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【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか

2019年10月12日:18:00

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コメント( 72 )

【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか




1: 樽悶 ★ 2019/10/11(金) 19:01:22.09 ID:WfJZY3fQ9
■たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた!

※省略

今回は、蒙古襲来の折、モンゴル軍が鎌倉武士を苦しめた「てつはう」をご紹介します。

■「てつはう」に殺傷能力はあったのか

「てつはう」を、漢字で書けば「鉄炮」となる。だが、モンゴル軍が使ったのは火縄銃などの弾丸を発射する火器ではない。現在でいうところの、手榴弾に近い武器だ。

文永の役の戦いの様子を写した『蒙古襲来絵詞』という絵巻物には、肥後(現在の熊本県)の御家人・竹崎季長が単騎でモンゴル軍に突撃するそばで、「てつはう」がさく裂している光景が描かれている。

(中略)

しかし、中国にも実物がひとつも残っていなかったため、実際に殺傷力があったのか、それとも爆発する音と煙や光で周囲の敵を脅すだけの武器だったのかは長らく謎とされてきた。

ところが21世紀になって、長崎県の鷹島海底遺跡から元の軍船が見つかり、「てつはう」の実物が3つ発見された。

この「てつはう」は陶器製であり、鉄サビの痕跡もあった。

容器の中に鉄片を入れ、爆発する際に鉄片が飛び散るしかけになっていたためと考えられる。


もしそうだとすれば、それなりの殺傷力はあったと推測される。

■長弓 vs. てつはう

実物の「てつはう」が見つかっても、まだこの武器に関する謎は残されている。その謎のなかでも最大のものは、どのようにして投擲(投げること)をしたのかということだ。

鷹島海底から引き上げられた「てつはう」は4キログラムほどの重量であった。これを手で投げる場合、どんなに腕力に自信がある者でも20メートルほどしか飛ばすことができない。この程度の射程では、鎌倉武士たちが主力武器とする長弓に対抗できるはずもない。そもそも、日本の兵にまったく近づくことができないからだ。
(以下略)

※全文、詳細はソース元で
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191011-00010000-php_r-pol

no title

てつはう

正式には震天雷や鉄火砲(てっかほう)と呼ばれる手榴弾にあたる炸裂弾である。容器には鉄製と陶器製があり、容器の中に爆発力の強い火薬を詰めて使う。使用法は導火線に火を付けて使用する。形状は球型で直径16-20cm、総重量は4-10kg(約60%が容器の重量、残りが火薬)ある。

2001年(平成13年)、長崎県の鷹島海底から「てつはう」の実物が2つほど発見され、引き揚げられた。一つは半球状、もう一つは直径4cmの孔が空いた直径14cmの素焼物の容器で重さは約4kgあった。なお、この「てつはう」には鉄錆の痕跡もあったことから、鉄片を容器の中に入れ、爆発時に鉄片が周囲に撒き散り殺傷力を増したとも考えられる。
wiki-元寇・てつはうの項-より引用

てつはう(震天雷)
歴史の逸話を聞かせて→『あの蒙古襲来で有名な絵、実は捏造されていた』他
http://world-fusigi.net/archives/8597817.html

引用元: 【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか





2: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:01:55.15 ID:RywkLkwz0
馬が出血している

400: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 20:39:31.23 ID:kplrQ0Yb0
>>2
no title

コレ てつはうじゃなくて矢にやられて倒れかけなんだな てつはうダメかもしれんね

940: 名無しさん@1周年 2019/10/12(土) 00:18:31.43 ID:ezNt6sTc0
>>400
自虐史観教科書ではモンゴルがやられてる部分はカットされている。

てつはうが日本側から打ち出されてるように見えるな

731: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 22:14:39.46 ID:zt8CYMKi0
>>400
これ日本側から飛んでるように見えたけど
逆で日本側に破裂破片が飛び出してる絵なんだな
しかし学者馬鹿やなあ、これボーリングみたいに転がす武器やんか

802: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 22:55:30.43 ID:SuLnEIqc0
>>400
良く見るとモンゴル兵も結構やられてるな

813: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 23:01:25.37 ID:ad0cDRcB0
>>802
普通にこう言うのも有るよ
あの教科書で切り出してるシーンが有名なだけで
no title

842: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 23:18:00.10 ID:sQr8hzNR0
>>813
そりゃ河野氏の奇襲の図だ。

船1隻で悠々とモンゴル軍の船団の中に入っていくもんだから、モンゴル軍が「何かの使者か?」と勘違いして攻撃しなかったんだよ。

で、突然、モンゴル軍の大船に帆柱を倒してそこから登っていって暴れまわった時の図だwww

鎌倉時代の武士はクレイジー過ぎるだろ?

