2. 中国最初の皇帝、始皇帝

始皇帝は、紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げ、最初の皇帝になりましたが、数回の暗殺未遂に巻き込まれています。
最初の暗殺未遂は、権力者が送った
秦舞陽と荊軻という2人の男によって起こされました。始皇帝を前にした秦舞陽は足がすくんでしまい実行することができませんでした。荊軻が1人で短剣を使って実行しましたが、
暗殺は失敗し逆に殺害されています。
その後、荊軻の復讐を果たすため、親友の
高漸離が暗殺を目論みますが、2回目も失敗に終わりました。
218年、3回目の暗殺未遂が張良ともう1人の男で実行されます。2人は待ち伏せをして、始皇帝の乗った車を潰すため、約30kgの鉄槌を投げつけましたが、失敗に終わりました。
3. エジプト王、プトレマイオス8世

プトレマイオス8世は、紀元前170年にエジプト征服の後王位に上がり、兄のプトレマイオス6世とともに権力を持ちました。しかし、その後2人の関係が悪化していきます。
紀元前156年、意見の対立から、兄のプトレマイオス6世は弟の暗殺を企てますが、暗殺は失敗に終わりました。その後、プトレマイオス8世は自分を暗殺しようとした兄の娘、クレオパトラ3世と結婚しています。
4. ウラジミール・レーニン

ウラジミール・レーニンはロシアの革命家・政治家で、彼の思想を受け継いだレーニン主義で知られています。1918年1月、ペテルブルクで銃で射殺されそうになりましたが、スイスの共産主義者フリッツ・プラッテンによって助けられました。
1918年8月30日、モスクワ南部の武器工場でのスピーチ後に、2回目の暗殺が実行されます。レーニンが建物を去ろうとした際、女性が声をかけました。振り返ったレーニンに女性は3発撃ち、そのうち2発が肺と肩に命中しています。レーニンは命を取り留めましたが、肺の弾丸は取り除けず、完全な回復はできませんでした。
5. スペイン王、アルフォンソ13世

アルフォンソ13世は、父アルフォンソ12世の死後、1931年から亡命する時までスペイン王として君臨しました。政治的な混乱によって人気に陰りが見えた時、暗殺未遂が起こります。
1906年5月31日、アルフォンソ13世は自身の結婚式の日に、マドリッドの路上で襲われました。革命を起こそうとした男がホテルの窓から、花束に隠した爆弾を投げたのです。王室カップルは無事でしたが、百人以上の負傷者と24人の死者を出しました。
6. エドワード1世

エドワード1世は1277年から1307年までイングランド王として君臨していました。イスラム教徒の手に渡ったエルサレムを取り戻すため、第9回十字軍にも参加しています。
第9回十字軍では、相手勢力を前に成果を収めることができず撤退、エルサレムの王らは休戦を提案しましたが、エドワード1世はその提案を覆し、1272年、10年間の平和条約を結んでしまいました。その年の6月、イスラム教の暗殺集団のターゲットになり、毒付きの短剣で襲われたものの一命は取り留めています。
7. ジェラルド・フォード

ジェラルド・フォードはアメリカ第40代副大統領と第38代大統領を務めた人物です。1975年、チャールズ・マンソン率いるマンソンファミリーのカルトメンバーであるリネットは、環境汚染に対する抗議のため、カルフォルニア州サクラメントでフォードを暗殺しようとしました。
銃口を向けたましたが、銃は発射されずに暗殺は失敗に終わっています。17日後、サラ・ジェーン・ムーアがフォードに発砲しましたが、2発目を打つ前に取り押さえられました。
8. ルイ15世

ルイ15世は5歳で即位したブルボン朝第4代のフランス国王です。1757年、宗教的な不満を理由に、ロバート・フランソワ・ダミアンに暗殺されそうになりました。
馬車でベルサイユからパリに戻っていた時、ダミアンは警備員を追い抜き、ルイ15世を刺しました。幸いにも厚めの冬服を着ていたため、傷を負ったものの無事だったそうです。
9. サッチャー元首相

マーガレット・サッチャーは1979年から1990年までイギリス最初の女性首相を務め、鉄の女として知られています。北アイルランドのゲリラ紛争の統治で、暗殺のターゲットになりました。
1984年10月12日午前2時54分、アイルランド民放解放軍がザ・グランド・ブライトンホテルで爆弾を爆破させたのです。この爆破事件によって保守派の国会議員が5人殺害され、少なくとも31人が負傷していますが、爆発で建物は倒壊せず、サッチャーは無事でした。
10. ナポレオン・ボナパルト
ナポレオンはフランス革命で有名になり、1804年にフランス皇帝になりました。20から30の暗殺が企てられていたと言われていますが、その中でも
1800年12月24日に起こった暗殺未遂事件が最も有名です。イギリスの資金で賄われていると疑われた王族が、パリのオペラ座に向かう途中で、暗殺することを計画します。
ナポレオンが通る場所に散弾と火薬がたくさん入った樽を配置したものの、タイミングが合わず、通過した後に爆発しました。この爆破によって多くの通行人が亡くなり、ナポレオンの妻と姉妹は負傷しています。
11. アメリカ大統領、アンドリュー・ジャクソン

