ほろ酔い気分で、今年はどんな面白い事を計画しようかという話で盛り上がりました。
元来酒好きなA君も正月気分に絆されたのか、いつになく酒のペースが早く、明らかに酔っ払っていくのが分かりました。
ベロベロに酔っ払ったところで酒癖の悪い人間では無かったので、そのうち寝てしまうだろうくらいに思っていましたが、今思うと、この時もう少し彼に注意を払っておくべきだったのかもしれません。
私を含めた他のメンバーで、夏の旅行や冬のスキー計画に花を咲かせている時、A君が視界の端でモゾモゾやっているのを認識してはいましたが、ふと会話が途絶えた時に彼に目をやると、A君は今朝購入したばかりのお守りの封を解いて、中身を取り出していました。
私より先に、他の人が「おいおい、A君! それはまずいって。お守りは開けたらダメな筈だぞ」と声をあげましたが、彼はもう酔っているのか没頭しているのか、周りの声も聞こえない様子でお守りを無心に開き、中に入っていた白い紙を取り出してしまいました。
お守りというものは、それこそ神社やお寺によって千差万別ですし、先述したように長寿や繁栄を願うものから恋愛成就、合格祈願など、ご利益の方向性も違うものです。
A君の行為に驚いた私たちでしたが、実際に高価なお守りの中身がどうなっているものか見てみたいという好奇心が勝ってしまったのでしょう。彼の手元を見つめながら、それ以上彼を止めようとする人はいませんでした。
A君が小さく畳まれた紙を広げると、そこには判で押したような観音様の立ち姿が描かれており、観音様の頭部には梵字の文章が後輪のように円状に浮かんでいる構図でした。
何と言いますか、出てきた物がそれほど想像を超えるものではなかったというか、想定の範囲内だった事もあり、それぞれ「まあ、そういうもんだよね」なんて顔を見合わせ、とりあえずA君にはちゃんとお守りを包みに戻して、開けてしまった事を観音様に謝るんだぞ、なんて冗談めかして笑い合い、その後は何事もなかったように宴を続けたのを覚えています。
それから一ヶ月後の二月、A君は一人で北海道の山スキーに向かい、そこで崖下に滑落して亡くなりました。
彼が下山した様子が無いという連絡が来たのは、入山届に記載された下山予定日から2日後のことでした。
A君の親御さんの元に警察から連絡があり、彼が遭難している可能性があるので、近親者の誰かが現地に来た方が良いだろうという事でしたが、A君の両親は北海道に行った事もないし、現地に赴いたところでただただ息子の帰りを待って祈るしかない。その事をサークルのメンバーに伝えれば、彼らなら何かA君の足跡を辿れるかもしれないという一縷の望みにすがる気持ちで、悲痛な声で電話をかけてきたA君の母親の声が今も耳に焼き付いて離れません。
消防や自衛隊、地元民のボランティアによる捜索隊も組織されていましたし、自分が現地に飛んで何が出来るとも思えませんでしたが、彼の安否と、親御さんの心持を思うと居ても立っても居られなくなり、私はサークルメンバーにその旨を伝え、緊急にも関わらず対応してくれたもう一人のメンバーと共に新千歳空港行きの飛行機に飛び乗りました。
北海道に着いてからはレンタカーを借りて、冬の北海道を一路、内陸部のスキーで有名な地域に飛ばして向かいました。
現地で先に到着していたA君の親御さんに対面し、とりあえず捜索ボランティアに参加して彼を探すという事を伝え、もう一人と一緒にA君の足取りを追う事にしました。
地元のスキー場でも遭難事件は話題になっていましたが、北海道で観光客スキーヤーやスノーボーダーがコース外に出て遭難するのは日常茶飯事だったので、またかというどこか呆れた雰囲気も漂っていました。
