126: 不思議な名無しさん 2019/09/08(日) 14:08:54 ID:uid0P72c0
お盆過ぎた時の話。
夢で顔ぐちゃぐちゃな女2人出てきて、気持ち悪いのに何故か写真撮ろうとしててその2人に携帯かざしたら私の手目掛けて片方の女が襲いかかってきた。
その瞬間左手に痛み感じて起きたらあきらかに誰かに手を噛まれてる状態+金縛りで動けない。怖かったけど目は開けれたので周り見渡してたら部屋にある神棚に女2人が吸い込まれていった。抵抗してたのかしばらく髪の毛だけ神棚から出てたけど。
完全に吸い込まれた後、神棚の周りに尋常じゃない量のハエが集ってた。
この事があってからずっと体調悪かったのに、徐々に良くなってきました。なんか悪いものでもついてたかなと思っています。
127: 不思議な名無しさん 2019/09/09(月) 03:02:39 ID:???0
大学の頃、家庭教師をしていたときの話です。長文でオチもなくあまりパッとしないのですがお許しください。
私が担当することになったお宅は建売住宅の一角にありました。そのお宅の隣は販売中と書かれた旗が立っていて、外観も素敵だったのでまだ新しいのかな?と思ったのですが、出迎えてくれたお母さんに聞くともう建ってから10年近く経つと。
しかし、訪問したお宅もオシャレな外観とは裏腹に室内は酷く雑然として生活感がなく、引っ越ししたてみたいでした。どこも凄く散らかって色んなものがむき出しのうえ、中身の詰まってるらしいダンボールなどがいくつも置かれています。
しかもリビングって普通ダイニングテーブルやソファがあるじゃないですか。それが何もなくて、テレビも直置き。どういうわけか部屋の真ん中に大きな檻が置かれていて、真っ黒な犬がガンガン私に吠えてきます。
この人たち一体どこで食事してるの?どこでくつろぐの?と見たことのない光景に違和感を覚えつつ、私のことは気に入って貰えたみたいで指導することになりました。
そのうちに、隣の家は曰く付きらしく10年近くの間に1年以上住んだ人がおらず何度変わったかわからないという話、ペットショップで買った犬は子犬から飼い出したのに誰にも懐かず吠えてばかりで危険だからほとんど檻に入れているという話、両親はあまり家におらず生徒さんも自室にこもりがちだという話を聞きました。
仕事には関係ないので普段は別に気にしないのですが、問題は家全体が臭すぎること。家庭臭の次元を超えた何とも言えない生乾きのような変な臭いがして、訪問するたびに耐え難くなっていきました。
マスクをしても効果は薄く、タオルに香水を染み込ませて鼻に当てながら指導してもまだ気持ち悪い。帰宅後も食事が喉を通らず、すぐに着替えてシャワーを浴びないと日常に戻れない、そんな日々でした。
ちょっとこれは限界かな、、、と思っていた矢先、ある日の指導後、外に出てもこみ上げが止まらず、そのお宅の近くにある公園の公衆トイレで戻してしまいました。
まあ出してスッキリしたので良かったのですが、そこからかが問題でした。
駅へ向かって歩いていると後ろから唐突に中年の男の人の声が聞こえました。声は近くクリアなのになんと言っているのか聞き取れなかったので、何となく振り返ったのですが、何故か誰もいません。まあ住宅街で死角も沢山あるので、自分からは見えないだけかもしれないなと気を取り直しまた歩き始めると、すぐに同じ男の人の声がしました。
やっぱり聞き取れませんし、誰かに向かって言っているようなのに誰もその声に応える様子がありません。今度は無視して歩いていたのですが、何度も声がするし、どうしても意味のある言葉として聞き取れないということが気になり、声のありかを探りたく振り返って立ち止まってしまいました。
どこでしゃべっているんだろう?どこかのお家の窓?ベランダ?すると、その声は、また私の背後から聞こえました。
いや、背後って、、、おかしいでしょ。私は振り返ったのだから声の主が背後のはずはありません。、、、私に向かって喋ってるんだこれ、、、一瞬にして何かを悟り、いや何もわかってないですけど、とにかく全速力で駅まで走って逃げました。
翌週、私は生まれて初めてインフルエンザにかかり、受験目前だったことから派遣元と協議の結果、交代ということになりました。申し訳ないなと思いましたが、あれほど安堵して病気を喜んだことはありません。以来その駅にも一度も行っていません。
曰くがあったのは隣の一軒ではなく、あの一帯が何かおかしかったと思います。
