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三国志の劉玄徳について

2019年08月09日:20:00

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コメント( 44 )

劉玄徳とかいう奴wwww




1: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:33:22 ID:UfX
気になって纏めて見たんやが色んな資料と照らし合わせすぎて訳分からんくなって草

信憑性にかけるものが多くて憶測推測が入るけどそこは堪忍してほしいやで
三国志の武将クイズ出すから答えってってくれよん
http://world-fusigi.net/archives/9275216.html

引用元: 劉玄徳とかいう奴wwww





2: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:33:48 ID:UfX
んじゃゆっくりあげてくやで

3: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:34:05 ID:Esr
イッチ頑張るんやで

5: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:35:40 ID:UfX
【劉備 玄徳】(161~223)
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蜀漢・昭烈皇帝
漢の中山靖王・劉勝の末裔とされる
黄巾の乱の際に挙兵し、その後多くの勢力を渡り歩く。
諸葛亮を軍師として迎えて雄飛し、益州・荊州を領して
漢中王、後に蜀漢の皇帝に昇った。
演義では仁徳の人として描かれる。
祖父に孝廉に推挙されて東郡范県の令となった劉雄、父に劉弘、叔父・劉子敬、親族・劉元起という者が居た。

・劉備「いつか皇帝の車に乗ってやるで!!」劉子敬「滅多な事を言うなや、一族が滅ぶで」

・同居人、李定「この家からは貴人が出るだろう」先主伝・漢晋春秋より

・劉備の学費を負担することを妻に問われた際に
劉元起「我が劉一門の中でも並みの子ではないからやで」 とまで言われる

・この劉元起の子供と共に大儒学者・盧植に学んだときに公孫?と学友になり弟として彼と仲良くなる。
 これを踏まえ洛陽等でで色んな人間と交友関係を持った可能性があり中には後に魏の将として活躍する。
 牽招とも交友があったとされる。

・盧植というビッグネームに学んだことが大きなステータスになり以後、名士受けが良くなったのかもしれない。

・当時の人物像に喜怒哀楽を表情に出さずに寡黙な一方で良く人にへりくだる事が出来た。
・読書に励まず闘犬、乗馬、音楽、衣服に拘る生活をする とあったのでコミュ力がありまくっていた模様。

 少なくともこれで富豪ではないが貧乏では無いと分かる。
https://i.imgur.com/babvFyX.jpg
https://i.imgur.com/tXh3upg.jpg

6: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:38:49 ID:UfX
【関羽・張飛との出会いと挙兵~徐州統治】

・関羽や張飛とどのタイミングで出会ったか不明だが、塩の商いをしていた関羽が交易ルートを通じて并州、幽州へ訪れ
 劉備と出会った可能性が挙げられる。
 商人の護衛や賊退治で評判を挙げ、それが大商人の耳に入る
(当時、義兵と言えど盗賊紛いが非常に多かったため、信用のおける傭兵団はとても貴重な存在だった
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・大商人の張世平・蘇双に支援を受けて、関羽、張飛、簡雍、田豫らと挙兵が初陣。
 この2人から大金を預けられる以前から徒党自体は組んでいた模様。

・大商人の張世平・蘇双に支援を受けて、関羽、張飛、簡雍、田豫らと挙兵が初陣。
 この2人から大金を預けられる以前から徒党自体は組んでいた模様。

・商人と地域の用心棒から挙兵に至ったのは184年、黄巾の乱後は安喜県の尉になっているので少なからず戦功は挙げた模様
 督郵をフルボッコにして印綬を投げ捨てる→演義では張飛がやる。

・その後何進の命を受けた毌丘穀に従って丹楊に向かう途中で賊を撃破して戦功を挙げる。

7: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:40:05 ID:Esr
これ間違い訂正していい感じ?
横から茶々入れたらうるさいか

9: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:41:26 ID:UfX
>>7
ええで、ワイも信憑性高い情報知りたいし

とりあえずはってくわ

12: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:42:53 ID:Esr
>>9
サンガツ
関羽の塩商人は民間の伝説やで

8: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:41:07 ID:uKL
実家は貧乏だけど一族はそうじゃないってことやろ

10: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:42:13 ID:UfX
>>8
せやね、母方は貧しいが、親族は裕福な方だったみたいやね

11: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:42:48 ID:uKL
塩密売はあくまで推測やないか
毌丘殻との遠征は桃園の前やないか

うーんわからんw

14: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:47:12 ID:UfX
>>11
そこ事細かに分からんかったんよなぁ…
遠征に関しても前後関係が良く分からん

塩に関しては関羽自信が商売に携わってたのか塩商人関係を
護衛してたとか説もあったがマジで分からん

15: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:48:51 ID:nMO
桃園は史実でないと聞いたが

16: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:51:27 ID:UfX
>>15
桃園の誓いに関しては演義のものと判断することにしたで

義兄弟の誓いは何らかの形でしたんちゃうか?もうそこは想像するしかない

17: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:52:43 ID:UfX
・霊帝死後は曹操と反董卓の兵を挙げる→演義では黄巾の乱で出会うが、初対面はこのタイミング。 先主伝・英雄記より
(217年魏の侍中・王粲が編集
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・冀州の高唐の県令になり、二袁の争いが本格化すると、袁術派に近い公孫?の別働隊長として袁紹と戦い、戦功を挙げて平原の相に昇進

・192年、黄巾賊の管亥に包囲された孔融の救援として大史慈の要請に応えて三千の兵を派遣、管亥を撃退。

・193年に曹操が陶謙を攻めると、田楷に従って私兵一千と烏丸騎兵を率いて救援に向かう。

・途中で流民を組み入れて大軍に見せかけて徐州を救援、大敗後は陶謙に代わって曹操・袁紹の軍と戦う
 陶謙は強兵で知られる丹楊兵四千を劉備に預け、曹操が兵糧不足で退却した後も手元に留めている。
 その後、予州刺史となる→袁術派の公孫瓚陣営から離れようとしていた(公孫瓚が劉虞を殺して衰退の道を辿っていた為。

・小沛に駐屯。ここらへんで陳到、一時的に陳羣も配下に加える(名士が仕える、孔融辺りの繋がりを匂わせる)
 徐州統治後には当代屈指の学者・鄭玄から孫乾を預かっていることから名士の中でかなり深い関わりがあった模様。

・194年、曹操侵攻→劉備・曹豹が対抗するも撃破される→曹操は呂布・陳宮が叛乱したので退却。

・陶謙危篤
 陳珪・陳登親子が劉備を説得。 陳登の叔父は揚州刺史だったが、袁術と争って地位を追われてる
 弟も袁術に捕まって脅迫されていたのでアンチ袁術派だったと推測。

・陳羣「え?徐州を治めるんですか?袁術と戦うはめになるし呂布に背後を突かれますよ?」と反対。

18: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:55:50 ID:Esr
劉備は調べれば調べるほど名将で梟雄と思えてくる

20: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:58:21 ID:UfX
>>18
梟雄って言葉は合ってるわ
だんだん徐州に入った後にその片鱗を見せてくる

19: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:57:02 ID:UfX
劉備の徐州統治に関して
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陶謙「劉備でなければ徐州を安定させることはできない」糜竺に対し、先主伝

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冀州牧・袁紹「劉備は度量ある立派な人物で信義がある。徐州が彼を迎えるのは私の希望に沿った事だ」陳登の使者への返答 献帝春秋より

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青洲刺史・孔融「袁術のボケなんか気にしないで民に支持されている君の様な有能な物が徐州を継ぐべきだ」

