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8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ

2019年08月12日:08:22

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コメント( 172 )

8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ




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8: 赤色矮星(茸) [GB] 2019/08/11(日) 21:37:06.70 ID:VKzPaaQU0
熊本市内から長崎のキノコ雲が見えたってよ

長崎市への原子爆弾投下

長崎のキノコ雲については、爆心地から約10km離れた香焼町で炸裂から約15分後に住民が撮影した写真が残されている他、遠くの県からも見えたとの証言もある。約100km離れた熊本県熊本市でも「ピカッと閃光が走り、空気がぶるぶるっと震え、遠くにキノコ雲が上がるのが見えた」との証言がある[6]。また遠く200km離れた大分県中津市でも「あの日長崎方面から立ち上がるキノコ煙が見え、何事かと不安になり恐ろしかった」と当時を語る証言もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/長崎市への原子爆弾投下
【悲報】アメリカさん、日本にさらに12の原爆を投下する予定だった
http://world-fusigi.net/archives/9445725.html

引用元: 8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ





142: 黒体放射(熊本県) [ニダ] 2019/08/11(日) 22:16:18.77 ID:Yef2EKoZ0
>>8
前にそれ書いたら当日は曇りだから見えるはずない嘘乙て言われた

10: ニュートラル・シート磁気圏尾部(家) [DE] 2019/08/11(日) 21:37:37.12 ID:hFoo6j+k0
戦死したおじさんの遺骨が送られてきたので葬式を出したら
終戦後おじさんが帰ってきた、恐る恐る埋葬した骨壺の中を調べたら
石や木が詰められていたらしい

20: ウォルフ・ライエ星(千葉県) [US] 2019/08/11(日) 21:41:20.12 ID:u3zmif4e0
そりゃ聞いたわい 爆弾で首飛んだとかだぜ 今でもトラウマだわ

23: 木星(庭) [GB] 2019/08/11(日) 21:42:35.41 ID:FtvjN9AX0
死んだじいちゃんは両方とも出兵してたが戦争の話はついぞしなかったな
ただテレビにアメリカ人が出た時に気持ちわりぃ…って呟いたのは普段そんな言葉使ったりしない人だったから印象的でよく覚えてる

32: アルタイル(東京都) [IT] 2019/08/11(日) 21:46:44.96 ID:6su8ZHYY0
母は新潟のド田舎の農家出身で普通にご飯食べてたって
少しだけ工場動員行ったけど、ギスギスしてて疲れたそう

34: エンケラドゥス(広島県) [ニダ] 2019/08/11(日) 21:48:24.20 ID:DdujgMgE0
大和造船に携わってたそうなんだけど、祖父はスクリュー担当だったそうだ。
何年か前に大和が引き上げられた時に「大和は4枚だった」ってボソっと言ってたのは覚えてる。
元来スクリュー3枚羽だったのを、推進力をあげる為に4枚羽を取り付けたんだけど、一部構造的な欠陥でトラブルに遭って結局3枚に戻したと。
その時はふーんとしか感じなかったけど、もうちょい聞いておけば良かったなと後悔。

40: アルビレオ(静岡県) [ニダ] 2019/08/11(日) 21:50:04.33 ID:sdky3Uwr0
戦時中特高に居た親父の叔父の所に戦後米軍将校(パイロット)が訪ねてきて、捕虜になってた時お世話になりましたと言って食料等を持って来たって話を聞いた事がある

49: アルゴル(SB-iPhone) [CH] 2019/08/11(日) 21:52:31.18 ID:8tveZ6Bj0
もう生きてる人ほとんどいないからなあ。
確か曾祖父さんが満州に行ったとかなんとか

54: 金星(家) [TH] 2019/08/11(日) 21:53:34.07 ID:ZUs5ZQx60
サハリンから終戦直前に帰国したらしい
残ってたらシベリア送りで、俺は存在してない

60: 白色矮星(庭) [US] 2019/08/11(日) 21:54:04.90 ID:/gyfwGZR0
婆さんが空襲の中、防空壕に逃げ込もうとしたが
既に満員で仕方なく別の防空壕に向かった
その満員の防空壕に焼夷弾が落ちて全員死亡

67: ガニメデ(東京都) [ニダ] 2019/08/11(日) 21:56:47.09 ID:yVTDb98/0
稲佐橋で被爆するもふっ飛ばされた先が反物屋だったのでその時は助かったらしい
でもその後は原爆症でずっと寝たきりでそのまま他界
同時に被爆した親父は健康なまま今も存命
体質で影響に差があるんだろうな

77: オベロン(静岡県) [US] 2019/08/11(日) 22:00:09.21 ID:ZTfM01fI0
海軍で通信下士官だった爺さん
ふねが沈められて漂流時はサメよけでふんどしをほどいて長くしてたって言ってた
サメは自分より大きいものには食いつかないからって

78: ジャコビニ・チンナー彗星(ジパング) [US] 2019/08/11(日) 22:00:15.13 ID:Vy9cmntU0
去年じっちゃん亡くなったが子供の時はあまり聞いちゃいかん事かなと一切聞かなかったけど大人になってから少し戦争の話を聞けて良かったと思う

92: キャッツアイ星雲(神奈川県) [ニダ] 2019/08/11(日) 22:03:42.41 ID:+LaURXNh0
じーちゃんがシベリア抑留されて食えるものは人以外何でも食った
革靴の皮は硬くて無理だったネズミなんかご馳走だったって

213: カリスト(空) [CN] 2019/08/11(日) 22:37:36.44 ID:s1TTzDtA0
>>92
うちのじいちゃんもシベリア組
周りの人たくさん死んだって
カンパン食べて生き延びたって言ってた
あと若かったのも良かったって

97: ミラ(家) [US] 2019/08/11(日) 22:04:58.08 ID:zt7uKltX0
焼夷弾怖かったって そりゃ怖いわ

99: 黒体放射(調整中) [ニダ] 2019/08/11(日) 22:05:24.30 ID:RetuUkLT0
飛行機の機関銃の前では蓋して入るような防空壕は貫かれて無駄だったのと
さつまいもと麦ご飯を混ぜたやつばかり食わされてさつまいもが大嫌いになったって言ってたな

101: アンタレス(静岡県) [US] 2019/08/11(日) 22:05:54.44 ID:KPxE96ct0
祖父が軍曹でビルマに行っていた
重症を負った兵士を救って日本に帰国したとか
祖父の命日には毎年線香あげにきてたがその人ももう亡くなった

103: イオ(愛知県) [DE] 2019/08/11(日) 22:06:14.41 ID:oE51nfEK0
祖父、レイテに送られ、魚雷で沈没
200名の乗員で4名の生存者のうちの1人
その後、インパールへ行ったが無傷で帰還

義祖父、士官で戦艦大和に乗船するものの、沖縄戦前に人事異動で終戦を迎える

180: 火星(東京都) [AT] 2019/08/11(日) 22:28:37.38 ID:ZXgWR6vi0
>>103
どっちもすごい強運の持ち主だな
大和なんて乗れるのエリートだろうに

610: アルデバラン(東京都) [US] 2019/08/12(月) 01:25:46.74 ID:o6llauB60
>>103
すげーな。
ラバウルで取り残された日本軍も稲作やったり島の鉱石から弾薬作ったりして自活して結構充実した生活してるしな。

110: 3K宇宙背景放射(福岡県) [US] 2019/08/11(日) 22:08:19.09 ID:xh7yXQ1+0
戦争の話を聞く前に、爺さんは亡くなってしまった
戦時中の写真がまとめられたアルバムを貰ったから、海軍の機関兵だってことは分かったな

114: バーナードループ(光) [GB] 2019/08/11(日) 22:09:25.39 ID:dtuNAXMD0
じいちゃんは
満州でソ連と戦ってたらしい
戦車を落とすための落とし穴掘ってたって

120: ダイモス(東京都) [US] 2019/08/11(日) 22:10:10.73 ID:pO8fr0hm0
祖父が戦場で死体の山を見たって言ってたな

125: ヒドラ(埼玉県) [FR] 2019/08/11(日) 22:11:12.10 ID:F7tGvd3L0
呉で空襲後に防空壕から外を覗いた人が機銃掃射でしぬのを見たらしい
あと米の買い出しにしょっちゅう府中まで福山から延々歩いていたとか
呉で被爆者を看護中に二次被爆 必ず日本が米国に原爆を落とし返すと皆信じていたらしい

129: 3K宇宙背景放射(福岡県) [US] 2019/08/11(日) 22:12:24.80 ID:xh7yXQ1+0
大牟田市の海沿いから長崎原爆のきのこ雲が見えたって話を聞いたことあるけどそういった体験談を聞いたことある人いる?

489: ダイモス(熊本県) [BR] 2019/08/12(月) 00:29:47.80 ID:X27qMhgG0
>>129
玉名あたりで見たって話はあるし
うちの場合は山(といっても低いが)があっても見えたって話だから
海沿いなら普通に見えたんじゃないか?
空が明るくなったって言ってた

130: カペラ(ジパング) [DE] 2019/08/11(日) 22:12:28.27 ID:JYvTmfsO0
ひいじいちゃんがこれから戦争になると上の二人は千葉の歩兵学校に入れたおかげで即外地で軍歴重ねて太平洋戦争後半は内地勤務できてて助かったが下の小さい二人まで後で赤紙くるとは予測してなくて戦死した

135: 水メーザー天体(神奈川県) [SE] 2019/08/11(日) 22:14:30.38 ID:4KbicyHr0
うちに鉄兜が転がってた。
すげー重くてびびった。

136: プランク定数(中部地方) [KR] 2019/08/11(日) 22:14:30.65 ID:qOs9EAZs0
小さい頃の話。
死んだ祖父の法事で親戚一同集まりました。男集はみな出兵していて、笑いながら(酔っ払いながら)戦争について話していたそうな。
母方の祖父は、満州に出兵。前線に出る直前で、終戦。必死に日本に帰ってきたそうな。その時の手紙が残っていて、祖母に無事に帰ってきたら、結婚しようみたいなことが書かれていた。
生きていたら、今年で100歳。
自分の中ではすごく穏やかで、優しい祖父だった。祖母の兄が、近衛兵だったり、戦死したりしていて、意外に戦争については話を聞いていた気がする。

144: ディオネ(千葉県) [US] 2019/08/11(日) 22:16:36.68 ID:vY7knv8s0
祖父はフィリピンで銃弾を受けた
構えたライフルが飛ばされて左薬指をなくし
左肩に飛ばされた指ごと銃弾がめり込んだみたい

ふいりっぴんって発音してたな

251: カストル(大阪府) [US] 2019/08/11(日) 22:53:23.63 ID:ec5UqIDP0
>>144
そう。ウチの叔父貴もふいりっぴんやったわ

152: レグルス(兵庫県) [SA] 2019/08/11(日) 22:19:31.36 ID:mGbtaLTv0
それこそ「狙われてるのは川重だから公園なら大丈夫」と大挙して逃げ込んだ明石公園に爆弾落とされて
木に人の皮やらなんやらぶら下がってたとじっちゃんが言ってた

161: 火星(東京都) [AT] 2019/08/11(日) 22:22:36.10 ID:ZXgWR6vi0
近所のじいさんが爆撃だかで手首吹っ飛んでフック船長みたいな義手つけてた

163: ウンブリエル(庭) [JP] 2019/08/11(日) 22:22:57.59 ID:OVuD2giq0
祖父の弟、南洋で島の地形が変わるくらい艦砲射撃くらって全滅したから骨も還ってこなかったそうだ

164: 青色超巨星(茸) [JP] 2019/08/11(日) 22:23:25.86 ID:bLSCBBmD0
隣のじいちゃん屋根の上から二人で狙撃してたらしいけど、となりの人がヘルメットからダバーって血を流して倒れてヘルメット取ったら頭半分無かったって言ってた…隙間から銃弾ヘルメットの中に入ったらしい。
じいちゃん二人日本刀でアメリカ兵切ったって言ってたけど、死ぬまで夢に顔が浮かんでくるって言ってたなあ…ずっとすまないって供養してた

169: ニート彗星(山形県) [JP] 2019/08/11(日) 22:24:31.78 ID:rsP1YfEl0
じーちゃんシベリア帰り
何も話してくれなかった