3: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:02:04.11 ID:rrf1ZJle0
はうっ

6: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:03:36.65 ID:9sisOdFj0
よく教科書にも載っている画像の部分だけ見ると日本が大敗しているように見えるけど、絵巻全体を見ると普通に戦争している構図なんだよな

44: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:15:08.53 ID:duqoIorj0
>>6
このモンゴル人三人は、誰かが後世に描き足した者モノであることが分かっている

蒙古襲来絵詞

蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)は、筆者不明の全2巻の絵巻物。竹崎季長絵詞とも。鎌倉時代後期の作で、肥後国の御家人竹崎季長が元寇における自分の戦いを描かせたものとされている。

(中略)
なお、絵巻物自体は中世のものと考えられているが、蒙古兵と日本騎馬武者の描写の違いなどから、後世の加筆、改竄、または編纂があったとする説も提唱されている。特に、季長と対峙する3人の蒙古兵(下の画像)は同じ絵巻の他の蒙古兵と装備や絵のタッチが明らかに異なり、またこの部分の紙が上下にずれて貼り合せてあるのに絵はずれておらず、近世に加筆されたと考えられており、九州国立博物館の文化交流展示室ではこの説が紹介されている。
wiki-蒙古襲来絵詞-より引用

Mōko_Shūrai_Ekotoba

54: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:18:16.94 ID:64BGbn5R0
>>44
竹崎季長は普通に苦戦しているのに
この3人がいなかったら、他の蒙古兵は逃げ腰なのに竹崎季長が何に苦戦しているのか分からないじゃん

74: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:24:43.39 ID:duqoIorj0
>>54
苦戦したことと、描き足し事は関係無いだろ

91: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:29:04.14 ID:nIY8fMhR0
>>74
書き足された兵を除くと逃げてる兵しか居ないぞ。
竹崎季長は騎馬で一方的に敵を蹴散らしてる図だ。

100: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:30:17.15 ID:ad0cDRcB0
>>91
あれ切り取って乗っけてんだよな教科書とかw

13: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:06:40.20 ID:/jnhrfcY0
鎖が付いてて、ぐるぐる回して投げるんじゃね?

310: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 20:17:37.56 ID:xijE4irm0
>>13
そや。
信長の大阪本願寺攻めでも、
近づいた毛利の船から
火のついたモノを投げ込まれて、
織田の軍船は炎上してたぞ。

織田軍にも弓はある。でも毛利にだって
弓はあるんだよ。取り囲んで集中射撃して、
そこへ近づいて、投げ込む。常套手段

15: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:07:11.25 ID:kMRpkXPb0
音だけのはずないだろ
絶対殺傷力あったと思う
あと見つかってないだけで小型のやつもあったはず

17: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:07:48.39 ID:aXiDEMjd0
人は記憶型と思考型に大別できる

持ち運びも大変だし
費用対効果を考えると今一ってとこなんだろうな

19: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:08:13.80 ID:L8++1JAD0
実態は威嚇用の花火やろ

24: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:09:45.14 ID:h7ENHyEu0
馬とかは気が小さいからこういうのは結構効く

25: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:09:52.86 ID:mN6ZZsye0
台風が来なかったら京都も鎌倉も落ちてたよ

46: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:15:34.17 ID:64BGbn5R0
>>25
文永の役は最初から1日だけ荒らし回ってびびらせてから再度降伏を迫る作戦だった説(当時の文献でも嵐があったのは元が引き上げた翌日)
弘安の役は一歩も上陸させなかったことから、持久戦になればそのうち疲弊して退却した説

62: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:20:30.73 ID:q+bANgJv0
>>46
文永の役では暴れまわって元の強さを見せつけたのだろう
早期に撤退したって説が有力だが
弘安の役では、日本軍の強固な守りに海に追いやられ
そこに台風が襲ったって考えられている
そもそも船自体も、高麗で、大慌てで作られたものだしな
充分な強度もなかったのだろう

110: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:32:46.38 ID:QQ+50eAA0
>>62
船は粗製乱造でもなく、それなりに強固な構造だったようだけどね
高麗製も南宋製も

146: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:40:17.99 ID:KumjMUp60
>>110
高麗の船と南宋の船が遺跡で出てけど高麗の
船は竜骨がひん曲がっていてどう考えても
頑丈とは思えなかったけど

671: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 21:59:47.05 ID:leooMst10
>>46
三万も連れてきてそれはない
欧州征伐だってそんなもんだぞ
たったそれだけのために強行偵察みたいな事をするわけはない