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陳登「傑出した雄姿、王覇の才略を持っている劉玄徳を尊敬している」陳矯伝より とめっちゃ評価される。

・この辺りで袁術派から袁紹派に鞍替えしたっぽい→袁譚を茂才に推挙し、袁紹との結びつきを図る→人物を推挙できるくらい声望のはあった模様
 呂布を招き入れる、戦力補充のためか。

21: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)19:58:29 ID:uKL
劉備の募兵はいつやろ
最初の張世平のときか逃亡して公孫瓚に逃げたときか

22: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:00:47 ID:UfX
>>21
大商人2人のバックアップで募兵した可能性は大いにあるな

24: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:03:14 ID:Esr
>>21
商人のお金のおかげで人を集められたと蜀書にあるからそれやな

26: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:04:59 ID:UfX
>>24
てか大商人の目に留まるくらいその時点で評判が高かったんやろな

27: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:06:00 ID:Esr
>>26
恐らくね

25: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:03:21 ID:UfX
【徐州失陥~袁紹の元へ】

・196年袁術北進(袁術は孫策を使って江東へ勢力拡大)曹操と通じて鎮東将軍の官位を得て、劉備は淮陰で袁術と戦う
 一ヶ月後、袁術と組んだ呂布が寝返り本拠陥落→結果的に劉備は徐州を捨てている
 陳宮ら「劉備を手懐けるのは無理ですわ、殺しましょう」と呂布に進言するも却下される。
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・袁術「呂布将軍には3つの功績があるで」
 1、董卓を討って一族の仇を討ってくれたことで私の恥を防いだこと
 2、曹操の本拠地を撃破して再起の時間を稼いでくれたこと
 3、劉備とか言う田舎者を討つ手助けをしてくれたこと    袁術が呂布に送った手紙

・袁術「流石は呂将軍や!見返りで十万石の兵糧、武具を贈って迎えに参上するで!」→されない(孫策の独立が関係か

・呂布「劉備を罵倒する文書書いてや」袁渙「は?嫌や」呂布「ええから書けや!(武器ツキツケー」
 袁渙「は?他人を辱めるのは文書ではなく、その人の徳が高ければ対立する者が辱められるんやで」呂布「」

・劉備の軍は四散したが、この兵を集めると呂布に降伏、なぜか殺されずに小沛に駐屯させられる→呂布が徐州刺史
 徐州での声望があり、袁術と互角に戦う名将で多くの兵を抱えていることから敵だらけの呂布の立場を読んで自分を売ったのか(信憑性は薄
 泰山の臧覇が敵に回る恐れがあったことも関係か。

・袁術、紀霊に三万の兵で劉備攻め開始
 呂布「アカン、袁術派の包囲網に囲まれる」といって急行
 呂布「ワイ、戦嫌いやねん」紀霊「は?」劉備「は?(サンキューリョッフ)」→戟を弓で射て仲裁

28: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:07:30 ID:UfX
呂布に本拠取られる→降伏 の流れの身の振り方は大博打レベル

普通やったら殺されてるが、ここら辺の駆け引きはすごい

30: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:10:24 ID:UfX
公孫瓚が皇族で声望の高かった劉虞を殺した結果身を滅ぼしたように
すでに声望の高かった劉備を殺せばこの二の舞になるのを呂布が考慮したのかしてないのかは分からんが
陸戦指揮官としても有能だった劉備はちゃっかり前線の小沛に配置されている

31: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:12:31 ID:uKL
降伏というか和睦とちゃうか
海西で麋竺に支援されて回復しとるし転任先小沛でも一万手にして呂布にビビられてるし力関係は同等?

32: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:14:25 ID:UfX
>>31
確かに和睦ってのもしっくりくるな
声望的には劉備が上なんよな、戦力的にも利用されたってのが正しいのかも

34: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:14:40 ID:UfX
・198年劉備の元に兵が集まり始めると呂布が劉備を攻める(曹操と劉備に密約があった事が浮上)
https://i.imgur.com/1S9OTo2.jpg
https://i.imgur.com/Q6OySeQ.jpg

 ゲリラ戦で呂布の馬購入を阻む→呂布ブチ切れて高順・張遼派遣、夏侯惇が援軍に来るが防戦の末敗走
 このタイミングで曹操が本体(青洲兵)を率いて呂布攻め、呂布本隊を二度撃破し下邳まで侵攻
 荀攸・郭嘉の策で内応&水攻め→呂布捕縛

・呂布「曹操ニキが歩兵、俺が騎兵を率いれば最強やで!!」劉備「は?どうせこいつ裏切るで」呂布「こいつが一番信用ならんで!!」→呂布処刑
 劉備、曹操から左将軍に任ぜられ厚遇されまくる。
 挙兵から約15年で大・車騎・驃騎・衛将軍に次ぐ四方将軍に昇進。この時点で後漢の高官としてすげえ偉い地位に。

・曹操参謀陣は袁術征伐に劉備を派遣することに猛反対
 程昱「劉備はずば抜けた才能を持っている上に人心を掴んでいて人の下にいる人物じゃないで、早く殺すべきや」
   「なんで殺さんのか理解できん、あいつに兵を貸せば絶対裏切る」
 郭嘉「気持ちは分かるけど殿を頼ってきた劉備を殺したら他の名士は去っちゃうで、止めた方が良いで、今は」

   「劉備を自由にしたら碌なことないですよ」袁術征伐の時
   「袁紹は迅速では無いで、挙兵したてで人心を掌握していない劉備を殺しましょうや、あいつの謀反は軍存亡の危機やで」→袁紹は動いたが于禁、楽進が撃退

 董昭「劉備は勇敢で野望を持ち、関羽・張飛とかいう支えがあるんや。奴の心について判断を下すのは早計や」

 曹操「うーん、却下!!」

35: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:18:06 ID:UfX
呂布捕縛時の呂布と劉備の絡みがすこ
どっちもどの口がいうんやって感じで

36: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:18:52 ID:UfX
・結局袁術討伐に行かせる(ここで車騎将軍・董承と曹操誅殺の密議があった可能性が。
 董承は擁立時に袁術と組んで曹洪の軍と交戦している、政治的対立が曹操とあった(ちなみに董承・伏完は外戚 ぶっちゃけ忠臣とは言い難い
 結果的に劉備は都を出る。

・袁術軍は劉備と戦う前に病死、軍は四散→朱霊らと別れた後徐州で車冑を討ち徐州の大半を占拠、昌豨もこれに呼応し数万の軍隊になる
 昌豨→事あるごとに反逆しまくり、曹操が15回程攻めたが最終的には屈服させられなかったほどの面倒くさい武将、于禁の旧友。
 糜竺・糜芳が合流、陳登、臧覇は静観 陳登は曹操派、このとき孫策が南に攻めてきており劉備討伐どころではなかった。

・董承一派処刑&官渡で袁紹と対峙中
 劉岱(皇族の劉岱とは別人)・王忠を瞬殺。

 劉備「お前らなんざ相手にならんわ!曹操が来るなら分からんけどなガハハ!!」献帝春秋出典(この発言は信憑性が薄

 曹操「来たで~」劉備「ヒエッ…」劉備軍は崩壊し関羽が捕虜に。なお劉備は曹操本隊が来たと知った瞬間に兵士を見捨てて逃走。魏書より
 家族が捕虜(三回目くらい)