172: 高輝度青色変光星(滋賀県) [GB] 2019/08/11(日) 22:25:02.99 ID:ylQy4KRg0
爺さんが南方に行ってた
幸い戦闘らしい戦闘を経験せず返ってきたんだけど
一度だけジャングルの川で一人食器だかなんだかを洗ってたら
12~3メートルの向こう岸に同じく一人でジャバジャバやってる若い米兵がいて
バッチリ目が合った
お互いしばらく見つめあってたがどちらからともなく引き上げた
何だか上官に報告する気になら無かったので黙ってた
その後何も起きなかったので
「アイツもきっと黙ってたんやなあ」
「どっちかが報告してたら死んでたかも」
って言ってた

173: ハレー彗星(茸) [US] 2019/08/11(日) 22:25:09.66 ID:PfBfTBAx0
俺が幼少の頃から、うちの爺ちゃんが亡くなってからも戦友の方が、うちに尋ねてきていた
このキズナというか何というか凄いと思った。戦争は、それ位のハードなもんだったんだな

174: 海王星(茸) [CN] 2019/08/11(日) 22:25:24.66 ID:yydbosUM0
うちのじいさんが船に乗りたがらないのは船乗って戦地にいく途中、敵の攻撃で船沈められて漂流したことかあるからだと親に聞かされた

175: デネブ(静岡県) [NL] 2019/08/11(日) 22:26:00.72 ID:WNdE4xZs0
25年前に亡くなったおじいちゃんの背中、弾に撃たれたあとがあったよ
ケロイドになってた

177: アンドロメダ銀河(長野県) [CN] 2019/08/11(日) 22:26:50.89 ID:2t5Kl/0A0
うちの祖父が正露丸を頼りに生き残ったって話なら聞いた
正露丸マジぱねぇ

178: イータ・カリーナ(滋賀県) [US] 2019/08/11(日) 22:27:00.51 ID:8cI3Lkqt0
今年亡くなったじいちゃんは17歳で終戦を迎えたが予科練から知覧へ配属される寸前だったと聞いた
戦中戦後の話を全くしない人だったが亡くなるちょっと前から昔の写真を整理し始めたり、福田総理から送られた銀杯を大事にしていた

183: 赤色矮星(東京都) [CN] 2019/08/11(日) 22:29:57.52 ID:GoIUWxuH0
死んだ叔父の話
終戦前で小学生だったんだっけ
学校で授業受けてたら自分の机で広げてた教科書に焼夷弾が直撃して階下まで落ちてった
直後に空襲警報が鳴ってクラスの皆で避難
直撃したその焼夷弾は不発だったらしくみんな無事だった
後から机のあった場所を見たら座ってた席は椅子以外粉々だったそうだ

191: オベロン(三重県) [US] 2019/08/11(日) 22:32:08.74 ID:joFi2GC70
祖父はインパール作戦で戦死。
遺体は未帰還。

戦没者名簿見たら、部隊の9割以上が「病死」と表記されてた
おそらく大部分は病死ではなく餓死だったんだろうと思うが

196: オベロン(ジパング) [US] 2019/08/11(日) 22:33:07.58 ID:1BSOy8810
インパールから断作戦、イラワジ川会戦、ラングーン撤退戦に従軍してた。

シャン高原から北上して中国へ攻め込むか?タイに逃げ込むか?迷っている内に終戦。

捕虜収容所でタイでクーデターを起こそう、と誘われたけど断って帰国。

197: かに星雲(関東地方) [CN] 2019/08/11(日) 22:33:21.42 ID:6idscKF/0
うちの爺さんは当時既にじじいで戦争には行かなかった。その代わりに炭鉱で捕虜の白人連中を働かせていたようだ。

この爺さん血の気は多いが義に熱い男で、捕虜同士の喧嘩があると飛び込んで行って、言葉も分からないが、啖呵を切って喧嘩両成敗。
爺さん小さいもんから、飛び上がって、下駄で捕虜の頭を殴りつけてたらしい。

一方で、病人が出ると、夜中にこっそり水とか手ぬぐいとか、婆さんに作らせたオニギリを差し入れてやっていたらしい。自分の食い物も厳しい時代だけどな。
ちなみに何度か軍人さんにバレて怒られたようだけど「年下が偉そうに!」と気にしなかった模様。

戦争が終わってからしばらくして、外人数名が爺さんを捜しているとの噂が町内から伝わってきた。
「捕虜の連中か!あれだけ下駄で殴ったのだからこりゃあ殺される!」そう思った爺さんは慌てて裏山に逃げ込んだらしい。

婆さんが腹を決めてでんと家にかまえてたら、そのうち件の外人さん達が訪ねてきた。

外人さんはリヤカーいっぱいの毛布や缶詰を持ってきてくれたそうだ。爺さんがいないことを身振り手振りで婆さんが伝えると、外人さんは手紙を残していった。

mr.xx
私たちが生きて祖国に帰れるのは、xx あなたのおかげです。どうかお元気で。

301: エリス(神奈川県) [US] 2019/08/11(日) 23:10:33.09 ID:1AflmtJM0
>>197
全米が泣いた

318: ハレー彗星(青森県) [GB] 2019/08/11(日) 23:13:58.50 ID:bNCMYQRR0
>>197
戦場のメリークリスマスのたけしもそうだったけど
当時の日本人は強かったね、メンタルが
世間知らずってのもあったんだろうけど

201: カリスト(空) [CN] 2019/08/11(日) 22:34:09.98 ID:s1TTzDtA0
戦争を体験した人の話を生で聴いたのは俺たち世代までだな
俺たち死んだら日本は戦争始めるかもな

203: アルタイル(ジパング) [US] 2019/08/11(日) 22:34:18.98 ID:V9zPwIjn0
うちのじいちゃん調達班で周りみんな死んだのに自分だけ生き残ってたのが後ろめたかったみたい。
その話してる時は悲しい顔してたな
ってもう30年前の話だけど

204: チタニア(東京都) [US] 2019/08/11(日) 22:34:36.62 ID:/86AJZSH0
うちのばあさん、空襲でもうダメだと思い諦めて友人達と店で寝てたらすぐ近くに落ちた爆弾が不発弾だったんだとさ
それで我に返り防空壕まで逃げて生き延びたんだとさ

206: パルサー(家) [NL] 2019/08/11(日) 22:35:19.38 ID:Im9L6JST0
父親が海軍の通信隊、九州の航空基地を転々として玉砕電報受信してた。

208: ハービッグ・ハロー天体(東京都) [US] 2019/08/11(日) 22:35:54.70 ID:ZV7hQA3X0
ばーちゃん(当時7歳)の叔母さん(当時22歳)が、上野公園にいる米兵さんに「ぎぶみーちょこれーと」というと、チョコレートが貰えるらしい
という話を聞いてきて、ばーちゃんと一緒に行った

そしたらものすごく大きな米兵さんがいて、叔母が声を掛けたら
凄い勢いで近寄ってきて、ばーちゃんはあまりの恐怖にギャン泣き
したそうだ、米兵さんが抱っこしてくれたが、それがさらに怖かったってw

チョコはちゃんと貰えたらしい、占領政策で配ってたんだな

210: 天王星(岩手県) [GB] 2019/08/11(日) 22:36:44.17 ID:3V+CvxyG0
親父の数メーター先で、同級生がグラマンの機銃掃射食らって真っ二つになったそうだ。


がまだ小学生だった

214: 子持ち銀河(新日本) [US] 2019/08/11(日) 22:37:42.35 ID:BgYvNTCG0
去年亡くなったじいちゃんは通信兵でずっと本土で傍受の任務やってたな
英語が得意だったわ

225: ベテルギウス(コロン諸島) [US] 2019/08/11(日) 22:42:30.32 ID:DOMBUiAPO
>>214
通信兵っていろんなパターンがあるのね
祖父も通信兵だったけど馬に乗ってたって
伝令?

247: 子持ち銀河(新日本) [US] 2019/08/11(日) 22:50:13.16 ID:BgYvNTCG0
>>225
うちは傍受の部隊で向こうの電信を傍受解読してた
どこの部隊かな
騎馬なら騎兵連隊の通信手かも

228: 赤色矮星(庭) [GB] 2019/08/11(日) 22:44:02.29 ID:pABpBhSx0
地獄より地獄だよな

234: アンタレス(やわらか銀行) [CN] 2019/08/11(日) 22:46:08.81 ID:Oz3rMSKZ0
うちの親父から爺ちゃんの話を聞いた
東南アジアに出兵されてたらしい
食べ物飲み物が乏しく、
川の水、雨水飲んだ兵は皆んな死んでいった
爺ちゃんは一切飲まなかったらしい
後は話たがらなかったみたい

240: アルゴル(愛知県) [ニダ] 2019/08/11(日) 22:48:11.33 ID:4ZtCcylr0
ばあちゃん、友達横一列3人で機関銃から逃げてて両翼から撃たれた玉が左右の子に当たって亡くなった

ばあちゃんが真ん中だったから助かったって聞いて、素直に喜べない複雑な気持ちになった

253: 大マゼラン雲(茸) [US] 2019/08/11(日) 22:53:52.31 ID:2NnbWfYe0
ホント遠くから戦友の人がうちに来た
これだけでも戦争を察すれる

254: ウンブリエル(庭) [JP] 2019/08/11(日) 22:54:04.93 ID:OVuD2giq0
近所の爺さまのはなし
南方で衛生兵してたとき部隊で赤痢が大流行した
どんなに要請しても薬は補給されなくて死人もだいぶ出た
軍医先生があれこれ試した結果、バナナの葉っぱの煮汁を飲ませたら症状が緩和されたそうだ

357: エリス(神奈川県) [US] 2019/08/11(日) 23:29:49.79 ID:1AflmtJM0
>>254
興味深い、おれは医者だが、バナナの葉っぱにわずかにおそらく含まれる、
タンニンが少量混じったのではないか。

柿の渋い味の素がタンニンだが、おれらが普段食うバナナの実であれば、
もっとタンニンも含まれていたと思うが、

実にふんだんある食物繊維(水溶性と難溶性だと確か難溶性のがすごく多い)が
逆にかえって下痢に良くないかも知れない。

お茶的な発想だが、、葉っぱだと煮汁に繊維質も溶け込んだと思う
あまり大量の繊維質だと逆に腸が動き出し(動きすぎて刺激になって)ダメだと思うが
そこで実で無くて葉っぱだと絶妙だったのかもしれない

477: チタニア(庭) [JP] 2019/08/12(月) 00:24:15.64 ID:VfSGIHsP0
>>357
子供の頃に聞いた話だから赤痢だかマラリアだかごっちゃになってる。間違ってたらごめん

あと薬をつくるために硫黄が必要になって、電線にくっついてる陶器を集めて回った話も聞いた

269: 火星(千葉県) [IN] 2019/08/11(日) 23:00:05.35 ID:oLkooA/j0
うちの爺ちゃんビルマいって生きて帰ってきたぞ

303: カペラ(SB-iPhone) [US] 2019/08/11(日) 23:10:50.09 ID:CPCjs/Ar0
>>269
うちの爺さんもだ。ビルマで弾が肺を貫通
コスモス畑で何かあったらしく、コスモスは見たくないと言ってた

273: ウンブリエル(香川県) [US] 2019/08/11(日) 23:01:28.66 ID:aAYVG8SZ0
船を撃沈されて必死に漂ってたのに
助けられた時に安心したのか気が抜けたのか
そのまま何人か逝ってしまったと言ってた
あと樫の棒でケツ叩かれるとウンコ漏れるって

276: アケルナル(日本のどこかに) [CO] 2019/08/11(日) 23:02:22.45 ID:94YeE+qO0
博多に住んでた当時理系の青年だったじいちゃんは軍の命令で広島へ行くはずだったが、その汽車が故障をしたためその日に広島へは行けなかった。
次の日、広島行きの汽車に乗り込んで向かっている最中に原爆が落とされ、じいちゃんは無事だったという話をガキの頃聞いたことがある。もっと詳しく話を聞いておきたかった

291: アクルックス(光) [US] 2019/08/11(日) 23:08:02.96 ID:b0wclLal0
じぃちゃんがシベリア帰りだった、というだけで驚いた。
まだ健在。

292: ポラリス(家) [US] 2019/08/11(日) 23:08:17.66 ID:ella6Bra0
ばあちゃんは広島市内から今だと高速使って1時間くらいの距離だけど朝畑仕事してたら一瞬光ってキノコ雲が見えたって言ってた。
島出身だけど焼夷弾一つだけ島に落とされたと。
近所のおばあちゃん看護師で原爆後、市内に行ったが地獄だったと言ってた。 子供ながらそれ以上は聞かなかった