129: 不思議な名無しさん 2019/09/09(月) 05:53:49 ID:???0
まとめてないから投稿遅くなりそうだが
小学4年生から最近まで霊体験や怪奇現象に遭遇してるんで語らせて欲しい
そういうのを意識しだしたのは小4の夏休み
友人と友人姉の三人で地域の祭りに参加した時が始まりだ
空襲にあった地域の神社での盆頃のお祭りで
慰霊碑に登って友人と遊んでたら
いつもはめちゃくちゃ優しい友人姉が
血相変えて「あんた達!今すぐそこから離れなさい!」って叫んで直ぐに白目剥いて失神した
なかなか意識が戻らない為後日
友人姉に聞くと
大人数の服や体がボロボロの人達に囲まれていたらしい
ちょうど友人と僕は地獄先生ぬーべー?を読んでたから恐怖よりも興味が勝り
誰でも入れるがその神社の入ってはいけないと地域の人達が顔をしかめる本殿奥の古びた鳥居の先に拡がる森へ入りました
地域のおばあさんいわく
本殿の主宰神?はスサノオさんなので
もちろんその神社や神社のある町は須佐神社、須佐町って名前なんだけど
神社には別の呼名もあるし(別の呼称はググれば出るから伏せます)
入ってはいけないとされる場所には
稲荷が奉られてるんだ
どうもその稲荷関連で良くない事が起きたらしい
地域のやんちゃなお兄さん達が
その稲荷が奉られてるあたりで暴れたのか
友人と確認に行ったが稲荷さまが壊れてるんだよね
もちろん
その壊した当人達のうち数人は
事故等で亡くなってるようだ
130: 不思議な名無しさん 2019/09/09(月) 06:14:44 ID:???0
>>129
続きです
そこから数年過ぎ
中学生に上がった僕は非行に走り
夜な夜な友人達と集まりバカをしていたんですが
須佐神社から上がって行った先に
いわくつきの公園がある為
友人数人でその公園へ肝試しへ行く事になりました
その公園では周辺地域のおばあちゃんやじいちゃんが皆口を揃えてあそこでは遊ぶなと言うんです
公園なのに
理由は地元民ならみんな知ってますが
戦時中、空襲の被害者の火葬場だったからだそうで
これはなんか怖い写真がとれるぞ!と
当時やっと写真機能が標準になった携帯やデジカメを準備して夜中2時頃に行ったのですが
デジカメは反応しないし
携帯の写真も暗すぎてなにも写らずしらけて
移動し
溜まり場にしていた某施設の立体駐車場の屋上でこれからどうするか話ていたら
友人が小声で「静かにしろなんかいっぱいいる」って言い出したんです
こんな地方都市の夜中に何がそんないっぱいいるん?と思い友人が指差す方向を屋上から覗き込むと
いっぱいいるんです
ギリギリ数えられないくらいの...人が
でもなんでこんな時間に?しかもなんで川にみんな向かって
消えてる?しかも、服古いしボロボロじゃない?
その川...水深10センチないのに川に入るとみんな消えるんです
50人くらい川に入っては消えする人達を呆然と眺めました
友人「そっか、火葬場で処理された人達って空襲の火の手から逃れて川にみんな向かって川で死んだって言ってたよな」の言葉で何故か皆なっとくしつつ震えが止まらなかった
132: 不思議な名無しさん 2019/09/09(月) 12:34:58 ID:???0
高校3年生の夏休み、美大受験のために美術予備校に通ってた。
広めの教室にそれなりの生徒数、与えられた時間で各々静物デッサンをする。
机同士はそれなりに離されていて、デッサンをする時は椅子に深く腰掛け視野を広く取る。
その視界の端、自分の斜め後ろの床によく何かが映り込んでた。
進捗を見回ってる先生の足かと思って、振り返るけど誰もいない。何か映ったと思った場所には、大体いつも床の木目くらいしかなかった。
違う席、違うクラスでもそれは頻繁に起こったけど、その予備校以外ではデッサン中にそんな体験をすることは一度もなかった。
今思い返すと、短い夏休みの間に同じ体験を何度もして、何度振り返っても木目の床しかない、視界の端に映るものの具体的な形も掴めないにもかかわらず、振り返る時の私は何故か必ずそれを「人間の足だ」と思っていた。
全ては気のせいの範疇で、当時も今も特に怖いとは思ってないけど、なんだか不思議だなあと思った話。
133: わたる 2019/09/09(月) 16:35:20 ID:1BzTjZb.0
昔話を申し訳ありません。初めて書くので駄文になると思いますが、お許し下さい。