41: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:23:32 ID:UfX
・袁紹は徐州に援軍を出してたがこの好機には動かず、郭嘉の言うとおりに。
 劉備は袁紹のもとへ、青洲の袁譚がこれを迎えて歓迎し、袁紹本人も鄴から200里先で出迎える。
(徐州を継いでからここまでブレずに袁紹重視だったともいえる、徐州を起点にする関係上曹操と接近したが)
 ちなみに師匠の盧植も最後は袁紹のところにいた、ここらへんで趙雲合流、独自に募兵もしている
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・袁紹進軍、文醜と共に劉備は騎兵を率いて出陣、文醜が荀攸の策で戦死すると撤退し、今度は進軍を任される。
 袁紹は袁氏の本拠、汝南へ劉備を派遣し元黄巾賊の劉辟と連携し後方撹乱する。

・曹操は満寵や李通らを派遣し鎮圧に出る、劉備は許都周辺で転戦、袁氏の支持者は満寵が鎮圧したが
 劉備対策に曹仁を本隊から派遣し、劉備を撃退する。

・関羽と合流し、一度袁紹の元へ戻った後もう一度汝南へむかうが袁紹から離脱している。
 劉備「劉表使おうや」と訴えるが、とうの劉表は曹操と組んだ長沙の張羨、桓階の鎮圧で動けず(夏侯惇が謀反を起こさせたとの説もある

・劉備、関羽、張飛、趙雲らを率いて汝南に駐屯、規模一千あまり、曹操は蔡陽を派遣するも撃破される→蔡陽戦死。
 曹操は袁紹を退けたあと汝南に向かうもこの時すでに糜竺・孫乾を劉表のもとへ向かわせ、戦わずに荊州へさっさと逃走。

・劉表の客将として約三年間最前線を守る。

47: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:29:43 ID:ENV
イッチは史学科出身とみた

48: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:31:15 ID:Vod
蔡陽の兵力はどんなもんやったんやろ
劉備、関羽、張飛、趙雲他にも将軍クラスおるやつらの一千には5000くらい出さんとヤバイやろ指揮官戦死してるし

51: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:39:18 ID:UfX
>>48
加えて劉辟もおったようやしな

52: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:40:51 ID:Vod
>>51
劉辟おったんかその前の曹仁戦のときにやられたかと思った

55: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:42:20 ID:UfX
>>52
蒼天の描写だと曹仁戦で死んでるが詳細不明やった
その前後で死んでる臭い

53: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:40:52 ID:UfX
この荊州の北で三年間成りを潜めていた期間が今後を左右してくる

57: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:44:08 ID:UfX
【雌伏から飛躍】

・204年博望坡で曹操軍と戦闘、蜀書では守備、魏書では攻撃側と記される
 時期的に曹操が冀州を攻め取る直前。

・夏侯惇、于禁、李典が従軍、劉備は伏兵を用意し自分の陣を焼いて撤退
 追撃してきた夏侯惇、于禁を包囲し殲滅しかけるも李典が救援(釣り野伏せ
 なお諸葛亮はまだ居ない。

・荊州の名士に受けが良く、戦乱を避けて荊州にきた人達に人気があった(劉表が警戒するほど
 軍閥としては一万くらいの規模、ちな挙兵から30年経過。

 劉備「曹操が北に言ってる今がチャンスやで」劉表「却下やで」

・207年諸葛亮加盟(三顧の礼)
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58: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:46:06 ID:UfX
・劉表軍閥の非主流派らを取り込もうとし、劉琦に近づく
 ちなみに劉表、蔡瑁と縁戚だった諸葛亮は内情をある程度知っていた模様。

・諸葛亮は劉琦に晋の文公の故事を挙げて江夏に向かわせる、この時江夏郡は黄祖を討った孫権が半分ほど所有。
 劉表が死に、劉琮が後を継ぐが曹操が南下、劉琮は速効で降伏するが劉備には伝えず。

・この時劉備は樊城に駐屯していたが、曹操が来た事を知って襄陽まで退く。
 諸葛亮が荊州を取ることを勧めたがこれを断る→劉表の墓参りに行った結果、劉琮軍や民の一部が劉備に帰順。

・関羽に別働隊(主力部隊)を率いさせ数百艘の船で漢水を下らせる。
 十余万の民衆が従う(以前の劉備なら速効で見捨ててるが、今回だけは民を率いるという点)民衆で曹操軍を撹乱するため?
 本隊一万、江夏の劉琦が一万、合わせて二万の兵力を温存。

・劉備が江夏を拠点にした場合、孫権が戦う気なら参戦せざるを得なくなる位置になる
 これで劉備が潰れれば孫権は苦戦は必至になる

・劉備は民を連れてゆっくり撤退(囮)、結果的に主力から目がそれて劉備の声望が上がり、曹操の声望が下がる
 趙雲が家族の一部を救出に成功するが、徐庶が捕虜になる
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・奮武将軍・程昱 「孫権は後を継いで日が浅く声望も無い、片や劉備は英名があって関羽張飛がいる、
 孫権は劉備を使って我らと対抗すると思うで、我が軍の脅威が去れば分裂するだろうが劉備はこれを利用してもう討てなくなるに違いないで」 
 孫権との連携について 程昱伝より

66: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:57:31 ID:UfX
レッドクリフの映画にもあった長坂の撤退戦やがこれまでと違った戦術を取ってるのが分かると思う

今までの劉備→曹操が来ると兵士を見捨ててすら逃走
この時→十万近い民を連れてゆっくり逃走

結果的に主力は逃げ切り、戦力は温存できてる

68: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)20:58:16 ID:Vod
流石に曹操軍も民盾にされたらなあ

75: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:01:41 ID:UfX
>>68
もし民草を殲滅でもしてたら荊州どころか勢力圏意維持も危うくなるからな
劉備がそこらへんも計算してたのかは知らんけど、劉備軍主力の撃破に失敗してる&劉備を取り逃がしてる

78: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:05:23 ID:UfX
【赤壁戦役】
・劉備は諸葛亮を孫権の元へ遣わし、結果的に周瑜と連合して曹操と対抗する
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・孫権は周瑜、程普ら水軍数万を派遣し、劉備軍と協力して戦い、軍船を焼いて撃破した
 周瑜、劉備は水陸に分かれて進み、南郡の曹操軍は疫病で被害が出た為、許都に撤退 先主伝

・ぶっちゃけ周瑜の兵が三万位と少なく曹操を倒せると思わなかったので関羽張飛と二千ばかりの兵を率いて後方待機
 進退のどちらもとれるようにしてた 先主伝注、江表伝 この説は孫盛にボロクソに批判されている

・赤壁に到達して劉備軍と戦ったが普通に負けた上に疫病が大流行し、撤退  武帝記

・火攻めで曹操軍を撃破した後に周瑜は劉備軍と共に南郡まで曹操を追撃した 周瑜伝注江表伝 より

・この時の疫病とは水、巻貝、魚を媒介とした住血吸虫説があったりする、北と南の風土の違いも大きく、多くの疫病死者を出す

色んな説を纏めると
・劉備は二万の兵を率い、三万の周瑜軍と共同で曹操軍と交戦
 劉備は陸軍戦力としてこれにあたっている
 追撃から南郡攻防戦で主戦力になり、張飛を周瑜につけ、関羽に陸戦部隊を率いさせて曹仁や満寵、李通らと戦わせる

・劉備自身は江陵の対岸にある公安に本拠を構え、この後劉備が指揮を取り南の四郡を取っている(関羽・張飛無しで)