27: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:10:36.66 ID:bFMwrEdm0
元寇は日本史で最も熱くなるストーリなのに
今一人気ないな
最近、漫画がちょっと話題なったぐらいで

28: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:10:45.69 ID:64BGbn5R0
中国の側に記録はないのかね
ないなら後世の書き足しかも

39: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:13:45.39 ID:q+bANgJv0
殺傷能力はあったかも知れないが
それほど優秀な武器とは言えなかったのではないの?
もしそんなに優れた武器であるなら、元の後の明にも継承されても良さそうなものだが
明は使わなかったのだろ?
それを考えると、そんなに有効な武器ではなかったのではないかと思う
まあ、明の時代には大砲が十五世紀ごろから使われだしたっていうからな
それにとってかわられたのかも知れないが

58: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:19:23.98 ID:UoWe3O6/0
スリング式に投げるには4kgは重いなあ
騎馬兵だから馬上で火をつけてポイっとなしか無さそうだが距離が詰められないよな
モンゴル平原でカーチェイスしながらなら地雷みたいに後ろに落とせば良いけどさ

78: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:25:38.66 ID:Lug5OYBY0
>>58
装甲擲弾兵でも4kgはちょっとねぇ…
ライフルや擲弾筒があるわきゃないし

バリスタかカタパルトかな
射手が鎌倉武士に狙撃されるだろうけど、盾があればなんとか

107: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:32:12.45 ID:q+bANgJv0
>>78
カタパルトは元はもっていたと思うよ
欧州の記録だが、元軍の装備は、占領地の武器で使えそうなのを片っ端から使っていたそうだ
欧州に攻め込んだ時には、中東の装備まで持っていたとか
そういう、ある意味、柔軟な発想が、これまた騎馬民族らしくあったのだろうな
古代中国でも紀元前から投石器は用いられていたが
その他の国の投石器も鹵獲して用いていたとしても不思議はない

61: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:20:29.00 ID:k60uCNMa0
日本の鎧も弓矢を直接通さない仕組みになってたらしい(´・ω・`)

72: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:23:35.17 ID:q+bANgJv0
>>61
当時の元軍の弓は、動物の骨や腱と木材などを組み合わせて作られた
合成弓だったと言われている
そのため、小さいながらも威力はあったし
おまけに騎馬民族特有の冷酷さで、毒矢も用いていたからな
かなり苦戦したらしいがね

86: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:26:53.68 ID:rrhYja100
>>72
二ヵ所カーブしてるとこも、威力アップに貢献してるからね。小型だけど、貫通力も高い。

70: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:23:29.71 ID:5PUNtwdS0
撤退時に追いかけてくる騎兵の進路に投げて炸裂させる、
馬を驚かせて足止めとかそんな感じの使い方じゃないかなあ
絵巻的にもこれが一番近いと思う

75: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:24:54.12 ID:nIY8fMhR0
着発信管が無いんだし、タイミング良く爆発させられんから、大した脅威じゃなかったろ。

84: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:26:48.01 ID:ad0cDRcB0
>>75
殺傷力よりも馬のコントロールを奪うのが目的なんではないだろうか?

81: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:25:54.33 ID:srFs6cUA0
子供の頃に絵を見た第一印象は日本がモンゴルに対しててつはうを使ったと思っていた。
てつはうをモンゴルが使ったにしては向きがおかしくないか?

94: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:29:41.91 ID:muZ2mV8d0
>>1
これは俺の中でも長い間の疑問だった
効果は実際の負傷者以上に絶大だったと思うが
投擲手段が分からない
実物も絵もないんだよねー、日本にだけじゃなく
丸太を組んだ投石器で岸に寄せた小舟から発射したと思うんだが

115: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:34:26.97 ID:/n0K6Yjw0
当時の技術力じゃ相手側が迎撃の備えしてる上陸戦なんて失敗して当然だからな
個々の強さの話じゃなくて最初から無理な戦いだった

118: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:34:37.52 ID:gZvBxDel0
しかし、その後火薬を使った武器って、16世紀の種子島の鉄砲伝来
までないからなあ。16世紀は日本が戦国時代だったこともあるが、
伝来してあっと言う間に大量生産して関ヶ原までには、日本が
世界最大の銃保有国になってる。
てつはうは、それに比べるといずれにせよあんま使えそうな物
ではなかったっぽいな。

121: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:35:26.85 ID:Jta1XyUP0
当時の鎌倉武士が馬に乗って白兵戦やってたとは考えにくいから
馬をびびらすとかあんま効果ないような
沿岸防衛戦だしな

126: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:36:46.39 ID:k60uCNMa0
>>121
絵では乗ってたみたいだけどね(´・ω・`)