私は中学の頃から柔道をしており、強くはありませんでしたが、先輩後輩の関係が大変良く卒業してからも定期的に集まる様な仲でした。多分、人数がそれ程多くなかったのと進学していく先がバラバラだったのも中学時代を懐かしむのに一役買っていたのだと思います。
そんな関係も自分が高校2年生になる頃には集まる人数も8人程度になっていました。
夏に男が8人集まっても特にする事はなく、花火をしたり時々キャンプに行ったりするくらいでした。今はすっかり都会ですが、当時はまだ開発もそれ程進んでおらず、そうした遊びしかありませんでした。勿論、「肝試し」も自分達にとっては遊びの一環で噂を聞いては出かけて行き、肝試しを行なったり、今では反省しかありませんが肝試しに来たカップルや他のグループを脅かして遊んでいました。
134: わたる 2019/09/09(月) 16:37:44 ID:1BzTjZb.0
ある時、誰が言い出しかは未だにハッキリと思い出せないのですが、「公営団地の裏山にある溜池の奥には古井戸があり、その井戸の近くに戦時中に掘られた地下倉庫がある」という噂を耳にしました。
その溜池(本当は自然の池なのかは不明です。私達は溜池と呼んでいました。)は、地域の子供達にとっては絶好のザリガニ釣りスポットであり、高学年になればブラックバスを釣りに行くといった馴染みの場所で、認識としては遊び場の1つであり「肝試し」とは全く無縁の場所でした。ただ、「足場が悪いからあまり奥に行かない。行く時は大人の人と行きましょう。」と両親や学校からは昔から言われており共通の認識としてありましたが、奥に行かずとも釣りスポットは手前に多数あり、昼間は明るい溜池であったため誰も敢えて奥に行こうとはしませんでした。
135: わたる 2019/09/09(月) 16:38:27 ID:1BzTjZb.0
前置きが長くなってしまい、申し訳ありません。
「昔から遊びに行くが奥はよく分からない溜池」というキーワードが私達の冒険心をくすぐったのか「翌週末には早速行って何なら地下倉庫を見つけて一泊しよう」という事になりました。
細かな時間は忘れてしまいましたが、晩ご飯は各自の自宅で食べてから集合したので、そこそこ遅い時間だったかもしれません。ただ、翌日に用事が入ってしまったメンバーが何人かおり、今回は「井戸と地下倉庫の入り口を探す」だけとなりました。
先に説明した通り地元では馴染みの溜池であるため、踏め固められ地肌が見えた人1人がちょうど通れる道を一列で奥を目指して進んでいきました。しばらく進むと道は少しずつ途絶え、草木が生い茂る中をナタで草や小枝を払いながら進んで行きました。
夜に人が足を踏み入れない場所を歩くのはそこそこ大変な作業でしたが、池を時折横目で見ながら池の淵に沿うような形で進んでいると、唐突に拓けた場所に出ました。
それまで周りを囲んでいた木はなく、木の代わりに崖が取り囲み、そこだけ周囲から削り取られたかの様な広場でした。そこから見る池は普段見慣れている景色とは全く違って見え、「自分達が特別な秘密の場所に到着した」という気分で一杯になり井戸の事は一時忘れていました。
とは言っても一時的なもので、早速、周囲をライトで照らして探すと広場の端に古ぼけて朽ち果てた何かが見つかり、近づいてみると苔が生えて汚れてはいましたが、石組みの立派な井戸である事が分かりました。
「古井戸があるなら地下倉庫も本当にあるのではないか」と期待を膨らませ周囲の壁をライトで照らして探しましたが残念ながら「地下倉庫への入口らしき物」は見つける事はできませんでした。
そこで、「今日はその井戸を調べて帰ろう」という事になり、その井戸を囲んだところ、想像していたより井戸より口はかなり大きく、8人で囲んでも余裕がありました。朽ちた木の蓋を退かしてみると、更にコンクリートと石でしっかりと封がしており、中を覗く事が出来ません。私達の中に「もしかしたら、これが地下倉庫の入口ではないのか」という期待が膨れ上がり各自が近くに落ちている石などで叩き続けたところ、一部が陥落し中を覗く事ができる様になりました。
何より陥落した際に水音がしなかった事が自分達の期待をより高めていきました。
137: わたる 2019/09/09(月) 16:39:14 ID:1BzTjZb.0