演義のような赤壁の戦いが本当にあったかどうかは置いといて
・1、劉備が根拠地を得た
・2、孫権陣営が反曹操で固まる
・3、劉・孫の連合で曹操の南征が困難になった  っていう結果になる。

・孫権は南郡・合肥を取ろうとするが結果的に失敗
 劉備は劉琦を荊州牧に立てて多くの荊州人士が集う、馬良、向朗、黄忠等が合流。

79: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:05:27 ID:Vod
劉備は人を見る眼は凄いんやろな

83: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:09:41 ID:UfX
>>79
若いころに都や門下で色んな人と会ってるからそういう目を養ったのかもな

82: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:09:02 ID:Vod
孫権はよく会戦派と降伏派の豪族達まとめたわ
この頃まだ20くらいやろうに

85: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:10:53 ID:Vod
魯粛には「俺は名家やから大丈夫やけどお前はあかんで」とか二張にクドクド言われたら酒ものみたくなるわ

88: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:13:28 ID:uKL
劉備が死んでから人間関係で破滅していった連中は多いけど
劉備存命中に誹謗の罪で処刑された彭羕さんまじ彭羕さん

89: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:14:11 ID:UfX
>>88
馬超「すまんな」

95: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:17:23 ID:uKL
>>89
あれ不思議よな
「俺とお前が活躍すれば天下統一や!」って言っただけで処刑ってなんやねん

96: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:18:19 ID:UfX
>>95
馬超「謀反やんけ!!チクったろ!!」って流れだった気がする

91: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:15:46 ID:UfX
【京城会談~蜀へ】

・209年劉琦が死に、ここで孫権と外交バトルが始まる。
 郡臣に自らを荊州牧に押し上げさせ(刺史より牧の方が権限は強い)、荊州の領有権を主張しつつ孫権にも配慮
 左将軍の立場から会稽太守だった孫権を車騎将軍・徐州牧へ上奏する(自称)
 結果官位が低かった孫権はこれを受け、妹を劉備に嫁がせる(魯粛が関係)
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・周瑜の南郡制圧が落ち着いたタイミングで劉備が孫権の本拠・京城へ向かって会談する
・孫権に荊州牧就任を認めさせる
・孫権が劉備軍吸収を否定

・魯粛が劉備の荊州所有権を認めるように進言→厳密に劉備の領土と接する南郡の所有権について。

・周瑜と魯粛はここいらでお互いに明確に違う戦略を打ち出しており、孫権は魯粛の意見を採用するようになっている
 周瑜・呂範らは劉備を京城に引き留めるように進言。

・周瑜「劉備は梟雄、関羽・張飛といった勇将を配下にしており人の下にいるような人物ではないで、
 こいつヤバいんで呉郡に宮殿造って美女や宝物漬けにして骨抜きにしたほうがええで、関羽・張飛は別々の地方に配置し、
 ワイが彼らを率いれば天下取れますで、こいつらを三人一緒に置くのはダメです」と進言。

・だが劉備軍の解体も吸収も出来ないと孫権は判断。
 翌年に周瑜が病死、後任は魯粛になり、南郡は劉備に譲られる。

・劉備は廬江の雷緒らの兵を吸収、少なくとも五万規模の勢力へ。
 
・孫権「せや!!益州を共同攻略しようや!!!」劉備「嫌です」

97: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:18:32 ID:Vod
周瑜「劉備は梟雄、関羽・張飛といった勇将を配下にしており人の下にいるような人物ではないで、
 こいつヤバいんで呉郡に宮殿造って美女や宝物漬けにして骨抜きにしたほうがええで、関羽・張飛は別々の地方に配置し、
 ワイが彼らを率いれば天下取れますで、こいつらを三人一緒に置くのはダメです」と進言。
どっかの郭嘉みたいなこと言ってるな

99: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:20:05 ID:UfX
>>97
賢い人間達って大体この意見に落ち着いてるよな
先見性がありすぎる、まぁそれだけこいつらがヤバいって判断なんやろが

102: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:20:53 ID:O9p
>>97
結果だけを見れば劉備さんが寄るとそこが戦地なって壊滅した挙句
その土地の名士を何人か配下にして去っていくという移動型災難だからねぇ

100: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:20:08 ID:Vod
この辺の曹仁強すぎるわ孫権軍陸戦が苦手なんかもしれんけど

124: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:32:25 ID:UfX
・211年、劉璋に協力し、張魯と対峙するために三万程の兵で益州入り、関羽ら主力は荊州に残す(が警戒される
この時の主力は龐統、黄忠、簡雍、ここに魏延もいたがまだ無名。
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・劉備の入蜀について劉璋陣営からコメント
 主簿・黄権「劉備は部下として扱えば満足せず、賓客とすれば国に2人の主がいることになる、こんなことになるなら
 国境を封鎖して情勢の変化を待った方が良いです」劉備の蜀入りに反対 黄権伝

・劉巴「劉備は英雄なんでそんなの益州に入れたら虎を招き入れるようなもんやんけ」(これは信憑性薄

・巴郡太守・厳顔「これこそ一人で山奥に座し、猛虎を放って身を守ろうとするのと同じやで」張飛伝注
 と、めっちゃ警戒される。

・このタイミングで曹操は馬超と交戦している。

・212年 曹操が南進したタイミングで龐統の策を採り一気に益州を奪う作戦開始、まず益州から退却するする詐欺を行う
 荊州で関羽が楽進と小競り合い (青泥の戦い
 だがこれに成都の劉備派・張松が引っかかって事が露見してしまい処刑される。

・これに前後し、劉備は要所である白水の楊懐、高沛を討ってその兵を吸収、益州侵攻が本格化
 今までの声望をかなぐり捨てるレベルの勢いで行う。

・涪で冷苞、張任を撃破、綿竹で李厳(荊州出身)を降伏させる
 同じくらいに諸葛亮、張飛、趙雲らの三軍が益州に攻め上がる
 雒城で劉璋の子、劉循が約一年にわたって抵抗し、龐統が戦死。
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・214年に?城を落とし、成都を包囲、馬超の参戦や簡雍の説得もあり成都は降伏。
 許靖、呉懿、劉巴、黄権、董和、李厳、費観らを高官につけ、諸葛亮や法正らで蜀の新たな法律「蜀科」を制定。
 益州の鉱物資源や森林、綿、肥沃な土地を得て劉備軍は大幅強化される 魏の数倍の産出量の銅鉱山を得たりして貨幣の発行も出来るようになる。
 鉱山は大陸南部に多く、主要な鉱山は蜀や呉が持っていた為、経済破綻しかけた魏では物々交換を推奨した時期あり。
 重慶といえば今も工業地帯で知られる。230年ごろの蜀の武器は魏よりも優れていると言われる(鄧艾談

131: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:36:19 ID:Vod
>>124
たしかに鉱山いっぱいありそうやな
そしてしれっと許靖おるの草こいつも中国を転々としたなあ

138: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:39:10 ID:Vod
袁紹「長男袁譚に青州次男の袁煕には幽州甥の高幹に幷州三男袁尚には冀州あげる」
これは揉めるわ

139: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:39:56 ID:uKL
>>138
謀叛起こされたくなかった袁紹の必死さが見える

142: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:42:16 ID:UfX
>>138
北方三国志の袁紹は
「各州に息子らを配置して統治者としての力量があるか見定める」と言ってたな
信憑性はおいといて、そういう考えもあったんかね

145: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:42:44 ID:M24
>>138
ほんまに似たり寄ったりな息子どもやったんやな…ってなる