136: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:38:43.90 ID:ik/Accuv0
>>126
指揮官は当然馬乗るけど、主力のほとんどは歩兵ってことでしょ

143: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:39:53.79 ID:YGCYqYop0
>>136
というか騎馬で戦うのが非常識

248: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 20:04:12.50 ID:cVQwrrWc0
>>143
最初の元寇ででは馬に乗って名乗ってから戦うという伝統的なやり方だったから
指揮官がぼろ糞にやられて、2回目では問答無用でぶっ殺すことに改めたとか

142: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:39:50.14 ID:Jta1XyUP0
>>126
ファンタジー的な宣伝じゃね
時代下って武田の騎馬隊だって戦う時は下馬してたのにこの時代だけ馬に乗って
チャンバラしたとかありえないと思うけど
しかも沿岸防衛戦で馬上から攻撃したら弓矢の良い的

165: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:43:55.87 ID:KumjMUp60
>>142
鎌倉武士は弓で戦ったから戦国時代とは
違う

135: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:38:37.13 ID:KgMw5/jg0
殺傷力がなくても音が鳴れば人もお馬さんもビクっとなるし
対応が知れ渡るまでは効果があるだろうよ

164: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:43:53.97 ID:1d0nyWGJ0
当時の技術力だと、不発しまくったり、空中で爆発したり、自陣で爆発したりしまくってたんだろうな
攻城兵器としては使えたかも知れない
量産するのも難しかっただろうしなぁ

169: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:44:32.19 ID:Vl3nYz7k0
日本はなぜこの武器を以降の国内の戦争で用いなかったんだろうか
それは大した威力がなく無用だと判断されたのだろう

173: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:45:08.53 ID:/n0K6Yjw0
>>169
仮に有効な兵器だったとしても火薬を作る技術がない

179: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:46:58.15 ID:k9CX7upo0
>>173
硫黄はあったけど硝石が無い

190: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:49:45.58 ID:eruZWllu0
>>169
明時代までの中国は経済科学軍事とあらゆる面で他を圧倒する最強国家だし、
真似したくても日本には無理だったのでは。
基礎技術とかなさそうだし。

196: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:51:20.39 ID:bz7y65Qu0
地面に転がして使ったんじゃないか?騎馬軍団なら器用によけたりできないし

281: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 20:11:44.41 ID:QMQzx/2w0
4kgもあったら投げれねえな
どう使ったんだろ

10: 名無しさん@1周年 2019/10/11(金) 19:04:49.45 ID:zkTua7RF0
ほーらおじさんのてつはうだよー









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コメント

1  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:21 ID:mLq.Abmc0*
>当時の鎌倉武士が馬に乗って白兵戦やってたとは考えにくいから
どうして太刀が発達したと思ってるんだ
鎌倉時代と戦国時代ごっちゃにし過ぎ
2  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:22 ID:ziE7okDr0*
元は鎌倉幕府軍と戦ったんじゃなくて
賞金ゲット狙いの野党集団に一方的に襲われて逃げたんだろ

鎌倉武士は戦ってないと思うぞ、戦場に到着する前に元が逃げたからなw

3  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:35 ID:Pb1DKImO0*
こういうネタになると日本人の過少評価組が跋扈するんだよね
4  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:37 ID:6OKVkvEZ0*
後付けするにももう少し絵柄寄せとけよ、雑コラじゃねーか
5  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:38 ID:TjvtIAHM0*
ガキの頃に社会の授業で聞いたのだと、武士は「我は・・・」って名乗ってから戦うから、その間に奇襲食らって最初ボコボコにされたって聞いた

このてつはう?って奴は投擲武器なんだろうけど、中に火薬とか詰めてたとかってのはないのかな?単なる鉄の塊か
6  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:41 ID:hGq.WeaB0*
日本軍が投擲したうんこ玉の間違いじゃないかしら?
7  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:57 ID:Ys4NVsM.0*
普通にハンマー投げ方式じゃあかんの?
あれならムキムキさんが本気出せば100mくらいは飛ばね?
某M氏の記録は何mだったっけか・・・。
8  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:58 ID:sSqMjj3L0*
小学校の時、歴史のレポート的なやつで「てつはう」って書いたら担任に「てっぽう」に直されてたわ
9  不思議な名無しさん :2019年10月12日 18:59 ID:fOFke1sB0*
>しかし、その後火薬を使った武器って、16世紀の種子島の鉄砲伝来までないからなあ。

