4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 04:45:27.32 ID:aklCkRQP0
地震で滅んだ内ヶ島氏
5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 04:47:02.63 ID:Kry/QA0e0
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」
↑
トイレで力みながら考えた
6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 04:48:03.51 ID:EW+UpNqFO
織田信長が今川義元を破った戦いとして有名な「桶狭間の戦い」
しかし、両軍が激突した桶狭間の正確な場所は諸説あり特定されてない
9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 04:50:39.34 ID:p2yjXBuA0
中世の軍事の話になると飛び道具の強さに言及されるが、
その飛び道具への対策はなかったのかというとちゃんとあった
しかし対策をした上で死傷数が槍よりずっと多かったのだから、
ひいては「死者が全体に3割にのぼったら壊滅と同義」というのも無理はない
11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 04:56:19.43 ID:EW+UpNqFO
大食漢としても有名な日本海軍の山口多聞少将
山本五十六は山口少将が旗艦大和を訪れるときはいつも炊事場の兵に
「今日は山口が来るからステーキを一枚多く焼いてくれ」と言いつけていた
12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:10:18.54 ID:p2yjXBuA0
かつてお寺は、寺子屋というものもあったように、
仏教の修行の場としてだけでなく様々な教養を学ぶ場でもあった
日本の戦国武将たちの中で特に有名な人物たちは
だいたい寺での勉強を経験しており、今の感覚で言うと大卒エリートである
(例:信長・家康・謙信・信玄など)
13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:12:34.14 ID:7JdDEXj90
光武帝の最後の言葉は「私は民の役になにも立てなかった」
15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:16:56.63 ID:S3j7hwXUO
・大航海時代(日本では戦国時代)にヨーロッパはアジア諸国に手を伸ばそうとするが、
日本にはヤバいくらいの数の鉄砲があったため進行していない。
・太平洋戦争中には、間違えて自軍側を攻撃してしまう事例がたくさんあった。その中には、事故を装ってムカつく上官を撃ったりすることもあった。
なので、賢い上官は、野戦中に部下を虐めたりはしなかった。
・元寇が責めてきたとき、神風は一度目は吹いたが二度目は吹いていない。
・太平洋戦争中に神風は吹かなかったとされているが、実は吹いていて、
米軍の船団に台風?が直撃したが、元寇のときの木造船とは防御力が比べ物にならないので、ほとんど被害は受けなかった
28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 06:07:04.68 ID:BJFkHKxTO
>>15
あと神風の件でも、アメリカ軍だと台風で駆逐艦が数隻沈んだり、
沈まないまでも空母が甲板曲がったとかで、アメリカ本土へ戻して大修理必要になった軍艦が何隻もでてるから、
ほとんど被害がなかったってのは言い過ぎだと思う。
16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:24:40.63 ID:p2yjXBuA0
17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:30:54.06 ID:Jwh5wIDUO
>>16
信玄とか信長の絵は本物でないってのはたまに聞く気がする
あと似たような話で、上野で犬連れた銅像や肖像画の西郷隆盛は
親戚とか薩摩の人の顔からイメージしたもので
本人を知ってる親戚は「似てない」って言ったらしい
って何かの本で見たような…
18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:34:43.96 ID:uPBKtzqq0
江戸時代初期の日本は全世界の1/3に当たる銀を産出していた
19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:41:44.80 ID:p2yjXBuA0
武田信玄の侵攻を何度も防いだとして有名な長野業正
彼の娘はなぜか美人ぞろいだった
現代の儒教的なものとは違った意味で親族というものが重視された戦国時代において、
彼は美人の娘を周囲の有力豪族へ嫁がせることでそれを自慢の防御の一因とした
20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 05:49:30.86 ID:GWL4ZBwZO
ベルリンの壁を破壊されたのは西ドイツ東ドイツ合併前。