306: ハダル(コロン諸島) [LT] 2019/08/11(日) 23:11:42.57 ID:+BxjE5tvO
うちの爺ちゃんは戦争中に外人の捕虜に日本語を教えたり芋などの食事を与え傷の手当てをしてあげたりしたらしい
日本が敗戦後、戦時中捕虜に酷い扱いをした家は焼かれたりかなり酷い目にあったと聞かされたわ
逆に爺ちゃんちには戦時中に良くしてくれたお礼として捕虜だった人達から大量の食料が送られてきて凄く助かったって言ってたな

340: 水メーザー天体(愛知県) [US] 2019/08/11(日) 23:20:23.31 ID:pqQbW0qr0
うちの死んだじいちゃんは銃撃うけてとかで片足切断していたが場所とかどういう過程だったかとかは一切話してくれなかったわ
義足つけて大変そうだった

353: オベロン(家) [SY] 2019/08/11(日) 23:27:52.75 ID:YX4m8lKy0
>>340
何か近いものを感じたわ。

うちのじーちゃんは怪我とかは特に何も無く、ハゲてたぐらいだけど
とにかく何も喋らなかった。
でも夜中はうなされるレベルじゃ無く「うー」とか「うぉー」とか毎晩叫んでた。
昼間は無口だけどすげー良いじいちゃんだった。

365: 水メーザー天体(愛知県) [US] 2019/08/11(日) 23:33:34.50 ID:pqQbW0qr0
>>353
おー そういう他の書き込みで結構あるし
いろいろあるんだろうな戦友の死もたくさんみているだろうし
うちのじいちゃんはハゲてなかったので勝ち

344: 高輝度青色変光星(福岡県) [ニダ] 2019/08/11(日) 23:22:54.68 ID:Zrq+nmSY0
うちのばーちゃん小倉に住んでて
あの日天候不良で小倉に落とされる予定の原爆は長崎に落とされるわけだが
もし小倉に落とされてたらあんた産まれてないのよと言われたな
最近の研究だと八幡から煙幕焚いてたらしいな

488: 宇宙定数(茸) [BE] 2019/08/12(月) 00:29:41.34 ID:gfg5sRm80
>>344
うちの爺さんも召集されて小倉で働いてたらしいが
長崎に変更されて生き延びた
親父は生まれてたんで、小倉に落ちてたら爺さんがいないだけだった
八幡でそんな事してたんだ

498: ウンブリエル(ジパング) [TW] 2019/08/12(月) 00:32:42.46 ID:UVd1Yhj+0
>>488製鉄所が頑張ったみたいよ

358: ブレーンワールド(SB-iPhone) [JP] 2019/08/11(日) 23:30:13.17 ID:rGDkaCN90
じいちゃんばあちゃん世代は激動の時代だったよなあ

379: ポルックス(神奈川県) [RU] 2019/08/11(日) 23:38:20.80 ID:PnDJHKmV0
>>358
小学生の時の夏休みの課題で祖父祖母親戚に戦争体験を聞く奴があったんだけど
秋田の西目村じゃ標的にもならず、電話の婆ちゃんが米が不作だった、芋は豊作だった、駄菓子屋は不謹慎だから閉めてたみたいなイマイチな話しか聞けなかったの思い出した。。

382: ブレーンワールド(SB-iPhone) [JP] 2019/08/11(日) 23:39:28.25 ID:rGDkaCN90
>>379
なによりだよね

367: ベガ(SB-iPhone) [SE] 2019/08/11(日) 23:34:12.50 ID:DSXPJPxE0
おじいちゃんのお尻にえぐれた跡があったから、どうしたの?って聞いたら戦争の時に撃たれた傷痕って言ってたな

420: ミザール(京都府) [KR] 2019/08/12(月) 00:00:06.67 ID:7/r7WUWN0
何年か前ににもアップしたけど
祖父が中野の電信隊にいたらしく仮装大会とかしてたみたい
私の生まれる前に死んだから詳細はわからないけど
no title

422: ニュートラル・シート磁気圏尾部(大阪府) [ヌコ] 2019/08/12(月) 00:01:25.19 ID:la63DICr0
>>420
貴重な資料じゃね?

427: キャッツアイ星雲(東京都) [US] 2019/08/12(月) 00:04:23.15 ID:VBbeSqij0
>>420
特設巡洋艦に乗ってたんじゃないか

469: 熱的死(SB-iPhone) [JP] 2019/08/12(月) 00:20:29.95 ID:ZWs0ymZo0
>>420
のらくろww









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8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ

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コメント

1  不思議な名無しさん :2019年08月12日 08:33 ID:BQ.cACBV0*
うちの婆ちゃんは山の向こうからキノコ雲みたって言ってたわ
挺身隊で工場仕事の行きだったか帰りかは忘れたけど
2  不思議な名無しさん :2019年08月12日 08:40 ID:wcjalijI0*
父の友人のお兄さんは飛行機乗りで2回墜落して生還
2回戦死扱いで昇進して尉官の手前までいったとか
3  不思議な名無しさん :2019年08月12日 08:47 ID:i1QfDPvJ0*
旅順要塞の司令官だったとしか知らんな
まぁ日露戦争頃の話やから当然生きてないけど
4  不思議な名無しさん :2019年08月12日 08:50 ID:lQIP2rSa0*
昭和天皇の諱はヒロヒトで皇后がナガコ
原爆が落ちたのはヒロシマとナガサキ
もちろん偶然ですよ
5  不思議な名無しさん :2019年08月12日 08:53 ID:f5oHULlV0*
婆ちゃんが夜にトイレに行ったら遠くに空襲の焼夷弾が雨のように落ちていくのが見えて「不謹慎だけど花火の様で凄く綺麗だった」と言っていた。
爺ちゃんはシベリアなのかは分からないけどソ連兵に頭に拳銃突きつけられて「あの時は死を覚悟した」って。でも楽器が演奏できて気に入られたのかは知らないけど、その後は特に危ないことは無かったらしい。それくらいしか聞いたことないなぁ。
6  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:00 ID:vOrz620k0*
捕虜になった人が日本に残留して
助けてくれた人をつきとめてお礼をしにくる事ができたのか…
捕虜の世話してたのは地元の人だからすぐわかったのかな
7  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:03 ID:MwKG.qyy0*
記憶曖昧、半信半疑なので、
詳しい人検証してください。
親族の一人がミッドウェー海戦に参加。
生還したらしい。
・「最上」という艦に乗っていた。
・その艦は沈みかけながらも
数名の乗組員が生還。
ホントかウソか、わからん。
本人も、その兄弟も全員故人。
オレは幼少期に話を聞いた。
憶えているのは、上記二点のみ。
8  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:04 ID:7lS4pXfN0*
小学生の頃に祖父が突然戦時中のことを話してくれたことがあったな
千人針っていって手ぬぐいに赤い糸で名前を縫うもの(こないだ見たこの世界の片隅にでも出てた)を見せてもらったな
驚いたのがプロ野球の古田選手の父親が祖父の教え子だったそうで(祖父は元教師)、千人針の中に古田(カタカナだったかも)って名前があった
終戦間際に手榴弾で集団自決する予定だったが、ポツダム宣言の後終戦、無事生き延びた
戦後は教師を続けて、中学校の校長先生にまでなったそうだ
9  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:17 ID:c1knh83F0*
じーちゃんは小さくて出兵してないし、ばーちゃんも疎開したくらいで、もう直接戦争行った話とかは聞けなくなる世代ばかりだね
ひいじいちゃんが地主の長男だから、国より家を守らなきゃって一番最速で帰れるルートを選んで、2年ほど訓練しただけで速攻帰宅したって話くらいかな。
徴兵されたら絶対出兵してるのかと思ってたけど、そういうわけでもないんだな。
田舎だし空襲経験もない市だからみんな平穏に暮らしてたそうだ…広島とか沖縄とは大違いだ…
10  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:30 ID:CZ8AaFSF0*
俺が子供のころは近所に片腕のない60代くらいのおじいさんがいたわ。戦争でそうなったらしいけど、今思えば生まれて初めて見た身障者だったな。
11  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:34 ID:0rnTf71T0*
私の祖父は元軍人で、広島にいました。原爆落とされた時は港の方にいたので体の方はとりあえず無事だったそうです。ただ、怪我人の看護が地獄だった。重傷者に楽にしてくれとたのまれて何人も止めをさしたと言っていました。素面じゃそんなこと出来ないから酒のかわりに工業用のアルコール呑みながらやった。何人やったかは10人超えたところで数えるのを止めたから覚えていない。最初は銃を使って、弾切れしたから軍刀使ってやった。軍刀も使えなくなってそれでもう止めたと言っていました。
そんな祖父は数年前に87歳で亡くなりました。特に苦しむこともなくあっさり穏やかに逝きました。
12  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:37 ID:NwWI0dcY0*
ガダルカナル沖で駆逐艦に乗ってて沈んでるから話もへったくれもない
13  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:39 ID:l5hcTHYq0*
父が幼い頃、戦争が激しくなったんで家族全員で疎開しようとしたら祖母(自分からしたら曾祖母)が家から離れたくないと言うから叔父(大叔父)と一緒に家に残ったらしい
で、その後間もなく大空襲
終わった後に行ってみたら家は勿論跡形もなく、祖母と叔父も結局見つけることは出来なかった、とのこと
14  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:54 ID:8aaBCm..0*
こういうスレってなんで身内限定なん?
修学旅行で聞いた話でもいいのに
15  不思議な名無しさん :2019年08月12日 09:58 ID:bXLsdk7P0*
軍人だった祖父は原爆が落とされた時に広島にいた
朝礼の最中に防空壕の中で何かをする当番だった祖父は防空壕の中にいた為に怪我もなく無事だった
防空壕の向きが良かったらしく、同じ当番でも逆の方向に入り口が向いてる防空壕にいた人たちは全滅
朝礼で前に立って話す偉い人達は背中、それを聞く軍人さん達は身体の前側が全てただれてて全滅だったらしい
それ以外の詳細は殆ど教えてくれなかったから上記以上に過酷すぎて話せるような内容じゃなかったんだろうな
祖母は状況が状況だから祖父は完全にしんだと思っていたそうで何ヵ月かして帰ってきてびっくりしたそう
暫くは被爆があるかもと子供をつくらなかったそうだが4年後くらいにそろそろ大丈夫だろうと子供を作り始めたらしい

関東大震災でも子供ながら火柱から逃げおおせた祖父は94才で亡くなるまで、炎がでたら先ず指をなめて風に晒して風向きをみろ、風下へは絶対にいくなって口を酸っぱくして言ってた

もっと色々聞いておけばよかったな
16  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:08 ID:it1vpbUq0*
うちのじーちゃんはビルマ(現ミャンマー)で負傷して名誉除隊って言ってたな。傷痕見せてもらったけど、ふくらはぎの肉がごっそりなくなってた。
17  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:11 ID:zMh4DNe00*
ばあちゃんの背中に火傷の跡があって小さい頃に聞いたら砲弾を作ってるときに溶けた金属がかかったって言ってた。
じいちゃんが死んで遺影に使うを探してたら出征の時に撮った写真が何枚か出てきて友人らしき人との写真がホモっぽいって話してたらばあちゃんが若い頃は少し男色の気があったって言ってた。
18  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:14 ID:2GGywOA00*
父方祖父→高学歴に痔主の肝臓疾患で、いい所に配属(内勤?)される予定が、母子家庭で料理が得意だったおかげで調理兵。当時痔主はすぐ戻されたが、人手が足りず二度も召集。南方に行く予定が北海道に配置換え。夕張炭鉱付近で終戦。タバコを吸わないので、配給のタバコを持ち帰り、親戚や近所の人に配ったのが武勇伝。

母方祖父→腎臓が悪かったが乙種合格。でも出征したくなくて「さびしい病気」と申告。おかげで終戦後も10年は雇ってもらえなかったとか。

大叔父→第一次大戦時、近所の寺が駐屯地で、大祖母が生まれたばかりの祖母(19歳違う)を連れて慰問に行ったら「こんなところにチビを連れてくるな!」と怒鳴って諮問。でも将校にはなって帰ってきたので、刀が2本くらいあった。

町内の地主のじいちゃん→慶応卒のラッパ兵。肺気腫になって帰ってきたのに、傷病兵扱いにならず、昭和50年代まで裁判してた。

高校の先生→高校卒業と同時に代理教員になって召集を免れる。学校が駐屯地になった時に生徒を兵の「お世話係」に差し出さなかったことでリンチ。お金持ち私立なので学園長が何らかの袖の下を掴ませて、兵に出てってもらったとか何とか。