これ実際は火槍とかいう武器が明とかから輸入されて応仁の乱とかで使われるけど威力不足で廃れてる
10  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:01 ID:rgxZnUhz0*
似たようなものを大戦末期の日本軍も作ってとか、確かここでもあったぞ「末期の兵器」とかで「いわゆるてつはうである」とあった。
11  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:05 ID:cEQIuuEW0*
???「ウリ達を真似してチョッパリもモンゴルに賠償請求する二ダw」
12  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:17 ID:49VAC4XY0*
小型の回回砲を船に積んでいたってことはないのかな?
13  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:19 ID:uQJi2nAI0*
絵巻物は戦場の活躍を喧伝するために書くのに苦戦してるところを書く訳ないよな
最近じゃ、神風なくてもモンゴルに相当ダメージ与えたって説が主流になってるし
どこから日本が一方的にやられたって流れになったのか
14  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:19 ID:mwuAWsgQ0*
鎌倉武士はバーサーカーすぎるからこれくらいがちょうどいいバランスかもしれん
15  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:22 ID:WNMU3oI.0*
※5
実際序盤は今まで戦争していなかった相手だから相手の戦い方が良くわからずいつもどおりにやって苦戦したけどすぐにどんな戦い方か分かったらちゃんと対応していったんじゃなかったっけ
16  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:28 ID:g.zvfjDB0*
種子島が伝来するまでは明のてつはうが輸入されてたけど
ラッパ付きの爆竹みたいなもので殺傷能力はほとんどなかったって話じゃん。
当たり前だけど、だからこそ種子島が革命的だったわけで
17  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:32 ID:ns3KgkWW0*
自分はびっくり玉だと聞いたが
混乱させられればラッキー程度の
18  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:36 ID:JgaDtdbH0*
大型のカタパルトの知識があるのなら、簡易的な人力カタパルトもあったのではないか?
シーソーのデカい奴みたいな。
それなら四キロくらいなら十分投擲できると思う。
19  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:39 ID:7hHjtYEK0*
4㎏って、投げようとするとそんな飛ばないからなぁ...
何かしら補助しないと、爆発物なら下手すると自陣も大変なことになるし
20  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:41 ID:8zeAjk7Y0*
正式にはカタパルトで射出する攻城兵器なんだろ
大陸の城壁都市の攻略には有用じゃん
野戦で使うものじゃなくても楽勝じゃなければ持ってたらとりあえずは使うだろうし
あと、種子島伝来以前でももののけ姫で出てきたような中国式の短筒の火縄銃はあっただろ、火薬の製法も中国から伝来はしてたはず、そうじゃないと戦国時代の五箇山での硝石製造の説明が付かないんだよなあ
ただ、短筒の前装填式の火縄銃はフス戦争みたいな荷車陣地戦術で死を恐れない狂信的な兵隊じゃないと戦争では役にたたなかったから歴史に残ってないんだと思ってる
距離は出ないし精度も悪いし、肉薄しないと使えない銃器なんて役にたたんだろうし
獣除けに音を立てて追い払うぐらいの役目しかなかったんだろ
銃身の長い種子島で有効射程が50m以上になって戦争で使えるものになったから一気に普及したけど、それまでにも火縄銃自体の存在は知られてたから抵抗なく普及したって可能性もあると思う
21  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:50 ID:ejjGu5fH0*
いやモンゴルって馬に乗りながら石振り回して投げる道具があるやろ、今でもこの方法で戦う祭りあるぞ
かなり遠くまで投げられたと思う
22  不思議な名無しさん :2019年10月12日 19:52 ID:fJDx3s8n0*
投石器はすでにあったでしょ
23  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:01 ID:jD6zkeFf0*
※5
最初は名乗りやってたけど、相手が邪魔してくるから途中で戦い方変えたんよね
ちまににあの名乗りって味方に向かって、「いまから俺が手柄上げるから後で証言してくれよ」っていうお願いだったらしいね
24  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:09 ID:zjnO5v5v0*
そもそもの前提として「火をつける」という行為がこの時代の最前線では相当に難しかったんじゃないかな。
そんな簡単に種火を携帯してさっと火をつけて投げ込むなんていうのはできなかったんじゃないかなぁ。
やはり、後方から投石器のようなもので投げ込んでいたと考えるのが妥当なのではないかな。
25  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:19 ID:M2R3lWag0*
>>10
陶器製の地雷は聞いた事ある。踏んだ敵が吹っ飛んだって記録があるから威力はあるらしいな。しかも鉄製じゃないから探知できないっていう、すごいのかしょぼいのかよくわからん兵器だ。
26  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:21 ID:xWEjuA4b0*
野蛮な民族やなぁ
27  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:21 ID:Nd8yyxLI0*
別に投げる必要はなくない?
地面に設置しといて火縄かなんかで時限式で炸裂させる地雷みたいな防御兵器じゃないかなあ