52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:02:55.37 ID:ZqhJKwn9O
>>20
確か、放送で何かを言い間違えて、東西合併しますって言っちゃったんだよな
それでヒャッハーした民衆が壁破壊、仕方ないから本当に合併、って流れ
23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 06:00:37.86 ID:WVArnv/DP
オカルト好きな俺のために人柱がどうとか美少女が贄に云々とか、そういう歴史話を聞かせてクレヨン
実際にあるのかどうかは知らんけど
30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 06:20:54.63 ID:BJFkHKxTO
>>23
大正時代の話だけど、北海道の常紋トンネル(JR石北本線の現役鉄道トンネル)だと
改修工事のときに、壁から立ったまま埋められた人の骨が出てきてる
北海道だと「タコ部屋労働」で調べると詳しいが
苛酷な労働に倒れた人をその辺に適当に埋めた話が結構出てくる
25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 06:05:05.25 ID:GWL4ZBwZO
城を建てる際には人柱を立てたって記述なら沢山あるんじゃない。
42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 08:12:16.91 ID:WVArnv/DP
>>25
>>30
ほう、色々とあるのか。
ちょいと調べてみるよ。サントス
29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 06:11:54.59 ID:p2yjXBuA0
戦上手ということで上杉謙信には
剛直なイメージがあるかもしれないが実は繊細な性格で、
家臣の取りまとめに苦労した末へそを曲げて山を放浪したこともある
48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 13:11:19.92 ID:dHQTDWSK0
>>29
おい「高野山」っていうのはそこにある真言宗系山寺の総称で山そのもののことじゃないぞ
謙信公が山男みたいになってるだろ
50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 13:39:14.57 ID:p2yjXBuA0
>>48
さすがにそれは過剰反応
俺の書き方も悪かったかもしれん、スマヌ
小銭のために大きな失敗をし、
うかつな守銭奴として定着しつつある前田利家
しかし彼の遺言の中には、
「あちこちの大名にお金を貸してるけど、こちらからは催促するな
もしあちらが返せない状態になっていたら、借金はなかったことにしてやれ」
というものも混じっている
利家は青年期、ちょっとしたことから困窮したことがある
恐らく同様の境遇の者へは無償の配慮をしてやりたいと思っていたのだろう
また東北出身の大名らが、京との馴染み薄さゆえに畿内でいじめられていたら、
よくしてあげていたようでもある
これも先述の困窮していた時期に利家の元から人が多く去ったことに起因していると思われる
32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 07:22:06.83 ID:sGFmziRlO
有名な話だけど、武田信玄は男3人の三角関係の縺れで部下(愛人)に「お前が一番だよ///」という手紙を書いた
35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 07:29:50.74 ID:cdl9Nymj0
板垣退助の最後の言葉は「板垣死すとも自由は死せず」
じゃなくて「痛ぇ、医者を呼んでくれ!」だとかなんとか
37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 07:33:35.81 ID:izgEymA30
>>35
そもそも襲われたけど殺されて無いっす
39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 07:34:29.59 ID:pTHEgID5O
>>35
板垣死すとも…は、岐阜事件ってので板垣が負傷した後に民権運動やってた連中が喧伝した言葉だって習った
36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 07:32:57.26 ID:pTHEgID5O
水戸黄門の黄門は中国の言葉で、日本では中納言の意味。
ある日、水戸黄門がお坊さん達の目の前で鶴を殺そうとした。お坊さん達は水戸黄門の地位を知っていたので注意が出来なかった。
すると水戸黄門はこう叫んだ。「全くバカな坊主たちだ。お前ら坊主は慈悲ってもんを極めた連中だろ!俺を注意せんのか!」
坊主達は何も言えなかった。水戸黄門は笑ってその場から去った
45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 12:10:37.60 ID:EW+UpNqFO
エンガノ岬沖海戦のときに間違えて米艦隊に紛れ込んだ日本の駆逐艦がいた