私たちは運良く、A君と途中まで行動を共にしていたというオーストラリア人のカップルに会う事が出来て、コース外で山スキーを楽しんだ後、山奥で彼と別れたという話を聞きましたが、当然その情報は警察や消防にも行き渡っていたので、既に最優先の捜索エリアとして人員が割かれていました。
現地入りして2日後は大雪で視界が悪く、自衛隊や警察による捜索は中断を余儀無くされてしまい、民間のインストラクターやガイドなどの有志で結成されたボランティアだけが、捜索を決行するという事で、我々もそれに同行する事になりました。
下手をすると二次災害で誰かが命を落としかねない天候ですから、半ば決死隊の心意気だったと思いますが、私の心配を他所に、こういった事故に慣れているガイド達は頼もしかったのを覚えています。
この時、私はどこか漠然と、A君を見つけるのは自分なんじゃないかという感覚に支配されていました。それは、A君の母親から事故の一報を聞いた瞬間から芽生えていた感覚でした。
その電話を受け、彼の母親の声が電話から聞こえてくると同時に、その年の正月にA君がお守りを解いた光景が突如鮮明に蘇ってきました。
ただ、その光景がどこかおかしいのは、みんなで楽しく会話をする端で、黙々とお守りを開けようとするA君は、じっと手元を見つめていた筈なのに、視界の端に映るボヤけた彼は、手元こそお守りを開けようとモゾモゾ動かしているのに、その顔だけはしっかりと私の方を向いて、両目を見開いて微動だにしないのです。
私は確かに感じるその異様な視線から目をそらすように、湧き上がる感情を抑えようと必死でした。
記憶が捻じ曲げられている。何かおかしなことが起こっている。
そう自問する事で、何とか自我を保っていたと思います。
猛吹雪の中、捜索開始3時間ほどで、A君の遺体は前日の捜索隊が残念なタイミングで見逃していた崖下の窪みで見つかりました。
事の運びは私の感覚通りという訳ではなく、新雪が降り積もった窪みから僅かに露わになったカーキ色のスキーウェアの袖を発見したのは、一緒に北海道入りしたもう一人のサークルメンバーでした。
「Aがいる!」彼がそう叫んだのか、私がそう思ったのか思い出せないのですが、私たちは死に物狂いで腰まであるパウダースノーを漕ぐように掻き分けながら、カーキ色のスキーウェアに向かって走りました。
「A!」と呼びかけ、ほぼ逆さまに雪に埋まった彼の体を必死で引っ張りだそうとしましたが、完全には脱げていなかった片足のスキーが錨のように引っかかり、力づくではどうしようもありませんでした。
100mほど離れた位置にいた他の捜索隊メンバーから、それぞれA君発見の無線連絡がリレーされ、スコップなどを持った人々が駆けつけてきて、やや取り乱していた私をA君から引き離して、首尾よく彼の体を雪から救い出していきました。
やがて彼の上半身が見えてきて、誰かが背中から担ぐようにA君の体を起こした時、周囲の人々が一様に「わっ」と声をあげました。
A君の顔は、生前の表情を留めているどころか、まるで死後数年も放置されたミイラのように干からびて、真っ黒になっていました。
落ち窪んだ眼窩には、乾燥しきった瞼の奥に濁った瞳が薄眼を開けており、私は恐怖というよりも、エッツィやアイスマンと呼ばれる考古学的に有名な古代のミイラに似ているな、と思いながらその顔をじっと見ていました。恐らく、私の体の防御システムのようなものが、思考力を敢えて低下させていたんじゃないかと思います。
「なんで数日でこんな状態になるんだ」と捜索隊の方々が話していたのを覚えていますが、そこからどうやって下山して、彼の親御さんと対面し、帰路に就いて彼の葬儀に出席したのか、この辺の記憶があまりに欠落しています。葬儀に参列したサークルの全員が、当時の私は幽霊みたいに透き通ってるんじゃないかというくらい生気が無かったと口を揃えて言います。
ここまで長々と付き合ってくださって、不思議.NETに投稿してまで、結局お前は何が言いたいのかと思われる方も少なくないと思います。