こんなところかな。しょぼいけど。
19  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:14 ID:AOrVoTZ70*
樺太から引き揚げてきた祖母、左胸に銃弾が当たってもポケットに入れていた鏡が割れただけで助かった祖父
孫には戦争の悲惨さを語らずして亡くなりました
20  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:14 ID:9dSBMQ7r0*
うちのじいちゃんは戦争の話を聞いても全然教えてくれなくて、死ぬ前にやっと中国で人に言えないこと沢山したから墓まで持ってくと言ったよ…
気になって仕方がない
21  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:16 ID:9dSBMQ7r0*
あとばあちゃんは一緒に逃げた友人達が田んぼの方に走っちゃって気付いたらみんな死んでたって言ってた
22  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:22 ID:7mw.d3q50*
祖国のために戦った人たちには、敬意と感謝しかない
23  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:23 ID:Gc8gImS20*
祖父が憲兵で満州に家族で行ってたが自家に配給された牛の脚とかを必ず村内で公平に分配したり、偉そうにせず正しくその土地の治安を守るだけの行動を取っており、
村の人々があの一家は他の日本人と全く違うと認めて下さってたそう
で、日本に引き揚げないといけないとなった時「○○さん一家を絶対日本に返してあげないといかん!」と、
引き揚げ船に送り届けるべく村の男性が自警団を組んで日本人を○す事しか頭になくなった暴徒から警護して下さったとか
日本人を匿い皆で楯になる行動って下手したら村が丸ごと皆○しにされるのに・・・
この話を思い出す度ただただ頭が下がる
24  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:26 ID:ob8gxIlX0*
長崎人だけど、原爆の話を聞くと凄惨過ぎて血の気が引いて倒れそうになる…自分じゃとても文章に出来ない
長崎、広島に行く時は被爆者の講話を聞いてみてほしい
平和の有り難みを心から実感できる
25  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:27 ID:dHmQkOrg0*
※7
色々書き込もうと思ったが艦名と戦場がわかってるんでwiki読んだ方がはやいぞ
大戦時の軍艦のwikiはどれも読み応えあるぞい
26  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:29 ID:aavBrBr.0*
ばーちゃんととーちゃんは新潟に疎開
じっちゃんは東京で刀鍛冶
専務は撃墜されて洋上に墜落したけど敵兵に助けられた
知人のじっちゃんは千葉で野良作業
そんくらいかな、知ってんのは
詳しくは知らない
みんな故人だ
27  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:30 ID:Fdlv3NAh0*
B29からパラシュート脱出したアメリカ兵が死体になって田んぼに落ちてたってばあさまが言ってた
近隣住民、総出で見物に行ったって
28  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:33 ID:WVV41jmr0*
空襲の時、婆さんとひい婆さんは「あの甲斐性無し(ひい爺さん)を捨てよう!」とひい爺さんと反対へ反対へ逃げたらしい。「朝になっても戻ってこないから死んだと思ってたのに、あいつ生きてたわよ(笑)」て婆さんは話してたな。そんな婆さんも死んじゃった・・・。悲しい。
29  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:33 ID:6ddDZQZf0*
こういうの聞く度に食べたいものを自由に食べれる今って幸せなんだなあって思うよ
30  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:48 ID:LTxRhC.A0*
父方の祖父は満蒙開拓団で満州に赴任し畜産の指導をしている最中に
現地召集された。長春付近の三角山(?)で陣地構築に従事していたが
自動車部隊に応援に出された直後にソ連軍が侵攻し陣地は全滅したとか。
その後捕虜になりシベリアへ抑留されたが2~3年で帰還したみたい。

母方の祖父は支那事変に従軍し司令部付きの伝令だったらしい。
その後除隊したが対米戦開始で再召集され北海道で洋上の監視任務に
就いていたが脚気を罹患し療養中に終戦。
31  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:50 ID:eBZ.obIj0*
爺さんは戦中名古屋で工員やっていていよいよ兵として朝鮮行くことになって船で港に着いた後徒歩で数日歩いていたら
また港に着いたからどこかの島に行くと思っていたら終わったから帰るぞと言われて日本に帰ってきて下宿先ですぐに帰ってきたとびっくりされたと
32  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:50 ID:8ck1sjBo0*
残念だが此の世の実相は殺し合いだ
33  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:55 ID:LS0.ekd30*
米22
祖国の為だと?
行かなきゃ殺されるから嫌々行ってやらなきゃ拷問の後殺されるだけだから戦っただけなのが大半なんだぞ
何が敬意なの感謝なの?
勝手な事言ってんじゃないよゴミムシ
34  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:56 ID:meQtwvHB0*
じいちゃんばあちゃん九州だけど、戦闘機の機銃掃射被害を何度も目撃してて
一度自分も狙われたけど子供だから撃たれなかったとか

米軍民間人撃ち殺し過ぎやろと
35  不思議な名無しさん :2019年08月12日 10:58 ID:HlFRRUIM0*
>>11
お祖父様、大変な経験をなさったのですね。
それをあなたが受け止めてくれて、お祖父様も幾分か心が軽くなったことでしょう。
そして、それを後世に伝えようとしてくれて、有り難うございます。
月並みではありますが、心より、お祖父様のご冥福をお祈り致します。
36  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:00 ID:kC1SE4uC0*
中国戦線で終戦を迎えた陸軍大尉の伯父さんの話。
国民党軍の捕虜になって、台湾の収容所に入ったそうな。
そこで国民党軍の将校と仲良くなって、その将校経由で
検閲無しの手紙とかを実家に送っていたって。
日本に帰ってきた時、お土産に腸チフスを持ってきて
家の近隣の人たちにも感染。本人は死なずに近隣の人達に
死人が出たのは話しにくい出来事だった。
37  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:04 ID:5woQ2NSz0*
うちのひい爺さんは結核で徴兵を外れると、昼間は屋根裏にいて夜にしか出歩ないといっていた。
なお6月頃かな?テレビを見ると”行きたかったなぁ”とぼっそっといったけどな。
どうも沖縄の国立沖縄戦没者墓苑に何人か友人が刻まれているらしい…。
38  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:05 ID:EwQQpn3L0*
親父が紀伊半島の海沿い出身なんだけど
B29が飛んできて焼夷弾を落としたり、沖合いから艦砲射撃があったりで
特に終戦間際はけっこう大変だったらしい
田舎街でもやられたんだよな、戦争って恐ろしいわ
39  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:09 ID:HlFRRUIM0*
>>14
なかなか、そういう話って身内じゃないと聞けなかったりする種類の話じゃない~
それで、そういう書き方になっただけじゃないかな?
だから、もし、身内以外でも貴重なお話がきけたなら、私は教えて欲しいと思うな
40  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:13 ID:HlFRRUIM0*
>>14
あとは、右翼とか左翼とかわからないけど、そういう、なんか人前で話すときって話を盛るように(言われたり言われなかったり、したりしなかったり、)
なんて話もあるから、本当に身内だけで話すときって、リアルな経験を聞けるみたいな意味合いもあるのかな~と
41  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:19 ID:mj8KqYdU0*
うちの婆様が周防大島から原爆のきのこ雲を見たって言ってたな
42  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:23 ID:HlFRRUIM0*
>>23
戦争って恐ろしくて酷いことでしかないって思ってたけど、やっぱり究極的には、人対人だから、世論に毒されないで信条貫いている人たちもいて、そういうこともあったんですね。なんか、胸に込み上げてくるものがありますね。
43  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:23 ID:Po3.HpOq0*
自分も爺ちゃん婆ちゃんにちゃんと聞いておけばよかったな
44  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:29 ID:HlFRRUIM0*
>>24
去年、初めて沖縄に行ったが、ひめゆりは外してはならないと思い、行ってきました。
残念ながら、今はもう語り部の方から直接お話を聞くことは出来なくなっていたが、お話を映像で残されていたり、当時の手記や手紙などの文字で知ることができた。
是非、広島、長崎にも行ってみたいと思っています。

こういうことを、資料館で後世に伝えていくことは大切だが、直接お話を聞くことはやはり、重みがちがう。いつまでも、平和な世界が続いてほしいのだが
45  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:36 ID:HlFRRUIM0*
>>33
それでも、行かないと日本は焦土になっていただろうから、今の日本は無くて、
本音は、ありがとうとごめんなさいの葛藤だよね。
46  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:36 ID:FJtZ1Mic0*
新潟に住んでたうちのばぁさまは高射砲で爆撃機落とすたびに万歳三唱してたって言ってたなぁ
47  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:41 ID:15IFYhXj0*
>>11
年齢…
48  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:41 ID:HlFRRUIM0*
>>34
じいちゃんも空襲なんてない、田舎の子供だったけど、パイロットの顔が見える位の低空飛行で、少し追っかけられて、威嚇するみたいに自分の後ろを数発打たれたことがあるらしい。
49  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:44 ID:796mDnMR0*
幼少だったばあちゃんが米軍戦闘機パイロットと目が合った
子供だから見逃してくれたんだろって
50  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:44 ID:bpTB.vFx0*
儂の祖父、軍医として日中戦争に二回出征

現地で軍馬を与えられるも特別扱いされる事が嫌でたまらなかったとの事

戦後は反戦の立場から朝日新聞を愛読
(余談であるけど、親族に故・村山龍平が居てる)

