最近若いタレントに勧められて、洒落怖の朗読を夜中に聞いている。作業しながらや眠りながら聞く怪談は中々乙なものであるが、洒落怖は「実話とは限らなくてもよい」とされているので、多分に創作話が多い。
ある企業から実話怪談の審査をしてくれと言われて作品を見たところ、どう考えても実話とは思えないような事例が多くて驚いた事がある。それはそれで楽しい審査ではあったが、商業作家になりたい20代、30代の腕試しのような作品が多くて、心霊現象を実際にあるものだと思っている筆者にとっては違和感を感じるものであった。
世代による認識の違い
20代30代と、40代50代の間で実話怪談に関する認識の違いが出てきている。
40代以上が違和感を感じる明らかに造られた話でも、若い人たちは実話として認識してしまう。これは洒落怖や超怖い話の影響が大きいのだろう。もちろんそれもひとつの分野として成立しうるものではある。
だが、新耳袋が確立した実話怪談として一緒にくくってしまっていいものだろうか。洒落怖などを読んでいると、明らかに書き手が執筆しながら高揚して過剰なまでに表現してしまい、大人の読み手がしらけてしまうシーンが何度もあった。
実話怪談にはちょっと引いたスタンスと、淡々とした覚めた視線があってしかるべきで、内臓が飛び血がほとばしる残虐ホラーは実話怪談とは言いがたい。何年も実話怪談もどきを読んでいるうちに、明らかに作り話と思える話を描いてしまう人物もいるようなので、ここで立ち止まって冷静に考える時期に来ているのかもしれない。
筆者に対するクレームで、筆者の出した怪談本を呼んで「洒落怖に対して怖くない」というものがあり、少々困ってしまう事があった。実際に聞き取れる怪談というものは意味不明であったり、オチが無かったり、地味な話であったりする。地味な話を実話と認識し、怖く感じられる能力は現実社会でも仕事・適応能力にも合致するような気がする。
世の中とはそんなにドラマチックなものではない。人生とはそこまで劇画チックではない。淡々とした日々の中に時々顔を出すほんのりした怖さが本当の怪談なのだ。
ぼくは今日も実話怪談という定義に頭を悩ませている。
文:
山口敏太郎

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