28  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:25 ID:ftX.2kUU0*
歴史改竄は昔から半島とパヨクのお家芸だったんだな。
希少な歴史資料にイタズラ書きしやがって。
29  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:26 ID:M2R3lWag0*
でもまぁ音でびっくりさせるだけの兵器でも敵の士気や統率力が低ければ有効なんじゃない?
30  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:27 ID:B7w1SeEN0*
攻城戦で守備側が城壁の上から落とした説
31  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:49 ID:K.wNqRSS0*
毛利云々もだけど、
鉄の銃砲じゃなくて鉄の焙烙玉なんだろうね
大型のは海上戦や攻城戦で使うヤツで、カタパルトみたいなランチャー必須だろうな
絵詞にあるような小型のは、実在したなら手榴弾みたいな使い方でスタン効果やストッビンク効果重視だったのかも
32  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:50 ID:945jjXBN0*
>>27
敵軍の馬を狙う兵器だから投擲してたんだよ
陸上のハンマー投げの要領で集団の足元に炸裂させる
音と鉄片で行動不能にするんだよ
33  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:52 ID:scog45ch0*
元々大きく音が鳴るだけのものがてっぽう(てつはう)でしょ。
そりゃそれなりの重量がありゃ飛んでくるだけでも危ないし
火薬なんだからうまく爆発すれば殺傷力もあっただろうけど
相手が密集体系で逃げ場もなく行軍してくるなんてそうないだろうし
人を狙うなら矢を射かけた方がはるかに効率良いだろうから
基本は音を鳴らすための道具でしょ
34  不思議な名無しさん :2019年10月12日 20:55 ID:WtP0gTaO0*
このサイズだと手榴弾以上の威力ありそうじゃん
音で脅かすだけとか嘘じゃん
35  不思議な名無しさん :2019年10月12日 21:03 ID:K.wNqRSS0*
宋が対金用に開発した騎馬撹乱兵器説
苦戦の後にモンゴルが取り入れて、成功体験から日本侵攻の際に持ち込まれたみたいな
36  不思議な名無しさん :2019年10月12日 21:03 ID:JLZUKm4.0*
>>25
ベトナム戦争あたりでも、結構木製の対人地雷が悩みの種だったそうだ。
37  不思議な名無しさん :2019年10月12日 21:07 ID:JLZUKm4.0*
文永の役の時の元側の資料では、船中の会議で引き続き侵攻するかどうかを議論した結果矢も尽きたし軍勢も整ってないから撤退って結論になったって書いてあったはず。
引き続き侵攻するかどうか議論してる時点で、計画通りに引いたとは言い難いと思う。
38  不思議な名無しさん :2019年10月12日 21:43 ID:9HPEDeEN0*
元寇相手に日本の防人や武士達は死闘のうえ国土を守り抜いてくれたんだ。
御先祖様達に感謝。
39  不思議な名無しさん :2019年10月12日 21:50 ID:C5pmfaAb0*
投石紐を知らんのか?
40  不思議な名無しさん :2019年10月12日 21:51 ID:7q2Nx0bc0*
元側が何度も使者を寄越したが、全部片っ端から鎌倉幕府が斬りまくった。
話も聞かずに斬ったので、途中からは和睦だったりの使者だったのにみたいな
話があったな。
41  不思議な名無しさん :2019年10月12日 22:15 ID:PNO8hIZ80*
竹崎は功を焦って自分だけ前に出てやられた。自業自得。ちゃんと後から味方が来て敵を蹴散らした。
42  不思議な名無しさん :2019年10月12日 22:16 ID:p5Nb3PsC0*
どう考えても、状況的に元軍がボロ負けだろ。