早速、サイリューム(コンサートで使う様な折ると光るケミカルライトです。)を2本ほど中に紐をつけて落としてみたところ、中は崩れており只の枯れ井戸である事が分かりました。期待が高まっていただけに落胆は大きかったですが、せっかく来たのだからと写真を撮ったり、溜池に向けてロケット花火を飛ばしたりして遊びました。小一時間くらい遊んだ後に井戸を取り囲んだ写真を撮り家路に着きました。
翌日、私が写真屋にインスタントカメラの現像に出し、水曜日に再度集まる事になりました。
私達の中には「あの井戸が崩れてなければ地下倉庫の入口だったかもしれない」という期待があったため、「心霊写真が撮れてたらテレビに投稿しよう」という話で盛り上がり、写真の隅から隅まで調べましたが全く普通の写真でした。
最後の集合写真も何かが写っている訳ではなく、ただ、8人全員が井戸を囲んで写っているだけでした。引っ掛かる事は、当時のインスタントカメラにはタイマーはなく「誰かが撮らないと全員が写るのは不可能である」という事なのです。私達は知らない間に誰にカメラを渡していた事になるのですが、それが誰か何なのかは分かりませんでした。
138: わたる 2019/09/09(月) 16:39:46 ID:1BzTjZb.0
最後まで駄文にお付き合い下さりありがとうございます。無駄に長い描写にしたのは訳があります。お許し下さい。
この話は私達の仲間内で大変話題になりました。写真は直ぐに地元のお寺に持込、こっ酷く怒られた後に処分して頂きました。
ただ、仲間内でこの話題が沈静化した頃、一緒に行った8人の1人が行方不明になりました。それが切っ掛けとなり、話はまた息を吹き返すのですが、沈静化する度に誰かがいなくなります。「昔の話の様だから疎遠になったのでは。」と言われる方もいらっしゃると思います。そう思って頂いて結構です。
ただ、この様にネットに上げる事で、誰かがこの話を読んで下されば「風化を防げるのではないか」と残った3人で考え、私が投稿させて頂きました。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。
139: 不思議な名無しさん 2019/09/09(月) 17:21:46 ID:5JpzYFEk0
>>138
今のところいなくなったのは8人のうち何人ですか?
140: わたる 2019/09/09(月) 18:04:21 ID:1BzTjZb.0
>>139
5人です。私を含めて連絡を取れているのは3人だけです。5人とは家族も含めて全く連絡が取れません。
143: 不思議な名無しさん 2019/09/10(火) 16:45:00 ID:5JpzYFEk0
>>140
5人も…お寺で供養してもらったのにも関わらずという事ですよね?
可能であればお寺に一度確認に行ってみたほうが良いかもしれません
処分の仕方が間違っていたか、処分されていない可能性もあるように思えます
141: 不思議すぎる名無しさん 2019/09/09(月) 22:21:43 ID:E2SpJWEg0
怖い話というよりも不思議な体験をしたことがあるのですが、3年前の夏に友達と駅で待ち合わせをしていた時に、おばさんに道を聞かれました。「○○町に行くんだけど」と、僕は市役所行きのバスに乗って警察署前の停留所に降りてくださいと言った。するとおばさんは「どうもありがとう」と言ってバスの停留所に行った。そこまでは至って普通の出来事だった。翌日新聞を見たら昨日道を聞いたおばさんの顔写真が載っていた。記事を読むとそのおばさんは3日前に轢き逃げにあって亡くなったという記事だった。さらに読むとそのおばさんの身元がわかったということだった。僕は背筋がゾッとした。僕が見たのは一体何だったのだろう?どう見ても普通に見えていたし、話もした。今でもあの出来事は忘れられない。ちなみにおばさんを轢いた犯人は半年後に警察に捕まった。
142: 不思議な名無しさん 2019/09/10(火) 08:34:20 ID:6G0ToTgY0
正夢の話
小学校の低学年だったと思う。コンビニで自分と同じトレーナーを着た子にバッタリ会った。
その時あれ?これ何か見た事あるなと感じたのが最初だったと思う。
次は家族で旅行に行ったとき、大きな石が割れてそこから木が生えている場所を家族でサイクリングしたんだ。
まだネットも無い時代だし、3,4年生の俺が知ってる景色な訳がない場所でハッキリ見覚えがあった。
この木もこの光景も見た事がある!こないだ夢で見た奴だ!あれ正夢になった!!すげー!