出征時の事が嫌で裕仁天皇から勲章の授与を固辞し、担当者を顔面蒼白にさせる
51  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:46 ID:HlFRRUIM0*
>>47
おおっ!だまされたーっ
52  不思議な名無しさん :2019年08月12日 11:52 ID:.708BqY.0*
母親の実家が某地方都市の旧市街地の一等地にあり、二階建ての立派な建物が空襲で半焼して俺が物心つくまで平屋の雨漏りするようなバラックだった。
認知症になった祖母が空襲の時の体験を思い出したかのようになることがあって、いたたまれなかった。
53  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:00 ID:QEoUu6hp0*
幼児の父を連れて、妹と3人で川を泳ぎ渡って逃げたと祖母から聞いた。全身焼けて爛れて水を求める人が、次々と川に入ってはそのまま動かなくなる。遺体がぎっしりと浮き沈みしていて大変だったと。父の頭には爆風で飛んできた小さなガラスの破片がたくさん突き立っていて、妹と指でひとつひとつ抜いてから避難袋の赤チンを1瓶まるごとふりかけて塗りたくったそうな。
54  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:05 ID:3hGg81G50*
祖母ちゃんは結構モテて小隊長クラスの人から求婚されてたらしいが、そっちはフって体の弱い祖父ちゃんと結婚した。なぜなら徴兵されて戦死する恐れがないからだったとか
疎開先になるようや山中に住んでたということもあり、戦争の話はついぞ聞かなかったな
大人になって医療系の仕事に就いてから、原爆被害者で医療費免除の人や戦闘機に追い回されて命からがら土手の死角になる場所に逃げ込んだ人などの話を聞くようになった
55  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:10 ID:2GGywOA00*
数年前、金やんが子供の頃名古屋近郊で空襲に遭って友達がシんだ話をしてた。
金やんが戦争の話をするようになったのは、ここ10年くらいのことらしい。
金田賢一さんは、そうやって父親が話したこと伝える活動をしてるとか。
56  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:14 ID:hl78fUY80*
長崎に原爆が落とされた頃、じいさん(当時12才)は熊本芦北の山中にいたんだが、
ほぼ無風の中を見えない何かが木々の間をサーッと通り抜けて行ったそうだ
葉っぱは青々としてるのに、まるでカラカラに乾いた枯葉が出すような不思議な音だったらしい
ナガサキは2日後、終戦は翌日、ヒロシマにいたっては終戦から数日後に知らされるような田舎だから
「そういえばその時…」という曖昧さはあるが、後にも先にも同じ体験はしてないそうだ
天草諸島を挟んで60キロはありそうだが、極小の物質はけっこう遠くまで飛んでるのかね
57  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:18 ID:2TQFLHZP0*
>>23
憲兵って一般人には恐れられてるけど軍内じゃ下士官で高い地位じゃないんだよね
軍や企業のエライさんたちは世界的な情勢を知ってるから
昭和19年頃になると家族は内地(日本)に帰らせてたそうだ
58  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:20 ID:RhMs8xEj0*
>>7
事実と整合しますね。ミッドウェー海戦の後、最上は重巡 三隈と衝突、艦首圧壊しながらもなんとか戦場から離脱に成功してます。
59  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:28 ID:bPnp8rPh0*
数年前に学校の実習活動(?)で周防大島の老人ホームに訪問して身の回りのお世話したりしたけど、自分は歴史についてすごい興味あるからそうゆう話聞いてみたら、100歳近いお婆さんが広島で被爆したらしくて爆心地のほぼ真下辺りにいたらしい。まだ生きてるかなあ、、、
60  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:30 ID:ZKkbUejj0*
太田の中島飛行機で働いてた人の話、B29が1トン爆弾を落として行った、でかいからよく見えるそうな、それが不発。処理したら中身は爆薬でなく土だったそうな。アメちゃんもついに火薬不足になってきたかとため息をついたそうな。
61  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:30 ID:c1aCnmGT0*
遠方にいた母方の親戚のじいさん、いつも酔って入れ歯を外しながら、『ジャワ、スマトラ、ボルネオ、ニューギニア』って連呼してた。子供には恐怖しかなかったが、知ってほしかったんだろうな。
62  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:31 ID:QPxy6aRM0*
祖父は満州辺りで整備兵か何かしてたんだっけな、その後ウラン・ウデに抑留されていた
テレビで特集なんかやってると良く家族に見せようとしてたが実体験を語る事はあまりなかったな
運良く帰還出来たその強靭な生命力のおかげか、80代後半で腹部大動脈瘤破裂になったにも関わらず生還してしまった
63  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:42 ID:XeXxSEuK0*
祖父は南京の近くの街に赴任していて現地民とは関係良好だったみたい。宴会によばれたり中国語のニックネームをつけてもらった話を聞いた。
64  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:56 ID:A0CLbUe90*
おれのばぁちゃんは原爆の時、爆心地から2キロ圏内にいたけど、無傷だったらしい。
黒い固まりがあったから蹴ってみると人だったとか。
今でも当時を思い出すから平和公園とか灯篭流しには行きたくないって言ってる。
65  不思議な名無しさん :2019年08月12日 12:57 ID:RhMs8xEj0*
潜水艦乗り組みだった祖父。
ガダルカナル島への物資輸送で乗ってた艦が使われると知った時「他の奴と顔を見合わせて、
コリャ負け戦に決まったな」とコソコソ話していたそうです。
66  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:04 ID:AEuJFFe20*
父方の祖父母、広島は観音の辺りで被爆。
二人とも無事だったけど家が一瞬で潰れて、しばらくはぐれてたらしい。祖母は近所の人から「旦那なんかほっといて逃げろ」と言われたと笑いながら話してたけど。
けどその時当時まだ赤ちゃんだった自分のおばさん(つまり自分の父の姉)が亡くなってるんだよね。その事の子細はとても聞けなかった。
逃げる時、まだかろうじて生きてる人を跨ぎながら(踏みながら?)市外に逃げたらしいけど、それがずっと気になってたそうだ。これも、子細はそれ以上とても聞けなかった。
67  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:06 ID:SJ6V5bi00*
爺さんは寡黙な人だったから怖くて話を聞こうとは思わなかったなあ
中国に行ってたらしいとしか
68  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:13 ID:ryGnQZqF0*
仕事で会った元零戦パイロットのおじいちゃんは、21型は美しい戦闘機だった。52型はエンジン音がすごいうるさかった。
b29を迎撃するとき機体を引き起こすんだけど、Gで顔の皮がグワーって引っ張られるんだよ~って言ってたなぁ。
もっと話聞いとけばよかった。
69  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:17 ID:0vRpZNRW0*
爺さんに聞いた話いろいろ
穴を掘って敵戦車が上を通ったら棒につけた炸薬をぶつける攻撃で運良く生き延びた
腸炎が流行して麻酔なしでの開腹手術が行われていた
天皇陛下万歳なんて言って死ぬやつはほとんどおらず、みんなおっかさんと言って死んでいく
捕虜に取られて米兵に労働させられてたけど、立ってさえいれば何も言われないことがわかったので、一日中何もせずに突っ立ってた
上官がとにかく殴ってきてむかついたので、毎晩上官の飯にフケを入れてたら、大抵のやつは数カ月で体調不良になった
爺さん死んでもう十数年経つので記憶が曖昧だけど。
70  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:22 ID:QF7ABCXf0*
親父の同僚の人が赤ん坊の時に広島で被爆したって聞いた
崩れた家の中にいたけど、こたつの中で寝ていたので奇跡的に無事で、お姉さんが必死で瓦礫を掘りだして助け出してくれたって
それですぐに家族一同で庄原に避難したので、放射能の影響も最低限で済んだ(それでも体が弱くて時々病院のお世話にはなるけど)って家族に感謝してた
「でも俺の体から今も放射能が出てるかもなwww」と小学生だった俺に冗談を言うユーモアある人だったな
71  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:30 ID:.xJAgkgq0*
祖母の兄弟がふたり、シベリアに抑留されていたそうで、話を聞いてみたいと思っていたが、経験者は話したくないだろうから止めておけと親にとめられていて、結局そのまま話を聞く機会の無いままお二方は亡くなられた。
去年、その方の娘さんに会う機会があり、それとなくシベリアでの話を聞いたことは無いかと問うてみたが、シベリアでのことは一言も話さなかったとのこと。よほど深い心の傷になっていたんだろうなと察した。
聞きに行かなくて、それでよかったみたいだ。

娘さんに、仲間が亡くなっても、凍り付いたシベリアの土を掘ることは難しく、埋葬も困難だったという話だけは聞いたことがある、と教えてもらった。
72  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:47 ID:CTJKUb8m0*
おじいちゃん97歳で、まだ超元気。
小さい頃に教えてもらったけど、凄く恵まれてたって言ってた。
早々にアメリカ兵の捕虜になったんだけど、身の回りの世話してるだけで、三食食べさせてもらって、英語教えてくれてたって。
みんな、本当は戦争なんてしたく無かったんだよなぁ。って言ってた。
おじいちゃん、強運の持ち主なんだよきっと・・・、97歳未だ病気、ボケ知らず。毎日5km散歩して、囲碁やってるw
73  不思議な名無しさん :2019年08月12日 13:52 ID:NbH3nikl0*
海軍兵学校の水泳教練(?)は、ほぼ一日中海の中で泳がされる。
休憩も教官の乗ったボートにつかまるだけ。
飯もそのまま食う。

めでたく海軍士官となり、どっかの学校でしばらく教鞭をとっていたが、
そのかつての教え子が、ソニーを作り上げた。
俺らのやってきたことは、無駄じゃなかったと思えた瞬間だった。

本当に亡くなる間際に、かろうじて聞けた爺ちゃんの戦時中の話。
74  不思議な名無しさん :2019年08月12日 14:03 ID:3c5KuE9c0*
祖母が被爆者、だけどたまたまビルとビルとの間の小道を移動中がその時で、ピカッと光った瞬間に爆風にすっ飛ばされて気絶しただけで済んだ
ほぼ無傷だったので、簡易の治療所で赤チンを塗るというボランティアをしたらしい
並ぶ人はもう助からないだろうな、なんでこの人は生きていることができるのかと思うくらいにひどい人が多かったとか
でも、そういう人でも、赤チンちょんちょん、と塗るだけの治療(?)で安心したらしかった。すごく喜んでたって
頭蓋骨にレンガが刺さってる人も、全身焼けただれてる人も、一箇所に二、三回だけ、赤チンを塗るだけで満足するんだってさ…
中にはそれで安心して気が抜けたのか、その場で力尽きた方もいたという

かなりトラウマになっているらしく、被爆証言したり孫に原爆のことを話したりした次の日は、一日中寝込んでたよ…
75  不思議な名無しさん :2019年08月12日 14:12 ID:MUOWeBgt0*
祖父は通信兵の予備兵扱いみたいなので
広島に行く汽車の中で原爆が落ちたのを見たとか
肩のあたりに小さい火傷があって、これはピカドンでやられたとか
よく言ってた
76  不思議な名無しさん :2019年08月12日 14:13 ID:X9sscbuR0*
祖父はあまり戦争時のことは話したがらなかったな。
目に被弾して失明したからよっぽど怖かったんだと思う。
夏休みの宿題に戦争の話を聞く、ってのが毎年あった昭和の子供だけど配慮がねーなと子供ながらに思った。
77  不思議な名無しさん :2019年08月12日 14:45 ID:kIcqXKTD0*
うちも爺ちゃんがシベリア帰りだった
カラカンダという町にいたことは聞いたけど
それ以外はあんまり話さなかった
ただ選挙の時「共産党は働く者の味方だ」といつも言ってた
今思えば洗脳されてたんだろうな
78  不思議な名無しさん :2019年08月12日 14:56 ID:x3fRmf3U0*
戦後だけど母が子供の時に町で片腕や片足がない人をよく見たそうです
79  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:02 ID:5BX9hfxM0*
うちの母方の祖母は北関東に住んでいたが、たまたま用事で東京に出かけた日に東京大空襲にあって、瓦礫の下敷きに。通りかかりの人が腕だけ瓦礫から飛び出しているのを見つけて引っ張り出してくれたそう。その方とは終戦後も暫く手紙でやり取りしていたとか。
父方の祖母の従兄弟はラバウルに向かう途中で船が襲撃にあい、海に沈んだ。戦後大分だってから、祖母がパプアニューギニアに行った時に、途中で船を止めてもらって花束を海に投げたと言っていた。
80  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:03 ID:MwKG.qyy0*
>>58
7です。
ありがとうございます。
「オレは艦にしがみついて、
帰ってきたんだ。」
って話してくれた事を憶えてます。
81  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:06 ID:kychYV8y0*
ひいじいちゃんはビルマで戦死した
遺骨といって渡された箱の中には軍服の名前の書かれた布切れを渡された、とひいばあちゃんは言ってたな
そんなひいばあちゃんも2年前に104歳で大往生した
「私は滅多な事では死なん!お父さん(ひいじいちゃん)の分まで生きにゃならんのじゃ!」
「夏は暑いんだから、暑い暑いと言ったらダメだ!昔はもっと暑いところで沢山の人が死んだんだ!」
「食べ物は滅多な事では粗末にするな!」
呆けた晩年でも上の三つは口癖だったな

母方のひいじいちゃんは満州で出稼ぎして、結構な金額を送金してたそうだ
でも満州でソ連が参戦するんじゃないかという噂が流れ始めた頃に一足早く内地へ帰ったが、帰る途中でマラリアが結核になったとかで家に着いて数日で亡くなった
82  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:14 ID:g6OaNrlf0*
昔、患者さんであるおじいさんが戦時中、隊を率いてカンボジアのアンコールワットで銃撃戦をした話を聞かせてくれたなぁ。
その時受けた銃創の痕を見せてもらった。
『無礼講』っていう飲み会があって、その時だは階級差を忘れて気楽に飲んでたらしい。
ある日の無礼講の席、酔っぱらった勢いに任せて、自分の部下を虐める上官の頭をビール瓶で殴ったら、一週間懲罰房に放り込まれたって話してた。そりゃそうだわ。
ある日、上官に『お前は日本に帰って後世を担える世代を育てろ』って言われて帰国されたそうだ。その人は知性と人徳を持っていたから、上官も思うところがあったのかな。
帰国後は、街の教育機関に大変貢献された方だった。

気さくな方で、何度か一緒にご飯を一緒にさせてもらったけど、当時の幕僚長とかから電話がかかってきたりして、その都度背筋が伸びる想いだったわ(笑)
83  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:16 ID:6GVKBv780*
シリアスな話の中申し訳ないが、うちの婆ちゃん蝉が嫌いだったんだよね。
ある日なんで?って訊いてみたら、戦争中アブラゼミを煮て油を搾り取ろうとしたことがあったんだそうで。町内でアブラゼミ集めて、ぐらぐら湯を沸かした鍋に放り込んだんだって。
その蝉の断末魔の鳴き声と臭いで、蝉を見るのも嫌になったとか。
当然ガキの自分はびっくりしたんだけど、他で聞いたことがないから、本当にそんなことしてたのか?未だに半信半疑。
でもGすら平気だった婆ちゃんが、蝉は写真見るのも嫌がってたから、やっぱり本当にやってたんだろうなあ、と思うんだけどさ…。
84  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:24 ID:RjQRkRSp0*
田舎の小さな村だけど空襲にあった
機銃掃射にあい家に飛び込んで震えていた
凄まじい音だった
飛行機が去った後で台所に行ったらフライパンに穴があいていた
85  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:38 ID:Nlwz0uuh0*
うちの祖母は勤労奉仕で戦闘機の部品作っていた
よくいえばおっとりしたお嬢様育ち悪くいえばぼんやりしたタイプだったから、憲兵さんからスゲー怒られて、そこを工員だった祖父がかばってくれたことで惚れ、戦後結婚した
祖父母に戦争の話を聞くと、このときのノロケ話ばかり言うから、小学校で「おじいさんおばあさんに戦争の時の話を聞こう」系の宿題出されると困った…
86  不思議な名無しさん :2019年08月12日 15:55 ID:tpbLNT1z0*
駆逐艦かなんかの(名前聞いてない)の機関士だった親戚のじいちゃん、
2回船沈められて2回とも生還。
一晩中泳いでいたらしいけど、どんどん泳げない部下やけが人が
沈んでいくのをどうすることもできなかったとお酒飲むたびに言ってた。