一回目だって、上陸したのに橋頭堡を守れず船に戻るって
完敗でしたって意味だぞ。
43  不思議な名無しさん :2019年10月12日 22:25 ID:6dZnGtII0*
>>3
実際見たわけじゃないから誰にも真実はわからんが、神風のおかげで退けたと考えるのは甚だ疑問。戦闘を有利に進める軍勢がなんで海上にいるの?もし元が戦で優勢だったら陸地に拠点つくらないか?
44  不思議な名無しさん :2019年10月12日 22:30 ID:A4iw3MEs0*
>>13
誤解を恐れずに言うと
・鎌倉時代は武士への御恩が足りなかった(今で言う給料未払い)
・たまたま元が来た
・鎌倉幕府が元を倒せば褒美をやると言った
・手柄を立てたいのでわざと苦戦したように見せて、『こんな強い奴と戦ってんだぜ?当然褒美は弾むよな?』と絵巻を書いた
要はお給金を弾ませたいからホラ吹いてたら、後世の人がマジにしちゃって勘違いした
45  不思議な名無しさん :2019年10月12日 22:38 ID:6dZnGtII0*
>>5
30前半か?ワイも同じように鎌倉武士は集団戦法を使わず一人一人が名乗りを上げて戦った為にボロクソにされたと教わった。冷静に考えたら矛盾あるけどガキだったワイはそれが正しいと当時はなにも疑問に思わなかったな
46  不思議な名無しさん :2019年10月12日 22:44 ID:Ku2MLDWM0*
この件に関して、中国と韓国と北朝鮮からは未だに賠償金をもらってはいない。1000年の恨みは怖いぞ!
47  不思議な名無しさん :2019年10月12日 23:53 ID:7TPrAA170*
>絵では乗ってたみたいだけどね(´・ω・`)
当時の日本馬はポニーに毛が生えたようなもんで鎧武者が載って合戦できるようなものじゃなかったってね
中国も汗血馬手に入れるために2度も戦争したりしてるし
48  不思議な名無しさん :2019年10月13日 01:16 ID:k.nhJhoD0*
>>40
元からの使者は文永の役の前は6回、文永の役の後は2回、弘安の役の後は5回
うち日本で切られたのは文永の役の後の2回だけだから全部ではないし片っ端からというほど切った回数は多くない

ネット上で毎回切ってたとか文永の役の前から切ってたとかいう話は多いけどそれはデマ
元の記録で普通に帰ったとかその後も生きてるとか書かれてる
49  不思議な名無しさん :2019年10月13日 01:40 ID:l1VD4xdQ0*
>>46
マジでキモイからやめろ
50  不思議な名無しさん :2019年10月13日 04:46 ID:REtmNWos0*
元寇と言うとゴーストオブ対馬いつだろ
2月にラスアスで年末くらいにPS5発売だから春か秋になりそうだけど
洋ゲーだけど日本から監修に学者呼んだりかなりしっかりしてるらしいし楽しみではある
51  不思議な名無しさん :2019年10月13日 05:58 ID:U2R2UYNT0*
>>7
74m位だったと思う
52  不思議な名無しさん :2019年10月13日 09:01 ID:vhzt.f.a0*
この戦い本当に不毛だよな
モンゴルは東方見聞録で日本は金山がめちゃくちゃあるって書いてあったから
攻めたのに実際は佐渡金山しかなくて過大評価でしかも負けるし
日本もなんか来たから戦って一応勝ったけど
幕府が外国相手だから侍に土地や金を払えなくて幕府崩壊するっていうね
53  不思議な名無しさん :2019年10月13日 10:49 ID:MHDvkLHs0*
>>40
使者6回切ったとか話聞いてないから和睦なの気付かなかったってよく見かけるコピペの元は5chのなんJに立てられたスレだけど、スレ主はスレ中で「北条氏と鎌倉幕府」という本を挙げてるにも関わらず、読んでも実際にはそんなこと書かれてなかったからそれもデマじゃないかな

54  不思議な名無しさん :2019年10月13日 11:15 ID:.OnhIEIQ0*
>>43
資材持ってきて陸に拠点作るのがどれだけ大変だと思ってるんだ?
一応言っとくがヘリや重機なんて存在しないからな?
55  不思議な名無しさん :2019年10月13日 11:28 ID:sP23sF.T0*
大陸側の文献とか資料に運用法が残ってないもんかな
騎馬民族の侵略王朝である元であっても、中国ではそうゆうの記述してそうな気がするんだが
56  不思議な名無しさん :2019年10月13日 15:38 ID:c81qrpkq0*
惨たらしく敵を殺傷する武器を標準装備する大陸さんと、刀や槍などの刃物や弓が基本の装備とでは違うからなぁ。軍としてもかなり訓練されて居た様だし。
名乗りを挙げて戦い始めるのを是とする時点で、それは違うよ・・って思う。
等しく平らげたら、女は嬲って、男は戦奴だからなぁ。武功を建てれば引き立てられもするけど、積極的に最前線に向かう鉄砲玉にされるだけ。
天候に阻まれて良かったね。
57  不思議な名無しさん :2019年10月13日 15:38 ID:P7MUuf.30*
>>52
この時代発見されていたものに限っても金山は他にも各地にあるよ
58  不思議な名無しさん :2019年10月13日 18:12 ID:kNztG8QO0*
>>8
訂正は仕方ないな…
教師は「教科書にかかれた通りの解答」を求めるからな…
59  不思議な名無しさん :2019年10月13日 18:16 ID:kNztG8QO0*
俺の習った頃は「いまでいうロケット花火の化物、威力はないけど脅しにはなった。馬が暴れて武士が落馬→そこを集団で射たれる…」とか習ったな…
60  不思議な名無しさん :2019年10月13日 18:30 ID:kNztG8QO0*
>>36
木箱に釘仕込んで、毒を塗って落とし穴に仕込むってのもあった。軍用ブーツに鉄板仕込んでるのはこれの対策…
61  不思議な名無しさん :2019年10月13日 21:57 ID:NG.0RhGU0*
>>5
やっぱりそうだよな。35歳だが、俺も授業でこう習った。一人ひとり名乗り上げてつっこんでくだけのク ソみたいな戦術で元軍は、てつはうや弓で戦術的に戦ってきて一方的にボコられたって教わった。
だけどこれを以前このサイトで書きこんだら「どこでそんな馬鹿な話習ったんだよ、そんな事教えないぞw」みたいなこと言われて俺の記憶違いかと思ってた。
62  不思議な名無しさん :2019年10月14日 02:01 ID:yC4SXngy0*
ちなみに神風云々って言う話を広めたのは石清水八幡宮の僧侶な
神徳のおかげってことにしたい寺社勢力や朝廷と、できるだけ報償を節約したい幕府の思惑が合致してあの与太話が生まれたんよね。さらに富国強兵を唱え始めた明治時代にある種の箔付けの為に再度利用されてそれが定着しちゃったっていうあれ
63  不思議な名無しさん :2019年10月14日 02:52 ID:wQPPgChN0*
>>名乗りを挙げて戦い始めるのを是とする時点で、それは違うよ・・って思う。