アンドリュー・ジャクソンは1829年から1837年まで、アメリカの大統領を務めた政治家です。1815年のニューオリンズの戦い後、国民的英雄となりました。1835年1月30日、ジャクソンは暗殺の標的になってしまいます。
ジャクソンが国会議事堂を出発した時、失業中の画家だったリチャード・ローレンスは、大統領の頭部をめがけて撃ったのです。しかし、撃った弾丸は不発となりました。ワシントンDCの湿度が高い天候が発砲を妨げたようです。
犯人はジャクソンの経済政策が動機だと主張。また、自分はイギリスのリチャード3世だと言い出し、心神喪失で施設に送られました。
12. イランの最後の皇帝、モハンマド・レザー・パフラヴィー

モハンマド・レザー・パフラヴィーは、1941年から1979年のイラン革命まで、最後のイランの皇帝として君臨しました。イランを統治している間、少なくても2回暗殺の標的になっています。
最初の暗殺未遂は、1949年2月4日、テヘラン大学の設立を記念した式典で攻撃されました。イランの共産主義組織メンバーのトゥデイ党とされるメンバーが、3メートルの距離から5発発砲し、1発が頬に命中しています。
13. アレクサンドル2世

アレクサンドル2世はロシアの皇帝、ポーランドの王、そしてフィンランドの大公として君臨しました。最初の暗殺未遂事件は、1866年4月4日のイベントで起こります。ポーランド系移民のアントニ・ベレススキーが2発撃ちましたが、標的には当たらず、横にいた馬が撃たれました。
1879年4月20日朝、再び暗殺未遂事件が起こります。皇帝がサンクトペテルブルグ警備員広場を歩いていた時、33歳の革命家アレクサンドル・ソロヴィエフが5発撃ちました。幸いにも皇帝に弾丸は当たりませんでした。
同年12月、革命集団はアレクサンドル2世の電車を爆破、1880年2月5日には同集団が、ウィンターパレスの食堂で爆弾を仕掛け、11人の死者と30人の負傷者を出しています。アレクサンドル2世は、出席が遅かったため事故に遭遇しませんでした。
14. アメリカ元大統領、セオドア・ルーズベルト

セオドア・ルーズベルトはニューヨーク州知事、アメリカ副大統領、アメリカ大統領を務め、日露戦争の仲介をした功績でノーベル平和賞を受賞しています。
1912年10月14日、ウィスコンシン州ミルウォーキーで大統領候補として選挙運動をしていた時に撃たれました。
メガネケースと50ページに及ぶスピーチのコピーによって、弾丸は急所を外れたそうです。
15. マーティンルーサーキングJr.

マーティン・ルーサー・キングJr.は、キング牧師で知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として人種差別と戦った人物です。
1958年9月20日、ニューヨークのハーレムにあるデパートで行なわれた彼の著書のイベントで襲われました。
精神疾患を患っていた犯人は、キング牧師が共産主義者と共謀していると信じて、レターオープナーで刺したのです。キング牧師は緊急手術を受け、数週間入院したのち回復しました。しかし、1968年4月4日、白人至上主義者、ジェームズアールレイによって暗殺されています。
16. アドルフ・ヒトラー

アドルフ・ヒトラーはその過激な政治手法のため、無数の暗殺計画の対象で、推定では42の暗殺計画があったとされています。
1932年に起こった初期の暗殺未遂事件は、ヒトラーと何人かの親密なメンバーがホテルでの食事中、毒殺されそうになったというものです。
7月20日には、隠れ家での会議の間に、爆弾で暗殺されそうになりましたが、ヒトラーは軽傷でした。しかし、この事件で3人の死者と20人以上の重傷者を出しています。
何度標的になっても、タイミングよく巻き込まれなっかった人や、幸運にも急所を外れた人など、やはり歴史を動かす人は強運の持ち主が多いのかもしれませんね。
via:HISTORY COLLECTION
不思議ネタ募集中
不思議.netで扱ってほしいネタ、まとめてほしいスレなどがあれば、こちらからご連絡ください。心霊写真の投稿も大歓迎です!
面白いネタやスレは不思議.netで紹介させていただきます!
■ネタ投稿フォームはこちら
https://ws.formzu.net/fgen/S13082310/