父方のじいちゃん家が進駐軍に接収された後、返してもらって家の中に
入ってみると、床の間がピンクや黄色のペンキで色付けされていたそうな。

満州から生還した母方のじいちゃんは闇市の帰りに検閲で食料を没収された時、
人が隠れるぐらい山のように没収品が積まれていた為に表からは見えず
没収品の山の裏側に回ってそれらをリュックに詰めて帰ってきたらしい。
87  不思議な名無しさん :2019年08月12日 16:00 ID:tpbLNT1z0*
大阪に出た時に空襲に合い、子供(後の私の母)を背負って逃げていた母方のばあちゃん。
前を走っていた母親が背負っている赤ちゃんの首が無かったのを見て
思わずまだ赤ちゃんだった我が子を振り返ったらしい。
首があるのを見てホッとしたと言っていた。
88  不思議な名無しさん :2019年08月12日 16:03 ID:tpbLNT1z0*
徳島の海岸沿いの田舎に疎開していた子供の頃の母とその兄。
浜辺に打ち上げられた機雷のとげをめがけて石をぶつけて遊ぶという
怖いもの知らずな事をしていたと言っていた。
実際に機雷がどういうものなのか知らなかったらしいけど。

その後、アメリカさんが機雷を沖に引っ張って行って爆破処分した時
ものすごい地響きがしたと語っていた。
89  不思議な名無しさん :2019年08月12日 16:08 ID:tpbLNT1z0*
練習用の模擬手榴弾がじいちゃん家で漬物石代わりになっていた。
爆発しないので今でも記念にとってある。
90  不思議な名無しさん :2019年08月12日 16:08 ID:3ECdADhE0*
戦争の話はなにも聞いていないけど、この間掃除した際に謎のすんごく重い円盤を見つけた。
直径50センチ位で方角とか角度とかが彫っているんだけど、なんとか式って書いてる。なんで本家にあったのかも謎。これどこに持って行けば調べてくれるのかもよく分からない。誰か分かる方いらっしゃらないかな?
91  不思議な名無しさん :2019年08月12日 16:13 ID:ACI8U4770*
8のは聞いたことある。
もともと真ん中狙いたかったけど、熊本は曇ってて結果が分かりづらいから長崎にしたって聞いた。
本当かどうか知らんけど熊本に落とされてたら俺はおらんわな
92  不思議な名無しさん :2019年08月12日 16:37 ID:HOo5InsM0*
祖父の兄は絵がとても上手かったそうで、ある日上官からの依頼で手紙に添えるための簡単な肖像画を描いたらしい。
すると部隊内で評判が広まり、階級問わず毎日のように絵を描いてくれと依頼がくるようになった。
しかしその依頼のほとんどは肖像画などではなく、裸婦像(要はエ.ロ絵w)だったらしいw
男しかいない環境の中でおかずを精製できるスキルは大変に重宝がられ、
タバコや菓子などをたくさん恵んでもらったり、上官からも一目置かれていたとか。
戦時中も神絵師っていたんだなって話。
93  不思議な名無しさん :2019年08月12日 16:48 ID:1H1zS6rR0*
うちの父方の爺さんは視力が弱すぎて検査に合格しなかった。母方の爺さんは師範学校を出て田舎で早々に校長になってたので徴兵されなかった。連れ合いの爺さんは徴兵されたけど連隊でトップの成績とって皇居を守る部隊の兵隊となったので、休暇もきちんと貰えて、部隊にいたときもやることないから毎日皇居の周りを走ってたらしい。東京大空襲も、持ち場は皇居だから普通に生き延びた。ただ部隊同士の絆っていうか、戦地に行ってた人のような「戦友」ってのはいないって言ってた。
94  不思議な名無しさん :2019年08月12日 17:35 ID:.M.5Lm2d0*
>>大牟田市の海沿いから長崎原爆のきのこ雲が見えたって話を聞いたことあるけどそういった体験談を聞いたことある人いる?

まさにうちのこないだ死んだばあちゃん。
大牟田の工場で働いてたとかなんとか。
そこも空襲された事あるし、長崎の原爆の時はキノコ雲を見たと言ってた
95  不思議な名無しさん :2019年08月12日 17:41 ID:.0XTNGvw0*
>>48
うちの田舎のばぁちゃんも子供の時に全く同じ体験したわ
96  不思議な名無しさん :2019年08月12日 17:47 ID:y8WRyD620*
子供の頃、親と出掛けてて帰ってきたらばーちゃんが庭で倒れてた
庭いじってたら焼夷弾の破片が出てきて卒倒しちゃったんだと
大事には至らなかったけど、普段は陽気なばーちゃんが
そこまで参ってたの見たら戦争って怖いんだなって実感したわ
97  不思議な名無しさん :2019年08月12日 18:17 ID:aTeSoecM0*
>>95
やっぱり、弾はある程度使わないと帰ったときアレかな?とか、でも、子供は打つのは忍びないし、早く家の中、逃げなって意味なのかな?
98  不思議な名無しさん :2019年08月12日 18:44 ID:isnbL41X0*
じいちゃんは中国内地で戦ってたらしい
日本の銃は撃つと光るからすぐに居場所がバレて集中放火を浴びた
じいちゃんは足を負傷して夜戦病院にいたので生き延びた
100人いた部隊で生き残ったのはじいちゃん含め3人だけ
船から日本が見えたときに心の底から安堵して泣いた
じいちゃんに聞いたのはそれくらい
もっと詳しい話も聞きたかったけど、俺も子どもだったしそれくらいしか聞けなかった
99  不思議な名無しさん :2019年08月12日 18:48 ID:isnbL41X0*
ばあちゃんは空襲から逃げるときに別の方向へ逃げた友達が吹き飛んだのを見てたらしい
「戦争だけはしてはだめ」
それが遺言だった
100  不思議な名無しさん :2019年08月12日 18:53 ID:jDS3mOws0*
うちのジイサンは軍役してない
が、ちょっと興味深いのが、若い頃は女物の着物を着て歩いてたそうで、見合い結婚させられたバアサンとは子供つくらずにオヤジを養子にした
結局赤紙はこず召集されなかったらしいけど、やっぱ当時も男色は不適当だったんだろうか?
101  不思議な名無しさん :2019年08月12日 20:04 ID:4eLfdGXY0*
>>64
俺のばぁちゃんの姉さんもそう。爆心地に近い嫁ぎ先の家で被爆したけど、たまたま庭のブロック塀のそばに立っていたから、大量の放射能と熱線を浴びることなく済んだって。爆風で塀ごと吹っ飛ばされて、かなり怪我はしたけど。
夫と子供は無事だったけど、他の家族はダメだったらしい。
当時の地獄絵図は、何十年たっても忘れられなくて、俺に話してくれてる最中に何度も涙を流していた。
でも広島以外にいた他の親族の中には、身内に被爆者がいる事を快く思わない人がいて、俺が大伯母から話を聞いてると、「子供にそんな話して!近所に知られるやろが!」とあからさまに嫌な顔をする人がいた。
102  不思議な名無しさん :2019年08月12日 20:35 ID:APgL.bud0*
爺ちゃんは今でもカボチャが嫌い。
理由を聞いたら戦争の時食いすぎて見たくないそうだ。
103  不思議な名無しさん :2019年08月12日 20:45 ID:Q8ZLjZM20*
>>74
涙出た
瀕死の人でも僅かな手あてが心の救いになるんやな
104  不思議な名無しさん :2019年08月12日 20:49 ID:dGSpuokH0*
>>12
うちの祖父の従兄弟が、終戦間際にガナルカナル島の飛行場で砲撃くらって亡くなってるよ。まだ20代前半くらい。
うちが本家なんで出兵前に撮った写真があるけど、自分に似てて不思議な感じがする。
105  不思議な名無しさん :2019年08月12日 20:54 ID:dGSpuokH0*
>>15
お祖父様の経験談ありがとうございます。
指を舐めて風向きをみる、戦争に限らず、日常でも大切な事ですね。自分の子供にも伝えていきます。
106  不思議な名無しさん :2019年08月12日 20:59 ID:JyD97Yf30*
うちのおじいちゃんはシベリア抑留経験者。
北方戦線経験者にはよくある話かもしれないけど、うっかりして手袋なしに金属に触ると手が剥がれなくなって無理に剥がすと手の皮が全部持って行かれるというのは聴いたよ。行軍も木のスキーでひたすら進んで行くもので寒くて辛くて仕方なかったと。そりゃそうだよね、連日10時間以上のクロスカントリーなんだしマイナス数十度の世界。それだけでも想像を絶する。
「そのあとソ連軍の捕虜になったけど、正直これで助かったと思ってほっとした。」と言っていたのが印象的だった。
またそのおじいちゃんの息子たる父から聞いた話では、「親父は特にスポーツが得意な人ではなかったが、スキーだけは抜群に上手かった。戦時中雪道を木のスキーで何十何百キロと行軍した人にとってスキー場をスキー板で滑ることなど朝飯前だったんだろう。」と。また同じく父談で「親父は戦争に行ったけど誰も殺さなかった、でなければ胸を張って日本へ帰って来ることは出来なかった、と言っていて親父を誇らしく思った。」と。従軍中の殺人なんて誰しも好きでやったわけではなくやむを得ない状況のことで、殺人があったとしても安直に非難すべきではないと思うけど、戦時中とはいえ人を殺して居ないと胸を張るのも分かる。
107  不思議な名無しさん :2019年08月12日 21:03 ID:dGSpuokH0*
>>20
近所の爺は、引き揚げの時にあちこちから金目の物を盗んで帰ってきたらしい。近所では有名な話。
悪いことはするもんじゃないね、その家、お金あっても、継ぐ人がおらんわ。孫の代で終了。
108  不思議な名無しさん :2019年08月12日 21:26 ID:4eLfdGXY0*
>>107
有名になるってことは、当時のことを自分で吹聴してたのかね
生きるために綺麗事を言ってられない時代だろうし、自分はそんな経験したことない平和な時代の後輩だから、もう仕方なかったとしか言えないわ……
109  不思議な名無しさん :2019年08月12日 21:41 ID:Qp0rE5390*
>>27
うちの地元では生きてパラシュート降下してきた米兵がいた。
英語が出来る地元の小学校の校長先生が呼ばれて現場に駆けつけたが、駆けつけた時点で既にに集まって来ていた男衆に半殺しされていたとのこと。流石に命までは取られないでどこかに移送されてったそうだが。
110  不思議な名無しさん :2019年08月12日 21:44 ID:uMINPvCT0*
爺さんがガ島にいたって聞いて喜んで

俺「おじいちゃんもトカゲとかヘビとかカエルを食べたの?」
爺「そりゃ食べたが…」
俺「うわー、気持ち悪~い、美味しいの?」
爺「虫もトカゲもカエルもヘビも早いんだよ…本当に飢えて動けなくなると、そんなのは捕れない」
俺「……(・____・)チーーン」
爺続けて…
「なんでも良いから口に入れるんだよ…、意識があるかどうかもわからない状態で、土でも草でも口に入れるから、手の届く範囲だけ草もなくなるんだよ。水も生水はダメといわれても意識がハッキリしないから、飲んだか飲んでないのかもわからないんだよ」
俺「……」
111  不思議な名無しさん :2019年08月12日 21:50 ID:sMgWFT8r0*
>>20
うちのじいちゃんも中国行ったよ。
写真見ると北部から西域に行ったみたいだけどね。
一緒だよ、死ぬまで何にも話さなかった。子供にもその孫にも。
だからと言うのではないけど、孫である俺は大学で中国語を専攻し、授業の一環で中国で日本軍が何をしたかを中国と日本の資料を突き合わせて調べた。現地にも赴いた。
結論から言うと、極力公平を期しての調査であっても、結局日中双方のナショナリズムの壁に阻まれて真実は分からなかった。
一次資料が破棄されてたり、改竄されてる疑いのあるものが多くて、なんだか国家の専横ばかりが目に付いた。
じいちゃんが、そこまで悪者だと思いたくないけど、じいちゃん本人も俺には知られたくないのかも知れない。正直、知るのは怖い一面もある。
でも、知らないままで本当に良いのか、卒業して20年以上が経つけど未だにその答えが出ない。

