3: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:44:53 ID:f3V
アレ4キロもあったんか…
肩壊しそう
5: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:45:15 ID:vTC
まあ花火みたいなもんですしおすし
6: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:47:27 ID:HGn
よく見たら一枚目の時点で、鎌倉武士の方角から射かけられた矢が描かれてて
武士に背を向けて逃げたり矢が刺さってる元の兵士がいるのな
7: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:48:48 ID:uh4
てつはうは手りゅう弾と違って音でビビらすだけの兵器
と思いきや海から発掘されたてつはうを調べた結果やっぱり破片で攻撃するタイプの兵器やったんやってな
10: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:50:25 ID:gID
>>7
でもそれも敵の近くに着弾すれば、の話やな
絵だと破片が飛んでても竹崎には当たりそうもない
16: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:52:19 ID:G2c
>>7
てつはうの被害にあった武士もいたと思うが
それやと論功行賞の際に不利なので元軍兵士と組み合って死傷したことにしたみたいな例はありそうやね
戦国時代でも味方の馬に踏まれて死んだけど勇敢に戦って死んだ事にする的な処置は結構あったし
8: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:49:38 ID:4Tl
てつはうって素材なんなんや?
やっぱ陶器?
12: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:51:03 ID:gID
>>8
容れ物は陶器
中には鉄片や青銅片
14: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:52:06 ID:4Tl
>>12
はえーサンガツ
11: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:50:53 ID:f3V
火薬の質とかどうやったんやろ
13: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:51:36 ID:dc1
竹崎季長さんもまさか教科書で日本中に知らされるとは思ってもないやろな
15: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:52:10 ID:ty0
でもわざわざ船に積んで持ってくるからにはほかの戦場では実績あったんやろな
17: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:53:49 ID:f3V
てつはうってネーミングはなんなんや
元寇のお兄ちゃんが教えてくれたんか?
26: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:59:58 ID:HGn
>>17
わからんけど鉄片が入っとるから鉄、
火薬を使うから砲やないか?
「砲術」も鉄砲だけやのうて石火矢も狼煙も含めた火薬使用技術全般を指す言葉やし
18: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:53:51 ID:HGn
あと教科書やと絵が小さかったから
馬が出血してるのはてつはうにやられたと思っとったけど
拡大すると傷口は二か所とも矢が突き刺さっとるんやな
21: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:55:53 ID:dc1
大陸では有効だったのかもしれんね
23: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:57:08 ID:ty0
>>21
騎馬隊が集団突撃してくるところにポイー
↓
お馬さんパニックで騎馬隊将棋倒し
こんなんちゃうんか
28: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:02:17 ID:gID
>>23その次の場面では百余騎の騎馬兵が集団突撃やで
25: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)19:59:34 ID:ty0
ちゅうか元カスが中国軍にやられて痛い思いしたから、
『せならわいらも…ウフフッ!』
って感じでウッキウキで持ち込んだんちゃうんか。
手投げ弾とか遊牧民もともとの発想とちゃうやろ
27: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:01:15 ID:ty0
ちゅうか、鎌倉武士サイドも中国とは国交あったんやろうし火薬や手投げ弾くらいはうっすら知ってたんちゃうん?