47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 13:04:36.47 ID:ssFoB8i30
米本土を空襲した国は日本のみ
60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:18:42.08 ID:UlsZpXyrO
>>47
空襲した日本人はアメリカでは英雄として称えられている
藤田信雄
藤田 信雄(ふじた のぶお)は、帝国海軍の軍人。
帝国海軍の伊号第二五潜水艦(伊25)から零式小型水上機を飛ばし、史上唯一アメリカ合衆国本土に対して航空機による爆撃を実施するという、後にルックアウト空襲とよばれる爆撃を敢行した軍人である。
彼の任務は、太平洋戦争における太平洋戦域のアメリカ海軍の資源を奪い去るため、焼夷弾を使用してオレゴン州ブルッキングズ市に近い太平洋岸北西部に大規模な山火事を発生させるというものだった。
終戦後、藤田は地元の茨城県土浦市に戻り、工場勤めをしていた。だが1962年(昭和37年)5月20日、政府首脳より都内の料亭に呼び出され、池田勇人首相と大平正芳内閣官房長官に面会し、その場でアメリカ政府が藤田を探していることを告げられ、アメリカへ行けと命じられる。しかも日米関係への影響を心配した日本政府は、この渡米を一切関知しないとさえ告げられた。藤田は戦犯として裁かれるのではないかと考え、自決用に400年間自宅に代々伝わる日本刀をしのばせ渡米したが、
ブルッキングズ市はかつての敵国の英雄である藤田をフェスティバルの主賓として招待したのだった。アメリカで大歓迎を受けた藤田は自らの不明を恥じ、持っていた刀を友情の印としてブルッキングズ市に贈った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤田信雄
120: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:32:55.89 ID:VrRpzKtAO
>>60
風船爆弾じゃないの?
121: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:40:24.95 ID:3S1nmaZRO
>>120
開戦直後に潜水艦から小型水上機で爆撃して山火事起こした
123: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:47:12.48 ID:VrRpzKtAO
>>121
知らなかったわ
ありがとう
57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:13:54.75 ID:b8kYSlW50
ピョートル3世は痔の激痛でショック死した
58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:17:03.34 ID:AXIh5er5O
ルイ14世の弟オルレアン公は同性愛者・女装子として名高く、
兄王の庶子つまり自分の甥を愛人にするほどだった。
61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:22:52.93 ID:PIDyIdSh0
エンリケ航海王子は船酔いするので船にのれない
62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:23:44.84 ID:b8kYSlW50
雷帝イヴァン4世は
・子供のころ、クレムリン宮殿の塔から犬や猫を突き落とすのが趣味だった
・長男を叱り付けて勢いあまって殴り殺してしまった
・酒宴の席で酩酊し、踊っていたイヴァンを諌めた部下に「仮面をつけて一緒に踊れ」と指示。断られたのでその部下をその日の夜に殺した
63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:25:44.23 ID:gP+DPJ1RO
ジャンヌ・ダルクは美少女のイメージだが
実はドブス
64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:28:58.04 ID:Thz7d03d0
江戸幕府4代将軍の家綱は、ヒゲ禁止令という法律を発布した
72: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:50:59.82 ID:b8kYSlW50
>>64
ピョートル大帝下のロシア帝国ではヒゲ税という、年間300円前後の税があった
ほかにも財政難を克服するため、土地、旅館、馬車、風呂、長靴、帽子、薪、スイカなどが税金をかけられた
65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:37:19.27 ID:AXIh5er5O
ナチスはSA突撃隊の参謀長エルンスト・レームは
同性愛者であり側近も同性愛者で固めていた。
いわゆるレーム・プッチにおいて、SSがレームおよびその側近を急襲・逮捕した際、
レームの側近の何人かは男性と同衾していた。
66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:38:01.13 ID:2nt7Dcsi0
