2.住民と生活
工場では15,000人が働いており、この閉ざされた町に従業員とその家族が住んでいます。郵便局や教会、学校や飲食店、食料品店もあり、
人口はおよそ10万人です。街には独自の紋章もあり、黄金のサンショウウオが描かれています。
3.街を囲む厚い壁と防護柵
街は厚い壁と防護柵で囲まれており、通常、部外者は入れません。
住民たちはほぼ監禁状態で、各門には
警備員が重武装して立っています。現在、住民は自由に立ち去れるようになりましたが、かつてはソ連高官だけが出入りを許可されていました。
4.常に監視される住民たち
街の存在は極秘であったため、住民たちは常に監視されていました。
監視カメラは至る所に設置され、街にはソ連の秘密警察が潜んでいたそうです。警察や諜報機関を統括していたNKVDやKGBは住民の会話を常に聞き、人々が秘密の計画を企てていないか確認しました。
疑わしい場合、住民たちは秘密捜査官に尋問され、秘密情報を暴露させられ逮捕されています。昔
ほど厳しくありませんが、今も監視は続いているそうです。この街を描いたドキュメント映画の関係者は警察から圧力を受け、投獄されないように国外に避難しました。
5.他の都市にはない贅沢を政府が提供
オジョルスクの住民は街を永久に離れることもできますが、大抵の人は立ち去りません。なぜなら、市民が生活に満足するように、政府が多大な努力をしてきたからです。
この街には、公園や劇場、美しい湖があります。
暴力的な犯罪もほとんど起こらず、食料品は他のエリアよりも安価で高品質です。全国的に食料が不足していた時も、オジョルスクの住民だけはバナナやチョコレート、キャビアまで入手していました。
6.街全体が放射能汚染されている
この街が魅力的に見える人もいるかもしれません。確かに、政府が環境を整えてくれている上、のどかで美しい湖「オゼロ・イルチャシュ」は水泳や釣りに最適です。
しかし、この湖は汚染が進んでおり、地元では
死の湖と呼ばれています。かつて、
マヤーク核技術施設が有機廃棄物を湖に流していたため、地域は完全に汚染されてしまいました。土壌や植物、大気中にも放射能が含まれており、住民の健康に悪影響を与えています。
7.住民への健康被害
オジョルスクの住民は、昔から放射能による健康被害を顕著に感じていました。しかし、政府が否定しているため調査できません。医師は患者に放射線中毒だと伝えることも禁止されています。その代わりに、病気は特殊疾患と呼ばれ、患者は治療を受けずに秘密扱いにされました。
最近の研究では、
オジョルスクの住民はガンの発症が一般よりも2倍以上高く、慢性放射線症候群の発症率が高いことが判明しています。
8.史上3番目に最悪な原発事故が発生
チェルノブイリの原発事故は有名ですが、マヤーク核技術施設で発生したウラル核惨事はあまり知られていません。1957年9月29日、冷却システムの1つが故障して核廃棄物のタンクが爆発しました。
爆発による死傷者はいませんでしたが、放射能が周辺地域に拡散しています。住民は27万人だったにも関わらず、避難したのは11,000人だけでした。国際原子力事象評価尺度で、
この事故はレベル6と評価され、数日で300人が放射線中毒により死亡しています。
60年代に事故に関する噂が流れたものの、
ソ連政府が必死で隠蔽していたため、住民以外の人々は気が付きませんでした。1976年にソ連の科学者が隠蔽に異議を唱えて、事故を暴露しています。
9.地球上で最も汚染された場所
カラチャイは最も汚染された湖で、死の湖「オゼロ・イルチャシュ」よりも汚染が進んでいます。人間が1時間立っているだけで、致命的な放射線にさらされるほどです。
この湖に繋がるチェチャ川に、マヤーク核技術施設が毒性の放射線廃棄物を流してきましたが、人々は50年初頭まで問題視してきませんでした。
この湖の汚染はチェルノブイリ事故の100倍と推測されています。
1967年の干ばつで湖の水位が下がると、水に浸っていた堆積物が太陽にさらされ、乾燥して放射線の粉じんを発生させました。粉じんが風で散らばり、さらに汚染地域が広がっています。
そのため、危険な堆積物が移動しないように、政府は大量のブロックを湖に置いてセメントの下に埋めました。しかし、ゆっくりと汚染物質は地下水に浸透しており、完全な策ではありません。
10.1994年まで街の存在が秘密になっていた
オジョルスクは、チェリャビンスクという大都市の近くに位置していたため、当初チェリャビンスク-40と呼ばれていました。その後、郵便番号の下2桁をとって、チェリャビンスク-65と呼ばれています。
1994年に現在の名称になり、正式にロシアの地図に加えられました。最終的に市民も法的に認められるようになったそうです。
11.厳しい現実
政府の認知によって、
住民は正式な出生証明書や他の法的書類を入手できるようになりました。また、生活に必要な補償を政府から受けれることを知ります。
しかし、オジョルスクの住民、特に1994年以前に生まれた人々は、なかなか認められません。その結果、必要なサポートが受けられていない人が多数います。
秘密警察の監視に放射能汚染…とても恐ろしいですね。
昔の住民は一度もシティー40の外に出ることなく亡くなっているのかもしれません。
via: Ranker