子供ながらにそんな事を思って、親に興奮して話した事を覚えています。
次は母が玄関で転んで腕を骨折する夢を見た後に、見事に母は愛犬が玄関から出無い様に置いてある柵に足を引っ掛けて左手を骨折した。
4つ目は6年生のクラス対抗リレーでアンカーの高橋が走っている時にバトンが手から抜けて落ちて抜かれてしまい、帰ってきて号泣してる夢。
4回目となると感覚的な話だけど、これはなんとなく他の夢と違うんじゃないかな?
正夢になるっぽいぞってのが分かる気がしてた。
だからリレーの前に高橋にバトン落とさない様にしっかり握れと忠告した。
しかし結果的に高橋は転ぶと言う形でバトンを落として、結局2位だったのが6位になってゴメンと言いながら泣いてた。
俺は夢で見た事は変えれないのか?まさかな?という感じで少し気味が悪さを覚えつつも、すげーとも思ったりしてた。
中学に上がっても正夢を数回見た。どれも小さいもので大した話じゃないけど見事に当たってた。
この頃にはただの夢と正夢になる夢の違いも掴めてた気がする。
正夢になるやつは起きた時に妙にハッキリ覚えてる事と、夢なのか現実なのか分からない様な感覚に陥った後に目が覚めるんだ。
それ以外には言葉では説明しづらいけど、感覚的なものもあった。
中学時代の夢の一つに武田って奴がバイクで事故って死ぬ夢を見たんだ。
これも正夢になるパターンの奴だと感じた俺は凄く怖かった。人が死んじゃうなんて今までとは大違い。
これだけは現実になるな!と心底願った。
でも結果的に中学卒業するまで武田は元気だったし、高3の時もコンビニで偶然会ったりしてピンピンしてた。
その頃にはもう外れたもんだと忘れてたし、唯一外れたものとなった。
高校に入っても正夢を見たけど2回だけ。どちらも大したものじゃなかった。
高校を卒業後は上京してほとんど地元に帰る事は無くなったし、正夢を見る回数も減った。
卒業から23までで見たのは2回だけだった。
23の正月に久々に地元の友達と飲みに行った時に、子供の頃の思い出話に花が咲いてワイワイしてる時に偶然武田の話になったんだよ。
夢の事なんてすっかり忘れてて『そういえばあいつどうしてんの?』って聞いたら
『あれ?お前知らないの?2年前にバイクで逆車線に飛び出して亡くなってんだよ』と。
それを聞いた時は一瞬血の気が引いたし、凄く嫌な気持ちになった。
よく考えれば夢で見た武田はフルフェイスのヘルメットを被ってて顔も見えなかった。
感覚的に武田だと分かっただけで、あれは23歳になった武田だったのか?
そんな先の事まで夢に見るのか?とか色々考えた。
これを聞いた後はもう夢は見たくないと心底思う様になった。
よく夢は眠りが浅いと見ると聞くから疲労して熟睡すればいいのか?
などと考えてジムに入会したりランニングまで始めて毎日疲れて布団に入るのが日課になった。
残念な事にそれからも正夢は年に1、2回は見る様になってしまい今に至る。
あれから15年。色んな夢を見たけど人が亡くなったり大きな怪我をする様なものが無い事に救われてる。
唯一気がかりなのが3年前に見た夢。
自分が雨の中でずぶ濡れになって涙を流しながら大声で何かを叫んでる。
目の前には土砂で全壊した我が家。見渡す限り周りの家も同じような有様。
大雨による土砂崩れなのか、地震によるものなのかは分からない。
少なくとも夢の中の俺の目に映るものは大きな災害の訪れを示してた。
これだけはまだ現実となっていないけど、起きれば沢山の人の命に係わるものとなるだろう。
先日の台風やちょっとした地震の警報が恐ろしくて仕方ない。
今では正夢を見るという呪いなんじゃないかとすら思ってる。
いつかこれが現実となったら俺は助かってる様だし、またネットに書き込みたいと思う。
そんな気分になればだけど。
143: 不思議な名無しさん 2019/09/10(火) 16:45:00 ID:5JpzYFEk0
>>142
予知夢を見てしまう体質というか運命なのでしょうかね
よく、人に話してしまうと"逆夢"になりやすいと言われますから
ここに書いたことで気がかりな3年前に見た夢が正夢にならないと良いのですが…
ちなみに>>142さんは土砂災害が起こりえる地域にお住まいなのでしょうか?