家康は戦のとき金の次に石鹸を大量に集めさせた。
戦で汗まみれになった兵士たちを清潔に保たせることで士気をあげさせるためである。
71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:46:43.89 ID:p2yjXBuA0
将軍家ご流儀柳生新陰流でおなじみ柳生宗矩は、
実は人を斬った公式記録が1615年大阪の役での一件しかない
>>66
家康多芸すぎww
68: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:42:38.31 ID:2nt7Dcsi0
「我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトはグータラ人間で、午後起きが当たり前だった。
しかしスウェーデンのじゃじゃ馬王女クリスティーナの家庭教師の仕事についた際、
朝五時から講義を始めるハメになり、結局デカルトは体調を崩してそのまま風邪をこじらせ死んでしまった。
96: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 15:54:52.83 ID:DU5nMl0y0
>>68
グータラじゃなくて病弱だったのな。
病弱な人間が極寒のスウェーデンで朝五時から家庭教師やってりゃしぬわな
73: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 14:56:51.95 ID:FTUNWdTAO
明智光秀はその生涯で敗北したのは三度だけ。最後の一敗が秀吉、他の黒星二つをつけたのは赤井秀和のご先祖さま
75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 15:06:06.15 ID:iNfENNxTO
イケメンで知られるWWⅡドイツ空軍のエース、ハンス・J・マルセイユは、軍の移動列車に女性を連れこんだ事がある
それを見咎めた憲兵だが、マルセイユの襟元の柏葉章を見て、敬礼して立ち去ったという
77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 15:14:11.09 ID:AXIh5er5O
古代ローマにおいては初期を除いて同性愛に寛容であり、
何人かの皇帝も男性の愛人を持ったが、
第二十三代皇帝マルクス・アウレリアヌス・アントニヌス俗称エラガバルス(五賢帝時代最後の皇帝と同名別人)は、
その中でも凄まじく目立ち、
奴隷だろうが元老院議員だろうが身分問わず多くの男性と交わり、
自分を花嫁として奴隷と結婚し、男娼として客をとっていたほどであった。
また女装子でもあった。
80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 15:23:21.26 ID:AXIh5er5O
>>77
マルクス・アウレリウス・アントヌスウス
デュマの三銃士の登場人物のうち、実在の男性の殆どが同性愛者である。
83: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 15:28:39.53 ID:37kAwQGdO
島津の捨て奸
逃走ルートに沿って数人が座り込んで留まり、追っ手を敵を銃で狙撃して撃ち終わったら槍で突撃する戦法。(別名:座禅陣)
関ヶ原の退却戦で使われた戦法で、部下達のまさに決死の働きのおかげで島津義弘は無事に薩摩に帰れた&追っ手の松平忠吉と井伊直政はこの時に受けた傷がもとで死んだ。
別に面白い話でもないね。
87: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 15:37:39.90 ID:NHQ46Mv9O
スパルタの戦士は小さい頃から一緒にいたのでほとんどが恋仲
だから恋人の為に戦うのでつおい
93: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 15:49:29.18 ID:3FeUHFy20
ソ連のベルベク峡谷にあったスターリン保塁と呼ばれる拠点。
ドイツ軍に攻められ、ソ連政治将校が絶対死守を命じた。
戦友の遺体を土嚢代りに積み上げて決死の防戦で、90%が戦死し、
ドイツ軍は降伏勧告したが一人の政治将校だけが反対。
仕方なく残ったソ連兵士で政治将校を射殺してやっと降伏する事ができた。
生存者9人だった。
98: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 16:02:08.34 ID:p2yjXBuA0
「武士たるもの七度主君を変えねば~~」で有名な藤堂高虎、
実際に何度も仕える相手を変えているが、
当然いたずらにあちこちふらふらしていたわけではない
力なく大成しそうにない上司や
能力や働きの大きさを評価してくれない上司を自分から見限っていただけであり、
秀吉の弟の秀長や家康の元では、働きに応じて加増されながら長く仕えている
ことに、二代将軍秀忠が高虎のことを非常に買っていることが
高虎の周囲に知れたことがあった。その理由を聞かれた高虎は、
「誰よりも早く江戸城に上り、誰よりも遅く江戸城から下がる、それだけのこと」
と返している。認めた上司に対してはむしろ忠誠厚く、
真面目な性格であるという見方もできる人柄である。
