2: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:01:57 ID:bIO
中国の史書からの観点だと
宋書の「倭の五王」が安康天皇や雄略天皇を指している蓋然性は極めて高い
では魏志の女王「卑弥呼」や「台与」は権威の連続性について大王家から遡れるものと見なせるか?
邪馬台国がヤマト国(ヤマト王権)を指す蓋然性は高そうではある
また中国の史書に邪馬台国が登場するのと同時期に纒向遺跡が栄えることも根拠たりうる
ただ、伊都国や奴国の南に位置するという記述をそのまま信じれば、記紀との照合性も相まって日向という可能性も出てくる
しかし日向にそれらしい遺跡は無いので蓋然性は低いか?
5: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:06:50 ID:bIO
仮に卑弥呼や台与の権威が後の倭の五王に繋がるものだったとし、両者の拠点は畿内で一致したとする
その場合、後漢書の倭国王帥升と卑弥呼の権威は連続したものか?
どちらも倭国の王(女王)と記されてはいる
ただし帥升の時代(2世紀前半)には畿内が栄えていた跡は無い
では帥升の拠点は筑紫なのか?その可能性は高そうではある
その場合、神武東征が史実を踏まえたものだとすると、帥升の時代は筑紫拠点の倭国が東征により卑弥呼の時代には畿内に拠点を移していた、という仮説は一応は成り立ちそうではある
しかしいくつか問題がある
7: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:13:43 ID:bIO
まず、後漢書には「倭国大乱」なる戦乱が2世紀後半の倭で起きたことが記されている
つまり「倭国王帥升」の時代(2世紀前半)と「女王卑弥呼」の時代(3世紀前半)の間にあたる
これはそれまでの筑紫の権威体系を滅ぼした上で畿内に新たな権威体系が出来上がったことだ、という可能性を読み取ることも可能ではある
これがまず問題点ではある
では倭国大乱は筑紫VS畿内(大和)の乱なのか?
纒向遺跡の成立期は2世紀末頃からであり、倭国大乱以前に畿内に一大勢力があったとは考えにくい
30: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:37:37 ID:bIO
>>7の続き
では倭国大乱の主体は専ら九州の諸勢力に限られるのか?中国への情報の伝わりやすさ、当時の九州の先進性を考えるとその可能性もあり得る
しかしだとすると、倭国大乱というイベントが終結した時期と一致して、纒向遺跡という大規模遺跡が建設されるのを全く別の事柄と見なすことになる
纒向遺跡の設立には吉備や出雲の勢力が関わっているが、九州での大乱と山陽山陰までが関わる纒向遺跡の設立という二つの大イベントを個別の出来事と断じるのも難しい
32: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:40:30 ID:pCM
>>30
そこまで詳しくないからあんまりでかいこと言えんけど
九州を平定できた→山陰、山陽に領土を拡大して文化圏を押し広げたって考えはどうや
35: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:42:16 ID:PJI
>>32
徐々に文化圏を形成したとするなら、かなり地理的に飛び飛びにならへん?
出雲、三次、高井田くらいやないかな
史跡が残っとるの
37: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:48:15 ID:pCM
>>35
飛び飛びにはなるけども、でかい街が連続して存在しないようにでかい拠点やら古墳群やらも連続して存在しないんじゃね?
38: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:49:36 ID:bIO
>>32
九州→山陽・山陰→畿内という風に勢力が拡大していったとすると、九州に楯築墳丘墓や纒向型前方後円墳の前身のようなものがあっても良い気がするんやけどなあ
40: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:53:28 ID:PJI
>>38
まだ解明された訳ちゃうけど、広島県と島根県の県境の三次という地域に、ホタテ貝型の古墳がたくさんあるで
前身かどうかは分からへんけど、何らかの形で影響は受けてそうな形やったで
42: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:00:17 ID:bIO
>>40
浅学にして三次の遺跡については知らんかったが
それは興味深い案件や
それが纒向型前方後円墳成立よりも古いのであれば尚更
8: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:14:51 ID:KiS
普通に日向やないんか?