144: 不思議な名無しさん 2019/09/10(火) 19:22:50 ID:6G0ToTgY0
>>142
わざわざコメントありがとうございます。
私の住んでいる辺りは裏というかすぐ近くにそれ程大きくないですが山があります。
この山が土砂崩れを起こしたらこの辺は埋まるんじゃないかなとは思います。
生前祖父母も小さな土砂災害は有ってもこの山が崩れた事は無いし、そういった話は聞いたことが無いとは言っていました。
でもいつかは崩れるんだろうと思っています。
あの夢は今迄外れた事が無いから。。。
148: 不思議な名無しさん 2019/09/11(水) 13:40:51 ID:5JpzYFEk0
>>144
そうなんですね…
お話を聞いてる限り、ご自身でも夢の判別がつくようですし
正夢だと判断したなら実際に起こってしまうのかもしれませんね…
でも助かるようですし、ご家族共に命は無事な事を祈ります。
災害が起こるたびに>>144さんは大丈夫かなと頭に浮かびそうです。
145: 不思議な名無しさん 2019/09/10(火) 20:14:26 ID:D43KaGvc0
完了していない障害報告書
今から15年以上前のお話。
私はIT企業に新入社員として就職した直後だった。
ある日、課長から倉庫の書類を掃除するよう依頼があった。
前日に偉い人の現場巡視があり「倉庫が汚い」と指摘があったそうだ。
課長の指示は「10年以上前の障害報告書で完了しているものを捨てること」だった。
障害報告書って聞きなれないかも知れないけど。
簡単に言うとITシステムの復旧にかかった対応履歴をメモして、顧客に報告した紙。
・機械がとまりました→部品の不具合でした→交換しました→元に戻りました→完了
・プログラムでエラーが起きました→データの不具合でした→データを手直ししました→再実行して正常になりました→完了
みたいな感じ。
倉庫に入ると大量の障害報告書がバインダーにとめられている。
あまりの量に「完了しているものを捨てる」と言われたのを無視して、
障害の発生年月だけみてシュレッダー行きの袋に放り込んだ。
そもそも10年以上前の障害で完了(復旧)していなければ、大問題なのだから。
バインダーに年月だけ書いてある。古いものからどんどん書類を袋に放り込む。
「やっと1995年まで来た。Windows95の年だ。」と思ったところで。
やたら分厚い障害報告を見つけた。しかも未完了になってる。
内容は下みたいな感じ。
・6:00:ネットワークの大量アラート発生。接続負荷。
発生箇所識別。関西地方。九州。四国。
関西地方以西の回線が切れたと想定。
・6:07:関西地区担当者に連絡。
不通。(電話応答がない)
関東地区担当者に連絡。
「何があったのかこちらでも電話する」とのこと。
以降継続して連絡。
・6:30:伝送処理失敗。
関西地区担当者に連絡。
不通継続。
関東地区担当者に連絡。
「地震のため。復旧までデータ伝送は待ち。」
・9:00:夜勤から交代。データ伝送待ちになっていることを引き継ぎ。
・9:30:3時間経過したため、関西地区担当者に再連絡。
依然不通。ネットワークも復旧せず。
関東地区担当者に連絡。
「本日の処理はあきらめる。回線復旧めど立たず。伝送先が火災の可能性もあり。」
・9:50:伝送処理中止。1月17日分の伝送データはバックアップとして保管。
・19:00:関東地区担当者より連絡あり。
本日以降、指示があるまで全データ伝送および関西地区の処理を中止する。
・1/19 10:00:関東地区担当者から連絡あり。
被害状況判明。オフィスと共に機器全部破損。復旧断念。
そこには初めてITシステムが災害にあい、
慌てふためくことしかできなかった当時の人たちの姿があった。
私は一瞬怖いと思ったが、「未完了だから捨てちゃいけないなあ。」とその分厚い書類を棚に戻し、
掃除を進め、「ほとんど捨てましたが未完了分はとっておきました。」と報告した。
この慌てることしかできなかった経験が、今後の事業継続計画に生かされることを願って。
146: 不思議な名無しさん 2019/09/11(水) 00:59:21 ID:???0
>>145
阪神淡路大震災か