29: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:02:33 ID:rMg
>>27
当時やと軍事機密やろうし日本に教えへんやろ
67: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:13:47 ID:HGn
>>29
百年以上あとやと北条氏康(1515年生)がガキの頃に、貿易で相模湾に来とった唐船が
小田原城内で飛砲って火器の試し打ちを披露したのにビビってマジ泣きしたいう記録がある
30: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:02:37 ID:DJH
集団戦の元軍とやあやあやあ我こそはの日本軍
日本ボコボコにされそうだけどよく勝てたなって
35: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:04:02 ID:4Tl
>>30
武士「なんやあいつら戦いの礼儀知らんのか」
武士「ほな夜討して死体を船に投げ込むンゴ~」
45: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:06:08 ID:HGn
>>30
そもそもこの絵ですら鎌倉武士はタイマンやのうで集団戦してるで
竹崎季長(一枚目の武士)はタイマンするために飛び出したんやのうて
先駆けの功績を求めて飛び出したんや
それも従者もついて行っとる
んで負傷した竹崎助けに二枚目の武士や百余騎の武士が続々追いついて集団で弓を射かけとる
56: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:09:13 ID:HGn
>>30
それと名乗りは今では敵への自己紹介やのうて
味方に「これからワイが手柄立てたるから覚えとってな!」ってアピールやないかともいわれとる
仮にそうやなくても、外国人相手にはせえへんやろ日本語通じへんで
60: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:10:34 ID:ty0
>>56
これ、威勢よう名乗った奴があっけなく打ち取られたりしたら味方軍の連中は腹の中でほくそ笑んでたんやろな
要は仲間内でのマウント取りやし
65: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:11:52 ID:DJH
>>56
ご恩と奉公の関係上目立たなアカンから味方(上司)へのアピールやね。
死にやすいけど一番乗りは誉でもあるし手柄でもある
70: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:14:25 ID:ty0
>>65
これ、どうせ現場では鎧かぶっとるんやろうしメッチャ強い奴に代わりになりすましで戦ってもらうとかってできたんかな
74: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:16:12 ID:4Tl
>>70
そういう話あるで
なお元の鎧の持ち主は死ぬ模様
75: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:16:28 ID:ty0
>>74
はい菊池寛
31: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:02:39 ID:uh4
国交ある言うても日中なんて基本貿易だけの関係やろ?
33: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:03:10 ID:6aq
>>31
貿易してたん?
37: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:04:09 ID:uh4
>>33
日宋貿易してるぞ
38: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:04:21 ID:ty0
>>33
平清盛が思いっきり貿易してへんかったか?
39: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:04:38 ID:6aq
>>37
>>38
いや鎌倉時代や
42: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:05:14 ID:uh4
>>39
だから鎌倉時代にも日宋貿易してる言うてるんや
52: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:08:06 ID:6aq
>>42
はえー知らんかった
福原潰れて途絶えて義満で復活やとおもってた
なら拠点は博多か?日本は何を輸出したんやろ
何より元締めだれなんやろ
36: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:04:06 ID:vTC
黒色火薬は構成物の黒炭が吸湿性が高いため湿度の高い所では燃焼が悪くなる
ましてや長い船旅で海上にいる間に火薬の性能はかなり落ちたと思われる
不発が多かったと思われる
また運よく破片が飛んでも甲冑武士に手傷を負わすほどの威力があったとは思えない
44: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:05:27 ID:AmO
なんか投石機みたいなもんやて聞いたことある
47: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:06:31 ID:ty0
ちゅうか日宋貿易の輸入品目で宋銭って何やねん
貨幣輸入するような国ひとつ攻め滅ぼせんのか
50: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:07:35 ID:HGn
>>47
昔は鋳造しとったから技術自体はあるで
平安時代に色々失敗してあまり使われなくなってからの宋銭輸入や
48: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:07:12 ID:uh4
というか火薬の原料の硫黄は鎌倉時代の日本の主要輸出商品やからな、あとは日本刀
日本は硫黄を何の目的で宋が欲してたか知ってたんやろか?
54: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:08:40 ID:vTC
>>48
漢方では硫黄を薬や病気の治療用に使ったりしてるぞ
55: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:08:59 ID:6aq
>>48
どこが産地やったんや?
57: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:09:43 ID:uh4
>>55
鹿児島県の硫黄島らしい
太平洋戦争の硫黄島とは別の島やで
68: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:14:04 ID:6aq
>>57
屋久島の近くか?
鉱山跡とかあるとロマンやなぁ
漢の時代は真珠ぐらいしかない国といわれていたのに
61: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:10:36 ID:eow
撃退したって言ってもほとんどは征服された高麗の兵士だし
襲ってきたのは14万の内戦法の4万だし
鎌倉武士の強さは認めるけど結局台風のおかげなんやろなぁ ロマンの欠片もなくてすまんが
63: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:11:34 ID:KlT
>>61
台風で舟がボロボロにされてなかったらすぐに補充要員来てたとは聞くな
66: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:13:33 ID:eow
>>63
時宗が用意した援軍も届いて更に砦増設して総力戦になってたんかな
62: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:10:41 ID:dc1
この頃の日本の鋳造技術もおもろいわ
法隆寺の釈迦三尊が飛鳥時代でこの頃には鋳造ができていて奈良の大仏やらその他鋳造された仏像が数あれど貨幣は難しかったってのがね
80: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:17:59 ID:eow
81: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:18:07 ID:6aq
そういえば元寇時宋人は開放でその他は処刑やったな
開放された宋人は元では立場なかったやろうな
88: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:23:06 ID:ty0
>>81
『せやから無理やっていうたやないですか…今度からはワイらの言うこと聞いてもらいますでこの遊牧野郎が』
てマウント取れたんちゃうん?