10: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:16:16 ID:bIO
>>8
文献のみから判断するならそうなりそうではある
しかしそうだとすると、考古学的根拠がほぼ皆無という大問題に直面するんや
9: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:15:08 ID:ncI
よく勉強してるんやな~
確か10代目位までは天皇家の威厳を示すための創作なんやっけか
12: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:18:55 ID:bIO
>>9
9代目までは実在性に否定的な説が多い
でも彼らは本当に非実在なのか、纒向型前方後円墳や吉備の楯築墳丘墓の被葬者は誰かという考古学的な問題も踏まえて考えてみたい
11: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:17:32 ID:pCM
邪馬台国はどこかとかそういう話も関連しそうやね
14: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:20:37 ID:bIO
>>11
最重要な問題やね
九州だとしても畿内だとしても辻褄が合わない点はある
ワイは中国の使者は実は九州までしか行っていなくて、それでもって畿内にある邪馬台国(ヤマト国)について伝聞のみの知識を得たのかなあなどと思っているけど
21: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:24:31 ID:pCM
>>14
色々辻褄が合わんのよな、九州説も機内説も
金印さえ見つかりゃあなぁ…
16: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:21:43 ID:vGf
卑弥呼って神武天皇より前の人なん?
18: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:22:20 ID:SLm
>>16
断然あとじゃないんか
20: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:23:52 ID:bIO
>>16
崇神=行燈山古墳という比定が正しいとすると、神武が仮に実在なら卑弥呼より数世代前の人物と思われる
28: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:34:51 ID:eNq
良スレ
29: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:34:58 ID:4iV
継体天皇が始祖なんちゃうか実際は
34: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:41:56 ID:bIO
>>29
男系相続かは疑わしいが
権威の継承としては連続したものだったと考えているんやけど
実際には継体が大反乱を引き起こして全王朝の権威を否定して即位するような事態だった可能性も棄却はできんが
31: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:37:55 ID:PJI
まぁ、ワイの専攻は全く日本古代史と関係ないんやけども
神話学の観点からいえば、天皇家の始祖にあたるアマテラスは生まれながらにして周囲に認められてる訳やから、争いもなく自然と神々が認めたということになる
戦闘の勝敗を鑑みて権力の源泉を辿ろうとするのは無理があるやろ
アマテラスほど殺人(殺神)を嫌う神さまは、諸外国の神話を見てもおらへんし
33: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:40:39 ID:PJI
せやけど、史学の観点からいえば話が変わってくる
主な登場地域は、九州、出雲、大和(畿内)
出雲は大国主の神話をみれば何となく分からと思うけど、大規模な戦闘はなかったんとちゃうか
出雲自治を認めつつも、傘下に入るって感じやと思うで
駆けっことか力比べしとるだけで、大人数の死者がで訳ちゃうし
36: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:46:53 ID:bIO
>>31
>>33
日本の史書の観点からすると、タケミナカタの抵抗などを鑑みても、アマテラスの権威の絶対性に天皇の権威を根拠づけるのがやはり妥当なんかな?
だとしても、実際の歴史的に天皇家(大王家)の権威がどのように成立したものかはまた別件だとは思われるけど
39: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:51:54 ID:PJI
>>36
もともと蘇我氏の台頭以前は合議制で、天皇家と他の氏族の権力ってほぼ同じくらいだったわけで、まとめ役を担っていたのが天皇家なんやから、アマテラスの権威に絶対性はもともとなかったとは思う
権威の直接的な形成は間違いなく乙巳の変やろね
41: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)16:59:00 ID:bIO
>>39
大王家と他の家の権力関係ってそこまで相対的なものだったのかな?
確かに、倭の五王時代の吉備の勢力は古墳の大きさからして相当なものやと思うけど
それを除いては最大規模の古墳は概ね大王墓で記紀の天皇とも比定できるやろ
行燈山から見瀬丸山古墳まで、同時代の最大規模の前方後円墳はだいたい大王墓に比定できる
43: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:01:09 ID:PJI
>>41
ワイがこの前読んだ本にはそう書いてあったんや…
すまへん、専攻全く関係ないやつやから断言できへん
せやけど、NHKの英雄たちの選択でも、合議制で天皇に権力はあんまなかったって言うてたで
47: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:05:00 ID:bIO
>>43
そうなんか
とは言え、日本史で天皇にちゃんと権力があった時代の方が珍しいくらいやからなあ
むしろ当時から権力を自ら握ることは少ない権威だけの存在だったという可能性も否定できなくないか?