106: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 16:35:14.06 ID:mf5MRB24O
>>98
高虎さんは秀長に出会ったことが大きいよね
108: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 16:43:45.99 ID:X2nfCeHl0
江戸時代中期に有人飛行を成功させた人間がいる
岡山藩で表具師をしていた浮田幸吉という男は
空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを研究した。
そして「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出す。それを人間の体に相当する翼を作れば
人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけた。
竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作した。
試作を繰り返し1785年(天明5年)夏、旭川に架かる京橋の欄干から飛び上がった。
上手く東風にのった幸吉の初飛行は飛行距離50Mほどであった。
河原で夕涼みをしていた人々が「天狗が出た!」と大パニック
世間を騒がせたとしてたちまち翌朝には御用となり翼は没収
岡山城下から所払いとなってしまった。
109: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 16:57:58.87 ID:Jwh5wIDUO
徳川家康は褌の色は薄黄色にするべきと主張してたらしい
実際家臣がそれに統一したかは知らんが、主張の理由は「薄黄色なら汚れが目立たないから」だとか
経済的かも知れんがねぇ…
110: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 16:58:49.96 ID:Ym2n7hZP0
かの有名なラスプーチンは
青酸カリの入った食事を食べさせられ、銃で撃たれ、殴られ蹴られ、
道路に叩き落とされてもまだ死なず、極寒の川に落としてようやく溺死した
114: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:01:01.56 ID:dHQTDWSK0
>>110
川に落ちても溺れなくて川から打ち上げられてようやく凍死したって聞いたな。ほんとか知らんが
117: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:05:25.20 ID:TNvvgUhkO
>>110
コナンの映画で青酸カリが効きにくい体質だったかもって言ってたな
胃酸が少ないとか
111: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 17:15:46.32 ID:l/k5qrbj0
なんでもできる天才的な人として知られている曹操だが
チビだった、そして異民族が挨拶にきたときは違う人を自分として挨拶した
112: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 17:45:59.94 ID:Jwh5wIDUO
豊臣秀吉は文禄・慶長の役のとき、中毒死する兵士が多かったのでフグ食を禁止した
その後江戸時代でも多くの藩がフグ食禁止を続けたが
明治になって伊藤博文が下関で食べたフグの味にに感激し解禁することにしたそうな
113: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 17:54:37.70 ID:l/k5qrbj0
イケメンの正義の武士のように語られる真田幸村は、長い期間、父親とニートしていた
115: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:02:14.05 ID:Jwh5wIDUO
音楽家バッハのヅラは有名だが
当時のヨーロッパでヅラが流行するきっかけはフランス王ルイ十三世
彼がハゲたためヅラを被るようになり、周囲の者も合わせて被るようになった
また、息子のルイ十四世もヅラを被ったのでそこから身分の高い人たちのオシャレとしてブームになった
118: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:11:00.88 ID:vLFNeAPJO
ピョートル一世は湖だか川だかで兵士が途方にくれてるのをみて、
自ら率先して水の中に入り全員を助けだした。
その後風邪をひいたがかまわずドンチャン騒ぎはじめたことが原因で人生を終えた。
アレクサンドロスもそうだが、
派手な人物ってのはコロッと逝ってしまうのかもしれん。
119: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/08/20(金) 18:25:22.80 ID:iNfENNxTO
「イタリアの光」とうたわれたウルビーノ公、フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像画は、
そのほとんどが向かって左を向いた横顔で描かれている
その理由は、馬上槍試合で負傷した右目を隠すため