最後になりますが、私がこの悲しい事故から、人生の見え方が少し変わってしまった一つの事実を書かせてください。
A君の四十九日法要が終わって数日後、彼の親御さんが、生前A君が大切にしていた物の中から、サークルで使うなり思い出として取っておいて貰えないだろうかという事で、A君の愛用していたバックパックやスキー板、ヘルメットなどを私に託してきました。
もちろん、事故当日に彼が着用していた物ではありませんでしたが、故人の遺品を受け取る事の重責や、どこか後ろめたさも感じながら、それらの遺品の処遇について数人のメンバーで話し合っていた時の事です。
A君の使っていたトレッキング用のオレンジ色のヘルメットの中から、正月に彼が購入した、あのお守りがぽろっと落ちてきました。
おもむろに拾い上げると、固く結んでいたはずの紐が解け、居酒屋でA君が取り出した紙が頭を覗かせていました。
私は無意識に、いや今考えれば何かに突き動かされるようにその紙を取り出し、開きました。
ヘルメット内で蒸れたのか、少し茶色く滲んだ紙が、硬くなってぺりぺりと音を立てました。
そこには、後輪を頭上に抱えた観音様が描かれているはずでした。
「うわっ! なんだこれ!」私の後ろからその紙を覗き込んでいたメンバーの一人が叫んだと思いますが、私にははっきり理解できました。
そこには、観音様なんかではなく、雪の中で干からびて死んでいたA君が、その死に様の形で佇んでいる姿が、むしろ絵というより新聞のモノクロ写真のような鮮明さで描かれていました。
梵字で描かれた後輪があるはずの場所は滲んでいて、ちょうど彼が埋まっていた窪みそっくりでした。
そこにいたメンバー達はA君の遺体を見ていませんでしたから、その紙に描かれた不気味なミイラのような何かがA君であるとは思わなかったようですが、私にはすぐに彼と分かりました。
少なくとも、他のメンバーも、正月に見たお守りの観音様を思い出し、それとはおよそかけ離れた恐ろしい姿の何かがお守りに入っていたという事に気付き、全員が暫く絶句していました。
A君なりの悪い冗談じゃないかという結論で事を収めましたが、誰もが、只事ではないということは悟っていたと思います。
私達はその後、お守りを買ったお寺でA君の遺品をお焚き上げしてもらい、彼がせめて天国か極楽浄土に行っていて欲しいと願うばかりでしたが、私には、彼が絶対に天国や極楽浄土ではないところにいることが分かります。
身代わりになる筈のお守りがどうしてそんな不気味な変化を遂げたのか、そして彼を守ってくれなかったのか、その原因が飲み会の席でA君がやってしまった不敬とはいえ些細な過ちのせいなのか、それを食い止められなかった自責の念と恐ろしさは6年経った今でも時折襲ってきては私の眠りを妨げます。
その後、サークルは尻すぼみに活動の頻度が減り、今ではほぼ形骸化しているものの、当時からの交友関係は個別に続いており、スキーや旅行にはそれぞれの家族ぐるみで参加したりしています。
A君の件は、毎年冬になると思い出す悲しい記憶です。
この時期によく見る夢の中で、A君は今も手元でモゾモゾとお守りを解きながら、真っ黒な顔を私に向けています。
駄文でしたが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
TOPに戻る
全ての話はこちら
● 心霊怖い話部門 第一部
● 心霊怖い話部門 第二部
● 霊が出てこない怖い話部門 第一部
● 霊が出てこない怖い話部門 第二部
● 不思議な話部門 第一部
● 不思議な話部門 第二部
● 不思議な話部門 第三部
● ネタ部門
第一回 真夏の怖い話グランプリ 結果発表ページはこちら
たくさんのご応募、投票ありがとうございました!
今後とも不思議.netをよろしくお願いいたします。