149: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:45:05 ID:UfX
さてここら辺からが全盛期やな

152: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:48:36 ID:UfX
【三国鼎立~皇帝へ】

・益州牧になる
 孫権「南郡を返せや!!」劉備「は?涼州手に入れたら返すわ」孫権「は?」
 孫権軍が長沙、桂陽を急襲、荊州を巡る戦いが勃発。
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・なお四郡は劉備が自力で切り取りった地域、孫権は自軍を代行して取ったと主張、南郡と四郡が貸した土地と考えていたらしい(無茶苦茶な言いがかり。
・劉備は荊州へ向かうが、三郡が落ちる。
・曹操は張魯討伐へ動いており、和睦は二郡の譲渡で決着。

・魯粛は劉備が益州に退かざるを得なくなる事を読み、獲れる郡だけ獲って膠着させ、合肥攻めに兵力を温存した説がある。
 なお合肥には後に張遼が降臨。

・張魯降伏、曹操は更に南進を検討
 主簿・劉曄「劉備は英傑かつ度量もありますが愚図で、益州を手に入れてからも日が浅い、早々に益州を攻める方が良いで」
 →曹操は採用せず退く(情勢的に無理と判断か、荀彧はすでに死去

157: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:52:39 ID:Vod
>>152
曹操様早々に攻めましょう案は正解やったんかね

160: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:53:57 ID:UfX
・曹操は漢中に夏候淵ら主力を駐屯させる。

・218年、劉備は法正の策を採り、漢中攻防戦勃発。
 下弁に張飛、馬超を進軍させ、ほぼ同時に関羽も北上

・「蜀軍」 総大将・劉備、参謀・法正、主軍・張飛、馬超、黄忠、趙雲、李厳、黄権、魏延、呉懿 雷銅、呉蘭、他、兵站・諸葛亮
 の蜀軍オールスターズで挑む
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167: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:55:34 ID:Vod
>>160
ガチ劉備軍の全力やな
曹操軍並みに豪華

162: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:54:24 ID:Vod
ここで淵やなくて曹仁置かれてたらキツかったかもな

163: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:54:25 ID:UfX
対する魏は総大将・夏候淵、主軍・張郃、郭淮、曹洪、徐晃、杜襲 参軍に曹休、曹真、夏侯栄、趙顒、他 援軍で曹操本人が参戦
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164: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:54:25 ID:fJe
これはオールスター

166: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:55:07 ID:UfX
・秦嶺山脈を背に補給が滞る中、夏候淵軍は対峙
 曹操本人が救援に駆け付け、劉備軍は陽動部隊こそ壊滅するも、夏候淵を討ち、漢中から曹操軍を撤退させることに成功。

 漢に変わる変わる天命があるとされた魏を破り、我にこそ天命ありと言う根拠を得た事もある、だからこその漢の漢中王。
 上奏で曹操の皇帝権力を悪用している事を挙げ、その後に漢中の戦で曹操を破ったことを報告している。
 劉氏として逆賊を討ち、魏を否定して帝を救うという大義名分を掲げる、これは孫権には真似できないことである。

・劉封、孟達、李厳、王平らを派遣して上庸を攻め取る

・関羽、黄忠、張飛、馬超を前後、左右将軍へ任命 五虎大将軍の元ネタ

・魏延を漢中太守に任命、(張飛、馬超は遊軍として別方面で前線指揮官で使う予定だった説

171: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:57:35 ID:O9p
>>166
→魏延を漢中太守に任命
ここ凄いよな、当時の魏延ってまだ中堅どころで階級も戦績も
上の奴ごろごろいたのに最前線の太守に任命だもんな

173: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:58:09 ID:fJe
>>171
張飛は手元に置いときたかったんやない?

175: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:58:51 ID:Vod
>>173
劉備「張飛…城…うっ頭が」

176: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:59:15 ID:O9p
>>175
ワラタwww

180: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:00:23 ID:UfX
>>175
ちな張飛は酒飲んでああなったわけでは無かった模様

182: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:01:07 ID:Vod
>>180
お酒飲んだら曹豹をむち打ちする趣味かと

190: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:05:28 ID:UfX
>>182
簡単に書くと
曹豹(丹楊兵という精兵を率いる)→袁術が丹楊を攻略、こうなると地元を取られた丹楊兵が裏切る可能性がある
曹豹が不穏な動きを見せる→勘づいた張飛が粛清→この騒動を知った呂布が騎兵で駆けつけ城を落とす

って流れだった

170: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)21:57:27 ID:UfX
都合上、漢中攻防戦って表現したが
下弁の戦い、武都、定軍山の戦いとかを総称して使わせてもらうわ
詳細は長くなるからやめとく

199: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:08:24 ID:UfX
・荊州北西部の制水権を奪い、関羽は樊、襄陽を攻撃、宛城で侯音が叛乱

・関羽は魏を追いつめるも、呉の参戦で荊州を失陥、敗死、行動方針だった隆中対は崩壊
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206: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:10:38 ID:gas
>>199
これ呉が背後突かなかったらどうなってたんやろ
呉が合従策について少しでも理解してればなぁ

209: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:12:04 ID:UfX
>>206
詳細は省くが、呉がガチで条約破って合肥攻めてたら魏は終わってた可能性が大

213: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:13:39 ID:UfX
>>206
ただ合肥を抜いて徐州に攻め込んでも位置的に戦いづらい上に
すぐに魏が援軍で来るんで大変やで、って呂蒙が進言してる

214: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:15:29 ID:gas
>>213
対関羽に狩りだされてる面子見てると援軍来てもしょぼそう
蜀贔屓なのもあるけどここらの呉ほんまクソ

219: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:16:56 ID:UfX
>>214
ちな劉備は関羽に援軍送ってるけど間に合わなかった
その前に呂蒙や陸遜に関羽がやられてる

202: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:09:38 ID:UfX
ちな対関羽戦に参加したとされる武将一覧(判明している範囲で)

魏 曹操、夏侯惇、曹仁、張遼、于禁、徐晃、龐徳、満寵、文聘、趙儼、裴潜、呂貢、呂常、李緒、田豫
  成何、董衡、董超、傅方、胡修、殷署、朱蓋、徐商、呂建、浩周、董昭、司馬懿、?済

呉 呂蒙、孫皎、蔣欽、朱然、陸遜、韓当、諸葛瑾、潘璋、孫桓、虞翻、全琮、馬忠、李異、謝旌

208: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:11:27 ID:Vod
>>202
呉の馬忠ここだけ活躍したな

205: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:10:35 ID:UfX
文字化けしとるが司馬懿の次は蔣済やったかな

216: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:15:48 ID:Esr
よく呉が蜀と組んで勝ってても大勢は変わらなかったと聞くがそうじゃないと思うわ
歴史上本当にたったの一戦で大きく勢力図が変化するのを知っているからね

227: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:19:57 ID:Vod
関羽じゃなくて項羽なら勝てたかもしれん

228: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:20:18 ID:UfX
>>227
ガチのチートはNGで

229: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:20:28 ID:uKL
>>227
劉邦にあれだけ後方をかき乱された項羽は一番むりやろ

231: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:20:49 ID:Esr
>>227
関羽以上に局地戦マンやぞ
しかも勝手に敵増やすし独立するかもしれんがええんか?