今は名乗りは味方へ活躍を印象付けるためのものだと言われてる
64  不思議な名無しさん :2019年10月15日 00:29 ID:cIL8mRsY0*
>>61
いやいやあってるんじゃないの?自分も当時はそう習ったよ。
今は色々研究されて違うんだろうけどな、名乗りの意味も教師がそう説明してた。戦い始める合図的な説明。
まぁ自分らの時代ってまだ研究が進んでなくてそこら辺テキトーだったんだろうな。
65  不思議な名無しさん :2019年10月15日 08:57 ID:61Qljk.L0*
もうてつはう再現していろいろな方法で使ってみれば
って、もうやってそうだな
66  不思議な名無しさん :2019年10月15日 19:15 ID:1sEFUq.B0*
鎌倉武士が戦う前に
67  不思議な名無しさん :2019年10月16日 13:05 ID:j.c6aEmk0*
当時の武士たちが戦う前に名乗ったのは「何処そこの誰を討ち取った」って事を知らないと後で褒美を貰う時に困るから。最初にお互いに自己紹介するのはその為。元寇相手にも初めは自己紹介してたみたいだけどやっても無意味ってすぐ気付いて辞めたみたいだけどね。
68  不思議な名無しさん :2019年10月18日 18:17 ID:iopvG0..0*
>>47
日本の馬は山岳地帯に適応した、やや小柄なずんぐりむっくりした体格に、荒れ地を突き進む走破力が高い馬で、大太刀は馬上戦闘に対応するために長くなった結果の兵器。
 つまり日本馬は普通に鎧武者のせて山道走ってた。
69  不思議な名無しさん :2019年10月18日 18:26 ID:iopvG0..0*
>>56
鎌倉武士の野蛮さは、そのモンゴル軍の上をいくんでな。
 鎌倉の頃の武士が、
「敵に捕まりそうだから腹かっさばいて、内臓を敵になげたろ!」
ってやらかしたのが切腹のはじまりとされるくらい。
 戦争で親兄弟親類縁者恩人が敵味方に分かれたとしても、構わず全力で戦争する連中だぞ。
 
70  不思議な名無しさん :2019年10月19日 14:46 ID:H.I5HIFy0*
戦国時代に日本が最大の鉄砲保有国だった信じてる人らまだいるんだな
実際は中国トルコに続いて三番目。これでも十分すごいけどね
71  不思議な名無しさん :2019年10月20日 23:45 ID:jkrPQmhb0*
>>8
俺は教科書見せたら○になった。
教師っていい加減だなと思った。てつはう知らねえのかよ~
72  不思議な名無しさん :2019年10月20日 23:55 ID:A1FIlizP0*
難しく考えるから、運搬は・・・運用は・・・
って答えがでないんだよね。使う側の下級戦士の気持ちになればいい
例えばカタパルト。渡航先で壊れたら、どうする。
俺ならばらして木材にする。
適当にテコ作る。かごにてつはう入れる。片方に飛び乗れば投擲機だな。
あるいは櫂を使っても良いかい。船上から攻撃できる。
ま、証拠が出てこなきゃ意味無いけど、単純過ぎてただの木材だよ。
そんなもんじゃないかな

 
 
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