112  不思議な名無しさん :2019年08月12日 21:53 ID:sMgWFT8r0*
>>22
あと、戦争はもうやっちゃいけないと、先人が命をもって教えてくれたことも大事にしようぜ
113  不思議な名無しさん :2019年08月12日 22:00 ID:zay5Xak00*
曽祖父が特攻隊だったけど、出撃前に終戦したらしい。

大人になるまで、戦争って軍人・民間人を構わず攻撃されるものだと思ってた。民間人への攻撃はダメだって知った時ビックリしたよ。
114  不思議な名無しさん :2019年08月12日 22:01 ID:sMgWFT8r0*
>>44
沖縄の人がなぜ基地を憎んでるのか、その辺の経緯が分かるようになるよ
でも基地で儲けてる人もいて、基地を生活手段としてる人はあまり基地のことは話したがらない
戦争は、終わったらそこで過去のことが全て消えて無くなるわけじゃない
未来まで永く傷跡を残すもんだと思う
115  不思議な名無しさん :2019年08月12日 22:20 ID:8JKHrnc40*
熊本だけど、高齢者から長崎の原爆の話よく聞く。
その時窓ガラスがビリビリ震えたって。西を見るとキノコ雲が上がってたって。
最初に聞いたのは父親からだったけど、原爆投下当時父親は子供だったし、半信半疑だった。
でも父親よりもうんと年上の人達からも同じ話
を聞いて、やっと本当に熊本での衝撃波みたいなのとキノコ雲見えた話は本当だったんだと知った。
116  不思議な名無しさん :2019年08月12日 22:46 ID:sMcjYfRa0*
祖父母からは戦争の話は聞いた覚えがないけど、親戚から聞いた話では、ひぃばぁちゃんが息子(祖父ではない他の兄弟)に会いにどっかの軍事施設?に会いに行って、帰ってすぐ亡くなったとか。戦死じゃなくて病気かなんかで。
うちは本家だけど、軍服着た写真とかありそうなのに見た事ない。古いアルバムは昭和20年か30年代位のは見た事ある。
117  不思議な名無しさん :2019年08月12日 22:54 ID:s88eiYpb0*
>>33
だから戦争はもうしたらダメだってことだろ
これが、ご先祖が俺たちに残した最大の教訓なんだよ
118  不思議な名無しさん :2019年08月12日 22:56 ID:sMcjYfRa0*
ここに書込みした人のじーちゃん達とかが戦地で一緒だった人もいるんかな?
119  不思議な名無しさん :2019年08月12日 22:58 ID:s88eiYpb0*
>>97
だとしたら、良いんだけどね。
ばぁちゃんは怖くてその場に立ちすくんでしまったんだけど、米兵が機銃をわざと別の方向に撃った後、ばぁちゃんに手を振って、戦闘機が飛んでったって。
120  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:00 ID:s88eiYpb0*
>>61
なんだろう……忘れたくない想いがあるんだろうな。短いけど、胸に来たよ。
121  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:03 ID:s88eiYpb0*
>>63
相当人柄が良かったのと、知恵の働く賢い人だったんだろう
きっと人の役に立つ優秀な人物だからこそ大事にされたんだよ。
122  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:16 ID:s88eiYpb0*
>>66
仕方ないよ。人を踏み越えて逃げざるを得なかったのは、おじいさん、おばあさんのせいじゃない。
自分のせいでそうなったわけではないことで、なぜ悩み苦しまないといけないのか。
名前忘れたけどある俳優さんも、東京大空襲で逃げる時、迷子ではぐれた幼児の手を引いて逃げてたけど、焼夷弾がその子に当たってしまい繋いでいたほうの腕だけになってしまった。恐怖でその手を振り捨て、逃げてしまったことをいまだに後悔してて涙を流していたよ。
せめて、ちゃんと弔ってあげれば良かったって。
理不尽だよ、生き残った人も被害者なのにいつまでも自責の念にかられるなんて。
123  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:17 ID:s88eiYpb0*
>>68
話が少しでも聞けた事は羨ましい
124  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:24 ID:CXKHQXr10*
>>74
心身消耗するほど辛い記憶でも、話してもらえて良かったな。こうしてネットでも、その記憶と辛さを大勢の人と共有できた。大切な記憶だよ。
125  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:37 ID:eZjtY1XJ0*
>>90
対戦車地雷なんて、当時まだ無いか。
126  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:49 ID:0kr2Nw600*
うちのばあちゃん、学校でまともに教育を受けられなかったのを未だに悲しんでる。
大阪は空襲が多くて、頻繁に空襲警報で授業が中断されたそうだ。
母親が亡くなって、兄弟の面倒を見てたせいもあるらしいが。

印象深いのは、戦時中より戦後のほうが苦しかったとしきりに言ってたこと。
戦時中はまだ配給があったからなんとかなったけど、戦後の焼け野原では闇市にしか物がない状態で、周りの女の子は米兵相手の「パンパン」になって兄弟を養ってた、と泣きながら語ってたな。
そんな中で、闇市で子供ながらに仕事をもらったり、そこらの雑草を食べたりしながら、結婚までは綺麗な体でいられたそうな。
学がないばかりにキツい仕事にしかありつけなくて、こういうときに学校へ行けなかったのを心底悔やんだそうだ。

そんな苦労性のばあちゃんも今年で米寿。
そう遠くない未来に戦時を知る人が去っていくと考えると、彼女らの物語をこうして残せるのは有意義だと書きながら思った。
127  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:50 ID:eZjtY1XJ0*
>>106
運が良かったし、かなり上手に立ち回れる人だったんじゃないか。普通、上官の命令に従わなかったら軍務放棄や軍規違反で私刑に遭って殺されても文句言えんからな。
シベリア帰りの人は祖母の近所にいたけど、寡黙でいつも肩身狭そうにしてたわ。106の祖父と何が違ったんだろうな。
128  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:53 ID:RLLkGKi00*
今更書き込んでも読む人いるかわからんけど
というか本人から聞いたわけじゃないから、憶測混じった部分があるけど

俺は目と髪の色が少し明るい。学校ではそれで染めてるんじゃないかって疑われたレベル
どうしてかって親に聞いたら、なんかもにょもにょと躊躇いつつもこう言った。俺はロシア人の血が入っていると。
髪が明るいのは母方なんだけど、なんでも祖母は北方領土からの帰還者らしい。

あっ(察し)
129  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:55 ID:eZjtY1XJ0*
>>126
ばあちゃん、大事にしたげてね。
このコメ欄全てが後世にとって貴重な証言になればいいね。
130  不思議な名無しさん :2019年08月12日 23:59 ID:dGSpuokH0*
>>38
浜松だけど、沿岸部は工場などあったから、艦砲射撃は結構あったって祖母から聞いたわ。
131  不思議な名無しさん :2019年08月13日 00:07 ID:fAOMzFnq0*
>>113
じゃあ、空襲とか原爆とか、なんなんだよー
って言いたくなるよね
まして、沖縄なんて
132  不思議な名無しさん :2019年08月13日 00:12 ID:fAOMzFnq0*
>>128
お祖母さん、大変だったね。
特殊婦人っていうの聞いたことある…
133  不思議な名無しさん :2019年08月13日 00:12 ID:yHDUlYzp0*
>>101
今でこそ被爆された方々がどれだけ苦しんだかをテレビなどで知ることが出来るようになったけど、私が子供の頃もどちらかというと、あなたのご親戚の言われたことに近い雰囲気がまだまだ残ってた。
134  不思議な名無しさん :2019年08月13日 00:25 ID:yHDUlYzp0*
>>92
出征前に、写真撮っておいただろうか、肖像画よりもそっち、だったんだろうね。
135  不思議な名無しさん :2019年08月13日 03:15 ID:gcFxm7YR0*
>>20
うちの母方の祖父の兄
つまり爺ちゃんの兄ちゃんかな
シベリアで勾留されてたらしいんだけど
誰が何を聞いても何も話すことなく死んで行ったな。
136  不思議な名無しさん :2019年08月13日 03:59 ID:90FOLdwO0*
今は亡き祖母(大正生まれ)が、あるとき風邪気味で雑炊をすする私にしてくれた話。
戦時中は、雑炊食堂というのがあって、外食できる数少ない場所だったと。

雑炊食堂って、ググってみると、米が少なすぎるとか、水分が多すぎとか出てくる。

お嬢様育ちで、子供の頃は贅沢三昧だったはずの祖母が、しみじみと
「美味しかったで、ありがたかったで…。」
と言っていたのを聞くと、戦時中の食糧難がいかに大変なものだったのかと…。

料理上手で、シチューとか、ビーフストロガノフとか、洋食も色々作れたのに、自分は「お米がいちばん」って言ってた。
137  不思議な名無しさん :2019年08月13日 05:34 ID:SELtnLQh0*
こういうことをもうしなくて済むように、どうにか考えないとな

世の中やれ戦力を持て核を持てと、本当の地獄を知らねえなまっちろいガキが増えて困る
138  不思議な名無しさん :2019年08月13日 08:06 ID:9okjNAcp0*
>>137
なまっちょろいガキが言っても説得力がな
139  不思議な名無しさん :2019年08月13日 09:27 ID:DEtYf8TO0*
まだ存命の婆ちゃんから聞いた話
俺の曾祖父は陸軍にいて、1945年の8月にちょうど広島に居たそう
8日くらいまでの予定だったんだけど、8月5日お世話になってる上官の命令だという人物が車でやってきて、曾祖父の地元でもある岡山へ急遽行くことになったらしい
そして8月6日を広島で過ごさず回避
後日その上官に移動の理由を聞いたら「そんなのは命令した覚えがない」と
でもお前は強運だなと

真相がわからないまま、曾祖父は俺が生まれる前に亡くなった
140  不思議な名無しさん :2019年08月13日 10:47 ID:QrDNmGGz0*
祖父は野営してる時、深夜に奇襲に気付き逃げたらしい。状況的に熟睡できるわけもなく気付いた人は逃げれたが、それでも逃げ遅れる人が数人。殺される恐怖と背後から聞こえる逃げ遅れた仲間の喧騒、仲間を置いて行く罪悪感で胸が張り裂けそうだったと。迎え撃ったり助ける余裕などなかった、逃げれた仲間もすまんと泣いていたと、戦争のことは思い出したくもないと、それきり戦争について語ることはなかった。
141  不思議な名無しさん :2019年08月13日 11:41 ID:QrDNmGGz0*
>>28
ひいじいちゃんどんだけ甲斐性なしだったんだろうかw
142  不思議な名無しさん :2019年08月13日 11:44 ID:he8jtPTO0*
自分の曾祖父は理系で技術系の戦前は研究員だった、けど戦争が開始してから前線の敵兵器(捨てていったもの、鹵獲したもの)を持って帰ってくる仕事に徴兵された。
で集めてる感じ「もうこれは戦争に勝てないな」というただの技術員でさえも感じ取れるぐらい米軍の機械の方が上手だったそう。
だけどインドネシア方面で捜索中、戦闘の激化で帰れなくなった。だから現地で駐屯軍数百人と敵兵もいないからサバイバルしてた。
山の方で火を上げるとそこに爆撃やら艦砲射撃が来るから、その一方で麓で地下壕の中で食べ物を焼くんだと。
最終的に米軍は上陸してこなくて終戦を迎えたんだが、なんとそこでその島の上官が自殺。そうすると自然と技術工作員ということで誤差程度で位が高かった祖父は終戦後きた米軍に戦犯容疑者として連れてかれた。で、2年ぐらい収容所や裁判でうろちょろしてたけど、無事無罪で帰還。
その後、日本に帰還して自分の家を見つけたけど合ってる確証がなくてその場立っていたら、あまりにも見た目の汚さ(服は敗れて汚れ、髪が長い)で、幼い頃に去ったため父親の顔を知らない7歳ぐらい娘(祖母)が「変な人が立ってる」と母親(曾祖母)を呼びにいって、初めて曾祖父が帰ってきたことを認識してくれたそう。
143  不思議な名無しさん :2019年08月13日 11:45 ID:QrDNmGGz0*
>>72
戦火の中命からがら生き延びたって以外でも、運が味方してくれる有り難さはやはりあるな。長寿で元気で何よりだわw
144  不思議な名無しさん :2019年08月13日 11:46 ID:he8jtPTO0*
>>142
自分は在命中に会うことはできなかったけど(多分あと5年ぐらい早く生まれれば会うことはできた)
そこまで辛い経験、つまり人を殺したりとか餓死者続出とかではなかったそうなので
毎回積極的に当時の体験談を話してくれたそう。
もしかして話を伝えなければいけないという使命感があったのかもしれないなと思う。
145  不思議な名無しさん :2019年08月13日 13:02 ID:yXZnMEB90*
>>63
私の祖父も終戦時に南京にいましたけど、現地の中国人と仲が良くて、よく麻雀したって語ってましたよ。
146  不思議な名無しさん :2019年08月13日 13:22 ID:qOevRhFn0*
私の父は満州で生まれた。
本当は昭和18年の大晦日に生まれたらしいんだけど、年末で役場?的な所が開いてなくて出生届が出せずに翌昭和19年1月5日が誕生日になったと。
また、その時点で既に現地の雰囲気は悪化してたようで父が1歳になるのを待って引き揚げて来たそうだがとにかく船も港も大混雑ではぐれないようにするのが大変だったと父方の祖母が言っていた。その際はぐれていたら父は中国残留孤児になっていて、今あんたは日本にはいなかったね、とも。