234: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:21:58 ID:Vod
>>231
関羽も外交権北伐権もってたしまあ独立勢力みたいなもんやし(適当)

237: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:23:52 ID:UfX
>>234
大国との外交権と処断権は無かったみたいやけどな
魏の豪族に調略とかしまくって叛乱起こさせたりはしてるけど

250: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:29:46 ID:UfX
・曹操が逝去、この時劉備は韓冉という者を弔問の使者として送っている→この男は曹丕の命で斬られる
 尚、劉備が逝去した後は曹丕の意で魏の重臣が降伏勧告分を送りつける 魏書

・孟達が魏に降り、曹丕が皇帝に、蜀では漢の皇帝である劉協が殺された噂が流れる

・221年劉備は皇帝に即位(劉協は死んでいないのでこれは僭称になる)
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・費詩「え?皇帝になるんですか!?反対や!!」→南中の田舎に左遷される→後に復帰
 この前後辺りで張飛、馬超、法正、黄忠らが次々に死んで世代交代期を迎える。

253: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:32:11 ID:gas
>>250
何で弔問の使者なんて送ったんやろ?
ワイでも煽りやと思うで

258: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:34:28 ID:UfX
>>253
ここら辺の心境も分からん、建前上って説もあれば挙兵以来の腐れ縁やっていう説もある

群雄割拠を生き残った世代やしな、とワイは思いたい

262: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:36:10 ID:iVI
>>253
劉備は曹操と直接の知り合いやし同じ時代を駆け抜けたライバルやからな…
ワイは色々あったけどもある種の親愛の情だと思いたい

276: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:42:03 ID:gas
>>258
>>262
まあ轡を共にした事も世話になったこともあったしそう考えるのが浪漫あるわね
もし劉備が曹操を裏切らなかったらどこまで出世したんやろね 或いは粛清?

278: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:43:12 ID:UfX
>>276
参謀陣があれだけ警戒してたんやから殺されるか、よくて辺境へ左遷やないか?

289: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:46:05 ID:gas
>>278
曹操劉備大好きやし結構出世するんやないと思ってるけど確かに参謀陣皆殺せって言ってるし粛清不可避か
万が一曹操期を乗り越えても曹丕の時に粛清不可避

290: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:47:09 ID:UfX
>>289
だからさっさと逃げたんやと思う、あと政争に巻き込まれそうだったって意味でも

260: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:35:07 ID:UfX
【呉征伐~逝去】

・諸葛亮が丞相になり、国の体制を整えた劉備は呉の征伐に乗り出す。

・221年秋、呉征伐開始、武陵蛮を動かし、零陵では習珍が挙兵、荊州南部も呼応。
 張飛を直前に失うが、劉備は約五万の兵と次世代の主力を率いて陸遜率いる呉軍と対峙。
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・黄権「呉軍は勇敢です。さらに、水軍で流れに乗って進むのは容易いが、逆らって退くのは困難なものです。私が先鋒を務めますので、陛下は後方をお守りくださいやで」
 劉備「却下やで」

・劉備は呉との和睦を拒否、馮習と呉班に命じ、呉の李異を撃破。
 陸孫は持久戦に持ち込み、劉備は堅陣を敷いていたがじりじりと陣は伸び、劉備は水軍を下げて江を渡る。
 劉備は夷道を包囲、ここが落ちると呉軍は拠点の大半を失う危機的状況だったが、主将の孫桓が粘り、防衛に成功。

・陸孫は水軍を率いて江を遡り、伸びきった陣営を奇襲、火計で劉備軍を大混乱に。
 なんとか逃走するも、馮習、馬良、張南、王甫、傅肜、程畿ら次世代の将達が戦死。
 江北の軍を指揮していた黄権は孤立しやむなく魏に降る。

・向竉、呉班、陳式ら一握りの将は生還するも、再起不能に近い大打撃を被る。

264: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:36:54 ID:gas
>>260
燃える軍営を見た劉備は何を思ったんやろな...

266: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:37:55 ID:UfX
敗因の原因を幾つか挙げると
・陸遜の戦略が劉備を上回った
・劉備、馮習の油断
・従軍した将達の経験不足

親征という名の枷、客将時代とは違う環境、皇帝と言う立場と風評
得意な戦術で立ち回れなかったのも敗因に挙げられる。


・皇帝の親征は失敗すれば天命を受けた者としての名前に大きく傷が付くため、負ければかなり痛い
 余談だが袁術、孫権、曹丕も失敗している

272: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:40:09 ID:gas
>>266
司馬炎「皆雑魚やなぁ」

268: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:38:58 ID:O9p
→なんとか逃走するも、馮習、馬良、張南、王甫、傅肜、程畿ら次世代の将達が戦死。
江北の軍を指揮していた黄権は孤立しやむなく魏に降る。

ここやなぁ、赤壁では魏の有力武将やブレーンが死んだという記述はないけど
蜀の場合ここで国家運営に必要な人間が一網打尽だもんな

274: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:41:01 ID:UfX
>>268
最大級の損失やと思う、これも後々諸葛亮率いる蜀を苦しめる要因の一つや

269: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:39:53 ID:uKL
中堅全滅は痛いわな

301: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:55:26 ID:UfX
・曹丕「劉備は戦を理解していない(ドヤ」と夷陵戦の結果をコメント
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・蜀の国法に照らせば、黄権の妻子は死罪になるところであったが
 劉備は 「ワイが黄権を裏切ったのであり、彼がワイを裏切ったのではない」
 と言い、彼の家族を罰することなく戦前と同様に遇した
(この時救われた黄権の息子が、蜀王朝滅亡に殉じて戦死した黄崇である)。

・黄権もこの信頼に応え、「蜀はあなたの家族を害した」という報せには耳を貸さず、劉備の訃報を祝う群臣に同調することもなかった。
 またかつて劉備に仕えた事のある袁渙も同様だった。

307: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:58:05 ID:B3V
>>301
一番下のエピソード視ると劉備ってやっぱり魅力的な人物やったんやなぁ

309: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)22:58:49 ID:gas
>>301
やっぱ劉備って人徳お化けだわ

311: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:01:27 ID:UfX
・永安で病に罹り、成都に戻れず
 諸葛亮が永安に向かうと、成都近郊の漢嘉太守・黄元を初めとする叛乱が各所で起こり、鎮圧するが叛乱の鎮圧にも苦労する程勢いを失っている。

・曹丕「呉蜀が疲弊した今がチャンスや、攻めたろ!」
 賈?「やめーや、そう簡単に攻められんで」→進言に従わず攻め込んで返り討ちにあう。

・223年劉備は重体に、丞相の諸葛亮、尚書令の李厳を呼び、後事を託す
 劉備「君の才能は曹丕の十倍や、劉禅に才があるなら補佐し、無ければ君が国を奪え」というぶっ飛んだ事を言うがこれは釘を指す意味もあった反面、全幅の信頼の証だった説。
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・結果的に見れば諸葛亮は死力を尽くして国を立て直し、魏と戦い続け過労死した。

・223年劉備逝去、享年63歳 挙兵から40年、曹操の死後3年ほどたった後だった。
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315: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:03:49 ID:gas
>>311
三国志最高の遺言にして最大の呪いの遺言ほんますこ
孔明が過労死したの間違いなくこの遺言のせいだよな

319: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:06:08 ID:UfX
>>315
どういう心境で発言したのか劉備に直接聞きたいレベルやわ

信頼の証なのかはたまた違うのか

320: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:07:20 ID:Vod
>>319
孔明は権力欲無さそうやしなあ本心やと思いたい

321: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:08:15 ID:gas
>>319
本心やと思いたいけど劉備も結構腹黒やし警告の意味のが強いのかなぁ