91: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:26:27 ID:HGn
>>88
趙良弼「せやから無理やっていうたやないですか…」
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや…
92: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:28:40 ID:ty0
>>91
北センチネル民扱いやな
93: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:29:29 ID:uh4
でも使節殺されたらそら攻めるよね
むしろなんで時宗は殺したんや
100: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:34:21 ID:HGn
>>93
使節殺したのは文永の役の後や
第七回と第八回使節
文永の役の後にも使節は来とるけど殺してはないで
返事せずに既読スルーはしとったけど
101: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:35:13 ID:HGn
>>93
>>100違った、
文永の役の前にも使節は来とるけど殺してはないで
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/20(土)21:15:37 ID:RBJ主 ×
【悲報】元寇の頃に日本に送られた蒙古の使者の末路……
1回目 高麗で引き返した(生還)
2回目 蒙古国牒状書持ってきたけど返事もらえなかった(生還)
3回目(1回目と同じ人) 対馬で拒まれて島民捕えて帰った(生還)
4回目 島民帰した(生還)
5回目 日本からの使者?連れて帰った(生還)
6回目(5回目と同じ人) フビライに>>1の報告した(生還)
(文永の役)
7回目 処刑…(死亡)
8回目 また処刑…(死亡)
(弘安の役)
9回目 台風で引き返した(生還)
10回目 日本に行きたくない船員に使者が殺された…(死亡)
11回目 日本に来ずに手紙だけ届けた(生還)
12回目(4回目と同じ人) 鎌倉へ連行、のち15年後に病没(生存、日本に留めて帰さず)
13回目 お坊さんだったんで幽閉のち赦免、日本のお寺の住職になった(生存、日本に留めて帰さず)
13回中、生還8回(本土に来れたのは4回)、死亡3回。
時期で分けると
文永の役前→生還、
文永の役後→処刑
弘安の役後→生かすが帰さず日本に留める
7回目と8回目だけ処刑されとるンゴ……
103: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:36:24 ID:uh4
>>101
これもう7回目以降はほとんど生贄やろ
どんな気分で日本海渡ったんやろ
109: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)21:03:00 ID:HGn
>>103
9回目台風で引き返したことになってるけど
「7回目も8回目も殺されとるのに絶対ワイも殺されるンゴオォ!?」
って台風言い訳に逃げ帰ったんやないやろか
110: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)21:11:25 ID:DJH
>>109
まあ人質作戦しても
→人質の盾ごと矢を射かけてくるンゴ...。
腕に自信があるのかな?じゃあ船にくくりつけるわ、これなら
→嬉々として放火
こんな蛮族と交渉なんか無理よ
94: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:29:59 ID:DJH
鎌倉武士の心得
常に馬の餌の為に庭草は伸ばしたままにしておけ
調練場には生首を絶やすな
人殺しは常にやって武芸を磨け
門前を通る僧や乞食、修験者は弓の的に丁度良い。逃げるから弓の標的として活用せよ。
97: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:32:41 ID:uh4
>>94
僧は殺せだったのに禅にはまるんやからわからんもんやな
96: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:31:57 ID:G2c
旧南宋の兵力で征服できたらラッキー
最悪棄民できるの精神やないか
107: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:45:05 ID:DJH
鎌倉打線
1(中) 壱岐対馬を見殺しにして相手の戦法を見極める
2(二) 元軍出兵5か月前には鎌倉武士団を大宰府に展開して迎撃態勢
3(一) 人質を楯にしても関係なく矢を射かける
4(三) 博多が略奪される前に鎌倉武士団で略奪の限りを尽くす。
5(遊) 元軍の人質を盾に使う
6(右) 夜襲を繰り返し船に毎回放火する。
7(左) てつはうに馬が驚くも徒歩で戦ってた
8(捕) 元軍の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れる
9(投) 捕虜は宋人は以外皆殺し
82: 名無しさん@おーぷん 19/10/14(月)20:18:14 ID:uh4
蛮族然とした鎌倉武士やけど中には気が弱くて戦いが嫌な奴もいたんやろなぁ
どうやって生きてたんやろ