アマビエの由来
このアマビエという妖怪は、元々は
尼彦入道とか海彦(アマビコ)から派生した妖怪だと思われる。このアマヒコをカタカナで筆により表記してみると、「コ」の文字が「エ」に見える場合もある。つまり、アマヒコをアマビエと読み間違えた人物が新しい妖怪の名称を作ってしまったわけだ。よって
妖怪アマビエは読み間違いにより生まれた妖怪と考えられる。
アマビエのベースになったアマヒコについて考察してみたいと思う。
アマヒコを漢字で表記すると「天日子」とか「海彦」となるが、いずれも「神の子供」という意味である。つまり
アマヒコは神が零落して生まれた妖怪だといえる。
となると推測されるのが
民話の海幸山幸である。
海幸山幸
山で獲物をとって暮らしている
弟の山幸彦、海で魚を撮って暮らしている
兄の海幸彦。
ある日二人は自分たちの道具を交換し、海幸彦は山へ狩りに出かけ、山幸彦は海へ釣りに出かけた。しかしミスで
兄から借りた釣り針を無くしてしまった山幸彦は、兄の怒りをとくために海の中へ釣り針を探しに向かう。
そこで
サメの化身である豊玉姫と出会い、恋に落ちる。さらに
豊玉姫の父である海神(ワダツミ)の信頼を勝ち取り、釣り針を返してもらった上に、
塩の満ち引きを操る珠をもらうことに成功する。
その後、山幸彦は豊玉姫を連れて陸に帰り、兄の海幸彦を従える事になる。我々が子供の時に読んだ神話はここまでである。
子供への影響を考えてファジーな表現にしていたようなのだが、
オリジナルのストーリーは娘婿である山幸彦を応援するために海神は山幸彦の宿敵である海幸彦に呪いをかけたと言われている。つまり、海神の呪いにより
海幸彦は零落し、妖怪となってしまったのだ。
では、なぜアマヒコやアマビエは三本の足とくちばしを持っているのだろうか。それは簡単である。弟の山幸彦と豊玉姫の間に生まれた子供の子供が神武天皇であり、神武天皇が東征する際に先達を務めたのが
三本の足を持つ八咫烏なのだ。
言い換えれば、弟の孫の先達を務めた八咫烏と同じような姿に変えられてしまった結果、海幸彦は三本の足とくちばしという奇怪な姿になってしまったのだ。
一つ気になることがある。弟の子孫である今の日本人に対して、海幸彦=アマヒコ・アマビエはどのような感情を抱いているのであろうか。弟をいじめた自らの業の深さを反省し、弟の子孫が作った国を守ろうとしているのであろうか。
音川安親編 万物雛形画譜 ホオリ(ヒコホホデミ)
病魔退散か呪いか
アマビエの姿を見せれば病気が治る、と言われているが、アマビエは一言もそのような内容は言っていない。ただ一言、
「流行り病にかかった者に私の姿を描いた絵を見せろ」と言っているだけなのだ。
もし、アマビエが山幸彦の子孫である我々現代人に恨みを持っているとしたら、絵を見せることで大きな災が起きる可能性がある。2020年の3月、突如巻き起こったアマビエ祭り。この祭りは病魔退散の儀式なのであろうか。それとも壮大な呪いのプロジェクトなのであろうか。筆者はいささか疑問に思うのである。
文:
山口敏太郎
ATLASラジオ2nd 92 海幸彦が妖怪アマビエに零落した?!
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