322: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:08:33 ID:O9p
ワイも本心やと思うわ
水魚の交わりって後世語り継がれるレベルで信頼し合ってたぐらいだしな

326: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:10:22 ID:UfX
>>320
>>321
>>322
分からんよなぁ、分からんから英雄なんやろな

329: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:13:11 ID:UfX
【最後に】
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・陳寿「先主は度量が広く意思が強く心が大きくて寛大であり、人物を見分け有能な者を厚遇した。
 思うに漢の高祖の風格があり、英雄の器だった。諸葛亮に国を任せ遺児を託し、心に何の疑惑を持たなかった事は、誠に君臣の私心泣き在り方として最高のものである。」

・劉備には人を引き付ける一種のカリスマがあり、優れた容姿とある程度の学識を備え、人を立てるのも上手かった
 劉備軍は劉備の侠気で統率された様な軍で、関羽や張飛との肉親の様な関係に象徴される
 それが強さであり、弱さでもあった(夷陵での敗北

・群雄の中でも大きなハンデを背負っていたにも関わらず、しぶとく生き残って蜀を建国するに至ったのは
 勘と経験、人物眼、人柄を活かせたのも大きい。

・曹操との差は優秀な参謀を得たのが遅かったのも挙げられる。

・人物眼が鋭く人材の扱いに秀でている。
 無名の諸葛亮や?統を用い、法正・劉巴ら性格に問題のある人物も重鎮として能力を発揮させ、
 魏延や鄧芝、馬忠、楊儀ら次代を担う将を抜擢した。秀才と言われていた馬謖の危うさを見抜いて重用しないように言い残したことでも知られる。


331: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:13:28 ID:gas
まあ孔明君も劉備の遺言に囚われるならアレを重用するなって遺言も聞けよとは思う

332: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:16:26 ID:UfX
>>331
まぁ結果論で言えばそうはなるがな
人選ミスってのは曹操も劉備もやってるからなぁ

333: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:16:28 ID:B3V
指揮権王平で副将に馬謖なら上手くいったやろか

335: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:17:35 ID:UfX
>>333
馬謖はエリートや、まず王平が上司になったら言う事聞かない可能性大やわな

336: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:17:42 ID:Vod
>>333
文字も読めんから扱い低かったんやろ
まあトウガイも別動隊やったし

337: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:17:55 ID:Esr
>>333
正史王平は街亭の戦いで初めて見いだされた男だから因果的に無理

347: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:26:20 ID:UfX
ここまでで書き留めてたのは終わりや

軽く個人的な意見を載せとくが
劉備の何が厄介かと言うと、広く名士に声望があり、負けてもしぶとく生き延びてどこかで復活し、抵抗してくるところやわ
しかも陸戦に関しては一級品の指揮官で戦も強い。こんなん敵からしたらウザすぎることこの上ないで。

この劉備が死んだことで戦国時代が終わったとも言え、後の三国膠着に突入していくんやな。

352: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:28:13 ID:Vod
>>347
逆に劉備に足りんかったのは何やろね

357: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:30:35 ID:UfX
>>352
同じ時代に曹操が居た時点でもうあれやが、強いて言えば時間やろな

350: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:27:30 ID:O9p
壱さんお疲れ
久しぶりに三国志トークできて楽しかった
新しい情報もアップデートできた楽しかった

361: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:31:45 ID:UfX
>>350
因みにワイが参考にした出典とか出典自体が当てにならんもん多い上に
先主伝ばっかでかなり偏った纏めやで、そこ捕捉しとくわ

373: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:39:15 ID:UfX
思った以上に時間食ったせいでご飯食ってなかったわ腹減った

前回もやったんやけど、次回はもう一度だけ五虎大将軍について挙げる予定や、よかったらまた来てや

375: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:39:58 ID:O9p
>>373
おつかれー、そん時はまた呼んでや―

378: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:40:43 ID:gas
乙やで~

382: 名無しさん@おーぷん 19/08/04(日)23:42:27 ID:UfX
んじゃおつかれやでー









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三国志の劉玄徳について

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コメント

1  不思議な名無しさん :2019年08月09日 20:41 ID:ZbBupHSo0*
三国志の中でも、劉備ほど解釈に悩む人物はいない。
例えば記事では皇帝即位を僭称と言っているが、やってる事は劉秀と大して変わらなかったりする。あっちも劉玄が死ぬ前に即位してるし、その劉玄もまた劉嬰死去前に帝位に就いている。
つまり漢は他者に簒奪されたら他の血裔が皇帝を名乗り再興を図るという前例があったと言える。だから劉備の本心が野心による僭称なのか漢再興にあったのか、実は断言するのが難しい。
調べれば調べるほど良く分からなくなっていく、個人的には曹操よりも遥かに複雑で魅力的な人物だと思う。
2  不思議な名無しさん :2019年08月09日 21:11 ID:VvXYJ.ft0*
劉備「ぼくは皇帝の子孫だー!ママもそう言ってたから絶対そうなんだー!」
村人「こいつ・・・ガイジか?」
関羽「まてよ?そんな不敬な事を堂々と言いふらせるなんて、一見ガイジに見えるが、実は天才か真実なんじゃないか?」(知者ゆえの余計な深読み)
張飛「マジウケルwあいつサイコーwww」

これが真実だぞ。
3  不思議な名無しさん :2019年08月09日 21:12 ID:toCZ1xdF0*
劉備の人徳やべー
そして、ファッキュー孫呉
4  不思議な名無しさん :2019年08月09日 21:23 ID:otvBk5h.0*
三國志の話しは中国人より日本人の方が好きだと刑務所で知り合った中国人が言ってたよ
中国人の多くは三國志より水滸伝が好きらしい
5  不思議な名無しさん :2019年08月09日 21:28 ID:1wbM3i750*
実は関羽の死後に張飛をもて余してたんじゃないか説、
6  不思議な名無しさん :2019年08月09日 21:54 ID:Rvtzh1jB0*
演技ベースで人物語って何が楽しいんだ
戦国無双の武将の生きざま語ってるのと同じなの分からんのかね
7  不思議な名無しさん :2019年08月09日 22:00 ID:9c9b1NDH0*
劉備は曹操さえいなかったら恐らく天下取れてた
曹操は劉備さえいなかったら間違いなく天下取れてた
どちらも同じ時代に生まれてるってのが難しいね
8  不思議な名無しさん :2019年08月09日 22:16 ID:Agdwa0cq0*
田中角栄みたいなもん?
9  不思議な名無しさん :2019年08月09日 22:52 ID:o1POESp30*
どことなく人物像が劉邦に似てるのは後世の脚色なのか、それとも偶然なのか。
10  不思議な名無しさん :2019年08月09日 23:16 ID:l4VBDfpa0*
>>7
劉備は袁紹超えで詰むんじゃないかな
11  不思議な名無しさん :2019年08月09日 23:24 ID:Am2culB10*
まぁ正史でも方向性は違えど能力で言えば曹操に匹敵する人物だわ
ただスタート地点が違いすぎた
あと劉備が普通に曹操の元に残って活躍して曹操がさっさと統一していれば三国時代のあとのぐだぐだもなかったのかなって
12  不思議な名無しさん :2019年08月10日 00:38 ID:IOrWJjUF0*
良いまとめありがとう
おもしろかった
13  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:08 ID:3LZD8s3n0*
>>6
これ演義ベースじゃないだろw
演義の絵が使われてるけど内容は正史寄りだぞ
14  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:13 ID:j3tKw13O0*
人物眼に定評のある劉備さん馮習とかいう謎武将を大将にする痛恨の珍采配
…と言いたくなるけれど馮習だって夷陵で死んでなければもっと実績残した可能性もあるしなあ