母方の祖父母は戦争に関しては話したがらなかったから子ども心に聞いてはいけないと思ってた。
身体が弱くて終戦ぎりぎりに衛生兵として徴兵された祖父、東京大空襲を経験した祖母共に口が重かった。
思い出したくなかったんだろう。
けどどちらも故人となってしまった今、少しだけでも聞いておきたかったな。
147  不思議な名無しさん :2019年08月13日 18:17 ID:gAvB26Cu0*
沖縄出身。

曾祖母が沖縄戦を生き延びた。小さい子供と逃げていて、ガマ(防空壕)を見つけて避難しては日本兵に追い出されたと聞いた。子供は泣くから、泣かれると敵に居場所がばれる。銃剣を突きつけられて「これでコロされるか、おまえがコロすか、どっちかにしろ!!」と言われた曾祖母は、どっちも選べずに鉄の暴風と呼ばれた地上戦の中を逃げ回った。
背中におぶっていた子供はいつの間にか弾が当たって亡くなっていて、どこかに埋めたらしいけれど、収容所に入れられて出てきた頃にはアメリカ世になって景色が変わっていて、子供がどこに埋まっているのか分からなくなってしまったと。

他にも、喉が乾いてシタイが浮いた血の味のする水を飲んだとか、目の前で走ってた人に何かが直撃して木っ端微塵になって肉片が飛んできたとか聞いた。あと兵隊に襲われそうになったとも言っていたけど、どっちの兵隊かは言わんかった。

最後におばーは誰も恨んでなかった。アメリカーにもヤマトー(日本兵)にも家族がいて、皆助かって生きて帰りたかっただけ。って話してた。
148  不思議な名無しさん :2019年08月13日 20:17 ID:Bq9pX77V0*
戦争知ってる世代がいなくなったら日本戦争始めるとか思ってるやつ…(笑
第1次と2次の間何年間だと思ってんだよ(笑
149  不思議な名無しさん :2019年08月13日 23:06 ID:kvJ9mjSS0*
やっぱ90年代までがそういう人たちもまだたくさん生きてたよな、あれが最後だった気がする。2000年代から自分のじいちゃんも含め、知人のおじいさんも戦争経験者が亡くなってガンガン減った。自分ももっと戦争いったじいちゃんに話聞いとくべきだったわ。
150  不思議な名無しさん :2019年08月14日 10:14 ID:3tA6QN5B0*
>>47

数年前に87歳なら、年齢はおかしくないと思います。
終戦時10歳のうちの父は、今年84歳で健在です。
151  不思議な名無しさん :2019年08月14日 13:41 ID:ULsVmwOx0*
母方の曽祖父が労咳で徴兵撥ねられて非国民扱いされたことよく愚痴ってたな
「俺は自分から志願したのに軍に拒絶された。荷物運びでもいいからやらせろと言ったのに」って
感染症なんやからしゃーないやろ
戦後完治してヘビスモになって103歳まで生きた

父方は全員沖縄で軍人か民間人か知らんが死んどる
親父が13歳で就職に大坂出てきて母と出会う
戦争でひどい目にあったはずなのにバリバリの右翼
152  不思議な名無しさん :2019年08月15日 09:35 ID:AZCad3Q.0*
>>150
私の祖父も終戦当時22歳で、7年前に89歳で亡くなってます。軍人なりたてだったら別におかしくもないですね。
私の祖父は生前「軍隊のメシはうまい」と「見張りサボったら上官に殴られた」というのんきな思い出しか言わなかったけど、
それは、かつて夫婦喧嘩で祖母に「人ゴロしのクセに」と罵られたことがショックで、血なまぐさい話は子や孫に言わないようにしたかららしい。
153  不思議な名無しさん :2019年08月15日 16:53 ID:vvnZjcvu0*
>>148
第一次は日本は戦場になってないし、景気よくなったからね。

あと、今後、日本が参戦するとすれば、日米同盟で引き込まれるか、とばっちりで攻撃されて、政治的に否応なくだろうね。

だから、個人的にしたいしたくないではなく、安倍さんの身の振り方次第ってこと
154  不思議な名無しさん :2019年08月15日 18:58 ID:wLFo4HDS0*
おばあちゃんは戦時中は女学生で、毎朝竹槍の訓練させられてたって。
米兵に会ったらこれで殺すんだって教えられて当時は鵜呑みにしてたけど、竹槍で勝てるわけない、馬鹿みてぇな話だって泣きながら話してくれたことがある。
年の割にコンビニが好きで、私にパンとかお菓子買ってきてくれては「奇跡みたいな時代だなぁ」ってよく言ってるよ。

横文字言う時は基本たどたどしいのに「マッカーサー」とか「GHQ」とかはスラスラ言うのが、本当にあの時代を生きてたんだなと思ってなんか切なくなる。
155  不思議な名無しさん :2019年08月16日 06:22 ID:LNG8NKcu0*
昭和元年生まれのおばあちゃんは、遠くの空襲がキラキラしてて綺麗だった。怪我した私を見つけた米兵が大量の薬品を使って治してくれた。
とか言ってたなぁ。
156  不思議な名無しさん :2019年08月16日 22:25 ID:0QNLWFZp0*
近所のじいさんは大きな穴の前に敵を並べて撃ったって言うてた
もう亡くなったけど

ばあちゃんは都会から疎開してきた人たちと一緒に暮らしてたって言うてた

157  不思議な名無しさん :2019年08月17日 14:04 ID:F8uWWy0Y0*
>>28
不謹慎ながら笑ってしまったw
お祖母様達はその後一緒に暮らしたのか気になります
158  不思議な名無しさん :2019年08月17日 14:11 ID:F8uWWy0Y0*
>>72
これからもおじい様大事にしてあげてください。
159  不思議な名無しさん :2019年08月17日 16:51 ID:ktaaTGFe0*
母方の祖父は心臓が悪くて徴兵されなかった。
理系だったため、電気関連の仕事でいろんなところに行かされていた時に自宅から遠く離れた某所で運悪く大空襲に遭う。
田んぼの陰に隠れていたが、友人とはぐれてしまい駅にあった遺体を確認しまくっていたら友人登場。生き返ったと思ったらしい。

父方の祖父は若かったため、徴兵されなかったが祖父の兄は特攻隊に志願してもうまもなく出撃というところで終戦。無事に帰ってきてくれました。

父方の祖母は田舎だったので隣の都会の大空襲を見て花火みたいだなあと思っていたらしい。
空襲の次の日に逃げてきたであろうたくさんの人が田舎の線路の上を歩いていて、田舎の人たちはおにぎりや履き物を渡して元気づけていたとか。

祖父母とも賢い人ではあったけど、絶対に日本は勝つと信じていたと。洗脳って恐ろしい。
160  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:11 ID:UIt0QPSI0*
>>135
うちの祖父の兄も元シベリア捕虜だったけど、墓場まで持っていったよ
目つきの鋭い寡黙な人だったみたいだけど、妻子にすら語れない事があったと思うと、テレビとかで話す人たちは本当に貴重な話を聞かせてくれてると思う
161  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:16 ID:UIt0QPSI0*
>>23
うちの祖父は満州で電気配線の仕事をしていましたが、中国の人は優しかったとよく話してました。
人民服をわざと着せて奇襲から守ってくれたり「早く日本に帰れ」といち早く帰国を促したり。

ただ、帰国後の話は一切しないまま墓場まで行ってしまいました。(八幡製鉄あたりに家があって全焼したそうです)
祖父にとっての戦争は、終わった後の方だったのでしょう。
162  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:22 ID:UIt0QPSI0*
>>63
うちの祖父は北京だったようですが、現地の中国人と仲良く過ごした話をニコニコしながら話していました。

ただ、中国軍が列車を攻めてきたとき、とっさに人民服を着せられた祖父は無事で、隣の列車にいた日本軍が全滅した話は真顔でしていました。
163  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:24 ID:UIt0QPSI0*
>>71
うちの祖父兄もシベリア捕虜兵でしたが、妻子にすら話すことなく亡くなりました。
それだけ壮絶な出来事であり、それをテレビや講演会で語って聞かせてくれる人を見るたび、その重みをを痛感します。
164  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:28 ID:UIt0QPSI0*
>>93
今だから言える話ですが、うちの祖父は視力検査をわざと落ちました。
祖父の母から「長男を取られた上に次男まで連れて行かれるのはたまらない。見えないと言え」と言われたそうです。
165  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:29 ID:UIt0QPSI0*
>>94
遠縁だけど、親戚のばあちゃんが大牟田市寄りの熊本で、きのこ雲見たって言ってたよ
166  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:32 ID:UIt0QPSI0*
>>102
うちのじーちゃんは麦だったな
白米と麦飯選べるファミレスで「なんで白米が食べられる時代にわざわざ麦を食べねばならないのか」って言ってた。
普段何一つ残さず食べるじーちゃんが食べたくないって言うの初めて見たからずっと覚えてる
167  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:36 ID:UIt0QPSI0*
>>106
うちのじーちゃんは墓場までシベリアの話持ってったから、言えない事をいっぱいしたんだと思う。
寡黙で眼光が鋭く、黙って座ってるだけなのに凄い威圧感のあるじーちゃんで、嫁に来た母親が怖かったって言ってた。
思うこと、たくさんあっただろうなと今は思う
168  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:37 ID:UIt0QPSI0*
>>115
熊本の海沿いに住んでたじーちゃんがキノコ雲見えたって言ってたよ
169  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:42 ID:UIt0QPSI0*
>>128
お祖母さん、大変だったね…。
うちの母方の実家には、昔よく金髪の子が居たと聞いています。
色々言われる事もあったようですが、母はまだ子供だったので、西洋風の目鼻立ちが綺麗だなあと思っていたと。
お祖母さんがその後、幸せに暮らせていたことを願ってやみません。
170  不思議な名無しさん :2019年08月17日 22:49 ID:UIt0QPSI0*
祖父が長崎市で被曝したそうです。
かなり近いのですが、間に丘?1つあったのか爆風は浴びなかったようで、家族や友人を探して3日間歩き回ったそうです。
それ以上の話は最期まで聞かせてもらえませんでした。原爆手帳も最期まで申請せず、88歳、くも膜下出血でした。
長崎市で育った父も一切原爆の話はせず、本州に引っ越した今も8/9の11時2分に必ず黙祷しています。
171  不思議な名無しさん :2019年08月18日 00:07 ID:fPpivEkZ0*
母方の祖父は当時日大の学生で学徒出陣した。たまにテレビで神宮球場でやった壮行会の映像を見ると、この中に居たんだよなあと不思議な気持ちになる。戦場で足を怪我してたまに不便そうにしてた。(定年まで働いてたし、日常生活に差し支えなかったみたいだけど)

父方の祖父も出兵してた。物持ちが良い人で、軍隊手帳?みたいのを見せてくれて一番下の兵隊さんだったんだよって教えてくれた。(すぐに祖母にそんな話やめなさいよって止められたけど)

二人とも優しい人だったなあ。大好きだった。
172  不思議な名無しさん :2019年08月21日 02:29 ID:vwsGuirX0*
近所のスーパーのベンチでおばあさんに話しかけられて聞いた話
原爆で被爆したが自分は傷があったから死ななかった
傷がない友達はみんな死んでいったと
傷があるなしは関係ないと思うんだが被爆しても長生きな人は体質なんだろうか

あと上司から海岸に死体が並べてあったそれが日常で何にも思わなかったと

 
 
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