47: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:38:37 ID:3z4
再現画像こっわ
2: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:42:18 ID:mHi
>機長含め
ファッ!?!?
4: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:43:17 ID:Zt8
>>2機長ピンピンしてて草
3: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:43:06 ID:yQI
流石に画像はコラやろ?
5: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:43:32 ID:Zt8
>>3
再現画像や
7: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:45:39 ID:Zt8
ちな機長は凍傷と肩の骨折の全治5ヶ月で
5ヶ月後ふつうに職場復帰して定年まで勤めた
8: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:46:38 ID:YpG
1990年6月10日発生。
コクピット正面の風防ガラスが吹き飛んだことによって機長が機外に吹き飛ばされたが、副操縦士の懸命な操縦でサウサンプトン空港へと不時着を果たした。んや
機長は足が操縦桿に引っ掛かったことで完全に放り出される惨事は免れていたものの
(タイミング悪くシートベルトを外していたときの事故であった)、
高高度の低酸素・低温に生身で晒されていたことから
周りからは完全に死んだものとして扱われていたのだが、
僅かに意識が残っていた事故直後に比較的酸素の多い機体側に身体を向けることができたこと、
乗務員たちが迅速な対応で必死に機長の足を押さえ続けたこと
(仮に吸い出されたら機長はそのまま左エンジンに吸い込まれ、更に重大な故障の発生が予測されたため。
バードストライクならぬキャプテンストライクの危機であった)
そして副操縦士が迅速に機体を降下させて酸素濃度を回復させる*10ファインプレーをしつつ着陸も素早く成功させることができた
といった幸運が重なったことで、機長を含めて全員生還を果たした。 んやで
その後に機長は5ヶ月で現場復帰して定年まで勤めたことから、メーデー民たちからは異能生存体扱いされている。そうや
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブリティッシュ・エアウェイズ5390便不時着事故
13: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:48:50 ID:1X1
>>8
キャプテンストライクで草
14: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:49:14 ID:Zt8
>>8
サンガツwikiニキ
めっちゃ副操縦士が有能やったんよな
9: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:47:08 ID:Y07
機長やべえなこれ
10: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:47:29 ID:eXR
そもそもシートベルト外すなよ
12: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:47:42 ID:j7O
はえー
27: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:03:01 ID:EWP
これ操縦するやつに足引っかかってて~ってやつかな
前にテレビで見た気がする
15: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:50:52 ID:hul
モスクワ劇場占拠事件
モスクワ劇場占拠事件(モスクワげきじょうせんきょじけん)は、2002年10月23日 - 10月26日にかけて、ロシア連邦内でチェチェン共和国の独立派武装勢力が起こした人質・占拠事件である。
26日の午前6時20分頃にロシア連邦保安庁(FSB)の特殊部隊であるアルファ部隊が突入。その際、特殊部隊は犯人を無力化するためにKOLOKOL-1と呼ばれる非致死性ガスを使用した。劇場内にいた大半はこのガスによって数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生したが、短時間で制圧された。武装勢力側は全員射殺されたが、その中には意識不明でその場に倒れていて特殊部隊員によって無抵抗のまま射殺されたものが多い。
なお、
突入の直前に犯行グループ側が人質を殺害したとの報道も流されたが、発表では銃弾で死亡した人質はいない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/モスクワ劇場占拠事件
19: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:54:52 ID:Q5Z
キャプテンストライクは無事着陸した後でも機長は流石に助からんやろと思ってたわ
22: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)00:59:12 ID:LYK
JATユーゴスラビア航空機爆破事件
25: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:01:13 ID:Zt8
>>22
生存者1名やんけ…
航空機事故で生存者あるだけで奇跡やけど
28: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:04:45 ID:LYK
>>25
1万メートルで空中分解したのに生きてたから
「この状況から●●生還するとか奇跡だろ…」って事件
32: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:08:22 ID:Zt8
>>28
彼女のこの奇跡はパラシュートなしで最も高い高度から落下して生還した記録としてギネスブックから認定された
すご∃
26: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:01:55 ID:Zt8
対抗できるのは
ハドソン川の奇跡で有名なUSエアウェイズ1549便不時着水事故くらいやろか?
USエアウェイズ1549便不時着水事故
USエアウェイズ1549便不時着水事故は、2009年1月15日午後3時30分頃(東部標準時(UTC-5))に、ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ(現:アメリカン航空)1549便が、ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水した航空事故である。
離陸してから着水までわずか5分間での出来事であり、乗員・乗客全員が無事に生還したことから、ニューヨーク州知事のデビッド・パターソンは、この件を「ハドソン川の奇跡」(Miracle on the Hudson) と呼び称賛した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/USエアウェイズ1549便不時着水事故
30: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:05:52 ID:oSR
>>1
再現画像にしてもちょっと機長デカくね?