なんjもいまやすっかりキッズに犯されてしまってるけど人が多い分いい歴史スレもポツポツあったりする。歴史部には生き残ってもらいたいもんだ

…というかなんでこの歴史好き達は専板いかねえんだろうな
15  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:20 ID:j3tKw13O0*
>>11
なんでや!楽しい楽しい五胡十六国時代の幕開けやろ!
…ほんと暗黒時代だよな五胡十六国
16  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:25 ID:j3tKw13O0*
>>13
こんだけ散々正史の伝から引いてるのに演義ベースって言っちゃうのは読んでないか釣りのどっちかだからほっとけ
17  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:28 ID:MGafqqV80*
>>2
それであれだけの地位に登りつめたなら大したもんやないの
18  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:34 ID:eYHTSFJW0*
>>6
アホすぎて草も生えない発言
19  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:35 ID:eYHTSFJW0*
>>14
人がいないからじゃね?
20  不思議な名無しさん :2019年08月10日 01:39 ID:osMrqdMP0*
人徳があったけど人事面が糞やったな
良くも悪くも任侠の親分さんやった
牽招、田豫、徐庶、陳羣などなど優秀なんは大体曹操が回収していくのが好き
21  不思議な名無しさん :2019年08月10日 04:13 ID:Cu6.7GbY0*
劉備は法正生きてれば呉との戦いの時にワンチャンスあったと思うわ
孔明は政治家向きで戦略はそこまででもなかったみたいやから、法正が戦略と言うピースを埋めてくれてれば、かなり良いところまで行けたと勝手に妄想してる
22  不思議な名無しさん :2019年08月10日 04:38 ID:h4yBTV2q0*
本人カッスだけど部下に恵まれるとことか、劉邦そっくりだから劉邦の子孫だよ。ただ、中華統一は出来なかったから、部下ポイーをするとこまでいかなかっただけで、中身劉邦と変わらんと思う。
23  不思議な名無しさん :2019年08月10日 06:45 ID:xYTsW6lH0*
>>7
劉備は元の地盤が小さすぎて劉備単独で袁紹倒すのが無理ゲーに近かった気がする
ただ、袁紹をどうにか出来たなら(倒せたら)劉備が天下取ってたと思う
結局曹操と劉備が同時代の乱世に生きてたってのが天の配剤なんだろうなあ
24  不思議な名無しさん :2019年08月10日 06:49 ID:2ghAdPb80*
>>20
そしき
25  不思議な名無しさん :2019年08月10日 06:51 ID:2ghAdPb80*
>>20
失礼、ミスった

組織が大きくなれば結局はインテリヤクザ(曹操)に武闘派愚連隊(劉備)じゃ勝てんって事やな
26  不思議な名無しさん :2019年08月10日 08:30 ID:1xvNGmv40*
>>21
もし法考直が生きていれば漢中戦の再演になっていたかもと妄想するわ
27  不思議な名無しさん :2019年08月10日 09:03 ID:hZ0KXxY60*
法正みたいな性格も評判も最悪な奴を能力だけで登用できたのは軍師がホウ統だったからだろうな。
入蜀に付いてきたのが孔明だったら法正も魏延も仲間になってなかったろう。
ってか、劉備ってなにげに孔明の人事や戦術の能力を信用していなかったよね。
28  不思議な名無しさん :2019年08月10日 09:11 ID:hZ0KXxY60*
諸葛亮が人材登用するときに重視するのは荊州閥とか家柄とか学歴だけど、龐統は能力あれば悪人だろうと誰彼かまわず登用して、諌められると「は?いうとる場合か!?うちは人材が不足しすぎなんや!!」
29  不思議な名無しさん :2019年08月10日 09:54 ID:op6g3H600*
陳羣 徐庶 ホウ統 法正
妄想だけどふつうの寿命までずっと劉備の下にいたらなあ
やっぱ劉備陣営がすき
30  不思議な名無しさん :2019年08月10日 11:18 ID:pwwNOHF80*
>>9
同じ劉氏として血が混じってると思いたい
劉邦は項羽の家族を保護して劉氏の名をあげてたから
項羽と劉邦の血が混じってると思いたい
31  不思議な名無しさん :2019年08月10日 11:21 ID:pwwNOHF80*
>>27
後の北伐のこととか考えると
そこまで見抜いてたのかもね
32  不思議な名無しさん :2019年08月10日 11:22 ID:pwwNOHF80*
>>2
張飛すここ
33  不思議な名無しさん :2019年08月10日 11:24 ID:pwwNOHF80*
>>15
五胡十六国時代のことざっくり学べる漫画みたいのないかな?
34  不思議な名無しさん :2019年08月10日 12:33 ID:gv9jmkPz0*
>>22
劉備は普通にチート性能だぞ
35  不思議な名無しさん :2019年08月10日 14:48 ID:jbHH7MIP0*
>>9
劉備を劉邦に重ねて書いた部分もあるだろうけど、劉備も劉邦の書物に書かれたり語り継がれた説話は知ってるんだろうし己の生き方に重ねた部分はあるんだろうかね
まあ劉備だけてなく後漢末三国時代の乱世の英雄達も春秋戦国時代や楚漢戦争など乱世の英雄やその説話に憧れがあったのかもね
36  不思議な名無しさん :2019年08月10日 17:48 ID:itVHfFfY0*
>>14
専門化しすぎててここら辺の話が前提になってるとかあるのかも。
37  不思議な名無しさん :2019年08月10日 18:18 ID:t9CNNvkt0*
なんかこれどっかで見たようなまとめだな
38  不思議な名無しさん :2019年08月10日 22:16 ID:6dDrKEp.0*
※20
そうか?むしろ有能だと思うが
それにその後ろ二人は仕方ないだろ
39  不思議な名無しさん :2019年08月10日 22:29 ID:HWxpdadw0*
>>33
「学習まんが中国の歴史」とかじゃない?
初学者には学習まんがが一番だと思う。
40  不思議な名無しさん :2019年08月11日 11:45 ID:b7bikOUJ0*
◯◯も不安よな。
関羽、動きます。
41  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:39 ID:D.5bHjCc0*
三國志の考察は面白いね、やっぱり。
劉備を考察してると、奸雄と呼ばれた曹操がはるかにまともだったと思えてくる。
少なくとも幼い皇帝を保護して漢を復興する意志を見せたわけだし。
42  不思議な名無しさん :2019年08月14日 00:20 ID:Gi2kVAEM0*
>>41
1800年くらい昔の話で、劉備なり曹操なり言葉の断片は残っていても本心はどうであったかはもう知りようがない
それ故にあれこれ想像する余地があって浪漫を掻き立てられるんだよね
だから歴史は楽しいし好きだ
43  不思議な名無しさん :2019年08月23日 05:06 ID:Kqlkk6ng0*
>>41
>少なくとも幼い皇帝を保護して漢を復興する意志を見せたわけだし。
普通に曹操は「自身は周の文王のようでいたい。」
とかいってて、自身の息子の時代に皇帝即位をしていく気持ちが
普通にあったので、
漢王朝の復興を望んでいたとも思えないのですが、
どうなのでしょうかね。
44  不思議な名無しさん :2019年11月13日 01:16 ID:YtStaD8v0*
>>35
曹操の「隴を得て蜀を望む」なんてまさしく光武帝のオマージュだしな

 
 
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