今までの古墳時代の天皇(大王)像って豪族連合のリーダーって感じやけど、寧ろ当時から権力よりは宗教的権威としての意義が重視される立場だったのでは、と最近思ってたりもするんや
48: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:06:50 ID:PJI
>>47
なるほどなぁ
当時から権威付けのための存在として利用されてたというのは、中臣(藤原)の権力拡大を鑑みたら、そう言えるかも知れへん
53: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:12:05 ID:bIO
>>48
継体天皇の継承経緯が怪しいことから逆説的にそう考えてもいる
もしも当時の大王家というのが男系相続というものを重視しておらず、単に有力豪族から政治的リーダーを選ぶだけだったなら、それまでの大王家に代わって大伴氏や物部氏が新たな大王になれば良かったはずや
ところがそうはせずに、越前の地から応神天皇の遠い子孫だなどと名乗る人物を担ぎ出して来たわけや
これは寧ろ男系相続を遅くとも当時には重視してないと起きないことやん
55: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:15:29 ID:PJI
>>53
せやね
間違いなく血統重視の傾向は大和朝廷成立前後の時期から見られるわね
大阪の高井田横穴式古墳群にはたくさん船の壁画があるんやが、大陸や遠方から人を大量に連れてきとるみたいなんや
そうした動きの中に紛れて天皇家に血統的に近しい人間を呼んだ可能性もあるかもしれへんね
57: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:17:56 ID:a7V
というか天皇家って渡来人ちゃうんか。
先進技術持ってた渡来人が出雲王朝とか邪馬台(ヤマト)王朝滅ぼして、
自分らの正当性を主張するために、その王朝以前の系統を創作したんやない?
61: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:21:49 ID:9k0
>>57
正直これはあると思う
62: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:22:06 ID:bIO
>>57
かなり根拠に乏しいと思うんやけど
大王家が九州から移ったと考えても考古学的根拠に欠けるのが問題になるのに
63: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:22:53 ID:lvf
>>57
渡来人説は完全に否定されてたやろ
64: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:23:12 ID:oWN
飛鳥時代以前の大王は武家政権下の天皇と同じように、
実権を分掌する地方豪族のいわば傀儡だったという考えはどうや
豪族間の軋轢を生まないために取り敢えず神聖性を付与して担ぎ上げ、神話は後付け
69: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:28:31 ID:bIO
>>64
ワイも概ねそれで良いと思う
本当に肝心な大王の権威の誕生の経緯までは分からないが、
大王の権威が「何かの理由」で一応確立
↓
有力豪族の上に立つ権威的な存在だが、その権威の正統性を強めるために事後的に神話が確立
の流れであって、最初から神話を根拠に大王の権威が確立したとは考えにくい
68: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:27:02 ID:lvf
中国の皇帝システム輸入するンゴ・・・
→あかんよくわからンゴ・・・、皇帝=神ってことなんか?