31: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:06:30 ID:HrE
チリの落盤事故
コピアポ鉱山落盤事故
コピアポ鉱山落盤事故(コピアポこうざん らくばんじこ)とは、チリ共和国アタカマ州コピアポ近郊のサンホセ鉱山にて、現地時間2010年8月5日に発生した坑道の崩落事故。崩落により33名の男性鉱山作業員が閉じ込められるも、事故から69日後の現地時間10月13日に全員が救出された。サン・ホセ鉱山は、コピアポの45キロ北に位置する。鉱山を所有していたミネラサンエステバン社は、のちに倒産した。
作業員たちが閉じ込められたのは地下634メートルの坑道内で、坑道入り口から5キロの位置である。鉱山会社の弁護士を含む数名が、作業員らが救出されたあと、鉱山所有者らが破産する可能性を指摘している。サンホセ鉱山は金と銅の産出で1889年から操業してきた。現在の所有者は、マルセロ・ケメニー・ヒューラー(40%)とアレハンドロ・ボーン(60%)の2人である[7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/コピアポ鉱山落盤事故
33: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:09:11 ID:Zt8
>>31
閉じ込められてたやつか
リアルタイムで見てた懐かしいわ
36: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:13:31 ID:Q5Z
アマゾンに墜落した飛行機で一人だけ助かってジャングルを何日も歩いて自力で脱出した少女もおったな
38: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:16:57 ID:Zt8
>>361971年12月24日
ペルーのリマからイキトスへ向かう途中、アマゾン上空で激しい乱気流と落雷に遭遇、右翼を大きく損傷後空中分解し、山岳地帯の森林へ墜落した。
片目を怪我し鎖骨骨折などの重傷を負ったものの即死を免れた17歳の少女、ユリアナ・ケプケは密林の中を歩き続けてカヌーを発見し、何時間か昏睡していたところをハンターによって事故後10日後になって奇跡的に救助された。
機体の残骸は事故後14日を経て発見されたが、墜落直後には10人以上が生存していたものとみられ、捜索救助活動の遅れが悔やまれた。
1974年にはこの事故を描いた『奇跡の詩』という映画も製作され、1987年には開隆堂の中学2年の英語の教科書にも取り上げられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/航空事故の一覧_(1960年から1979年)#1971年これやろか?
39: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:22:07 ID:Q5Z
>>38
せやね
世界丸見えの海外テレビ放送の再現映像を見たけど、傷口に入りこんだ寄生虫を自分で取り出すシーンがトラウマや
40: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:24:13 ID:Zt8
>>39
ひえー…
37: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:13:42 ID:oSR
山の民伝承くらいならめっちゃ生還率低い事象なんかはあるんやがな
東北の片田舎に細々伝わる伝承とはいえ調べても全く出んのがホンマに恐ろしい
41: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:25:59 ID:DfM
42: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:27:41 ID:Zt8
>>41たしかに
これ忘れてたわ
宇宙からの全員生還はすごい
アポロ13号
アポロ13号は、1970年4月に行われた、アメリカ合衆国のアポロ計画の3度目の有人月飛行である。
1970年4月11日、米中部時間13時13分、ジェームズ・A・ラヴェル船長、ジョン・L・スワイガート司令船操縦士、フレッド・W・ヘイズ月着陸船操縦士を乗せたサターンV 型ロケットは、第3番目の有人月面飛行を目指して、ケネディ宇宙センター第39発射施設から発射された。
2日後、電線が短絡し火花が散ったことにより機械船の酸素タンクが爆発し、飛行士たちは深刻な電力と水の不足に見舞われることになった。司令船には独自のバッテリーと酸素が搭載されているが、それらは大気圏再突入の際に必要になるもので、使用することはできない。そのため、彼らは着陸船を救命ボートに見立て乗り移り、電力消費を限界まで抑え、よって生成量が激減した飲料水の消費を極力控える負荷に耐え、無事地球に生還した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アポロ13号
43: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:29:22 ID:QBS
44: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:30:36 ID:Zt8
>>43
これ本人が書いてるん?
46: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:31:32 ID:HrV
>>43
アーロンリーラルストン思い出した
エアーズロックの辺境で腕が挟まって10日くらい遭難したやつ
45: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:31:30 ID:Zt8
読んだけど生々しくてすごいわ
48: 名無しさん@おーぷん 20/11/11(水)01:38:45 ID:fqW
不思議netさんワイは赤色で