→それを説明するために神話作るンゴ
こうやぞ
70: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:32:27 ID:bIO
>>68
まあ中華王朝の影響は多かれ少なかれあるやろけど
当初は天命思想による大王の血統の入れ替わりを認めていたがそれじゃ国が治まらないから「アマテラスから続く男系相続」という神話をつくったのかねえ
そうだとしてそれはいつ頃なのかということも問題になるな
71: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:33:33 ID:lvf
>>70
文字がない=抽象的・理論的な考えが出来ない
つまり天命思想が理解できなかったらしいで
それを説明するために神話ができたということよ
72: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:36:30 ID:bIO
>>71
確かに日本(倭)は文字を使い始めるのは遅いな
倭が本拠を河内・和泉に移してからか
51: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:10:18 ID:PJI
うーん権威は天照に求めるのが素直そうで何にも疑問に思わへんかったなぁ
徐々に権威の象徴的存在になったんやとばかり
56: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:17:16 ID:bIO
>>51
平安時代にもなればそれで間違いないと思うんや
例えば「桓武天皇の権威の根拠は?」って当時の朝廷の官人に尋ねたら「君は天照大神のご子孫でいらっしゃるから」という旨を答えるはずや
でも、じゃあ最初期の大王の権威がどのように形成されたのかと考えると、本当にアマテラスが実在したなどと非現実的な想定をする訳にはいかんし、大王が「当初から」「自らがアマテラスの子孫だと自称したこと」を理由に権威を得たのだと言えるかと言うと、それは違うはずや
アマテラスは後世の人間が天皇の権威の根拠として造り上げた神であって、最初からアマテラスが根拠であったと混同はできないはずや
59: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:19:38 ID:PJI
>>56
いや、乙巳の変の前後でもや
蘇我氏と対立関係にあった中臣もわざわざ王子担いだんやから、やっぱり正当性が欲しかったんやなかろうかと
権威による後ろ盾が平安時代以前より重視されていた裏付けにならへんかなぁと思ったんや
66: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:24:40 ID:bIO
>>59
確かにその時代まで「アマテラス」の正統性は遡れるかもしれんが
結局最初期に「ではその権威はどのように誕生したのか」という問題に突き当たるわけや
67: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:25:33 ID:PJI
>>66
そらもうアマテラスの実在性にまで話を進めなあかんくなるから、キッチリとした解明は無理そうやなぁ
73: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:37:27 ID:s8M
>>66
誕生した「瞬間」はないと思うで
長い歴史の中で徐々に降り積もっていった堆積物が天皇の権威や
75: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:41:05 ID:bIO
>>73
とは言え、纒向遺跡の成立はかなり「突然」に思われるけどな
74: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:37:48 ID:s8M
あと、「天皇家」じゃなくて「皇族」な
日本語は正しく使おう
75: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:41:05 ID:bIO
>>74
え?天皇家って間違いなんか?
76: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:41:47 ID:s8M
>>75
正確には天皇家ではない
血はつながってるけど天皇は一個の家ではないねん
宮家の誰が天皇になってもいいから、血はつながってるが家は繋がってない
77: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:44:14 ID:bIO
>>76
なるほど
日本語の用法には気を付けないかんな
78: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:44:30 ID:s8M
つまり、天皇になるのは先代天皇の息子でない場合も多いんや
天皇の弟の息子とかも十分ありうる
天皇家、って言ってしまうと遡れるのは江戸時代くらいになってまうやろなあ
79: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:46:52 ID:bIO
>>78
それを養子のように見なすのは不適切なんかな?
江戸幕府の将軍もそういう継承だけど正確には「徳川家」とは言えない?
81: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:48:15 ID:s8M
>>79
徳川の場合は徳川御三家やからな
新に宮家が生まれたり消えたりしてるわけじゃなく
三つの家が常に続いてるからまた違うかもしれない
くわしくはわからんが
83: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:52:46 ID:bIO
>>81
日本の相続って天皇や徳川本家の当主を除けば、意外と「男系、それも実の親子関係での」相続って重視されずに
寧ろ養子をとってでも家を存続させるって意識が強いと思ってたのでそこんところ疑問点やな
「親子間の相続でないと一つの家と言えない」というよりむしろ「『家』の方が前提で、実子がなければ親族、それも無理なら養子」くらいの価値観で営まれてるから
徳川本家や御三家に関しては養子のやり取りは普通にあるけどそれを「家」の断絶や変化とは見なさず、寧ろ「個人」の所属する「家」が変わったと見なす
84: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:56:41 ID:bIO
>>83
「皇族」の場合は当然男系相続のみ許されるが
天皇に実子が無くて甥ややや血縁の遠い宮家から新たな天皇を即位させた場合、
それは「家」が断絶したが「皇族」は続いている、というよりは、「天皇」を天職とする「天皇家」に個人の所属する「家」が変わったと見なしても良いのでは?とも思った
ただ>>82で指摘されているように現状「天皇家」にある種の侮辱的意味合いが含まれるのなら、それは慎むべきかもしれんが(そういう事例は知らなかった)
52: 名無しさん@おーぷん 2019/02/14(木)17:11:37 ID:CYf
難しいことはわからないけど不思議と皇室には敬愛の念が湧いてくる
なんなんやろなぁこれ
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